名称: |
サン・オノフレ原子力発電所
San Onofre Nuclear Generating Station |
所在地: |
カリフォルニア州サンディエゴ郡ローズミード |
運営者: |
南カリフォルニア・エジソン社 |
所有者: |
南カリフォルニア・エジソン社(78.2%), サンディエゴ・ガス減力会社(San Diego Gas & Electric) (20%),リバーサイド市公共局(City
of Riverside Utilities Department) (1.8%) |
原子炉: |
加圧水型軽水炉
1号機 |
45.6万kW。1964年建設開始、1968年1月操業認可。
1992年閉鎖。現在解体・廃炉中。
原子炉メーカーはウエスティングハウス、建屋設計建設はベクテル電力会社(ベクテル子会社)。 |
2号機 |
107万kW。1983年8月操業認可。2013年6月7日廃炉決定公表。
原子炉メーカーはコンバスション・エンジニアリング(Combustion Engineering)で建屋設計建設は同じくベクテル。 |
3号機 |
108万kW。1984年4月操業認可。2013年6月7日廃炉決定公表。
原子炉メーカーはコンバスション・エンジニアリング(Combustion Engineering)で建屋設計建設は同じくベクテル。 |
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安全問題: |
サン・オノフレ原発は歴史的に見て長い間「安全問題」を抱えていた。1977年にはベクテル社の建屋建設問題が発生しているし、2008年には、緊急炉心停止システム不具合問題、非常用電源配線ミス問題、火災時安全データの虚偽問題などで召喚を受けた。2011年初頭のアメリカ原子力規制委員会(NRC)の報告は改善の遅れ、見通しの立たないことなどを厳しく批判している。NRCは度原発に強い不信感を抱いていたことが背景にある。2011年11月にはアンモニア漏出事件が発生し、一部作業者は避難したが、2基とも操業は続けられた。 |
反核運動 |
1977年8月6日(広島原爆記念日である)、建設中の2号・3号機に抗議して数千人がサン・オノフレ原発外側を行進した。 |
1980年6月22日、約1万5000人がサン・オノフレ原発反対抗議行動に参加した。 |
2012年3月11日(フクシマ事故1周年)、活動家がサン・オノフレ原発発の危険に関して集会を行った。約200人がビーチで発言し、聴衆が耳を傾けた。中にレイモンド・ラツ(Raymond
Lutz)と2人のフクシマ事故の日本人被災者が含まれていた。地元の指導者や核産業界の幹部たちが、フクシマのような事故はおこらないと述べたのに対して、活動家たちは、原発の記録、地震のリスク、立地条件などが福島第一原発と非常に類似していると指摘した。そして蒸気発生器伝熱管の脆弱化、剥離、冷却水漏洩で現に操業を停止しているではないか、と活動家たちは指摘した。 |
2012年5月、反核活動家や環境保護活動家がアーバイン市にある南カリフォルニア・エジソン社の本社に集結し、サン・オノフレ原発の廃炉を要求し、最低限再稼働に反対した。彼らは南カリフォルニア・エジソン社に送った書簡でサン・オノフレ原発のフル操業は”危険な実験”と指摘した。 |
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