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(2009.7.7) |
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決着がなかなかつかなかった、IAEA(国際原子力機関)の事務局長(Director General)に、09年7月3日、日本の天野之弥氏が選出された。
<http://www.iaea.org/NewsCenter/News/2009/dgappointed.html>
この3月の選挙では、投票国35カ国の2/3の票が得られず、今回へ持ち越しとなったものだが、難産の末やっと当選した。この間の事情を、読売新聞ウィーン特派員、金子亨の記事『IAEA事務局長選、天野氏「薄氷の勝利」舞台裏』は比較的良く伝えている。(といっても、あくまで日本側から見た裏事情だが)
<http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20090704-00159/1.htm>
短い記事なので全文引用しよう。
『 |
【ウィーン=金子亨】2日に行われた国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長選で、天野之弥(ゆきや)・在ウィーン日本政府代表部大使(62)が当選した舞台裏に、「支持が無理なら棄権を」と対立候補の支持国に働きかける日本の外交攻勢があったことが3日、明らかになった。当選には、35理事国の3分の2を超す24票が必要だったが、「あと1票」の壁がどうしても越えられなかった。そこで、規則上、無効票扱いとなる「棄権」に的を絞り、勝利ライン自体を23票に下げる頭脳作戦だった。2日午後0時35分(日本時間同7時35分)、理事会議長から休憩が宣告されると、日本は最後の説得工作に乗り出した。「信任投票に持ち込まれたら、ノーじゃなく棄権してください」
午前中の3回にわたる決選投票で、日本が推す天野大使の得票はいずれも23票にとどまっていた。午後3時の投票再開まで2時間余しかなかった。天野氏自身、受話器をとり、ウィーン駐在のIAEA理事らの説得に当たった。日本の在外公館も、各理事国政府に要請を重ねた。だが、相手候補である南アフリカのミンティIAEA担当大使(69)を支持した12票は、先進国の核政策に不信を持つ途上国が大半で、切り崩しは困難をきわめた。
前回3月の第1回選挙でも、1票差で涙をのんでいた。麻生首相や中曽根外相も多数派工作に乗り出し、「とりつけた約束通りなら、一発で天野氏が当選していた」(外交筋)はずだったが、口約束と実際の結果が異なるのは国際機関の秘密投票の常。3月以降は、「経済支援など、相手の国益になる様々な提案を持ちかける」(関係筋)なりふり構わぬ外交を繰り広げた。他の国際機関の選挙で日本が協力する見返りに、天野氏支持を求める取引を持ちかける場面もあった。
対立候補への支持に寝返ることに抵抗がある途上国も、棄権なら応じるかもしれない−−。日本は、そう読んだ。投票再開は午後3時6分。議長から結果が発表された。「信任23、不信任11、棄権1」。日本の読みが当たった瞬間だった。だが、投票が行われた議場は、拍手もなく静まり返った。激しい集票合戦が、今後の組織運営に影を落とすことを予感させた。棄権した理事国はどこだったのか。日本の関係者は口をつぐむが、ある関係者は、日本の援助を望む中南米の国名を挙げた。』 |
この記事に拠れば、西側諸国の支援を受けた日本の天野有之弥氏の票はどう頑張ってみても23票。35票の2/3以上は24票以上である。そこで、「途上国」側のある国を棄権させた、というのである。その見返りには経済援助を約束した事を匂わせている。(恐らく事実だろう。)この国が棄権したことで、有効投票総数は34票となり、その2/3は22票。23票なら当選、というわけだ。
これは一面、日本がIAEA事務局長の椅子を金で買った、ということを意味するだろう。(もし事実なら、薄汚いことをするものだ。)
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本来天野之弥氏は、モハメド・エルバラダイ現事務局長には及ばないものの、IAEAを代表する“顔”の一人である。2005年、エルバラダイがIAEAと並んで、ノーベル平和賞を受賞した時、IAEAを代表してノーベル平和賞を壇上で受け取ったのは、当時IAEAの理事会議長だった天野之弥氏だった。この年、平和賞の候補として日本の被爆者団体も最後までエルバラダイやIAEAと争った、と見られている。そのIAEAの“顔”として天野氏が壇上に立ったことは、日本の被爆者団体の平和への貢献を評価する意味合いもあったと考えられる。
天野氏の人格や手腕について疑いをもつ人はあまり多くいないのではないか?だから、天野氏が事務局長当選にこれほど苦労したのは、天野氏に対する警戒ではなく、天野氏を直接支援する日本政府とその背後にいるアメリカ及び西側先進国(この言葉もそろそろ考えないといけないなぁ。核兵器廃絶というテーマに絞って云えば、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、太平洋諸国の方が先進国になってしまい、“西側先進国”は“金儲け先進国”で、核兵器廃絶の政治思想からみると完全に後進国になってしまっている。)に対する警戒感であろう。 |
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一体、発展途上国は、「西側先進国」の何を警戒しているのだろうか?
ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナンというそうそうたる(おどろおどろしい、といってもいい)顔ぶれが、「核兵器のない世界」という表題の共同論文を、アメリカの保守紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」の1月4日付けに発表したのが、07年。
そのちょうど1年後に、同じ顔ぶれで今度は「核のない世界」を発表する。中身はほぼ同じで、「冷戦が終わって、核兵器の脅威は、ロシアからはなくなった。今脅威はテロリストから来ている。テロリストに核兵器や核分裂物質がわたらないようにすることが世界を核非兵器の脅威から守る事になる。」という趣旨だ。
「核兵器は人類にとって危険で、45年以降のアメリカの政策は根本から誤っており、われわれも過ちを犯した。今、主権国家以外の勢力、たとえば、テロリストたちの手に渡る危険性も出てきた。核兵器は今すぐ廃絶しなければならない。しかし、アメリカが一方的に廃絶するわけにはいかない。だから、核兵器保有国同士で集まって、世界同時廃絶への日程を決め、核兵器の範囲、査察・検証方法など、直ちに廃絶へ向けて話し合いに入ろう。」という趣旨では、もちろん、ない。
そうして、08年11月12月合併号の、アメリカの外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ」に「ゼロの論理」というタイトルで、「核兵器削減交渉は進めなければならない。世界は核兵器の危険にさらされている。削減交渉はやがて世界の核兵器をゼロにするだろう。」という、ちょっと首をひねる論文が発表された。というのは第一次世界大戦以降、軍縮交渉はいやと云うほど開催されたが、一度も軍縮で軍備がゼロになった試しはないからだ。核軍縮交渉も例外ではない。軍縮交渉とは常に「兵力」の現状維持、精々いって縮小均衡を目的とするものだからだ。核軍縮交渉の本質も変わらない。それは「核兵器大国」の現状維持、精々いって縮小均衡を目的としている。だから「ゼロの論理」は、永遠に的を射抜かない、「ヘラクレスの矢」なのだ。
バラク・オバマのアメリカ大統領就任(09年1月)をはさんで、4月の「プラハ演説」。この内容は先の4人の共同論文、外交問題評議会の「ゼロの論理」と明白な同心性がある。それは、「核兵器のない世界」をうたい文句にしながら、核兵器のみならず、平和利用の核技術、核分裂物質までも「拡散」させないと主張している点だ。テロリストの脅威は、これら主張の論拠として使われているに過ぎない。
従って本当の狙いは、核兵器のみならず核技術、核関連施設建設・運営技術、ノウハウ、核兵器用に限らず、平和利用の核分裂物質の囲い込みと独占保有にあると考える事ができる。 |
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これが実現すれば、世界はどうなるか?
広汎な核技術と経験をもつ、いわゆる「西側先進国」と核エネルギーの平和利用が緊急の課題であるが、全く核技術をもたず、「西側先進国」から購入し、たとえば原子力発電所を丸ごと購入し(ターン・キー方式)、核燃料から廃棄物の処分、また運営・保守まで「西側先進国」に丸投げし、単に核エネルギーを利用するだけの「核エネルギー消費国」に二分されることになる。
これは「地球温暖化問題」とも密接に関連しているが、2050年まで、現在の調子で地球の人口が増え続け、また中国・アジア諸国を中心に人々の生活水準が向上していけば、当然われわれは化石燃料に頼る事はできない。代替エネルギーが間に合わないとすれば、原子力エネルギーに依存せざるを得ない。つまり、2050年までを一つの区切りとすれば、「原子力発電市場」はとてつもない有望市場ということになる。IAEAの報告の中には、2025年までに「世界はあと2000基の原子力発電所」が必要という報告もあるそうだ。
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まだ、私はこの報告書を直接インターネットで見つけていない。) |
世界を「核エネルギー供給国」と「核エネルギー消費国」に2分する。そうして「核エネルギー供給国」、もちろんその頂点にはアメリカがある、がここから莫大な利益を上げ、「核エネルギー消費国」はそこから利益を吸い上げられる、という構図は、実は今から60年以上も前の、アメリカの核エネルギー開発計画がスタートした時、(もちろんそれは、マンハッタン計画という核兵器開発計画としてスタートしたが)、46年米原子力委員会がスタートし、アイゼンハワー政権の時、米原子力委員会の国際版として、IAEAが発足した時、アメリカの金融独占資本とこれを支えるグループが夢見たことだった。
東芝グループ、三菱グループ、日立グループを中心とする日本の大企業グループも当然このおこぼれに預かる。
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だから、日米安保条約を中心軸とする日米同盟はやめられない。) |
しかし、この構想は(もしあるとすればだが)、明白に核兵器不拡散条約(NPT)の精神に反する。NPTは、既核兵器保有国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)に、将来の核兵器廃絶を前提とした、誠実な核軍縮努力を求める一方、非保有国には核兵器を将来にわたって持たないことを求め、これを加盟各国は承認し、各国の国民議会でそれぞれ承認している。その代わり、平和的核エネルギーを利用し、これにアクセスすることは、加盟国の平等な、奪い得ない権利である、と述べている。だから、「核エネルギーの供給国」とこれの「単なる消費国」という、「西側先進国」にとって極めて都合のよい2分法は、当然このNPTの精神に真っ向から反する。
( |
話は変わるが、核兵器を持つ事を日本の憲法は禁じていない、核兵器をもつことを議論すること自体は自由だ、と主張する日本自由民主党の諸君は、同時にNPTとの整合性の問題も議論しておいた方が良い。でなければ、核兵器を保有する政策は現実的な政策になりえない。核兵器を保有するということは、NPTからの脱退を覚悟している、という事になろう。ちょうど北朝鮮のように。これをセットで議論しておいた方が政策実現性は増す。でなければ、国内向けのポーズと見なさざるを得ない。) |
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NPTの加盟国は現在190カ国を越す。ところが、一方で非公式に、言い換えればNPTの枠外で「供給国グループ」なるものが結成され、その参加国は約50カ国。この50カ国が何らかの形で供給業務に携わり、その他の国は単に消費するだけ、という構図だ。
核技術をもたない、あるいは経験の少ない国々のことを、ここで「核後進国」と呼んでおこう。「核後進国」は、核兵器を保有する意思も能力も全くないが、平和利用における技術は手に入れたいと考えている。でなければ、各国の国民の冨は、みんな「西側先進国」に吸い上げられる。こうした「核後進国」のシンボルがイランだ。
イランは、西側先進国のいいなりにならずに、自ら核技術を手に入れ、「核エネルギー平和利用産業」を国産化しようとしている。アメリカはこれが気に入らない。イランを認めれば収拾がつかなくなる。現在の核大国、イギリスやフランス、あるいはロシアや中国、言い換えれば国連の常任理事国だが、彼らにとっても割りの悪い話ではない。彼らもまた「核エネルギー供給国」だからだ。「イランの核疑惑」の本質はこれである。
この本質に、中東情勢、言い換えればイスラエルとイスラム世界の対立が絡んでいる。いまやイスラム世界の盟主は、エジプトでもなくシリアでもなくトルコでもなく、イランである。イスラエルは国際社会(内容は西側先進国グループのことだが)の力を借りて、イランを叩いておきたいと考えている。だから、「イラン核疑惑」を執拗に追及する西側世界になんとか、イラン追及の手をゆるめないで欲しいと考えている。
これが、「核供給国」と「核後進国」の対立構図にオーバーレイするもう一つの対立構図だ。
こういう状況の中で、IAEAの事務局長に天野之弥氏が、前述、読売が伝えるように、一種の買収までして、当選した。
この「天野当選」の本質をもっとも良く伝えている記事の一つが「反戦ドット・コム」(Antiwar.com)の「新しいIAEAのトップ:イラン核兵器模索の証拠なし、と語る。」
(New IAEA Head: No Evidence Iran Seeking Nuclear Weapon)
<http://news.antiwar.com/2009/07/03/new-iaea-head-no-evidence
-iran-seeking-nuclear-weapons/>であろう。09年7月3日付である。短い記事なので、関連記事をたどりながら追ってみよう。
(『』引用は、反戦ドット・コムの記事の翻訳引用である。)
ジェイソン・ディッツ(Jason Ditz)の署名記事は次のような書き出しで始まる。
『 |
新しい国際原子力機関(IAEA)の事務局長、天野之弥は“西側諸国の候補”だったかもしれない、とりわけ“イスラエル”の。しかし天野は今日世界に向けて、独立性を保ち、事務局の非政治化を追求することを保証する意向を明らかにした。』 |
この記事で、“西側の候補”とこの記者が言っているのは、たとえば次のような記述である。
7月4日付けのワシントンAFP電、「アメリカはIAEAの新たなトップとして天野を歓迎」と題する記事で「国務長官ヒラリー・クリントンは、ウィーンを本拠とする国連の、核の番犬、IAEAのトップに、日本の天野之弥が指名されたことを歓迎するとのべた。」として、ヒラリーの最大限の祝辞を伝えている。
<http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5iPtgsl2x0U66
_fuiQn1UXvea6ZNg>
アメリカ原子力委員会の国際版としてスタートしたIAEAは、初代事務局長に評判の悪かったスターリング・コール(Sterling Cole)を送り込んだ。コールはさんざんな失敗をして早々に事務局長を退いた(1957年から61年)。そして2代目がスエーデンのシグヴァルド・エクルンド(Sigvard Eklund)である。1961年から1981年の長きにわたって、事務局長を務めアメリカの云う事を聞きながらも、IAEAの中立化に努力したといえるだろう。核兵器不拡散条約が発効するのもこの人が事務局長の時である。3代目が同じくスエーデンの、外務大臣だったハンス・ブリックス(Hans Blix)である。この頃から、IAEAはアメリカの云う事を聞かなくなった。ブリックスは後のイラク戦争開始の折に、「イラクには、核兵器がある声明しろ。」と迫るアメリカのブッシュ政権に対して、エルバラダイと共に、「ないものはない。」と頑張り通して、ついにブッシュ政権は「核兵器の存在」を開戦事由にできず、「大量破壊兵器の存在」を開戦事由にしなければならなかったほどだ。
1995年、NPT再検討会議は「核兵器廃絶を究極の目的として誠実な核兵器軍縮努力を行う。」ことを決議し、名実ともにNPTが「核兵器廃絶を究極の目的とする国際合意」となるわけだが、この時のIAEA事務局長はハンス・ブリックスである。
しかし、IAEAを完全な中立機関として、参加各国の信頼を勝ち得たのは、モハメド・エルバラダイが4代目事務局長の時だろう。この間に、多くの国が自国の核兵器廃絶を宣言してNPTに加盟し、核兵器保有国を包囲する体制をとっていった。イランは核兵器を開発しているという報告をさせたかったブッシュ政権は、この時様々な圧力をかけたが、エルバラダイは結局「イランには核開発の証拠はない。」と云わせる以上のことはできなかった。
もしエルバラダイがこの時、ブッシュの圧力に屈して、「イランは核開発をしている。」といったとしたら、あるいはブッシュ政権は、この事を理由にして、イラクに続いてイランにも侵攻していたかも知れない。そうすれば、心配されている中東大戦争が勃発していたかも知れない。2005年のノーベル平和賞はエルバラダイとIAEAに贈られたが、日本の佐藤栄作やキッシンジャーへ贈られたノーベル平和賞とは異なり、正真正銘の“平和賞”だった。
アメリカは、2005年のIAEA事務局長選挙で様々な妨害工作をおこなったが、結局エルバラダイ以外には候補は出なかった。
(http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CNN_Elbaradai.htm) |
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こうしてみると、アメリカは初代スターリング・コール以来、実に48年ぶりに、自分のいいなりになるIAEA事務局長を獲得することになる。『しかし天野は今日世界に向けて、独立性を保ち、事務局の非政治化を追求することを保証する意向を明らかにした。』という、天野氏の姿勢は、こうしたアメリカの意向を察知しつつ、コールの時代とは違うIAEAの雰囲気を十分意識したものだといえよう。
天野氏が、“とりわけイスラエル”の候補だったかも知れないと云っているのは、たとえば次のような記事による。イスラエルの英語紙で全米にも一定の影響力をもつイエルサレム・ポスト紙の09年7月2日付けの「イスラエルに友好的なIAEA候補、選出」
(Israel’s favored IAEA candidate elected)
<http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1246443706536&
pagename=JPost/JPArticle/ShowFull>と題する記事で、2日付けになっているから、選出されてすぐ掲載されたものだろう。
「 |
IAEAのトップがモハメド・エルバラダイからすげ替えられて、日本の天野之弥が選出され、イスラエルは個人的には救われた思いで、ホッと吐息をついている。(heaved a sigh of relief)」 |
とイスラム世界や「核後進国」にとってはなかなか刺激的な書き出しである。
「 |
救われた思いがする理由は2つある。一つはエルバラダイの在任期間中、イスラエルとの関係は困難に満ちたものであったが、この時代が終わりを告げる事。もう一つは南アフリカの候補者、アブドル・サマド・ミンティ(Abdul Samad Minty)を天野が叩き潰した事(beat out)である。」 |
ここでエルバラダイが在任期間中、「イスラエルとの関係が困難に満ちたもの」と云っているのは、エルバラダイが「中東非核兵器地帯」構想を再三にわたり提案し、事実上イスラエルに核兵器放棄を迫ったことを指すだろう。また南アフリカのミンティ候補は、自らも実戦配備した核兵器を世界で最初に放棄した国の出身候補として、恐らくはエルバラダイ同様、イスラエルに核兵器の放棄を迫るだろうからだ。
このイエルサレム・ポストの記事は、イスラエル高官の話として、天野氏がイスラエルにとって望ましい候補者だったことを明かしている。エルバラダイとの不必要な葛藤は消え去り、これまでのIAEAとの緊張関係は弱まって、IAEAとの全面的な協力関係が戻るだろうと、この記事は続けている。
イスラエルが天野氏に大きな期待をよせる理由は簡単だろう。彼がもともと日本政府出身だからだ。日本政府は、“日米同盟”で、全く独自の外交ができない。つまりすべてアメリカの云うなりだ。従ってイスラエルはアメリカさえ抑えておけば、日本、すなわち天野氏はどうにでもなる、ということだ。
ところが、「反戦ドット・コム」のジェイソン・ディッツは先の自分の記事を次のように続けている。
『 |
とりわけ天野は、IAEAのこれまでの書類にすべて目を通したが、イランが核兵器を開発しようとする証拠はまったく見つからなかった、と指摘した。』 |
これは、天野氏が自分のおかれた立場が非常に微妙なもので、アメリカ・イスラエル寄りと見られれば、IAEAの事務局長としては、仕事ができない。自殺行為になることを十分意識した発言だろう。つまりアメリカのいうなりの日本政府(自民党政権、というより背後に安倍晋三や森喜朗などのウルトラ右翼にバックアップされた麻生政権というべきか)と一線を画したわけだ。これまでIAEAは、再三再四イランには「核兵器開発の疑惑」はない、と明言してきた。ある意味、この明言を天野氏もまた確認したに過ぎない。しかし、その政治的効果は自ずと別だ。私は、アメリカやイスラエルの云うなりではないですよ、公正中立ですよ、エルバラダイ時代同様、事務局を信頼してください、と言うに等しい。
( |
その天野氏がイスラエルに核兵器の放棄を迫るかどうかはこれから同氏の試金石となるだろう。) |
ところで、この話は、天野氏が7月3日、ロイターに対して語ったことだ。「新IAEAトップ:イランが核兵器を模索の徴候なし」と題する記事で
<http://news.yahoo.com/s/nm/20090703/wl_nm/us_nuclear_iaea_iran_
exclusive>、天野氏のコメントを引用しながら
「 |
この件に関し、IAEAの公式の文書ではいかなる証拠も見つからなかった。」 |
「 |
イランは、その平和利用目的のウラン濃縮を他のいかなる目的にも転換しようとしていない。」 |
恐らく、ロイターの記者は、「イランには核兵器開発の疑惑なしとしない。」ぐらいのことは云わせたかったのだろうが、天野氏はその手に乗らなかった。彼のこれからの微妙な任務を考えれば、当然すぎるほど当然だ。証拠がなくて憶測でものを云えば、アメリカ・イスラエル寄りの事務局長として、初代スターリング・コール以来の「大失敗事務局長」となることは必至だ。
とここまで記事をかいたところで、網野沙羅(写真家でこのサイトの管理者。)が自宅から中国新聞の夕刊(7月4日付け)をもってきて呉れて、一面トップの記事を見て、私は、ビックリ仰天した。
『北朝鮮の核開発「脅威」』の大見出しのもとに、サブタイトルが「IAEA次期事務局長天野氏 6カ国再開要望」。記事は共同配信ものでリードだけを引用すると、
「 |
【ウィーン4日共同=森岡隆】国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長選挙で当選した天野之弥ウィーン国際機関代表部大使(62)は3日、共同通信のインタビューに応じ、核実験など北朝鮮の核開発が「東アジアの脅威になっている」と危機感をにじませ、イランのウラン濃縮活動についても「憂慮すべき状況だ」と問題解決の必要性を強調した。」 |
記事中では、
「 |
『原子力の平和利用』と主張し、国連安全保障理事会の決議に応じずウラン濃縮活動を継続するイランについて『そうした活動により国際社会の信頼を失っている』と警告し、濃縮活動の即時停止を求めた。天野氏は「エルバラダイ事務局長も尽力したが、イランの核問題は解決していない。」 |
とまで書いている。イスラエルが保有する核兵器の事や、中東非核兵器地帯構想のことは一言半句もでてこない。
この記事をうっかり読めば、「ウラン濃縮を続けているということは、イランは核兵器開発の疑惑がある。ウラン濃縮を即刻停止すべきだ。」と天野氏が発言したように、取れる。
これは、ブッシュ前政権ばりの主張になる。ブッシュ政権の最後半からオバマ政権にかけては、微妙に言い方が変わってきた。まずCIAが「過去はともかく、現在イランには核兵器開発の証拠はない。」と大筋IAEAの言い分を認める報告を出した。これはブッシュ政権の末期のことである。これを受けてオバマは「プラハ演説」の中で、「イランには、核エネルギー平和利用の権利はある。但し、ルールを守る限りは。」という言い方に変わってきた。ブッシュは「イランは石油大国である。原子力エネルギーを必要ない。そのイランがウラン濃縮活動をするということは、核兵器を開発しようという証拠だ。」(2003年、アメリカ国防大学の演説)という言い方だった。 |
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ところで、先の共同通信の記事【森岡隆】の記事も、良く読むと、天野氏は「イランに核兵器開発疑惑がある」とは、一言も云っていない。結びの言い方も「イラン核問題は解決していない。」と云っており、「イラン核兵器問題は解決していない。」とはいっていない。
だから、この森岡記事の中の天野発言は全く違うアングルで捉える事ができる。
IAEAはこれまで、「イランに核兵器開発の証拠はない。」と再三再四明言してきた。また「原子力の平和利用はNPT加盟各国に認められた奪い得ない権利である。」とも明言してきた。だから平和目的である限り、またNPTの規定に基づいてIAEAの査察を受ける限り、IAEAはイランのウラン濃縮活動を事実上認めると言うに等しい。大体原子力発電用のウラン燃料は、U235(もっとも核分裂しやすいウランの同位体)の純度が3-5%程度だ。一方兵器級のウラン燃料は、U235の純度が90%以上だ。イランがもっているウラン濃縮設備をどんなに拡張しても、核兵器用のウラン燃料ができるわけはない。
にもかかわらず、IAEAはイランにウラン濃縮活動を停止してくれ、といっている。エルバラダイの理由は、21世紀に原子力発電は不可欠だ、しかし同時にそれは核技術の拡散を招く。特にプルトニウムを手に入れたり、兵器級ウランを入手する事は核兵器をもつことと紙一重だ、だから、原子力平和目的の核燃料製造は国際管理にしよう、今その体制ができるまで、イランにまってくれ、という事だ。
2005年エルバラダイは次のようにいった。
「 |
高濃縮ウランやプルトニウムの燃料サイクルという極めて神経質な部分を扱える国が必要だということでしょう。その際、単独の国が、工場に居座って、自分だけが高濃縮ウランやプルトニウムを生産するということがあってはなりません。実際こうした議論はすべてイラク問題が契機になって起こっています。国際社会が、すでに地殻変動が起きた地域に加えて新たな地域がこの核技術を保有していく成り行きに大きな関心をもったわけです。これは何もイラン独特の問題だという訳ではありません。もっと大きな絵を描いて問題を見る必要があります。将来にわたってすべての国が供給を保障された形で、電力目的やその他の目的の平和利用技術にアクセスできることを保障する問題です。しかしこのことに関連して、発生するリスクは最小限に抑えなければなりません。ですからたとえば国際的なコンソーシアムを設立して、燃料生産を行い国際的管理のもとに燃料のリサイクルを行うといったような構想ですね。」 |
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ところでこのエルバラダイ構想は、2009年4月オバマの「プラハ演説」では“核燃料バンク”(Nuclear Fuel Bank)という形で提案された。2009年6月エルバラダイもまた“核燃料バンク”という言葉を使い始めている。
容易に想像がつくように、この核燃料バンクは、扱いによっては「核エネルギー供給国」と「核エネルギー消費国」をきっぱり2分する決め手の一つになりうる。
だからエルバラダイはいう。
「 |
・・・NPTの誰に対しても支援を続けると言うことです。ブッシュ政権の考えていることは、切り捨てです。だからすでにウラン濃縮能力を持っている国は濃縮を続け、他の国に供給を続けます。でもその技術を新しい国が獲得することは認めません。多くの国がこの提案に不満を持つことはあきらかでしょう。遅れてやって来たからといってなぜこんな差別を受けなければならないのですか?
ブッシュと私は最終的には同じ目的を共有しているとは思いますが、ブッシュ構想より良い管理システムが必要だと思います。私の提案は、『早起きは三文の得』(the early bird the worm)ではなく、誰にでも公平な機会を提供しようというものです。もっと時間をかけて考えようよ、それまでいまのところ、個別の国が個別にあらたな施設を作るのを中止しようよ、そしてもっとよい管理システムを構築しよう、どの国にも供給が保障できるシステムをもって、どの国に対しても、『ぼくは自分自身の濃縮ウラン工場と処理工場をもちたい』と言わさないようにしようと言うことです。」 |
「NPTで保証する参加国平等の権利」と「核燃料バンク」を両立させる、これがエルバラダイ構想の骨子である。オバマが提案した「核燃料バンク」は恐らくそうではないだろう。基本的にブッシュ構想と同質で、アメリカを頂点とする「核供給国」グループがこの「核燃料バンク」を掌握するという構想だろう。
こうした文脈から先ほどの共同通信の天野発言を眺めてみると、なるほど、IAEAの立場からすると「イランが核濃縮活動」をするのは即刻停止して欲しいわけだし、「イランの核問題」は確かに解決していない。
しかし、この問題を「イラン独特」の問題として捉えて、天野氏が「憂慮すべき状況だ」というのはどうか。天野氏はそう言ったのかも知れないし、あるいは共同通信の森岡という記者が「イラン核問題」の本質を理解しないままに、書いたのかも知れない。
全体としてこの記事は、非常に危険な書き方をしている。これまで見たように天野氏が「イランに核濃縮活動の停止を求める。」というのはIAEAの立場としては当然なことだし、その意味で「イランの核問題」は解決していない。しかし、エルバラダイはこの問題に触れる時、必ず「イランが核兵器開発をしているという証拠はない。」という事と、「ウラン濃縮活動を含めて核の平和利用はNPT加盟国の平等な権利である。」という枕をふった。その枕を振って、ウラン濃縮活動停止を求めるのと、枕を振らないで「イランのウラン濃縮活動の即時停止」を求めるのは、政治的意味合いが全く違う。
この記事を読む限り、天野氏は「NPT加盟国の原子力平和利用の平等な権利を全く認めない」新事務局長のように思える。天野氏がこういう姿勢なら、NPTの大多数を占める「核後進国」の反発は必至だろう。場合によればNPT体制の空中分解につながり兼ねない。まさしくスターリング・コールの再来だ。
( |
北朝鮮の問題も大事だが、NPTの将来体制としての「イラン核問題」、中東大戦争を引き起こしかねない「イスラエル核兵器問題」、そしてイスラエルの標的としての「イラン問題」に較べれば、その重要性はぐっと落ちる。特に最近のイスラエルは、戦前の日本の軍国主義と同じで唯我独尊に陥っており、冷静な判断ができない傾向がある。それだけに危険だ。それに較べれば北朝鮮はすべて計算尽くで動いている。みんなイスラエルが少なくとも1970年代後半には、核兵器保有国になっていることを忘れている。今、実際核兵器を使用しそうな国はイスラエルを措いて、ない。) |
天野氏が、この記事で描き出されたような新事務局長とは、私にはどうしても思えない。
ロイターの記者に語ったように、「イランには核兵器開発の証拠はない。」という天野氏の方がバランス感覚に優れ、実態に近いと思われる。あるいは同じ日本人の記者には本音を言ったのかも知れない。ならば、正式就任前から自殺行為である。
確かに天野氏はイランに対して、その民間原子力計画を放棄するように求めている。その理由は、「イランには核兵器開発をしている証拠はない。しかしウラン濃縮を停止することは国連安全保障理事会からの要請だ。」と言う点だ。これに対してアハマディネジャドは、「核への平和利用はイラン国民の権利であり、NPTでも認められた権利だ。」という「正論」で突っぱねている。
これは、客観的に云って、イランの言い分に正当性がある。だから国連安全保障理事会も「イランが核開発を行っていないという証明がない。」ということを理由としてあげた。しかし、「存在の証明」はできるが「不存在の証明」はなかなかむつかしい。国連安全保障理事会の立場を、天野氏が固執するなら、IAEAにおける運営はむつかしいものとなろう。平和目的の核燃料の製造という事で云えば、日本も行っている。2006年にはブラジルもウラン濃縮を開始する、と発表した。しかしこの両国は今のところ、「国際社会」から「核兵器開発」の疑惑はかけられていない。インドに至っては、NPT外の「核兵器保有国」にもかかわらず、堂々と「米印原子力協定」を結んで、アメリカとの原子力分野における協力関係をおおぴらに開始した。これを見て、待ってましたとばかりに他の「核大国」もインドと原子力協定を結びはじめた。 |
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何故イランだけが問題とされ、標的とされるのか?
一つの理由は、イランを「国際社会」の力を借りて押さえ込んでおきたい、イスラエルの強い圧力だろう。しかしもっと根本的な理由は、日本やブラジルは「核供給国」グループに入っているが、イランはそうではない、と言う点だ。イランを認めれば、やがては他の「核後進国」が自国技術で、核エネルギーの自主開発を実施しはじめるのは時間の問題だ。
モハメド・エルバラダイは最近、「私の直観(gut feeling)では、イランは核兵器製造技術を手に入れたがっている。」と語ったそうだ。たとえば、ニューヨーク・タイムスの09年6月18日の記事「国連原子力機関のトップ、イランは爆弾技術を欲している、と語る」
(N.N. Atomic Energy Chief Says Iran Wants Bomb Technology)、
<http://www.nytimes.com/2009/06/18/world/18nuke.html?_r=3&ref=world>などがそうだ。
ニューヨーク・タイムスの記事というと私などは、すぐに眉につばをつけて読むくせがあるのだが、この記事の中身はしっかりしている。引用も明らかで、「お部屋のコマネズミがいうことにゃ」式の「政府高官」の話もない。この記事に拠れば、エルバラダイは、イラン大統領選挙の結果に抗議するデモがテヘランやその他のまちに繰り出していた6月14日、15日の間にBBCとのインタビューに応じ、「これは私の直観―gut feeling―だが、イランは核兵器製造を可能とする技術を入手したいのではないだろうか。」と語ったそうである。そして「これは、イランの隣人たちや、その他の世界に向かって『イランをぐじゃぐじゃにするな。』(Don’t mess with us.)というメッセージを送ろうとしている。」という解説をした。
また、この記事に拠れば、エルバラダイは、イランの究極の目的は、中東の大国として認められる事だ。」と語り、「核兵器製造技術を獲得することはそうした認識を得るための大国への道であり、プレスティージの道だ。」と語ったそうだ。
また「体制の変更に関して彼らが過去に聞かされて来た事に対する保険みたいなものだ。」とも語ったそうだ。
「核兵器技術をもつことが、中東の大国になる道」とイランが考えているかどうかは、大いに疑問だ。第一すでにイランはGNPという事で見ても、人口でも、影響力という点からみても、地下資源という点から見ても、エジプトやイスラエルをはるかに抜いて、サウジアラビアとならぶ中東の大国である。
それよりも、イランは「核兵器製造技術は保有するが核兵器は保有しない。」とする、いわば、日本タイプの大国を目指しているようにも見える。
たとえば、「イランは日本と同様な核の扱いを求める。」
(Iran asks for Japan's nuclear treatment)
<http://www.presstv.ir/detail.aspx?id=93356§ionid=351020104>
という「プレスTV」(Press TV)の記事などが代表的だろう。プレスTVは全額イラン政府出資の通信社だ。
イラン政府の立場を代弁しているといえそうだ。
この09年5月2日付けの記事は次のようにいう。
「 |
イランの外相、マノシェール・モッタキは、国際社会に対して、イランの核計画と日本のそれをパラレルに見て欲しいと要求した。日本の核計画に対するのとおなじ見方で、イランを含む他の国のそれを見るべきだ。」 |
これは同月、中曽根弘文外相がイランを訪問した折の共同記者会見でのモッタキ外相の発言である。日本は長い間その核開発に関して自信をもって進めてきた。モッタキ外相は「その日本と同じ道を歩みたい。」というのである。
この記事はいう。
「 |
イスラエルやその他の西側の核大国は(これは要するにアメリカ、イギリス、フランスの3カ国という事になるが)、しかしながら(イランが)核兵器開発計画をもっている、と非難する。」 |
日本に対しては非難しないのに、イランに対しては非難する、これはNPTの下の平等の原則に反する、というわけだ。
( |
さらに、日本の政権与党自民党の間に、「日本の憲法は核兵器保有を禁じていない。」という声が上がっている事を考えれば、イランの主張はもっともといわざるを得ない。) |
日本は永年、核計画を進め、原子力発電を推進し、その気になりさえすれば、核兵器を製造する技術をもっている。(と云われている。)
イランも同じ道を歩みたいということだろう。エルバラダイの、ニューヨーク・タイムスの指摘する“直観”もまた、同じ事を指摘しているのではあるまいか?
実際、イランが核兵器製造技術をもつことは、あるいはもとうとしていることは、特にイスラエルに対するメッセージにはなる。(それはとても危険なメッセージだが。) |
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特に、このところ、イスラエルはイラン大統領選挙の混乱に乗じて過激な発言をするようになった。たとえば、09年7月2日付けのイスラエル・ツデイ(Israel Today)は「ボルトン、イスラエルはイランを攻撃しなければならない、と主張」(Israel must attack Iran, insists Bolton)
<http://www.israeltoday.co.il/default.aspx?tabid=178&nid=19117>と題する記事の中で、ブッシュ時代のアメリカ国連大使、ジョン・ボルトンのワシントン・ポストへの投稿記事の中から、「ボルトンは、イスラエルがイランの各関連施設を攻撃するには、今はおいてない、といっている。」と引用しながら、国内世論をあおっている。
それでは、ジョン・ボルトンの投稿記事はどういう内容かといえば、これがまた過激だ。これは、7月2日付のワシントン・ポストに掲載された、ジョン・ボルトン(John R. Bolton )の「イスラエル、攻撃の時?」(Time for an Israeli Strike?)
<http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/01/
AR2009070103020.html?wpisrc=newsletter&wpisrc=newsletter>と題する記事で、おおよそ次のように述べている。
“ |
イラン大統領選挙の結果、大規模な抗議運動があったにもかかわらず、イラン革命防衛隊は元の強力な地位を取り戻しつつある。イラン大統領選挙を通じて、イランの核兵器開発問題は、かつてなく緊急なものとなった。” |
“ |
オバマ大統領の見方は楽観的だ。まだ話し合いの余地があると思っている。またジョン・ケリー上院議員は、最近のイランの選挙は不愉快なものだが、それでも話し合いを2−3週間遅らせただけだといっている。” |
“ |
盗まれた選挙の結果、イランの体制が変化する見込みはない。テヘランとの対話路線は、結局高いものにつき、運命的だ。” |
断っておくが、この人物は、ブッシュ政権時、2005年8月から2006年12月まで、アメリカの国連大使だった人物である。その人物が、何を根拠にいっているのかわからないが、イランは核兵器開発をしていると決めつけ、イラン大統領選挙後の混乱に乗じて、事実上イスラエルに、イランを攻撃しろ、とそそのかしている。もっともボルトンが、イラン攻撃を主張するのは、これがはじめてではない。2005年にも2003年にも同様な主張をしている。その意味では目新しいものではない。
イランはイスラエルやアメリカの多くの世論、イギリス、フランスの大多数の世論、また従って日本の多くの世論による敵意に取り囲まれている。しかも、イスラエルやアメリカの一部世論はイスラエルのイラン攻撃を正当化する論調を一貫して流している。
エルバラダイの直観は、恐らく正しいものだろう。そして、それは、イスラエルや西側諸国への、“イランのメッセージ”だという見方も恐らく正しいだろう。
このシリーズは「核兵器廃絶とオバマ政権」というタイトルで、21世紀に入って、アメリカの支配グループが、「核兵器のない世界」を標榜しながら、来年のNPT再検討会議を一つのきっかけとして、どんな構想を描いているのかを明らかにしつつ、私なりに、核兵器廃絶の道筋を考えていこうというのが目的である。その第1回目としては、“イラン問題”にのめり込みすぎた、という印象があるかもしれない。しかし、私はそうは思わない。イラン問題とは実は「イスラエル問題」であり、そのイスラエルはもっとも危険な核兵器保有国である、ということを今、強調して強調しすぎる事はないからだ。
核兵器廃絶を云う前に、「核兵器の危険」が目の前に迫って来ているような気がしている。
「唯一の被爆国」を標榜する日本が、いつまでも対米追従を続けていては、このもっとも“危険な核兵器保有国”イスラエルに対処できないであろう。あるいは知らず知らずわれわれが、もっとも“危険な核兵器保有国”イスラエルの手助けをする事態もないとはいえない。
今回IAEAの事務局長に選ばれた天野之弥氏が、本当に頼りになる事務局長なのか、それともスターリング・コールの二の舞を演じるのか。スターリング・コールの2の舞を演じるとしたら、それはもっとも危険な状況に、われわれ地球市民は直面する事になる・・・。 |
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(第2回へ) |
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