2013.7.18

<参考資料>避難区域の見直しにおける基準(年間20mSv)について
原子力災害対策本部 原子力被災者 生活支援チーム 2012年7月



(クリックでダウンロードできます)
   政府が福島第一原発(以下F1)の避難区域を、それまでの半径20km以内という基準から、ICRP2007年及び2009年勧告を無批判・全面的に取り入れ、3つの“状況”に応じて避難区域を年間追加被曝線量「20mSv基準」に変更した時に原子力災害対策本部名で公表した一種の「弁明書」である。

 「避難区域見直し」に関する基本指針として書かれたもので、現在ただ今もこの基本指針に沿って避難政策及びそれと裏腹の関係にある「除染計画」が進められている。それよりも興味深いのは、日本政府の放射線防護政策がICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に100%従って進められていることを率直に告白している点だろう。この文書では、様々な批判にさらされているICRPを弁護・擁護し、それがいかに科学的根拠に基づくものであるかを力説している。そしてその科学的根拠とは、広島・長崎原爆時の被曝生存者の寿命調査(LSS)であることを認めている。
 日本の放射線防護政策の立脚する立場と根拠を短く説明・釈明した文書として、私たちがしっかり読んでおく必要がある。しかし、「年間20mSv」の避難基準がいかに正しいかを力説するあまり、ウソをつくのは事情に鑑みれば、犯罪である。その個所は以下。

実際、チェルノブイリ原発事故において、ソ連政府は、事故直後の1年目に年間20〜100mSvの上限に相当する年間100mSvを強制避難の基準として採用した。」

 3つの“状況”に基づく放射線防護の考え方は、ICRP2007年勧告ではじめて打ち出されたものであり、1986年のチェルノブイリ事故時には、「20mSv〜100mSv」という緊急被曝状況概念やそれに基づく避難基準概念そのものがなかった。旧ソ連政府が今でいう年間100mSv以上の予測被曝線量地域の住民を有無を言わさぬ強制避難の対象としたことは、事実だが避難勧告を行ったり、一時避難や一時移転の対象としたのは、100mSv以上の地域だけではなかった。目安としては年間被曝線量5mSv以上の地域に住む住民が避難や一時移転の対象とされたのである。よって上記記述は言ってみれば10%の真実に90%のウソをまぶした、全体としてみれば真っ赤なウソの記述である。

 しかし、政府の放射線防護の考え方をコンパクトに理解するには好個の資料であり、こちらも的を絞って批判しやすい資料でもある。