エノラ・ゲイの乗組員“われわれは全く後悔していない”
−BBCニュース電子版
Enola Gay Crew "have no regrets"


 この記事は2005年8月4日、被爆60周年を目前に、BBCニュース電子版に掲載さえた。BBCワシントン支局のマシュー・デイビス(Matthew Davis)の記事である。なお本文中(*)は私の註である。本文は次のサイトで読める。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/4743061.stm

 デイビス記者は3人の、エノラ・ゲイ元乗組員の個別の記事を別にまとめている。(「広島に原爆を落とした男たち」)注目すべきは、デイビス記者の姿勢である。自らは、原爆投下に批判的でありながら、できるだけ忠実に「原爆を落とした側」の声を伝えようとしている。いわば「相手の言い分」にまず耳を傾けようとしている。これは今後われわれにとっても大切な“姿勢”となるだろう。

(以下本文)


『 この際、エノラ・ゲイの生き残りメンバーは、共同声明を発表する機会を持たせていただきたいと思います。

 今年、2005年は、第二次世界大戦終結から60年目の年にあたります。1945の夏、連合軍やアメリカ軍に取って、不可避的な日本本土侵攻が、本当に大きな懸念となっておりました。

 トルーマン大統領はひとつの最後の要求を出しました。ひとつの最後のアピールでした。イギリスのチャーチル、ロシアのスターリンとともに、アメリカ合衆国の大統領は日本に、「すべての日本軍の無条件降伏」を宣言しました。さもなければ「日本には即座に完全な壊滅がある。」と主張しました。

 (* これはポツダム宣言の記述である。ポツダム宣言は1945年7月26日に発せられている。この時ソ連は参戦していないから、宣言に加わっていない。8月9日の参戦以後、宣言に加わった。上記の声明は、時期的には原爆投下前を問題にしているから、厳密に言うと、誤りということになる。7月26日の時点で宣言に加わっていたのは、中国の蒋介石である。ついでにいうとこの宣言が出された時、蒋介石は対日戦争と対共産党内戦に忙しくポツダムにやってこれるような状況ではなかった。チャーチルは、総選挙で忙しくイギリスに戻っていた。だからトルーマンは一人で、チャーチルと蒋介石に代わって、前代未聞の代理署名をした。)

 明白な軍事的状況を無視して、日本の首相鈴木貫太郎男爵は、降伏を拒否して次のような言葉を含む声明を発しました。

それ(降伏の要求)を完全に無視する以外選択の道はない。そしてこの戦争の成功を目指して断固として戦う。」

 連合国にとって、あの時、この必要な行動の選択をしなければならなかったのは、確かに不幸なことでした。しかし、それ以外の選択はなかったのです。スティムソン陸軍長官はこう書いています。
原爆の使用の決定は、われわれの嫌でたまらないが、最低限度の決定だった。」
(* おそらくハーパーズ・マガジン・1947年2月号スティムソン論文「原爆使用の決断」からの引用と思われる。)

 ハリー・S・トルーマン大統領は原爆の使用(*to use the atomic bomb)の命令を承認しました。それは日本本土侵攻を避ける彼の希望、彼の決断だったのです。

 (* この共同声明では、原爆の「使用」(use)と「投下」(drop)の混乱が見られる。

 トルーマン政権中枢は、政治問題として扱う時には「use」、軍事問題として扱う時には「drop」と明確に使い分けていた。だから暫定委員会では一貫して「use」であり、陸軍内の陸軍投下目標委員会では一貫して「drop」である。ここでは対日戦争終結という軍事問題を扱っているのだから本来は、「use」ではなく「drop」でなければならない。しかしこの共同声明にその使い分けを求めるのは無理というものだろう。エノラ・ゲイの乗組員は、原爆投下は「対日戦争終結のため」を心から信じていた。別な言い方をすれば、「原爆」は100%軍事問題なのであり、その意味では、「use」も「drop」も大きな意義上の違いがあるわけではない。

 スティムソンの論文に「use」と書いてあったので、それに引きずられて「use」としたのであろう。

 しかしスティムソン論文は違う。この論文のテーマは一貫して「対日戦争終結」だったのだから、彼らの用語法では「drop」でなければならない。しかしそこでは「use」を使っている。意図的な混用だと私は考えている。)

 ウィンストン・チャーチルはこの決定に同意をしめして、次のように言っている。
この広大であからさまな虐殺(日本本土侵攻のこと)を避け、戦争終結をもたらし、世界に平和を与え、痛めつけられた人々に癒しの手をさしのべる  ための2−3の爆発(*広島と長崎の原爆のこと)は、骨折りと災禍の過ぎた今となってみれば、軌跡の天の配剤と思える。」

 (* これで共同宣言が終わっている。チャーチルのこの言葉の引用元は分からない。ところでチャーチルは別なところでは例えば、『チャーチルは、「日本の運命が原爆投下で決定したと考えるなら、それは間違いだ」』と指摘している。(ロシアの歴史学者コシキン。これも引用元はわからない。後になって、チャーチルの言うことはあてにならない、ということだけを確認しておけば十分だろう。)


慎重な行動

 1945年8月6日、B―29“超要塞”エノラ・ゲイが、第二次世界大戦終結を早めるために、広島の中の島に原爆を投下した。
 
 その3日後、B―29“超要塞”ボックスカーが、2番目の原爆を長崎に運んだ。アメリカの兵器庫で、この兵器の使用できる状態だったことが、トルーマン大統領をして、使う以外に選択はない、との考えに至らしめた。世界でもっとも恐ろしい軍事侵攻を救い、従って、多くの連合国、アメリカ、日本人の命を救った。このことは、文字通り、唯一取り得る慎重な行動であった。

 エノラ・ゲイの生き残りメンバーは、ポール・W・ティベッツ(操縦士)、セオドア・J“ダッチ”バン・カーク(航空士)、モリス・R・ジェプソン(核兵器テスト担当士官)であるが、彼らは繰り返し「歴史のあの瞬間での原爆の使用は必要なことであり、われわれは全く後悔していない。」と述べている。

 彼らのその立場はこの60年間まったく揺らいでいない。


命を救ったことを誇りに思う

 『広島以来60年間、世界中の人たちからたくさんの手紙をもらった。その圧倒的多数は、15機のB−29、6機のC−54(*輸送機)、約1700名の人員からなる509混成航空群』に対する感謝の言葉だった。原爆を運び、戦争を終結に導いたことに対する感謝の言葉だ。』とポール・W・ティベッツ准将はコメントしている。
(* ティベッツは退役までに准将に昇進している。)

 『何年にもわたって、何千人もの元兵士、軍隊関係者の家族から、もし戦争を終結させるため、日本本土に侵攻することが必要だったのならば、彼らは今日生きていなかったかもしれない、という言い方で特に心に触れる感謝の気持ちを表現してきた。』

 『アメリカの元軍人に加えて、私は、日本本土の自殺的防衛戦争をもたらすことを予測していた日本の元軍人や一般市民からも、感謝の気持ちを伝えられてきた。アメリカと連合国の共同した努力で、私たちは殺戮をとめることができたのだ。』とティベッツ准将はいっている。

 こうした生き残り乗組員の感情はみんな一致している。

 今年、2005年、われわれは、エノラ・ゲイの記念の英雄叙事詩的な戦いに関する展示を、身近に観察するだろう。

 『われわれの同僚退役軍人やアメリカ国家にとって、われわれは同じ感情がわれわれの中にこだましている。すなわちー、

 核兵器の力を呼び出す前に、指導者の間に理由があきらかになるだろうことを祈る。そこには後悔はない。私たちは今日世界に済んでいる多くの男女の人々のために働いたことを誇りに思っている。
 彼らにも、あなた方にも敬意を表したい。さようなら。 』