No.21 | 平成19年4月1日 | ||||||||||
あれほど頑強に、「従軍慰安婦問題」について、その本音では「事実」を認めなかった日本の総理大臣安倍晋三が、3月24日付けワシントン・ポストの編集欄に「安部晋三の2枚舌」と題する無署名記事が載る前後からピタッと口をつぐみ、「河野談話を踏襲する」「謝罪をする」以外を言わなくなった。 (この記事の原文は以下:Shinzo Abe’s Double Talk) このワシントン・ポストの社説的記事に呼応するかのように、3月28日付朝日新聞が社説を掲げ、下村博文官房副長官の「強制性はなかった。」とする発言に関して、「首相のお詫びが台無しだ」とたしなめた。 一見なんら関連がないかのように見えるワシントン・ポストの社説的記事と朝日の社説だが、日米の支配階級を代表する新聞同士があうんの呼吸を見せたと言った格好だ。 記事を一読されればおわかりのように、ワシントン・ポストの記事は深みもないつまらない記事である。内容は人権問題、正義の問題として、北朝鮮拉致問題にあれほど熱心な安倍首相だが、ことが従軍慰安婦問題となると全く姿勢が逆になる、これはダブル・トーク(二枚舌)ではないか、と言うものだ。国家主権が絡んだ犯罪行為と戦時女性に対する性暴力という極めて普遍的な問題を「人権問題」という共通項で乱暴に括った町の素人評論家でもいいそうな浅薄な内容である。 ところが一時は「この批判は的はずれ」と反論しかかった安倍も慌てて、口をつぐんだ。これは私の全くの推測だが、おそらくは裏からアメリカの警告が入ったのだろう。ワシントン・ポストの記事が、アメリカの支配階級の警告だと言うことにやっと気がついたのだ。「ミスター・アベ、これ以上は面倒見切れないよ。」ということだ。 朝日の社説を書いた記者は(誰かは知らないが)、このことにとっくに気がついている。わけも分からず尚も「強制の事実はなかった。」と言い張る三文政治家に、「安倍首相の謝罪が台無しじゃないか。」とたしなめている格好だ。 |
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アメリカの「従軍慰安婦」問題に対する世論は、アメリカの良心を代表する潮流が主体となって形作られてきた。この潮流は、「従軍慰安婦問題」を単に「第二次世界大戦中の旧日本軍が引き起こした過去の事件」としてとらえるのではなしに、現在に続く「戦時における女性に対する性暴力事件」の一環としてとらえている。だからアメリカの議会で「旧日本軍性奴隷制度非難決議案」を決議する意味が出てくる。アメリカの議会は今もなお、世界の民主主義国、人道主義国のリーダーとしての自負はもっているのだ。 2006年の当初からブッシュ政権はこの問題に関し、日本政府をかばい続けてきた。本来はもっと厳しい内容で2006年の秋に議会通過していたはずの「旧日本軍性奴隷制度決議案」を、当時の下院議長だったハスタードと取引してまで、この決議案を潰した。この間の事情は、恐らく昨年10月にハーパーズ・マガジンでケン・シルバースタインがすっぱ抜いた通りだろう。 しかし、永年民主党で「旧日本軍性奴隷制度」取り上げてきたイリノイ州選出のレーン・エバンズ引退後、今度は、カリフォルニア州選出の民主党下院議員マイケル・マコト・ホンダ議員がその後継者となって、昨年の決議案の内容を随分薄めた格好で、下院本会議に上程してきた。ここの見通しも、シルバースタインが予言した通りになった。ブッシュ政権もこの日本政府のメンツも立てた格好での決議案で手を打って欲しかったところだろう。 日本政府をかばい続けたブッシュ政権の顔も立つし、「人道国家」アメリカの議会の顔も立つ。今回の決議案の内容なら、日本政府とすればそのまま河野談話を踏襲すればすむわけだからみんなまるく収まる。
といったところだろう。 日本では朝日新聞などが必死で事態の沈静化を図っているが、ことはこのままでは収まりそうにない。というのは、この決議案は議会を通りそうな気配であり、もし通ったら、安倍政権がたきつけ、煽った世論に安倍政権自身が責められる。安倍政権は自縄自縛に陥ることになる。 |
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次は例の有名なユー・チューブにアーカイブされている日本のテレビ番組である。(ユーチューブは削除されていたがAmebaVisionにも同じ映像がアップされている)10分くらいのクリップなので全部見てもらってもさほど負担にはならないと思う。 まずどこの番組か私には分からない。登場人物も知らない人ばかりだ。といっても私はこの手の番組に出てくる人はほとんど知らない。調べれば分かると思うが調べる価値もない。「従軍慰安婦」問題を歪めて煽るのが目的の番組と言うことだけ頭に置いておけば十分だ。 まず今年初めの国会でのやりとりが出てくる。 民主党議員が「支持率低下についてどう思うか。」という質問を安倍にぶつけ「そんなことより民主党の支持率低下を心配したらどうか」と安倍がやり返すシーンからはじまり安倍政権の健在ぶりを印象づける。 問題はその後からだ。 男性司会者が解説画面を前に解説を始める。 「昨日安倍総理が国会でキレました。それは従軍慰安婦の発言を巡ってなんですが・・・」と前フリして国会でのやりとりを流す。 首相の安倍は、 「(アメリカ下院での)従軍慰安婦の証言は裏付けのあるものではない。事実誤認がある。」と言いきった上で、質問している民主党議員に向かって「あなたは日本の戦後を貶めようとしている。」となじっている。 この番組はそこまで見せておいて「従軍慰安婦問題」についての解説を始める。 |
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まず、「従軍慰安婦とは、日中戦争や太平洋戦争中、旧日本軍の慰安所で軍人に対する売春に従事していた女性。」と定義する。これは驚くべき定義で、これなら要するに軍人相手の売春婦といっているに等しい。最初から問題など起こりようのない定義だ。 いろんな定義はあろうが、まず誰しも異論のない定義は、アジア女性基金の定義だろう。 「第二次大戦の時期に、旧日本軍の関与のもと設置された慰安所等で一定期間、将兵に性的な行為を強いられた女性たちのことです。」 (URLはhttp://www.awf.or.jp/faq/faq.html) これが、1993年(平成5年)8月4日の河野談話になると
という定義になる。 (河野談話の全文は次:http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/comfort_women/kono_1.htm) ところが、この河野談話も実際には都市部における比較的大規模な慰安所の例で、前線に設置された「慰安所」はこんな生やさしいものではなかった。 |
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中国・山西省は共産軍と入り交じった前線が入り組んでいた。 1940年末日本軍は河東村という農村を占拠した。未亡人の尹玉林は生後半年の乳児を抱いて河東村に住んでいた。未亡人と言っても彼女は1922年生まれだからやっと18歳である。 占領した日本兵が数人やって来て彼女を白昼輪姦した。夜になると彼女を近くの陣地に連れ帰り、物置用の洞穴に監禁し強姦した。朝乳飲み子に乳を含ませるために家に逃げ帰ると、白昼日本兵が2−3人づつやって来て強姦した。こうした状態が約1年続いた。 日本軍の陣地のあった物置用の洞穴が「慰安所」であり、この18歳の女の子が従軍慰安婦という訳である。 これは「『慰安婦』戦時性暴力の実態U-中国・東南アジア・太平洋編」(緑風出版)という本に出てくる調査報告である。この約400ページに及ぶこの本はこうした調査報告で埋め尽くされている。私はまだ調べていないが、こうした報告はアムネスティにも国連人権調査委員会にもなされていることだろう。恥ずかしさと怒りでとても冷静に読める報告ではない。(我が安倍首相なら冷静に読めるかもしれない。そして言うのだろう。「ここには事実誤認がある。」) しかし「従軍慰安婦」についての国際世論の定義とは、およそ以上のようなものだ。これがこのテレビ番組の定義「「従軍慰安婦とは、日中戦争や太平洋戦争中、旧日本軍の慰安所で軍人に対する売春に従事していた女性。」との懸隔は、ほとんど無限だ。 この懸隔はそのまま日本の世論と国際世論の「従軍慰安婦」問題に関する姿勢の懸隔となって表れている。 |
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先ほどのテレビ番組に戻ろう。 以上のように定義した後、この男性司会者は
お粗末極まる認識である。 第一、「あまり関係のないアメリカ」、と言うがアメリカには実に多様な出身の人たちが住んでいる。彼等は出自はほとんど全世界にまたがっている。「旧日本軍による性奴隷の被害者」やその家族も多く住んでいる。この男性司会者はアメリカを知らないと言うべきだろう。 第二、アメリカの議会は未だに、「人道主義国家」のリーダーたる自負をもっている。これは誤っていることではない。そもそも近代民主主義に裏打ちされた国民議会は、階級・階層・グループの利害の調整の場という側面を持つと同時に、人類普遍の価値観を考え、議論する場でもある。アメリカの議会が、「従軍慰安婦問題」に、人類普遍の価値観を犯す視点を見いだすなら、それは「全く関係がない。」とはいえなくなる。逆に人類普遍の問題に沈黙を守るなら、それは近代民主主義の裏付けをもった国民議会としての見識を問われることになる。だからこの問題にカナダの議会やフランスの議会が意思表示をしても、「関係ない」とはいえない。同じ人間として大いに関係あるのだ。 第三、後で詳しく見るように、今回の「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」の真意は、第二の視点からさらにつっこんで、日本と「従軍慰安婦」として被害を受けた女性たちとの歴史的和解にある点が最も重要だ。それから、この非難決議案(全文と原文は次のURLから参照できる。 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/018/hinanketugi.htm)は対日非難決議案ではない。「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」だ。よく読んで見れば分かるが、日本を非難していない。「制度」を非難している。そしてその制度を作り運営した旧日本政府の法的継承者である日本政府に責任を明確に認めること、謝罪をすることを要求している。 恐らくは、米下院に上程された「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」をこの司会者は読んではいないだろうが、彼のコメントは、このテレビ番組の低劣さを示すと同時に、この非難決議案に対する日本人の感情的反発をかき立てることを目的としているとしか思えない。 |
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次がこの非難決議案の紹介である。ここら辺から段々この番組のネタ元が割れていく。説明は「旧日本軍は20万人ものアジア各国の女性を強制的に性奴隷としたが、その非を認めていない。」というフリップが出てくる。 実は今回決議案では、20万人という数字は一切出していない。20万人という数字は、前回2006年に提出されて結局上程されなかった「2006年4月4日に上程され、9月13日に国際関係委員会を全会一致で通過した、米議会下院旧日本軍性奴隷制度非難決議案」 (http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/the_sense_of_the_House_of_ Representatives.htm) で使われている数字だ。つまり、前回上程されなかった決議案と今回上程された決議案がごっちゃになっている。今回決議案も読んでいないこの番組の放送作家が、昨年の決議案を読んでいるとは思えない。 大体、昨年の決議案がまったく別文章であることすら知っているかど疑わしい。つまりこの番組が自力で取材した内容に基づいて番組作りが行われている訳ではない。 そうするとこの番組のネタ元は直接か間接かは別にして、外務省か内閣官房だと言うことが分かる。そこから流れた資料が、この番組の放送作家の手元に入り、この放送作家があまりよく資料を吟味せずに書いた台本だな、とおおよその見当がつく。 また司会者は「日本政府はその非を認めていない。」という解説をしているが、これもウソだ。今回決議案では、「日本の政府高官や民間の主要人物は、最近、『従軍慰安婦のつらい体験に対して日本の政府は心から謝罪すると共に自責の念を覚える。』とした1993年の河野洋平官房長官の声明(原文はstatement。日本では談話)を希薄化あるいは撤回したいとの希望を表明している。」と述べ、河野談話とアジア女性基金を高く評価している。 つまり今回決議案で言っていることは、「いったん非を認めておいたのに、いったん認めたことを薄めようとしたり撤回すらしようとしている。」だ。 だから、「その非を認めようとしない、と決議案は言っている。」というこの男性司会者の解説はウソなのである。 それどころか決議案は、「米国下院は、国連安全保障理事会第1325決議案に賛成すると共に、人間の安全、人権、民主主義的価値、法の規則などを推進している日本の努力を称揚するものである。」と述べ、また「米国下院は、日本政府高官や市民がこの問題で熱心に活動し同情を寄せた結果、1995年に民間のアジア女性基金が創立されたことを称揚するものである。」とその後の日本政府の前向きな姿勢を評価すらしているのである。 |
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まさかこの番組が、ネットワークのキーステーションが制作した番組ではないだろうと思うが、ここまでくると、関西テレビのねつ造番組事件のように、これは、ねつ造ではないかという疑いも出てくる。なまじニュースショーの形を取っているだけに余計悪質かも知れない。 これは、決議案の内容をねじ曲げてでも、国民の反発を煽りたいという意図以外に、この作りは、ちょっと考えようがない。男性司会者が「スレーブ」と発音できずに「スライブ」と発音して誰かに注意され、落ち着き払って言い直したのはご愛敬だ。 次にもすらっとウソを入れている。「疑問・反論の封殺」をしろといっっている、と言うカ所だ。決議案を読めば分かることだが、どこにもそんなことは言っていない。恐らくは「ナチス・ドイツのホロコーストに対する反論や疑義を法律で禁じたヨーロッパの一部の国の措置にも似た仕組みを意図しているものと思われる。」とかなんとか書かれている原資料を放送作家が早とちりしたものだろう。 次がまた傑作である。「イアンフ」という言葉を使って国際語化を図る意図があると解説していることだ。どの文書を読んで見ても分かることだが、「イアンフ」という言葉は出てこない。替わりに「コンフォート・ウーマン」(Comfort Women)という言葉が使われている。国際共通語化を図ろうとしているのは「イアンフ」という言葉ではなく、「コンフォート・ウーマン」である。 恐らく、原資料の中では、「慰安婦」に相当する英語「Comfort Women」を国際共通語とする意図がある、となっていたはずだ。それを放送作家氏が「イアンフ」を国際共通語化しようとしていると勘違いした。それでなければ唐突に「イアンフ」を共通語化しようとしている、と言う解説は全く説明がつかない。決議案にも、この問題を審議した公聴会でも「イアンフ」という言葉は一切使われていないのだから。 |
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ここで、解説者の一人が発言する。
この解説者が、決議案を読んでいないことは明白だろう。もし読んでいれば、「今回の決議案では確かに20万人という数字こそあげていませんが、女性を強制的に性奴隷にしたと事実無根なことをいっている訳ですよ。しかも一度謝罪したけど、その謝罪では不十分だと、今の総理に謝罪しろと言っているわけですから。」と取り繕ったはずだ。 しかし、この取り繕いも途端にほころびている。というのは、一度謝罪した、というのは河野談話のことだろう。その河野談話では、人数は上げていないが、相当数が強制的に性奴隷として使われ、その状況は悲惨なものだった、と認めている。河野談話を根拠に持ち出す限り「謝罪と強制性」はワンセットなのだ。河野談話を持ち出す限り、謝罪の事実は認めろ、しかし強制性はなかった、と言うことは出来ない。 しかしどちらにせよ、「自分は読んだ」と断った上で、書かれてもいないことをまことしやかにテレビで喋るこの男の罪は重い。 |
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次の男性司会者の説明が、また不正確というかウソである。「慰安婦に関する決議案はこれまで8回提出されていてすべて廃案になっている。」というくだりだ。廃案という言葉もちょっとおかしいと言う気がするが、この言葉の意味するところは下院に上程されたが、賛否が問われずにそのまま会期終了になった、ということだろう。否決されれば廃案とは言わない。ところが下院の小委員会を経て本会議に上程されるのは今回が初めてなのだ。8回という数字がどこから出てきたのか全く不明である。 ここで今回決議案の提案者であるマイク・ホンダ議員の話になる。男性司会者はこの提出の背景には、アジア系団体の働きかけがある、と前置きした上で、話を「カツヤさん」という解説者に振る。 このカツヤなる人物の話は、かなりアブナイものである。はっきり言えば名誉毀損に相当するだろうと思うのだ。 このカツヤという人物は、ホンダ議員を「自称日系人ですよ。」と切り出し、おおよそ次のように説明する。
あとでも見るが、カツヤはマイク・ホンダが永年下院議員を勤めてると思いこんでいるのではないだろうか?ホンダが下院議員に当選するのは2001年である。
1999年は、ホンダはまだカリフォルニア州の州議会議員だった。 ここで男性司会者が合いの手をいれる。
カツヤが答える。
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カツヤの話は、今回の決議案の背景には、北朝鮮がいる。日朝、米朝協議の始まるこの時期を選んでわざわざ決議案をだして来た、ということである。結論からいってデマという他はない。 この種類の話はとりつく島がない。すべてあいまいだからだ。 つまり事実関係がはっきりしないまま、話がどんどん進んでいくので、誤りがあったとしてもどこがどうといえない。 こういう話には事実関係をもって対抗する以外にはない。 マイケル・マコト・ホンダは1941年6月27日、北カリフォルニアのウォールナット・グローブで生まれているから、なるほど今年66歳である。翌42年1歳の時、コロラド州にある日系米人強制収容所に入れられている。入れられたというよりも両親が日系人だったために一緒に入ったというべきかも知れない。両親と一緒に強制収容所を解放され、北カリフォルニアに戻ったのは1953年のこと。ホンダが12歳の時だったことになる。金もないコロラドからの旅だから、相当つらい思いをして戻ったことは想像に難くない。 その後、両親はサンノゼの農業地帯でいちご栽培農家を営む。といってもシェアクロッパーだから、小作農である。通った学校はサンノゼ・ハイ・アカデミーである。カリフォルニア州で2番目に古い公立高校である。カリフォルニア州選出の下院議員ドン・エドワーズや日系人で初めて閣僚となった元運輸長官ノーマン・ミネタもこの高校の出身である。 もちろんマイク・ホンダも同高校卒業の有名人の一人だ。カツヤという人物が言うように素性の怪しい人物では決してない。自称日系人でもなくれっきとした日系人だ。1968年にサンノゼ州立大学を生物科学とスペイン語で学士号を得て卒業した。27歳での卒業となる。両親が身を粉にして働き子供にだけは教育を受けさせたという典型的な移民家族だ。 大学時代はケネディ大統領の理想主義に共鳴し、米国平和部隊に志願しエル・サルバドルで働いた。このためスペイン語は非常に得意という。 |
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卒業後は科学の教師となる。2つの公立学校の校長も務めた。1971年、当時サンノゼの市長だったノーマン・ミネタがこの若き教育者をサンノゼ市の計画委員会の責任者に指名する。ホンダが行政・政治に関わる第一歩を同じ日系人だったミネタが与えたことになる。南部ではまだ黒人が事実上の差別を受けていた時代だ。そのわずか十年前には、東部ですら日本人が部屋を借りに行くとピシャリとドアを閉められた時代だ。 カツヤが言うように、日系人の身で「人種を金に換えるブローカー」が地域社会の信頼を得られるとはとても思えない。ホンダ自身も努力したであろうが、ミネタの目からみても信頼のできる青年だったと考えるのが妥当だろう。その10年後1981年にはサンノゼ統一教育委員会の委員の一人に選ばれる。もともと教育畑の人である。1990年にはサンノゼがあるサンタクララ郡の行政機関執行部入りをする。 そしてカリフォルニア州の州議会議員に立候補し、1996年から2001年まで民主党の州議会議員を務める。2000年には、民主党の米下院議員候補に指名された。カリフォルニア州第15地区から2001年に下院議員に立候補、共和党対立候補を破って見事に初当選した。1区1名の完全な小選挙区制である。 カツヤがいう1999年ごろはまだカリフォルニア州議会議員であり、カナダの何とかという大会に出席したかもしれないし、また朝鮮総連系の日本の新聞が大いに持ち上げたかも知れない。カツヤの話はそうではない、といえないほど曖昧なのだ。 しかし、北朝鮮に持ち上げられて、下院議員になったのではないことは確実だ。(しかしカツヤさん、大丈夫かな。アメリカの議員に向かって、イギリスに好意的、日本に好意的というのは大して問題にならないが、背景に北朝鮮がいる、というのは少々勇気のいることである。よほど裏付けの証拠を持っておかないと・・・。) 2007年には、新たに就任した民主党のナンシー・ロペシ下院議長が、ホンダを予算委員会の委員の一人に指名した。これはちょっとした驚きである。というのは予算委員会のような重要委員会の委員になるというのは、通常何年も椅子が空くのを待つものであり、また結局有力委員会の委員になれないまま、引退を迎える議員も多い。予算委員会の椅子はホンダのような新参ものがたやすくとれるものではない。 ホンダがどれほどの政治力を発揮したかは知るよしもないが、急速に下院民主党の有力議員の仲間入りをしつつあることは間違いない。 |
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はっきりしていることがある。男性司会者はホンダが、何度も何度も慰安婦に関する決議案を提出したような印象の発言をしていたが、ホンダがこの決議案を提出するのはこれが初めてである。 これまで、この決議案の主唱者は、引退したイリノイ州選出のレーン・エバンズだった。エバンズは引退にあたってこの問題の後継者にホンダを指名し、ホンダはこれを喜んで引き受けた。 もう一つはっきりしていることがある。昨年レーン・エバンズの提出した「旧日本軍性奴隷制度」が下院本会議に上程されないことが決定的になった2006年9月末の時点で、中間選挙後年明け2007年の1月以降の議会で、再び表現を和らげた内容で上程されることはワシントンの政界では常識だった。 昨年10月6日の時点で、ハーパーズ・マガジンのケン・シルバースタインは次のように書いている。
北朝鮮の核実験はこの直後のことであり、六カ国協議など影も形もない頃だ。ましてや米朝協議や日朝協議など想像もつかない。安倍訪米も政治的日程に上がっていない。 はっきりしていることは、今回の「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」の下院上程と、北朝鮮問題・安倍訪米は何の関係もないと言うことである。 |
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さて、テレビ番組の続きを見ておこう。 テレビ番組は河野談話の紹介を行い、安倍の見解を紹介している。 「安倍首相は基本的に河野談話を継承するが、官憲による強制性はなかった、と述べている。」 河野談話は「旧日本軍による強制の事実はあった。だからお詫びする。」という内容が骨子になっている。先述のように「謝罪と官憲による強制性」ワンセットである。 だから安倍が言うように河野談話を継承しながら、官憲による強制はなかった。」とするのは言葉のアクロバット、子供だましの詭弁である。この時点では安倍は政治のアクロバットも演じることが出来ると考えていたようだが、その後、冒頭に見たようにワシントン・ポストの警告を受けていっぺんにシュンとなってしまった。 次に、このテレビ番組は、広義の強制性と狭義の強制性を持ち出して、安倍の見解を代弁している。広義の強制性とは業者による甘言・強制だ。狭義の強制とは官憲による強制のことだ。もともと広義の強制性などは誰も問題にしていない。 なのに安倍はあえてこの区別をもちだし、河野談話との整合性を図ろうとした訳だが、先にも見たように「謝罪と官憲による強制」はワンセットなのだから、整合性を取りようがない。 しかし冷静に考えてみれば、広義・狭義も実体的には、同じことだった。業者が、旧日本軍の慰安所を開こうとしても、旧日本軍の指示や協力、命令がなければ何一つ出来なかったのだから。まるで言葉の遊びである。安倍という人物の政治家としての資質の低さを示す以外の何ものでもない。 |
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すでに引用した、「『慰安婦』戦時性暴力の実態U」の中にはいくつも官憲関与の実例が挙げられている。天津日本軍防衛司令部の慰安所設置に際して、司令部は伎女(日本風にいうなら玄人の女性)を150名を供出するようにと、地元の伎女業者の団体に命じた。ところが伎女はおそれて誰も出てこない。司令部は地元の警察(当時日本軍に協力する中国人もいた)に命じて80人の伎女をとらえさせ、司令部に連行した。司令部では彼女たちを検査の上、列車で南方に移送し、約二ヶ月後に解放された。(同p168からp169)。 これはこの本の別な記述から私がする想像だが、恐らくこれらの女性は、1日50人から100人の日本兵の相手をさせられたことだろう。1回5分から10分だったという。彼女たちが伎女だったゆえにこれを強制性を伴った売春ということができるだろうか? この章の執筆者、ジャーナリストの西野瑠美子は問題の本質に迫る、鋭い指摘を行っている。少々長い引用になるが、ご辛抱願いたい。
日本の首相安倍の脳天気な言葉の遊びとは異なり、ここには奥底深い、またすそ野も広い、「旧日本軍従軍慰安婦制度」の犯罪性の本質が見え始めている。「旧日本軍従軍慰安婦制度」の実態解明はやっと緒についたばかりという認識が極めて重要になる。また、この実態解明が終了しなければ、「従軍慰安婦」制度の被害者への謝罪が本当は完了しない、そして日本の第二次世界大戦の清算が終了しない、という認識がもっと重要になる。 |
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さてテレビ番組に戻ろう。 ここで男性司会者は「スダ」という名前の別な解説者に、広義・狭義の強制の問題をふっている。このスダという人物は次のように解説してみせる。
男性司会者はカワムラという解説者に水を向ける。ここで最初に登場した解説者がカワムラという名前であることが分かった。 カワムラは次のようにいう。
もうこうなると河野談話も何もあったものではない。事実関係の解説と言うより、自分の信念の披瀝と言う他はない。 男性司会者もこれはダメと思ったか、カツヤに水を向ける。
安倍さんは河野発言(談話)を否定している、とカツヤは初めてまともなことをいった。カツヤは次のように続ける。
結局このカツヤの発言は、一番最初の従軍慰安婦とは何かの定義の問題に帰着する。 「従軍慰安婦とは、日中戦争や太平洋戦争中、旧日本軍の慰安所で軍人に対する売春に従事していた女性。」とこの番組は冒頭で定義した。 この定義は河野発言やアジア女性基金の定義とは異なっている。また今名乗り出ている「性暴力を受けた被害者女性」の定義とは全く異なっている。同じ言葉を使いながら全然別個の話題をテーマにしている。だからこの人はこの話題から外れるか、あるいは同じ定義で同じ話題を語るか、どちらにかにすべきなのだ。 しかしカツヤは相変わらず、従軍慰安婦という言葉を使って、別な話題を語り続ける。意図的なのだ。論理学で言う詭弁の一つの方法である。つまり論点のすり替えである。子供だましだが、物事をちょっと深く考えてみようとしない人には有効である。従って「従軍慰安婦」という言葉のもつ欺瞞性もある程度有効である。 |
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ここで男性司会者は話題を変えて、今回の米下院「従軍慰安婦非難決議案」が出てきた背景の解説に移る。
これは事実だ。この番組は肝心の決議案の言葉を紹介しないので、わかりにくいが、決議案の骨格をなす重要な文言だ。もう一度引用しよう。
だから決議の第一項
ただこの問題は司会者が言うように安倍政権に対する牽制ではない。決議案全体の重要な骨格である。だから、当然明記してある。 この司会者は続ける。
今安倍は「謝罪している。」と何回も繰り返すようになったのは、先に紹介したとおりだ。問題はそこにはない。問題は被害者が受け入れられる謝罪かどうかだ。 |
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もうこのテレビ番組の検討はいいだろう。 問題は、こうして煽られた日本国民が、どこに向かっていくかだ。行き着く先は、「旧日本軍従軍慰安婦制度」解明の店ざらしであり、排外主義であり、自己満足的な国粋主義、国際的な孤立であろう。それはいつか来た道である。 ところで、このテレビ番組がついに問題にしなかったポイントがある。 それは、何故マイク・ホンダがこの決議案を提案したか、という問題である。 先ほどのカツヤのように、背景に北朝鮮がいてその北朝鮮が金でマイク・ホンダを動かしていると考える人は少ないだろう。何しろ自国の核兵器開発問題とマカオに預けてあるわずか2500万ドル(29億円)を引き替えにするほど金のない国だ。金で米下院を買い占める余裕はまったくない。 しかし、ジャパン・バッシングの一種だと思っている人は意外と多いのではないか?「アメリカは日本に反感を持っている。」と感じている人も多いはずだ。 マイク・ホンダの真意は、本人に聞いてみるのが手っ取り早い。 この決議案が下院本会議に上程されたのは2007年1月31日。その2週間後、2月15日下院でこの決議案を審議するための公聴会が、開かれホンダは提案者として、証言台に立った。 この時、ホンダは3人の被害者をワシントンに呼んで証言させている。ホンダの証言は、この被害者の証言に先立つものだ。この証言のトランスクリプトは彼自身のサイトに掲載されている。またこのサイトでは彼の証言ビデオを見ることができる。わずか10分足らずの証言だ。 (原文:http://www.house.gov/list/press/ca15_honda/comfortwomentestimony.html 日本訳はhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/comfort_women/mike_honda.htm) この証言で彼の真意は尽くされていると言っていい。 (なお、以下従軍慰安婦という言い方はやめて、ホンダが証言で使っているcomfort women-コンフォート・ウーマンを使うことにする。従軍慰安婦という言い方そのものが、言葉の中に欺瞞を含んでいるからだ。言葉の正しい意味での従軍慰安婦はいたが、今それは話題ではない。) |
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ホンダがコンフォート・ウーマンの問題に注意を払い始めたのは、学校教師時代だという。そして今から20年前、日本の文部省がコンフォート・ウーマンに関する記述を教科書から削除しようとしていることを知ったという。
ここでホンダは「和解」という言葉を使っている。元の言葉はreconciliationで2つの相克する対立項がやがて一つの新しい融合物に昇華することを指すらしい。ヘーゲル哲学でいうアウフヘーベン(止揚)によく似た概念だ。ただreconciliationは、カトリック神学に由来するのに対して、止揚はギリシャ哲学弁証法にその淵源があるという違いがある。 いずれにせよ、「和解」はホンダの文脈の中では常にキーワードだ。彼は歴史的和解の重要性を、自身の日系人収容所の体験を通して学んだという。 太平洋戦争が勃発し、日系アメリカ人はその市民的権利も、憲法上の権利も剥奪された形で強制収容所に入れられた。ホンダもコロラド州の収容所に入れられた。戦後収容所から解放された後も、被害者である日系アメリカ人とアメリカ社会の歴史的和解は成立しなかった。 その和解が成立したのは、実に40年後の1988年だったという。
この時やっと歴史的和解が成立し、
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明らかにホンダは、迫害を受けた日系人としての自分の立場と、旧日本軍によって性的虐待を受け、健康と青春を奪われ、人間としての尊厳と誇りを踏みにじられた被害女性の立場を重ね合わせている。 そしていう。
そうしてこれまでの日本政府の姿勢を次のように評価する。
しかし、歴代首相の手紙を伴った一人あたり200万円の金銭的補償は、決して被害女性の受け入れるところではなかった。事実上全額政府資金をもって設立しながらあくまで民間ベースの補償は、日本政府が心からの謝罪をしたものとは見なされず、ホンダ流に言うなら、歴史的和解を拒否されたのである。
ホンダの言うところは、結局日本政府は、心から謝罪をしたものではなく、口先だけのものだった、ということだろう。 ここでいう自民党の有力者というのは、かつて「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーだった議員たちが代表例だろう。 この会の代表は今自民党政調会長の中川昭一、幹事長は衛藤晟一、事務局長が今首相の安倍晋三。朝日新聞2007年3月28日付けの「ニッポン人脈記」によれば、副代表の松岡利勝は今農水相、事務局次長が例の問題発言をした現官房副長官の下村博文、幹事長代理が高市早苗。長勢甚遠、菅義偉、渡辺喜美はいずれも今閣僚だ。根本匠は首相補佐官。オブザーバー名簿にあった塩崎恭久は官房長官。やはりメンバーだった佐田玄一郎は政治資金問題で閣僚を辞任した。 この記事の筆者の朝日新聞早野透は「安倍内閣とはつまり『若手議員の会』内閣なのである。」とこの記事を締めくくっている。 この人たちは日本をどこに連れて行こうというのだろうか。しかしいずれにせよ、満州国国務院実業部総務司長・東条内閣商工大臣・第56・57代内閣総理大臣・昭和の妖怪、岸信介の亡霊にとりつかれた人たちであることは疑いようがない。 |
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もし、日本がコンフォート・ウーマンとしての被害女性との歴史的和解に失敗したら、次に何が起こるか?ホンダの証言はこのように言う。
もし日本がコンフォート・ウーマンとの歴史的和解に失敗すれば、アメリカとの同盟関係にヒビが入り、近隣諸国だけでなく、広く国際社会が日本政府の人権問題に対する姿勢に疑問を持ち、国際社会でリーダーシップを発揮することは難しくなるだろう、というのだ。 まさにこの点が、ワシントン・ポスト紙の記事の警告の中身であり、安倍をして黙らせたポイントだ。 ホンダはなおもこういう。
このホンダの言葉に、日本人の血を受け継いだものの誇りを感じ取るのは私だけだろうか? 政治とは現実である。しかし同質同量に政治とは理想でもある。 このホンダの言葉が胸に響かないようであれば、政治家をやめた方がいい。 醜い日本人には美しい日本は作れない。 |
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