2013.1.30
<ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ>

 <参考資料> 世界保健機構(WHO)第4代事務局長 中嶋宏氏死去
 -IAEA(国際原子力機関)のWHO支配に挑戦した事務局長-

Dr. Hiroshi Nakajima
WHOのwebサイトから引用
   
 世界保健機構(WHO=World Health Organization)の第4代事務局長、日本人の中嶋宏氏が2013年1月26日、自分の住む町、フランスのポアティエ市内の病院で亡くなった、84歳だった、というニュースが世界中を27日から28日にかけて駆けめぐった。中嶋(以下敬称略)は、日本人事務局長という以上に、傑出したWHO生え抜きの医療行政家として世界中の人に惜しまれた。国連のニュース・アンド・メディア部門はいち早く国連ラジオの形で、ゲイリー・アダムスが弔辞を述べている。

 そのほかAPやAFPも短くはあるがこのニュースを伝えた。また世界のさまざまなメディアが中嶋の訃報を通信社の配信を引用する形で伝えた。日本のメディアも、たとえば28日付け朝日新聞(大阪本社版)は社会面(34面)の下段で写真入りではあるが、わずか1段15行の訃報を掲載している。先にそれを引用しておこう。

 「  WHO元事務局長 中嶋宏さん(なかじま・ひろし=世界保健機構<WHO>名誉事務局長)WHOによると、26日、自宅のあるフランス西部ポアチエの病院で死去。84歳。東京医科大卒。フランス国立医学研究所などをへて、1974年にWHOに。88~98年にアジア人初のWHO事務局長を務めた。ポリオ撲滅に取り組み、結核の総合的な治療法の確立にも貢献した。」 

 見る限り、ニューヨークタイムズの訃報が一番詳しい。(1月28日付け電子版。ダグラス・マーティン=DOUGLAS MARTIN署名入り)訃報は「中嶋宏 WHOの指導者、84歳で死去」(“Hiroshi Nakajima, Leader of W.H.O., Dies at 84”)と題するものだ。次にそれを見てみよう。

 「  日本人医師であり、マラリアやその他伝染病と闘うキャンペーンを開始した世界保健機構(以下WHO)のリーダーだった中嶋宏博士が土曜日(26日)フランスのポアティエ(Poitiers)で死去した。

 しかしその任期中の1988年から1998年(チェルノブイリ事故は1986年)は、運営を誤っているとして繰り返し責め続けられ傷ついた。WHOによれば、短い闘病の後死去した、という。

 エイズ、結核(TB)、デング熱(dengue fever)などを含む伝染病撲滅の取り組みの他、中嶋博士は子どもに対する予防医療とワクチン接種にWHOの焦点を大きく当てさらに女性器切除(female genital mutilation)の儀式に終止符を打つための国際支援を結集した。」

 ニューヨークタイムズの記事の途中であるが「女性器切除」は北アフリカ一帯に古くからある“習慣”だそうである。日本語ウィキペディア『女性器切除』の項目を見てみると「女性器切除(じょせいきせつじょ、略称FGM)あるいは女子割礼(じょしかつれい、Female Circumcision)とは、主にアフリカを中心に行われる、女性虐待とされる批判のある風習」と説明し、概要では「史的に見てFGMは2,000年もの間、赤道沿いの広い地域のアフリカで行われてきた。現在ではアフリカの28カ国で、主に生後1週間から初潮前の少女に行われる。アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの少女達が性器切除を施されている。欧米においては、この慣習の存在する地域から移民した人々の間においてもFGMが広く行われていることが昨今の調査で明らかになり、それに対して法的な規制を制定する国も増えてきている。ちなみにこの女性器切除はイスラムとは一切関係がなく、北アフリカの習慣である。」とある。切除の方法もいろいろあるが、ともかく「異文化問題」ではなく、「人道問題」であり、まさに「健康問題」である。ニューヨークタイムズの記事を続ける。

 「  月曜日(1月28日)、現在のWHO事務局長マーガレット・チャン(Margaret Chan)博士は、その声明の中でポリオ撲滅に対する中嶋博士の取り組みを賞賛した。」

 現在の事務局長マーガレット(マギー)・チャンは香港出身の医師・医療行政家である。香港衛生署署長を退職してWHO入りした。2006年中国の推薦で事務局長になっている。私からは国際製薬資本のいうなり、IAEAベッタリの最悪の事務局長に見える。チェルノブイリ事故直後は中嶋が事務局長だった。フクシマ事故ではマギー・チャンが事務局長である。ニューヨークタイムズを続ける。

 「  しかしながら中嶋博士はしばしば批判にさらされた。アメリカとその他の西側諸国は、国連の一部分であるWHOの事務局長に中嶋博士が選任されるのに2度も反対している。批判は中嶋は明確な方向性をもってその指導力をWHOに注いでおらず、また予算を膨らませ官僚主義をはびこらせたというものだった。

 1992年、アメリカが中嶋博士の再任(事務局長の任期は5年)を阻止しようとした時、アメリカの保健福祉長官ルイス・サリバン(Louis W. Sullivan-ブッシュ政権下で第5代保健福祉長官)は次のように書いている。『現在私たち全体がぞっとするような深刻で地球規模の健康問題が存在している今この時、WHOは健康問題でそのリーダーとしての評価を落としていることは明白だ』

 1990年に国連のエイズ撲滅の闘いでの“司令官”であり、広く評判の高いジョナサン・マン(Jonathan Mann)博士が辞任した時、中嶋博士は再び厳しい批判にさらされる主役となった。ニューヨークタイムズとのインタビューでマン博士は、辞任の理由を中嶋博士との“基本理念問題”、“主要な意見の不一致”があり、中嶋博士はエイズ防止への力点を外してマラリアなどの病気にもっと力点を置きたいのだ、と述べている。『エイズに関する全米委員会』(the National Commission on AIDS)の女性委員長ジューン・オズボーン(June Osborn)博士は、1998年に死去したマン博士の辞任を“世界の悲劇”と呼んだ。」

 このニューヨークタイムズの記事から、国際製薬資本を背景にした「エイズ問題の政治性」を感じる人があっても私は見当外れとは思わない。

 「  1992年の事務局長選挙では、アメリカは、中嶋候補を推すあまり行きすぎた戦術をとっているとして日本を非難した。アメリカ国務省は、もし中嶋候補を支持しなければ日本は魚の輸入をカットするとしてモルディブを、またコーヒーの輸入をカットするとしてジャマイカを脅していると声明した。日本の外務省のスポークスマンはこの非難を否定している。

 また、日本が、WHO理事会の中嶋博士の再選を推薦する35か国のメンバーのうち23か国までに委託研究契約を結んだという非難もあった。WHOの会計監査ではそのうち最大のものは15万ドルの契約だったという。“技術的は合法だが倫理的には問題がある”とは、理事会議長だったフランスのジャン・フランソワ・ギラール(Jean-François Girard)の言葉である。

 中嶋博士は副事務局長だったアルジェリアのモハメド・アブデルムーメンを投票で93対58で破った。WHOの歴史の中で現職の事務局長に別なWHO高官が事務局長選挙で対抗馬として挑むのは初めてのことである。

 1997年中嶋博士は、事務局長第3期目は出馬しない、と声明した。一つにはアフリカ諸国の支持を失ったからだ。(ロンドンの)エコノミスト誌は、“その声明は特に中嶋博士から出てくるものとすると極めて奇妙なものだ。中嶋博士自身、日本語でしゃべる時ですら、十分自分のしゃべる内容を咀嚼していない、と非難されてきた。”と書いた。

 中嶋博士は1928年5月16日日本の千葉市で生まれた。1955年東京医科大学を卒業。中嶋家は10代続いて医者を生んだことになる。パリ大学で精神医学と薬理学を学んだ後、東京医科大学に戻って医学の博士号を取得した。それからホフマン-ロッシュ(エフ・ホフマン・ラ・ロシュ-F. Hoffmann-La Roche, Ltd.スイスに本社を置く世界的な製薬メーカー)の日本における子会社法人の日本ロッシュの研究開発部長となった。1974年WHOに入り、第三世界に対する医療品供給の改善に努力した。そして“必須医療品”(essential medicines)概念、すなわちほとんどの人口集団に対してヘルスケアを満たす医薬品の概念を発展させるのに寄与した。1979年西太平洋諸国が博士を地域ディレクターに選出した。博士はその仕事を2期務めている。

 中嶋博士は、妻マーサ・アン・デウィット(Martha Ann DeWitt)と2人の息子に先立たれている。」

 ざっとお読みになっておわかりのように、訃報としては異例の内容である。ある意味死者に鞭打つ内容ともなっている。ニューヨークタイムズのダグラス・マーティン記者も中嶋への嫌悪感を隠していない。中嶋の任期初期はともかく、アメリカを始めとする西側諸国は中嶋事務局長を嫌っていた。無能で不公平な事務局長ならともかく、中嶋はアフリカ諸国をはじめ医療から遠い人たちへできるだけ医療を近づけ、さまざまな伝染病の撲滅に努力した公平で有能な事務局長だった。だからこそ西側諸国の圧倒的な影響力があっても2期のWHO事務局長をまっとうしたのである。

 しかし何故中嶋はこうも非難されなくてはならないのか?中嶋は西側支配層、特に核産業を中心とした国際的結合体(国際核利益共同体)の逆鱗に触れたのである。もともとWHOは世界の健康・医療の守護神として国際的に高い評価を受けていた。しかし放射線被害については別だった。

 1945年8月の広島・長崎への原爆投下をきっかけにしてアメリカ、ソ連、イギリスを中心とする大気圏内核実験は気違いじみていた。特に1958年-59年を一つのピークとした核実験による放射性降下物による低レベル放射線による被害がようやく国際社会で問題になりかけていた時だった。

 1945年7月のアメリカによるアラモゴード砂漠での核実験、同じく8月の広島・長崎への原爆投下を初めとして、1980年中国による最後の最後の核実験まで、アメリカは合計215回(広島・長崎の実戦使用を含む)、旧ソ連は219回、フランスは50回、イギリスは21回、中国は23回、合計528回の大気圏核兵器爆発をおこなっている。(アメリカの環境問題を専門とするシンクタンク『自然資源防衛評議会』<Natural Resources Defense Council-NRDC>による)

 下記の表はTNT100万トンあたりの核実験による生成放射性核種とその量である。

 

 ヨウ素131やセシウム137だけを取ってみても、100万トンの核実験はチェルノブイリ事故やフクシマ事故の数倍、数十倍の死の灰が地球規模で降ったことが推測される。

 WHOに実態調査、健康調査をされては困る核兵器保有国、それらはすべて国連安全保障理事会の常任理事国であり国連を事実上支配している諸国である、は世界的な核産業推進機関である国際原子力機関(IAEA)と合意書を交換させた。1957年10月のIAEA設立から2年後の1959年のことである。この合意書によれば、WHOは核の実態や健康影響について独自の調査を行わない、WHOの公表する資料はすべてIAEAの資料による、ことを骨子とする。放射能に関する限りWHOは完全にIAEAの従属下におかれるのである。WHOの『IAEA従属体制』は現在に至るまで続いている。

 チェルノブイリ事故が1986年、中嶋がWHO第4代事務局長に就任するのが1988年。中嶋は事務局長としてチェルノブイリ事故による健康被害を独自に調査しようとした。また当時国連事務総長だったコフィ・アナンも中嶋の意図を支援しようとした形跡がある。中嶋の努力は明白に1959年合意の違反だった。この頃から中嶋はアメリカを始めとする世界の核の産業利用推進派から目の仇にされるようになる。また2期目の1995年、中嶋は「ジュネーブに700人の専門家や医師を集めて チェルノブイリに関する国際会議を開催し、情報を広めようとしたが、待望の議事録は国際原子力機関IAEAの妨害によって一切発表されなかった」とスイスTV制作のドキュメンタリー「真実はどこに?」は述べている。

 2001年6月、WHOはウクライナのキエフでチェルノブイリ事故に関する国際会議を開くのだが、その会場で中嶋はスイスの医師ミッシェル・フェルネックスなどの質問に答える形で次のように証言している。引用する。

 「
フェルネックス: なぜ私たちの議事録(1995年の国際会議の議事録のこと。IAEAの公式発表とは異なり、チェルノブイリ事故の低線量放射線被曝の現状が報告されている)が公表されなかったのですか?
 中嶋: (この時はすでに事務局長ではないが名誉事務局長としてキエフ会議に出席していた)会議がIAEAと共同で組織されたからですよ。それが問題でした。
 フェルネックス: ここでは(キエフでは)ジュネーブ(IAEAの本部がある)よりも自由なのでは?
 中嶋: もうここではWHO事務局長ではなく、ただの一私人ですから。
 
 (ここでドキュメンタリーのナレーションが次のようにかぶっている)

 ナレーション: 2001年6月 チェルノブイリの惨事の医学的結末に関する国際会議がWHOの後援でキエフで開催された際、NPO団体「チェルノブイリの医師たち」は中嶋博士が名誉議長になることを望んでいた。(そしてTVクルーが中嶋に質問をする)
 TVクルー: WHOとIAEAの関係(1959年の合意書ないし協定のこと)がWHOの自由を妨げたのです。矛盾しているとは思われませんか?
 中嶋: 私は事務局長でしたから責任者でしたが、わたしの責任が関わるのは、特に法規部門なのです。IAEAは国連安全保障理事会に従属し、私のような専門部局は全て経済社会開発委員会に属しています。専門部局はみな平等ですが安保理に属する組織は、特に核に関することは 軍事目的と民生目的、平和目的あるいは民生用核の(決定)権限は彼らにあります。
 ナレーション: 人々の健康を守る組織(WHO)が核開発の機関(IAEA)に従属していることをこれほどきっぱり認めた人は、これまで誰もいなかった。この2つの国連組織は、世界の平和と人々の幸福を守るため、ともに仕事をするときも、それぞれ独立して組織の任務を遂行すべきである」
  

 国際的な産業用核推進機関IAEAに従属するWHO。良心的なWHO事務局長として、中嶋宏は可能な限り独自調査を行い、チェルノブイリ事故による低線量放射線被曝による被害の実態を明らかにし、世界の人々に知らせようとした。そしてまさにその動きが、国際的な核推進勢力の逆鱗に触れ批判を浴びることになる。それが先のニューヨークタイムズの記事で見た中嶋の四面楚歌となるのである。

 ここで大きな疑問が一つ残る。リベラルでその名を轟かすニューヨークタイムズの立場である。ニューヨークタイムズは1945年7月のアラモゴードでの核実験、8月の広島・長崎への原爆投下以来一貫して、世界の核推進勢力の拡声器の役割を果たしてきた。そのため軍部と秘密の広報請負契約をした有名記者(ウィリアム・L・ローレンス。同じニューヨークタイムズのウィリアム・H・ローレンスは別人)も存在したほどである。だからこの訃報で中嶋宏に対するあからさまな嫌悪感を示すのも当然だと言えよう。マスコミを使った世論操作・誘導、プロパガンダの刷り込みは、なにも日本の専売特許ではない。いやアメリカこそ、その本家本元なのである。


<参照資料>
・国連ニュース・アンド・メディア部門 国連ラジオ 中嶋宏氏弔辞:http://www.unmultimedia.org/radio/english/2013/01/former-who-chief-who-made-large-contributions-to-public-health-has-died/
・ニューヨークタイムズ2013年1月28日中嶋宏氏訃報:
http://www.nytimes.com/2013/01/29/world/asia/hiroshi-nakajima-leader-of-world-health-organization-dies-at-84.html?_r=0
・英語Wikipedia:“Margaret Chan”
http://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Chan
・NRDC:
http://www.nrdc.org/nuclear/nudb/datab15.asp
・哲野イサク「ECRR2010年勧告 第10章「被曝に伴うがんのリスク:第1部 初期の証拠」の解説
 記事「その① 地球規模で拡散した大気圏核実験時代の放射性降下物(死の灰)」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/ECRR_sankou_15.html
・IAEAとWHOの1959年合意書:
http://apps.who.int/gb/bd/PDF/bd47/EN/agreements-with-other-inter-en.pdf
・TVドキュメンタリー「真実はどこに?」(日本語字幕つき)
http://www.savechildrengunma.com/truth/whoiaea/