プロフィール

コンテンツ

記事一覧

鹿児島県姶良(あいら)市議会 川内原発再稼働反対・廃炉を求める意見書

<九州電力川内原発再稼働阻止>
鹿児島県姶良(あいら)市議会 川内原発再稼働反対・廃炉を求める意見書

 2014年7月17日、鹿児島県姶良(あいら)市議会は、「川内原発1号機2号機の再稼働に反対し廃炉を求める意見書」を全会一致で採択し直ちに鹿児島県知事に送付した。意見書は「拙速な川内原発1号機2号機再稼動に反対し廃炉を求め、国及び原子力規制委員会に対応することを求めます」と強く鹿児島県知事に迫っている。姶良市は九州電力川内原発から30km圏(原子力災害重点区域)に境を接しており、川内原発が苛酷事故を起こした場合、1週間で数十ミリシーベルトの放射能汚染地域となることが、原子力規制委員会の放射性物質拡散シミュレーションから読み取れる。意見書では単に再稼働反対を唱えるだけではなく、廃炉を求める地点まで踏み込んでおり、「住民の安全を守る」(意見書)の一点で一致している市議会議員の姿勢は感動的ですらある。

 この意見書採択に先立つ2014年5月15日、姶良市民の有志は「川内原発の再稼働に反対し廃炉を求める陳情書」(陳情書4号)、「川内原発3号機増設の白紙撤回を求める陳情書」(陳情書5号)、「原子力に依存しない自然エネルギー政策に転換を求める陳情書」(陳情書6号)の3本の陳情書を市議会に提出、市議会でこの3本の陳情書を審議結果、意見書採択決議となった。

 川内原発の再稼働をめぐって、その政治的判断のプロセスは本格的にはやっとスタートする。原子力規制委の許可行政とは全く異なる政治的プロセスである。その政治的プロセスにおいてもっとも重要なのは、こうした市議会の明確な反対へ向けての政治的意思表示、あるいは自治体首長の反対意思表示、ひいては主権者である市民一人一人の明確な政治的意思表示が決定的に重要である。主権者たる市民一人一人は微力であるかも知れないが、決して無力ではないことをいまこそ思い知らせなければならないだろう。姶良市議会意見書、そしてその前段の3本の陳情書を是非ご一読いただきたい。

▼川内原発1号機2号機の再稼働に反対し廃炉を求める意見書
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/sendai/aira_ikensho_20140717.pdf

▼川内市民の市議会に対する陳情書4号~6号
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/sendai/aira_chinjyo_no4-6_20140515.pdf

2014年5月12日 菅官房長官 午前定例記者会見 「美味しんぼ」関連文字起こし 

2014年5月12日 菅官房長官 午前定例記者会見
「美味しんぼ」関連文字起こし

http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201405/12_a.html

03:00
(所属:名前聞き取れない)
美味しんぼという連載漫画のなかで、福島県双葉町前町長がですね鼻血の原因につきまして…(聞き取れない)、被曝したから…(聞き取れない)語る場面とか、福島に住んではいけないということがあってですね、物議をかもしだしてるんですが…(聞き取れない)

03:24
菅官房長官
まずですね、双葉町前町長ですか、現在民間人になっておられる方の発言でありますんで、政府としてはコメントするのは控えたいと思いますけれども、ただ、政府としてはですね、この福島において事故に伴う放射線の住民による被曝と鼻血に関係のあることは考えられない。専門家の評価がそのようにですね、なされていると承知いたしております。科学的見地に基づいて正確な知識をしっかりと伝えていくと、このことが大事だと思っておりますし、現在それに基づいて、今全く関係がないということが明らかになっておりますから、そうしたことをしっかり伝えていくことが重要だと思っております。

09:07
時事通信 鈴木
さきほどの美味しんぼの関連なんですけれども、政府として小学館なり作者に対する対抗措置というのはお考えですか

09:19
菅官房長官
あの、政府としてですね、前の町長でもありますし、今は民間人でありますから、こうしたことにコメントすべきではないと思っております。ですからそういうこともない、ということであります。ただ政府としてはやはりこの、科学的知見に基づいた正確な知識をですね、しっかりそこは伝えていきたいという風に思っております。

09:48
TBS ○○(聞き取れない)
漫画の中の話ということでですね、表現の自由とも関連した話になってくると思うんですけれども、先週金曜日に石原環境大臣が閣議会見のなかで描写自体が何を意味するのか全く理解できないという風にコメントされましたが、漫画自体の難しさあるとは思うんですけれども、その辺について政府はどこまで評価する…(聞き取れない)とお考えなのか
http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/10/oishinbo_n_5300120.html

10:14
菅官房長官
政府としては申し上げたようにですね、科学的知見に基づいた正確な情報をしっかりと伝えていくという事が極めて大事だと言う風におもっております。それ以上個別のことについてコメントする必要はないと思っています。

10:31
TBS ○○
政府として明確にこれは間違っていると判断されているわけですから、それについては何も、発言等されないのですか?

10:40
菅官房長官
いやだから表現の自由等問題がありますから、まして公人でない人のことに対して、いちいち政府がコメントするべきことではないと思います。
ただ、大事なのはたびたび申し上げますけども、福島県民のみなさんはもちろんですけれども全国のみなさん、また世界に向けて、そこは、因果関係は考えられないと専門的評価がされているわけでありますから、そのことを政府としてはしっかりと広報していくと、このことが大事だという風におもっております。

11:11
時事通信 鈴木
表現の自由等難しい問題があるのはわかるんですけれども、ただまぁ下手をすると、僕らのようなメディアよりもある意味影響力を持つ媒体がですね、こういう表現を事実のように流すという。また来週もクライマックスということもありますし、その辺何かしらお考えになったほうがよろしいんじゃないですか?

11:40
菅官房長官
そこは政府でやはり立ち入るべきではないという風に思います。政府として出来ることは、度々申し上げておりますけれども、福島のこの事故においてですね、放射線による住民の被曝と鼻血に関係があることは考えられないと専門家が評価しているわけですから、そうしたことを政府としてしっかり広報、発信していくことが大事だと思っております。

広島地元中国新聞の「伊予灘地震」の報道ぶり

【お詫びと訂正・記事差し替え】
広島地元中国新聞の「伊予灘地震」の報道ぶり

 2014年3月26日午前5時頃掲載した『広島地元中国新聞の「伊予灘地震」の報道ぶり』記事に重大な私の誤りがありました。誤りの個所は当該中国新聞記事中「基準地震動」と表記してある個所を「基準“値”震動」の誤植だ、と指摘した個所です。これは「基準地震動」が正しく、中国新聞の表記で誤りはありません。

 「基準値震動」とは、 原子力規制委員会の『基準地震動及び耐震設計方針に係る審査ガイド(案)』(2013年6月6日修正案<http://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/shin_taishinkijyun/data/0013_04.pdf>)では、「敷地ごとに震源を特定して策定する地震動」の意味合いで「基準地震動」という言葉を使っており、当該中国新聞の記事でもこの意味で「基準地震動」を使っています。これを「誤植」だとしたのは私の完全な誤りです。これは単に誤りでは済まず、私はこのことを持って次のように書いております。「おまけに「基準地震動」と“基準地”(値)の誤植付きです」さらに次のようにも書いております。「意味がわかっていれば“基準地震動”などという誤植も生まれるはずがありません」

 これは私の誤った理解のもとでの“誤った攻撃”であり、読者の方々と中国新聞に対してお詫びを申し上げます。

 記事を掲載した後、伊方原発の「基準地震動」に関する記事を読んでいるうちに私の誤りに気づきました。何度もこの種の記事は読んでいたのですが、頭の中で「基準地震動」を「基準“値”震動」と読み替えて理解していた(知識・理解の欠如)のが原因です。しかしどうもそれだけではなさそうです。私は常々この新聞(中国新聞)の、原発や放射線被曝問題に関する無定見な報道ぶりに腹を立てており、今回もその気持ちが働いて格好の攻撃材料、と勇み立ったのが真の原因と思われます。

 批判は常に必要です。批判なしには真実に近づけません。しかし無定見・無根拠・誤謬に基づく批判は、批判の名に値せず、それは有害な“攻撃”になってしまいます。私は常々このことを自戒してきたつもりですが、今回自戒が足りませんでした。

 なお記事は、部分的訂正というわけにもいかず、いったん全面削除して、以下のように差し替えます。読者の諸氏、また中国新聞に対し心からお詫びします。

哲野イサク

【以下差し替え記事】
広島地元中国新聞の「伊予灘地震」の報道ぶり

 広島地元中国新聞の、先日の「伊予灘沖地震」の報道ぶりをご紹介しておきましょう。「呉や大竹震度5弱」「伊予灘沖M6.2」の見出しの下に「中国電力島根原子力発電所は1、2号機とも運転は停止しており異常はなかった」とはじまります。伊予灘沖で地震が起こって200kmも離れた中国電力島根原発を心配する人もいないでしょう。心配するのは、広島から100km、震源地から40kmしか離れていない四国電力伊方原発の安否です。その伊方原発については四国電力に問い合わせたものと見え、「伊方原発の基準地震動(耐震設計の目安となる地震の揺れ)は570ガル。今回伊方1~3号機の震動は45~56ガルで異常はなかった」と報告しています。

 伊方原発も「運転は停止」しているのですから、島根原発同様「異常はなかった」で良さそうなものですが、こちらはわざわざ基準地震動に触れています。これは恐らく私の想像ですが、取材した中国新聞の記者に対して四国電力の広報が自ら触れたものだと思います。

 というのは原子力規制委員会の規制基準適合性審査で、審査会合は四国電力に対して、日本で最大活断層帯「中央構造線」のうち、紀伊半島の金剛山からスタートして別府湾にいたる6つの活断層グループが連動して動いた場合の地震動解析を求めており、四国電力側はこの要求に対して満足な回答をださないまま、基準地震動「570ガルで原子炉建屋の耐震性は保障されている」と主張しているからです。

▼文部科学省 地震調査研究推進本部webサイト
 「中央構造線断層帯(金剛山地東縁-伊予灘)」より

 570ガルは伊方原発の前面海域の4つの活断層帯(この4つの活断層帯は中央構造線の一部です)が動いた時の耐震設計基準値で、今まで四国電力は紀伊半島から別府湾にいたる6つの活断層グループが連動して動くなどと言った事態は想像だにしていません。「570ガルで大丈夫」だというのなら、6つの活断層グループが連動して動いた場合の解析結果を出してから、大丈夫というべきなのですが、そこは電力会社の非論理性、唯我独尊性が露骨にでています。この問題が決着していないので、従って伊方原発の「基準地震動」も決まりません。従って伊方原発の耐震性が現在の規制基準に適合しているかどうかの肝心な議論に入れず、このところずっと膠着状態です。(伊方原発審査が膠着状態なのはこの問題だけではありません)

 恐らくは四国電力広報部にはこの問題が念頭にあったのでしょう、わざわざ自分から基準地震動のことを持ち出し、中国新聞の取材に対して説明したものだと、私は想像します。つまりは基準地震動570ガルで大丈夫なのだということを中国新聞の読者に刷り込んで欲しかったのだと思います。

 ところが中国新聞の記者は、原子力規制委員会でのやりとりなどは恐らく何も知らないのだと思います。それどころか基準地震動の意味すら理解していないのだと思います。もしその意味がわかっていれば、「四国電力さん、冗談おっしゃっちゃぁいけません。570ガルの地震動が来れば、建物自体が持たなくなるかもしれないんですよ。伊方原発が稼働していなくても十分危険な揺れです。そんな震動と今回の揺れを比較するなどとバカなことをいっちゃいけません。逆に心配になるじゃぁありませんか?」と切り返した筈です。しかし記事からするとそんな様子もありません。ただいわれるままに四国電力の言い分を読者に取り次ぐだけです。

 さらにこの記事を書いた中国新聞の無知ぶりは「中国電力島根原子力発電所は1、2号機とも運転は停止しており」という記述に表れています。中国電力は「稼働を停止しており」と答えた筈です。なぜなら中国電力島根原発は現在ただ今も「運転中」なのですから。電力会社が「運転」と「稼働」の区別を間違えるはずがありません。

 たしかに島根原発の1号機・2号機は現在「稼働」を停止しています。言いかえれば発電を停止しています。しかし、核燃料は冷却し続けなければいけませんし、大量に発生する汚染水は毎日フィルターを通して濃度を薄めなくてはなりません。それでなければ法令で定める濃度以下にはならず、冷却した後の温水を日本海に放出できないのです。また現在島根原発のステータスは「点検中」です。点検中では作業員は決められた装置や器機の点検を行っています。またたとえば法令で定められた環境モニタリングは行わなければなりません。こうした行為全体を指して「運転中」という言葉を使います。島根原発は「運転中」なのです。「運転を停止」できるのは廃炉が決定した後のことです。

 この記事を書いた中国新聞の記者もそれをチェックする整理部も、担当編集幹部もこうした原発の基礎知識すら持っていないことは明白です。

 次に、山口大学金折教授の話に移りましょう。金折教授は「今回の伊予灘沖地震で、南海地震(正確には南海トラフ地震、と金折教授はいったはずですが)に一歩近づいたと見る」とのことで、これは教授の見解であり、様々な見解を科学者同士が提出しあって議論を闘わせることは科学的真実にアプローチする基本的手法ですので歓迎すべき見解といえましょう。また、そうであれば、広島市民としてはなおさら伊方原発の安全性が気になるところであり、この記事でも当然、伊方は大丈夫なのか、という問題にふれておかねばならないところですが、一切無視しています。

 南海トラフ巨大地震は「次は20年~30年の間の可能性が高い」という見方にはなんの新味もありません。というのは文部科学省の「地震調査研究推進本部」は「マグニチュード8~9の南海トラフ地震が発生する確率は今後30年間で70%」と明言しているのですから。(http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kaiko/k_nankai.htm

 つまり伊方原発の重大事故発生の危険は、南海トラフ巨大地震という文脈からみれば、「発生の可能性」というより「蓋然性」の問題となるわけです。これはすでに衆知の事柄です。しかし中国新聞の記事は全くそれに触れません。第一四国電力、伊方原発が広島市からもっとも直近の原発だ、という事実を一言も書いていません。この事実を知らない広島市民はまだ数多いのです。伊方原発が広島からもっとも近い原発、という事実を知らなければ、伊予灘沖地震や南海トラフ巨大地震に関する記事もリアリティをもって読まれることはないでしょう。「ウチらになんの関係があるん?」という話になってしまいます。

 だとすればこの記事の締めくくりの記述には唖然とします。
 “「夜中に揺れた今回の経験を生かし、寝室に倒れやすいものを置かないなど、防災意識を高めるきっかけにして欲しい」と(金折教授は)呼びかけている。”

 すでに広島市消防局は、南海トラフ地震が発生した場合の、広島市の損害予測をそのパンフレット「広島市の地震被害想定(平成25年度)」で明らかにしています。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/shobou/bousai/higaisouteih25.pdf

 このパンフレットによれば、マグニチュード9の南海トラフ巨大地震が起こった場合、広島市は震度6弱の地震に襲われる、としています。このパンフレットでは震源地想定が明確ではありませんでしたので広島市消防局予防課(担当課)に問い合わせてみると、広島県の想定同様、「南海トラフ」そのものが震源地とする想定だそうです。因みにトラフ(trough)とは深度6000mよりも浅い海底の細長い盆地を指す地形に形容される言葉で、日本語では「舟状海盆」というそうです。また舟状ではないものは、単に「海盆」、深さ6000mを越える場合は「海溝」というのだそうです。
(以上日本語ウィキペディア『トラフ (地形)』による)

 広島市消防局の被害想定によると、広島市の被害は全壊棟数1万8696棟、死者3907人、経済的被害額2兆3610億円ということです。(同5P「主な被害想定」を参照のこと)どちらにしても「寝室に倒れやすいものを置かない」どころの騒ぎではありません。

 しかし、この広島市消防局の被害想定にしても大きな問題を孕んでいます。というのは、南海トラフ地震で広島市が震度6弱の揺れなら、伊方原発の震度はどれくらいの想定をしているのか?という問題があるからです。この心配は当然でしょう。前出の「地震調査研究推進本部」の新しい想定では、伊方原発は「南海トラフ巨大地震」の震源域に入っているのですから。事と次第によっては、伊方原発の立地する地域が震源域となる可能性をしめしています。広島市が震度6弱なら「伊方原発」の震度はどれくらいと想定しているのか?という疑問は当然すぎるほど当然な質問でしょう。この質問に対する広島市消防局の回答は、またまた唖然とするものでした。「伊方原発の事故は全く想定していない」が回答です。

 しかし東日本大震災を引き金にして福島第一原発事故が発生したことを考えれば、「伊方原発の事故は全く想定していない」とする広島市消防局の回答はどうしても納得できません。
 「なぜ伊方原発事故を想定しないのか?伊方がフクシマ並でなくても、重大事故を起こせば、被害想定のシナリオは全く変わってくるのではないだろうか?伊方原発が事故を起こす場合、とそうでない場合を被害想定するべきではなかったか?少なくともこの被害想定は、伊方原発が事故を起こさない場合の想定です、という注意書きがあってもよかったんじゃないか?広島市は依然として“原発安全神話”にどっぷり浸かっている、といわれてもしょうがないじゃないですか?」という私のネチネチしたツッコミに対して、応対してくれた誠実そうな予防課の担当者は、答えに窮し「そういう見方がありうることは確かだ」と答えるのがやっとでした。

 中国新聞のこの記事は、広島市消防局に輪をかけて危機感に乏しく、さらに輪をかけて広島市民にとっての「四国電力伊方原発」の危険などは念頭にありません。だから南海トラフ巨大地震に備えて「寝室に倒れやすいものは置かないように」と読者に呼びかけることができるのです。フクシマ事故から3年もたつのに、中国新聞の時計は止まったままで、「原発安全神話」に頭のてっぺんまでどっぷり浸かっています。

 こんな新聞の記事を真に受けていては危険極まりないことは明白でしょう。みなさんの地方の新聞はいかがですか?

伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が広島市内繁華街で街頭スピーチ

▼配布チラシ
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20140317.pdf
▼請願署名のお願い
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/seigan_1-2_20140317-1.pdf
▼請願書・署名用紙
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/seigan_1-2_20140317-2.pdf

哲野イサクの地方見聞録 雑観57より転載
「伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が広島市内繁華街で街頭スピーチ」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/057/057.html


伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が
広島市内繁華街で街頭スピーチ


広島市議会へ「伊方原発再稼働反対決議」請願

 話をどこから始めればいいのやら・・・。結(ゆい)・広島という市民団体がある。団体といったって、四国電力伊方原発再稼働反対で、再稼働を何とか潰せないかと考えている広島市民4人がメンバーだ。(かくいう私もその4人の1人である)

なお結・広島は昨年末に「みんなの党」から分派してできた「結いの党」とは何の関係もない。大体「結」という言葉を団体名に使用したのは、こちらが半年も前だ。

 広島市から四国電力伊方原発までは直線約100km。間は瀬戸内海だから海上遮るものなし。ご存じの方も多いだろうが、現在すべて稼働を止めている日本で運転中の原発48基のうち、伊方原発3号機は再稼働最有力候補と目されていた。加圧水型原子炉であること、唯一重要免震棟がすでに完成し実際に使用されていることなど様々な理由による。
伊方原発(2012年11月撮影:網野沙羅)

 これに危機感を募らせた結・広島が広島市議会に「伊方原発再稼働反対」の決議を出すようにという請願を出した。
これが2013年の9月頃。広島市議会議員の中では6議員がこの請願の紹介議員になってくれた。
(地方自治法では市民が議会に請願を提出する場合には“紹介議員”の存在を必須としている)

広島市議会議員51名中少なくとも6名がこの請願の政治的意義を認め紹介議員になってくれたわけだ。しかし先は長い。結・広島はこの請願
(請願人は結・広島の代表、原田二三子)
の共同請願人を募った。共同請願人は所定の署名用紙に、住所記載の上本人自筆署名をすればなることができる。広島市の最近のケースでは「学童保育」の充実を、という請願で約13万人が共同請願人となったケースがある。100万人近い有権者のいる広島で13万人の共同請願ということになると強い。これは多くの市議会議員の賛同を得てすんなり広島市当局も学童保育充実のための予算をとった。
 
 「伊方原発再稼動反対決議」の共同請願人署名だが、これは広島市居住の有権者、ということで資格を絞った。広島市以外の有権者や外国籍の人、未成年にも署名をしてもらったのだが、これは参考署名ということで別途市議会に提出することにした。

 なにしろ「広島からもっとも近い原発が四国電力の伊方原発」という事実を知らない広島市民が圧倒的に多い環境の中で、広島市議会が「伊方原発再稼働反対決議」を出すことの政治的意味を理解する人はほとんどいない。地方自治法101条に基づく「地方議会の国への意見書提出決議」との区別もわからない。こんなことを長々書いているとなかなかこの記事の本題に入れそうにないので、かいつまんでいうと、国への意見書提出では国の政策を見直しを要求するだけになってしまう。国の政策とは「原発問題はエネルギー問題」だ。要するにエネルギー問題としての原発政策を見直してくれ、変更してくれというにすぎない。

 私たちの問題の捉え方は全く違っている。原発問題はエネルギー問題ではない、私たちの暮らしや生活、永年築いてきた仕事の基盤や個人的財産、生命や健康を根本から脅かすのが原発だ、つまり「原発問題は生存権問題」という捉え方だ。なにも遮るもののない、瀬戸内海に浮かぶ伊方原発は、根本から広島市民の生存権を脅かしている、広島市民の生存権を守る第一次的責任のある広島市議会が反対決議を出して、体を張って私たちを守る姿勢を示してもらわなければ誰が私たちを守るんだ?こういう趣旨で「伊方原発再稼動反対決議」を求めることにしよう、となった。


共同請願人となることの意味

 さてその共同請願人だが、広島市議会に請願を提出した2013年9月時点で1541人。毎月末に新たな請願人を追加提出しているのだが、2014年月2月10日までに1886人になった。署名のダブりや広島市在住有権者でない人を除いたりする事務作業に手間取るのでタイムラグがある。

 結・広島は、この時点で目標を「1万人」と置いた。1万人の共同請願人のパワーを背景に広島市議会に「反対決議」をせまろう、というわけだ。「1万人」がプレッシャーになるのかならないのかは別として、また広島市議会の「反対決議」が伊方原発再稼働を阻止するどれほどの政治的圧力になるのかどうかは、これも別にして、「1万人」には大きな意味があると考えた。

 第一に、署名して共同請願人になる個人の立場を考えてみよう。広島はまず原発企業・三菱重工業の企業城下町という色彩を戦前から色濃く持っている。現在でも三菱重工業やもっと広く三菱グループ関連企業、その下請け企業、そこから自分の生活の糧をえて暮らしている人は数多い。言いかえれば「原発反対」どころか「原発問題」そのものを話題にしにくい雰囲気がある。次に中国電力が本社を広島に置き、その関連企業が広島で大きなビジネスネットワークを張っているという問題。これも「原発問題」を話題にしない雰囲気作りに一役も二役も買っている。次にあまり表立たないのだが広島銀行の存在。これも中国電力の大株主であると同時に、中国電力に対して大きな投融資をしている。そこから広島銀行は莫大な利潤を吸い上げている。(もとはといえば私たちが支払う電気料金が財源だが)

 つまりは広島地元財界は全面的に原発推進なのだ。推進の理由は明らかでその方が利益になるからだ。そして陰に陽に広島市当局や広島市議会ににらみをきかしている。にらみをきかしているだけではなく、三菱重工業や中国電力の利益代表者を市議会議員として広島市議会に送り込んでいる。

 こうした雰囲気の中で、「伊方原発再稼働反対決議」の共同請願人になるということは、それだけでちょっとした勇気と覚悟が必要になる。しかも実名と現住所まで記入しての行動だ。こういう人が1万人も存在するということの政治的意義は計り知れぬほど大きい。

 第二に、やみくもにおつきあいで署名するわけではない。最低限「伊方原発が広島から最直近の原発で、これまでのいろんな証拠から見て危険な原発」であることを知った上での署名となる。これは「ちょっとした勇気と覚悟」と裏腹の関係であるが、わかりやすく言うと伊方原発の危険に対する認識が「ちょっとした勇気と覚悟」を引き出す関係となる。


広島「1万人委員会」のスタート

 「1万人」を目標とする意味はある、と判断した私たちはたちまち困った。4人の市民グループ「結・広島」ではよくやれて2000人の共同請願人まで、というのが自己判定だ。1万人にするには、グループを拡大する必要がある。そこで2014年1月にグループ拡大を呼びかけた。そこで集まってきて呉れた市民が約10人。その10人で
「広島市民の生存権を守るために伊方原発再稼働に反対する1万人委員会」(代表・原田二三子)をスタートさせた。2014年1月18日のことである。長々しい名前だが、これも参加者で討論を積み上げて決定した名称だ。あまり長いので略称も「広島1万人委員会」とすることも決めた。毎月1回全員参加の総会を開催することも決め、そこで短期的活動方針も決定することにした。

 3月2日(日)は総会の日である。といっても1月18日にスタートしたばかりだから第2回目の総会である。各人過去1か月の活動と成果を報告した。この時代表の原田二三子から共同請願人が2000名を越えて2082人となったことも報告された。それから短期的な活動方針の話題になった。

 メンバーの1人に重広麻緒(あさお)がいる。彼女は、私と私の同僚の網野沙羅が2012年6月から毎週金曜日夕方から実施している『広島2人デモ』の常連メンバーになっている。

 私も網野も『反原発』の市民運動を開始したのは『3.11』の後だ。いわば「ポスト3.11組」である。重広麻尾は「ポスト3.11組」ですらない。彼女が「反原発運動」に身を投じるようになったのはやっと2012年の12月頃である。大体人の煽動に乗らない。自分で考えて納得してから体が動く、というタイプである。それだけにいったん決めるとなかなかぶれない。またそれだけに問題意識が鋭い。年齢はというと今年66歳になる私から見ると、自分の娘以下の年頃だ。最初会った時はてっきり21歳か22歳、と思ったほどだ。

 この重広麻尾が3月の活動方針で「本通り街頭活動」をやろうと提案した。網野の顔を見るとこれも乗り気だ。代表の原田も乗り気である。ほかのメンバーもこの提案に否定的ではなさそうだ。「本通り」というのは広島の中心部にある商店街を中心とした最大の繁華街だ。広島は東京や大阪などと比べると都市の規模が小さく、新宿・池袋・渋谷とか、ミナミ・道頓堀などと繁華街を複数個所もたない。かといって他の地方都市よりも規模が大きい。多くの地方都市では国鉄の駅(今はJRの駅)を中心にして繁華街が形成されたのだが、広島は国鉄広島駅が市の東北端に位置し、国鉄広島駅を中心に一大繁華街は形成されなかった。中心部に位置する本通り商店街を中心に繁華街が形成された。夜の歓楽街、いわゆる広島の「薬研堀(やげんぼり)も「本通り」繁華街と地続きの関係にある。

 だから重広の提案する「本通り街頭活動」は正解なのだ。正解なのだが私は内心困ったな、と思った。

その理由はもっぱら私たちのマンパワーが極めて限定されていることに由来する。「1万人」にするには、さまざまな手を打って行かなければならない。第一に労働組合に対する食い込み方が全然足りない。労働組合といってもまるで万華鏡である。最大の労組団体である『連合広島』は傘下に中国電力労組も参加する大企業労組の組合団体である。そのほとんどが企業内組合の集まりであり、内心は「原発推進派」である。まったくあてにならない。が、やはり細かく見ていくと、現業中心の労働組合の中には「原発反対」の気持ちをもった人も多く、説得していけば協力・参加してくれる見通しもついてきた。

 さらに広島市内に居住する外国人の存在もある。戦前からの流れで朝鮮半島出身の外国人(多くは日本国籍がないというだけで、みんな立派な日本人であり、日本人である以前に広島人だ)の人たちは数も多いだけでなく原発には反対の人が多い。既存の利益共同体の同心円から周辺にいけばいくほど原発反対の色彩は濃くなる。さらに外国人といえば、ヨーロッパ系、アジア系の外国人居住者だ。広島には、マツダがフォードと提携関係にあった(現在もそうだが)ことで、ヨーロッパ・アメリカ系の外国人居住者とその家族も多い。もちろん有権者ではないのだが、広報・宣伝に一役買ってくれそうな感触もある。

 また保守の牙城、広島保守政治の土台ともいうべき町内会連合の有力者の中にも、原発の危険、特に伊方原発の危険を知るにつれて「実はオレも反対だ」と言い出す人たちも出てきた。実際に伊方原発がフクシマ事故並の苛酷事故を起こしたら、最大の被害者は、永年広島の地域社会で地主や有力者として活躍してきた、彼ら、町内会の有力者かも知れない。実際にすでに賛同者の数人は地域町内会の有力者だ。

 さらに広島湾を生活の糧とする漁業者、ノリ養殖業者や牡蠣養殖業者の間にも理解者が出ている徴候がある。伊方原発から放出されている大量のトリチウムの話をすると、他の広島市民には見られない独特の鋭い反応を見せる。彼らにはどこかピーンと響くものがあるのかもしれない。

 大体広島市議会工作も満足に進んでいない。現在6人しか居ない市議会内の理解者を拡大していくという工作だ。中にはある公明党議員のように「党中央の方針があるので表だっては君らの動きに賛同できないが、個人的には伊方原発稼働に反対だ。逆に君らが賛同者を増やして呉れればオレたちも動きやすくなる」という人もいる。

 要するに私たちのマンパワーに対してやるべき課題が山積しているのだ。大体網野と私が続けている「広島2人デモ」自体、事前の準備(チラシ作り)と事後の報告でだんだん身動きがとれなくなっている。

 この上「街頭活動」を加えるとなったら・・・と思ったのが、私が内心困ったな、と感じた理由である。

 重広の顔を見た。テコでも動きそうにない。1人でもやる、という顔だ。実際彼女は、昨年私たちが仕事で「広島2人デモ」を中止せざるを得なくなった時(後にも先にもこれ1回切りである。といってこれからもその可能性がある。私たちもメシを食わねばならない)、1人切りでスピーカーとプラカードを持って本通りでデモをした実績がある。「広島2人デモ」ならぬ正真正銘「広島ひとりデモ」である。

 重広の顔をみた。私はあきらめた。そして思い直した。「大体小賢しく『資源の選択と集中』などといった論をぶってみてもはじまらない。やる、といっているんだからやるほかはない。大体世の中が動く時はこんなもんだ。なにがきっかけになるか計算はできない。それにまだまだ広島市民に関するリサーチが足りない。街頭活動でどんな反応をしめすか、どんな話に興味をもってどんな話に興味をもたないか、何が必要な情報なのか、どんな情報を欲しているのか、これをリサーチするいい機会にもなる」と思い直し、賛成した。


バタバタと街頭スピーチ活動へ

 あとは早い。網野と重広が中央警察に行って街頭活動の申請をした。車道上のデモの場合は警備課の管轄だが、歩道上の街頭活動の場合は交通課の担当になる。おまけに歩道を使用する料金として2400円もとられる。(ただし1週間有効)このお金は広島県交通協会の収入になる。広島県交通協会は警察OBの退職後の受け皿で大したことはやっていない。警察OBのメシの足しになるのか、と思うとやや業腹だがやむを得ない。

 というのは、「政治的表現の自由」という憲法で保障された権利を遂行する、ということで無届けで街頭活動もできる。しかし、実際の生活の場はそんな理屈で動いてはいない。宣伝活動をし、チラシ配りをする人間は私たちだけではない。チラシ配りで生活の糧をえている人もいる。私たちはそこに割り込むのだ。せめて「ごめんね、一応許可はとっているから」と弁解くらいはしたいものだ。また「がんがん」にスピーカーの音量は上げる。回りのお店は迷惑だろう。歩いている人も迷惑だろう。迷惑はお互い様にしろ、せめて「一応許可はとってありますから」と弁解のネタくらいはもっておかないと申し訳ない。弁解料2400円と見れば、安いといえないこともない。

 3月17日午後6時からの
街頭活動用の特別チラシをとにかく100枚ほど作って、その他に議会請願用署名用紙兼チラシを100枚ほど用意して、またプラカード2枚アクリルボードに貼り付けたマップパネルを持って現場に行った。私たちが選定した場所が、ちょうど老舗の呉服店の真ん前なので、そのチラシをもってあいさつに行き、小1時間ほどご迷惑をかけること(実際には1時間半近くになったが)、こんな内容の訴えと広報をすることが目的で決して胡乱なものではないことを断った。ご主人は受け取ったチラシを一瞥したあと丁寧な対応を返してくれたので一安心した。
▼プラカード


▼マップパネル

 あたりは、販促・呼び込みチラシの配り手で溢れている。中の1人に私たちもチラシ配りをするが、お互いに邪魔にならないようにしようと声をかけて了解し合った。

 第1日目はまったくの手探り。参加者は5人。ちょっと体の不自由な「市さん」を除いて4人が交替でスピーチにたった。
(▼3月17日スピーチする重広さん)

それでもわかったこともある。永年市民運動をやってきたと称する人からは、「デモで歩く時のスピーチは短く簡潔に」、街頭宣伝では「長めのテーマをじっくりスピーチ」できる、と聞いていたのだが、これが大ウソ。実際にやってみると、「スピーチは簡潔に要点を突いて」はいつでもどこでも通用する大法則としても、プラカードもって歩いてスピーチする方が、それだけで注目を集めて、耳目をそばだてる効果をもっているが、街頭スピーチでは突っ立ってしゃべるだけなので、それだけでは注目を集めない。「本通り」からすると見慣れた光景で珍しくもない。どんどん流れている人の耳目を集めるのは「スピーチ勝負」とわかった。それではなぜ永年市民運動をやってきたと称する人は「街頭宣伝では長めのテーマをじっくりスピーチできる」と勘違いしたのか。それも観察しているとすぐにわかった。「長めのテーマをじっくりスピーチできる」のはしゃべり手の勝手な思いこみで、流れている人は誰も聞いていない。つまり聴衆の反応などはお構いなしにしゃべっているだけなのだ。それはチラシの受け取り方ですぐわかる。つまり流れている人は、耳には入ってくる興味ある情報に惹かれて、チラシを受け取るのだ。だからまず興味ある情報を流れている人の耳に届けなればならない。これは考えてみるとかなりな高等技術だ。簡潔であるばかりでなく、内容がなければならない。

 ところがこの「内容がある」ことが曲者だ。往々にして私たちは内容がないことを内容があるように見せかけようとする。勢いセンセーショナルなことを口走りたくなる。結果、誇張してしまったり、やたらと煽動的な話を並べたり、感情にのみ訴えようとする。場合によればはっきりウソとわかる内容になってしまうこともある。これは禁じ手だ。というのは誇張合戦、煽動合戦になれば私たちが負けるのは目に見えている。向こうの方がはるかに「拡声器」が巨大だからだ。金もかかっている。

事務所に帰ってチラシを数えてみると、用意した特別チラシは8枚しか残っていなかった。つまり現場で92枚渡したことになる。別に準備した署名用紙兼チラシは20枚ほどなくなっていた。

 これはチラシの配り手によって、手持ちの特別チラシがなくなったので、たまたま持っていた署名用紙兼チラシを配ったものとわかった。初日の成果として評価のしようもない。大体評価の基準すらまだ作っていないのだから。

 第2日目の3月18日は、初日よりも若干物慣れている。参加者同じく5人。スピーチはもっと短く簡潔にすることを心がけ、申し合わせた。
 テーマは、

1.伊方原発が広島からもっとも近い原発であること。
2.伊方原発が100万広島市民の安全な生活と生命・健康に対する大きなリスク要因となっていること。言いかえれば生存権問題となっていること。
3.このため広島市議会に対し「伊方原発再稼働反対決議」を請願していること。現在共同請願人は2082人であり、この請願人数を1万人にしたいと思っていること。みなさんに参加して欲しいと思っていること。

 街頭スピーチ活動は、この日は1時間ちょっとで切り上げた。持っていったチラシ100枚と前日の残り8枚計108枚はすべてはけていた。その他に予備として持っていった署名用紙兼チラシは20枚ほど使っていた。

 なお最後に残った1枚のチラシは、本通りに自転車乗り入れを規制するためのガードマンの若い男性(本通り商店街が手配しているスタッフらしい)が持っていった。最後に残った1枚のチラシを持っていた私に、ガードマンの若い男性がものもいわずニュッと手を突き出した。目があった。チラシを呉れ、といっている。ものもいわず渡すと、ものもいわずひったくるようにして持っていった。照れくさかったのかも知れない。

 彼は仕事柄20分置きぐらいに現れて商店街アーケードの入り口に立って自転車の進入を監視している。彼のポジションでは否が応でもスピーチが耳に入ってくる。私たちの街頭活動終了とその日の彼の“仕事あがり”の時間がたまたま一緒になったのだろう。彼はチラシをもっていった。

 この日は別に飛び入りスピーチがあった。以前に広島2人デモに参加してくれたことのある人だ。たまたま通りかかったのでスピーチをお願いした。

 まだまだ3月18日も19日も続ける予定だ。
(▼3月18日18時半ごろ本通り電停前交差点 撮影:網野沙羅)

原爆ドーム

ファイル 267-1.jpg

2014年2月21日撮影の原爆ドーム。

時々紹介させていただいている、知り合いの方の撮影です。
広島2人デモ出発時間あたり、ちょうど原爆ドーム付近にいらっしゃって、同じ時刻あたりの空を撮影されていたとのことで、送っていただきました。

夕暮れではありますが、朝焼けのような、「希望」を感じさせてくれます。

どんな人にも、人としての尊厳があります。
人としての尊厳が守られ、維持されてこそ平和の状態が訪れます。
逆に言えば維持する努力を怠れば、平和は遠のいていきます。

いじめや差別があることが平和なのか
老人や若者が、孤独に餓死していく社会は平和なのか
自殺に追い詰めるほど存在を否定したり
命を金に換算したり、軽んじる社会が平和なのか
奴隷になることが平和なのか
思想信条の自由を許されない社会が平和なのか

すべて自分や、次世代に課題として跳ね返ってきます。
どんなに金持ちでも階層が違っても関係なく、どんな人にもです。
人の社会は人が構成しているのです。
人は人以上でも以下でもありません。

少し考えれば全ての根幹、「人としての尊厳が守られる社会」が平和なのだと気が付きます。

広島2人デモをしていて感じるのは
嬉しい事に、日本全国の多くの方が、
そのことに気が付いて来てくれている感触があることです。

この写真を見ていると、その希望を思い起こさせてくれます。

広島は被曝を経験しました。
理不尽な死や病気、体調不良をもたらし
経済的、介護的負担から家族崩壊をも招きました。
被曝は「人としての尊厳を踏みにじる」一つの大きな問題です。

亡くなった多くの被爆者に「過ちを繰り返さない」と誓うなら
これ以上の被曝を許さないようにするのが
「放射能安全神話」の生誕地でもある
広島に生まれ育った人間としてのミッションかもしれません。