プロフィール

コンテンツ

記事一覧

H様へのメール返信 強者の自由と一般市民の生存権

強者の自由と一般市民の生存権
~なぜ高い放射線量を避難対象地域の予想被曝線量とするのか~

H様

網野さま、哲野さま、ご苦労様です。
これまで意識せずに呼吸してきた私たちが、これからは改めて「生存権」を 主張せずには生きられなくなったということですね。
その一環に「広島2人デモ」が位置づいている、と改めて実感しました。
お互い生きものですから、呼吸するように自然体で、「生存権」を訴え続けていきましょう。

民主主義の価値体系の中でもっとも大切な価値は恐らく「生存権」(人間らしく生きる権利、という意味で解釈しております。欧米民主主義は一般に自由に最高価値を置いているように見受けられますが、これは強者の自由であることがいまや明白となったと思います)だろうと思います。人工電離放射線への被曝は「生存権」を根本から破壊するものだと解釈しております。その意味では原発・被曝問題は『強者の自由』と『一般市民の生存権』の抜き差しならない対決だろうと考えております。

ところで、1つ教えてください。
<先日、規制員会が発表した避難対象地域 のグラフは7日間で100ミリシーベルトの予想被曝線量でした>この被ばく線量の意味するところ が理解できません。

予想被曝線量(Expected Dose)です。実効線量(Effective Dose)で表現しています。単位はシーベルトになります。

7日間で100ミリシーベルトな ら、1時間でおよそ0.595ミリシーベルト、すなわち595マイクロシーベルトですね。1時間で0.12マイクロシーベ ルトなら、1年間でおよそ1ミリシーベルト、すなわち1000マイクロシーベルトになります。単純に1時間で595マイクロ シーベルトでは、1年間で5212ミリシーベルトですね。
もしも、この計算が誤りでないな ら、なぜこのように高い放射線量を避難対象地域の予想被曝線量とするでしょうか?もっともっと低い予想被曝線量を もって、避難対象地域としなければならないと考えるのですが・・・。

計算は誤りではありません。ご指摘の通り私たちを人間扱いしていない被曝量ということになります。私がこのところ勉強した理解の範囲でお答えしようと思います。

『国際核利益共同体』はチェルノブイリ事故の後始末に苦しみました。中でも最大の課題の一つは今後チェルノブイリ級の事故が起こった時、いかに対処するかの課題でした。特に苛酷事故が発生した時の住民避難基準です。チェルノブイリ事故の時、年間予想被曝線量5ミリシーベルトが実質的な避難基準でした。(当時の単位はまだレムです)

このため旧ソ連政府は厖大な避難コストを支出しました。チェルノブイリ事故の費用負担が旧ソ連崩壊を早めたという指摘がありますが、私はあたっていると考えています。もし苛酷事故が起これば莫大なコストを社会が負担しなければなりません。そんなに高くつくならすべての核施設をやめてしまえという声も起こりかねません。(実際にイタリアは事故の翌年6基の原子炉をすべて閉鎖し1990年から廃炉処理に入りました)それでなくても原子炉建設に大きなブレーキがかかります。(この時、ギリシャ、デンマーク、ポルトガル、ノルウエイ、ルクセンブルグといった国内に主要な核産業を持たない国が商業用原子炉との絶縁宣言をしました。オーストリアは1991年だったと思いますが、憲法の中にすべての核施設・器機の所有・利用の禁止を書き込みました)

大量避難に伴うダメージを『国際核利益共同体』はいかに軽減するか?

彼らが考えた解決策は「避難基準の予想被曝線量」を大幅に上げることでした。このため彼らの放射線”防護”体系の中に新たに『緊急時被曝』の状況を考え出しました。これは苛酷事故が発生したとき公衆の被曝線量を新たに設けようという意図を」持つものでした。これまでの『被曝状況』は『計画被曝状況』ということになりました。『計画被曝』では依然として公衆の被曝線量は年間1ミリシーベルトを上限としました。『緊急時被曝』と『計画被曝』の中間の『状況』が必要です。というのはチェルノブイリ事故の例を見てもわかるようにいったん苛酷事故が起きると、放出が止まっても環境の放射線濃度は数十年間、『計画被曝状況』までに下がらないからです。

これを『現存時被曝状況』としました。

こうした状況設定とそれに対応する被曝上限値が体系的に打ち出されるのがICRP2007年勧告(Pub.103)です。この2007年勧告は3つの状況に対応して被曝範囲の『参考レベル』(Referrence Level)も設定しました。公衆被曝線量だけを見てみますと(この時事故従事者被曝線量も勧告しています)

緊急時被曝 20ミリシーベルトから100ミリシーベルト(急性または年間)
残存時被曝 1ミリシーベルトから20ミリシーベルト(年間)
計画時被曝 1ミリシーベルト以下(年間)

となります。つまり緊急時被曝という状況を新たに考え出すことによって実質公衆の被曝線量を一挙に100ミリシーベルトにまでひきあげたわけです。(このいきさつについてはアラっぽくはありますが、次の記事で触れております)(『緊急時被ばく状況における人々に対する防護のための委員会勧告の適用』http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/icrp/01.html

ところで国際核利益共同体の中で、ICRPの役割は被曝のリスクモデルの作成や勧告に限られています。この勧告に基づいて実際の安全基準(Safety Standard)を決定するのは国際的な核施設推進エンジンであり核兵器の不拡散体制(それは核兵器5大国の核兵器独占を保障する体制です)の番犬(Watch Dog)であるIAEAの役割になります。こうして同じ2007年IAEAはICRP2007年勧告に基づく安全基準を打ち出します。それが『Arrangement for Preparedness for Nuclear or Radiological Emergecy』と題する『GS.G.2.1』です。
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub1265_web.pdf

ここではさまざま具体的な緊急被曝状況を設定しながら、チェルノブイリ事故並の事故の場合、100ミリシーベルト以上の被曝が予想される場合(1年間または最初の7日間)、住民を防護の立場から避難させなければならない、という新たな基準が設けられました。これは100ミリに達しなければ避難させなくていいということを意味します。「フクシマ事故」のケースでこの基準は初めて適用されました。しかし民主党政権は100ミリシーベルト以上をそのまま適用することをためらいました。そしてICRP勧告の参考レベル20~100ミリシーベルトの最小値20ミリシーベルト以上を実質住民避難の予測被曝線量としました。「小学校の校庭でも20ミリシーベルトまでなら学童に使わせてもいい」という文部科学省の指針が打ち出されて国際的な批判を浴びましたが、文部科学省はICRPの2007年勧告を主として理論的根拠として使いました。

2012年9月に新たに発足した日本の原子力規制委員会は現在のIAEAの原発運営安全基準に忠実にもとづいて日本の原発を再稼働する使命を帯びて発足したものですが、その中に避難基準に基づいた原子力災害防災計画作成を義務づけていますので、基づく『避難対象地域』を想定せねばなりません。それが先日の避難地域シミュレーションだったわけですが、その際使用した避難基準がIAEA『GS.G.2.1』です。そして避難対象地域は7日間の予想被曝線量100ミリシーベルトとなったわけです。

ところでここまで長々と書いておきながら、私はHさんの質問に全く答えていません。Hさんの質問は、「なぜこのように高い放射線量を避難対象地域の予想被曝線量とするのでしょうか?もっともっと低い予想被曝線量をもって、 避難対象地域としなければならないと考えるのですが・・・。」というものでした。

この質問に対する私の答えは、「国際核利益共同体」にとって核施設を運営しそこから莫大な利益をえることの前には、私たちの命や健康、生活の質(いわば生存権)は鴻毛よりも軽いから、と答える他はありません。『ナイロビの蜂』は決して映画やノンフィクション読み物の世界ではなく、現実に私たちの目の前に白昼公然堂々と行われている犯罪だということでもあります。

お答えになっているでしょうか?

<ナイロビの蜂に関してはブログ「夜明け前」様を引用リンク
http://kupppy.s57.xrea.com/cancheer/archives/000395.html

哲野

このメールはコンテンツにもアップしました。
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/mail/201211-1.html

2人デモ第7回報告のメールをみてご連絡をくれた、ある方への返信

Hさん

「不正確な記事を掲載したのは、そのときの私の説明のしかたも不正確だったのかもし れません。
もう、はっきりとは覚えていませんが、「国が受け入れさせようとしている災害廃棄物 の多くは『低レベル放射性廃棄物』だ」ということを強調して言ったと思います。」

そうではないのです。これは枝葉末節の話です。日本の現在の大手言論機関の現在の体制は遡っていくと1940年頃に完成した国家総動員体制に 突きあたります。昭和の初期には日本には有料新聞が約1300もありました。(中には週刊紙、隔日紙を含みます)確かに過当競争で各社の経営 は大変だったようです。戦争遂行のため軍部はこれを整理します。当時の記録を読むと、軍部は全国紙4-5紙、ブロック紙2-3紙、各県県紙1 紙という計画を立てました。通信社も1社とし同盟通信1社としました。この時に生まれたのが現在の中国新聞です。この言論統制の体制のまま太 平洋戦争に突入します。一部反抗的な新聞社や記者は憲兵本部を使って国家暴力で弾圧しました。

戦後マッカーサー司令部は、この日本軍部の「遺産」をそっくり受け継ぎ、占領行政に利用しました。これを長々書いているとなかなか本論には入 れませんので割愛します。表面を撫でただけの記事ですが、以下は参考になると思います。この手の記事や本が少ないせいか、今なおかつアクセス 件数が高い記事です。)
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/018-2/018-2.htm
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/018-3/018-3.htm
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/018-4/018-4.htm

要は日本の主要報道機関は、1940年以来国家権力の支配体制の中に組み込まれているということです。戦前軍部による言論統制はハードな統制 だったとすれば、戦後の体制はソフトな体制でした。このソフトな体制は主として言論側の「自主規制」という形で表現されています。その自主規 制のもっとも判りやすい形で現れているのが、「用語・表現」の統一です。たとえば、1960年頃までは皇太子妃は平気で「美智子さん」と新聞 に書かれていました。それがいつの間にか、皇室には敬語・敬称を使う、と申し合わせていきます。また「核不拡散条約」は本来「核兵器不拡散条 約」でなければなりません。原発及びその技術の普及は奨励・援助すると言っているのですから。英語の名称も”Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons”です。さすがに外務省は国際条約名ですから「核兵器不拡散条 約」と正しく表現しています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/gaiyo.html

これも長い話になりますので割愛しますが、日本の主要報道機関は「核不拡散条約」と表記で統一しています。用語や表記の仕方こそ言葉を生業と するものの生命線です。「部分核実験禁止条約」と表現すれば核実験の方法を制限したと言う点に重点が置かれるのに対して、「大気圏内、宇宙空 間及び水中における核兵器実験を禁止する条約」(略して大気圏核実験禁止条約)と表現すれば、大気圏核実験を禁止したと言う点に重点が置かれ ます。表記の仕方一つがものの見方、場合によれば思想を表す場合だってあるのです。(この件の正解は大気圏核実験禁止条約です。英語正式名称 は「Treaty Banning Nuclear Weapon Test in the Atmosphere, in outer Space and under Water」です。この条約のおかげで世界中の放射性物質降下は大幅に低減しました。そこがこの条約の歴史的価値でした。)

用語や表記の統一は自主規制の第一歩です。バロメータだとも言えます。3.11以降もその傾向は変わっていません。環境省の文書を読むとどこ にも「震災がれき」や「がれき」という表現はありません。正しく「震災廃棄物」と使っています。それを全て「がれき」と云う言葉でくくる訳に はいかないからです。震災廃棄物と「がれき」は同じものではありません。ところが環境省の出稿する広告には堂々と「震災がれき」と使ってあり ます。これ自体、世論誘導の意図をもった言葉です。主要言論機関はこれを「震災がれき」「がれき」と表記することに明らかに合意しています。 (何か会議があって合意する、というイメージで捉えてはなりません。もっと巧妙な体制です。NHKや共同通信が使った用語に右にならえするよ うな、もっと巧妙で陰湿な自主規制です)主要言論機関は「震災廃棄物」(岩手・宮城・福島の震災廃棄物はそのほぼ100%が低レベル放射性廃 棄物です)を「がれき」と表現し、用語統一することによって体制側に協力している訳です。広島市に出した要望書は「低レベル放射性廃棄物」と 言葉の正しい意味での「がれき」を書き分けることによって、「がれき」という言葉の持つ欺瞞性を暴こうという意図をもったものでした。このこ とに気がついているヒトは少ないと思います。毎日新聞は「がれき受け入れに反対」と書きました。これは、Hさんのせいでも、想像ですが執筆 した記者のせいでもありません。「低レベル放射性廃棄物の受け入れに反対」と仮に執筆記者が書いたとしても、必ず整理部で「がれき受け入れに 反対」と直されたことでしょう。これはもう想像以上のものがあります。主要報道機関は、自主規制によって「アレ」を「がれき」と表記する以外 の言葉をもたないのです。舌を切り取られた雀同様です。

恐らく、昨日やってきた3人の若い記者は以上のようなことを全く知らないと思います。デスクから「再稼働反対のネタを拾ってこい」と言われて ツイッターで2人デモのことを知ってのこのこやってきたのだと思います。3.11以降朝日新聞の論調を割と注意深くチェックしていますが、こ の7月ごろから明らかに「反原発市民運動」に対する扱いが変わってきています。一つにはそれまでの報道姿勢だと新聞に対する信頼が薄れてい く、場合によっては不買運動に発展しかねない、という危機感があったのだと思います。もう一つは権力側にこれ以上無視するのは得策ではないと いう判断が存在すると私は感じます。(詳しく朝日新聞の論調の変化や野田政権のものの言い方の変化を記述したいところですがこれも割愛しま す。{「ずいぶん大きな音だね」発言を最初に報じたのがサンケイ新聞だったことはずいぶん皮肉な話です。)もうひとつ明らかなことは主要言論 機関のアリバイ作りです。われわれも反原発市民運動を報じたのだ、という。

もうひとつ、重大な論調(世論誘導)の変化が現れています。それは「直接民主主義」の幻想を振りまくことですが、討論型世論調査(その実討論 型世論誘導)の本格導入とあいまって随分危険な方向に進めようとしているな、と感じますがこの件も割愛します。

あれやこれやで私もむかっ腹が立っていたのでしょう、チンピラ記者の町の地方版埋め草ネタ探しなぞに協力できるか、と追い返してしまった訳で す。どちらにしても彼らがどんな記事を作るか想像できます。これがまかり間違って掲載されでもしたらエライ迷惑です。

Hさんのせいでは全然ありません。

「昨日の反応は、すごかったようですね。」

それは網野の感じ方で私はそう感じませんでした。一つは網野が2枚プラカードをもっていて、反応を観察しながら歩いていた、私はマイクを もってしゃべって、言葉の反応を見ていた、という違いかもしれません。何回か重ねるともっとはっきりしてくると思います。ただ網野がいう ように、データを判りやすく提示するとビジネスマンの食らいつきが全然違うということは確かです。また「スローガン」や「呼びかけ」に対 しては反応が薄い(このことは第1回・第2回のデモでの反省点でデータと事実提示に第3回目から切り替えたのです)、このことも確かなこ とです。

「だまされているようだ、まきあげられているようだ、でもそれがはっきりとわからな い、それを説明してほしい、という感覚を、確かに多くの人が持っているのかもしれません。
私自身がそうです。国の赤字は膨らんでいる、どこもお金が足りないと言っている、けれども、一方では「行き場を失ったお金」があふれている。「経済」というものが人々の生活を豊かにすることとは全然関係ないところで 動いていて、ごくごく一部の人たちの懐に一方的に溜まっていっている。そのお情けのようなおこぼれに与るために、ほとんどの機関や人 が、この正しくないシステムを守る方向で動かされている、というイメージは持つのですが、それを根拠を持って人に説明することができ ません。」

全く同感です。私も取り組みたいところです。しかしはっきりしていることがいくつかあります。ご指摘の現象は日本だけの現象ではない、世 界的に「先進国」で共通して発生している現象だということ、それは常に巨大国際金融資本の利益を害さない、あるいはその利益を護る方向 で、常に部分的な幕引きが図られていること、明らかにアメリカ連邦準備制度、EU理事会、日本銀行は通貨発行を大幅に増やして(新聞は金 融緩和と呼んでいますが、大笑いです)、インフレ・ターゲットに向かっていること、その資金の源泉は、青天井の通貨発行権をもっている 「アメリカ連邦準備制度」以外にはないこと、つまり現在の信用危機の本質は「ドル基軸システム」の危機であること、ヨーロッパ国家信用危 機はそのスケープゴートにされていること、その矛先は次には日本に向かうだろうこと、等々です。これらの現象を貫く共通した本質は、国際 金融資本が国家を借金漬けにして永続的な利益を国家そのものから吸い上げる仕組みをできるだけ維持したいという動き、そして国家信用危機 レベルに達すると増税、養老年金(日本では厚生や国民年金、アメリカではソーシャル・セキュリティ・タックス)の受給率を調整しながら、 各国国民の負担を重くすることで乗り切ろう、という手法でしょう。すなわちご指摘の問題は、日本国内だけ見ていたのではわからない、とい うことでもあります。何も言っていないのに等しい「言い方」ですが、絶大な権力を持つ国際金融資本は、世界中の人々にとって「巨大な寄生 虫」になってしまっている、という認識が一番大切だろうと思います。大きくは原発問題もこのカテゴリーのなかにすっぽり入ります。

「地震の危険」よりも、「経済」の方が、リアリティを持って感じられるのかもしれま せん。とはいえ、「地震」も、ほんとうはリアルな問題です。どうやったらそれが伝わっていくのか、工夫しなければと思っています。

地震の危険をリアルな問題と感じられるかどうかは、その人によると思います。特に東日本大震災以降、地震をリアルに感じるヒトは多く なったように思います。(かくいう私も、網野もその1人です。昨年4月東北電力女川原発がM7以上の地震で3つの電源供給システムの うち、2つが停止した時は、もう怒髪天をつきました。政府・東北電力の発表は、1つは動いているので冷温停止には影響ない、というも のでした。そうじゃないだろ、水で冷やすのは当たり前だろ、地震で2つも止まることの方が大問題だ、原発ホントにやめてよ、と思いま した)

昨日、プラカードにもチラシにも入れてあったので、「プラカードをご覧下さい。関電大飯原発の1号炉、2号炉、3号炉、4号炉の真下 には、かつて断層のズレがあったことを示す断層破砕帯がミミズがのたくるように走っています。これが活断層かどうか今調査中です。し かし活断層であろうがなかろうか、これがかつて断層ズレを起こしたことは事実です。こうした破砕帯の巣の真上に4つも原子炉を作るべ きではありません。」というスピーチを2回ほど入れてみました。明らかに別な層からの反応はありました。これは「地震問題」を経済問 題とは別にリアルに感じている層がいることを示しているのだと思います。

総合して言えば、「再稼働問題」を一点から論じるのではなく、「放射能問題」、経済問題、地震問題、「倫理問題」(政府関電の詐術) など多方面から、事実とデータをもって論じることが必要だということだと思います。そのどれかを切り口にして市民各層にアプローチす ることが必要なのだ、このことが今のところ正しいアプローチ(少なくとも広島市民に向かっては、他の地域では多分違うと思います)で はないか、これが中間結論です。ネタをせっせと調べて作らねばなりません。

また長々と、失礼。

哲野イサク

ある方からの応援メールに対する返信

多くの方に、応援や励ましのメッセージを頂きました。
その中で、ひとつだけ、ある東京の方からのメールに対する返信を掲載いたします。

=============
はじめまして網野沙羅です。
U様、メールをありがとうございました。
お返事が遅れて申し訳ありません。
大変励みになりました。

無数の滴がなければ大河は生まれない。
広島はまだですが、いま東京の人たちは、一人一人が滴になっている、と感じました。

広島でも無数の滴を生んでいきたいと思います。

U様は被爆者でいらっしゃって、「被曝者を増やすことが許せない」とおしゃっている。
とてもうれしく感じます。

というのも今年の2月でしたでしょうか、
内部被曝に関する資料のチラシを配っていたら
「あたしは被爆者なの。こういうのはコワイから思い出したくないからいやなの」とチラシすら拒まれました。イベントのチラシではなく、食品内部被曝の資料をまとめたものです。

私は唖然としました。

福島事故を受け、着の身着のまま、友人を頼って小さな子供の手を握り逃げてきた家族が大勢いる。
原爆よりくらべものにならない放射能が出ているのです。
被害を訴えている人が居るのです。
なにより福島のことではない、今広島にいる私達も、日本全国も、世界の人々が有効な手立てをこうじなければ、これから食品のみならず放射能の汚染被害に遭うのです。
私達自身の新たな問題ですし、これからの人の事を考えば
なによりもまず被曝を良く知る被爆者が、先導切っていいはずなくらいの問題なのです。

でもそれにしても、被爆者であることは、何も関係ないのです。

いけしゃあしゃあと、「私は被爆者なの」と自分が被爆者であることを売り物にする。
水戸黄門の印籠のように、「自分は許される」とばかりに振り回す。

私はその感覚が全くわかりませんでした。
広島内部では被爆者運動は一種「被曝者援護」問題で
お金が出ればよかったと言う人がいますが
本当だったのかとすら思いました。
明らかにブランドものの綺麗なおべべを着て、指には大きな宝石をしていらっしゃいました。
老い先短いその人生を楽しむのは自由です。
しかし、「被曝者であることを振り回す」のは間違っていると思いました。

もちろん、こういう人はごく少数だと思いたいです。
そういう人にあたってしまっただけに、
やっぱりそういう人だけじゃないのだと、余計にU様のメールはうれしく思い
ました。

被爆者の人は日々生きるだけでも闘いだということも知っています。

私の祖母も被爆者です。
(といっても広島地元市民で被爆者が身内に居ないというひとはほとんどいないでしょう。)
私が小さい頃から脳内出血で倒れ、
奇跡的に一度は良くなりましたが
それでもただただ家族のために働き、身を粉にし、
体調が悪い事も言わず、愚痴ひとつこぼさず
2度目の脳内出血で倒れ、寝たきりになり
苦しんで生き、死んでいく様を傍で見てきました。

被爆者の方に、老体を鞭うつような事はしてほしくないのですが
出来る範囲で、と、被爆者の方が動いてくださることを
本当に心強く感じます。

話は変わりますが
私も小さい頃から「平和学習」と称して原爆を勉強してきました。
しかし何時まで経っても核実験は続く
それどころか日本は核の傘に入っていく
自衛隊募集のポスターすら恐ろしいと思ってたのに
当たり前になり軍備が進んでいく

着々と戦前へ戻っていくこと
そのことにたいして何も言わない大人や平和を訴える人
原爆反対を訴える人たちに違和感を感じ
形骸感を感じていました。

もっと言えば社会人になって初めて
あれだけ原爆反対の運動に参加したのに
それが全く効果のないものに参加させられて
ガス抜きにされていたことも知りました。
巨大なものに操られていたことを知りました。
利用されていたことも知りました。

そして地元の元ABCCが、今の放射線防護体制の方針を出す
ICRPの基礎になる被爆者のLSSが元になっているとも知りました。
内部被曝に関しては意図的に研究されていないことも知りました。

今の被曝は1回の外部被爆データをもとに作られているのです。
チェルノブイリの研究が活かされていないどころか無視されているのです。

広島と長崎の被爆者が利用されていた、
いまだに利用され続け、原発産業を推し進めるもとになり
フクシマを生んだ、このことを知りました。

私はその時から、心の底から湧きあがる怒りを覚えました。
慰霊碑に被爆者を祭り上げ、利用している広島市、外務省、日本政府も許せません。
(これではA級戦犯を奉る、どこぞの神社と変わりはしません)

私の死んだ祖母の尊厳を取り戻すためにも
死んでいった多くの被爆者のためにも
これからの人たちのためにも

ともすれば目をそむけそうになる今の現実を直視し
ともすれば私は職を奪われるかもしれない

でも、それでも少しずつでも積み上げて変えたいと思いました。
二度と同じ過ちを繰り返したくない。

慰霊碑にも刻まれた言葉です。
地に足をつけ、勉強しながら実践して行こうと思います。

すみません、長くなりました。
メール本当に励みになりました。
ありがとうございました。

ページ移動