みなさま
毎度お騒がせいたします。
第92回広島2人デモ 3月14日のご報告を致します。
最初に、3月14日未明の地震の話から。
ちょうど、このデモのチラシを作成中でした。
いつも徹夜で朝方までに作るのですが、哲野の机で相談中、揺れ始めました。
急いで湯沸し器の電源を切ったところで大揺れ。
傍にあった本棚が倒れそうに揺れたので支えていました。
棚から本とかビンとか色々落ちましたが・・・・
哲野「今の、どこが震源地だ!?」
網野「調べます!」
NHKも出してない。
網野「気象庁のツイッターのほうが早い!」とツイッターを開き
広島が震度5弱と判明。
哲野「いや、今のは震度5弱ほど強くないぞ。震源地は?伊方じゃないだろうな?!」
網野「・・・出ました!中央構造線から少しそれてますね、祝島に近いです」
哲野「伊方の震度は!」
網野「震度5強です!」
哲野「よし、チラシ作成に戻ろう。5強ならまず耐えられる。」
網野はしばらく、手の震えが止まりませんでした。
地震のたびに家族は大丈夫か?と心配しつつも
原発の心配をしなくてならないのか?
もし原発になにかあったら、被災したうえに不必要な「一時移転」という避難が強いられます。
こんな理不尽なことがあるか?と実感した出来事でした。
そして「絶対14日のデモで言ってやる・・・!」と思ったのは
当然私だけではなく、実はデモ参加者全員でした。
なんで地震が起こるたびに原発の心配をしなきゃいけないのでしょうか?
これも「放射線恐怖症」と言いくるめられるのでしょうか?
伊方は廃炉にしなければいけません。
私たちの生活を根本から脅かしています。
今回チラシで上関町のまちづくり連絡協議会の立て看板を紹介していますが
そのメッセージに
「町民の大多数は(原電=原発)建設を望んでいます。
それでもあなたは妨害するのですか?」という文言があります。
上関に原発が出来たとしましょう。
地震がしょっちゅう起きるでしょう。
そのうち苛酷事故に発展するかもしれません。
それでも上関町の大多数は建設を望みますか?
私たちの生活権、生存権を侵害してまで達成される上関町の繁栄とはいったい何でしょうか?
(もっとも、私たちは上関町まちづくり連絡協議会なるものは
中国電力のお金で運営されていると思ってますが・・・)
(撮影:網野沙羅 撮影日2012年5月14日)
さてデモ報告です。
参加者は
哲野、網野、じゃけえさん、初参加のAkkoさん、Kさんでした。
原田さんがデモ終わりに駆けつけて6人でした。
いつもは集合場所に15分前に行くのですが
出発が遅れて10分前に。
じゃけえさんが集合場所で待っていました。
そこへ警察の方が先に来て待つ形に。
指令書の確認をしてしばらく雑談していました。
▼今日の出発前
そこへ現れたのがAkkoさんでした。
Akkoさんはツイッターで話しかけてきてくれた人です。
一度会っておきたい、と広島を離れる前に来てくれました。
東京に引っ越されるのだそうです。
音楽が鳴って4人で出発。
▼第92回チラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20140314.pdf
本日のプラカードは早速地震を取り上げました。
新聞には震源地が書いてありましたが、伊方原発や上関原発(計画中)との位置関係は
まったくわかりません。
どうしてもこの位置関係を広島市民に知っておいて欲しかったです。
あとでご説明しますが、今日は異常にチラシがはけました。
一つは未明の地震、一つはAkkoさん。
スピーチのトップバッターはじゃけえさんです。
じゃけえ「みなさん、今日の地震は怖かったですね。
私は地震の揺れですぐに飛び起きて、すぐに原発の心配をしました。
震源地がすぐにわからなかったので、事故の終息がまだの福島第一原発の心配をしました。
テレビをつけて、震源地が伊方原発のすぐ近くだとわかって
今度は伊方原発の心配をしました。
私たちの住む広島から一番近い、約100kmの位置にある伊方原子力発電所は
今止まっていますが、止まっていても安全なわけではありません。
もし事故が起こって原子炉の制御機能が失われたら
メルトダウンを起こして放射能が大量拡散していたところです。
今日の地震がもし、東日本大震災並みの地震だったら
いま私たちは広島市内にいられなかったかもしれません。
『3.11』が広島だったかもしれないんです。」
じゃけえさんのスピーチ中、チラシまきは哲野とAkkoさんです。
哲野がAkkoさんの手元を見ると、今日用意したチラシがもうそこを尽きかけています。
まだ出発したばかりです。
実は今日のチラシは人数が少ないだろうと思って、25部しか作ってきてなかったんです。
哲野「もう、あまりないですね。」
Akkoさん「まずかったでしょうか?」
哲野「いや、そんなことはありません。もともと撒くために用意してきたチラシですから
ただ、帰り道のことも考えないとチラシなしで歩くというのは手持ち無沙汰ですからね
受け取りがいいんですか?」
Akkoさん「ええ、差し出すとたいがい持って行ってくれます。」
哲野「僕は最近はズボラを決め込んで、取りに来た人しか渡さないんですが…」
Akkoさん「あ、そうですか?私もそうしましょうか?」
哲野「いやいやいや、とんでもない。それはちゃんと渡してあげてください。
それにしても異常ななくなり方だなぁ。地震のせいかなぁ」
と一人ぶつぶつ。
じゃけえ「今日の地震が大きな地震じゃなかったのでとても幸いです。
そして今日の地震が今日だけで終わるわけではありません。
これから先も大きな地震が広島の近くで起こるかもしれません。
東日本大震災並みの大きな地震が西日本で起き、伊方原発で苛酷事故が起これば
私たちは広島市に住めなくなってしまいます。
原子力規制委員会が出したシミュレーションと、原子力災害対策指針を合わせ読むと
伊方原発で福島並みの苛酷事故が起これば
広島市は4mSvの被曝線量を被り、一時移転の対象になります。
今日の地震がそんな大きな地震でなくてよかったです。
でもこれからも、今日みたいな地震という保証はどこにもありません。
私たちは放射能で広島から離れなければならない可能性は
ずっとずっと残るのです。
可能性なんていうものではなく、これは蓋然性です。
そして今、広島市議会に伊方原発再稼働反対決議を出して
政治的意思表示をはっきりさせてくれるよう請願をしています。
現在、共同請願人は広島市内有権者2082人です。
今これを1万人にしようと共同請願人を募っています。
みなさんもどうか参加してください」
という話を折り返しまで繰り返し訴えました。
折り返し点に来ると、もうチラシが当然底をついていました。
チラシ袋にある過去のチラシや、伊方の署名チラシをAkkoさんは一人で配っています。
哲野はただ茫然とその様子を眺めるだけでした。
網野がたまりかねて、哲野に「はい、これ、折って!」
哲野「?」
網野「伊方の署名用紙を裏返せば、チラシになるでしょ!」
哲野「あ、そっか。」
網野「折ったらAkkoさんに渡して」
哲野があわてて裏返し折りをはじめたところでKさんが現れました。
哲野はこれ幸いと、Kさんに「これ、折って!」と歩きながら渡します。
Kさん「どうしたの?」
哲野「チラシがなくなっちゃったのよ。
今、念のために持ってきた署名用紙を折り返してチラシにしようとしてるの」
Kさんは、哲野から束を受け取ると、瞬く間に折り返してしまいました。
哲野「早い!」
次に哲野にマイクが渡ります。
哲野「今朝の地震は怖かったですね。
伊方の震度は5強だったそうです。
現在の原子力災害対策指針に従えば、
原発サイトで震度6弱の地震が発生すれば、
原発は緊急重大事故対応を取なさい、ということになっています。
5強ではなく、その一ランク上の6弱だったら、
伊方は緊急重大事故体制を取っていたということです。
もうこうなると、苛酷事故が起こるとか起らないとかの問題じゃありません。
南海トラフの震源域であり、中央構造線のほぼ真上にある伊方原発が
震度5とか6とか7とか、そんな震度の地震に襲われるのは
当たり前と考えておかなければなりません。
そのたびに広島でひやひや、ドキドキ心配する、こんなバカな生活がありますか。
みなさん、どう思いますか。」
次のスピーチは再びじゃけえさん。
最初にスピーチした内容を繰り返し訴えました。
やがて寒さと疲れで、口が回らなくなりました。
哲野にマイクが渡ります。
哲野「原子力規制委員会の昨日の定例会合で、九州電力の川内原発評価書作成がほぼ決まりました。
これは、事実上再稼働一番手に川内原発が候補になったことを意味します。
伊方原発は2番手グループに入ります。
原子力規制委員会の審査で最後までネックになっているのが
地震の時の基準地震動です。
電力各社は原発安全神話時代の地震動を基準として
原子力規制委員会のもっと厳しくするようにという要請になかなか応じません。
なぜかというと、基準地震動を厳しくすれば、構造物に耐震強化を施さねばならず
これがコストアップと工期の長期化に繋がるからです。
その課題リストは今日お配りしているチラシの最後ページにまとめておきました。
(といっても、その時点では一部も残っていなかったのですが)
一昨日の規制委審査会合で、九州電力の川内原発だけがとうとう
規制委の求めに応じて、基準地震動を大幅に上げることに同意し
基本問題解決とばかり昨日の規制委会合で承認されたものです。
しかし、私は裏の政治的な理由が実はあったと思っています。
田中委員長は2月19日の定例会合後の記者会見で
確かに手続き上は規制委が適合審査合格をだし、内閣がこれを受けて再稼働許可を出すという
手続きにはなっているけど、本当に再稼働を決めるのは
地元を含む国民のみなさんだと言っています。
つまり、福島原発事故で失った信頼を規制当局が取り戻せるかどうか、
これが最大のポイントだというわけです。
そして、もし、それでも地元のみなさんが信頼できないというのであれば
再稼働にはつながらないかもしれません、と述べています。
川内原発は伊方原発に比べれば、地元の反対行動、反対意思表示が弱い
それにくらべて伊方原発は四国地元でも反対運動が強い上に
周辺の最重要都市、この広島でも反対の意思表示が強くなっています。
恐らく、規制委が川内原発を選んだ隠れた理由はこれではないかと思います。
つまり、これからは、私たちの曖昧でない、はっきりした反対の意思表示
反対行動が決定的に重要になってきている、
と、こういうことだと思います。」
次にKさんにマイクが渡ります。
Kさん「伊方原発は確かにいま、止まっています。
しかし、敷地内には特に燃料プール内には使用済み核燃料がぎゅうぎゅうづめに詰まっています。
今日の地震では大丈夫でしたが、たとえ動いていなくても地震で使用済み核燃料プールが
事故を起こす可能性は十分にあります。
動いていないからといって安全ではないんです。
事故が起これば、ほんの2~3日の間に広島は人が住めない都市となってしまいます。
今テレビは東北大震災の復興の話ばかり流しています。
確かに、地震や津波に襲われた地域の復興は大きな問題です。
しかし、フクシマのような地震や津波だけではない、放射能で汚染された土地は違います。
復興以前に人が住むことが出来ないんです。
3年目の3.11直後の今日、地震が起きました。
これを機会にみなさん、問題をじっくり考えてみてください。お願いします」
哲野のところにモノクロのチラシが20枚くらい渡されました。
それが以下です。
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20140308_shirokuto.pdf
よく見たらプリンターが故障した時に急きょ作成したモノクロのA4 1枚チラシでした。
哲野「たしかチラシ袋の中に1枚か2枚残ってたと思うんだけど・・・こんなにあったかなぁ」
あとで知ったのですが、袋のなかに1枚だけ残っていたチラシを
恐らくはどこかのコンビニに飛び込んでAkkoさんがコピーしたものだと知りました。
それでもこのチラシを人がどんどん受け取って行きます。
Akkoさんのチラシ撒きテクニックも相当高度なものがあるのだとは思いますが
どんどん受け取って読んでいます。
デモも終わりに近づきました。
最後に網野がマイクを握ります。
網野も地震から始めます。
網野「今日の地震は本当に怖かったです。
まず私は伊方の事を心配しました。
プラカードを見ていただくと震源地がわかるんですが
伊方原発から40kmくらいしか離れていません。
何事もなくてよかったです。
伊方原発の前面海域約4kmのところには世界有数の活断層
中央構造線が走っています。
今回は中央構造線は動きませんでした。
また、南海トラフの震源域の最北端に伊方原発は位置しています。
もちろん南海トラフも動きませんでした。
しかしこれからも動かないという保証は全くないどころか
予測とすればむしろ動くという予測です。
原子力規制委員会で伊方原発の審査が行われています。
一番手ではなくなったようですが、最有力候補に入っていることは間違いありません。
私たちがこれに反対の意思表示をしない、ということは
何を意味するでしょうか?
黙っていることは、反対の意思表示をしないということは
伊方原発再稼働を容認することとなります。
いま、私たち一人一人が伊方原発再稼働反対の意思表示をすることが
決定的に大切です。
そして、家族や親せき、隣近所で原発や伊方のことを積極的に話題にしていきましょう。
なかなか勇気のいることです。
しかし思い切って話してみると、実は原発に反対の人は多いのです。
また、伊方が広島に一番近い原発であることを知らない人もまだまだ多いのです。
この事実を知れば、多くの人は伊方原発再稼働反対となるはずです。
勇気をもって原発のことを話題にしましょう。
それは小さな勇気かもしれませんが、世界を変える貴重な勇気です。」
元安橋に帰ってデモ終了。
Akkoさんを中心に話題がはずみ、寒さで震えながらも立ち話が長く続きました。
以上ご報告いたします。