ヒロシマ・ナガサキ 関連資料
(2010.2.11)



<参考資料> 「あなたと原爆」 ジョージ・オーウェル
"You and the Atomic Bomb" by George Orwell



 小説「1984年」の作者、ジョージ・オーウェルが1945年10月19日付の、日刊紙「ザ・トリビューン」(the Tribune)に寄稿した論文である。原文は<http://tmh.floonet.net/articles/abombs.html><http://www.orwell.ru/library/articles/ABomb/english/e_abomb>などで読める。私は前者のサイトをテキストにした。

 今読んでみて、驚くべきことがふたつある。ひとつは、広島と長崎に原爆が投下されてわずか2ヶ月余りのうちにこの論文が書かれたことである。「原爆を封印しよう。」と提言したアメリカ陸軍長官ヘンリー・スティムソンの「原爆管理のための行動提言」の日付が45年9月11日だから、そこからもわずか1ヶ月余り。しかも「原爆管理のための行動提言」は当時機密文書で公開されたのはずっと後のことだ。権力中枢の思惑はともかく、アメリカとソ連は連合国同士の蜜月時代だった。

 ふたつ目は、オーウェル独特のペシミズムに深く彩られているとはいえ、「核兵器時代」の本質とその後の核兵器を巡る国際政治世界の成り行きを、的確に言い当てている、その洞察力だ。

 2009年度の国連総会議長で、ニカラグア・サンディニスタ政権の外相を長く務めたミゲル・デスコト・ブロックマンが、2009年8月6日、広島で大勢の聴衆を前に

 この地球上から核兵器を廃棄するまで、またそうしないなら、そして核兵器を製造する能力を信頼のできる、また永続性のある国際管理の下に置くまで、核兵器が再び使用される危険を除く事はできませんし、これまでも成功しなかったし、これからも成功しないでしょう。』

と述べた時、また8月9日、今度は長崎で

 『 今日のジョージ・オーウェル的な世界においては、核攻撃による瞬間的な壊滅の脅威は「抑止」と呼ばれ、お互いに対する恐怖は「安定」と呼ばれています。「軍縮」は通常であれば削減を意味しますが、核戦力の廃絶というより近代化を意味するものでもあります。我々は、この不誠実で偽善的な詭弁をやめなければなりません。

 次に取り組むべき優先課題は、全ての核兵器の完全で最終的な廃絶に向けて宣言し、断固たる行動を取ることです。これを信頼できるものとするためには、廃絶を確実に実現する野心的かつ現実的な期日を設定する必要があります。』
  
 と述べた時、デスコトが念頭に置いていたのは、オーウェルの代表作『1984年』よりも、むしろこの『あなたと原爆』ではなかったろうか。なおオーウェルはこの論文の最後の方で「冷戦」(the Cold War)という言葉を、最初に使った。しかしそれは、核兵器を真ん中に対峙する東西両陣営の有様を形容した言葉ではなく、もっと核兵器時代の本質を表現した言葉だった。なお、訳出にあたっては、インターネット上の「アケガタ」氏の訳出をおおいに参照した。(氏のサイトは<http://d.hatena.ne.jp/Tez/20070507/p1>)この訳出のおかげで大筋の意味を取れたので、こなれた日本語にすることに集中できた。

以下本文


 写真はジョージ・オーウェル。本名はエリック・アーサー・ブライア(Eric Arthur Blair)。1903年(明治36年)英領インド生まれのイギリス人。1950年(昭和25年)ロンドンで死去。46才。英語Wikipedia「George Orwell」<http://en.wikipedia.org/wiki/George_Orwell>からコピー・貼り付け】


 これから5年の間に、われわれが原爆でバラバラにされそうだというのに、予想したほど原爆は、われわれの議論を眠りから揺り起こしていない。新聞は、夥しい図表だのグラフだのを持ち出して、陽子だの中性子だのと言い立てるが、われわれ平均的な人間にはあまり役に立っていない。また「(原爆を)国際管理の下に置くべきだ」などという愚にもつかない繰り言を並べている。

 しかし、奇妙なことに、少なくとも活字上、われわれ全員が最も興味を抱いてしかるべき喫緊の疑問がほとんど出てこない。すなわちその疑問とは、「原爆を製造するのはどんなにむつかしいか?」

 この話題に関する情報は、われわれには、ということは絶対多数の大衆には、という意味だが、むしろ間接的にしか入ってこない。なにしろトルーマン大統領は、ある種の(原爆の)秘密はソ連に渡さないと決めたのだから。数ヶ月前、原爆がまだ単なる噂に過ぎなかった頃、原子を分割するなどということは、単に物理学者の抱える問題に過ぎないとわれわれは広く信じていた。しかし物理学者がその問題を解いたら、その新しい破壊的な兵器はほとんどわれわれ全員が抱える問題となった。(その噂と云うのは、研究室の、孤独で狂った科学者が、花火を爆発させるぐらい簡単に、いつでも好きな時に、文明を木っ端微塵にしてしまう、と言った体のものだった。)

 もしそれが本当なら、すべて歴史の流れは不意に向きを変えてしまうだろう。大国と小国の区別はかき消され、個々人に対する国家権力は大きく弱体化するだろう。しかしながら、トルーマン大統領の演説(註1)や原爆に関する様々な言説からすると、原爆は、お伽噺みたいに高くついて、それを製造するにはとてつもない工業力を必要とし、世界中でも3カ国か4カ国ぐらいしか製造能力がないことが明白となった。この点はとりわけ重要だ。

 というのは原爆の発見は、歴史の流れを逆転させるどころか、ここ10年以上明らかになってきた(歴史の)流れを単に強めるだけに過ぎないだろうことを意味するかもしれないからだ。

 文明の歴史とはとりもなおさず兵器の歴史だ、というのは陳腐な言いぐさである。とりわけ、火薬の発見とブルジュアジーによるヨーロッパ封建制度打倒との関係は、繰り返し繰り返し云われてきたことだ。将来例外ができることを私は疑わないが、次に述べるような法則は一般的に云って真実だと私は考えている。すなわち―。

 支配的兵器が高価であるかまたは作ることがむつかしいような時代は、独裁専制政治の時代に傾きやすい。その逆に、支配的兵器が安価で簡素な時代は、平凡な人民がチャンスをつかみやすい。

 このようにして、たとえば、戦車、戦艦、爆撃機などはその性格上、専制主義的兵器であるのに対して、ライフル銃、マスケット銃、長弓、火炎瓶などはその性格上、民主主義的兵器なのだ。複雑な兵器は強いものを更に強くするのに対して、簡素な兵器は、それが何であるかは別として、弱きものの鉤爪なのだ。
  
 民主主義と民族自決の偉大な時代は、またマスケットとライフルの時代だった。火打ち銃の燧(ひうち)が発明された後から撃発雷管が発明されるまでの間は、マスケットは結構効果的な兵器だった。そして同時に、ほとんどどこでも作りうる簡素な兵器だった。この本質と相まってアメリカ独立戦争やフランス革命の成功を可能としたのだった。そして、今われわれの時代よりも、人民の反乱を(支配者にとって)深刻な事態としたのだった。

 マスケット銃に替わって元込めライフル銃が登場した。これは比較的複雑なシロモノだったが、それでもまだ20ばかりの国々で作ることができた。安価で簡単に密輸でき、経済的な軍需品だった。もっとも遅れた国々ですら、あちらからこちらへと常にライフルを手にいれることができた。だから、ボーア人、ブルガリア人、アビシニア人、モロッコ人、いやチベット人ですら、独立を求めて闘いに立ち上がれた。時には成功すらしたのである。

 しかしそののち、軍事技術上の発達はすべて、個々人に対してよりも国家に対して有利に働いた。そして(工業的に)遅れた国々に対してよりも工業国に有利に働いたのである。力の中心軸はますます少なくなっている。

 1939年(註2)にはすでに、大規模な戦争遂行能力をもっている国はたった5カ国になっていた。そして今や(1945年)にはわずか3カ国に、究極的には多分2カ国(アメリカとソ連)になるだろう。この傾向はすでにここ数年にわたって、明白なものとなってきている。それは1914年(註3)以前に何人かの識者がすでに指摘していたことだった。

 この流れを変えるかも知れないのは、ある種の兵器の発見、もっと広い意味で云えば、闘う方法、それは巨大に集約された工場に依存しない、そういう闘う方法、であるかもしれない。
 ここは謎めいた言い方だ。しかし「将来例外ができることを私は疑わないが」と前段で断りを入れていることを考え合わせると、恐らくオーウェルは、軍事兵器によらない、民主主義的「闘う方法」を「兵器」とすることを考えたのではないか。そういう時代を夢見たのではないか。デスコトの国連総会議長としての努力は、アメリカを「戦争中毒国家」と罵りつつ、国連の民主化に始まって民主化に終わった。短い1年だった。)

 様々な徴候からして、ロシアが原爆製造の秘密をまだ手にいれていないことは推論できる。その一方で、数年のうちに、手に入れるだろうことは衆目の一致するところだ。(註4)だからわれわれの目の前の予測としては、2カ国か3カ国ほどの怪物みたいな超大国だ。それらの国はそれぞれ、数秒のうちに数百万の人々を消し去ってしまうような兵器を保有している。そして世界を彼らで分割してしまう。このことはさらに大きな、さらに血なまぐさい戦争、事実上機械文明の終焉、が思ったより早くやって来ると思うかも知れない。

 しかし、思ってみて欲しい、実際この方がもっともありそうな事態の進展だと思うのだが、生き残った大国がお互いの間で原爆を使わないという暗黙の協定を結ばないだろうか?思ってみて欲しい。彼らが原爆を使用するのは、あるいはそれを威しで使用するのは、報復の手段をもたない人々に対してだけではないのか?

 この場合、われわれはかつてわれわれが居た地平へ戻ることになる。わずか2、3の国に力が集中していることと、それに隷属する人々の「見てくれ」と、そして被抑圧階級が依然として更に希望のない状態になっている点が違っているだけだ。

 ジェームズ・バーナムが「経営革命」を書いた時、多くのアメリカ人は恐らくヨーロッパの戦争はドイツの勝利で終わるだろう、その方がありそうだと考えた。従って、ロシアではなく、ドイツがユーラシアの大地全体を支配するだろうと考えた。一方東アジアのご主人は日本だろうと考えた。

 写真は「経営革命」の著者、ジェームズ・バーナム(James Burnham)。1905年―1987年。経営革命は1941年に発表。1930年代バーナムは極左主義者だった。トロツキスト運動の指導者でもあった。しかし経営革命を出版した頃にはすでに反共主義者に転向、戦後は反ソ・反共の主要イデオローグの一人になった。左翼小児病患者はいずこの国も同じと見える。田中清玄、水野成夫、南喜一、そして唐牛健太郎。英語Wiki<http://en.wikipedia.org/wiki/James_Burnham>からコピー・貼り付け。】
          

 これは計算違いだった。しかし議論の本質は変わらない。バーナムの描いた新世界に関する地勢地図は結局は間違っていなかったのである。地球表面が3つの帝国、自己充足をし、外の世界との接触を断ち、自選の寡頭政治で次から次へと交代する傀儡によって支配される、そんな3つの帝国によって分割されることは日々明らかになってきている。

 どこに国境線を引くかという口やかましい議論は今も続いているし、これからもしばらくは続くだろう。3超大国の3番目、東アジアは中国が支配する、これは実際にそうだというよりまだ潜在性にとどまっている。しかし大勢は間違いない。そして近年の科学的発達はそれ(大勢)を加速するだろう。

 かつて「飛行機」は国境を消滅させるだろうと云われていた。実際には、飛行機は重要な兵器となって、国境は無限に通行不能になっただけだ。ラジオはかつて国際的理解と協力を促進するだろうと期待された。それはある国を他の国から絶縁する手段となった。

 原爆は、あらゆる被搾取階級と人民から、革命へのあらゆる力を奪っていくプロセスを完成するかもしれない。そして同時に、原爆を保有するものたちの軍事力の基盤を等しくするかも知れない。お互いがお互いを超克できないものとして、彼らは仲間内だけで世界の支配を続けていくかもしれない。ゆっくりとした予測もつかない人口変動を除けば、どうやってその均衡がひっくり返るのかを理解することもむつかしい。

 40年か、50年前、H・G・ウエルズ氏やその他の人たちは、人間は自らの兵器で自ら破滅してしまい、蟻とかその他の社会性を持つ種に取って代わられる、と警告していた。ドイツで瓦礫となった都市を見た人なら誰しも、この忠告は少なくとも考慮に値するとわかるだろう。

 いうまでもなく、世界を全体としてみれば、ここ数十年の流れは無政府主義の方向にではなく、再び現れる奴隷制の方向へと向かっている。われわれは、全体的壊滅に向かっているのではなくて、古代の奴隷帝国のような、空恐ろしい「安定」の時代にむかっているのかも知れない。ジェームズ・バーナムの理論はこれまで散々議論されてきた。しかしそれがある種のイデオロギーを含有している、と考える人は未だにほとんどいない。つまり、それは(そのイデオロギーは)ある種の世界観であり、ある種の信念であり、ある種の社会構造の在り方なのだ。その社会構造の在り方は、すぐには征服し得ない世界において支配的である。そしてまたその社会構造の在り方は、隣人との“冷戦”という世界において支配的なのだ。

 もし、今原爆が、何かたとえば自転車とか目覚まし時計みたいに値段が安く、簡単に製造できるものだとしてみよう。原爆はいともたやすくわれわれを野蛮時代に押し戻すだろう。しかしその一方で、それは国家統治の終焉を意味し、高度に中央集権化された警察国家の終焉をも意味するであろう。そうした場合すぐに想像がつくように、もし原爆が、たとえば戦艦を造るように金がかかって、滅多に手に入らないものであるとすると(実際そうなのだが)、原爆は大規模な戦争に終止符を打つもののように思える。ただし、それは無期限に続いていく“平和のない平和”(すなわち冷戦)という代償を払っての話だが。


註1: これは明らかに、「原爆投下直後になされる大統領声明」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/touka_hapyo19450730.htm>

と「陸軍長官声明」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/rikugun_chokan_seimei.htm>

を指している。
註2: 1939年はナチス・ドイツによるポーランド侵攻とスターリン・ソ連によるポーランド侵攻があった年。すなわち第二次世界大戦が始まった年。
註3: 1914年は、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子がボスニアのサラエボで暗殺された年。すなわち第一次世界大戦が始まった年。
註4: 「衆目の一致するところ」とオーウェルは書いているが、これは当時としては驚くべき的確な情勢判断だ。原爆及び原子力エネルギーの政治的決断を行う当時事実上の最高意志決定機関、暫定委員会はソ連が原爆を保有する時期を、1945年から数えて4年から20年とみていた。ロス・アラモス研究所の所長で「マンハッタン計画」の主要科学者の一人、ロバート・オッペンハイマーや陸軍長官ヘンリー・スティムソンを含め、多くの科学者は最短の4年と見、国務長官のジェームズ・バーンズやそれに引きずられる形で、大統領トルーマンなどは最長の20年と見ていた。

 実際、45年7月のポツダム会談で、トルーマンから「新しい爆弾を開発した。」と告げられたスターリンはそれをすぐに原爆のことだと悟り、恐怖に髪を逆立てた。そしてその瞬間から原爆開発に狂奔した。こうしてスターリンはオッペンハイマーの予測通り、4年後の1949年、現在はカザフスタンのセミパラチンスクで最初の核実験を成功させた。
(「暫定委員会会議議事録 1945年6月1日」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_6_1.htm>

「レオ・シラード インタビュー」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/kanren/kanren.htm>

「第5章 7月17日、18日そして25日のトルーマン日記より」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Robert-5.htm>
など。)