(2012.10.28) | ||||||||||||||||
【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ | ||||||||||||||||
その② ABCC=放影研の原爆生存者寿命調査の致命的欠陥 |
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(この記事では、ECRR2010年勧告第10章日本語テキストから引用した箇所だけではなく原文英語テキストから直接引用して訳した箇所もある。主として私自身が深く理解するためである。煩雑ではあるが私の訳した箇所には原文を< >に入れて表示した。) |
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第10章2節 特異性(Specificity) | ||||||||||||||||
この節の表題がなぜ『特異性』(Specificity)なのかがよくわからない。英語の“Specificity”も決して一般的な言葉とはいえない。むしろ医学用語に近い使い方なのだと思う。問題は何を指して「特異性」といっているのかがわからないことだ。この節の内容からして私は外部被曝に対して「内部被曝」の特性や特徴を「特異性」といっているように思われるのだ。
よく知られているようにICRPのリスクモデルは、外部被曝と内部被曝の区別をつけない。外部であれ内部であれ被曝線量総量が問題であり、その意味では実効線量1ミリシーベルトのリスクは外部であれ内部であれ1ミリシーベルトのリスクだとする。しかし、第1節でも述べられているように、大気圏内核実験による放射性降下物の影響を調べた学者たちは内部被曝のリスクはICRPモデルに比べて2桁から3桁のオーダーの誤差があると指摘している。これは100倍から1000倍の内部被曝過小評価があるということだ。従って内部被曝のリスクと外部被曝のリスクが全く別物だという主張はうなずける。同時に現実には完全に外部、完全に内部といった形態はほとんどないわけで、放射線源が環境に漂う限り、内部被曝も外部被曝も同時に起こる、ということもまた明白だろう。
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外部被爆リスクと内部被爆リスクの差が決定的要因 | ||||||||||||||||
随分ややこしいもののいい方だが、言っていることは実に単純である。ここにある人口集団Aがある。その人口集団は内部曝線量に比べてはるかに高い外部被曝線量を受けるものだとする。たとえば人口集団Aが外部被曝で100ミリシーベルトを被曝し、内部被曝で1ミリシーベルトを受けるものとしよう。また別な人口集団Bがあってその集団は、Aと同じ外部被曝線量を受けているが内部被曝は全く受けていないものとしよう。そうすると人口集団Bの被曝は外部被曝線量の100ミリシーベルトのみとなる。この場合人口集団Aと人口集団Bのリスク係数は内部被曝線量の大きさによって変化(増加)することになる、といっているだけだ。 しかしここでちょっと待って欲しい。ICRPのリスクモデルに従えば、A集団の被曝線量は外部+内部で101ミリシーベルトである。B集団は外部のみで100ミリシーベルトとなる。したがって両者のリスク係数の差は、わずか1ミリシーベルト、1%に過ぎない。 しかしECRRのように外部被曝と内部被曝を別個のリスクをもつものと捉え、また1節で述べているようにICRPとのリスクモデルの差が100倍から1000倍の誤差があると考えるならば、ことはさほど単純ではない。今仮にその誤差を100倍としよう。するとA集団の受ける被曝線量は100ミリシーベルト(外部)+100ミリシーベルト(内部1ミリシーベルト×100倍)となり、B集団に比較するとそのリスク係数は2倍となる。ここでは、内部被曝のリスク要因を外部被曝と全く別個のものと捉えることがいかに決定的ファクターになるかということだけを確認しておこう。先を続ける。
ここで“ヒロシマLSS研究”といっているのは、1945年8月の広島・長崎への原爆投下の結果、生き残った広島・長崎の原爆生存者寿命調査のことを指している。原爆投下直後、アメリカ軍部は、陸軍と海軍が合同委員会を作って(当時は陸軍と海軍のみ)、広島と長崎における原爆の威力(破壊力)の調査を開始した。原爆の破壊力とその影響について調べた報告は、戦略爆撃の一環として「米国戦略爆撃調査団報告」の特別編の形で「広島と長崎への原爆の効果」として大統領トルーマンに1946年6月20日に提出された。 一方アメリカ軍部は放射線の影響についても多大な興味を抱いた。そしてこの合同委員会は長崎に原爆を投下したその日1945年8月9日に活動を開始する。戦略爆撃調査と違って、原爆傷害調査(放射線影響調査)は、極めて長期間の学術調査も必要とする。このため軍部は全米科学アカデミー(NAS:米学士院といういいかたもされる)の全米研究評議会(NRC)にこの調査研究を委託した。そして全米科学アカデミー―全米研究評議会(以下NAS-NRCと略)の中に原子力傷害調査委員会(以下ACC)を作った。そしてこのACCの実働部隊として原爆傷害調査委員会(ABCC)が結成された。 1946年11月海軍長官の名前で大統領トルーマンに一通の手紙が送られる。そこには広島・長崎の被爆者に関して核分裂物質の影響を継続調査する必要性が説かれ、そのため組織しているABCCの存続と大統領の承認が求められていた。この手紙にトルーマンが11月26日“承認”の署名をする。これが世に言う『トルーマン指令』である。(現在は秘密解除となっておりこの手紙を読むことができる)だからABCCは『トルーマン指令』の以前から活動を開始していたのである。実際にABCCは全米研究評議会(NRC)に対して1947年1月には分厚な『全体報告』を提出している。(この全体報告は現在写真複写で読むことができる)通説のように『トルーマン指令』が出てからABCCが活動を開始したものなら、そのわずか1か月後にこのような報告書をまとめられるわけはないし、実際報告書の中身は原爆投下直後から1946年全体の活動内容を報告したものだった。原爆投下直後から1945年末までの被害状況については、主として文部省学術研究会議・医学部会長だった東京帝国大学教授・都築正男の名前で執筆・報告されている。(以上『原爆傷害調査委員会について』<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/ABCC.htm>、『ABCC(原爆傷害調査委員会) 全体報告 1947年』<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/ABCC_General_Report_1947.html>を参照のこと) ところがABCCとその後身である財団法人放射線影響研究所(放影研)が連綿として続けている寿命調査(Life Span Study:LSS)は、1945年8月からではなく、1950年1月時点で生存していた広島・長崎の原爆被爆者のデータから始まっている。最も重篤な放射線傷害を受けて1949年12月末までに死亡した被爆者のデータはいっさい含まれていない。ABCC=放影研のLSS研究の科学的信頼性についてはさまざまな批判があるのだが、1945年8から1949年12月末までの被爆者データが含まれていないことは致命的欠陥であろう。 |
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広島原爆における内部被爆影響 | ||||||||||||||||
ここで第10章が「たとえば、“ヒロシマLSS研究”においては最も低い被曝線量でそのような(被曝)影響が超線形被曝量応答として出現した。あるいは低い線量で他の高い応答の形で出現した」、「研究集団が内部被曝要素をこうむっていることを一貫して否定している」と述べているのは別な批判のポイントである。LSSでは、原爆の一次放射線だけを基本的に被曝要因とみなしている。「その①」でも紹介したように核爆発は様々な核分裂生成物を生み出す。この核分裂生成物は必ず放射性降下物(フォールアウト)として地表に降り注ぐ。 表をもう一度引用しておこう。 この表では単位は核出力1メガトン(Mt)、すなわち100万トンである。広島原爆は諸説あるが1.5万トンの核出力だったとされているから、この表の数値の1.5%だったことになる。たとえばストロンチウム90は100万トンあたり3.9ペタベクレル(PBq)だから、単純に0.0585PBqの放出があったことになる。これでも58.5テラ(兆)ベクレルというとんでもない数字になる。またセシウム137は同様に88.5テラベクレルという数字になる。極めて半減期が短く、しかし毒性の強い希ガス状のヨウ素131に至っては4200PBqの放出になる。63ペタベクレル、すなわち6.3京ベクレルという数字になる。ここにあげた放射線核種はいずれもβ崩壊する。1gの塊に直接触れれば別だが、ほとんどがミクロン単位の微粒子になっており、これら放射線核種で外部被曝の健康損傷を起こすことはまずありえない。健康損傷を起こすとすれば、ほぼ100%内部被曝によるものである。この点については、他ならぬ放影研が簡潔でわかりやすい説明をしている。放影研のサイト(<http://www.rerf.or.jp/index_j.html>)にアクセスするとトップページのメニューに『放影研用語集』がある。その中では次のように説明している。
ここで問題にしているβ線については、
(いずれも<http://www.rerf.or.jp/radefx/basickno/whatis.html#alpha>) つまりはα線やβ線はエネルギー(この場合は「イオン化エネルギー」と言うべきであろう。放影研は問題の本質を逸らそうとしてこの言葉を使わず「すなわち速度」と説明して、内部被曝による細胞損傷の連想を避けようとしている)は大きいが、その分飛程距離が短い。空中に対して抵抗の大きい水中ではトリチウム(三重水素)の場合1mmも飛ばない、と説明している。 従ってストロンチウム90やセシウム137の微粒子で外部被曝を起こすことは考えにくい。あるとすれば内部被曝であろう。 それでは広島原爆で大量に生成したこうした核分裂物質はどうなったか?いうまでもなく放射性降下物として地表に降り注いだ。いわゆる『黒い雨』もその一種である。(黒い雨がすべて黒かったわけではない。通常の雨の中にも大量に含まれていたのである)それではこの放射性降下物で内部被曝による健康損傷は発生したのか?当然したのである。 しかしABCC=放影研は、そのLSSで広島・長崎の原爆傷害は基本的にγ線や中性子線による外部被曝によるのみとした。内部被曝では放射線傷害は発生していない、と措定したのである。そして建物の中に居たか外に居たかなどの遮蔽物効果を考慮しながら爆心地からほぼ同心円状に、被爆者の被曝線量(実効線量)を決定していった。 (この過程でも様々な疑問があるのだが、本筋から離れていくので割愛する。この問題は『カール・ジーグラー・モーガンについて④~⑥』というシリーズ記事で参照されたい。ここではABCC、そしてABCCの実質的上部組織『アメリカ原子力委員会(AEC)』は当初から、γ線と中性子線の影響だけを問題とし、α線やβ線の影響、言いかえれば内部被曝の影響については当初から無視していたことだけを指摘するに止めたい) |
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LSSが選択した不適切な参照集団=被爆集団 | ||||||||||||||||
そうすると困った事態が起きる。この章の1節を思い出して欲しい。ECRRは、同じ線量であっても内部被曝のリスクと外部被曝のリスクは同じではない、別個の被曝システムをもった別個の被曝形態であるとした。その誤差は内部と外部のリスクは全く同じで問題なのは総被曝線量だとするICRPのリスクモデルを当てはめてみるとその誤差は数百倍にのぼる、とした。(その①『地球規模で拡散した大気圏内核実験時代の放射性降下物』を参照のこと) もし内部被曝の健康リスクが外部被曝の健康リスクに比べて数百倍に上るのなら、広島原爆の場合でも、放射性降下物(これは何も『黒い雨』だけに限らない)による内部被曝が健康損傷の決定的な要因になったはずだ。そうすると爆心地から近いところ(たとえば半径2km以内)に居て外部被曝の割合が高かった被爆者よりも、爆心地から遠いところ(たとえば直線で5-6kmも離れた広島市の西側にある己斐・高須地区)に居てはるかに高い内部被曝をこうむった被爆者、あるいは8月6日には広島市内に居なかったけれど、翌日親族や友人の安否を確認するために広島市内に入って大きな内部被曝をした人(いわゆる入市被爆者)の方が、大きな放射線リスクを負っている場合も起こりうることになる。仮定の問題としてではなく、現実にそうした研究が存在する。(後述) 第10章が「たとえば、“ヒロシマLSS研究”においては最も低い被曝線量でそのような(被曝)影響が超線形被曝量応答として出現した。あるいは低い線量で他の高い応答の形で出現した」といっているのは以上のような意味である。 第10章を続ける。
広島原爆で放射性降下物(フォールアウト)がなかったと考える方が無理があるし、第一非科学的である。ただ広島原爆後の9月に枕崎台風が広島地方を襲い地表に付着した放射性降下物を吹き飛ばしてしまった、という事情はある。それでも、沢田昭二の講演で教えてもらったのだが、台風襲来前に広島市西部にある己斐という土地で採取した土壌が今でも広島大学に保管されているという。放射性降下物があったという証拠は山ほど存在する。
ここも若干の説明が必要かも知れない。疫学は要するに統計学である。統計学では研究の対象(この場合は研究集団)に対して参照する対象(参照集団。最近ではもうコントロールというカタカナを使っている)が必ず必要である。研究集団と参照集団を比較してその違いを“傾向”として見るのが統計学だからである。被爆者集団の“被曝”が研究の対象であれば参照集団(コントロール)は被曝していてはならない。当然のことであろう。程度の差こそあれ研究集団も参照集団も被曝していては科学的な疫学調査にならない。 ところがLSSではしばしば研究集団も参照集団も被曝していることが多い。というのは参照集団に選んだのは、直接被曝を受けていない広島市民の集団だからだ。ABCC=放影研は当然のこと参照集団にはいっさいの被曝はない、と主張している。しかしそれは、外部被曝の話だ。参照集団に顕著な外部被曝はないが、もし内部被曝があれば(あるのだが)、それは科学的な疫学調査とはいえない。“不適切な参照集団の選択”という疫学では初歩中の初歩のミスを犯していることになる。ところが参照集団の白血病発病率は日本の全国平均の比べてはるかに高かったのである。この事実は参照集団が内部被曝しているという事実を示している。それを「参照集団に白血病が増加している謎を説明するかも知れない」と、取りようによってはやんわりと皮肉っているのである。
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本質にズバッと斬り込む沢田研究 | ||||||||||||||||
ここで“草野信男1953年”としているのは、草野信男が編集して1953年に出版した英語論文集『Atomic bomb injuries』のことでこの論文集には“原爆症”という日本語の副題がついている。この論文集では、1945年8月から1950年まで生存していた被爆者のさまざまな健康損傷の事例が報告されている。またこの草野報告については私も「第5章 リスク評価のブラックボックス その③ 核兵器・原発と共に表舞台に登場したICRP」という記事でやや詳しく扱っている。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/ECRR_sankou_06.html>の『草野信男の「原爆症」』の項参照のこと) ECRRによれば、『原爆症』は、まだアメリカ進駐軍の占領時代において発症した原爆による放射線の様々な症例が報告されているという。(私はこの本を読んでいない)つまり、ABCCの第1回LSS調査開始以前の症例だ。それによれば、がんや白血病は投下後3ヶ月ですでに現れているという。(私の広島での実感にも近い。)ABCCはこれら発症例をその第1回LSSから数え落としている、とECRRは指摘している。また前にも触れた1947年1月の日付のあるABCC自身の「全体報告」の中で、東京帝国大学教授だった都築正男が様々な角度で報告している。ばかりか“1946年2月28日現在での医学研究報告リスト”も添付されている。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ABCC_12.pdf>参照のこと)ABCC自身自らのLSSでこうした1950年以前の症例や健康損傷を全く含めていない。 『沢田昭二2007年』は『広島及び長崎の原爆攻撃で生じた残留放射線による内部被曝影響の隠蔽』<Cover-up of the effects of internal exposure by residual radiation from the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki.>のことを指すと思われる。(<http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17370859>) 沢田はこの論文の中で、以下のことを明らかにした。
この論文で沢田は問題の本質にズバッと斬り込んでいる。つまり内部被曝は外部被曝よりもはるかにリスクが大きいということだ。しかもこの論文の価値は、ABCC=放影研のLSSが使っているデータ、すなわち広島の原爆生存者のデータを使って論証した点にある。つまりは、同じデータを使ってABCC=放影研が“放射線傷害はない”とした地区(広島市西部にある己斐-高須地区。爆心地から5-7kmも離れている)に“放射線傷害”が出ていることを論証した。ABCC=放影研の研究が“内部被曝の影響は無視しうる”として原データのかけられていたバイアスを再解析して取り除いてみたところ、“放射線傷害は出ている”という結論となり、それはとりも直さず“残留放射線の取り込みによる内部被曝の影響”であることを科学的に示した点に大きな価値がある。 |
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『原爆症認定集団訴訟』連戦連勝の真の意義 | ||||||||||||||||
話が少し横道にそれるかも知れないが、沢田昭二の一連の研究は、いわゆる2003年から始まった『原爆症認定集団訴訟』でも原告側の有力な論拠(証拠)として使われた。これは広島・長崎の原爆被爆者のうち被爆者の認定を受けていない人たちが、入市被曝や残留放射線被曝で放射線傷害を受けた、国(直接的には厚生労働省)は原告の人たちを被爆者として認定しなさい、という訴訟だった。これまでに全国の地方裁判所や高等裁判所で30回の判決があったが、1回を除いて原告側がすべて勝利したという画期的な裁判である。この裁判の本質は簡潔に言えば、広島・長崎原爆では“内部放射線被曝が存在した。そして内部被曝による健康損傷は外部被曝による健康損傷よりもはるかに大きいものだった”、このことを裁判所が認めるかどうか、という点にある。日本の裁判所はほとんどの場合、原告の論拠と国(厚生労働省)の論拠を比べ、原告の論拠をほぼ全面的に認めたことになる。 国側の証人(それはICRP派の学者だったが)は今もなお「科学的真実と裁判の結果とはまた違うことだ」と主張しているが、この裁判は、要するに「内部被曝はあったかなかったか。あったとすればそれは外部被曝に比べてどれほど大きい健康損傷=放射線傷害をもたらしたか」を事実に基づいて判断する裁判であった。裁判の本質はまさに「どちらに科学的真実」があるのかを争う点にあった。科学的真実とは一部専門家の独占物ではない。裁判所は有効な反論を出すことができなかった国(言いかえれば放射線医学や放射線防護の専門家たち)に科学的真実はない、としたのである。 この裁判が与えるインパクトは、これまで原爆被爆者として認定されなかった人たちが新たに被爆者として認定されるだろう、という以上に大きい。それはICRPのリスクモデルそのものに対する根本的疑義が日本の裁判所から出されたことを意味するからだ。ICRPのリスクモデルのデータ的根拠は、『広島・長崎の原爆生存者のLSS』、イギリスの『関節脊強直脊椎炎患者研究』などいくつかある。しかし『LSS』以外はすべて医療被曝の事例である。核兵器や原発などの核施設からの放射線影響という点では、ICRPのリスクモデルは、事実上100%そのデータをLSSに依存していることになる。LSSの上にICRPのリスクモデルができあがり、そのリスクモデルの上にICRPの放射線防護体系ができあがっている。現在世界的に見て圧倒的な権威と影響力をもつICRPの放射線防護体系は、科学的に見れば、実は極めて脆弱な構造の上に成り立っている。そのICRPの基盤中の基盤であるLSSに沢田論文は大きな疑問を突きつけたことになる。そして日本の裁判所がその主張に科学的合理性があると認めたことを意味している。 さて話はABCC=放影研によるLSSの信頼性は、原爆の放射性降下物の影響、すなわち内部被曝の影響を全く無視しているという点でも疑わしい、というところまでだった。そして草野や沢田の研究によっても、放射線の影響はがん以外の疾患にも及んでいる。
これまで見てきたとおり、外部だけの被曝や内部だけの被曝は実際にはまれである。被曝は外部と内部で同時に発生する。これが実際に起こっていることである。ABCC=放影研のLSSは、外部被曝のみが発生していると仮定して様々なミスを犯している。
外部被曝と内部被曝線量が拮抗している場合は別として、従来のICRPのモデルで、内部被曝に対して外部被曝線量が100倍を越える場合は、『外部被曝』による研究として扱って構わない、その場合はECRRもICRPのモデルに従う、その方が実際的な利点がある、としている。(と私は解釈した。が、このようなケースは、医療被曝を除いては、本当にまれだろう。たとえば汚染された鉄骨で建築した家屋に住んで被曝するといったケースか) |
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10章3節 放射線リスクの基礎的研究 (Base studies of radiation risk) |
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ICRPのリスクモデルの基礎的諸研究を列挙して、これらを外部被曝にのみ当てはめる(恐らくは2節で述べているように外部被曝線量が内部被曝線量の100倍を越えるような外部被曝のことを指している)ことについてはECRRもICRPのモデルに従う、といっているが、このリスト中の「LSS」だけは、外部被曝リスク研究の理想的データではない、といっている。それは当然だろう。広島・長崎の原爆の「被曝者」は外部被曝とともに相当な内部被曝をこうむっているからである。これらICRPのリスクモデルの基礎となる諸研究は以下である。 「1.ヒロシマ 寿命調査研究」の人数(研究対象集団)が9万1000人となっているが、通常ABCC=放影研の「原爆生存者寿命調査」(LSS)の対象人数は12万人以上とされている。9万1000人はそのうち「ヒロシマ」だけの原爆生存者を取り上げていて、長崎の生存者データは省いているものと思われる。(ナガサキのデータは外部1回急性被曝だけを取り出してみても、当初中性子線の影響を10倍過小評価したりして、ヒロシマ・データよりさらに信頼が置けない)このリストでは、『形態』(もとの英語は“regime”。被曝の状況、というほどの意味)を『1回・急性』としているので高線量の外部被曝を1回浴びたデータとして扱っていることになる。重要なのは『参照集団』の項目である。『市内「非被ばく」』としている。疫学研究では前述のように研究対象集団と参照集団(control)が適切に選ばれていなければならない。ところがLSSでは、参照集団に広島市内で“被曝しなかった”人口集団が選ばれている。爆心地から遠く離れている集団だから被曝しなかったという想定である。しかし当時広島市内にいた人で、あるいは原爆投下の翌日以降市内に入ったもので、被曝しなかったものはいない。多かれ少なかれ放射性降下物や残留放射線で内部被曝している。つまりこの研究は被曝した集団同士を比較しているわけだ。適切な疫学研究とはいえない。ここから出てくる結論は、研究対象集団の「1回・外部被曝」の影響を必ず過小評価することになる。 「2.英国関節強直性脊椎炎(きょうちょくせいせきついえん)」というのは、1935年から1957年の間、イギリスで関節強直性脊椎炎の患者に治療と称して高線量のX線を照射(X線治療)した結果、患者集団にがんが発生したケースである。ここにも書かれている通り対象集団は1万4000人以上にものぼる。この対象集団とX線治療を受けていない集団を比較した疫学研究であり、信頼できる研究である。なにしろ当時はお腹に胎児を抱えた妊婦にX線照射をして胎児の様子を眺めることを“診察”と称していた野蛮な時代である。このX線治療のために関節強直性脊椎炎患者の中に放射線被害者が数多く出た。ヘレン・ワイス(Helen A. Weiss)などの研究によると、1万4556人の放射線被害患者のうち1992年1月1日までに半数以上ががんで死亡したという。同様の事件はスエーデンでも起こっている。 (<http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ijc.2910590307/abstract>) 「3.」、「4.」、「5.」、「6.」もいずれも医療被曝のケースで外部被曝ということになる。
となるとやはり大きな問題はABCC=放影研によるLSSの信頼性、あるいはこの結果を低線量内部被曝に当てはめることの妥当性である。
LSSの最も最近の研究は2012年3月に発表されたLSS第14報である。もちろんECRR2010年勧告公表後のことである。第14報は「1950–2003 年:がんおよびがん以外の疾患の概要」<1950–2003: An Overview of Cancer and Noncancer Diseases>であり、この報告ではがんに関して、
としている。(<http://www.rerf.or.jp/library/archives/lsstitle.html>を参照のこと) ICRPのリスク係数を使ったがん発生予測を越えてがんが増加している傾向には変わりはない。 |
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ゴフマン、スチュアート、パドマナバン | ||||||||||||||||
ECRR2010年勧告第10章を続ける。
ここでゴフマンといっているのは、もちろんジョン・ゴフマン(John William Gofman)のことである。(2007年8月15日88歳で死去) ゴフマンはもともと『マンハッタン計画』に従事していた物理学者だった。同位体ウラン233の核分裂性や核分裂物質からのプルトニウム分離に関する初期のプロセスに関する共同特許も持っている。ゴフマンはその後医学に転じ、チームを率いて心臓病を引き起こす特徴的なたんぱく質を発見したりしてもいる。アメリカ原子力委員会傘下の国立リバモア研究所で長く働いていたが、ここでゴフマンは彼の一大転機となる染色体異常とがんの関係に関する研究に入り込むことになる。そして1963年リバモア研究所に生医学研究部門を設立した。その後ゴフマンは原発が関係する危険について警鐘を鳴らす主唱者の一人になっていく。『チェルノブイリ大惨事の人口集団に対する低レベル放射線被曝の影響』という研究でライト・ライブリフッド賞も受賞した。(日本人では高木仁三郎も受賞している) ゴフマンはもともと「マンハッタン計画」に関与する優秀な物理学者であり、アメリカで核兵器開発や核の産業利用・商業利用を推進するアメリカ原子力委員会に属する科学者でありながら、その後放射線の人体に対する影響を深く研究する中で『反核の科学者』となっていく人物である。(以上英語Wikipedia“John Gofman”などによる)
ここでいうゴフマンの研究というのは、『低線量被曝でがんに至る放射線:独自の分析』<Radiation Induced Cancer from Low Dose Exposure: An Independent Analysis>(1990年)など一連の研究を指していると思われる。
1998年-2004年:『インドの高線量自然バックグラウンド放射線地域における遺伝子に関する疫学研究』<Research: Genetic epidemiologic study in High background radiation regions in India>。インドにはケララ州など自然バックグランウンド放射線が極めて高い地域がある。その地域での疫学研究。 2004年-2005年:『1984年後事故に曝露した両親と曝露しなかった両親に生まれたボパールの子どもたちと事故前に生まれた子供たち』< Children of Bhopal born before and after 1984 accident to exposed and unexposed parents>。日本語ウィキペディア『ボパール化学工場事故』から引用する。
現在ユニオン・カーバイドはダウケミカルの子会社になっているが、この事件は未解決で賠償問題をめぐって係争中である。この研究は事故による遺伝的影響を研究したものと思われる。 2005年:『コカコーラ・ボトリング工場からの重金属に曝露した子どもたちの誕生時体重の研究』<Birth weight study of children exposed to heavy metal contamination from Coca Cola bottling plant>。もともと地下水不足に悩むインドに進出したコカコーラは大量の地下水を汲み上げてコカコーラ生産をインド各地で行っていた。このため地盤が大幅に下がり社会問題となった。ラジャスタン州のケラデラにある工場付近は、1999年の工場進出以来9年間で地盤が22.36mも下がり、メディガンという別な工場のある地域では進出以来、2008年の計測では23.75mも下がっていた。さらに工場内の重金属が地下水に混じりこのため周辺住民が深刻な健康被害に襲われた。現在も汚染は続いている。 (<http://www.rightsforpeople.org/IMG/pdf/coca-cola_cs_english_final_final.pdf>) 2008年-2009年:『マドラス原子力発電所の地元地域の甲状腺自己免疫疾患』<Autoimmune thyroid diseases in the local area of Madras Atomic Power station>。インド南部、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイ(1996年旧名マドラスから改称)から南に約80kmのカルパッカム(Kalpakkam)にある包括的な核施設がマドラス原子力発電所である。原子力発電所、核再処理工場、プルトニウム燃料加工生産工場、核廃棄物処理場などを含んでいる。原発は現在出力220万kWの重水炉(カナダのCANDU型の流れを汲む)2基合計440万kWで操業中であり、また500万kWの原子炉を建設中である。操業開始は1983年。周辺住民に健康被害が出ないはずがない。2012年になってインド原子力庁(the Department of Atomic Energy)は初めて工場の従業員及びその係累9人が放射線の影響による多発性骨髄腫(multiple myeloma=血液がんの一種)で、1995年から2011年の間に死亡していたことを認めた。現在も様々な組織や研究者が周辺住民の放射線による健康被害について調査中である。(以上英語Wikipedia“Madras Atomic Power Station”などによる)日本でも原発立地周辺で本格的な健康被害調査を始めなくてはいけない時にきている。 2007年-2010年:『ヒロシマ-ナガサキにおける原爆生存者とその子孫に見られる遺伝子及び身体的影響』< Genetic and somatic effects in atom bomb survivors and their offspring in Hiroshima-Nagasaki>。 第10章2節が指摘している「パドマナバンの研究」とは間違いなく上記の研究を指すだろう。パドマナバンもまた優秀な上に、圧倒的な力をもつ国際核利益共同体に敢然と立ち向かう勇気ある研究者であることはまず間違いない。 |
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(以下第10章 その③へ) | ||||||||||||||||