みなさま
「広島2人デモ」です。
今回総選挙では、反原発・脱原発・卒原発勢力は惨敗でした。
今日から本番が始まります。
この惨敗は、ほんの手始めです。
ながいながい闘いとなると思います。
それと同時に私たちは
今回惨敗の原因分析をしておかねばならないように感じます。
様々な要因、様々な分析が可能でしょう。
確実な事から言えば、
反原発・脱原発・卒原発の主張は結果として一般市民の投票行動を決定するほど
説得力のあるものではなかった、ということは最低限言えると思います。
確かに、反原発は多くの、圧倒的多数の、一般市民の願いだったことは間違いありません。
例えば一時期10万人以上集めたと言われる首都圏デモは
その裏付けということが出来ると思います。
しかしその首都圏の人たちも、反原発に結集するよりも
経済的安定を消極的に選択したと言えると思います。
反原発はその意味ではメイン・イシューではなかった、という事にもなります。
ここから深刻にこれまでの運動のあり方を自己批判せざるを得ません。
その自己批判から出てきた中間的結論は以下のようなものでした。
1.原子力ムラがあるように、市民運動側にもムラが存在し
そのムラ社会で運動が完結していなかったか?
このことは私たちが
「一般市民を第一の説得相手としての取り組み」が弱かったのではないか?
という疑問を抱かせます。
2.「政治とは生活だ。」と言ったのは、かの田中角栄でした。
生活の中の重要課題として反原発を取り上げてきたか?
市民の中から政策を考えてきたか?
という疑問を抱かせます。
3.今回各党の政策を点検して気が付いたのですが
反原発、卒原発、脱原発はスローガン、あるいは政策として存在しました。
が、反被曝はほとんど政策らしきものはありませんでした。
反被曝とは
①これ以上、社会と環境に新たな被曝を付け加えないこと
②現在ある被曝を最小化すること
だと理解しております。
反被曝から問題を取り上げた時に、それはすぐに様々な具体的な政策に結びつきます。
また、反被曝の問題を掘り下げれば掘り下げるほど、
生活にこれほど密接に関連した政治課題もないと思います。
反原発こそ、田中角栄の言う、「生活」そのものなのだと気づきます。
従って、反被曝・反原発を情緒的にではなく、理知的に一般市民に働きかけ
これを説得していく、という取り組みが次のステップアップを準備するものだと思います。
いまから、30年以上も前、
ニューヨークの5番街を様々な工夫や衣装を凝らした反原発パレードが練り歩いていたことをいま思い出します。
明日にもアメリカ中の原発が停まるかのような雰囲気でした。
しかし、それは一定の効果(例えば新規の原発建設を差し止めるなど)をあげましたが
政治的に大きな力とはなりませんでした。
アメリカの反原発運動が、正念場を迎えていくのは、むしろ90年代以降だったように感じます。
派手な人目を引く運動から、原発地元住民を中心とした地道な調査、研究、説得活動に変化していったのだと思います。
確実に地元社会の政治勢力となり、政治的に原発を禁止する州も現れてきました。
また、全米レベルでは
「放射能被曝補償法」(the Radioactive Exposure Compensation Act)
<http://www.radiationexposurecompensationact.com/>
も不充分ながら成立しました。
これらは原発からの放射能がいかに低レベルであっても人間の健康に大きな害を与えることを
ひとつひとつ、事実に基づいて確認し、説得した結果だったろうと思います。
原発推進勢力も反原発の本質は反被曝であることを、充分認識しているのではないかと推測します。
ですから私たちの打つ手を先まわりする形で
「放射能安全神話」(すなわち100ミリシーベルト以下の被曝は安全だ)を様々な形で、
時には小・中・高校生の教育現場にまで持ち込んで悪宣伝これ勤めているのだと思います。
歴史的に見れば、反原発勢力が、今回選挙で惨敗を喫したのは
次のステップのための、一つの重要なプロセスだったのかもしれません。
これを良い私たちの教訓として大きな力にせねばもったいないです。
広島2人デモは、引き続き、大飯原発の息の根を止めるまで
そして、日本中の原発の息の根を止めるまで
そして、反被曝政策が確立するまで
歩きます。
(実際に歩きつづけるかどうかは不安ですが・・哲野も年ですので・・・
ですが活動としては歩き続けます。)
広島2人デモ