(2010.2.26)
追加訂正:2010.2.27 |
(第2回へ) |
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◆第3回◆
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恒常的訓練サイト |
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第5空母航空団がどんな軍事活動をしてきたか、おおよそ2003年くらいまでは、見ることができました。湾岸戦争に参加し、イラク空域封鎖にも大いに働きました。2001年、「9/11事件」のあと、真っ先にアフガニスタン侵略作戦に関わり、「アメリカ海軍唯一の国外駐留航空団」として、その名に恥じぬ活躍をしたことも見ました。
ところが、2003年3月のイラク侵略以降、まとまった記述がありません。イラク侵略にも関わったことは、もう想像以上のものがありますが、どこに前方展開基地を置いて、何回出撃し、どのくらいの爆弾を降らせたかというになると、さっぱり手がかりがありません。
現在2010年ですが、その間の間隙をなんとかできるだけ埋めなくてはなりません。先ず、空母離発着訓練の場所のことです。これは硫黄島が「暫定訓練サイト」であることには変化がなさそうです。ただ、「米軍再編ロードマップ」では、「恒常的な施設を2009年7月又はその後のできるだけ早い時期に選定することを目標とする。」としていますので、あるいはもう候補地の選定ぐらいは終わっているのかも知れません。
2010年2月20日に岩国の岩国シンフォニアで開かれた「米軍再編と岩国」を考えるフォーラムでも、会場から「恒常的な訓練施設はどこになるのか決まったのか?」という質問が出ていましたね?それに対する防衛相北沢俊美の答えがふるっていました。
『 |
まだ、決まっておりません。ただ岩国でそれを行わないことはお約束します。』 |
当たり前です。岩国で本格的な訓練などできるわけがありません。先にも触れたように、「岩国から100海里以内(約183Km)」のどこか適当な場所という事になるでしょう。陸上で仮の訓練はできるかも知れませんが、本格的には空母を使って実地訓練をしなければなりませんから、「岩国から100海里以内のどこかの海上」が本格的訓練サイトを決定しなければならないでしょう。しかしそれを今決めてみたところで意味はありません。
厚木から岩国への本格的移転をしなければ、実施できません。厚木から飛び立つわけにはいかないのですから。 |
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「ジョージ・ワシントン」 |
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2003年から2010年までの、最大の変化はCVW−5の艦載空母が、「キティ・ホーク」から「ジョージ・ワシントン」に替わったことでしょう。
ですから先に航空母艦「ジョージ・ワシントン」(George Washington CVN-73)から見ておきましょう。(この記述は英語Wikipedia "USS George Washington (CVN-73)"< http://en.wikipedia.org/wiki/USS_George_Washington_(CVN-73)>の記述を主として参照しました。)
横須賀を母港とする航空母艦は、アメリカにとって唯一国外に配備される、言い替えれば前線配備の航空母艦でした。それが1961年就役のキティ・ホークから、1992年就役の原子力スーパー航空母艦「ジョージ・ワシントン」に交代したことは、アメリカが横須賀をさらに重視した結果と考えていいのではないでしょうか?
前回見たように、横須賀を母港とする航空母艦はこれまで、退役直前のいわば老朽艦が当てられて来ました。しかし湾岸戦争あたりから、そうともいえなくなりました。キティ・ホークは、1961年就役の古い航空母艦ですが、現在でも現役の空母「エンタープライズ」と同年就役です。しかも、キティ・ホークやエンタープライズから丁度アメリカの空母は、世代交代します。確かにエンタープライズも原子力空母ですが、原子炉が8基もついている、いわば過渡期の原子力空母でした。「エンタープライズ級」は結局「エンタープライズ」1隻しか就役しませんでした。原子炉2基の現在のニミッツ級は1975年就役の空母「ニミッツ」からです。
英語Wikipediaの「アメリカの航空母艦一覧リスト」(<http://en.wikipedia.org/wiki/
List_of_aircraft_carriers_of_the_United_States_Navy>)を見てみると現在現役空母は、エンタープライズを含めて11隻あります。すべて原子力空母です。うち10隻が「ニミッツ級」です。現在次世代型の「フォード」級が建造中で2015年就役予定になっていますが、次に退役するのは間違いなく「エンタープライズ」でしょう。
しかし、横須賀には「ジョージ・ワシントン」が当てられました。10隻の「ニミッツ」級空母の中では丁度真ん中あたりに位置する就役年です。最新鋭艦とはいえませんが、「横須賀」の地位ははるかに上がっているとはいえましょう。
キティ・ホークは湾岸戦争をはじめ、アフガニスタン戦争、イラク戦争と主として西アジア・中東地域を「戦域」としたときの、前線配備航空母艦だったということができます。いわゆる東西冷戦時代の横須賀の航空母艦よりもはるかに多くの実戦経験をもちました。
2008年横須賀配備の「ジョージ・ワシントン」も恐らく西アジア・中東地域を「戦域」と想定しているのではないでしょうか?ということは、その艦載空母航空団であるCVW−5も同じ運命を持っているのだと思います。 |
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中東地域で戦歴 |
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「ジョージ・ワシントン」は、バージニア州ニューポート・ニューズ市にあるグラマン社(現在は合併してノースロップ・グラマン社)のニューポート・ニューズ造船所で建造されました。この造船所とゼネラル・ダイナミクス社のエレクトリック・ボート社だけがアメリカで原子力推進軍艦を建造できる会社です。(ノースロップ・グラマンは原子力空母、ゼネラル・ダイナミクス社は原子力潜水艦)
英語Wikipediaは、建造費が45億ドル以上かかったとしています。2008年5月、母港バージニア州ノーフォーク海軍複合施設から新母港横須賀に配備される航行中、南アフリカ沖で大火災を起こしていますが、この修理費が7000万ドルだったと伝えています。結局サンディエゴで修理して、横須賀に入港したのは2008年9月のことでした。
私とすれば、ジョージ・ワシントンの実戦配備経歴を見ておきたいのですが、その規模の大きさだけ簡単に見ておきましょう。長さが333m(吃水の長さは317m)、高さ77m(海上部分は41m)、総トン数は9万9000トン。原子力推進炉は2基(これはウエスティングハウス社製です。この会社は「マンハッタン計画」以来の核兵器企業です。)、蒸気タービンエンジンが4基ついています。
それより、英語Wikiの次のような記述の方が大きさを実感できるのではないでしょうか?
『 |
・・・船は24階建ての建物の高さにほぼ匹敵する。・・・6250名の人員を収容できる。容器給水機が装備されているが、毎日150万リットル分の携帯容器に給水できる。・・・食事については毎日1万8000食分を供給できる。2500室を備えているが、このための冷房設備は2000戸以上の住宅に冷房サービスを供給できる能力を持っている。』 |
6000人以上の生身の人間が、狭い艦内の、一種異様な「人間社会」で暮らしているわけです。人間である以上、普通の人間社会に触れたいでしょうし、娯楽も必要でしょう。ここに、比較的大規模な都市近郊を母港とする理由があります。インド洋の要塞島では、人間が必要とする普通の「人間社会」を提供できないのです。そのかわり、小泉純一郎君が愛してやまない「アメリカ文化」が横須賀に奔流するわけです。しかしその「アメリカ文化」は、「人間性」や、そこで使われる「英語」を含めて、決してその良質な部分ではありません。
1994年、「ジョージ・ワシントン」(煩雑なので英語Wikipediaに倣ってGWと略すことにします。)が、ペルシャ湾に実戦配備されました。丁度「フセイン・イラク」が、第二次クエート侵攻をした時のことです。具体的な任務について、英語Wikiは何も書いていません。
1996年、ボスニア・ヘルツェゴビナ問題解決の話し合いが行われた時、GWはその会場となりました。(どこに停泊したのか明らかではありません。)またこの時、湾岸戦争のイラク封じ込め作戦の時、イラク南部の「飛行禁止区域」監視業務にあたりました。(ペルシャ湾か西インド洋ということになります。)
1997年10月から1998年4月まで約半年間、GWはペルシャ湾に駐留し、イラクが国連の「大量破壊兵器」調査官をスムースに受け入れるための軍事威圧任務の中心要素となりました。
( |
この時IAEAの調査官が、イラクは核兵器開発計画を完全に放棄した、と国連に報告しました。後にブッシュ政権は、「核兵器開発計画が存在する。」と言わせようとIAEAに圧力をかけました。元IAEA事務局長ハンス・ブリックや当時のムハンマド・エルバラダイ事務局長はこの圧力を断固はねつけ、ためにブッシュ政権は、「大量破壊兵器」があることを開戦事由にしなければなりませんでした。それも結局なにも見つかりませんでした。) |
2000年、GWは6月から12月まで再びペルシャ湾にとどまりました。この時は、地中海、インド洋、ペルシャ湾での作戦任務を含んでいます。ペルシャ湾での任務はイラクの「南方監視作戦」任務です。この時イラクへの出撃回数は800回を越えた、と「英Wiki」は書いています。地中海ではアドリア海に駐留し、ユーゴスラビア大統領選挙で高まる緊張に対処した、としています。
この半年間で、GWの第17空母航空団(CVW−17)は9000回以上出撃し、GWに9000回の緊急着陸をしました。
2001年、
『 |
9月11日の朝、「9/11事件」が発生した時、ジョージ・ワシントンはバージニア沖で通常の適格性能試験を実施中だった。北方へとって返し、ニューヨーク沖に到着したのは翌日だった。』 |
と「英Wiki」も思い入れたっぷりに書いています。そして急遽空母「ジョン・F・ケネディ」から借りてきた空母航空団を艦載して、地域・空域の警戒にあたります。アフガニスタン侵攻作戦には参加せず、その年いっぱい訓練任務についたようです。
2002年、6月やっとアラビア海(ペルシャ湾)に出発、イラク「南方監視作戦」とアフガニスタンでの「不朽の自由」作戦に参加します。その約半年間、約1万回の出撃だった、と「英Wiki」は書いています。
2003年、GWは艦載航空団や航空群の整備に時間を費やした後、9月、戦闘機着艦事故が発生し、その年中後始末に追われます。
2004年、年初から「テロ戦争」作戦任務につき、地中海からスエズ運河を経由して、2月にはアデン湾に入って、ペルシャ湾での作戦に参加します。4月9日、艦載航空団であるCVW−17のホーネットがレーザー誘導で、イラク・ファルージャに2個の500ポンド爆弾を投下しました。これがGWが「イラクの自由作戦」「不朽の自由作戦」任務についてから、CVW−17が行った初めての爆弾投下でした。
しかし、勝手に「何とかの自由作戦」と名付けて、他の国に爆弾を落としたり、ミサイルを撃ち込んだり、全くアメリカという国はやり放題です。第63回国連総会議長のミゲル・デスコト・ブロックマンがアメリカを「戦争中毒の国」だと云ったのも頷けます。日本の大手メディアはアメリカをなんとか「民主主義の国」「平和主義の国」「人道主義の国」として描き出そうとしていますが、その実もっとも危険な「軍国主義国家」です。これはオバマ政権になっても変わりません。それどころか予算面からみると、オバマ政権は、ブッシュ時代よりもさらにその「軍国主義的傾向」を強めています。
2005年、GWはノーフォークの海軍基地に戻り、保守や修理を受けて、また各部分の機能アップを施した後、12月1日キティ・ホークに替わって横須賀を母港とする、アメリカ海軍唯一の国外駐留航空母艦となる、と同時に、アメリカ大陸以外で常駐する初のアメリカの原子力通常艦船となることが発表されました。
そして2008年4月、GWはその空母航空団CVW−17を乗せ、第8空母打撃群を伴って横須賀へ出発し、CVW−17は厚木を母基地とするCVW−5と、また第8空母打撃群は横須賀を母基地とする第5空母戦闘群と交代しました。
横須賀には、空母「ジョージ・ワシントン」以外に、第5空母打撃群(Carrier Strike Group 5)というのがいたんですね。全然知らなかった・・・。
空母打撃群は日本語Wikipedia(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%
E6%AF%8D%E6%89%93%E6%92%83%E7%BE%A4>)によると「通常、1隻の航空母艦とその艦載機、護衛艦(CG, DDG, DD, SSN)、補給艦によって構成される。」と説明していますが、ここでは、護衛艦や補給艦のグループを指しています。
第5空母打撃群は、ミサイル巡洋艦「シャイロー」(CG-67)、同じくミサイル巡洋艦「クープンズ」(CG-63)、ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」(DDG-56)を主力とする護衛艦・補給船のグループということだそうです。
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4つの攻撃戦闘機飛行大隊 |
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さて肝心のCVW−5の構成です。一応別表「アメリカ海軍 第5空母航空団の構成と主要装備」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/US_JP_ST/CVW-5.htm>)にまとめておきましたので、それを参照しながら進めて行きます。
別表によれば、CVW−5は9つの飛行大隊から構成されていることになります。しかしそのうちの、海上制圧飛行大隊「VS−21」は、2004年以降すでに退役したのだと思います。まず、主装備の対潜哨戒機「S-3B バイキング」自体が、2009年にアメリカ海軍から完全退役したようなのです。たとえば、英語Wikipedia「アメリカ海軍航空飛行大隊リスト」(“List of United States Navy aircraft squadrons”<http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_United_States_Navy_aircraft_squadrons>)を見てみても、「VS」で始まる飛行大隊そのものがなくなっています。また任務としても対潜水艦ヘリコプター飛行大隊「HS−14」と重なり合っています。ですから、「VS−21」はもう存在しないのだと思います。
それと、艦隊兵站支援飛行大隊の「VRC−30」は母基地が横須賀ではなく、サンディエゴのノースアイランド基地となっています。ここが疑問点です。(後で解決できると思います。)
「グローバル・セキュリティ」のサイトでも、英語Wikipedia「CVW-5」でも、VS−21を除く、4つの攻撃戦闘機飛行大隊「VFA-27」、「VFA-102」、「VFA-115」、「VFA-195」、電子戦闘飛行大隊の「VAQ-136」、艦載早期警戒飛行大隊「VAW-115」、対潜水艦ヘリコプター飛行大隊「HELASRON HS-14」、艦隊兵站支援飛行大隊「VRC-30」の8飛行大隊は一致しており、CVW―5はこの8隊で構成されていると考えていいと思います。
もし、上記の表が正しいものだとすれば、以下の航空機が岩国に移って来ることになります。
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F/A18E スーパーホーネット(単座)・・・・・ |
24機 |
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F/A18F スーパーホーネット(複座)・・・・・ |
13機 |
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F/A18C ホーネット(単座)・・・・・・・・・・・・ |
12機 |
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EA-6B プラウアー・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
4機 |
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E-2C ホークアイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
4機 |
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シーホーク・ヘリコプター・・・・・・・・・・・・・・・ |
6機 |
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C-2A グレイハウンド・・・・・・・・・・・・・・・・ |
12機 |
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UC-12 スーパーキングエア・・・・・・・・・・・ |
3機 |
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合 計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
78機 |
機種の大きさや質の違いを無視して単純に計算しても合計70機を越える大部隊が岩国にやってくることになります。
ここで私はおかしいな、と思います。厚木から岩国移駐してくる航空機は59機とされているからです。たとえば、2010年2月22日社会民主党の阿部知子が国会に提出した質問趣意書(http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a174114.htm)を見てみても、阿部はこの中で「現行の米軍再編計画によると、米海軍空母艦載機(F/A−18、E/A−6B、E−2C、C−2、計五九機)」と云っており、民主党政府は特にこれを否定していません。だから59機であることは間違いないと思います。
FA18、すなわちホーネット及びスーパーホーネットが合計49機、EA-6Bプラウアーが4機、E-2Cホークアイが4機で合計57機。C-2(これはC-2Aグレイハウンドのことだと思います。)が移駐することは、「ロードマップ」に明記されていますから間違いなく移駐してくる計画なのでしょう。そうすると、「VRC-30」飛行大隊から2機だけ引き抜いてくるのでしょうか?
もっともこれは大した問題ではないのかも知れません。というのは、米軍再編の眼目は、ホーネット及びスーパーホーネットの「岩国移駐」にあり、実戦戦闘部隊としてそれを直接支援する電子戦闘飛行大隊「VAQ-136」(EA-6Bプラウアー部隊)と艦載早期警戒飛行大隊「VAW-115」(E-2C ホークアイ部隊)があれば最低限、実戦は戦える、言い替えれば「日常業務」としてとしての「実戦訓練」が成立するからです。ヘリコプター部隊にしても、輸送部隊にしても、実戦上はどうにでもなります。
重要なことは、シーホーク・ヘリコプターも1機、スーパーホーネットも1機、合計59機みたいな乱暴な数え方をしていては、CVW−5が何故厚木から岩国に移駐しなければならないのかという問題はあきらかにならないと思います。
CVW−5の中心部隊は、4つのホーネット飛行大隊です。もう少し絞って云えば、3つのスーパーホーネット飛行大隊合計37機です。なぜ、岩国に移駐してくるのか、を明らかにすることが重要だと思います。
今岩国基地では、滑走路の沖合移設工事を完了して、防衛省地方局長井上源三の説明(2010年2月20日、岩国市で開かれた「米軍再編と岩国」を考えるフォーラム。以下フォーラムと略)では、新しい滑走路が完成して稼働すれば、旧滑走路は閉鎖するとのことでした。しかし私が聞き漏らしたのでなければ、閉鎖してサラ地にするのではなく、「新しい滑走路のためのちょっとした施設は設置する。」という説明でした。たとえば、スーパーホーネットやホーネットだけで49機あるわけですが、これらが一斉に離陸する姿を想像して見てください。1本の滑走路を一どきに使えるのは1機だけでしょう。あとは順序よく並んで、待機し、効率よく飛び立たねばなりません。私は軍用飛行場の運用などといったことは全く知りませんが、それでも滑走路以前に相当な発進用駐機スペースや輸送スペース、それらを円滑に運営するための装置や機材、施設が必要だろうぐらいは想像がつきます。
私たちは航空団というと操縦士や整備士ばかりを想像しますが、空母航空団はそれだけで大規模な組織です。英語Wikipediaに「アメリカ海軍飛行大隊」のモデル組織図がのっています。(<http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_United_
States_Navy_aircraft_squadrons>)。 |
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飛行大隊自体が大規模組織 |
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これを見ると、航空団どころではなく、一つの飛行大隊が極めて大きな組織であることがわかります。
まず司令官がいて、その下に高級士官と一団の司令や顧問のグループがあります。全体は4つの「部」に分かれています。このモデル組織図によるとー。
作戦部: |
訓練課、スケジュール課 |
保守部: |
保守部はまた4つの課に分かれていて、 品質保証課
航空機課:動力工場班、機体班、耐用年数支援班、環境システム班、電気班
航空電子/兵器課:兵器発射管制班、爆弾班、航空電子班 ライン課:トラブル解決班
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安全部: |
地上/非作戦課
飛行/作戦課 海軍航空訓練・作戦運用標準化(NATOPS)課 |
管理部: |
人事課
法務課 情報技術課 |
繰り返しになりますが、これは航空団全体の組織ではありません。一つの飛行大隊の組織です。操縦士や整備士だけでなく、多くの技術者や専門家、法律家、事務管理要員、コンピュータの専門家からおよそあらゆる組織に必要な多様な人員が必要となることでしょう。当然彼らが働く事務所、あるいは専門現場施設も必要です。
航空団全員では、どれくらいの人員が必要なのでしょうか?
直接の比較はできませんが、以前広島と長崎に原爆を落とした509混成航空群について調べたことがあります。航空群ですから航空団より一つ下のレベルになります。第393爆撃飛行大隊(重爆)、第320部隊輸送飛行大隊、構成要素支援組織として、いろんな飛行大隊や、憲兵中隊などから選抜されたグループが地上で2つの飛行大隊を支援していました。この構成要素支援組織の人員が合計で1079名、2つの飛行大隊の人員が総員691名、合計1770名でした。運用していたのは15機の重爆撃機(B-29)、大型輸送機5機でした。
時代が違い、陸軍航空隊のケースですから一概に引き比べることは、危険ですが、それでも、CVW−5には相当な人数が配置されていることは容易に想像がつきます。
家族持ちは少ないかも知れません。それでも年配の士官、下士官クラスで家族と暮らしたいという希望があれば、住宅を用意しなければならないでしょう。岩国市愛宕山の山口県が開発した住宅用地を、そっくり国が買い取る計画で、すでに今年度国の予算計上がなされていますが、これを移駐してくるCVW−5の要員家族用の住宅用地とすることは、選択問題ではなく、必須事項だということは容易に推察ができます。
先日のフォーラムで、愛宕山の住宅用地を山口県から購入する予算をすでに計上されている問題をつっこまれた防衛相の北沢俊美は、「別にこれはアメリカ軍住宅用地として購入するわけではない。使い方はみなさんと相談して決めてもいい。」と回答していましたが、白々しい、というべきでしょう。「愛宕山」がCVW−5要員の住宅用地とならず、住宅地手当てが仮に暗礁に乗り上げれば、CVW−5移駐の根幹に関わる大問題となるでしょう。 |
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岩国にやってくるもの |
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さて私の問題意識は、もともと厚木から私の隣町岩国に何がやってくるのか、そしてそれは私たちの暮らしとどう関わるのかでした。全くこの問題について、勉強していませんでしたので、これを機会に勉強してみようということでした。
何がやってくるのか、ちょっとはわかって来たように思います。しかし、どんな「兵器」がやってくるのかはまだ見ていません。それを次にみておきましょう。ホーネットとスーパーホーネットは後回しにして、まず気にかかっていることから見ておきましょう。艦隊兵站支援飛行大隊「VRC−30」も岩国に来るのか、という問題です。というのは、今回の移駐は厚木のCVW−5がそっくり岩国に来る問題です。ところが、VRC−30は厚木が母基地ではなくて、サンディエゴにあるノースアイランド基地が母基地だから、岩国に来ないのではないか、という疑問です。
もう一度「日米再編ロードマップ」を見てみましょう。
(<http://www.mofa.go.jp/mofaJ/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html)
こう書かれています。
『 |
第5空母航空団の厚木飛行場から岩国飛行場への移駐は、F/A-18、EA-6B、E-2C及びC-2航空機から構成され』 |
ですからホーネット、スーパーホーネットはもとより、EA-6B プラウアー、E-2C ホークアイ、C-2A グレイハウンドもやってくることになります。逆にヘリコプター部隊のことは触れていません。ヘリコプター部隊はシーホークが主体ですから、あるいはいざ、2014年になればどうとでもなると考えているのかも知れません。今の問題は、サンディエゴのノースアイランド基地のVRC−30もやってくるのかどうかという点でしたから、これは岩国にやってくると考えておいた方がいいと思います。
さてEA−6Bプラウアー(EA-6B Prowler)から見てみましょう。EA−6Bプラウアーは艦上電子戦機です。
日本語Wiki(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%
AD%90%E6%88%A6%E6%A9%9F>)は電子戦機のことを次のように説明しています。
『 |
電子戦機とは、電子機器を主軸とした戦術を実施する航空機のこと。電子偵察機、電子戦支援機、電子妨害機などがある。主用する器材はESM逆探知装置とジャミング電波妨害装置である。電子戦機の開発には高度な電子情報技術の集積が必要なため、先進国の一部しか保有しておらず、その中でも米国が充実している。』 |
現代の軍用機は一面、エレクトロニクスとコンピュータの結合といった側面があります。それを逆手にとって、敵の頭脳を攪乱してやろうというのが電子戦機の発想なのでしょう。
EA−6Bプラウアーは、ベトナム戦争の時にはすでに投入されており、1986年リビアがテロ組織を支援しているとして、一方的にリビアを空爆し国際的な非難を浴びたことがありましたが、この時も使われています。湾岸戦争の時も使われました。多分、アフガニスタン、イラクでも使われていることでしょう。開発メーカーはグラマン社です。(現在は合併してノースロップ・グラマン社)1台あたり5200万ドル(約47億円。1ドル=90円以下同じ)もするそうです。(以上日本語Wiki<http://ja.wikipedia.org/wiki/EA-6_
(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#EA-6B>によります。)
艦載早期警戒飛行大隊「VAW-115」の主装備、E−2Cホークアイは全方向レーダー探知機を積んだ警戒機です。最新型モデルでは、全方向560Kmの敵を探知し、早期警戒警報を出します。同時に2000個のターゲットを追跡できるそうです。(アフガニスタンのタリバン相手では全く役に立たないでしょうね、きっと。)開発メーカーはノースロップ・グラマン社です。1台8000万ドル(約72億円)するそうです。アメリカ海軍の他、日本の航空自衛隊、イスラエルの航空宇宙軍、フランス海軍が採用しているそうです。(以上日本語Wiki<http://ja.wikipedia.org/wiki/E-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)>によります。)
艦隊兵站支援飛行大隊「VRC-30」のC−2Aグレイハウンドはアメリカ海軍が使っている艦上輸送機です。航続距離2889Km、最大積載量4.5トン。貨物の搬入出口は胴体のおしりから実施できるようになっています。開発メーカーはグラマン社(現在のノースロップ・グラマン社)で1機あたり、3800万ドル(約34億円)だそうです。
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F/A18 ホーネット |
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さていよいよ戦闘爆撃機ホーネットを見てみましょう。開発メーカーはマクダネル・ダグラス社ですが、同社はボーイング社に吸収合併されたため、現在はボーイングの製品になっています。
F/A18ホーネットは、艦上または地上からでも飛び立てる戦闘爆撃機として開発されました。「制空優位性の確保」「戦闘機護衛」「敵の防空力制圧」「軍事偵察」「前線空域管制」「24時間攻撃任務」などの用途を満たしているとされる多機能機です。また無線誘導や通信設備、自動管理システムが揃っていて、操縦士は操縦よりも兵器操作に集中ができるという点も強調されています。また重量に対して性能が優れており、このことがホーネットの拡張向上を実現させたと専門家は指摘しています。
ホーネットの最初のモデル、F/A18AとF/A18Bが海軍と海兵隊で運用開始になったのは1983年でした。なお、A/B、C/D、E/Fが型番ですが、それぞれA、C、Eが一人乗り、B、D、F、が二人乗りという対関係になった型番です。E/Fからはスーパー・ホーネットと呼ばれています。
投入されるとすぐに、戦闘グループの中心的存在になりました。性能、多用途性、信頼性、保守の容易さなどの点で優れていた、と専門家は云います。それまで海軍が採用していた戦術戦闘機に較べると、ミスが発生しない継続時間が3倍で、保守に必要な時間が半分で済んだといいます。最初に実績を上げたのは、1986年のリビア爆撃の時で、リビアのベンガジ要塞施設のミサイル発射装置やレーダー網を、ほとんど反撃を許さずに沈黙させたと云われています。
ホーネットのA/B型は合計約400台生産されました。アメリカ海軍は、ホーネットの攻撃力増強を企画しました。こうして生まれたのが、A/F18C型(一人乗り)とA/F18D型(二人乗り)です。
攻撃力と云えば、ホーネットはM61バルカン砲1門と9台のミサイル発射台を装備しています。それはC/D型も変わりません。しかしC/D型では装着できるミサイルの種類が一気に広がったのです。A/B型では、対レーダー基地攻撃で使われるHARMというミサイルが主体ですが、D/Fでは、高度中距離空対空ミサイル(AMRAAM)やマーベリックという空対地ミサイルも装備できるようになりました。しかしなんと言っても最大の違いは、C/D型では夜間攻撃ができる能力を備えていることではないでしょうか?
最近のアメリカの戦闘形態を見ると圧倒的に夜間攻撃が多くなっています。相手(敵)に夜間戦闘能力が備わっていないケースが多いので(イラクにしても、アフガニスタンにしても)、夜間攻撃能力を持つと優位性が大きく向上します。
今度厚木からやってくる攻撃戦闘飛行大隊を見てみると、ホーネットを装備しているのは「VFA-195」だけであとはすべてスーパーホーネットです。「VFA-195」はF/A18C型(一人乗り)を装備していますから、つまり4つの攻撃戦闘飛行大隊はすべて夜間攻撃能力を持っていることになります。このことは岩国市民にとって小さからぬ意味を持っています。つまり彼らは「夜間飛行訓練」「夜間離発着訓練」をしなければならないと云うことです。
F/A18C型とD型は1986年に開発が完了しましたが、湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」の初日、2機のホーネットがそれぞれ4個の2000ポンド爆弾を搭載してイラク上空に飛び立ちました。遭遇したミグ戦闘機2機を撃ち落とし、攻撃目標に爆弾を投下して帰還しました。湾岸戦争を通じて、ホーネットを装備したアメリとカナダの攻撃爆撃飛行大隊は24時間の作戦を遂行し、信頼性、生存性、「トン対マイル」爆弾投下効率のいずれの分野でも、記録を樹立した、と専門家は指摘しています。こうしてホーネットは、一躍攻撃戦闘機の花形となり、アメリカ海軍だけでなく、オーストラリア、カナダ、フィンランド、クエート、マレーシア、スペイン、スイス、タイなどの軍隊で採用されることになりました。
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なにやら、ボーイング社が読んだら喜びそうな記述ですが、専門家の分析なのですから仕方がありません。ボーイング社は今日本の自衛隊にスーパーホーネットの売り込みに熱心で、日本経済新聞の関係した各種定期刊物に提灯記事を書かせています。同じ提灯ならアメリカの専門家の客観分析記事を紹介しておけば、はるかに説得力があると思うのですが・・・。ところで私はこのホーネットに関する記述を、アメリカ科学者連盟(the
Federation American Scientists)の「F/A-18 Hornet」 <http://www.fas.org/programs/ssp/man/uswpns/air/fighter/f18.html>の記述によって書いています。) |
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スーパーホーネット |
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ホーネットよりもさらに大きな攻撃力や航続距離の要求が出始め、スーパーホーネットが計画されました。もう少しいえば、ホーネットC/Dで証明された夜間攻撃能力の増強が軍事的要求となったといっていいのだと思います。
もうC/D型の時のように、A/B型のプラットフォームを改良して、要求を満たすことはできませんでしたから、機体の設計からやり直すことになりました。結果、A/F18E及びF型は、ホーネットより4.2フィート長くなり、両翼は25%伸びました。燃料は33%余分に積めることになって航続距離も伸びました。結果任務範囲も41%向上しました。持久力においては50%向上しました。さらにミサイル発射台も2基増やして、合計11となりました。当然搭載可能なミサイルも増えます。なによりいわゆる「スマート兵器」といわれるミサイルがフルラインで装着可能となりました。
「スマート兵器」というのは、発射や投下された後も、組み込まれたコンピュータソフトと軍事衛星などからの時々刻々の変化情報を受け取りながら、自分で軌道修正しながら目標を攻撃する兵器のことです。JDAM(ジェイダム)やJSOW(ジェイソウ)などが代表的です。つまりより「精密兵器化」したということができましょう。
また機体が大きくなった分搭載できる爆弾量も増えました。ホーネットでは、約1万3700ポンド(約6600Kg)の搭載量でしたが、スーパーホーネットでは約1万7750ポンド(約8520Kg)。
全体的に云って、スーパーホーネットはホーネットに較べて「妨害・禁止任務」遂行能力が41%向上したと言う点がもっとも特徴的である、と専門家は指摘しています。
アメリカ海軍は当初、このスーパーホーネットを1000機配備する計画でした。ところが防衛計画見直し(QDR。4年ごとの防衛計画見直し作業。つい先頃2010年QDRがでたばかりなのでこの文章でいうQDRは2006年のものだと思います。)で、議会はこれを認めず、548機に減らしました。
548機でも大したものです。アメリカ科学者連盟の試算では、ホーネット1台の製造コストが、3950万ドルに対してスーパーホーネットは6000万ドル(54億円)です。これが548機となると約330億ドル(2兆9700億円)です。ボーイングは笑いが止まらないでしょう。
2009年会計年度、オバマ政権が要求して議会が承認した防衛予算を見てみても、ホーネット及びスーパーホーネットは20億ドルが割り当てられおり、単一プロジェクトとしては、11番目の優先順位を与えられています。
(優先順位の第一位は、ミサイル防衛の94億ドルでした。)(なお「アメリカの軍事予算―2010年」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/10.htm>を参照してみてください。)
その後、F/A18C及びDも段階的性能向上が図られで、現在スーパーホーネットと共に、色々なミサイルが搭載できるようになりました。
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B61核爆弾 |
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たとえば、スーパーホーネットF/A18Eが搭載できる爆弾やミサイルを挙げてみましょう。AIM-9 サイドワインダー、AIM-7Fスパロー、AIM-120 AMRAAM、AGM-65Eマーベリック、AGM-84ハープーン、AGM-88A HARM、MK82、10 CBU-87、10 CBU-89、GBU-12、GBU-24、JDAM、B-57 またはB-61核爆弾・・・。
私にはどのミサイルがなんで、何が違うのか全く区別ができません。ただ私にもわかる兵器が掲載されています。それは核爆弾のB−57とB−61です。B−57もB−61も自由投下型核爆弾です。
「グローバル・セキュリティ」が発表している「アメリカの歴史的核兵器」というリスト
(“Historical United States Nuclear Weapon”
<http://www.globalsecurity.org/wmd/systems/nuke-list.htm>。このリストは恐らくアメリカ科学者連盟の調査データと「アメリカの核兵器完全リスト」“Complete List of All U.S. Nuclear Weapons”<http://nuclearweaponarchive.org/Usa/Weapons/Allbombs.html>という「核兵器アーカイブ」<http://nuclearweaponarchive.org/>の発表データをベースにしたリストだと思います。)を見てみると、核爆弾B-57はすでに廃棄処分になっていますが、B-61は現役です。B-61ファミリーは1967年に製造が開始され、1991年まで断続的に製造が続けられました。リストでは「戦略型あるいは戦術型の自由投下型核爆弾」と分類していますが、次の写真を見るとミサイルの弾頭にも格納できるのだな、とわかります。
B-61ファミリーは、モデル0からモデル11まで製造されています。それぞれ何発製造されたのか私にはわかりません。しかし、おかしなことにこのファミリーはモデルによって、出力(Yield)が全く違うのです。
たとえば、モデル0は戦術爆弾と位置づけられ、出力は10万トンです。
( |
トン数はTNT火薬換算の破壊力のことです。10万トンといえば、NTN火薬10万トンに相当する破壊力があるということです。ちなみにこのリストでは、広島の原爆の破壊力は1万5000トンと推定され、長崎の原爆は2万2000トン、また最初の原爆実験、アラモゴード砂漠で炸裂した「ガゼット」は1万9600トンと推定しています。) |
10万トンといえば現在の核兵器の破壊力から云えば小型の部類に属するでしょう。モデル3の中には3000トンというのもあります。これは超小型で完全に戦術核兵器です。地域戦争で使えるでしょう。モデル9は1万トン、10万トン、34万5000トン、50万トンと4種類あり、戦術型から戦略型までカバーしているというべきでしょう。
ところが、モデル1は110万トンの破壊力を持っています。完全なメガトン爆弾です。当然戦略核爆弾ですし、これは私の推測ですがもう原爆ではありえないでしょう。熱核融合爆弾(水素爆弾)に違いありません。このリストに従って広島型原爆の破壊力を1.5万トンとしてみれば、B61のモデル1型は広島型原爆の73倍以上の破壊力を持つことになります。別の言い方をすれば73個の「広島」を同時に壊滅させられる力をもつということです。 |
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B61近代化を計画するオバマ政権 |
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ここまで書いてきて、もう一つ私が気がついたことがあります。
アメリカは1990年代の初頭から新たな核兵器の製造をやめています。要するに作りすぎたのです。これはロシアも同じ状況でしょう。
アメリカにいたっては、兵器級核燃料の製造を70年代から辞めています。これも作りすぎが原因です。
そうすると何が起こるかというと、製造・貯蔵した核兵器の経年劣化が起こります。実際に使わないまでも、実戦配備して潜水艦やミサイル発射装置、戦闘爆撃機などに装着していますから、核兵器の経年劣化は極めて恐ろしい事態を招きます。
こうした理由でクリントン政権時代から、アメリカは貯蔵核兵器の、いってしまえばオーバーホール、再生事業を開始しました。中にはもう供給部品メーカーそのものがなくなてっているモデルもありますから、このオーバーホール作業は、保有核兵器の選別作業であり、廃棄作業でもあります。ですからロシアとの戦略核兵器削減協定は、一面こうした作りすぎ核兵器の廃棄協定でもあります。
2009年8月9日、長崎の平和記念式典で、第63回国連総会議長のミゲル・デスコト・ブロックマンが、
『 |
今日のジョージ・オーウェル的世界においては・・・「軍縮」は通常であれば削減を意味しますが、核戦力の廃絶というより近代化を意味するものでもあります。』 |
といいましたが、それはこうした、経年劣化した核兵器を廃棄して、残った核兵器をオーバーホールして新品再生する一連の作業を指しています。
( |
長崎でのデスコトの指摘の意味がわかった日本人は何人いたでしょう?少なくとも「大オバマ惚け」の我が広島市長・秋葉忠利クンとか、「小オバマ惚け」の長崎市長・田上富久あたりはまるきり理解の徴候すらありません。) |
2010年2月オバマ政権は、2011年度の予算要求を議会に対して提出しました。その予算案をみて私はのけぞるほど驚いたのですが、「核兵器」予算を大幅に増額しているのです。
( |
オバマという大統領は、プラハ演説あたりから胡乱な人物だという風に私は思い始めました。その時プラハ演説を日本語に翻訳したことがあるのですが、その印象を、確か「口のうまい女衒」と書いたような記憶があります。(「バラク・フセイン・オバマのプラハにおける演説」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>) だから「核兵器予算」を大幅に増額したとしてもさほど驚くにはあたらない筈なですが、実際に堂々と予算要求されると・・・。もうなりふり構っていられない、という事なんでしょうけれど・・・。) |
予算の中心課題は、やはり「貯蔵核兵器のオーバーホールと新品再生」でした。もっと具体的に知りたいと思って調べたことがあります。
その中で今年から来年にかけて重点的にオーバーホール・新品再生するモデルとして、「W76LEP」「W78」と並んで「W61」が挙げられているのです。ちょっと引用しておきます。
『 |
核兵器貯蔵支援:貯蔵している核兵器をメンテナンス、オーバーホールする事業。割り当ては20億ドル(1800億円)で前年から25%のアップとなっている。重点的にはW76LEP(1978年から87年にかけて製造。トライデントT型・U型用の多頭型核弾頭。1発の破壊力は10万トンと比較的小型。それでもナガサキ・ヒロシマの5倍以上ある。)、B61(これは私はネットで検索し切れていない。“B”だからメガトン級の熱核融合爆弾だとおもうが。どなたかわかったら教えて欲しい。ここに追加で挿入する。)、W78(79年から82年にかけて製造。ミニットマン用のこれも多弾頭型。1発の破壊力は、33万から35万トン。多分今の平均破壊力は1発20万トンだと思うので、平均よりやや大型。)などに充てられている。』 |
この記事を書いた時には、「W61」についてわからなかったのですが、その後調べていてなにものかが大筋判明したわけです。(といって具体的な話になるとさっぱりわかりませんが・・・)
スーパーホーネットはアメリカ海軍航空力の主力です。しかも航空母艦搭載機として攻撃力増強を図って来ました。私には、オバマ政権の「核兵器能力増強計画」と偶然に一致しているとは到底思えません。その2つを繋ぐキーワードは「核爆弾W61」です。
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核爆弾はもってこないでしょうね? |
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厚木から長崎にやってくるスーパーホーネットは、今年から来年にかけて、オバマ政権が重点的に「近代化」しようとする3種類の核爆弾の中の「W61」を装着できます。しかも、私の推測では、ミサイル核弾頭とすることもできます。
私がもし「フォーラム」で質問できたとしたら、防衛相北沢俊美に、
「 |
厚木からやってくるスーパーホーネットには、まさか核弾頭はないでしょうね。まさかW61ファミリーを搭載していないでしょうね。それをここで約束してください。核弾頭を積んだスーパーホーネットが岩国から出発して、中東地域に向かうことはない、とここで確約してください。」 |
とでも質問したことでしょう。
この質問に残念ながら北沢は答えることができません。アメリカは艦船や航空機が「核兵器」を搭載しているか、という質問に対しては「イエス、ともノー、とも答えない。」政策を伝統的にとって来ているからです。
だから北沢が、アメリカの、たとえば国防長官のゲーツに、たとえば電話して、たとえば「ゲーツさん、岩国で質問があってね、厚木から来るスーパーホーネットには核爆弾は搭載していないことを約束してくれ、といわれているんだが、どう?、約束してくれる?」と聞いたとします。そうするとゲーツは北沢に、「北沢ハン、あんた、何いうとんねん、ウチらの伝統的政策ちゅうもんは知っとるやろ。いまさら野暮なこと、聞ききなはんナ。(ガチャン)」となることは請け合いです。
ですから北沢は、「日本には非核三原則というものがあって、これは日本の国是というべきものです。同盟国アメリカはこの日本の国是を遵守してくれると私は確信しています。」とでも答える他はありません。
「非核三原則」は最初から「非核二原則」だったことは天下周知の事実です。
「外務省密約」があってどうのこうのと大手メディアは騒いでいますが、そんな密約は今や「秘密」でもなんでもありません。最近「共同通信のスクープ」とかいって、「アメリカの文書を見つけ出してきた。」とか持ち上げていますが、これは「秘密でもないこと」をわざわざ「秘密化」する以上の効果しか持ちません。私などは、「外務省は共同通信を使って、騒ぎ立てさせ、その間にやろうと何か企んでいるな。」と勘ぐってしまいます。
1960年当時アメリカの駐日大使だったエドウィン・ライシャワーは、なくなる直前に内外の記者団に、アメリカが日本に自由に核兵器を持ち込むことができる約束があったことを当事者として語っています。これが未だに秘密だと思っている記者は、日本の外には一人もいないでしょう。 |
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下田武三の証言 |
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また都留重人は1996年に「日米安保解消の道」(和波新書 1996年12月第1刷)の中で次のように述べています。やや長くなりますが、引用します。
『 |
・・・(岸首相の説明に)・・・国民は、その時これで一応納得した形となり、約7年後に、佐藤首相が国会の場で非核三原則の定式化を行ったさいにも、これこそ日本の国是だという意識を、国民の大多数が持ったのである。それは68年1月30日のことだったが、佐藤首相は衆議院本会議で次のように述べた。(会議議事録からの引用。)
「 |
わが国の核政策につきましては、大体4本の柱、かように申してもいいかとおもいます。
第一は、核兵器の開発、それは行わない。また核兵器の持ち込み、それも許さない。また、それを保持しない。いわゆる非核三原則でございます。(「うそをつくな」と叫ぶこえあり) うそをいうなというやじが飛んでおりますが、さようなことはございません。この点ははっきりしております。
第二は、核兵器による悲惨な体験を持つ日本国民は、核兵器の廃棄、絶滅を念願しております。しかし、現実問題としてはそれがすぐ実行できないために、当面は実行可能なところから、核軍縮の点にわれわれは力を注ぐつもりでございます。・・・・。
第三は、平和憲法の建前もありますが、私どもは、通常兵器による侵略に対しては自主防衛の力を堅持する。国際的な核の脅威に対しましては、わが国の安全保障については、引き続いて日米安全保障条約に基づくアメリカの核抑止力に依存する。・・・・。
第四に、核エネルギーの平和利用は、最重点国策として全力をあげてこれに取り組む。・・・・
以上の4つを私は核政策の基本としているのであります。」 |
この発言によってもわかるとおり、佐藤首相は、「非核三原則」を定式化すると同時に、右の第三点で「核の傘」依存の態度を闡明にしたのだった。
ただ、この時佐藤首相は、「アメリカの核抑止力に依存する」という表現を使い、「核の傘」で護ってもらうなどとは云わなかったから、「抑止力依存」が「非核三原則」と矛盾するという理解は持たぬ人が多かったと思われる。
ことに、この佐藤首相による定式化の2年ほど前に。時の下田武三外務省事務次官が記者会見の席で次のように述べたことが、一般国民には「三原則」確認についての安心感を与えていた。
「 |
日本など非核保有国は、まず大国に核軍縮の履行を迫るべきであって、“他国の核のカサの中に入りたい”などといったりすべきではない、と私は考えている。現在の日本は米国と安全保障条約を結んでいるが、日本はまだ、米国の核のカサの中に入ってはいない」 |
というのである。
この下田次官の発言が実は1960年の日米間「核密約」を結局において表だたせることになったというのは、歴史の皮肉である。どうして下田次官がわざわざ右のような発言をしたかを説明して置かねばならないが、それは、ソ連のコスイギン首相が「ジュネーブの18カ国軍縮会議に提案されたソ連案」の中で、特に二歩のことを念頭に置いて、「ソ連政府は、自国領土内に核兵器をもたない条約参加の非核保有国に対する核兵器使用禁止の条項を、条約案に入れる用意があることを声明する」と述べ、この点を解説した<イズベスチヤ>紙のクドリヤフツェフ論説委員が、「もっともこの提案には、非核兵器国の領土に外国の核兵器が置かれていない場合にのみ、核兵器の使用禁止が適用されるという重要な但し書きがついている」(同氏66年2月13日付け)という注意を加えたことを念頭に置いて、下田氏は記者会見で先のような発言をしたものと思われる。 |
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77年以降は確認された周知の事実 |
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ところが、新聞で下田発言を読んだライシャワー米国大使は、びっくりしたらしい。というのは、1960年安保改定の時に、日本政府は米国の核持ち込みの権利を認める密約(トランジット<通過>の黙認とイントロダクション<持ち込み>の事前協議における同意)を結んでいたからである。ライシャワー大使は直ちに本国国務省に連絡し、バンディ国務次官補が急きょ、下田発言から5日後の2月22日に、米空軍の特別機で羽田空港に到着した。もちろん、マスコミも気がつかない来日だった。翌23日、バンディ国務次官補は、ライシャワー駐日大使と共に外務種に乗り込み、下田外務次官を詰問した。これに対し下田次官は、「あれは自分個人の見解であって、外務省あるいは政府によって正式に決定されたものではない」と説明した上で、「明らかに、日本とほとんどすべての自由主義国は米国の核の傘のもとにあること」を認めたが、しかし「核兵器を製造する能力があっても製造することをあえてしない国々の見解は、もっと重視されるべきだ」と主張したのである。この時、下田氏は長期の世界的な展望に立って、自前の核にも米国の核にも頼らず、日本は世界の核廃絶を目指す道を進むべきだと考える自分の信念を堂々と述べたのだった。
下田次官を詰問した時の一部始終を、ラ大使はただちにラスク国務長官当てに打電し、長官からは、即日、在日米大使館宛の電報が届いたが、その中で、ラスクは、1960年の安保条約に基づいた核密約の存在に言及したのだった。この時の電信が米国の秘密指定では「トップ・シークレット」ではなく、単なる「シークレット」であったため、10年後の解禁が認められ、1977年には米議会図書館での閲覧が可能となり、「核密約」は事実としての確認ができることとなったのである。コスイギン提案が日本で問題になっていることに関心を寄せたラスク長官は、ライシャワー大使あての返信の中で、「もし提案が取り入れられたら、日本の港湾の中の米国の艦船と通過(トランジット)中の米国の航空機に積載された核兵器の存在に関して、日本政府が受け入れてきたあいまいさは、もはや受け入れられなくなる可能性がある。これは、日本の米軍基地の有用性を著しく低めるものとなる。・・・・<また>提案の取り入れは、核兵器が配置されている地域としての沖縄を巻き込む反響を生むかも知れない。米国の核兵器が沖縄にある限り、ソ連は日本本土を“非核領土”とみなさないかもしれない」と書き、当時日本国民には知られていなかった「アメリカの核の傘」の実態に、何のためらいもなく言及したのだった。
下田次官は当然この1960年「核密約」のことを知りながら、コスイギン提案をきっかけに先のような発言をしたのであったらしいが、ライシャワーとバンディに説得されて、その後まもなく、核兵器を「絶対悪」というよりは「必要悪」と見なす立場をとり、あらためての記者会見(66年4月18日)で、次のように語った。
「 |
わが国の安全保障を考えれば、米国の核戦力につながる日米安保体制が必要なことは、明らかである。しかし、核兵器の拡散防止に関連して“大国の核の傘に頼るまい”とするのは、将来の問題でこの間に矛盾はないと思う。核兵器は細菌や毒ガス以上の大量殺戮兵器として、絶滅すべき“悪”ではあるが、現実の国際情勢ではこの“悪”に頼らざるをえない。いわば“必要悪”といえよう。・・・・ |
「 |
日本のように核開発能力を持ちながら、あえて開発に踏み切らないでいる国は、この“必要悪”をなくすか、無制限に拡大するかのキーポイントを握っている。核兵器をなくす努力は、単なる国際的な利害の調節のためではなく、わが国の民族的な使命として、長期的な観点から取り上げるべき問題だろう」と。
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この発言の最後の文章が、古武士のように剛直、潔白な人柄といわれた下田武三氏の信念であった、と氏の晩年に意見を交換することの多かった私は理解している。』(同書P53−P59) |
長い引用でまことにもって恐縮ではありますが、2010年の今日読み直してみると甚だもって、興味深いものがあります。
この本の著者の都留重人がここの部分を下田武三やライシャワーから直接聞いた話をもとに記述していることは明らかです。おまけに、ラスクの電報は1977年には、誰でも読める文書だったわけです。いわば77年以降は「公然の秘密」から確認のとれた「周知の事実」になっているわけで、いまさら「密約文書」が出てきた、もないでしょう。
「いや、外務省が直接それを認めるかどうかが大きい問題だ」という議論がもしあるとすれば、「核兵器をもっているかどうか、イスラエルが認めるかどうかが大問題だ」というのと同様、結局「周知の事実」を「公然の秘密」に押し戻したい「外務省」や「イスラエル」を利するだけです。
「何をもったいぶってんねん。みんな知っとるやないか、ダメダメ」と一蹴する態度が重要です。
それにしても、ラスクやライシャワーに脅されて自説を表向き撤回したものの、下田のような骨のある外交官は、その後絶えて外務省からいなくなりました。
なんの話でしたっけ? |
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最初から非核二原則 |
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ああ、そうそう、私が北沢に質問して、北沢が「非核三原則があるので、アメリカはそれを尊重してくれると確信している」と回答するだろう、というところまでした。
非核三原則は最初から非核二原則だったのです。
ですから、厚木から岩国にスーパーホーネットがやってくるに際して、スーパーホーネットが、B61を、いかなる形でも搭載していないことを、私としては確認したいわけです。
それができなければ、広島で、原爆で死んだ人たちは、犬死です。
CVW−5の厚木から岩国の移駐問題に関して、お膝元の岩国の市民達の関心が、生活の安心、にあることはよくわかります。そのことは基本で出発点です。そこを外せば、何事も先に進みません。先の「フォーラム」でも「滑走路が沖合移設されたら、そこでの騒音レベルが下がっていることを、是非試験飛行でもなんでもして確認して欲しい。」という質問が出ていました。
この質問に、防衛相の地方協力局長の井上源三は待ってました、とばかりに次のように答えました。
『 |
それはもう、新滑走路は沖合1Kmに出ているのですから、居住地域に対する騒音レベルは大幅に下がっている筈です。それは計測して客観的に事実としてお示しします。』 |
「唾棄すべき人物」という言葉がありますが、この井上のために作られた言葉でしょう。
問題は今の騒音レベルではありません。4年後、CVW−5の大部隊が賑やかに厚木から乗り込んできた時の騒音レベルです。
恐らくは岩国を中心にして半径200Km以内に恒常的空母離発着訓練サイトが決定するでしょう。そうすると岩国では、昼間といわず夜間といわず、「日常業務」としての「訓練が開始されるでしょう。問題はその時の「騒音レベル」であり、その時の「安心レベル」です。そのことを井上が知らない筈がありません。
ですから、もし少しでも、井上が誠実な人間であり、人の痛みがわかる人間であったなら、次のように答えるでしょう。
『 |
確かに今現在の騒音レベルは大幅に軽減されると私は確信しています。しかし4年後厚木からCVW−5が移駐してきた時は、どうなるかまだわかりません。でもその時、みなさんの生活がより安心できるものにすることに最善の努力を払うことを約束します。今私ができることは、そこまでです。』
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しかし井上はそう言いませんでした。騙してしてやったりの顔でした。地方協力局長の肩書きはやめにして、「米軍協力局長」とでもしたらいいでしょう。
しかし、Dさん、岩国市民のみなさん、よく考えて見てください。岩国がアメリカの戦争の前線拠点になることと、岩国市民の生活が脅かされることとは実は同じ問題です。騒音に苦しめられ、犯罪に怯え、ルール違反に憤ることと、知らないうちに私たちが戦争に荷担することとは実は同じことです。
とにかく頑張ってください。頑張り抜いてください。CVW−5の岩国移駐を阻止して下さい。そのことは、私たち日本の市民の生活をより安全にすることなのです。 |
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(了) |
(第2回へ) |
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