◆画像説明
1.第32回チラシ1-4P
2.第32回チラシ2-3P
3.プラカード1・2
4.プラカード3・4
5.「出発前」集合場所の写真と
「バッチ」東京送られてきたバッチと三次のバッチ
みなさま
(いくつかのメールにお送りします。)
毎度お騒がせします。
第32回広島2人デモ1月25日の報告です。
参加者は6人
哲野、網野、じゃけえさん、Kさん、シュウトさん、原田さんでした。
集合場所に行って待っていました。
<出発前の写真>
5時50分ごろの写真です。
6時だともう少し空が紺色になってました。
たった10分でも随分変わります。
<バッチの写真>
東京の馬場千枝子様から
広島2人デモに30回記念のお祝いというか御礼というか、応援として
なんと経産省前テントで手作りでつくられた
限定50個のバッチのうち2つが送られてきました。
下の丸い2個がそうです。ありがとうございます。
上の風車をかたどったバッチは「さよなら原発みんなで歩こう三次」のみなさんの手づくりバッチ。
馬場さんから送ってもらったバッチと、三次のバッチも今日は一緒に歩いてもらう事にしました。
離れていても私たちは一緒に歩いています。
しばらく待っていると、じゃけえさんが来ました。
哲野「スピーチ用意してますか?」
じゃけえさん「用意してない・・・」
哲野「用意してなくてもあとでマイク渡しますからね」
警察の方登場。原爆ドーム側からやってこられました。
警察「あんまり原爆ドームがいい感じだったもんで、ちょっと撮ってました」
みんなで警察の方の携帯写真を覗き込みます。
全員「きれ~~~い!」
お見せできないのが残念です。
薄青い暮れの空に、ライトアップされて全体的に優しく淡い暖かなオレンジ色に染まったドーム
両端に常緑樹のクスノキの緑色。
哲野「撮る人の思想が出てますね。いい写真です」
網野「仮に、これでもし遅れて来られたとしても、私構わないと思うくらいだ。」
それほどでした。
こういうシャッターチャンスは偶然の賜物ですからね。
年に何度もあるチャンスではないし、なかなか遭遇できるものではありません。
秀逸な写真でした。
指令書の確認をし、チラシをお渡しして説明していると
ゴング代わりの音楽が鳴りました。
出発です。
今回のチラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20130125.pdf
今回のプラカード
※上の画像をご覧ください。
今回、事前にKさんから
「外国人の方が結構歩いているので、英語を入れてほしい」という要望があり
入れておきました。
前回歩いた時も、旅行者や海兵隊と思われる方をちょくちょく見かけました。
哲野のスピーチがはじまる直前、Kさんが来ました。
Kさんのはチラシ撒きに回ってくれました。
哲野のスピーチ
哲野「毎度毎週、お騒がせします。
金曜恒例の広島2人デモです。
今日は4人で歩いています。
1月21日・24日と、原子力規制委員会は会合を開いて福島事故なみの過酷事故が起こった時の
避難基準案を検討しています。
その中身は、原発周辺5km外での住民の避難なんですが
なんと、空間線量率500μSvで初めて避難というないようになっています。
これは年間の線量率に換算すると4~5シーベルト
いっぺんに浴びると外部被曝だけでも半分以上の人が死に至るというとんでもない基準です。
私たちがアルジェリア人質事件や殺人事件や経済問題で注意を奪われているときに
こんなとんでもない基準を決めようとしています。
避難計画は今年7月に出来る原発再稼働の必須要件である
地域防災計画のガイドラインになりますので
規制委員会はこの避難計画(防護措置の実施の判断基準)決定を急いでいるわけです。
もともと、30km以内の住民は即時避難という基準をベースに考えていましたが
この基準ではいっぺんに30万人から50万人の人たちを避難させなくてはならず
これでは非現実的、と今回の基準にする模様です。
現実的な基準とは、さらに過酷な被曝を強制する基準です。
私たちが主人公なのか、原発が主人公なのか、
原発の事故に怯えながら常に事故の準備をしながら送る生活は本末転倒です。
こんな避難基準が必要であるなら、そもそも原発自体が不必要であるばかりでなく危険です。」
外国人の集団が目につきます。
哲野がスピーチを途中中断してなにやら話をしています。
「メキシコからきたのよ。観光でね。」
哲野「君ら、原発ないんだろ?」
「ないよ。あんなバカなものは持たないよ」
哲野「そのね、バカなもののね、反対デモをやってるの、今。」
「そう。頑張ってね。」
と、冷たく去って行きました。
本当に・・・私たち日本は、本当に愚かに見えてきます。
プラカードを見る人は少しはいるのですが
あまり反応はよくないようです。
本通り電停の横断歩道を渡ったところでシュウトさんが来ました。
シュウトさんもプラカードを持って歩いてくれます。
しばらく行って、スピーチをじゃけえさんに変わります。
じゃけえ「今のままだと原発は動いてしまいます。広島で生活していながら不安を感じています。
日本の何処かで原発が動いたら、新設されたら、はたまた最悪な事に爆発なんて起きたら。
死の街どころか、日本は死の国になってしまいます。
私はただ、単純に、自己中心的に、自分の命を守りたくて、こうして歩いています。
福島県双葉町の町長がこの度、辞任されました。
町民の避難を優先してお仕事をされてきた方です。
復興よりも避難なのです。
経済よりも先に命なのです。
自分の人権は自分で守らなければ誰も守ってくれません。
国は国民を守ろうとしていません。
広島・長崎以外にも日本は放射能汚染被害を受けています。
(第5福竜丸事件がきっかけで気付いた核実験放射性降下物被害のこと)
その時に実証済みです。
国は国民の被曝を容認していたのです。
国を国として形作る為に国の中身である国民を守ろうとはしませんでした。
皆さん、声をあげる事を今一度、考えてみてください。よろしくお願いします。」
哲野が感心してこのスピーチを聞いていました。
「あそこまで本質が鋭く見抜けるとは。」
(あとでじゃけえさんは自分のツイートに次のように書いていました。
「今回はデモに最後まで参加。スピーチが回ってくるまでに時間があったお陰か、
前回ほど言葉に詰まることはなかったが今までのスピーチの中で断トツで感情が込もったものに」
と書いていました。)
次にKさんにスピーチが変わります。
Kさん「みなさん、こんにちは。
福島県郡山市の小中学生14人の子どもたちが、
『年1ミリシーベルト以下の、放射能から安全な場所で教育を』と訴えて
裁判を起こしました。
※参考サイト「福島集団疎開裁判」http://fukusima-sokai.blogspot.jp/
マスコミは一切、このことを報道しません。
なぜならマスコミのスポンサーや大株主には東電などがいるからです。
スポンサーに都合の悪い事は報道しないんです。
みなさんは小中学校のころ、どんな事を考えていましたか?
少なくとも、放射能で自分や家族が、がんや色々な病気にかかるんじゃないか、
そんな心配はしていなかったと思います。
フクシマ事故や放射能の影響で今の子どもたちは
放射能を心配し、怯えて暮して行かなければなりません。
子どもが無事に大人になれるんだろうか、
いつまで生きていられるんだろうかと心配する
そんな社会はおかしいと思います。
福島現地ではどんどん事態が悪化しています。
福島だけの問題ではありません。
日本の全ての子どもたちの問題です。
今日本は地震活発期です。
どこで地震が起こっても不思議ではありません。
地震があるたびにフクシマは大丈夫だろうかと心配しています。
広島も他人事ではありません。
もし広島近くの原発で、四国電力の伊方原発や中国電力の島根原発で
事故が起こったら福島と同じように広島の子どもたちが危険にさらされます。
・・・テレビや新聞は本当のことを言いません。
どうか自分で情報を探してみてください。
少しでも考えてみていただけないでしょうか。
宜しくお願いします。」
いったん哲野にマイクが渡り、次はシュウトさんでした。
シュウトさんにマイクが渡るまえに、数人の男の子たちがシュウトさんに会釈してました。
シュウトさんの知り合いのようです。
シュウト「あの忌野清志郎さんも、生前、原発反対の歌を歌っていました。サマータイムブルースという曲です。
その中でもうたっていますが、日本の電力エネルギーは実はあまっています。
原発がなくても、日本は今まで通りの生活ができるのです。
関係者が、自分達の利益を守るために、隠しているのです。
事故が起こってから、デモをしても意味がありません。
自分の大切な人が、亡くなってから、デモをやっても意味がありません。
何かが起こる前に、1つ残らず、撤去したいのです!」
シュウトさんは他にも、原発事故で被害を受けた動植物の事に触れ
自然サイクルが壊れたら人間にも影響があるとスピーチました。
シュウト「もう一つ皆さんが忘れている、あるいは見落としがちな問題があります。
それは人間以外の生き物達も当然、私達人間と同様あるいはそれ以上の被害を受けている事です。
私達が目にするテレビ等では、動物ましてや昆虫や植物にいたっては
その被害については殆んど報道されていないのではないでしょうか。
私達人間の起こした事故で、何も関係のない沢山の生き物が病気になっている、
あるいはこれからなっていくでしょう。
身体に及ぼす影響は人間だけではないのです。
私達人間の文明の為に人間の勝手な都合で、他の生物が犠牲になるのは食物連鎖の範囲を越えています。
自然の摂理を大きく越えたおこないは、許される事ではないですし、阻止しなければなりません。
地球に住んでいるのは私達人間だけではありません。
地球に害を及ぼすモノは出来るだけ多く無くして行きましょう。
最近発表された研究結果では、極端に言えば日本のどこで地震が起こってもおかしくない可能性が出てきました。
黙っていては何も変わりません。
まだ日本はデモに参加したあるいは原発に反対したからといって、
他国のように生命に危険が及ぶ事はないでしょう。
原発を皆で無くして行きましょう。」
シュウトさんのスピーチは、人間から離れて自然界の目から眺めていました。
なるほどと思いました。
その次に原田さん
原田さんは原子力規制委員会の1月21日の避難基準案の話をし、
参院選後に広島から一番近い原発、四国電力の伊方原子力発電所が再稼働される恐れが非常に高いこと
島根原発の3号機も稼働する恐れがあること、をスピーチしました。
その次に私も少しマイクを渡してもらいました。
網野「今日は1月25日、私の被爆者の祖母の5回目の命日でした。
曾祖父は昭和20年12月に亡くなっています。
(被爆者にカウントされていません、という事を言いたかったのですが)
広島の方、被爆者が身内にいる方はわかると思います。
被爆者の子は早く死ぬ、とか被爆者も長生きしないとか。
噂があるほどです。
思い出していただきたい。
原爆からそんなに経たず、白血病を発症してる人が居ます。
ある時期は脳疾患、脳内出血で死ぬ人が多かった。
ある時期は心臓疾患、心不全で死ぬ人が多かった。
循環器系疾患で死ぬ人が多かった。
近所の人がバタバタと死んでいった、私にも小さい頃、覚えがあります。
福島は広島原爆の百倍以上もの放射能が出ています。
(広島原爆がウラン235 60kg 福島原発が今までのところ、10トン放出しているものとして)
広島の人なら実感として福島でこれから何が起こるか、想像つくはずです。
私の家族ですら、こりゃ大変なことになるぞと話になりました。
少しでもわかっていることを話しませんか。声をあげていきませんか。
フクシマは収束していません。放射能を出し続けています。
それなのにこれ以上放射能を多くすべきではありません。
賛成反対関係ないです。推進反対関係ないです。
今は停めるべきです。
原発が経済問題、エネルギー問題だというのなら停めて、福島を収束させてからの話でしょう。
また、地震活発期にある今、事故が起こる可能性を残しておくべきではありません」
哲野が「その通りや!」、と私の方をポンと叩きました。
そこでなんで関西弁なのかわかりませんが。
また最後に哲野にマイクが渡り最後までスピーチしました。
元安橋に帰ってきて、警察の方にお礼を言ってお別れしました。
警察「寒いのでみなさん、風邪ひかないように気を付けてくださいね。」
網野「○○(警察の方)さんも、お気を付け下さいね。」
警察「いや私、もう引いちゃって・・・」
あらら。そういえばマスクされてました、てっきり予防かと。
お身体お大事になさってください。
恒例の立ち話なのですが、冷え込みが凄くて、10分程度で解散しました。
チラシはあまり売れませんでした。
ただし、中学生、高校生たちが興味を持っている傾向は今日も見てとれました。
はっきりした一つの流れだとおもいます。
Kさんの分析によると
Kさん「今日のテーマは一般の人にはなかなかわかりにくいですよね」
哲野「そうなんですよ。市民の人に興味のある話題を提供する場合と、
どうしても知って欲しい話題を提供する場合とあるんですけどね。
今日は覚悟の上でどうしても知って欲しいことをテーマにしたんですよ。」
網野「原子力規制委員会の動きや中身を私たちが本当は知って監視しておななきゃいけないんだけどね」
哲野「なかなか・・・敵も手ごわいよ。情報公開とかいいながら、一般人にはなかなか理解しにくいままだからね。」
これは事実上の情報隠しだね。
情報公開も一種のアリバイ作りかもしれない。
でも、前の自民党時代のように、全くのブラックボックスよりはるかにマシだ。
丁寧に読めばともかくも、理解できるからね。」
あとでじゃけえさんはツイートでこんなことを言っていました。
「スピーチの最中、少々我を忘れていたみたいで記憶が曖昧です。
デモの最中、主催のお二人も言っていたのですが、
今回デモに参加した6人全員がスピーチをして、
そのスピーチがそれぞれに全て違った視点からされていて面白かったです。
他の方のスピーチを聞きながら、「へぇ~、そうなんだー!」と思うことばかりでした。
デモ終了後、立ち話の中で
「どうしたら皆に大事なことを知ってもらえるんだろう?事実を知れば原発容認出来ないはずなのに…」
という話になり、きっかけさえあればなぁ、と思いました。」
Kさん「次回、どこか暖かいところに入って、情報交換の場を持ちませんか?」
賛成です。ということで次回、2人デモが終わったら、近くのお店に入って小一時間ほど、情報交換の場を持ちたいと思います。
以上ご報告いたします。