(原文:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/index.php?documentdate=1945-07-17&documentid=63&studycollectionid=abomb&pagenumber=1) 1945年7月17日 スターリンと2時間ほど過ごしたところだ。 昨晩ジョー・デイヴィーズがマイスキーを訪問して、今日の午後のアポイントメントを決めた。かっきり12時2−3分前に、デスクから顔を上げると廊下にスターリンが立っていた。私は立ち上がってスターリンに近寄った。彼は大きく両手を拡げ、私に笑いかけた。私も同じようにし、お互い握手した。私はモロトフと通訳に会釈し、それからみんなで腰を下ろした。
通常の礼儀正しい挨拶をしあった後、早速要件に入った。私はスターリンに、自分は外交官ではない、しかし一通り議論をしあい十分話を聞いた後なら問題に対してイエス・ノーをはっきりするタイプだ、と云った。彼は気に入ったようだ。それから私はスターリンに何か特別な議題があるかと尋ねた。スターリンはあると答え、それから質問してみたいこともあると云った。私は何でもいいから聞いてくれと云った。彼は質問をした。その内容は爆弾みたいなものだ。しかし爆弾なら私も持っている。今は爆発させないが・・・。スターリンはフランコを攻撃したがった。私に異議はない。それからイタリアの植民地や委任統治領の分割についても異議はない。ただしそれらのいくつかはイギリスも欲しがっていることは疑いようがない。それからスターリンは中国との情勢について話してくれた。何が合意に達し、何が保留中であるかに関して。彼はジャップとの戦争に8月15日に参戦するつもりだ。ソ連がやってくればジャップも一巻の終わりだ。私たちは昼食を共にし、なごやかに歓談し、本当らしく見せかけ合い、みんなに乾杯し合った。それから裏庭で写真をとった。スターリンとはやっていける。正直な男だ。しかし悪魔のように頭がいい。
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