広島2人デモ、2月20日から再開します。
第122回広島2人デモ
2015年2月20日(金)18時~19時
いつも通り18時から
広島平和公園元安橋東詰め出発、
本通り・金座街を往復します。
広島で毎週金曜日18時から、元安橋東詰をスタートして歩いています。(休止中)
広島2人デモ、2月20日から再開します。
第122回広島2人デモ
2015年2月20日(金)18時~19時
いつも通り18時から
広島平和公園元安橋東詰め出発、
本通り・金座街を往復します。
哲野がしきりに新聞を読んでいる。
網野「何を読んでいるの?」
哲野「朝日新聞のbeに『達観の酒』というエッセイが出ていて、これがちょっと面白い。居酒屋探訪家の太田和彦という人が書いたものだ。」
網野「そう。beは面白いよね」
哲野「青いbeと赤いbeがあるけど、赤いbeが圧倒的に面白い。いつぞやも、愛読してきた『磯田道史の備える歴史学』に広島の土砂崩れと題する記事が出ていた。8月の例の多くの死者を出した土石流災害のことだ。磯田氏は多くの犠牲者が出たことを悔しくてならない、と書いていた。そしてすぐに浜松から新幹線に乗って東京都立中央図書館で最も死者が多かった八木地区に関する古い記録を探したと書いている。八木が広島市に合併される前の佐東町史を探し出して記録を読んだと書いている。ちょっと引用する。
『土石流が繰り返され、現物が残っているすぐ脇に県営住宅などの団地を建設していったことが、地元の町史にははっきり書いてあった。八木地区の団地造成は、1937年に三菱重工広島製作所(三菱重工祇園工場)の従業員団地の造成を相談されたことから、はじまった。そして、高度経済成長期には、グリコや雪印の牛乳工場の誘致とあいまって、団地化が急速に進んだ。この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。(基本的には今の経済界は変わっていない)自然はコントロールできると、人間の優位を驚くほどに信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ、この時代の思想のツケを後代の我々はいま支払っている。』」
網野「まるきりこのあいだの伊方デモのチラシの世界じゃない」
哲野「そうなのよ。あのチラシで広島市当局と広島市議会を大いに批判した。あの事故を人災とどうしても認識しない、その上で危機管理を推進するというわけだから。磯田氏は次のようにも書いている。『この八木村の土地台帳「地ぶり帳」(1762年)をみると、上楽寺という字がある。気になるのはこの地にある観音堂が「蛇落地観世音菩薩堂」と呼ばれ、さらに、近所に「蛇王池大蛇霊発菩薩心妙塔」と刻まれた碑が立っていることだ。土砂崩れを起こす大蛇の霊を祀ってなぐさめ、菩薩心をおこさせて、村の安寧を祈ってきたさまが想像される。』この蛇王池には蛇王池の碑が現在建っているそうだ。この碑を私財を投じて建てたのは地元の有力者で辻さんという人だそうだ。このことは中道元子さんが直接確認をしている。辻さんがこの碑を建てたのは1940年、太平洋戦争の前年だ。磯田氏が書いている1937年、三菱重工業の従業員団地がもう出来ていた頃だろう。この時にすでに土石流災害の危険は地元の人たちから警告を出されていたと考えることができる。」
網野「実際、中道さんからもそういう人が地元にいて、何度も何度も市の職員にお願いしてたのに、何の手も全く打たれなかったと聞いたしね。経済優先で災害の事は二の次だった、その意味ではあの土石流災害は人災だったんだよね。」
哲野「僕もそう思う。磯田氏はこの文章を次のように結んでいる。『上楽寺は元来「蛇落地」であったろう。それが江戸期には上楽寺という楽しそうな地名に変えられていたのだ。『佐東町史』には、「蛇落地観世音像」の写真もある。そのお顔は慈悲深い。みているうち、なんともやりきれなくなってきた。』磯田氏も明らかにあの土石流災害は人災だと考えているということだろう。このあいだ、広島市の調査報告書が公開されていたが、あの災害のことをいつの間にか広島豪雨災害と名前を変えていた。土石流災害ではどうしても人災の印象が強くなるからだろう。」(この記事は2014年9月13に日付朝日新聞beに掲載されています。また、第58回伊方デモのチラシは以下です。http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20150131.pdf)
網野「それで話を元に戻すけど、さっきは何を読んどったん?」
哲野「そうそう、その話だった。酒の話だった。」
網野「そんなこというけど、酒なんかぜんぜんのめないじゃない」
哲野「いや、僕は酒は一滴ものまないけど、この太田和彦さんのものの見方が面白かったもんでね。ちょっと引用する。『60歳を超えて酒は焼酎が増えた。お湯割りの一杯はしみじみと心を落ち着かせ、無欲の心境になる。焼酎のよいところはタクアンのしっぽとか、じゃことか、簡単な肴が合うことで、美食珍肴とは無縁だ。』とこの人は書いているけど、これほんとなんだろうか?何しろ酒を飲まないのでさっぱりわからない。」
網野「うちの父は60過ぎて、焼酎が多くなった。」
哲野「そういうもんかね。続けるよ。『ビールは青春の酒で20代が似合う。ワインは恋愛の酒で30代。ウイスキーは男同士がふさわしい40代。日本酒は人の情がわかってきた50代の酒か。』ま、ようするに酒飲みはなんだかんだと酒を飲み続けるという話にも読めるし、こういう立て分けの仕方には異論があるだろう。しかしこれはこのエッセイの本論ではない。続ける。『その伝でゆくと焼酎は、年齢60代「達観の酒」と言いたい。社会のいろいろを経験して得た人生観が、あまり強い主張をせず懐深くゆったり引き受けるような焼酎に合う。ながく生きてきて、ものごとが見えてきた。社会的地位が高い・低いなどという価値観はとうに消えた。そういうことにこだわる人はつまらん人だとわかってきた。立身出世をはたした、経済的に成功した、それがどうした。頭がいいとか、リーダーシップがあるとかも、どうでもよいことになった。人生の価値観が変わったのだ。残ったのは欲得抜きの達観だ。酒との付き合い方も変わってきた。いつまでもぜいたくな美酒趣味でもあるまい。』酒を飲まないからわからないけど、60すぎてつまらん人と奥深い人の区別がやっとつくようになってきた、という点はこの人と僕も全く同感だ。欲も得もなく、反原発運動、反被曝運動に没頭できるのも、60をはるかに過ぎたボクたちの世代の特権かもしれない、と思いながらこの記事を読んでいたわけだよ。」
網野「それって年齢の問題なの?」
哲野「つまらん人と奥深い人の区別はやはり歳を取ってみないとわからん部分もあるね。確かに。でもここは、物理的な年齢ではないかもしれない。」
網野「どういうこと?」
哲野「だから、恐らく、60歳過ぎというのは、ひとつの例え話なのかもしれない。要するに僕らはもう、社会の主役じゃないんだ。脇役なんだ。裏方なんだ。社会の主役はやっぱり30歳代、40歳代、50歳代。それだけに物事が色々見えてくるのかもしれない。」
網野「欲得抜きで、達観した目で、反原発運動、反被曝運動に身を投じる人が増えてほしいね。運動とまではいかないにしても、欲得抜きで問題をしっかり考える人が増えてほしいなぁ。」
哲野とはこういう話をすると、延々と続きそうなので、この辺で。
川内原発再稼働を止める方法-諦めませんぞ
ある日、訪ねてきた人と会話の中で、川内原発再稼働を止める方法がないか、と問われてその人(Aさん)が困ってしまった、という話。
哲野「ありますよ。簡単ですよ。
鹿児島県民一人一人に川内原発の再稼働がいかに危険で、
経済合理性に欠け、県民の健康を細胞レベルで蝕んでいるかを
科学的に理論的に、またわかりやすく説明し説得すればいいんですよ。
確かに県民の中では、川内原発再稼働から直接の利益を得てる人もいるでしょうが、
そうですねえ…95%の人は理解さえすれば、川内原発再稼働に反対するでしょう。
川内原発再稼働は一発で潰れますよ。
それでも再稼働を強行すれば、そうですねえ…ま、暴動が起るでしょう。
それ以前に、伊藤鹿児島県知事も県議会議員も全てリコールにあってクビになっちゃうでしょう。
簡単ですよ。」
網野「バカね。どこが簡単なのよ。
それができれば広島だって伊方原発再稼働反対の署名が1万人以上集まっとるわ!」
哲野「そ。簡単じゃあない。不可能に近いくらい難しい。」
網野「でもさっき簡単だって言ったじゃん!」
哲野「いや、方法論を問われたから、方法を説明した。
方法論とすれば極めて単純で簡単。」
網野「そんなの詭弁じゃない」
哲野「真実は一見矛盾と見える事象の中にある。」
網野「なによそれ。今問題になっているのは、現実に川内原発再稼働を止める方法のことよ。」
哲野「そう。Aさんが問われたのも、川内原発再稼働を止める方法だった。
その質問をした人も現実の方法を聞いてきたのでAさんも困ったんだろうね。
しかし、現実にも川内原発を止める方法は鹿児島県の人たち、九州の人たち、
日本全体の人たちに向けてこのやり方を展開する以外にはない。
この方法論を回避したまま、何かいい方法はないか、とその人は
Aさんに聞いたんだろうね。きっと。」
網野「その人は、簡単に言えば、王道を回避したまま何かいい方法はないか、と聞いてきたことになるな」
哲野「そ。例えば、デモで大勢集めれば止まるんじゃないかとか、
或いは川内原発を人の鎖でつないで話題を作ってマスコミに書かせるとか。
あるいは有名人をズラッとそろえて、説得していくとか。
たぶんそんな事を考えているんじゃないだろうか。」
網野「2012年、大飯原発再稼働の時を思い出すね。
首相官邸前に、十数万人の人が集まって盛り上がったこともあったけど、結局止まらなかった。」
哲野「あの時、僕が何と言ったか覚えてる?」
網野「今のままでは100万人集まったって原発は止まらない、と言ってた。」
哲野「そ。そう言って随分怒られたことも覚えてる。」
網野「なぜその人は、王道を回避したかったんだろうか?」
哲野「色々考えられる。王道を知らないのかもしれない。
あるいは知っていても、絶望的なまでに困難だからそれ以外の近道はないかと考えたのかもしれない。
あるいは、本気で川内原発再稼働を止めようとは考えてなくて、世間の注目を集めることが目的だったのかもしれない。
それはわからない。
しかし、そのどれにしろ、王道を歩くことを最初から放棄してることには変わりがない。」
網野「王道を歩くことは実は実現するかしないか以前に、色んな困難があるよね。
例えば原発の危険を論理的に科学的に説明するといったって
それは既存の原発に関する様々な学問的知見を打ち破っていくことだし、
経済合理性に欠けていることを説明するためには、その証明が必要だし、
一番難しいのは原発そのものが人間の健康を細胞レベルから蝕んでいくことを科学的に説明することかもしれない。
考えてみれば、王道を歩くといったって、その一歩を踏み出すこと自体が本当に難しい事だね。」
哲野「そうなのよ。王道の第一歩、や0.01歩ですら難しい。
そのために僕たちがどれほど勉強、研究しなければならないか。」
網野「そうだよねえ。人を説得するには内容を持たないといけない。」
哲野「そ。『原発反対、子どもを守れ』じゃあ誰も説得できない。」
網野「ま、それが有効になるのは、原発の危険や経済合理性のなさ、
放射能の危険が一般社会の共通認識になっている場合だね。」
哲野「うん。そうだろうね。
残念ながら日本の社会はまだその段階に至っていない。」
網野「話をもとに戻すけど、じゃどうしたら川内原発の再稼働を止めることが出来るのか。
結局不可能ってことになりはせんか」
哲野「そうはならない。王道が何か、はっきりしてくれば、
あとは努力と時間の問題だろう。
王道を回避する方法では、努力は努力じゃなくなり、問題は時間の問題ではなくなる。
王道がはっきりしていれば、その道を歩みはじめればいい。」
網野「でもそんな悠長なことしてる間に、川内原発が再稼働するかもしれないよ。」
哲野「第一の川内原発は動くかもしれないね。
第二の川内原発も動くかもしれない。
第三の川内原発も動いちゃうかもしれない。
でも、それが王道である限り、第N番目の川内原発は確実に止めることができる。」
網野「第二、第三と動いた時に、もう駄目だと王道を外れる人が多くならないだろうか。
諦めてしまわないだろうか」
哲野「ところがどっこい、王道を理解した人には『諦め』は存在しない。
つまり、王道を歩む限り、理解者は増えて行きこそすれ、減ることは絶対にない。
それが王道の強みだ。
たとえば君や僕だ。2人きりになったって、反原発運動続けるだろう?
君、諦めるかい?」
網野「いや全く。そんな気すら起こらない。」
哲野「何故あきらめないの?」
網野「だって、自分の命にかかわるんだもん。
自分の命を守るためにやってるんだもん。
いわば正当防衛行為だよね、これは。」
哲野「だろ?俺だってそうさ。俺の場合はもう、67歳だから、ま、この先長くはない。
でも、子どももあるし、孫もいる。
彼らのためには諦められないよね。俺だって正当防衛だ。
だから、君が言うように、時間がかかるから諦めちゃう人が増えるんじゃないか、ということはないと思う。
逆になぜ君がそう思ったのか聞いてみたいね。」
網野「訂正するわ。王道を入った人は人は諦めない。
『もう駄目だと王道を外れる人が多くならないだろうか。』と言ったけど、
諦める人は元々、王道にいなかった、ということだね。」
哲野「ま、簡単に言えばそうだね。
例えば、福島原発事故から4年、反原発運動は下火になっている、あるいは福島の経験はいま風化しつつある、なんていう人が結構多いだろう?それ、僕たちの実感から言うと、全然真逆だよね。じゃあなぜ、下火になっている、風化しつつあるなんてことを言うんだろうか。」
網野「表面見える活動、デモとか抗議行動とかでしか、判断してないからじゃないかな」
哲野「ま、それに、マスコミ報道の頻度や中身が、反原発運動のバロメーターだと勘違いしているからかもしれない。
マスコミ報道の頻度や中身が反原発運動のバロメーターであれば、マスコミを操作することによって反原発運動も操作できることになる。
そんなバカなことはない。操作はできたとしても、
それは見せかけの反原発運動は操作できるかもしれない。
しかし、王道を歩く反原発運動はどうやったって操作できるもんじゃない。
それは最近我々が色んな人達と新たな接触を持ったり、情報交換をしたり、
話あったりする中で反原発運動のうねりは、着実に拡がり、
大きくなっていること、これは実感じゃないかい?」
網野「そうだね。わかった人はじわじわと増えてきた、というのが実感だね。
そういう人たちは、自分自身の運動をそれぞれ着実に闘っている。」
哲野「僕もそれが実感だ。僕たちも僕たちの運動を地道に続けていくことが今一番重要だと思う。
警戒しなければいけないのは、自分たちが本当に王道を歩いているかどうか、
外れてはいないだろうか、ということだよね。」
網野「地道にやりますか」
哲野「そ。別に焦ることはないよ。」
という話になりました。
考えてみれば、何の変哲もない話ですよね。
でも、今日哲野と2人で事務所の近くを流れる天満川を見ると、その岸辺の風景が、厳寒のこの時期で、冷たい澄んだ空気の中でしか見られない、はっとする美しさだったので、私は広島という街が大好きだ、と言うと、哲野も俺も大好きだ、と答えたことを思い出します。喪いたくない、というのが実感です。
諦めませんぞ。