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伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が広島市内繁華街で街頭スピーチ

▼配布チラシ
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20140317.pdf
▼請願署名のお願い
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/seigan_1-2_20140317-1.pdf
▼請願書・署名用紙
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/seigan_1-2_20140317-2.pdf

哲野イサクの地方見聞録 雑観57より転載
「伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が広島市内繁華街で街頭スピーチ」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/057/057.html


伊方原発再稼働反対広島1万人委員会が
広島市内繁華街で街頭スピーチ


広島市議会へ「伊方原発再稼働反対決議」請願

 話をどこから始めればいいのやら・・・。結(ゆい)・広島という市民団体がある。団体といったって、四国電力伊方原発再稼働反対で、再稼働を何とか潰せないかと考えている広島市民4人がメンバーだ。(かくいう私もその4人の1人である)

なお結・広島は昨年末に「みんなの党」から分派してできた「結いの党」とは何の関係もない。大体「結」という言葉を団体名に使用したのは、こちらが半年も前だ。

 広島市から四国電力伊方原発までは直線約100km。間は瀬戸内海だから海上遮るものなし。ご存じの方も多いだろうが、現在すべて稼働を止めている日本で運転中の原発48基のうち、伊方原発3号機は再稼働最有力候補と目されていた。加圧水型原子炉であること、唯一重要免震棟がすでに完成し実際に使用されていることなど様々な理由による。
伊方原発(2012年11月撮影:網野沙羅)

 これに危機感を募らせた結・広島が広島市議会に「伊方原発再稼働反対」の決議を出すようにという請願を出した。
これが2013年の9月頃。広島市議会議員の中では6議員がこの請願の紹介議員になってくれた。
(地方自治法では市民が議会に請願を提出する場合には“紹介議員”の存在を必須としている)

広島市議会議員51名中少なくとも6名がこの請願の政治的意義を認め紹介議員になってくれたわけだ。しかし先は長い。結・広島はこの請願
(請願人は結・広島の代表、原田二三子)
の共同請願人を募った。共同請願人は所定の署名用紙に、住所記載の上本人自筆署名をすればなることができる。広島市の最近のケースでは「学童保育」の充実を、という請願で約13万人が共同請願人となったケースがある。100万人近い有権者のいる広島で13万人の共同請願ということになると強い。これは多くの市議会議員の賛同を得てすんなり広島市当局も学童保育充実のための予算をとった。
 
 「伊方原発再稼動反対決議」の共同請願人署名だが、これは広島市居住の有権者、ということで資格を絞った。広島市以外の有権者や外国籍の人、未成年にも署名をしてもらったのだが、これは参考署名ということで別途市議会に提出することにした。

 なにしろ「広島からもっとも近い原発が四国電力の伊方原発」という事実を知らない広島市民が圧倒的に多い環境の中で、広島市議会が「伊方原発再稼働反対決議」を出すことの政治的意味を理解する人はほとんどいない。地方自治法101条に基づく「地方議会の国への意見書提出決議」との区別もわからない。こんなことを長々書いているとなかなかこの記事の本題に入れそうにないので、かいつまんでいうと、国への意見書提出では国の政策を見直しを要求するだけになってしまう。国の政策とは「原発問題はエネルギー問題」だ。要するにエネルギー問題としての原発政策を見直してくれ、変更してくれというにすぎない。

 私たちの問題の捉え方は全く違っている。原発問題はエネルギー問題ではない、私たちの暮らしや生活、永年築いてきた仕事の基盤や個人的財産、生命や健康を根本から脅かすのが原発だ、つまり「原発問題は生存権問題」という捉え方だ。なにも遮るもののない、瀬戸内海に浮かぶ伊方原発は、根本から広島市民の生存権を脅かしている、広島市民の生存権を守る第一次的責任のある広島市議会が反対決議を出して、体を張って私たちを守る姿勢を示してもらわなければ誰が私たちを守るんだ?こういう趣旨で「伊方原発再稼動反対決議」を求めることにしよう、となった。


共同請願人となることの意味

 さてその共同請願人だが、広島市議会に請願を提出した2013年9月時点で1541人。毎月末に新たな請願人を追加提出しているのだが、2014年月2月10日までに1886人になった。署名のダブりや広島市在住有権者でない人を除いたりする事務作業に手間取るのでタイムラグがある。

 結・広島は、この時点で目標を「1万人」と置いた。1万人の共同請願人のパワーを背景に広島市議会に「反対決議」をせまろう、というわけだ。「1万人」がプレッシャーになるのかならないのかは別として、また広島市議会の「反対決議」が伊方原発再稼働を阻止するどれほどの政治的圧力になるのかどうかは、これも別にして、「1万人」には大きな意味があると考えた。

 第一に、署名して共同請願人になる個人の立場を考えてみよう。広島はまず原発企業・三菱重工業の企業城下町という色彩を戦前から色濃く持っている。現在でも三菱重工業やもっと広く三菱グループ関連企業、その下請け企業、そこから自分の生活の糧をえて暮らしている人は数多い。言いかえれば「原発反対」どころか「原発問題」そのものを話題にしにくい雰囲気がある。次に中国電力が本社を広島に置き、その関連企業が広島で大きなビジネスネットワークを張っているという問題。これも「原発問題」を話題にしない雰囲気作りに一役も二役も買っている。次にあまり表立たないのだが広島銀行の存在。これも中国電力の大株主であると同時に、中国電力に対して大きな投融資をしている。そこから広島銀行は莫大な利潤を吸い上げている。(もとはといえば私たちが支払う電気料金が財源だが)

 つまりは広島地元財界は全面的に原発推進なのだ。推進の理由は明らかでその方が利益になるからだ。そして陰に陽に広島市当局や広島市議会ににらみをきかしている。にらみをきかしているだけではなく、三菱重工業や中国電力の利益代表者を市議会議員として広島市議会に送り込んでいる。

 こうした雰囲気の中で、「伊方原発再稼働反対決議」の共同請願人になるということは、それだけでちょっとした勇気と覚悟が必要になる。しかも実名と現住所まで記入しての行動だ。こういう人が1万人も存在するということの政治的意義は計り知れぬほど大きい。

 第二に、やみくもにおつきあいで署名するわけではない。最低限「伊方原発が広島から最直近の原発で、これまでのいろんな証拠から見て危険な原発」であることを知った上での署名となる。これは「ちょっとした勇気と覚悟」と裏腹の関係であるが、わかりやすく言うと伊方原発の危険に対する認識が「ちょっとした勇気と覚悟」を引き出す関係となる。


広島「1万人委員会」のスタート

 「1万人」を目標とする意味はある、と判断した私たちはたちまち困った。4人の市民グループ「結・広島」ではよくやれて2000人の共同請願人まで、というのが自己判定だ。1万人にするには、グループを拡大する必要がある。そこで2014年1月にグループ拡大を呼びかけた。そこで集まってきて呉れた市民が約10人。その10人で
「広島市民の生存権を守るために伊方原発再稼働に反対する1万人委員会」(代表・原田二三子)をスタートさせた。2014年1月18日のことである。長々しい名前だが、これも参加者で討論を積み上げて決定した名称だ。あまり長いので略称も「広島1万人委員会」とすることも決めた。毎月1回全員参加の総会を開催することも決め、そこで短期的活動方針も決定することにした。

 3月2日(日)は総会の日である。といっても1月18日にスタートしたばかりだから第2回目の総会である。各人過去1か月の活動と成果を報告した。この時代表の原田二三子から共同請願人が2000名を越えて2082人となったことも報告された。それから短期的な活動方針の話題になった。

 メンバーの1人に重広麻緒(あさお)がいる。彼女は、私と私の同僚の網野沙羅が2012年6月から毎週金曜日夕方から実施している『広島2人デモ』の常連メンバーになっている。

 私も網野も『反原発』の市民運動を開始したのは『3.11』の後だ。いわば「ポスト3.11組」である。重広麻尾は「ポスト3.11組」ですらない。彼女が「反原発運動」に身を投じるようになったのはやっと2012年の12月頃である。大体人の煽動に乗らない。自分で考えて納得してから体が動く、というタイプである。それだけにいったん決めるとなかなかぶれない。またそれだけに問題意識が鋭い。年齢はというと今年66歳になる私から見ると、自分の娘以下の年頃だ。最初会った時はてっきり21歳か22歳、と思ったほどだ。

 この重広麻尾が3月の活動方針で「本通り街頭活動」をやろうと提案した。網野の顔を見るとこれも乗り気だ。代表の原田も乗り気である。ほかのメンバーもこの提案に否定的ではなさそうだ。「本通り」というのは広島の中心部にある商店街を中心とした最大の繁華街だ。広島は東京や大阪などと比べると都市の規模が小さく、新宿・池袋・渋谷とか、ミナミ・道頓堀などと繁華街を複数個所もたない。かといって他の地方都市よりも規模が大きい。多くの地方都市では国鉄の駅(今はJRの駅)を中心にして繁華街が形成されたのだが、広島は国鉄広島駅が市の東北端に位置し、国鉄広島駅を中心に一大繁華街は形成されなかった。中心部に位置する本通り商店街を中心に繁華街が形成された。夜の歓楽街、いわゆる広島の「薬研堀(やげんぼり)も「本通り」繁華街と地続きの関係にある。

 だから重広の提案する「本通り街頭活動」は正解なのだ。正解なのだが私は内心困ったな、と思った。

その理由はもっぱら私たちのマンパワーが極めて限定されていることに由来する。「1万人」にするには、さまざまな手を打って行かなければならない。第一に労働組合に対する食い込み方が全然足りない。労働組合といってもまるで万華鏡である。最大の労組団体である『連合広島』は傘下に中国電力労組も参加する大企業労組の組合団体である。そのほとんどが企業内組合の集まりであり、内心は「原発推進派」である。まったくあてにならない。が、やはり細かく見ていくと、現業中心の労働組合の中には「原発反対」の気持ちをもった人も多く、説得していけば協力・参加してくれる見通しもついてきた。

 さらに広島市内に居住する外国人の存在もある。戦前からの流れで朝鮮半島出身の外国人(多くは日本国籍がないというだけで、みんな立派な日本人であり、日本人である以前に広島人だ)の人たちは数も多いだけでなく原発には反対の人が多い。既存の利益共同体の同心円から周辺にいけばいくほど原発反対の色彩は濃くなる。さらに外国人といえば、ヨーロッパ系、アジア系の外国人居住者だ。広島には、マツダがフォードと提携関係にあった(現在もそうだが)ことで、ヨーロッパ・アメリカ系の外国人居住者とその家族も多い。もちろん有権者ではないのだが、広報・宣伝に一役買ってくれそうな感触もある。

 また保守の牙城、広島保守政治の土台ともいうべき町内会連合の有力者の中にも、原発の危険、特に伊方原発の危険を知るにつれて「実はオレも反対だ」と言い出す人たちも出てきた。実際に伊方原発がフクシマ事故並の苛酷事故を起こしたら、最大の被害者は、永年広島の地域社会で地主や有力者として活躍してきた、彼ら、町内会の有力者かも知れない。実際にすでに賛同者の数人は地域町内会の有力者だ。

 さらに広島湾を生活の糧とする漁業者、ノリ養殖業者や牡蠣養殖業者の間にも理解者が出ている徴候がある。伊方原発から放出されている大量のトリチウムの話をすると、他の広島市民には見られない独特の鋭い反応を見せる。彼らにはどこかピーンと響くものがあるのかもしれない。

 大体広島市議会工作も満足に進んでいない。現在6人しか居ない市議会内の理解者を拡大していくという工作だ。中にはある公明党議員のように「党中央の方針があるので表だっては君らの動きに賛同できないが、個人的には伊方原発稼働に反対だ。逆に君らが賛同者を増やして呉れればオレたちも動きやすくなる」という人もいる。

 要するに私たちのマンパワーに対してやるべき課題が山積しているのだ。大体網野と私が続けている「広島2人デモ」自体、事前の準備(チラシ作り)と事後の報告でだんだん身動きがとれなくなっている。

 この上「街頭活動」を加えるとなったら・・・と思ったのが、私が内心困ったな、と感じた理由である。

 重広の顔を見た。テコでも動きそうにない。1人でもやる、という顔だ。実際彼女は、昨年私たちが仕事で「広島2人デモ」を中止せざるを得なくなった時(後にも先にもこれ1回切りである。といってこれからもその可能性がある。私たちもメシを食わねばならない)、1人切りでスピーカーとプラカードを持って本通りでデモをした実績がある。「広島2人デモ」ならぬ正真正銘「広島ひとりデモ」である。

 重広の顔をみた。私はあきらめた。そして思い直した。「大体小賢しく『資源の選択と集中』などといった論をぶってみてもはじまらない。やる、といっているんだからやるほかはない。大体世の中が動く時はこんなもんだ。なにがきっかけになるか計算はできない。それにまだまだ広島市民に関するリサーチが足りない。街頭活動でどんな反応をしめすか、どんな話に興味をもってどんな話に興味をもたないか、何が必要な情報なのか、どんな情報を欲しているのか、これをリサーチするいい機会にもなる」と思い直し、賛成した。


バタバタと街頭スピーチ活動へ

 あとは早い。網野と重広が中央警察に行って街頭活動の申請をした。車道上のデモの場合は警備課の管轄だが、歩道上の街頭活動の場合は交通課の担当になる。おまけに歩道を使用する料金として2400円もとられる。(ただし1週間有効)このお金は広島県交通協会の収入になる。広島県交通協会は警察OBの退職後の受け皿で大したことはやっていない。警察OBのメシの足しになるのか、と思うとやや業腹だがやむを得ない。

 というのは、「政治的表現の自由」という憲法で保障された権利を遂行する、ということで無届けで街頭活動もできる。しかし、実際の生活の場はそんな理屈で動いてはいない。宣伝活動をし、チラシ配りをする人間は私たちだけではない。チラシ配りで生活の糧をえている人もいる。私たちはそこに割り込むのだ。せめて「ごめんね、一応許可はとっているから」と弁解くらいはしたいものだ。また「がんがん」にスピーカーの音量は上げる。回りのお店は迷惑だろう。歩いている人も迷惑だろう。迷惑はお互い様にしろ、せめて「一応許可はとってありますから」と弁解のネタくらいはもっておかないと申し訳ない。弁解料2400円と見れば、安いといえないこともない。

 3月17日午後6時からの
街頭活動用の特別チラシをとにかく100枚ほど作って、その他に議会請願用署名用紙兼チラシを100枚ほど用意して、またプラカード2枚アクリルボードに貼り付けたマップパネルを持って現場に行った。私たちが選定した場所が、ちょうど老舗の呉服店の真ん前なので、そのチラシをもってあいさつに行き、小1時間ほどご迷惑をかけること(実際には1時間半近くになったが)、こんな内容の訴えと広報をすることが目的で決して胡乱なものではないことを断った。ご主人は受け取ったチラシを一瞥したあと丁寧な対応を返してくれたので一安心した。
▼プラカード


▼マップパネル

 あたりは、販促・呼び込みチラシの配り手で溢れている。中の1人に私たちもチラシ配りをするが、お互いに邪魔にならないようにしようと声をかけて了解し合った。

 第1日目はまったくの手探り。参加者は5人。ちょっと体の不自由な「市さん」を除いて4人が交替でスピーチにたった。
(▼3月17日スピーチする重広さん)

それでもわかったこともある。永年市民運動をやってきたと称する人からは、「デモで歩く時のスピーチは短く簡潔に」、街頭宣伝では「長めのテーマをじっくりスピーチ」できる、と聞いていたのだが、これが大ウソ。実際にやってみると、「スピーチは簡潔に要点を突いて」はいつでもどこでも通用する大法則としても、プラカードもって歩いてスピーチする方が、それだけで注目を集めて、耳目をそばだてる効果をもっているが、街頭スピーチでは突っ立ってしゃべるだけなので、それだけでは注目を集めない。「本通り」からすると見慣れた光景で珍しくもない。どんどん流れている人の耳目を集めるのは「スピーチ勝負」とわかった。それではなぜ永年市民運動をやってきたと称する人は「街頭宣伝では長めのテーマをじっくりスピーチできる」と勘違いしたのか。それも観察しているとすぐにわかった。「長めのテーマをじっくりスピーチできる」のはしゃべり手の勝手な思いこみで、流れている人は誰も聞いていない。つまり聴衆の反応などはお構いなしにしゃべっているだけなのだ。それはチラシの受け取り方ですぐわかる。つまり流れている人は、耳には入ってくる興味ある情報に惹かれて、チラシを受け取るのだ。だからまず興味ある情報を流れている人の耳に届けなればならない。これは考えてみるとかなりな高等技術だ。簡潔であるばかりでなく、内容がなければならない。

 ところがこの「内容がある」ことが曲者だ。往々にして私たちは内容がないことを内容があるように見せかけようとする。勢いセンセーショナルなことを口走りたくなる。結果、誇張してしまったり、やたらと煽動的な話を並べたり、感情にのみ訴えようとする。場合によればはっきりウソとわかる内容になってしまうこともある。これは禁じ手だ。というのは誇張合戦、煽動合戦になれば私たちが負けるのは目に見えている。向こうの方がはるかに「拡声器」が巨大だからだ。金もかかっている。

事務所に帰ってチラシを数えてみると、用意した特別チラシは8枚しか残っていなかった。つまり現場で92枚渡したことになる。別に準備した署名用紙兼チラシは20枚ほどなくなっていた。

 これはチラシの配り手によって、手持ちの特別チラシがなくなったので、たまたま持っていた署名用紙兼チラシを配ったものとわかった。初日の成果として評価のしようもない。大体評価の基準すらまだ作っていないのだから。

 第2日目の3月18日は、初日よりも若干物慣れている。参加者同じく5人。スピーチはもっと短く簡潔にすることを心がけ、申し合わせた。
 テーマは、

1.伊方原発が広島からもっとも近い原発であること。
2.伊方原発が100万広島市民の安全な生活と生命・健康に対する大きなリスク要因となっていること。言いかえれば生存権問題となっていること。
3.このため広島市議会に対し「伊方原発再稼働反対決議」を請願していること。現在共同請願人は2082人であり、この請願人数を1万人にしたいと思っていること。みなさんに参加して欲しいと思っていること。

 街頭スピーチ活動は、この日は1時間ちょっとで切り上げた。持っていったチラシ100枚と前日の残り8枚計108枚はすべてはけていた。その他に予備として持っていった署名用紙兼チラシは20枚ほど使っていた。

 なお最後に残った1枚のチラシは、本通りに自転車乗り入れを規制するためのガードマンの若い男性(本通り商店街が手配しているスタッフらしい)が持っていった。最後に残った1枚のチラシを持っていた私に、ガードマンの若い男性がものもいわずニュッと手を突き出した。目があった。チラシを呉れ、といっている。ものもいわず渡すと、ものもいわずひったくるようにして持っていった。照れくさかったのかも知れない。

 彼は仕事柄20分置きぐらいに現れて商店街アーケードの入り口に立って自転車の進入を監視している。彼のポジションでは否が応でもスピーチが耳に入ってくる。私たちの街頭活動終了とその日の彼の“仕事あがり”の時間がたまたま一緒になったのだろう。彼はチラシをもっていった。

 この日は別に飛び入りスピーチがあった。以前に広島2人デモに参加してくれたことのある人だ。たまたま通りかかったのでスピーチをお願いした。

 まだまだ3月18日も19日も続ける予定だ。
(▼3月18日18時半ごろ本通り電停前交差点 撮影:網野沙羅)