該当箇所をECRR2010年勧告の英語原文から
(http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ECRR_2010_recommendations_of_
the_european_committee_on_radiation_risk.pdf)引用しておきます。
『 |
The Committee believes that it is instructive to examine the scientific
basis of the method which has been historically developed to create the
radiation risk models.
The classical exposition of the scientific, or inductive method (originally due to William of Occam) is what is now called Mill’s Canons, the two most important of which are:
•The Canon of Agreement, which states that whatever there is in common
between the antecedent conditions of a phenomenon can be supposed to be
the cause, or related to the cause, of the phenomenon.
•The Canon of Difference, which states that the difference in the conditions under which an effect occurs and those under which it does not must be the cause or related to the cause of that effect.
•In addition, the method relies upon the Principle of Accumulation, which
states that scientific knowledge grows additively by the discovery of independent
laws, and the Principle of Instance Confirmation, that the degree of belief
in the truth of a law is proportional to the number of favourable instances
of the law.
Finally, to the methods of inductive reasoning we should add considerations of plausibility of mechanism.』 |
上記文章で、『The classical exposition of the scientific, or inductive method (originally due to William of Occam)』とあり、この「inductive method」を「演繹的方法」と訳出しており、正しくは「帰納的方法」でなくてはなりませんでした。(“inductive”帰納法的に対して演繹法的は“deductive”)
同様に上記引用文の最終パラグラフ、『Finally, to the methods of inductive reasoning we should add considerations of plausibility of mechanism.』では『the methods of inductive reasoning』は、『最後に、そうした一連の帰納法的推論の方法論に、「もっともらしさのメカニズム」に対する考慮を付け加えなければならないだろう。』(哲野訳)とすべきでありましたが、誤って「演繹法的」と訳出したものです。
この箇所は、ECRRとICRPの科学的推論の立て方の対蹠的立て方の違いに論究しようとするちょうど導入部にあたるところであり、いずれも致命的な誤訳をそのまま掲載し、訂正すると共にお詫びを申し上げます。
ただこの誤訳のために、ECRR2010年勧告「第3章」原文全体と日本語訳の価値が大きく損なわれた、ということはできません。
この章におけるECRRの、ICRP批判のポイントの一つは、低線量被曝の人体への影響は、現実に生起してきた事実から判定し、仮説を立て、それを検証していくべきなのであって(帰納法的アプローチ)、決して最初に原理・原則を立て、その原理原則から、現実に生起している事実を解釈・判定す(演繹法的アプローチ)べきではない、ICRPのアプローチは科学的方法論ではない、とするところにあります。この批判は全く正しく、ICRPのアプローチは医学的・科学的というよりもむしろ政治・経済的アプローチだというべきでしょう。
私個人の見解を申せば、このECRRの批判もまだ生ぬるいくらいであります。実際のところ、ICRPのアプローチは、「演繹的」というのも褒めすぎの似非科学と考えています。
「帰納法的」といい、「演繹法的」といい、いずれも科学的推論の方法論に過ぎません。そこで得られた仮説は決してまだ科学的真実ではありません。ECRRの科学者はそのことをよく理解し、その仮説を裏付けるべく研究を行っています。
しかしICRPの学者はそうではありません。たとえば、ICRPの主張「線形しきい値なし理論」はまだ科学的真実ではなく、仮説の段階に止まっています。しかし、ICRPの学者たちは、この仮説を検証しようとしないばかりか、それをあたかも「科学的法則」のように扱い、この「法則化された仮説」の上に彼らの理論と精緻極まるモデルリスクを構築しております。
まことにECRRがこの章で、『最後に、そうした一連の帰納法的推論の方法論に、「もっともらしさのメカニズム」に対する考慮を付け加えなければならないだろう。』と皮肉たっぷりにからっている通りであります。
私から見れば、ICRPの体系は、演繹法・帰納法という以前に、「先決問題解決の要求」すら満たしていない、「詭弁の体系」という他はありません。
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なおスコラ哲学者であったオッカムのウイリアムのアプローチが、今日から見て帰納法的だったかどうかと言う点については、様々な議論があるだろうと思われます。私もこれは視点が違っているのではないかと思います。ウイリアムは、マルクス主義哲学でいう「観念論」から「唯物論」(物質主義とか「唯心論」に対置する唯物論ではありません)にその認識論の軸足を移しつつあった過渡期の哲学者という理解をしております。) |
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