関連資料 <欧州放射線リスク委員会> | (2011.8.21 追加:2011.8.27 |
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アリス・M・スチュアート(Alice Mary Stewart)について |
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アーネスト・J・スターングラスの「赤ん坊をおそう放射能」(新泉社発行 1982年6月1日 反原発科学者連合訳 英語原題“Secret Fallout”)の中に、アリス・スチュアートの研究についての記述がある。重要と思うので関係箇所に追加しておく。2011.8.27) |
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欧州放射線リスク委員会は2003年勧告の冒頭部分に、
と書いている。 ここに書かれているようにアリス・スチュアートは、2002年6月に95歳で死去している。この記事はアリス・スチュアートに関する私の理解をまとめたものである。 まずMSNジャーナルは、2000年11月13日の日付で『放射線神話に疑問を投げかける』という表題のもとに次の記事を掲げている。
上記の記事は細部において正確とは言えないが、2000年という時期に、これだけの見識をもった記事が出ていたということに敬意を表したい。 英語Wikipedia“Alice Stewart”の記述を見てみよう。
ライト・ライブリフッド賞は、日本語ウィキペディア(同名)によれば、『1980年にスウェーデンの国会議員ヤコブ・フォン・ユクスキュル (Jakob von Uexkull) により創設された賞。「現在のもっとも切羽詰まっている問題に対し実際的模範的な回答を示した者」を表彰する。』とのことで、『主に環境保護、人権問題、持続可能な開発、健康、平和などの分野』で活躍した人物、団体に贈られるという。日本からは『高木仁三郎(1997)と生活クラブ生協連合会(1989)が受賞している。』
英語Wikipediaの記述は、どこかさりげなく気の乗らない書き方である。今考えると信じがたい話であるが、当時は妊産婦に平気でX線照射をしていた。そのために胎児や乳幼児に小児ガンが発生していたのである。彼女の研究はX線照射と小児ガンなどの疾病の因果関係を突きとめ、妊婦にX線照射するなどという野蛮な医療行為を世界中で辞めさせるきっかけを作ったのである。人類の大功労者である。 科学技術史の学者、中川保雄は『放射線被曝の歴史』(株式会社技術と人間 1991年)という本の中で次のように書いている。
また1981年に「Secret Fallout(秘密の死の灰降下物)」のタイトルで、アメリカで発行され、1982年翻訳出版された「赤ん坊をおそう放射能」(新泉社 1982年6月1日第1刷)の中で、著者のアーネスト・J・スターングラス(Earnest J. Sternglass)は、次のように書いている。(引用はやや長い。)
さて英語Wikipediaの記述に戻ろう。
トーマス・マンキューソーという人物も、低線量被曝について研究した人らしい。2004年7月7日付けのニューヨーク・タイムズにマンキューソーの訃報が載っている。主要な部分だけを引用すると、
1992年と云えば、すでにアメリカ原子力委員会は解体されている。1977年、カーター大統領は「1974年エネルギー省再編法案」に署名し、アメリカ原子力委員会の機能は、原子力規制委員会と新設されたアメリカ・エネルギー省に分解吸収された。一応「核推進行政」とそれを規制する規制当局を分離したという格好だ。
アリス・スチュアートから逸れて行きそうなので、この辺でやめるが、「核誕生の故国」アメリカには、核推進に協力する医科学者も数多いが、権力や支配や金や名誉や地位に抗して敢然と科学者の良心を守り抜き、科学に忠実な人々もまた多い。 前出の中川保雄の「放射線被曝の歴史」の中には、次のような一節も見える。
ここで挙げられた人々の中には欧州放射線リスク委員会(ECRR)のアメリカにおける中心グループにいる科学者もいる。ゴフマンやスターングラスの研究は良く引用されているし、ロザリー・バーテルはECRRの2010年勧告の、アメリカを代表した編集委員にもなっている。 (<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ecrr2010_chap1_5.pdf>) さて、アリス・スチュアートに戻ろう。
どうも英語Wikipediaの書きぶりはどことなく歯切れが悪い。恐らくは、核産業やICRP派の学者・研究者との見解、アリス・スチュアートへの評価と折衷をはかろうとしているためであろう。
これで英語Wikipediaの記述は終わっている。 2002年7月2日付けで、イギリスの高級紙「インディペンデント」はアリス・スチュアートの長文の訃報を掲載している。 (<http://www.independent.co.uk/news/obituaries/dr-alice-stewart-647741.html>) 私は、優れていると思うので最後にこの記事をつまみ食いしながら、スチュアートについて理解を深めておくことにする。 「核産業の脇に咲いた薔薇のトゲ」(Thorn in the side of the nuclear industry)と題されたこの記事は、他のどの記事よりも彼女の「闘いぶり」に、その本質に焦点が合わされている。
ここでこの記述がおかしいと思われた方もあるかも知れない。ハンフォード核複合施設は、国立、すなわち合衆国政府の運営になるはずだが、なぜ核産業が登場してくるのか? ハンフォード施設は現在閉鎖されているが、マンハッタン計画以来、もう少し云えばそのまえのルーベルト−トルーマン政権の科学技術局以来、核関連事業は民間へ請け負い事業として外注されている。この請負発注形態は今に至るも変わらない。現在アメリカ・エネルギー省・国家核安全保障局傘下には8つの主要な核兵器複合施設があるが、その運営はいずれも民間へ請け負い発注で委託されている。典型的にはローレンス・リバモア国立研究所である。この運営には「有限責任法人ローレンス・リバモア国家安全保障社」が全面的に請け負っている。この会社の実態は、カリフォルニア大学(University of California)、ベクテル・コーポレーション(Bechtel Corporation)、バブコック・ウィルコックス社(Babcock and Wilcox)、URSコーポレーション(the URS Corporation)、バテル記念研究所( Battelle Memorial Institute)5者のパートナーシップによる有限責任法人である。カリフォルニア大学はマンハッタン計画時代からローレンス・リバモア研究所とのつながりがある。アメリカの「核事業」は典型的な軍産学複合体制であるが、その一端はここにも覗いている。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>を参照の事)上記の記述はこうした癒着体制(彼らの言葉では外注契約システム)は常識として書かれている。
1997年、欧州放射線リスク委員会が設立された時、アリス・スチュアートは初代委員長になるよう要請され、ECRRによれば彼女はこれを承諾していたという。しかしこの時彼女はすでに90歳だった。2002年、彼女は95歳で、その闘う科学者としての生涯を閉じる。 繰り返しにはなるが、ECRR2003年勧告、ECRRの最初の勧告における献辞を引用しておく。
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