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第91回広島2人デモ 『3.11』特別版 報告

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みなさま

毎度お騒がせしています。
広島2人デモ、遅ればせながら3月11日の報告です。
デモが終わった後の哲野と網野のやりとり。

哲野「ほら、今日『フクシマを忘れない!さようなら原発 ヒロシマ集会』のデモの人たちと本通りですれ違ったじゃない?
    あれは良かったねえ。」
網野「うん。参加してた田尾市議がこっちに気が付いて
    『おお、お疲れ様です』と声をかけてきてくれた。
    なんかね、撮った写真みると、ちらほらこっちに気が付いてくれた人がいたよ。」
哲野「去年は3.11に歩いたのは僕たちだけだった。」
網野「そうだよね、前日の休日にデモやって、当日は私たちだけだったね。」
哲野「休日のほうが人が集まるからというのは、確かに納得できる理由なんだけど
    やはり3.11の意味をよく考えて欲しいなと思った。
    今年は通り過ぎる人たちを見ていると、全水道、女性会議、
    教育関係の広教祖、広島電鉄の労働組合なんかが歩いてた。
    あれ、自治労が中心だったんだろうね、きっと。
    やっぱり今年の3.11は火曜日で人は集まりにくかったんだろうと思うけど
    でも仕事を終えて、あのデモに参加した人たちがたくさんいた。
    どれくらい参加したの?」
網野「情報筋によると、500人は最低いたらしいですよ。」
哲野「だろうね。とにかく僕はみてて嬉しくなった。」
網野「そうだね。この日に歩くことに意味があるね」
哲野「去年も3.11がらみのイベントがあったけれども
    自然エネルギ―を主張する人、環境を守ろうと主張する人
    なにか焦点が絞れてなかった。
    今年の3.11のこのデモはまだ生存権を守ろうという明確な主張までは至っていなかったけど
    脱原発、反原発に焦点が絞ってあった。
    1年間ではやはり大きな前進だと僕は思う。」
網野「私たちも参加するという手があったかな」
哲野「いやそれはないよ。僕たちのデモはスローガンを掲げて市民にアピールするタイプのデモではない。
    やっぱり原発や被曝に関して市民の人たちに知って欲しいことや
    市民の人たちが知りたいことをお知らせして歩く、いわば広報デモだから・・・
    ちょっと方法が違う。」
網野「ま、確かに。」
哲野「だから今日見た大人数のデモも良し、僕たちのような少人数のスタイルの違うデモもよし。
    今大事なのは街に常に僕たちがでて、原発反対の意思表示をしっかりしておくことだ。
    1人でも2人でもね。
    これが一番大事なことだ。
    で、自分の周りの人たちに、思い切って声をかけて、原発や被曝をタブーの話題とせずに
    積極的に話題にしていくことだ。
    ほら君が言っていたじゃないか、なんだっけ?」
網野「 町に出よう
     となりの人に声をかけよう
     小さな勇気が世界を変える 」
哲野「そう。その通りだよ。それが大事なところだよね。
    広島市立大学の河上さんじゃないけれど
    『あなたの一票、革命権』とどっか通じるものがあるよね。」

と自分たちのデモのことはそっちのけでさようなら原発デモの感想を言い合ってました。

では2人デモのご報告を。
参加者は7人。
哲野、網野、じゃけえさん、一ノ瀬さん、原田さん、かおるさん、ひらめさん

集合場所に行って待っていると、
じゃけえさん、一ノ瀬さん、原田さんが来ました。
かおるさんがちょうど通りかかりました。
かおるさんは福島の方々の体外へ放射能排出させるための母子保養の運動をしている人です。
http://kimita-fukushima.jimdo.com/
原田さんのお知り合いのようで「こっちに参加しない?スピーチもできるし」
ということで参加。

▼平和公園では震災イベントがされていました。

▼高校生が仮設住宅に焼却炉をと募金活動をしていました。

高校生の募金活動にしても、福島での被曝を軽減する母子保養の運動にしても
本来は政府がきっちり予算をとってやらなければならない最低限の政策です。
国がやらないから、政府がやらないから、といって
民間の人たちがやることはやむを得ないと思います。
しかし、私たちの善意が一方では上手に利用されていることも
しっかり頭のどこかに刻んでおかなければならないことだと思います。

チェルノブイリ事故で苛酷な対応をした旧ソ連政府ですら
避難者の医療費、住宅の手当て、仕事の確保など
最低限のことをやろうとしています。

ウクライナ政府などは避難者の入れ歯まで無償で提供しています。
そのためにウクライナ政府の国庫は空っぽになって借金だらけになりましたけど
それに比べれば、民間の善意を利用して政府がやらなければならないことを
踏み倒し、値切り倒している日本政府は原発事故史上、最悪の政府と言えるでしょう。

▼3月11日、夕陽を浴びる原爆ドーム

▼私たちの「3.11」

▼今回のプラカード


▼第91回チラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20140311.pdf

雑談していると音楽が鳴りました。
哲野、網野、じゃけえさん、原田さん、一ノ瀬さん、かおるさんの6人で出発です。

トップバッターはじゃけえさんです。
じゃけえ「3年前の3.11に発令された原子力緊急事態宣言はまだ発令中です。
     3.11を考えるとき原発問題を是非考えてみてください。
     なぜ原発に反対するのか。
     事故を起こしていなくても、通常時でも放射能を出すからです。
     放射能に人間はとても弱いです。
     放射能安全神話を受け入れてきたからこそ原発がたち福島原発事故が起きた。
     人間が太刀打ちできない放射能がたくさん放出された。
     3.11を考えるということは、3.11を繰り返してはいけないということを考えるべきです。
     3.11を繰り返してはならないと考えるということは
     放射能安全神話の克服を考えるということです。
     本来、被曝線量に許容値はありません。
     絶対に安全であると言い切れないのなら、危険と考えるべきです。
     危険と考えなければならないのなら、避けるべきです。」

次にマイクはかおるさんに渡ります。
かおるさん「原発賛成とか反対とか、再稼働するとかしないとか
      それ以前に福島の子どもたちを救ってほしい。
      いま福島では年間1mSvは軽く超えています。
      妊婦さんがレントゲンを浴びるということがありますか?
      ありません。放射線が影響を与えることがわかっているからです。
      本来、法的には年間1mSv以上の被曝はしてはいけないんです。
      今私は、福島の子どもたちの母子保養を行っています。
      本来は国がやるべきことです。
      でも「原発事故子ども・被災者支援法」が出来ても、いつまでたっても理念法です。
      福島県にも掛け合いましたが、福島県は福島県内ならいいけど
      県外への保養は認めないという考えです。」

交通費だけでも、とカンパを呼び掛けました。
次に原田さんにマイクが渡ります。

原田さんは今なお、原子力緊急事態宣言中であること
福島の人たちは避難したくても出来ない状態に置かれていること
本来、人が住んではいけない高い線量の地域に依然として住まわされていること
政府はこうした人たちをじわじわと殺しているのと同じことだ、とスピーチしました。

次は哲野です。
哲野「今6時45分ですか、あと20分足らずで午後7時3分になります。
    今から3年前の3月11日午後7時3分に当時の菅総理大臣によって
    福島第一原発による原子力緊急事態宣言が発令されました。
    この緊急事態宣言はいまだに解除されていません。
    日本の社会は事故から3年経ったいまでも原子力緊急事態宣言下にあるわけです。
    なぜ緊急事態なのか。
    それは福島第一原発で事故が起こったからではありません。
    事故による放射能が福島現地を中心に日本を覆っているからです。
    福島第一原子力緊急事態宣言に続いてその時、福島第二原発緊急事態宣言も出されましたが
    放射能による汚染の影響はないとして、2011年の末までに解除宣言が出されました。
    いま、日本は福島第一原発の放射能による緊急事態宣言中だということを
    頭の片隅に置いておいてください。
    原子力緊急事態宣言中は、内閣総理大臣に緊急事態に対処するありとあらゆる権限が集中します。
    内閣総理大臣はオールマイティーです。
    しかし、日本の現在の首相は自分のオールマイティーの権限を全く使おうとしていません。
    自分が使える権限を使わず、東京電力に責任を押し付けています。
    そして日本の首相は、自分の権限外のことに対して影響力を行使しようとしています。
    原子力緊急事態宣言解除に向けてその権限をフルに使い
    問題解決に全力を挙げる内閣総理大臣がいま、日本に必要な事は明らかでしょう。」

ここで本通り電停にさしかかり
さようなら原発のデモとすれ違いました。


▼デモを取材する大手マスコミ
 翌日、どの新聞にも一行の記事も出ませんでした。
 ここで撮影した写真も、新聞紙上ではなく、中国電力関係者に渡っていることでしょう。

2回ほど信号を待ち、行進が少し途絶えたところで渡りました。
次は網野です。
網野は事故後3年の今日もまだ原子力緊急事態宣言中であること
福島事故は継続中であることを、政府もまた認めていること
広島・長崎の原爆被爆生存者寿命調査LSSが、現在の国際的な被曝強制基準ICRPリスクモデルと
その勧告の基礎データとして使われていること
これが放射能安全神話を形作っていること
LSSは外部高線量被曝には当てはまるが、内部低線量被曝には全く当てはまらない研究であること
しかも原爆投下から4~5年後から開始された調査であり
外部高線量被曝も過小評価されていること
広島はその意味では、放射能安全神話の故郷であること
放射能安全神話を克服することは、広島市民の使命であることなどをチラシのテーマに沿って訴えました。

次にじゃけえさんに再びマイクが渡りました。
事故から3年経ってもなおかつ、福島の人たちは本来人が住んではいけないところに住んでいる、
なぜ住んでいるのか、それは放射能安全神話があるからです。
放射能安全神話を克服しないかぎり、フクシマは解決しません
と訴えました。

元安橋に帰ってきてデモ終了なんですが
網野が一言
「いま午後7時5分過ぎました。ちょうど3年前の7時3分に原子力緊急事態宣言が発令されました。
 いまだに、解除されていません。
 フクシマ事故は継続中であることをお伝えしておきます。」

デモを終了して気が付いたのですが、実は参加者が一人増えていました。
それがひらめさんです。
終わりかけのころから、一緒に歩いてくれていました。
あとで本人に聞いてみると、2人デモの事は知っていて、以前から参加してみたかったとのこと。
仕事が忙しく、なかなか参加できないけど、今日は無理して都合をつけた、とのことでした。
ひらめさんも周りで原発問題や被曝問題について話せる人が少なく
もっと原発や被曝について知ってみたい、勉強してみたい、と思っていたそうです。

一ノ瀬さんは広島2人デモ初の参加の方ですが
黙々とチラシまきを担当してくれました。
途中で哲野が「一ノ瀬さん、一言でいいから何か言ってよ」というと
一ノ瀬「いや、いや、僕はそういうのは・・・いいよ…」とまたチラシ撒きにもどりました。
あとで聞いてみると、一ノ瀬さんは青森県の六ヶ所村に3年くらい暮らしていたそうです。
無口な人ですが、根っからの原発反対派。

というわけでこの日は寒かったので
早々に解散しました。

以上3.11特別版の報告でした。