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フクシマ放射能危機の中の原爆ドーム

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私たちの広島2人デモに参加できない、賛成の意思表示も出来ない、が、心の中では支援しているという人たちが国立大学法人や地方公共団体の、どちらかと言えば下積みの公務員の人々にひそかに拡がっています。

今日掲載する写真はそうした人々のお一人が、送って下さった写真です。

ご本人の説明を引用します。

「淡いピンク色の悲しそうで、せつなげな夕焼けをバックにしたうえで、大地から天に伸びる樹木がドームに被ることを意識しました。
樹木が人々の手にも、静脈や毛細血管にも見えませんか?」

 ユネスコ(United Nations Education, Science and Cultural Organization)が広島の『原爆ドーム』をユネスコ世界遺産に登録したのは1996年でした。世界遺産には大きく『文化遺産』と『自然遺産』の2つのカテゴリーがありますが、広島原爆ドームは文化遺産として登録されました。原爆ドームは「負の遺産として登録された」と解説する人もいますが、もちろんユネスコのカテゴリーに『正の遺産』とか『負の遺産』などといったカテゴリーがあるわけではありません。またユネスコの登録説明によっても『負の遺産』の性格が選定理由なのではありません。ユネスコのサイトに世界遺産に関するサイトがあり、
“World Heritage List”<http://whc.unesco.org/en/list/
を眺めることができますが、『原爆ドーム』は『Hiroshima Peace Memorial(Genbaku Dome)』、つまり『広島平和記念物(原爆ドーム)』として登録されています。
http://whc.unesco.org/en/list/775

 『登録説明』(“Brief Description”)には次のように書かれています。
 “The Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) was the only structure left standing in the area where the first atomic bomb exploded on 6 August 1945. Through the efforts of many people, including those of the city of Hiroshima, it has been preserved in the same state as immediately after the bombing. Not only is it a stark and powerful symbol of the most destructive force ever created by humankind; it also expresses the hope for world peace and the ultimate elimination of all nuclear weapons.”

 「広島平和記念物(原爆ドーム)は1945年8月6日最初の原爆が炸裂した地域に唯一残存して立っている建造物です。この建造物は、広島市の人たちを含む(世界の)多くの人たちの努力を通して、原爆攻撃直後と同じ状態で保存されてきています。この建造物は人類が創りだしたもっとも破壊的な力の、気味の悪いばかりに強力な力の象徴であるばかりでなく、世界平和とすべての核兵器の究極的な廃絶への希望を表現しています。」

 すなわち、核兵器の破壊力の象徴であるばかりでなく、世界平和と究極的核兵器廃絶への人々の希望を表現している、と述べています。むしろ原爆ドームが世界文化遺産に登録された理由は、原爆の破壊力ではなく、むしろ世界平和と究極的核兵器廃絶への人々の希望に力点があることがおわかりでしょう。それは「広島の市民を含む多くの人たちの努力を通じて」という言葉によく表現されています。

 原爆ドームが世界遺産に登録された当時広島市長であり、自らも市長として世界遺産化に尽力した平岡敬氏はあるインタビューの中で次のように述べています。

 「なんでそれを言い出したのかというと、最初は、広島でもご承知の通り、原爆ドームを取り壊そうという議論があってね。結局、濱井さん(戦後最初の公選広島市長)が、先頭に立って残すということになった。彼は最初、壊す方だったんですよ。それを市民が残せ、残せという声が強かったもんで、結局残すことになった。」

 「今まで、何度も取り壊そうと言う話がありながら、ずっと残ってきたっていうのはやっぱり広島市民の意志があった。・・・あれを見るたびに気分が悪いという人がいたりね。やっぱりあれを教訓・教材にしたいという思いも確かにあった・・・。だからああいうものを通じて自分たちの思いを伝えようとしたんですかね。
 あれがなくなったら、いくら口で言ったって、全く平和な街の中で、原爆の痕跡のない街の中で、それを訴えても迫力がない。」

 ですから、世界平和と核兵器廃絶への、広島市民をはじめとする多くの世界の人たちの希望と期待こそが、『原爆ドーム世界遺産』の選定理由となっているわけで、その限りにおいては『原爆ドーム』を『負の世界遺産』と単純に割り切ってしまうのは誤りだということになります。

 この冬の枯れ枝を生命力の象徴である『血管』に見立てたこの一葉の写真には、世界平和と核兵器廃絶への広島市民の期待と希望が脈々と受け継がれていることを表現しています。福島原発事故という全く質の異なる、しかしやはり同じ『核の生命力に対する攻撃』に直面している私たちには、一層この希望と期待は貴重な励ましになるのだと思います。

【参照資料】
シリーズ「平岡敬インタビュー」 第8回『広島市長時代―原爆ドーム世界遺産化の意味』
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/8/8.html