【参考資料】原子力規制委員会 | 2014.1.21 | |||||||||
<参考資料>原子力規制委員会 平成25年度第1回原子力規制委員会及び委員長記者会見速記録 −「安全基準」から「規制基準」へ− |
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原発安全神話の崩壊 | ||||||||||
規制委員会会合の中でも、1つのハイライトともいうべき、重要な会合だったろう。2013年4月3日原子力規制委員会は、平成25年度第1回会合を開催する。この日の議題は、割り当てられた時間の割には盛りだくさんだった。(結局は予定時間をオーバーする) この日の会合で最終的に決定したのは、それまで使っていた「商業用軽水炉の安全基準」という用語を正式に、法律用語を含め「規制基準」に改めよう、ということだった。ことは原子力規制行政の根本に関わる。 アメリカで発生した1979年のスリーマイル島原発事故、1986年に発生したチェルノブイリ事故を経て、西側先進国における原子力規制行政の考え方が根本的に変わる。それまで「原発は苛酷事故を起こさない」とする「原発絶対安全論」から原発は苛酷事故をおこす蓋然性があるとする「ノー・リスクゼロ論」への根本的転換だ。アメリカの原子力規制委員会はいち早く「ノー・リスクゼロ論」を採用し、原発は重大事故を起こす可能性があり、重大事故発生時にはできるだけ苛酷事故(チェルノブイリ事故のような大量の放射能放出事故)に発展しないように規制すべきだ、またその発生頻度をできるだけ最小化すべきだと、いう考え方で原子力規制行政を進めてきた。アメリカ原子力規制委員会の考え方は早い機会に「世界標準」となっていった。 先進国の中では、唯一日本だけが、「原発安全神話」、言い換えれば「原発は苛酷事故」を起こさないという考え方を堅持してきた。2011年3月11日の福島第一原発事故までは。 代表的には、現在の安倍首相が、第一次安倍政権時に、国会で共産党議員(吉井英勝=当時)の質問に答えて、
と答弁したケースだろう。 |
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「安全神話派」と「国際派」の対立 | ||||||||||
こうした時の内閣総理大臣、安倍晋三に代表される原子力規制行政の考え方(いわゆる「原発安全神話」)を堅持する勢力を「安全神話派」と呼ぶならば、こうした考え方に危惧をもち規制行政の根本的考え方を「国際標準」に置こうする勢力を「国際派」と呼ぶことができる。国際派の代表格が現在の原子力委員会委員長近藤駿介(東大名誉教授)であり、現原子力規制委員会委員長の田中俊一だった。 安全神話派と国際派の争いは2000年代を通じて続き、一貫して「安全神話派」が勝ちを制してきた。それが「3.11」の発生で逆転し「国際派」が勝ちを収め、「安全神話派」が一掃される。(もっとも安全神話派の代表的政治家安倍晋三が現在首相に君臨している、というのは皮肉な巡り合わせだが) 誤解して欲しくないのは、「安全神話派」にしても「国際派」にしても原発推進勢力だ、という点だ。この点を抑えておかないと現実を見据えられなくなる。極端な例では、「田中原子力規制委員会」の規制行政は民主主義勢力の勝利、などというとんでもない謬見も生まれてくる。 原発推進勢力としての「国際派」の危機感は、もう一度苛酷事故が起これば、少なくとも西側先進国では、「反原発・反被曝勢力」に押されて、原発の居場所はなくなる、と言う点につきている。 従って2012年9月に発足した原子力規制委員会も、その主要な任務の1つである原発再稼働のための基準作りに際して、最初から国際標準を下敷きにして進んでいった。ところが用語は原子力安全・保安院時代の「安全基準」だった。あえて従来の基準と区別をつける意味で「新安全基準」という言葉を使った。しかし、「安全基準」では、原発安全神話時代の基準と混同してしまう、しかもあえて混同させて一般に流布させようという勢力も、特に安全コスト上昇を嫌う電力業界を中心に根強かった。電力業界にはその他に、是非とも「安全基準」でなくてはならない理由が別にある。原発立地地元対策である。再稼働に際して、地元には、「福島原発事故を受けて、日本では世界でもっとも厳しい安全基準ができた、これに合格すれば、絶対大きな事故は起こらない」という説明が是非とも必要だ。それが「すべての原発は苛酷事故を起こす可能性がある、いったん重大事故が起こったら、これを福島原発事故のような苛酷事故に発展させてはならない、そのために今回規制基準ができた、だから事故が起こる可能性があるが、起こったとしても事故の規模は福島事故の1/100程度の規模ですよ、だから安心してください」という説明では何とも具合が悪い。従って今なお口頭でしゃべって消えてなくなる時は、「安全基準」といういいかたをする。単に用語の名称変更だ、内容には大きな違いはない、と印象づけている。 単に用語の変更だという誤解に基づく認識は、実は反原発派や脱原発派の間にも見られる。こうした認識から「今回の規制基準は欠陥だらけだ。この規制基準を厳格に守ったところで原発の安全性は担保されない」といった批判が出てくる。原子力規制委員会の一連の議論をよく読めば、すぐに了解されるのだが、規制委員会自身が、「原発は事故を起こす可能性がある。しかも予測不可能な原因でも起こりうる。リスクゼロはないのだ。だから事故を苛酷事故にしないことが大切だ。苛酷事故に発展させない基準が今回の規制基準だ」と一貫して主張している。 |
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「安全基準」が誤解を呼ぶ | ||||||||||
名称変更に関わる、この日の規制委員会での議題名は「安全目標」である。この理由は議事録を通読していただければおよそ理解されよう。議事録通読といっても、A4版で37P、決して長い文章とはいえないが、それでも御用とお急ぎの方にはまどろっこしいだろう。幸いにしてこの「安全目標」に関わる議論は、この日の会合の一番最後のテーマだった。だから31P以降を通読してもらえばおおよそ理解できる。 それでも「御用とお急ぎの方」には、重要フレーズに黄地のハイライトをつけておいた。だからハイライト部分だけを拾い読みしてもらってもよい。一例を挙げると―。
といった調子である。 |
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そんな原発は動かすな、というしかない | ||||||||||
またあわせて、委員会終了後の『田中委員長定例記者会見』速記録も理解の助けになるだろう。記者会見なので『安全目標』に関する質疑が、一個所に固まっているわけではない。が、4P以降に散見する。同じく黄地のハイライトをつけておいたので、拾い読みしてもらってもよい。 こちらも一例を挙げておく。
この日本経済新聞のカワイという記者の質問は、安全性の向上はキリがない、どこかで打ち切らなければならない、それが安全基準というものだから、なにも用語まで「規制基準」と変えなくてもいいじゃないか、といっているようにも取れる。しかし規制委員会委員長の田中の立場からすれば、まさにどこかで打ち切られては困る、安全性の追求はスパイラル的に無限にやってもらわねば困る、従ってそれを定量・定性的に基準化することはできない、安全性の追求と、その時々の安全目標に基づく原発の性能目標=規制基準、は表裏一体の関係にはあるものの、本質的に別物だ、だから「安全基準」ではなく「規制基準」なのだ、いままでちゃんとそう説明してきたじゃないか、というやや焦れた思いを表出させて、この質問に次のように答えている。
話はまさに究極の論点に到達した。田中はいう。 「原発にリスクゼロはない。だからどの程度のリスクまでなら社会が受け入れてくれるのか、その点を議論したい」 これ以上社会や環境に追加の人工放射能を負荷すべきではない、という私などの「反被曝」の立場からすると、事故の大小をとわず、この社会に原発などからの放射能を受け入れるリスクの余地はない、というニベもない答えとなる。「どの程度のリスクなら受け入れてくれるか?」とはどうしても原発を動かしたい原発推進派の身勝手な言い分としか聞こえない。逆に私などの立場からすれば、リスクゼロではないのなら、原発を動かすのはやめてくれ、というしかない。 |
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平成25年度第1回原子力規制委員会議事録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同上委員会直後の定例記者会見速記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (上記議事録・速記録を理解するための参考資料)
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