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オバマに限らず、現職の大統領がそのためだけに広島や長崎を訪問し、たとえば原爆資料館や平和慰霊碑を訪ねればそこには一定の政治的意味が発生します。
これは逆に日本の天皇がハワイ・ホノルルを訪れて、アリゾナ記念館を見学したり、日本の首相が北京を訪れた時、足を伸ばして蘆溝橋にある抗日戦争博物館を訪ねた場合のことを考えれば、よくわかるでしょう。
アメリカの人は天皇がパール・ハーバーを謝罪に来たのだ、と解釈するでしょうし、中国の人は日本の首相が、中国侵略を謝罪したのだ、と考えるでしょう。
ましてや、「原爆を使用した唯一の核大国として、行動する道義的責任」を認めた初めてのアメリカ大統領として、オバマが広島や長崎を訪れ、原爆資料館や慰霊碑を訪ねれば、その謝罪の政治的意味合いは一層はっきりするでしょう。
よく、「オバマに広島に来てもらい、核兵器の恐ろしさを知ってもらおう。」という議論もありますが、これはどうでしょうか?
アメリカの大統領は、核兵器について最新の情報を知りうる立場にありますし、その中にはわれわれの知らないもっと恐ろしい内容の情報もあるでしょう。
それに対して広島・長崎の原爆は、先にも見たように核兵器も初歩的な段階のもので、この被害の惨状は恐らくオバマもよく知っているでしょう。
言い換えれば、オバマは核兵器については私たちよりよく知っていると考えておかねばなりません。
この意味でオバマが広島に来る意味はほとんどないと思います。
それよりも、現職のアメリカ大統領が広島に来ることそのものの意味の方が大きいと考えられます。
オバマが意図する、しないにかかわらず「核兵器廃絶」に向けて大きな貢献をすると考えられます。
戦後、大国が核兵器を保有し、時にはこれを威嚇の道具に使ってきたのは、正義が彼らにあると考えてきたからです。
その根拠は広島、長崎に対する原爆投下は、やむを得なかったにせよ、正義の行いであり、しかもある点で人道的だったと考えてきたからです。
つまりアメリカのような国が核兵器を保有するのは正当である、それは必ず平和のために核兵器を使用する、広島をみよ、長崎をみよ、そのためにあの悲惨な戦争は終結したではないか、という論理です。
原爆ドームが世界遺産に登録される審査の会合で、アメリカが最後まで反対し、中国が棄権したのは、それぞれの原爆投下に対する政治的姿勢を首尾一貫したものだということができると思います。
謝罪の行為にはその前提に誤りを認めることが含まれています。
もしオバマが広島を訪れ、資料館や慰霊碑を訪ねてそこに謝罪の意味があるとしたら、それは同時にあの原爆の使用が誤りであったことを認めることになります。
原爆の使用が誤りであったのなら、現在の核兵器保有の論理が思想的にその根拠を失うことになります。
つまり、オバマが現職大統領のまま、広島や長崎を訪れれば、広島や長崎の市民の意図がどうあれ、以上のような論理展開で、「核兵器廃絶」を思想的に強化する結果になるでしょう。
大きな意義があるといわざるを得ないでしょう。
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