<関連資料> 中国人労働者入離満数の年度別統計


この表は、王紅艶「満州における特殊工人に関する一考察」(上)所載の<表1>より作成。
王の註記によれば、王はこの原表を、1939年度(*昭和14年度)までは福田晴夫「戦時体制下に於ける満州国の生産及び労務の体制(中)」(労工協会報)第3巻第7号 康徳7年=1940年=昭和15年刊行、1940年度以降は「満州国史」各論(満州国史編纂刊行会 1971年)1156Pに依ったとのことである。
表中青字は私が追加した項目、黒字は王の原表のままである。
なおこの論文は、国立情報学研究所のCiNii(サイニイ)から閲覧することができる。ただし有料コンテンツである。(http://ci.nii.ac.jp/)
一般市民がこうした論文を無料でいつでも閲覧できる仕組みはできないものか。われわれ市民の歴史的教養、政治的教養のレベルアップにどれほど役立つか。民主主義社会は一般市民のこうした教養のレベルアップなしには決して担保されない。
この表には年度末が明記されていないが、一般会計年度末(3月末)と解釈して良かろう。従って1927年度は1928年3月末と解釈できる。


年度
(西暦)
年度
(昭和)
入満数 離満数 差引 特記事項
1927 2年 1,043,772 281,295 762,477 田中内閣、東方会議を招集。
「対支政策綱領」を決定。
1928 3年 967,154 342,979 624,175 張作霖爆殺事件、張学良南京政府に参加。
1929 4年 941,661 541,254 400,407 桂蒋戦争。田中内閣斃れ浜口内閣成立。
1930 5年 673,393 439,654 233,739 中原大戦。張学良、蒋介石を支持。
1931 6年 416,825 402,809 14,016 満州事変勃発。張学良不抗戦。錦州爆撃。
1932 7年 372,629 448,905 -76,276 上海事変勃発。満州国成立。
1933 8年 444,540 420,314 24,226 日本軍熱河侵攻。国際連盟脱退。
1934 9年 627,322 399,571 227,751 労働者入満制限政策成立。
1935 10年 444,540 420,314 24,226 外国人労働者取扱規則実施。統制機関
1936 11年 359,761 382,966 -23,205 西安事変。(翌年第二次国共合作成立)
1937 12年 323,689 259,093 64,596 蘆溝橋事件。日中戦争。
産業開発5カ年計画実施。
1938 13年 492,376 252,795 239,581 満州労工協会成立、労働者流入に全力。
1939 14年 983,669 390,767 592,902 満州の労働者不足深刻化。
一元的労働統制体制。
1940 15年 1,318,907 846,581 472,326 国兵法発布。
1941 16年 918,301 688,169 230,132 独ソ戦勃発、関東軍特種演習。
太平洋戦争勃発。
1942 17年 1,068,625 661,235 407,390 国民勤労奉公法。
1943 18年 791,960 139,918 652,042 強権的な全民皆労体制。
(*1943年は8月末現在)    
1927年ー1943年8月までの純増 4,870,505  
1932年ー1948年8月までの純増 2,835,691  


<参考資料> 1945年度「満州国」労務動員計画

この記述は、王紅艶「満州における特殊工人に関する一考察」(上)所載の<表3>をそのまま転載している。
王の註記によれば、王はこの表を、小林英夫『「大東亜共栄圏』の形成と崩壊』466P(お茶の水書房、1975年)「第4−22表 「労務動員計画(1945年度」より作成したという。また王によれば、この小林の原典は袴田喜三郎「大陸労務問題管見」(1945年2月15日)だという。

  (単位:万人)  
行政供出(緊急就労規則による)  150 68%
勤労奉公隊 35 16%
国内募集 25 11%
華北出稼ぎ労働者 10 5%
合計 220 100%

1945年になると華北の労働者を全くあてにできなくなった状態がよくうかがえる。