マイク・ホンダ議員の米下院小委員会での証言
歴史的和解こそこの決議案の目的


 米下院で現在上程されている、「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」の提案者の一人、マイケル・ホンダ議員(カリフォルニア州選出)は、2007年2月15日、同決議案を審議する「アジア・太平洋・地球環境に関する外交小委員会」(Foreign Affair Subcommittee on Asia, the Pacific and Global Environmental)において、同決議案を支持する証言を行った。以下はその証言の内容である。
 なおこの証言の原文及び証言のビデオは下記のURLで閲覧できる。
http://www.house.gov/list/press/ca15_honda/comfortwomentestimony.html
タイトルや見出しは原文にはないもので、節ごとのテーマを提示するため便宜的に私がつけた。また日本文に訳すにあたって今回は「従軍慰安婦」という訳出をやめた。従軍慰安婦は日本国内向けの言葉であり、それ自体が誤解を含み易い。英語では常に「Comfort Women」であり、その言葉は常に「旧日本軍性奴隷制度」の文脈の中で語られている曖昧さのない言葉である。だから「コンフォート・ウーマン」というカタカナにする方がよほどニュアンスが伝わると考えた。


マイク・ホンダはレーン・エバンズの後継者

 この歴史的な公聴会を開催して頂いたことに対してフォレオマヴァエーガ委員長にお礼を申し上げます。また小委員会開催前に証言者としてお招き頂きありがとうございます。いわゆる「コンフォート・ウーマン」の悲劇に関して私の思想をみなさんと共有できる機会を与えられたことに対してもお礼を申し上げます。

 コンフォート・ウーマンの悲劇問題は、私の永年の友人でもあり、また前同僚議員でもあったレーン・エバンズ氏が長い間米下院における主唱者でありました。

(註: レーン・エバンズは長い間イリノイ州選出の民主党下院議員だった。特に「旧日本軍による性奴隷制度」については熱心に取り組んできた。2006年4月4日に米下院に上程され、9月13日に国際関係委員会を全会一致で通過した「米議会下院旧日本軍性奴隷制度非難決議案」―以下を参照のこと
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/the_sense_of_the_House_of_Representatives.htm-では、ニュージャージー選出のクリス・スミス議員と共にエバンズが共同提案者となっている。エバンズは2006年11月の中間選挙で出馬せず引退した。マイク・ホンダはエバンズの意志を引き継いだ格好となった。なお、この時の「決議案」は、当時下院議長だった共和党のデニス・ハスタート-同じく同中間選挙で引退-とブッシュ政権との取引で本会議には上程されなかった。ブッシュ政権はこの決議案を上程しない替わりに、引退後のハスタードに駐日アメリカ大使の椅子を約束したとされる。このいきさつはハーパーズ・マガジンのケン・シルバースタインのすっぱ抜き記事に詳しい。原文は以下。
http://www.harpers.org/sb-cold-comfort-women-1160006345.html
 日本語訳は以下。http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/20061005.htm
この4月以降ハスタードが駐日大使に就任するかどうか、別な観点で興味深い。)


サンノゼの教師時代
 この小委員会のメンバーの方々もご存じの通り、私は最近決議案H.RES.121を提案しました。この決議案では日本政府に対して、「コンフォート・ウーマン制度」の存在を、明確なまた曖昧でない形で(in clear and unequivocal manner)認め、謝罪し、歴史的責任をとることを要求しております。これは旧日本帝国軍隊が1930年代から、アジアや太平洋諸島における植民地時代あるいは戦時の間、若い女性や少女を強制(coercion)して「性奴隷」(sexual slavery)としたものです。婉曲な言い方で「コンフォート・ウーマン」(comfort woman―日本語で言うところの慰安婦)として知られていますが、これら暴力を振るわれた女性は実に長い間、その尊厳と名誉を踏みにじられてきたのであります。

 コンフォート・ウーマン問題で正義を求めようとする私の関心は、サンノゼの学校教師時代に芽生えたものでした。

(註: マイク・ホンダは正式にはマイケル・マコト・ホンダ-Michael Makoto Honda-で1941年カリフォルニア州のウォールナット・グローブで生まれた。ウォールナット・グローブは北カルフォルニアの小さな町で2000年の国勢調査では人口約700人。生まれてまもなく家族と共にコロラド州の日系人強制収容所に送られた。1953年収容所から解放された後、家族はサンノゼのブロッサム・バリーでいちご農家となった。農家といっても小作人である。州立サンノゼ大学を卒業した後、1974年には修士号を取得している。また大学時代にはアメリカ平和部隊に加入して2年間エルサルバドルに滞在している。ケネディ大統領の影響を強く受けたと自身のホームページでは記述されている。1971年から教師となり、1981年にはサンノゼ統一教育委員会のメンバーとなり、1996年から2001年までカリフォルニア州議会議員。正義感の強い政治家として知られる。
英語のWikipedia:http://en.wikipedia.org/wiki/Mike_Honda
と自身のサイトに詳しい。http://honda.house.gov/biography.shtml
 なお日本語のウキペディアはどうしたことかあまり記述が正確ではない。)


キーワードとしての歴史的和解

 私は今から20年前、日本の文部省が慰安婦の悲劇のことをその検定教科書から排除ないし過小評価しようとしていることを知りました。歴史的和解に関心を持つ一人の教師として、詳細な事実関係にひるむことなく正義と悲劇に関して語り、また教えていくことの重要性を私は知っておりました。

 (註: 歴史的和解という英語は、reconciliationである。もともと
はカトリックの宗教用語ではあるが、二つの対立概念を調和させるという意味内容の言葉である。この和解=reconciliationはたびたび使われ、マイク・ホンダという人の思想上のキーワードになっていると思われる。)

 正直であること、虚心坦懐であること、こうした要素なしには和解の基盤は成立しえないのであります。以前の苦痛の経験を伴った日本の長い未解決の歴史問題を引き続き研究・調査していく中で、私はカリフォルニア州議会において、和解に向けた努力の追求に導かれました。1999年、私は州議会共同決議案27(AJR27)を執筆致しました。この決議案はアメリカ議会に対して、日本政府が南京大虐殺の被害者、コンフォート・ウーマン、奴隷的労働に従事させられた戦時捕虜に対する謝罪を求める議論を要求するものでした。この決議案は最終的には州議会を通過しました。

 今、AJR27の通過からほぼ9年の後、私はH.RES121を支持してくれる民主・共和両党からの下院の同僚議員、ここに来てくれたコンフォート・ウーマンの生存者の人たちと共に今日ここに手を携えて立っております。この決議に対して議会およびこの委員会が迅速な行動をとることは喫緊のことと思います。これらの女性たちは今や年令を重ね、多くは過去の過ぎ去った日々とともやせ衰えております。


河野談話・アジア女性基金を高く評価
 もし今われわれが行動を起こさなければ、コンフォート・ウーマンの苦しい境涯に対してその責任を確認するに際し、日本政府を鼓舞する歴史的機会が失われてしまうだろうと思います。

 日本の高官のうち、選挙を経て就任した人たちはこの問題に関して段階を経ながら公的な発言を行ってきました。このことは褒められるべきことです。1993年には河野洋平内閣官房長官がコンフォート・ウーマンに関して極めて前向きな発言を致しました。その発言では、日本政府は心からの謝罪を表明し、彼等の苦しい体験に自責と後悔の念を表しました。

 (* この部分の原文はremorse their ordeal。Ordealという英語はゲルマン語起源の言葉で、もともと熱湯の中に腕をつっこませた、日本の古代の「くがたち」によく似た裁判の手法を意味したという。)

 これに加えて、日本はアジア女性基金を通して、生き残っているコンフォート・ウーマンに対して金銭的な補償を行おうと試みました。このアジア女性基金は日本政府のイニシアティブのもと、ほとんど政府資金を使って民間の基金で、コンフォート・ウーマンに対する贖罪(atonement)を目的とした一連の計画やプロジェクトを実施してきたものです。アジア女性基金は2007年3月31日に解散します。

(*註 アジア女性基金は、生き残った従軍慰安婦の人たちに一人あたり200万円を贈ろうとしたが、「しかし、これは国家が賠償金を支払わないための口実であると被害女性が強く反発し」-『慰安婦』戦時性暴力の実態【U】緑風出版・松井やより-刊行によせて、より-、多くの被害女性はこの金を受け取らなかった。)


「河野談話見直しの動きに落胆」

  しかしながら、最近の企ては、その多くは政権与党である自民党の有力者から出されているものですが、河野声明(*註 日本語では『談話』であるが、外務省の訳では『statement』であり、マイク・ホンダもstatementと言っているので訳も河野声明とした。)を見直そうあるいは撤回しようというものであります。こうした企ては落胆させるものであり、この問題に関する日本の曖昧性を示すものでもあります。さらにつけ加えて言えば、私はこのアジア女性基金の創立、それはこの寄金から補償的金銭支出を伴うものであります、や過去の日本の首相のコンフォート・ウーマンに対する謝罪を大いに評価するのでありますが、現実は、日本政府からの心からのまた紛う方なき謝罪なしに、こうした金は受け取れないと多くのコンフォート・ウーマンがその受け取りを拒否したのであります。実際のところ、今日皆さんは(被害者の)証言をお聞きになるわけですが、多くのコンフォート・ウーマンは、金銭的補償を伴った日本の首相たちの謝罪の手紙を、作り物であり裏表があるとして、(お金とともに)突っ返したのであります。

(註*  この時日本の首相がお金に添えて出したという手紙は、アジア女性基金のサイトで読むことが出来る。
日本語はhttp://www.awf.or.jp/fund/document/doc_12.html
英語はhttp://www.awf.or.jp/english/about/archives/1996_2.html
日付は平成13年になっており、内閣総理大臣小泉純一郎に添えて、歴代総理大臣のうち橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の3名が副署した形になっている。
・ ・・いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。

 私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております・・・。

とこの手紙では、明確に述べている。総理大臣としてここまで明確に述べるなら、何故日本政府として明確かつ具体的な形で謝罪と今後の防止策の提示、実態の解明をしなかったのか、あるいは日本政府が発議して、日本国民の総意として国会決議しなかったのかという疑問が残る。それをしない日本政府の態度を被害者の女性の方々は恐らくは敏感に感じ取って、口先だけあることを見て取ったのだろう。多くの被害者の女性からは、この謝罪は受け入れられなかったものと見える。なおこの手紙は非常に不思議なことに、内閣総理大臣が個人の資格で謝罪するという形をとっている。内閣総理大臣の肩書きを使って個人の資格というと、なにか論理のアクロバットを演じられているようで、気持ちは悪い。時の内閣総理大臣が個人の資格で靖国神社に参拝することに似た、仲間うちだけに通じる非論理性が確かに横たわっている。なお私の探し方が悪かったのかも知れないが、この手紙は日本政府のサイトではどうしても見つけられなかった。)


 
「謝罪は日本のような偉大な国家にこそふさわしい」

 委員長、私の意図を極めて明確にさせて下さい。この決議案は、歴史的和解を用意するものです。そしてその方向に進めようとするものです。われわれの日本との強い関係を傷つけようというものでもなければ、またそうさせてはいけません。多くの人の中には、この決議案は不必要だと感じる人もあるかと思います。過去に焦点を当てすぎ、日本との同盟関係に地域的な不安定さを与え否定的な影響を与えると感じる人も多いかと思います。
 
 これらの心配は未熟なものです。私はコンフォート・ウーマンの悲劇に関する責任を受け入れることは、日本のような偉大な国家にこそふさわしいことだと強く感じております。また、この問題に関する和解を達成することは、歴史的な懸念を脇に押しやり、この地域の(国際)関係に前向きな影響を及ぼすものだと、強く感じております。
 
 私は米国下院の議員諸君に次のことをお願いしたい。謝罪に歴史的意義があるのであり、対立を和解するにせよ、過去の行為に対して贖罪を行うにせよ、まず謝罪がどうしても必要な第一のステップであることを理解して頂きたいと言うことです。
 
 われわれの政府も過ちを犯してきました。しかし、われわれの知恵で、誤った行為を認めるという困難な選択をしてきたではありませんか。


「日系米人補償法で米政府も誤りを認めた」

 たとえば、1988年法案H.R.422をわれわれは議会通過させ、ドナルド・レーガン大統領はその法案に署名致しました。この市民自由法(The Civil Liberties Act-日本では市民の自由法、通称:日系アメリカ人補償法と呼ばれることがある。)は、第二次世界大戦中に不法に強制収容所に入れられた日系アメリカ市民とその子孫に対して公式に謝罪したものであります。子供の時にその収容所に入れられたものの一人として、私は過去を無視してはならないということを肌に感じて知っております。また誤りを認めるという政府の行動を通じて行われる和解こそ、永久に続く和解であることも肌身に浸みて理解しております。
 
 強制収容所によって米国市民としての権利、憲法で認めた権利を侵害された多くの日系アメリカ市民とって、歴史の暗黒の一章は1988年の市民自由法によってやっと閉じられました。強制収容所から40年以上の年月がかかりました。補償の追求は長い苦難の道のりでした。しかし、謝罪は明確で曖昧さのない形でもたらされました。和解は、われわれの世代(註:ホンダが収容所に入れられたのは1歳の時だった。)では、正しく平和な世界的社会の繁栄をもたらすものとして受け止められ、過去における問題は最終的には取るに足りぬものとして脇へ押しやられたのであります。


同盟関係を損なう日本政府の姿勢

 アメリカ人は、多くの価値と理想を共有する日本にような極めて近しい同盟国には高い期待を持っております。日本の近隣諸国が見守る中での、コンフォート・ウーマンの悲劇を否定しようとする日本の最近のアプローチは、これを歴史のねつ造という人もいますが、同盟関係全体に疑問を提起するものであり、関係を大きく損なうものであります。また最近イラクに置いて日本の自衛隊の護衛にあたったオランダ、イギリス、オーストラリアに対する日本の感謝に疑問を生じさせるものでもあります。というのは、コンフォート・ウーマン制度の中にはこれら諸国の国民も含まれていると言われているからであります。もっとも重要なことは、日本がコンフォート・ウーマン問題に責任をしっかり取り、その有罪性を解決しないと、日本の人権問題に対する姿勢、戦時女性に対する暴力問題に対する姿勢、国連におけるリーダーシップに関する疑問を世界に振りまく結果になると言うことです。

 委員長、これら女性に対する和解の問題、正義の問題に関して、本日ここに3人の(コンフォート・ウーマン)生存者をここワシントンに招くことに必死の努力を傾けて参りました。この3人とは、リー・ヨン・スーさん、キム・クーン・ジャさん、ヤン・ルフ・オベーネさんです。彼等は戦時女性に対する暴力の生き証人(human face)であります。彼女たちの言葉は単に歴史からの言葉ではありません。紛争時において女性に対してなされる、今日も引き続いてなされている虐待の態様からの言葉でもあります。この決議は不要だと感じておられる下院の同僚議員のみなさんは、この3人の言葉を単に彼等自身の言葉として聞くのではなく、ミャンマー、ボスニア、ダルフルなどの若い女性からの言葉として聞く必要があります。
 
(註: ダルフルはアフリカのスーダン西部の地方。ここにあげられた3つの国または地域はいずれも紛争の中で女性に対するひどい性暴力が発生した。)

私は特に次のグループを称揚したい。
「ワシントン・コンフォート・ウーマンのための結合」(Washington Coalition for Comfort Women)、「アムネスティ・インターナショナル」、(Amnesty International)、
V-Day(V-Day until the Violence Stops-女性に対する暴力が停止するまで:V-day)、
コリアン・アメリカ市民有権者協議会(the Korean American Voters Council)、
全国コリアン・アメリカ市民サービス教育コンソーシアム(the National Korean American Service and Education Consortium)、
全米アジア太平洋アメリカ女性会議(the National Asian Pacific American Women’s Forum)、「コンフォート・ウーマンに正義を」(Justice for Comfort Women)、
「アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存すするための地球的同盟」(the Global Alliance for Preserving History of World War U in Asia)、
女性政策研究センター(the Center for Women Policy Studies)。
これらグループの絶え間のない活動とこの問題を常に提起し続けた飽くことのない行動がなければ、この問題はとっくの昔に闇に葬り去られていたことでしょう。

私は委員会に対して迅速にH.RES121決議案を扱うべしと主張するものです。
そうすれば、この決議案はすぐに投票にかけられます。これら女性の強さ及び人間性と本日なされる証言が、この決議案を止めようとする政治的圧力に取って代わらなければなりません。

ご静聴ありがとうございました。