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日本問題の専門家であり、「ブローバック」("Blowback")、「帝国の悲しみ」(
"The Sorrows of Empire")「通産省と日本の奇跡」("MITI and
the Japanese Miracle)などの著書をもつチャルマーズ・ジョンソン(Chalmers
Johnson)氏が、5月6日付けロス・アンジェルス・タイムスの意見欄に投稿した記事<http://www.latimes.com/
news/opinion/commentary/la-oe-johnson-20100506,0,4706050.story>の翻訳である。翻訳したのは「高田」という人で、私はこの人については全く知らない。私も登録しているメーリング・リストに参考資料として添付されていたものだ。翻訳は的確でしかも日本語としてこなれている。(なおこの翻訳記事の著作権は高田氏にある。高田氏らのグループからは掲載許可を頂いたので、ここに掲載する。)
著書の一つ、「ブローバック」は「拡大複写」という意味で、諜報の世界の術語らしい。秘密情報部員が外国で流したデマの本国への逆輸入を意味するという。(研究社「英和大辞典」第6版273p) ジョンソンは元CIAの情報部員でもあった。
先にチャルマーズ・ジョンソンという人物を簡単に見ておきたい。ジョンソン自身は次のように自己紹介している。(「イン・モーション・マガジン」のインタビューに自身が応えた略歴<http://www.inmotionmagazine.com/global/cj_int/cj_int2.html>より。なおこのインタビューは2004年に行われている。今年78才になるはずだ。)
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私は72才です。1949年にカリフォルニア大学バークレイ校に入学し1953年に卒業しました。最も激しいときの朝鮮戦争には行っていません。海軍予備役にいたからです。TBMに乗ってオークランド空港のあたりを飛び回って、ある月の週末を過ごしたことがあります。(TBMはグラマンTBF/TBMアヴェンジャー軍用航空機) しかし私が卒業したとき私は現役に呼び戻され、西大西洋におけるLST(上陸用舟艇)の現場士官になりました。LSTなんてものは船の名前もついていません。6人の士官が配属されました。LSTは、砂浜に上陸する海兵隊員を輸送するため、ひどく錆びた平らな船底をしていました。でもそれ(上陸用舟艇の士官になったこと)は、極東に行ったことのない私にはとても重要なことでした。考えても見なかったのですから。』 |
彼の自己紹介はA4版2−3ページ分続くので後は興味深いがカットする。彼の略歴はある意味、北東アジアの戦後史でもある。このインタビューは別の機会に。1961年に「中国研究」で博士号と取得。
ジョンソンのこの寄稿文での彼自身の立場がもう一つ明らかではない。つまり「だから、日本は日米安保条約」を解消すべきだ、といっているのか「このまま行けば、日本では安保条約解消の世論が大きくなるぞ」という警告なのか。しかしとても興味ある論文であり考察である。
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沖縄の軍事基地を巡り、米国は日本との同盟関係を永久に損なう瀬戸際にある。
沖縄という小さな島々からなるこの県には日本における米軍基地の4分の3が存在する。 米国は環境に配慮が必要な沖縄の一地域に新基地建設を企てている。沖縄県民はこれに猛反対で、先月には基地反対のため数万人が結集した。
日本政府は板挟み状態であったが、鳩山首相はついに米国の要求に屈したかのようである。
米国は第二次大戦以来世界130ヶ国に700あまりの基地を作ってきたのだが、沖縄の基地ほど悲しい歴史を持つものはまれであろう。
1945年、日本は敗戦国だったため当然どこにどのように基地が配置されるかについて何の発言権もなかった。本州では我々(米国)は単に日本軍の基地を接収した。しかし沖縄は1879年に日本に併合されるまでは独立王国で、日本は今でも沖縄を、米国がプエルトリコを見るような目で捉えている。
沖縄は太平洋戦争中の大規模な戦闘で荒廃しており、米国はただ欲しいままに土地を整地し、村人達の土地を没収したり、強制的にボリビアへ移住させたりしたのだ。
沖縄の基地は1950年から53年まで朝鮮戦争のために使われ、1960年から73年まではベトナム戦争のために使われた。
沖縄の基地は軍用機の補給所や飛行場としてだけでなく、米軍兵が休養したり余暇を楽しむ場所としても利用され、バー、売春、人種差別などのサブカルチャーを生んでいった。 幾つかの基地周辺地域では黒人と白人の米軍兵同士によるひどい喧嘩が多発し、両グループを別々の地域に居住させるようになった。
米国による日本占領は1952年のサンフランシスコ講和条約によって終わったが、沖縄は1972年まで米国の軍事植民地として残った。 20年もの間、沖縄県民は本質的に国籍のない人々で、日米両国のパスポートも公民権も持てなかった。日本へ「復帰」した後でさえ、米軍は沖縄にあるおびただしい数の基地や沖縄空域の支配権を保持した。
1972年以来日本政府と米軍は、沖縄県民に自らの将来にかかわる決定権を与えずにきた点で共謀してきたが、この状況が変わりつつある。
例えば1995年に海兵隊員2人と船員1人が12才の女児を誘拐しレイプしたとして起訴されたが、これに対して大規模なデモが行われた。1996年、米国は宜野湾市に完全に囲まれている普天間基地を返還する事に積極的になると同意したが、しかし日本はその代わり沖縄県内に別の基地を建設しなければならないという条件付きであった。
そこで名護市への移設案が持ち上がった(これは2006年まで正式な日米合意とはならなかった)。名護は沖縄本島の北東にある小さな漁村である。サンゴ礁やジュゴンというフロリダのマナティーに似た、絶滅を心配される動物の生息する海がある。
米国海兵隊の基地を建設するということは、滑走路を造るためにマナティーの海が埋め立てられ、サンゴ礁は死滅するということである。
それ以来環境保護活動家が基地建設に反対し、今年初めの名護市長選では同市の米軍基地建設反対を訴えた稲嶺氏が当選した。
昨年、鳩山由紀夫氏が日本の総理大臣となったが、彼の率いる民主党は普天間の返還と海兵隊員の沖縄からの完全な撤退を米国に求めるという公約によって選挙に勝ったようなものであった。しかし鳩山首相は今月4日、沖縄を訪れ、県民に対し深く頭を下げて米国の要求を呑むように頼んだのだ。
鳩山首相の態度は臆病で卑劣だと思うが、日本をこのような屈辱的な袋小路に追い込んだ米国政府の傲慢さの方が更に遺憾である。
米国はその軍事基地の帝国を保持することで頭が一杯になってしまったようだが、我々にはもはやそんな資金もないし、基地の「受け入れ国」の多くがますます反対の声を大きくしてきている。米国は高慢さを改め、普天間基地を米国本土の基地(私の家の近所にあるキャンプ・ペンドルトンなど)に戻し、65年間も耐えてきた沖縄の人々に感謝するべきであろう。
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チャルマーズ・ジョンソン氏は「ブローバック:アメリカ帝国への報復」などの執筆者で「Dismantling the Empire: America's Last, Best Hope」の刊行を予定している。) |
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