(2009.5.5)
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<参考資料>アフリカ非核兵器地帯、最終段階へ |
(2010.2.14 追加) |
この記事のあと、2009年7月15日、ブルンジが批准したことによって、アフリカ非核兵器地帯条約は即日発効した。 |
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「核軍縮・議員ネットワーク」(Parliamentary Network for Nuclear Disarmament―PNND―)のサイトに「アフリカ非核兵器地帯、最終段階へ」と題する記事が掲載された。
<http://www.gsinstitute.org/pnnd/pubs/Chegeni_Beech_Pelindaba.html> |
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外務省のWebサイトによると、アフリカ非核兵器地帯条約は、
1961年に国連でアフリカ非核地帯化宣言が採択され、1964年にアフリカ統一機構(OAU)首脳会合でアフリカを非核地帯とするカイロ宣言が採択されたが、南アフリカの核開発疑惑で条約化が遅れていた。1991年に南アフリカが核兵器を放棄し、NPTに加盟したことから条約化実現に弾みがつき、1995年6月にOAU首脳会議において、アフリカ非核兵器地帯条約の最終案文が採択され、1996年4月にアフリカ諸国42か国により条約への署名が行われた。
アフリカ諸国54か国(日本未承認の西サハラを含む)が対象であり、現在の批准国は25か国。28か国の批准が発効要件となっており、条約は未発効。
条約は、締約国による核爆発装置の研究・開発・製造・貯蔵・取得・所有・管理・実験、及び自国領域内における核爆発装置の配置、運搬、実験等を禁止する。
議定書は、核兵器国による締約国に対する核爆発装置の使用および使用の威嚇を禁止し、また、域内(公海は含まない)における核爆発装置の実験を禁止する。(仏、中、英は批准済み。米、露は署名のみ。) |
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/n2zone/sakusei.html>
としており、以下紹介する記事と批准国数などが異なっている。いずれにせよ、アフリカ非核兵器地帯についての正確な事実把握と正確な解説記事の登場が望まれる。 |
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以下訳出である。なお文中(*青字)があれば、それは私の註である。またなおこの記事の掲載年月日は不明であるが、09年3月以前であることは確実である。 |
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アフリカ非核兵器地帯が、攻撃的非核兵器地帯の性格が強いのか、それとも非核兵器不拡散体制の補完的非核兵器地帯の性格が強いのかは、その条約の内容、追加議定書の内容、参加各国と核兵器大国との2国間安全保障体制の詳細な検討が必要である。しかし、自国領土内内に一切核兵器を貯蔵・配備を敢然として拒否していることは間違いなく、オバマのプラハ演説のような実効性のない内容とは異なり、核兵器廃絶にとっては大きな前進である。 |
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最終段階に入ったアフリカ非核兵器地帯
(Final Steps to make Africa a Nuclear Weapon-Free Zone) |
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<*署名記事> |
国会議員ラファエル・チェゲニ博士(タンザニア)及びキャスパー・ビーチ |
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ラファエル・チェゲニ博士はPNNDグローバル評議委員会の副事務総長、ビーチ氏はPNNDのグローバル・コーディネーター補) |
PNND(*グローバル)評議会のメンバーであるラファエル・チェゲニ閣下(タンザニア)とデビッド・コターツ(ジンバブエ)閣下は、PNNDのニュージーランド・セクションの委員長であるニック・スミス閣下とともに最近、アフリカ非核兵器地帯条約を批准していないすべてのアフリカ政府に手紙を書いて、批准をすることが緊急の課題だと訴えた。
(* |
ここに登場する人物はすべて、その国の国会議員。英語社会では選挙で選ばれた代議員には「Honorable」の敬称をつける習慣があるので閣下とした。実際の語感は日本語の閣下というより、「先生」の方が近いのではないか。) |
ペリパンダ条約は1996年に調印され、今までに対象アフリカ54カ国のうち51カ国の署名を得ている。しかし現在まで23カ国でしか批准を得ていない。28カ国の批准が発効要件であり、その時点で完全に条約が機能し、またその他の非核兵器地帯で作る「南半球及び近隣地域非核兵器地帯」(参加は、ラテンアメリカ・カリブ海非核兵器地帯、南太平洋非核地帯、東南アジア非核兵器地帯の3つの非核兵器地帯)に加盟できる。
核兵器に関するアフリカの関心は「冷戦」の緊張の中、核兵器保有国による核実験の雰囲気、これにはフランスのアルジェリアにおける実験やアパルトヘイト政権下の南アフリカの核兵器開発計画などが含まれるが、こうした緊張関係の中から核兵器に対する関心が生まれた。
しかしながら、そうした関心が、非核兵器条約へと向かっていくには、冷戦の終結やアパルトヘイト時代の終焉を待たねばならなかった。進展への起爆剤となったのは、南アフリカにポスト・アパルトヘイト政権が誕生し、ペリパンダ核兵器工場を閉鎖し、全ての核兵器設備を廃棄して、アフリカにおける非核兵器地帯の主導機構に参加したことである。
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この時南アフリカ共和国は、核兵器を実戦配備していたが、ネルソン・マンデラの率いる政治グループは、アパルトヘイト政策を放棄したデ・クラーク政権に強い影響を与え、核兵器を廃棄させると同時に、南アフリカ非核兵器地帯に参加し、またIAEAに加入して、核兵器不拡散条約に参加した。南アフリカの核兵器製造工場は、ペリパンダにあったため、南アフリカ非核兵器地帯条約のことを「ペリパンダ条約」と呼ぶようになった。) |
PNNDが共同で出した手紙には、幾つかの国から、現在丁度「南アフリカ非核兵器地帯条約」を批准したところだ、とか現在批准に向けて作業中だとかといった反応が寄せられた。また、幾つかの国の国会議員が個人の資格で興味を示してくれたり、あるいはPNNDに参加してくれた。
しかしながら多くの国では、核実験禁止の成功、南アフリカやリビアの核兵器開発計画の放棄によって、開発途上国がもつ緊急性が遠のいていった。
しかし、別な核の脅威がアフリカにやってきた。電力の不足で核エネルギーの平和利用が大きな関心となり、ウラニウムの大規模な開発や抽出が始まった。またウラン鉱石の高騰がそれに拍車をかけたのである。このことは核拡散の危険やウラン関連施設がテロリストの標的になる危険性が高まったことを意味する。
(*南アフリカ非核兵器)条約が発効するまでは、拘束力もなければ法的に強制力もない。これには、核兵器保有国が承認する追加議定書、すなわち、この地域に核兵器を配備しない、核兵器を使った威しをしない、核兵器を使用しないなども含まれている。このようにアフリカは核拡散や核兵器の脅威に対しては脆弱なままなのだ。またこの地域にまき散らされるかもしれない核燃料の不拡散に対しても脆弱なままだ。条約が発効すれば、条約に基礎をおく「アフリカ核エネルギー委員会」も設置できるだろうし、核拡散物質のセーフガードを推進したり、不拡散を推進したりするための地域的連携関係も構築できるだろう。このように条約の批准は、依然として絶対避けることができないのだ。(imperative)
自身ジンバブエに基盤をもち、また支援を受けているPNNDのメンバーでもある、デビッド・コルタート議員(ジンバブエ)は、ラファエル・チェゲニ議員(タンザニア)、PNNDのグリーバル・コーディネーター補であるキャスパー・ビーチなどとともに5カ国の南アフリカ地域の国の首都を訪れた。そこで鍵を握る国会議員や政府の閣僚、市民社会の代表などとあってこの問題を提起した。ビーチ氏のモザンビーク訪問の結果、PNNDのメンバーであり、また影の外務大臣であるエドアルド・ナムブレーテは、ただちにペリパンダ条約の批准を政府の強力な後押しの元にモザンビーク国会に提議した。またビーチ氏は今年中にアンゴラ、ブルンジ、マラウイ、ナムビア、ザンビアなどの国々からも批准をおこなうとの回答をうけとった。
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このうち、ブルンジはこの09年5月、アフリカ非核兵器地帯条約を批准した模様である。まだ確認情報がない。なおこの情報は、現在モンゴル・ウランバートルで開かれている「非核兵器地帯条約国会議」の参加者からの知らせである。) |
この出来事を基礎として、私たちはこの課題をすべてのアフリカ諸国の同胞に提起し、すべてのPNNDのメンバーを鼓舞したい。これは財政的負担を伴ったり、複雑な外交駆け引きを要する議題ではない。アフリカの法律制定者たち(*すなわち各国の国会議員)の心の中に提起すればそれで済む問題なのであり、アフリカ諸国の議題とすればそれでいいテーマなのだ。
アフリカは、批准条約の下で、より安全となる。拡散の脅威に対しては強化される。そして非核兵器地帯に、その絶対不可欠を力強く増進していくであろう。特に私たちの隣人地域である、中近東とヨーロッパにたいしてはそうだ。
アフリカ非核兵器地帯は、また「核兵器のない世界」へ向けて重要な跳躍台としての役割を演ずることができるのだ。
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極めて簡潔かつ力強い呼びかけである。新興アフリカの、高い、21世紀の思想を感じないわけにはいかない。こうした地球市民の固い団結こそが、「核兵器廃絶」を実現させる。) |
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