マイク・ホンダ議員の米下院小委員会での証言 | |||||
歴史的和解こそこの決議案の目的 | |||||
米下院で現在上程されている、「旧日本軍従軍慰安婦制度非難決議案」の提案者の一人、マイケル・ホンダ議員(カリフォルニア州選出)は、2007年2月15日、同決議案を審議する「アジア・太平洋・地球環境に関する外交小委員会」(Foreign Affair Subcommittee on Asia, the Pacific and Global Environmental)において、同決議案を支持する証言を行った。以下はその証言の内容である。 なおこの証言の原文及び証言のビデオは下記のURLで閲覧できる。 (http://www.house.gov/list/press/ca15_honda/comfortwomentestimony.html) タイトルや見出しは原文にはないもので、節ごとのテーマを提示するため便宜的に私がつけた。また日本文に訳すにあたって今回は「従軍慰安婦」という訳出をやめた。従軍慰安婦は日本国内向けの言葉であり、それ自体が誤解を含み易い。英語では常に「Comfort Women」であり、その言葉は常に「旧日本軍性奴隷制度」の文脈の中で語られている曖昧さのない言葉である。だから「コンフォート・ウーマン」というカタカナにする方がよほどニュアンスが伝わると考えた。 |
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マイク・ホンダはレーン・エバンズの後継者 | |||||
この歴史的な公聴会を開催して頂いたことに対してフォレオマヴァエーガ委員長にお礼を申し上げます。また小委員会開催前に証言者としてお招き頂きありがとうございます。いわゆる「コンフォート・ウーマン」の悲劇に関して私の思想をみなさんと共有できる機会を与えられたことに対してもお礼を申し上げます。 コンフォート・ウーマンの悲劇問題は、私の永年の友人でもあり、また前同僚議員でもあったレーン・エバンズ氏が長い間米下院における主唱者でありました。
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サンノゼの教師時代 | |||||
この小委員会のメンバーの方々もご存じの通り、私は最近決議案H.RES.121を提案しました。この決議案では日本政府に対して、「コンフォート・ウーマン制度」の存在を、明確なまた曖昧でない形で(in clear and unequivocal manner)認め、謝罪し、歴史的責任をとることを要求しております。これは旧日本帝国軍隊が1930年代から、アジアや太平洋諸島における植民地時代あるいは戦時の間、若い女性や少女を強制(coercion)して「性奴隷」(sexual slavery)としたものです。婉曲な言い方で「コンフォート・ウーマン」(comfort woman―日本語で言うところの慰安婦)として知られていますが、これら暴力を振るわれた女性は実に長い間、その尊厳と名誉を踏みにじられてきたのであります。 コンフォート・ウーマン問題で正義を求めようとする私の関心は、サンノゼの学校教師時代に芽生えたものでした。
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キーワードとしての歴史的和解 | |||||
私は今から20年前、日本の文部省が慰安婦の悲劇のことをその検定教科書から排除ないし過小評価しようとしていることを知りました。歴史的和解に関心を持つ一人の教師として、詳細な事実関係にひるむことなく正義と悲劇に関して語り、また教えていくことの重要性を私は知っておりました。
正直であること、虚心坦懐であること、こうした要素なしには和解の基盤は成立しえないのであります。以前の苦痛の経験を伴った日本の長い未解決の歴史問題を引き続き研究・調査していく中で、私はカリフォルニア州議会において、和解に向けた努力の追求に導かれました。1999年、私は州議会共同決議案27(AJR27)を執筆致しました。この決議案はアメリカ議会に対して、日本政府が南京大虐殺の被害者、コンフォート・ウーマン、奴隷的労働に従事させられた戦時捕虜に対する謝罪を求める議論を要求するものでした。この決議案は最終的には州議会を通過しました。 今、AJR27の通過からほぼ9年の後、私はH.RES121を支持してくれる民主・共和両党からの下院の同僚議員、ここに来てくれたコンフォート・ウーマンの生存者の人たちと共に今日ここに手を携えて立っております。この決議に対して議会およびこの委員会が迅速な行動をとることは喫緊のことと思います。これらの女性たちは今や年令を重ね、多くは過去の過ぎ去った日々とともやせ衰えております。 |
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河野談話・アジア女性基金を高く評価 | |||||
もし今われわれが行動を起こさなければ、コンフォート・ウーマンの苦しい境涯に対してその責任を確認するに際し、日本政府を鼓舞する歴史的機会が失われてしまうだろうと思います。 日本の高官のうち、選挙を経て就任した人たちはこの問題に関して段階を経ながら公的な発言を行ってきました。このことは褒められるべきことです。1993年には河野洋平内閣官房長官がコンフォート・ウーマンに関して極めて前向きな発言を致しました。その発言では、日本政府は心からの謝罪を表明し、彼等の苦しい体験に自責と後悔の念を表しました。
これに加えて、日本はアジア女性基金を通して、生き残っているコンフォート・ウーマンに対して金銭的な補償を行おうと試みました。このアジア女性基金は日本政府のイニシアティブのもと、ほとんど政府資金を使って民間の基金で、コンフォート・ウーマンに対する贖罪(atonement)を目的とした一連の計画やプロジェクトを実施してきたものです。アジア女性基金は2007年3月31日に解散します。
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「河野談話見直しの動きに落胆」 | |||||
しかしながら、最近の企ては、その多くは政権与党である自民党の有力者から出されているものですが、河野声明(*註 日本語では『談話』であるが、外務省の訳では『statement』であり、マイク・ホンダもstatementと言っているので訳も河野声明とした。)を見直そうあるいは撤回しようというものであります。こうした企ては落胆させるものであり、この問題に関する日本の曖昧性を示すものでもあります。さらにつけ加えて言えば、私はこのアジア女性基金の創立、それはこの寄金から補償的金銭支出を伴うものであります、や過去の日本の首相のコンフォート・ウーマンに対する謝罪を大いに評価するのでありますが、現実は、日本政府からの心からのまた紛う方なき謝罪なしに、こうした金は受け取れないと多くのコンフォート・ウーマンがその受け取りを拒否したのであります。実際のところ、今日皆さんは(被害者の)証言をお聞きになるわけですが、多くのコンフォート・ウーマンは、金銭的補償を伴った日本の首相たちの謝罪の手紙を、作り物であり裏表があるとして、(お金とともに)突っ返したのであります。
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「謝罪は日本のような偉大な国家にこそふさわしい」 | |||||
委員長、私の意図を極めて明確にさせて下さい。この決議案は、歴史的和解を用意するものです。そしてその方向に進めようとするものです。われわれの日本との強い関係を傷つけようというものでもなければ、またそうさせてはいけません。多くの人の中には、この決議案は不必要だと感じる人もあるかと思います。過去に焦点を当てすぎ、日本との同盟関係に地域的な不安定さを与え否定的な影響を与えると感じる人も多いかと思います。 これらの心配は未熟なものです。私はコンフォート・ウーマンの悲劇に関する責任を受け入れることは、日本のような偉大な国家にこそふさわしいことだと強く感じております。また、この問題に関する和解を達成することは、歴史的な懸念を脇に押しやり、この地域の(国際)関係に前向きな影響を及ぼすものだと、強く感じております。 私は米国下院の議員諸君に次のことをお願いしたい。謝罪に歴史的意義があるのであり、対立を和解するにせよ、過去の行為に対して贖罪を行うにせよ、まず謝罪がどうしても必要な第一のステップであることを理解して頂きたいと言うことです。 われわれの政府も過ちを犯してきました。しかし、われわれの知恵で、誤った行為を認めるという困難な選択をしてきたではありませんか。 |
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「日系米人補償法で米政府も誤りを認めた」 | |||||
たとえば、1988年法案H.R.422をわれわれは議会通過させ、ドナルド・レーガン大統領はその法案に署名致しました。この市民自由法(The Civil Liberties Act-日本では市民の自由法、通称:日系アメリカ人補償法と呼ばれることがある。)は、第二次世界大戦中に不法に強制収容所に入れられた日系アメリカ市民とその子孫に対して公式に謝罪したものであります。子供の時にその収容所に入れられたものの一人として、私は過去を無視してはならないということを肌に感じて知っております。また誤りを認めるという政府の行動を通じて行われる和解こそ、永久に続く和解であることも肌身に浸みて理解しております。 強制収容所によって米国市民としての権利、憲法で認めた権利を侵害された多くの日系アメリカ市民とって、歴史の暗黒の一章は1988年の市民自由法によってやっと閉じられました。強制収容所から40年以上の年月がかかりました。補償の追求は長い苦難の道のりでした。しかし、謝罪は明確で曖昧さのない形でもたらされました。和解は、われわれの世代(註:ホンダが収容所に入れられたのは1歳の時だった。)では、正しく平和な世界的社会の繁栄をもたらすものとして受け止められ、過去における問題は最終的には取るに足りぬものとして脇へ押しやられたのであります。 |
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同盟関係を損なう日本政府の姿勢 | |||||
アメリカ人は、多くの価値と理想を共有する日本にような極めて近しい同盟国には高い期待を持っております。日本の近隣諸国が見守る中での、コンフォート・ウーマンの悲劇を否定しようとする日本の最近のアプローチは、これを歴史のねつ造という人もいますが、同盟関係全体に疑問を提起するものであり、関係を大きく損なうものであります。また最近イラクに置いて日本の自衛隊の護衛にあたったオランダ、イギリス、オーストラリアに対する日本の感謝に疑問を生じさせるものでもあります。というのは、コンフォート・ウーマン制度の中にはこれら諸国の国民も含まれていると言われているからであります。もっとも重要なことは、日本がコンフォート・ウーマン問題に責任をしっかり取り、その有罪性を解決しないと、日本の人権問題に対する姿勢、戦時女性に対する暴力問題に対する姿勢、国連におけるリーダーシップに関する疑問を世界に振りまく結果になると言うことです。 委員長、これら女性に対する和解の問題、正義の問題に関して、本日ここに3人の(コンフォート・ウーマン)生存者をここワシントンに招くことに必死の努力を傾けて参りました。この3人とは、リー・ヨン・スーさん、キム・クーン・ジャさん、ヤン・ルフ・オベーネさんです。彼等は戦時女性に対する暴力の生き証人(human face)であります。彼女たちの言葉は単に歴史からの言葉ではありません。紛争時において女性に対してなされる、今日も引き続いてなされている虐待の態様からの言葉でもあります。この決議は不要だと感じておられる下院の同僚議員のみなさんは、この3人の言葉を単に彼等自身の言葉として聞くのではなく、ミャンマー、ボスニア、ダルフルなどの若い女性からの言葉として聞く必要があります。
私は特に次のグループを称揚したい。 「ワシントン・コンフォート・ウーマンのための結合」(Washington Coalition for Comfort Women)、「アムネスティ・インターナショナル」、(Amnesty International)、 V-Day(V-Day until the Violence Stops-女性に対する暴力が停止するまで:V-day)、 コリアン・アメリカ市民有権者協議会(the Korean American Voters Council)、 全国コリアン・アメリカ市民サービス教育コンソーシアム(the National Korean American Service and Education Consortium)、 全米アジア太平洋アメリカ女性会議(the National Asian Pacific American Women’s Forum)、「コンフォート・ウーマンに正義を」(Justice for Comfort Women)、 「アジアにおける第二次世界大戦の歴史を保存すするための地球的同盟」(the Global Alliance for Preserving History of World War U in Asia)、 女性政策研究センター(the Center for Women Policy Studies)。 これらグループの絶え間のない活動とこの問題を常に提起し続けた飽くことのない行動がなければ、この問題はとっくの昔に闇に葬り去られていたことでしょう。 私は委員会に対して迅速にH.RES121決議案を扱うべしと主張するものです。 そうすれば、この決議案はすぐに投票にかけられます。これら女性の強さ及び人間性と本日なされる証言が、この決議案を止めようとする政治的圧力に取って代わらなければなりません。 ご静聴ありがとうございました。 |
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