雨上がりの空、強く流れる雲、夕暮れを撮影した写真です。
写真を送って下さった方は
洗われた清々しさを感じたそうです。
同じように思います。
そして私には何度も何度も繰り返される雨風の中、
自然の中にいる人という社会の存在を感じます。
悲しく辛い、この人間の生み出した一節の歴史も
風雪にさらされながらその存在の意味をしっかり考え思想化し
私たちの中に自然に蓄積され
ゆっくりと昇華でき
もう一つの清々しさを感じるようになればと
願わずにはいられません。
網野
広島で毎週金曜日18時から、元安橋東詰をスタートして歩いています。(休止中)
雨上がりの空、強く流れる雲、夕暮れを撮影した写真です。
写真を送って下さった方は
洗われた清々しさを感じたそうです。
同じように思います。
そして私には何度も何度も繰り返される雨風の中、
自然の中にいる人という社会の存在を感じます。
悲しく辛い、この人間の生み出した一節の歴史も
風雪にさらされながらその存在の意味をしっかり考え思想化し
私たちの中に自然に蓄積され
ゆっくりと昇華でき
もう一つの清々しさを感じるようになればと
願わずにはいられません。
網野
みなさま
毎度毎週お騒がせしております。
第68回広島2人デモのご報告をいたします。
今日の参加者は4人でした。
哲野、網野、じゃけえさん、Kさん。
まず最初に、今回の反応からお知らせします。
今日のチラシの売れ行きは全くよくありませんでした。
40部用意して売れたのが22部
プラカードはよく見るのにチラシを差し向けると拒むと言う人が多かったようです。
Kさん「去年の今頃の感覚です。無関心を装って、こういう話を聞きたくないという。
久々のアウェイ感です」
哲野「でもプラカードは凝視するんだよね」
Kさん「「自分が被害者になる事は気になるけど、自分が加害者になる事は聞きたくないんだよ。」
哲野「当たってると思う」
じゃけえ「私のところにチラシを取りに来た人、1人いましたよ。」
Kさん「私も3人」
哲野「僕のところにも2人いた。
みんな聞きたくないことなんで、半分予想通り半分期待外れ
でもいつかはやらなければいけないと思っている。
これからも時々はやろうと思う。」
大衆を責めるのは戦術としても戦略としても誤りのように見えます。
新聞も本当は一般大衆を責めたいこともあるでしょうが
これはタブーです。
大衆は冷ややかに眺めたり、責めたりすることは好みますが、
自分達が加害者となる話はなかなか受け入れません。
ここが大きな分かれ目になります。
しかし、大衆批判をやらなくてはなりません。
私たちの自己批判を含めて時々は私たち自身に責任があることを
再認識することは必要だと思います。
関心はあるが、どこか拒絶する。
みんな心のどこかにトゲみたいなものが刺さっているんだと思います。
あと、観察していると
「福島のことはあまり聞きたくない」
「余所事」という雰囲気も若干あったような気がします。
汚染水だけがマスコミでクローズアップされてて、
放射能がまだ大量に出ているということが忘れられ
福島や関東圏の被曝が原因としか思えない健康損傷がたくさんでているのに
報道されないために多くの人が「伝わってこないから大丈夫なのかも」と思っているようです。
「福島原発事故はあとは汚染水の問題だけ」というのイメージが作られているような気がしました。
というのもデモ中、居酒屋に入る若い男性2人組みが
デモを差して「まだあんなことやってる・・・」と言いながら入っていくのを
哲野が目撃しました。
多くの人がプラカードを見るのに、チラシを取らない
スピーチを聞いているのに、チラシを取らない
そんな感じの街の雰囲気でした。
さてデモの報告です。
集合場所に行くと、あんまり見ない雲の流れで空が美しかったです。
会社帰りのサラリーマンも携帯を取り出してパシャリと映していく人が何人もいました。
で私もご多聞に漏れず写真を撮っていると
サラリーマンのおじ様が同じように撮っていたので
哲野「綺麗ですよねえ」
男性「原爆の子の像のところで撮ると、もっといいですよ」
と少し立ち話をしました。
警察の方が登場して指令書の確認をし
やっぱり「今日の空は綺麗ですよねえ・・・」という話題に。
チラシの説明をしているとじゃけえさん登場。
しばらくして音楽が鳴りました。
出発です。
第68回チラシ
▼A4版
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20131004_A4.pdf
▼A3版
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20131004.pdf
今日のトップバッターはじゃけえさんです。
じゃけえさんは「100人の母たち」写真展に行ったことに触れました。
▼「100人の母たち in Hiroshima」
http://on.fb.me/1fT2z16
じゃけえ「原発事故を受けて避難してきたお母さんたちの写真展です。
写真にはお母さんと小さいお子さんが映っていました。
その横にはお母さんたちが「原発はいらない」と訴える文章が添えられていました。
その中にはわが子に「ごめんね ごめんね」と何度も謝っていました。
原発問題を放置していたばっかりに次世代の子どもたちに
原発事故が起こった日本が当たり前の世界を遺してしまったことに対する
謝罪が込められていました。
私たちが今考えなければ未来への加害者になってしまいます。
原発事故が起こった日本が当たり前の日本を遺してしまったことへ
反省し、これからどうしていくのかと考えなくてはいけません。
今この判断を誤れば次世代に恨まれる世代になってしまうのではないでしょうか。」
そして決して福島の問題は他人事ではない、広島も一番近い原発である愛媛の伊方原発が
再稼働最有力候補だとスピーチしました。
そして「結・広島」が行っている署名に賛同していただける方はご協力を、と呼びかけました。
▼結・広島
http://hiroshima-net.org/yui/
次にマイクは哲野に渡りました。
ここでKさんが合流しました。
哲野「もし私たちがいま出ている放射能に
無関心であったり、傍観者を装っていたり
あるいは目先のわずかな利益に目がくらんで
原発推進に手を貸したり
そういう態度をとるならば
次世代、次々世代の人たちは
私たちをもしかして加害者と呼ぶかもしれません。
無関心でいい、状態に全く抵抗しない、原発推進をここまま進める
この状況を黙って、手をこまねいて見ているだけならば
次の世代の人たちからは、『加害者』と呼ばれても
仕方がないかもしれません。
もちろんこの加害、無作為の加害です。
そうしようと思って犯した犯罪ではありませんが
しかしそれは、一種の犯罪であり、加害です。
加害者と被害者は、極限状態においては紙一重です。
いつまでも私たちは被害者ズラをしているわけにはいきません」
とスピーチしました。
次にマイクはKさんに渡ります。
Kさん「放射能によって福島に住んでいる人たちは家庭を壊され
人間関係を壊され、健康にまで被害が及んでいます。」
と訴えました。
マイクは再びじゃけえさんへ。
じゃけえさんは1回目と同じようにスピーチし
じゃけえ「国の言う事、マスコミの言う事だけを信用しないでください。
自分の信用がおける情報に自ら当たってください。
その情報を見て自分の判断を下してください。
人の言う事だけを鵜呑みにしないでください。」
と周りに語りかけました。
次に哲野にマイクが渡り
哲野「今のスピーチでマスコミだけを信頼しないでくださいという呼びかけがありました。
福島原発事故で「日本のマスコミはおかしいんじゃないか」と思われた方も多いと思います。」
そしてそのおかしさは日本のソフトな言論統制(マスコミの自主規制)にあること
その体制は戦前から続いていること
その経緯説明をしデータを挙げてスピーチしました
哲野「日本のマスコミは新聞大手5社
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞
この全国紙5社に、地方紙約5~60紙、それに共同通信という一種の国策通信会社によって
日本の情報はいままでコントロールされていました。
先進国において日本ほど日刊紙の少ない国はありません。
通常言論の自由のある国では、新聞の数は増えていきます。
それは多様な主張、多様な見方をその社会が受け入れているからです。
日本はそうではありません。
例えば私たちが言論の自由がないと非難している中国は有力な新聞だけでも約1000紙あります。
地方の小さな新聞を集めると、ゆうに1万はあります。
また、民主主義のゆりかごといわれるアメリカでは新聞社の数は激減しましたけど
いまでも約1400の新聞がアメリカ全国にあります。
今お配りしてるチラシに一点だけデータを挙げておきました。
各国の一紙あたりの平均発行部数です。
通常、民主的な運営がされている国では、一紙が何十万部も出せるわけがありません。
だいたい1紙平均5万部がいいところです。
言論統制の国、日本では1紙あたりの平均発行部数は46万部です。
もちろん世界でダントツです。
最も影響力のある新聞、例えばニューヨークタイムズは今現在発行部数100万弱
ワシントンポストは50万
アメリカで100万とか50万とかいう新聞は大新聞です。
アメリカで一番多い日刊紙はウォール・ストリート・ジャーナルで約200万部です。
それに遅れて全国紙のUSA today、これが約200万部弱
その他は100万部を超える新聞はかつかつ超えるニーヨークタイムス、
あとはありません。
これが当たり前です。
しかし日本は読売新聞が997万部。
旧ソ連の最盛期、共産党機関紙プラウダが1500万部でしたから
今の読売新聞は共産党プラウダに迫りつつあります。
こんなバカな数字が出るわけがありません。
2位の朝日新聞は約800万部。
世界の1位と2位と読売新聞と朝日新聞がダントツで占めています。
1紙あたりの平均発行部数が日本に次いで2番目に多いのは北朝鮮です。
しかしその北朝鮮も1紙あたり35万部。
日刊紙が15しかありませんから当然1紙あたりの数字が大きくなる。
その言論統制の国、北朝鮮をさらに上回るのが日本です。」
そして体制に組み込まれたマスコミによって誘導されている、
私たちはいまソフトな言論統制の中にある、充分注意しましょう、と解説し警戒を呼びかけました。
次にマイクが渡ったのが網野です。
網野「先ほどスピーチした人が、新聞やメディアの情報に気を付けてくださいと申しましたが
何を気を付ければいいのかと思います。
その際、5W1Hを頭に浮かべながら情報を読むといいと思います。
いつどこで、だれがなにをどうした、と
(それはなぜか、がスピーチから抜けていた)
そうすると、『あれ?これ裏がないな』と眉唾な情報とそうでない情報がわかると思います。」
そして100人の母たち写真展のことや福島から放射能は出続けていることに触れました。
元安橋に帰ってきてデモ終了。
感想は最初に書いた通りです。
そのあと珍しく立ち話をやめて、哲野がコーヒーを飲みたいとせがむので
4人で近くのコーヒーショップに入って感想を言い合ったりして長話をしました。
以上ご報告いたします。
◆以下、全文スピーチです◆
◆じゃけえさん
ご通行中のみなさま、商店街のみなさま、お騒がせしております。
毎週金曜日恒例の広島2人デモです。
それぞれが原発に反対したい一心で個人的な意思を持って集まり
みなさんに知っていただきたい内容をスピーチしながら歩いております。
少しでも耳を傾けていただけると幸いです。
毎回チラシをお配りしております。
原発問題について考える際、是非参考にしてみてください。
チラシはwebでもご覧いただけます。
広島2人デモで検索してみてください。
広島で「100人の母たち」という写真展が開催されました。
原発事故を受けて避難してきたお母さんたちの写真展です。
写真にはお母さんと小さいお子さんが映っていました。
その横にはお母さんたちが「原発はいらない」と訴える文章が添えられていました。
その中にはわが子に「ごめんね ごめんね」と何度も謝っていました。
原発問題を放置していたばっかりに次世代の子どもたちに
原発事故が起こった日本が当たり前の世界を遺してしまってしまったことに対する
謝罪が込められていました。
原発問題に関して無関心でいることは次の世代に負債を遺すということです。
原発事故が起こった日本が当たり前の日本しか知らない子どもたちが
これからずっと増え続けるということです。
私たちが今考えなければ未来への加害者になってしまいます。
原発事故が起こった日本が当たり前の日本を遺してしまったことへ
反省し、これからどうしていくのかと考えなくてはいけません。
今この判断を誤れば次世代に恨まれる世代になってしまうのではないでしょうか。
原発問題を放置しておくことは
被災した人たちの問題は他人事ではありません。
広島から一番近い愛媛にある伊方原発で福島のような苛酷事故が起これば
私たちは広島には住めなくなってしまいます。
日本の原発は事故を起こさないことを前提に稼働してきましたが
福島原発で事故は起ってしまいました。
事故が起ってからは、日本の原発は、事故はおこるものということが前提で再稼働されます。
私たちの住む広島から一番近い四国にある伊方原発は今停まっていますが
日本にある原発の中で再稼働最有力候補となっています。
伊方原発再稼働を容認することは
私たちの住む広島から一番近い四国の愛媛にある伊方原子力発電所で
事故が起こっても構わない
事故が起こったら広島で築き上げたものを全てすてて
避難しても構わないと言っているのと同じです。
広島市議会に伊方原子力発電所、再稼働反対の決議を求める
賛同する広島市民1541名の署名とともに提出しました。
この請願は現在閉会中継続審議となっております。
署名は追加で提出することが可能です。
伊方原発再稼働反対に賛同される方は御署名のご協力を是非宜しくお願いいたします。
国の言う事、マスコミの言う事だけを信用しないでください。
自分の信用がおける情報に自ら当たってください。
その情報を見て自分の判断を下してください。
人の言う事だけを鵜呑みにしないでください。
◆哲野
金曜日のお勤め帰りのところお邪魔します。
広島2人デモ、毎週金曜日原発や被曝の問題をみなさんにお知らせしながら歩いております。
そろそろ1年半になりますか。
福島原発事故が起きて2年半経過しました。
2011年3月以降に生まれた子どもは2歳から3歳になります。
放射能の危険については様々なことが言われていますが
放射能ができるだけ少ないものを摂取すると言う点では
推進派も反対派も、放射能は安全だと言っている人含めて
異論はないと思います。
福島原発事故後に生まれた子どもたちは
生まれながらにして自分の食べるものを気を付けなければなりません。
福島県に住んでいる子どもたちは
外で遊ぶ時間も制限して暮らすことが当たり前になっています。
原発事故である意味私たちの生活は一変したんだと思います。
比較的福島原発事故の影響を重く受け止めていないこの広島でも
スーパーマーケットに行かれた時、やはり多くの人が
産地の表示であるとか、きのこはヤバいとか
そういう事を気にして買い物されていると思います。
そういうことは決して、私たちの普通の生活ではありませんでした。
しかし福島事故後に生まれて1歳、2歳、やがて3歳になる子どもたちは
自分の食べるものを気を付けるのが当たり前の生活です。
放射能で自分の健康がいつかは害されるのではないか
そういう恐怖と闘う一生を送る
そういう生活が彼らにとって普通の生活です。
ある写真集に書かれたその文章を読んでちょっと衝撃を受けました。
私たちたちが当たり前ではないと思っている、今の社会
放射能を気にしながら生きているこの社会は
いま1歳、2歳の子どもにとっては当たり前の社会です。
私たちにとって当たり前でないことが
福島原発事故後に生まれた子どもたちにとっては当たり前の社会なんだと
指摘された時に衝撃を受けました。
何と言う社会にしてしまったんだろうか。
私たちが今まで当たり前だと思っていた世界は
福島原発事故以降に生まれた新しい世代では
当たり前ではない、経験したこともない、
放射能を気にしなくても何でも食べていい、そんな時代があったんだと
彼らは教えてもらって知るでしょう。
福島事故以降の世代と、福島事故以前の世代のギャップが
もう私たちの目の前に現れています。
これから生まれてくる次世代、その次の次々世代の人たちに
どういう言葉を発し、どんな顔で対応したらいいのか
彼らはたぶん私たちに言うだろうと思います。
ちょっとSFの世界の話に似てますが
『あなたがたはなんという世界にしてしまったんだ』
放射能にビクビク、おどおどして暮らす世界が当たり前の社会に
なぜしてしまったんだ、
恐らくこれから20年後30年後に生まれてくる子どもたちは
私たちの世代に向かってそういうでしょう。
もし私たちがいま出ている放射能に
無関心であったり、傍観者を装っていたり
あるいは目先のわずかな利益に目がくらんで
原発推進に手を貸したり
そういう態度をとるならば
次世代、次々世代の人たちは
私たちをもしかして加害者と呼ぶかもしれません。
無関心でいい、状態に全く抵抗しない、原発推進をここまま進める
この状況を黙って、手をこまねいて見ているだけならば
次の世代の人たちからは、『加害者』と呼ばれても
仕方がないかもしれません。
もちろんこの加害、無作為の加害です。
そうしようと思って犯した犯罪ではありませんが
しかしそれは、一種の犯罪であり、加害です。
加害者と被害者は、極限状態においては紙一重です。
いつまでも私たちは被害者ズラをしているわけにはいきません。
申し上げたように福島原発事故、そこからやってくる放射能
そして社会に新たな放射能を付け加える原発再稼働
これを国策、エネルギー政策、経済政策、原発輸出で経済成長をという
バカバカしいほどわずかな利益に目がくらんで
もしそちらに走るならば、私たちは立派な加害者です。
自分たちが加害者になっている
みなさんちょっと想像してみてください
この加害はいま目の前に見えませんが
20年先、30年先、50年先、私たちの世代は、世代として加害を加えます。
彼らが本来持つべき生存権や安全な生活を壊している
その意味では私たちは侵略者なのかもしれません。
よく考えてみてください。
今のレベルの放射能なら大丈夫なんだ、安全なんだという議論もあります。
極端な例では厚労省が言うように『基準値以内ならいくら食べても安全だ』と言う様な事を
平気で言うお役人もいます。
しかし、みなさんも実はそんな言葉は信じていないでしょう。
放射能は出来るだけ少ないほうがいい
ならばその社会を出来るだけ、放射能の被害、心配を少なくする社会を
次世代に残すべきです。
もし私たちがそれを怠るならば
それは次世代から私たちの世代を『加害者の世代』と呼ぶことになるかと思います。
今お配りしているチラシに今の話を少し詳しく書いておきました。
興味のある方はお手にとって読んでみてください。
◆2回目
今のスピーチでマスコミだけを信頼しないでくださいという呼びかけがありました。
福島原発事故で「日本のマスコミはおかしいんじゃないか」と思われた方も多いと思います。
福島原発事故が起こって1か月、福島事故は大きな事故になっていないという発表を
マスコミはほぼそのまま信用して流していました。
また事故の原因についても東電や政府の発表
一番いけないのは放射能の影響です。
放射能の影響についても政府、東電、厚労省よりの発表をしています。
昨年日本で大きなデモがありました。
しかし多くのマスコミは、ベルギーの自動車工場3000人のデモは伝えるのに
東京都のど真ん中で20万人クラスのデモが行われていることは伝えませんでした。
こうしたことを通じて日本のマスコミはちょっとおかしいんじゃないかと
思った人がいたとおもいます。
そうです。日本のマスコミは、ず~~っとおかしかったのです。
日本のマスコミは新聞大手5社
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞
この全国紙5社に、地方紙約5~60紙、それに共同通信という一種の国策通信会社によって
日本の情報はいままでコントロールされています。
例えば地方紙はその記事の7割くらいまでが共同通信の配信記事で占められています。
共同通信は社説まで配信していますので、共同通信の社説をそのまま掲載している
地方紙も数多くあります。
私たち地元の中国新聞はさすがに発行部数がトップ10の中にはいっているだけあって
社説は自前で書いていますが、記事の8割くらいまでは
共同通信の配信記事で埋められています。
ですから、全国どの新聞も金太郎飴みたいに同じことを言っているわけです。
本当は共同通信の記事を引用すれば「共同通信」とクレジットを打つ決まりになっていますが
これを真面目に守っているのも沖縄の琉球新報と沖縄タイムスくらいなものです。
他の地方紙はほとんど共同通信のクレジットを入れていませんので
何も知らない人は『地元紙独自の記事』と思い込んでしまいます。
先進国において人口と総発行部数に比較して日本ほど日刊紙の少ない国はありません。
例えば日刊紙、これはスポーツ、業界紙も含めてですが
これらが加盟している日本新聞協会には新聞・テレビ等各社合わせて約130社しか加盟してません。
ですから通常の日刊紙というと70か80しかありません。
例えば私たちが言論の自由がないと非難している中国は有力な新聞だけでも約1000紙あります。
地方の小さな新聞を集めると、ゆうに1万はあります。
また、民主主義のゆりかごといわれるアメリカでは新聞社の数は激減しましたけど
いまでも約1400の新聞がアメリカ全国にあります。
通常言論の自由のある国では、新聞の数は増えていきます。
それは多様な主張、多様な見方をその社会が受け入れているからです。
日本はそうではありません。
一通りの見方がどこの新聞をとっても金太郎飴のように同じことが言われています。
しかしかつて日本も先進国のようにたくさんの新聞があったことがありました。
例えば広島では芸陽新聞をはじめとして地域で読まれている有料新聞は少なくとも8紙はありました。
今広島県では事実上中国新聞1紙だけです。
いつこんな状況になったのか。
それは戦前にさかのぼります。
戦前日本全国には週刊紙、週間新聞ですね、週間新聞を含めて約2000の有料新聞がありました。
各地の人たちがそれぞれ新聞を出して、各地で読まれ 各地で提議し議論する。
そういうのが明治以降長く続きました。
戦前、天皇制政府は、戦争を進めるために様々な産業を国家統制に置きました。
国家統制において、全てを戦争に資源として費やすために国家統制を行いました。
国家総動員体制と呼びます。
様々な学者の見方がありますが国家総動員体制は太平洋戦争が始まる1941年までには完成したとみられています。
一般にこの国家総動員体制を1940年体制と呼んでいます。
軍部は当然国民を戦争に駆り立てなくてはならなかったので
こうした新聞の統合を行いました。
そして約2000近くあった新聞を様々な理由で最終的には70
全国紙5紙、ブロック紙、
ブロック紙と言うのは今で言えば、九州の西日本新聞
名古屋の中日新聞、北海道の北海道新聞
2県以上にまたがって新聞を発行してよろしいという、だいたいその3社、
そして県紙、1県に1紙という体制を進めていき
40年にほぼ完成しました。
この時に今の中国新聞も誕生しています。
日本の新聞は戦争推進にほぼ100%協力しました。
協力させられたという見方もありますが
読売新聞のように進んで協力し、協力する見返りに自分の影響を拡げていくことを
目論んだ新聞もありました。
戦争に負けました。当然戦前の民主主義的な新聞の状態は戻ってくるものだと思っていました。
しかし軍部にとって都合の良い新聞統制時代は、GHQ、アメリカ占領軍にとっても都合が良かった。
ですからアメリカの占領軍も日本を戦前の状態に戻すことをしませんでした。
検閲もやりました。
しかし一番の決め手になったのは新聞紙、新しい新聞社には新聞紙を割り当てない。
割り当てを統制することによって新しい新聞の出現を拒みました。
占領時代は終わりましたが、すでに先行して基盤を作っている大手新聞社に
なかなか新しい新聞社は勝てません。
またときに有力な新聞社が大手出版社から発行されても
それをよってたかって潰すというふうなことも行われました。
こうして現在の新聞のカルテルの体制が出来上がりました。
このカルテルの体制を支えているのが
みなさんご承知のように『記者クラブ制度』と『宅配制度』です。
主要な機関に記者クラブを配置し、その記者クラブで発表された内容だけを
みんな金太郎飴のように報道する。
今記者クラブ制度が残っているのは日本だけになりました。
まったくおかしな制度です。
また新聞各社は料金のカルテルをやっています。
料金のカルテルは新聞紙の購読料がみんな同じであることを申し合わせるというやり方です。
これは独占禁止法違反ですが、公正取引委員会の特例を受けて、法律違反とは今なっていません。
法律違反であろうがなかろうが、カルテルには間違いがありません。
こうして日本の新聞は軍部が作った体制をそのまま現在に継続しているのです。
その新聞が体制の中にがっちり組み込まれていることはいうまでもありません。
従ってみなさんが福島原発事故のあと、
『日本の新聞はおかしいな』
『伝えることと伝えないことがある』
例えば福島復興キャンペーンになるとみんなこぞって書きたてる。
風評被害で福島の人たちが困っている、だから福島産品を食べて応援しようという
キャンペーンになると一斉に書く。
しかし福島現地で放射能被害で小さい子どもが突然死をしている
あるいはお年寄りが心臓が止まっている
様々な健康障害が現れている。
福島現地の新聞は福島民友新聞が今一番有力な新聞ですが
福島民友新聞もこういったことは伝えません。
しかし今はインターネット時代です。
新聞が情報の独占をするのは終わりを告げつつあります。
インターネットは様々な情報も流れます。
中にはかなり眉唾な情報も流れます。
しかし正しい情報も沢山あります。
私たちが新聞やテレビに依存して、この原発の問題や被曝の問題を考えている限り
政府、電力会社、経済界の言うままに動かざるを得ません。
今お配りしてるチラシに一点だけデータを挙げておきました。
各国の一紙あたりの平均発行部数です。
通常、民主的な運営がされている国では、一紙が平均何十万部も出せるわけがありません。
だいたい1紙平均5万部がいいところです。
実際アメリカもそんなものです。
韓国、韓国は新聞の多い国です。
韓国人は新聞大好きで、新聞をたくさん作ってみんな読んでいます。
その韓国も多くて平均5万部くらいです。
申し上げたように日本は言論統制に入っております。
戦前のようにハードな言論統制ではなく、報道が自らの口を縛る、舌を縛る自主規制
私はソフトな言論統制と呼んでいますが
その言論統制の国、日本では1紙あたりの平均発行部数は46万部です。
もちろん世界でダントツです。
最も影響力のある新聞、例えばニューヨークタイムスは今現在発行部数100万弱
ワシントンポストは50万
アメリカで100万とか50万とかいう新聞は大新聞です。
アメリカで一番多い日刊紙はウォール・ストリート・ジャーナルで約200万部です。
それに遅れて全国紙のUSA today、これが約200万部弱
その他は100万部を超える新聞はかつかつ超えるニーヨークタイムス、
あとはありません。
これが当たり前です。
しかし日本は読売新聞が997万部。
旧ソ連の最盛期、共産党機関紙プラウダが1500万部でしたから
今の読売新聞は共産党プラウダに迫りつつあります。
こんなバカな数字が出るわけがありません。
2位の朝日新聞は約800万部。
世界の1位と2位と読売新聞と朝日新聞がダントツで占めています。
人工的に作られた数字です。
正常なジャーナリズムでつくられた数字ではありません。
一紙あたりの平均発行部数が2番目に多いのは北朝鮮です。
しかしその北朝鮮も1紙あたり約30万部。
日刊紙が15しかありませんから当然1紙あたりの数字が大きくなる。
その言論統制の国、北朝鮮をさらに上回るのが日本です。
私たちは言論統制の中に暮らしているんだ
それは非常にソフトな言論統制なので、私たちの日常生活のなかで
気が付かないだけなんだ、
しかし数字は誤魔化せません。
データは誤魔化せません。
データとこれまでの経緯を丹念に追っていくと
私たちが福島原発事故以降の新聞はおかしいな、
どうしてこういうことを大きく扱わないんだ
どうしてこういうアベノミクスや自民党政権のことは大きく伝えるんだ、
様々な答えが出てくると思います。
新聞やテレビ、これは長い間、戦前1940年の国家総動員体制から一貫して言論統制にあった。
お配りしているチラシには簡単にそのいきさつを書いてあります。
どうかお手にとって読んでください。
新聞を信用しないということと、新聞を読まないということは違います。
新聞を読むことは大事です。
しかし頭から新聞に書いてあることを信頼するのは間違いです。
私たちは一定の方向に誘導されていくことになります。
みなさん、気を付けてください。
◆Kさん
いつもお騒がせしております。
金曜2人デモです。
原発の再稼働に反対して歩いております。
みなさんに考えてほしい事があります。
放射能がどのようなものなのか
自分たち、この世界にどのような働きをするものか
みなさんが考える放射能、それはアメリカやソ連が持っている武器に使われているものであり
平和利用と言う名目で発電のひとつの方法になっています。
例えば刃物は人を殺すためにも使えるけれど、料理するためには必要、
だからそれと同じように放射能も使えると考えている人もいっぱいいると思います。
ですが、いくら平和利用といっても、放射能はもともと毒なんです。
包丁は持っていても動かさなければ怪我はしませんが
放射能はそこにあるだけで、周りの空気や、近くにいる人や動植物、
全てに対して悪い影響があります。
東海村で放射性物質が漏れた時に換気してしまった事故がありましたが
平和利用だからと放射能が目にみえないのをいいことに
毒性について考えないことにして、
いますぐ自分の身体に悪影響はないと思い込み
そうやって自分を騙しながら放射能をつかってきていたのに
いざ漏れた時に恐ろしくなって換気してしまったんだと思います。
人間はミスをします。
ミスをしたときに取り返しがつかないものになるのが放射能です。
土地も汚れ、海も汚れ、空気も汚れ、
放射能に汚染された食べ物しかなくなっても
普通に健康に生きていきたい、そんなことは気にしない。
放射能があっても大丈夫、といいながら暮らしつづけることは不可能なんです。
どうかもう一度本当に、放射能が私たちの生活に必要か考えてみてください。
原爆が落とされる前やチェルノブイリ事故の前のように
放射能は人体に影響がないと信じて暮らしていけるほど
私たちは無知ではないはずです。
チェルノブイリ事故によって今でも健康被害で苦しんでいる人たちが
いっぱいいることを無視して、考えないようにして
日本は違う。、大丈夫、そう思って暮らしていくには放射能は危険すぎます。
放射能によって福島に住んでいる人たちは家庭を壊され
人間関係を壊され、健康にまで被害が及んでいます。
これから先自分たちが生きている間、食事のたびに
放射能の心配をする、地震のたびに原発の心配をする
それを自分たちが死ぬまで、これから生まれてくる子どもたちにも
ずっと続けさせるのはおかしいと思います。
本当に、自分たちができることはないのか
放射能が自分たちにとってどういう存在なのかを知ってください。
宜しくお願いします。
◆網野
先ほどスピーチした人が、新聞やメディアの情報に気を付けてくださいと申しましたが
何を気を付ければいいのかと思います。
その際、5W1Hを頭に浮かべながら情報を読むといいと思います。
いつどこで、だれがなにをどうした、と(それはなぜか、がスピーチから抜けていた)
そうすると、『あれ?これ裏がないな』と眉唾な情報とそうでない情報がわかると思います。
先日100人の母たちという写真展に行ってきました。
これは福島原発事故で福島県、東京圏から小さなお子さんを連れて逃げたお母さんたちを撮影した写真です。
東京圏から逃げたお母さんのコメントがありました。
お読みいたします。
(チラシ参照)
好きなヨーグルトも食べられない、牛乳も飲めない
外で遊ぶのは数時間
アイスクリームも食べられない
それが東京圏では当たり前の世界になっているということです。
私たちにとって、原発事故以前に暮らしていた世代にとっては
原発事故がなく綺麗な水、綺麗な空気、綺麗な土
気にしなくてその辺の物を食べる
それは当たりまえの世界でしたが
これからを生きていく世代の人たちにとっては
それは許されないです。
福島から放射能は出続けています。
マスコミが報道しないので私たちは忘れがちになるんですけど
いまだに特に今年の8月以降、放射能度が高くなっています
セシウム137だけで1時間に1000万ベクレルです
通常出てはならない放射能が大量にでていて
当然事故前だったらば大騒ぎになる量が出続けていて
これが日本全国各原発に放射能を計測する装置があるんですが
ここでヨウ素131、福島原発から飛散した放射能が観測されています。
残念ながら九州でも観測されていますので
日本全国うっすらと汚染されていますし
ずっと止まっていません、出続けていますので放射能汚染度が高くなります。
広島から一番近い原発、100キロしかない愛媛県の伊方原発が年内には稼働する勢いです
今私たちは危険にさらされて福島県の人たちを他人事には考えられない
同じ目に遭うかもしれないという状況のなかにいるということをお伝えしておきます。