2011.10.1 | ||||||||||||||||
私は、今年の6月末から、「ECRR市民研究会−広島」という市民グループに、同僚の網野沙羅と共に参加している。 日本政府をはじめ、各国政府が電離放射線防護の基準としている「国際放射線防護委員会」(ICRP: International Committee on Radiation Protection )の基準がおかしい、と疑いの目を持ち始めたのは、福島第一原発事故が発生してまもなくだった。それは一つには事故直後からたびたび出された「ただちに健康に影響はない」という政府の説明であったり、また私が幼いころから見聞きしていた広島原爆被害者の話(例えば私の祖父母はヒバクシャであり、小さい頃からせがんで話を聞かせてもらっていたりした。)とどうも違う、という直観的な疑いであった。 しかし、自分の直感的な疑いを論理立てて、あるいは問題を考えることのできるレベルで科学的に、自分自身に説明できないというのはもどかしいものである。そしてまた自分自身があまりに電離放射線について無知・無教養であることにあきれ果てもした。 自分の直感的な疑いを何とか理論的に、事実に基づいて、科学的に説明できないか、ということで電離放射線の勉強をはじめた。その中でECRR(欧州放射線リスク委員会:European Committee on Radiation Risk)の2003年勧告を読んだ。読むというよりそれをテキストにして電離放射線について学んだ、という方がより適切だろう。学びきらないうちに2010年勧告の日本語版が「美浜の会」のECRR翻訳委員会からインターネットを通じて発表された。 2010年勧告は、当然のことながら、2003年以降の新たな科学的研究や知見がつけ加えられており全体としてははるかに進化していた。 私はこの知見を何とか市民レベルで共有できないか、と考えた。そして主として学ぶことを目的として「研究会」のスタートを提案してみた。幸いに幾人かの友人が賛同してくれて、この6月に「ECRR市民研究会−広島」がスタートした。 今日、2010年9月25日はその第4回の例会だった。また私の研究発表の番でもあった。私の担当したのは、2010年勧告の第3章「科学的諸原理」(日本語版テキストでは「科学的原理について」)と第4章「放射線リスクと倫理原理」である。 第3章は、一言でいうと、この問題に対するアプローチで、依拠する科学的原理とツールとしての方法論で、ECRRとICRPがまったく相容れないアプローチを行っていることをECRR側から説明した章である。第4章は、第3章で扱った問題のさらにその根底にある哲学の違い、放射線被曝に関する倫理観・道徳観の違いについて論じた章である。 ここでいう倫理観や道徳観というのは、日本語のもつニュアンスとやや異なり、ヨーロッパ近代が、時には血なまぐさい革命(たとえばイギリスの「清教徒革命」や「フランス革命」「アメリカ独立戦争」など)を経て獲得した近代市民社会における政治思想や社会規範を土台にした倫理観や道徳観と云う意味である。 |
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飯舘村の山下俊一 | ||||||||||||||||
ほぼ4ヶ月という短い期間だが、電離放射線についてまったく無知無理解だった私が、どれほど力がついたか自分で時々試したくなる時がある。 それには格好の教材がインターネット上にごろごろ転がっている。初級レベルの教材としては、長崎大学の教授山下俊一(いまや時の人であり、有名人である)が、2011年4月1日、飯舘村で村議会議員と村職員を対象に非公開でセミナーを開いた時の議事録が手頃だろう。ややフライング気味の山下俊一の発言を教材とするのは、敵失につけ込むようで気が引けるが、そこは初級教材の初級教材たるゆえんである。 この議事録は「田中龍作ジャーナル」という極めて興味深いWebジャーナリストのサイトからの引用である。(「飯舘村 山下教授 「洗脳の全容」) 非公開なのになぜこの議事録が残ったのかというと、田中龍作がセミナー出席者に取材して再現したからだ。 文中山下発言への批判部分(つまりは私の力だめし部分)は青字とし、山下発言そのものは『』でくくった。はて私の力試しはうまくいきますかどうか。 |
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ABCCの調査研究データ | ||||||||||||||||
以下、山下俊一の話。
山下は「長崎、広島の研究データに基づいた話」をするといってこのセミナーを開始している。何のことを言っているのだろうか? 話は今から65年以上前にさかのぼる。日本に対して原爆を使用(広島・長崎への原爆攻撃)した、アメリカ・トルーマン政権の中枢部は、2つの原爆の人体に対する影響を調べる必要に迫られた。 原爆の人体に対する影響といっても、その源泉は大きく3つある。熱線、爆風、放射線である。そのうち「放射線の人体に対する影響」に特に興味を抱いた。その理由は、すでに原爆攻撃前からトルーマン政権中枢部は、「核エネルギーを革命的エネルギー」として軍事的にも産業的にも文明社会の中で応用していくことを企画していたからだ。(例えば「暫定委員会議事録」1945年5月31日議事録などを参照の事) その際彼らが見通す大きな障害があった。それは全ての核装置・核設備・核器機が避けようもなく放出する電離放射線の人体に対する影響であった。当時は今ほど分子生物学や遺伝子工学が発達してはいなかったが、原爆開発や製造の過程で多くのラインの労働者、時には高級技術者も放射線障害で損傷を受けており、放射線の人体に対する害が相当程度知られていた。放射線が人体に大きな損傷をもたらすということが一般大衆の日常レベルでの知見や普通の知識になれば、軍事利用にしろ産業利用にしろ推進しにくくなる。 「放射線(放射能)は、人体にとって害のないもの」あるいは時にはその医療応用など人類にとって有益なものでなくてはならなかった。それには、「放射線の影響」については、アメリカ中枢部がその情報を一手に握って管理する必要があった。 こうして、広島・長崎の原爆攻撃による放射線の損傷の実情を調べ、研究報告をする目的でABCC(Atomic Bomb Casualty Commission―=原爆傷害調査委員会)が遅くとも1947年(昭和22年)までにアメリカ全米科学アカデミーー全米研究評議会内部に作られ、1946年(昭和21年)の後半からは、半ば非公然に広島と長崎で現地調査を開始していた。 (ウェキペディアの「原爆傷害調査委員会」) |
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ABCC-放影研のデータの問題点 | ||||||||||||||||
ABCCが公然と調査活動を開始するのは、原爆攻撃から5年も経った1950年(昭和25年)頃からである。ABCCは日本側(日本政府、厚生省、日本の学術界、県当局・市当局、地元大学医学部、地元県医師会など)の全面的な協力を得ながら、被曝生存者のデータの収集と分析・研究を進めていった。その数は10万人以上という厖大な数に上った。そこで得られた結論は医科学的に見て十分説得力を持つものだった。そのデータは「原爆生存者寿命調査」(Life Span Study-LSS)と呼ばれている。(例えばABCCの後身である放射線影響研究所−放影研のサイト<http://www.rerf.or.jp/library/archives_e/lsstitle.html>を参照の事。この研究は放影研になっても受け継がれている。) 山下が「長崎、広島の研究データ」といっているのは、ABCCから放影研に連綿として受け継がれている原爆生存者寿命調査(LSS)のデータのことを言っている。ところでこのデータには、次のような大きな問題が含まれている。 |
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このように「LSS」は大きな問題を含んでいる。2011年4月1日(まさかエイプリル・フールに引っかけたわけではあるまいが)、山下俊一が飯舘村で「長崎、広島の研究データに基づいた話」をすると宣言したことは、すなわち飯舘村では放射線障害は起こりません、と宣言したに等しい。福島第1原爆事故では一次放射線などは発生せず、従って飯舘村の人たちにはその直接外部被曝はありえず、もしあるとすれば、低線量の内部被曝しかありえず、それには健康への影響はない、とLSSが明確に結論しているのだから。 |
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健康損傷を「ガン」に限定 | ||||||||||||||||
さらにLSSが仮定したもうひとつの重要なポイントにもついでに触れておかねばならない。それは放射線による健康損傷を「ガン」にのみに限定したことだ。実際には放射線損傷は、人体に全般的な老化現象を起こす。加齢による老化ではなく、放射線が老化を促進するということだ。従って身体の全般的機能障害やストレス耐性の低下、免疫力の低下など「老人化」を促進する。その「老人化」の最たる結果が細胞の「ガン化」ということなのだ。しかしLSSは、健康損傷を「ガン」にのみ限定する。例えてみれば「氷山の一角」にのみ注目してその下の厖大な健康損傷はないものとして無視している。 従って山下俊一の話も、氷山の一角のみに限定する。「発ガン性のリスクであり、データは正しいものだと考えています。」という部分がそれである。このLSSの研究方針とその研究結果はそっくりそのままICRPの防護基準に受け継がれ、現在でもICRPの基本テーゼとなっている。だから、言い換えれば山下は、ICRPの基準とその考え方に基づいて話します、といっているわけだ。 ここで記憶して欲しいことは、日本における放射線に対する防護基準は、ICRPの防護基準と考え方(以下ICRPモデルと記述する)に基づいており、そのICRPモデルは、LSSの研究方針とデータを全面的に踏襲しているということだ。 山下俊一の講演に戻ろう。
「一度に100ミリシーベルト/時間を浴びると発ガン性のリスクがあがる」という信条こそ「放射能安全神話」の神髄というべき中身であろう。この信条(独断)は、当然LSSの結論から導かれている。しかしそのLSSの怪しさは先にも見たとおりだ。 さらにこの山下の発言は実はICRPの公式見解からも逸脱している。ICRPの公式見解は「発ガンのリスクは高線量から低線量まで右肩あがりに一直線であり、そこにはしきい値はない」(線形しきい値なし理論)というもので、100ミリシーベルト/時間という具体的な数字をもってくれば、ここにはしきい値があるということになり、ICRPのドグマからも逸脱して全く「山下理論」ということになってくる。ここは頼りない山下センセの話ではなく、ICRPの公式見解の発祥地、元ABCC現放影研にご登場願って、正しいICRPの独断(ドグマ)を聞かねばなるまい。 |
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放影研の説明 | ||||||||||||||||
ずいぶん慎重な言い回しであるが、要するに放射線による「発ガン死亡」は100ミリシーベルトでは、約1.05倍、10ミリシーベルトでは1.005倍といっており、そのリスクに関しては被曝量の境目(しきい値)はない、といっている。このICRPの公式ドグマに従っても、フクシマ危機によるガン死は相当なものと予測される。またICRPの公式ドグマに従えば、山下の話は相当怪しいということになる。なお放影研の公式見解では、放射線の影響は外部被曝と内部被曝について特に区別しておらず、被曝線量全体を問題にしている。(これも放射能安全神話の重要なトリックだ。) 「放射線は赤外線などと同じで、近づけば熱いが離れれば離れるほど影響はなくなるので、今、福島第1原子力発電所で出ている放射線は、40km離れている飯舘村までは届きません。」と山下はいう。これは間違いない事実であるが、誰も福島第一事故で放出された放射線が直接飯舘村に届いたなどと考える人はいないだろう。何しろ放射線のエネルギーは距離の二乗に反比例して小さくなるのだから。そうではなくて、福島第一から放出された放射性物質が飯舘村にフォールアウトし、それらの毒が体内に入って健康損傷をすることを心配しているのだ。 |
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山下が展開する「線量・線量率効果」学説 | ||||||||||||||||
ここでIAEAの出したデータというのは、恐らく飯舘村はチェルノブイリ事故の時の避難地域並に放射能汚染しているというデータのことだろうが、山下はそのデータを正当に評価できる人間がいないことを嘆き、おそらくは自分自身がその数少ない専門家であることを強調したいのであろう。 しかしIAEA(国際原子力機関)こそ全世界に原発を推進する中心的な国際エンジンであり、その意味では放射能安全神話をばらまくICRP派の牙城である。そのIAEAが避難を匂わすデータを出してきたのに、それを振り払って自分が数少ない専門家であると大見得を切るとは山下も大した度胸である。(そのうち放射能安全神話のチンドン屋の役割もお払い箱になるかも知れない。)
ここら辺から段々論旨が怪しくなってくる。山下は「内部被曝が問題だ」と明確に言い切り、「今日は内部被曝の話をしにきた」とも言っている。ところが話は自然のバックグラウンドの放射線の話に飛んでいく。そして日本の平均の自然放射線量が年間1.5ミリシーベルトであり、ブラジルでは年間10ミリシーベルトもある地域がある話になる。 世界の自然放射線の平均はWHOによれば2.4ミリシーベルトであり、日本は平均より低く1.5〜1.6ミリシーベルトであるとされる。またおかしな事にこの自然の放射線の中には、1940年代の後半から始まった凄まじい量の放射線を放出した核兵器保有国の大気中核実験によるもの、ウラン採掘で掘り返したウラン鉱山から飛び出してきた放射線も含まれている。ブラジルのケースはガラバリ地方のラドンのことを指すのであろうか。しかしブラジルであれ、インドであれ自然の放射線による健康被害は出ている。何がいいたいのであろうか?
「放射線の被曝は1回で浴びるのと蓄積して浴びるのとでは大きな差があります。」というのは、恐らくは、線量・線量率効果(dose and dose -rate effectiveness)のことを言っているのであろうか?ICRPのドグマによれば、放射線を一度大量に浴びるのと何回にも分けて浴びるのでは、同じ合計線量でも一度に大量に浴びる方が、健康に対する影響は大きい、とこれもLSSに基づいて導き出している。これを線量・線量率効果と呼んでいてその効果係数(DDREF)まで決めている。ところが、ECRR系の学者の研究は、線量・線量率効果は否定されており、中には低線量を何度も被曝する方が健康に対する影響は大きいという研究もある。(ペトカワ効果。牛の細胞膜の実験で得られた観察) この短い言葉からは山下が言いたいことは明確ではないが、線量・線量率効果を持ちだして低線量被曝は何回浴びても、大量で一度切りの被曝よりもリスクが小さい、とでも言いたかったのだろうと思う。 |
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電離放射線の健康損傷メカニズム | ||||||||||||||||
なぜ、ここでいきなりDNAの話が出てくるのか、放射線の人体に対する影響に関する予備知識のない人は多分面食らうことと思う。あるいは、この議事録が、いわば再現版であり、実際には山下は言葉を補っていたのかも知れない。いずれにもしても「放射線の人体に対する影響」に関してその根幹に関わる大切な部分である。 話は放射線、もっと正確に言えば電離放射線がなぜ生体に悪い影響を及ぼし、場合によればそれがなぜ生死に関わるか、ということである。言い換えれば、「電離放射線による健康損傷のメカニズム」という話である。 放射線には電離放射線と非電離放射線がある。中性子線は電離放射線ではないが、電離放射線と同じ効果をもたらすので電離放射線と同じグループに分類されている。 原子は下図のように原子核と電子からできている。原子核は陽子と中性子からできている。この原子核の性質(陽子と中性子の数)と電子の数の組み合わせで、原子の性質が決まる。 たとえば、水素原子は、原子番号1で原子核の中身は1個の陽子だけで中性子を持たない。また電子も1個である。水素原子は1個の陽子と1個の電子から成り立つ最もシンプルな原子である。(もっとも水素の同位体では重水素−電子1個、陽子1個、中性子1個や三重水素電子1個、陽子1個、中性子2個などがある) 原子番号2のヘリウムでは、電子2個、陽子2個、中性子1個である。(中性子2個の同位体もある)。核の連鎖反応を起こすウランの同位体はウラン235は電子の数が92個、陽子92個、中性子の数が143個である。中性子と陽子の数を足すと235個となる。 こうして原子はその電子、陽子、中性の数でその性質が決定されている。また分子はこうした原子の化学的結合物である。たとえば水素原子が2つ集まって水素分子ができあがる。物質はこうした分子の化学的結合物である。(下図参照のこと) (私は原子模型にラザフォードの模型を用いたが、原子は、実際は量子力学的世界が正しいイメージであるようだ。もっと複雑でダイナミックな世界であるようだ。しかしそうすると話が複雑になるので、ラザフォードの原子模型を用いた。) |
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細胞もDNAもまた分子からできている | ||||||||||||||||
生物の細胞もまたこうした分子の結合体である。その細胞に格納されている染色体もまた分子である。1本の染色体には1本のDNAが格納されているが、このDNAもまた分子である。「DNAは非常に長い分子であり、細胞核に収納するには折り畳む必要がある。DNAは核酸なので酸性であり、塩基性タンパク質のヒストンとの親和性が高く、全体的には電荷的に中和され安定化している。」(日本語Wikipedia「染色体」) これら細胞や染色体やDNAは分子である以上、その基本的構成要素は原子であるから、原子の性質が変化すれば、とても元の性質を保っていられない。 電離放射線は、これら原子からさらにまたその構成要素である電子(エレクトロン)を、奪い取ってしまうのである。こうした現象を「電離現象」と呼んでいる。電子や陽子(プロトン)や中性子(ニュートロン)の数で原子の性質が決定し、従ってその化学的結合物である分子の性質や働きも決まって来るのであるから、電子を奪い取られてしまっては、どうしようもない。元の性質を保持できない。これが染色体やDNAという分子で発生すると、DNAは異常を起こす。あるいは大規模な電離現象がおこるとその細胞自体が死んでしまう。そうした細胞で構成されているのが臓器であったり組織であったりするのだから、大量に細胞が死んでしまうとその臓器や組織がもとの機能を発揮できず、機能低下を起こしたり場合によっては臓器不全をおこしたりする。 ところで、大量に細胞が死んでしまったり、あるいは拡大再生産ができなかったり、縮小再生産の過程に入ったりして、生命体が徐々に死に向かって進行していくことを老化という。これが自然に起これば自然老化だが、電離現象で老化が起こればこれは不特異老化である。電離放射線が生体に引き起こす健康損傷の最大の特徴は「老化」である、というのはこういう意味である。 また、山下が自分の講演の中で、「DNAが傷つく」といっているのは、電離現象によってDNAを構成している原子や分子から、電子が奪い取られもとの性質や働きが維持できなくなることを指している。 蛍光灯などから放射される光線もまた放射線だが、これは電離現象を起こさない放射線、すなわち非電離放射線だ。同じ放射線でも電離放射線とは全く異なる。だから放射線という曖昧な言い方は、この場合不適切というより意図的に電離放射線の危険をぼやかす言い方であり、私たちははっきり「電離放射線」という言葉で、敵の正体を把握しておく必要がある。 また山下がこの講演で「DNAは、たばこを吸ったり、酒を飲んだりしてもが傷つきますが、全員がガンになるわけではないことからも、直す仕組みを持っていることが分かってもらえると思います。」と言っていることのまやかしも「分かってもらえる」と思う。というのはタバコや酒でDNAが傷つくのは事実だが、それはDNAの機能を低下させるだけで、DNA自体を変質(ミューテイト)させるわけではない。しかし電離現象はあきらかにDNAをミューテイトするのであり、本質的に異なる現象である。 (ついでに言えば、タバコが肺ガンの原因になっていることを最初に指摘したのは、エドワード・ラドフォードだが、彼の研究も、「ラドフォード博士は紙巻きタバコ-シガレットに関する研究、特に1960年代の一連の発見における研究でよく知られている。それはタバコの中に放射性トロニウム210が存在しており、喫煙者の肺臓器に達する。彼とその同僚グループによれば、集積が十分高まれば、放射能は肺がんの要因になりうる、とするものだった。」ということであり、決してタバコのニコチンやタールが肺ガンの原因だとするものではなかった。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/ECRR_sankou_05.html の「エドワード・ラドフォード」の項を参照の事>) |
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電離現象に必要なエネルギー | ||||||||||||||||
それでは、山下が、「1mSv/hを1回浴びると1個の細胞が傷つきます。詳しく言うと1つのDNA(遺伝子)が傷つくのです。」といっているのは、いったい何のことだろうか? 「1mSv/h」は線量率のことである。電離放射線の作用が理解された今では、ここで山下が言っていることは、「1ミリシーベルトの線量率で、電離放射線は原子から1個の電子を電離させます。」と言い換えることができる。電離現象を簡単に模式図にすれば下図のようになる。 いったい電離現象を起こすにはどれほどのエネルギー(原子核から電子を奪い取る力)が必要なのだろうか? 電子はマイナスの電荷を持っている。一方で原子核の中の陽子はプラスの電荷である、マイナス電荷の電子とプラス電荷の陽子がお互いに引きつけ合って原子全体がその均衡を保っている、という言い方もできる。だから原子の電子数と陽子数は同数である。 電子を原子から奪い取るエネルギーとは、電子と陽子の均衡を破るエネルギーでなければならない。話は“電荷”の世界の事だから、単位は“電子ボルト”を使っている。 ところで私は、もともとこの世界には全く素養も知識もなかったので、“電子ボルト”がどうしてもイメージできなかった。理屈としては分かった気でいるのだが、どうしてもイメージできない。1ボルト(電気)は理解している。いろいろな説明ができるのだが、1アンペアの電流が流れる2点間で消費される電力が1ワットの時の2点間の電圧が1ボルト、という説明がもっとも私には理解しやすい。電圧だから電位差がある。この電位差の概念を使って、沢田昭二がその市民向け講演の中で、1電子ボルトを説明してくれた。それが下図である。 つまり1個の電子を電位ゼロから電位1ボルトまで引きつける力が1電子ボルトだ、というのだ。 そうすると電離放射線の電子を原子から引き離す力(電離能力)はどれくらいなのだろうか、という話になる。ここは私はよくわかっていない。沢田昭二の講演を聴いていると、沢田は7電子ボルトから10電子ボルト、と説明していた。別な本を読んでいると20電子ボルト程度という記述もあった。実際には、電離現象には様々なパターンがあり、またそのパターンごとに条件設定や環境があり、平均値を出すことは難しいのだと思う。しかしそれはいかなる条件やパターンによっても数十電子ボルト以上ではない。だからここでは、仮に電離に必要なエネルギーは、1回あたり30電子ボルトとして置こう。 そうすると山下は、「1回1ミリシーベルトの被曝に相当する放射線には、30電子ボルトの電離能力がある」といっている事になる。 |
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外部被曝に終始する山下 | ||||||||||||||||
この話を検証してみよう。 「シーベルト」は、電離放射線が生体に吸収される時のエネルギーの単位である。生体にではなくて物質一般に吸収される時は「グレイ」を使っている。電離放射線は、その種類によって生体に対する影響力が違うから「生体にはシーベルト」、物質には「グレイ」と使い分けているのだ。(だから厳密にはシーベルトは放射線の吸収線量そのものではなく、生体が吸収した時の線量当量の単位だ。) 話がややこしくなるので、一般には1シーベルト=1グレイという換算式を使っている。(これは放射線がガンマ線やX線、という仮定を基にしている。) それでは1グレイ(Gy)はどれほどのエネルギーのことを言っているのかというと、「放射線によって1 kgの物質に1 Jのエネルギーが吸収されたときの吸収線量」と定義されている。(例えば日本語ウィキペディア「グレイ」) J(ジュール)はエネルギー一般の単位である。だから熱や力に換算した単位で表すこともできる。たとえば、われわれにはお馴染みの熱カロリーの単位に換算すれば、1ジュールは約0.238 9 cal(カロリー)という僅かなエネルギーでしかない。また力の単位に換算すれば、102グラム(小さなリンゴくらいの重さ)の物体を1メートル持ち上げる時の仕事に必要なエネルギーでしかない。また電気のエネルギーに換算すれば、毎秒1Wの電力量でしかない。(以上日本語ウィキペディア「ジュール」) ところが、原子や分子に電離現象を起こさせる単位電子ボルトに換算すると、1ジュールはなんと、0.624×1019電子ボルトに相当する。原子の世界で言う電子が以下に質量が小さく、はかない存在かということだ。1兆という単位は10の12乗だ。つまり1に0が12個つく。それに0が4つつけば「京」という単位になる。つまり1ジュールというエネルギーは、624京電子ボルトという途方もないエネルギー量になる。 1グレイは、1kgの質量をもつ物質が1ジュールのエネルギーをもつ放射線を吸収したときの吸収エネルギーだった。今1グレイ=1シーベルトとした。 従って1シーベルトの吸収放射線エネルギーは624京電子ボルトということになる。 山下俊一は、1ミリシーベルトで1個のDNAが傷つくと言っている。1シーベルトは1000ミリシーベルトだから、1ミリシーベルトのエネルギーを電子ボルトで表現すれば、624京電子ボルトの1000分の1、すなわち62.4兆電子ボルトのエネルギーとなる。 はて、電離放射線の電離エネルギーは、こんな途方もない数字だったか?先ほども見たように精々30電子ボルト程度ではなかったか? 逆にいうと、1ミリシーベルトのエネルギーが、たった1個のDNAを傷つけるエネルギー(30電子ボルト)しか持たないケースはありうるのか、という問題でもある。 ありうるのである。その放射線の線源がその人から遠く離れていた場合にはそうなりうる。先ほどエネルギーは距離の2乗に反比例して小さくなる、と述べた。だから放射線が人体に届いた時、僅かに30電子ボルトのエネルギーしか持たないほど十分に離れていれば、山下のいう、「1ミリシーベルトの放射線が1個のDNA」を傷つけるケースはありうるのである。 山下は「今日は内部被曝の話をする」と言いながら、最も重要な電離現象の話を外部被曝、それも放射線源から遠く離れたケースを例に取りながら話をしている。もう少しいえばこのケースは、核事故から比較的距離を置いて放射線を浴びた場合、やや想像をたくましくして断定的に言えば、山下は広島・長崎原爆で爆心地から離れたところ(半径2km以上)の場所で被曝したケースを想定してしゃべっているのではなかろうか? |
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全く異なる内部被曝のメカニズム | ||||||||||||||||
内部被曝の場合、この電離現象はどうなるのであろうか? 電離放射線は、放射性物質が核崩壊(あるいは核分裂や核融合)する時に発生する。この時核分裂物質は、その核崩壊のスタイルによって、異なる種類の電離放射線を発生する。ややこしい話はぶっ飛ばして、たとえば福島第一事故で大量に放出されたセシウム137という核分裂物質に例をとろう。セシウム137は、ベータ崩壊というスタイルをとる。すなわち核崩壊するとベータ線を出すということだ。実際にはどうなるのかというと、「ベータ線を放出してバリウム-137(137Ba)となるが、94.4%はバリウム-137m(137mBa、半減期2.6分)を経由する。バリウム-137mからガンマ線が放出される。」だから実際には、ベータ線とガンマ線を放出しつつ、核崩壊するということだ。 これが体の中に入ったとすると、どれくらいの電離エネルギーを体内で放出するのであろうか? セシウム137の場合1gあたり、上記の崩壊過程をたどって1回の崩壊で、117万6000電子ボルトのエネルギーを放出する。(日本語ウィキペディア「セシウム137」を参照の事。) 体の外にある限りは、一定程度線源離れれば大きな損傷は受けない。特にベータ線の場合は、放射線の飛ぶ距離は短く、数cm程度でしかない。また体の外にあれば、逃げることもできるし離れることもできる。 しかし、体の中に入れば数cmという距離は、大量の細胞を傷つける(電離現象を起こす)のに十分な距離なのだ。細胞の世界は100万分の1m、1億分の1mという量子力学的な世界なのだから。 仮に117万6000電子ボルトの放射線エネルギーが、すべて電離エネルギーに使われたとしよう。そして1箇所あたり30電子ボルトの電離エネルギーが必要だとしよう。すると、セシウム137が体の中で1回核崩壊する度に、約40万箇所の細胞が電離現象を起こしてしまうことになる。しかも、セシウム137が体の外へ完全に出てしまうまでこの現象は続くことになる。 もちろん細胞には修復機能もあれば、異常監視機構もある。しかし、こうして連続して体の中で電離放射線の被曝を受け続ければ(つまり慢性被曝の状態となれば)、やはり細胞間の一種の応答現象である修復機能も異常監視機構も全く機能しなくなってしまうであろう。 山下俊一がここで持ち出した外部被曝の例(しかも、内部被曝の話をするといいながら)は、全く内部被曝では通用しない。外部被曝の人体損傷のメカニズムと内部被曝のそれとは全く違うものなのだ。 |
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ソ連政府虚偽発表そのまま | ||||||||||||||||
山下の与太話を続けよう。
チェルノブイリ事故の事例を持ち出して、福島第一事故での人体損傷を予想した部分である。山下のいうところが正しいとするためには、山下が引用するチェルノブイリ事故での被害が正確なものでなくてはならない。 チェルノブイリ事故鎮圧にあたった消防士、兵士、警察官そのほか民間からの労働者の数は延べ50万人とも80万人とも言われている。そのうち「消防士などが31人死亡し、276人が急性放射線障害になりましたが、9割は助かりました。」などと言うお伽噺を2011年になっても山下はまだ続けているのか。 日本語ウィキペディア「チェルノブイリ原子力発電所事故」は、福島第一事故の後、大幅に手が加えられ、2000年代に入って新たに判明した事例が盛り込まれ、かなり実態に近いものとなってきた。そこから該当箇所を引用しよう。項目名は「死者数」である。
そして次のような記述を続けている。
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2000年代明らかになってきたチェルノブイリの深刻さ | ||||||||||||||||
要するに、ソ連政府、IAEA、WHO、全米科学アカデミーなどによる推計はあまりに過小評価に過ぎ、最近の研究では、10万人以上最大がヤーブロフらの100万人近く、というのがここ数年で判明してきたことだ。 山下は2011年になっても事故直後の、しかもソ連政府の発表を正しいものとして、飯舘村の議員・職員に報告し、福島第一事故の電離放射線による健康損傷は、ほとんどあるかなきかのように描き出そうとしている。これはもう犯罪としか形容のしようがない。 チェルノブイリ事故での電離放射線健康損傷は、いまだに予測がつかないほど各国に広がっている。にも関わらずいまだに山下のようなことをいう人間が「専門家」として、堂々と大手を振って歩いているのだ。 ソ連政府や世界の原発推進派(IAEA、ICRP、全米科学アカデミーなど)がチェルノブイリ事故を過小評価しようとした内幕は、ディスカバリー・チャンネルが放送した「チェルノブイリ 連鎖爆発阻止の闘い」の中で比較的よく描かれている。(<http://www.nicovideo.jp/mylist/11207675>) (ユーチューブは以下。動画は7分割中最初の1。 http://www.youtube.com/watch?v=vog5R6DF9wU) またECRR2010年勧告は、第12章「被曝に伴うガンのリスク、第2部:最近の証拠」の中の3節「核事故」以下で、いわゆる「チェルノブイリ効果」について比較的詳しく扱っている。中で次のように述べている。
2000年代に入って、「チェルノブイリ事故による放射線障害」(いわゆるチェルノブイリ効果)については、数々の隠蔽工作にも関わらず、明らかになってきている。ところが山下は2011年になってもまだ、1986年のソ連政府の虚偽発表をそのまま、飯舘村の人たちに伝えているのだ。 |
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ガンだけではない健康損傷 | ||||||||||||||||
再び山下に戻る。
今一番重要なことは、被曝を最小限にすることである。もうひとつ重要なことは、電離放射線の危険はなにも発ガンリスクだけではないということだ。これは広島・長崎に限らず、アメリカの原発の放射能洩れ、あるいは事故、チェルノブイリ事故での各国での健康損傷の事例などでも明らかになっている。 ECRR2010年勧告は、その第13章で「被曝のリスク:ガン以外のリスク」という1章を設け、胎児の発育不全、乳児の死亡など様々な研究者の研究結果を明らかにしているほか、チェルノブイリ事故で発生した低線量被曝の幅広い健康損傷を様々な研究者の研究を引用しながら、警告を鳴らしている。 山下が「現在20才以上の人のガンのリスクはゼロです。」という時、彼の頭にある根拠は、広島・長崎で被爆した生存者の、しかも1950年以降に調査された人々の、しかも直接外部被曝による損傷だけに限定したデータ(LSS)なのだ。山下は、広島・長崎で低線量・内部被曝による健康損傷が問題となり、事実上LSSを否定した2000年代に入って行われた裁判、「被爆者集団訴訟」で原告側が連戦連勝した結果についても学んでいなければ、アイルランド、イギリス、西ドイツ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、スエーデンなどの各国の研究者が明らかにしたチェルノブイリ事故での低線量内部被曝の研究報告にも学んでいない。 今から65年以上も前の広島・長崎での直接外部被曝による健康損傷のデータにのみ依拠して、「20歳以上の人の健康損傷はない」と断言しているわけだ。 |
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「安全問題」を「安心問題」とすりかえ | ||||||||||||||||
この山下の講演は次のような質疑応答に移っていく。以下の文章は川田龍作の記述である。
と川田は書いている。ところが、以上の山下の発言を読む限り、山下は「安全だ」とは一言も云っていない。山下は「健康に影響はない」、「この程度の線量では健康に害はない」とは言っているが、「安全だ」とはどこでも一言も云っていない。それもそうだろう。ICRP自身「電離放射線被曝に安全な被曝線量はない。」「被曝はできるだけ小さい方が望ましい」と言っているのだから。 ただ山下が力を注いでいるのは、聴衆が「安全だ」と思いこむような言い方である。「安全だ」と思うのは、聞いた方の勝手であり、いわば一種の誤解である。しかも山下は自ら積極的にこの誤解を解こうともしていない。
山下は、積極的に相手の誤解を解こうとしていない。『私は安全だとは一言も云っていませんよ。』と。そればかりか質問者の指摘する「安全問題」を、「安心」の問題にすり替えて答えている。安全には客観的な基準をもうけることができる。その意味では「安全」は客観的な問題だ。しかし「安心」には客観的な基準はない。100%主観的な価値判断だ。つまり、山下は「客観的問題」を「主観的問題」にすり替えて答えている。かなり知能犯的なものの言い方である。直接的な被曝とはいったい何のことを言っているのか?もう明らかであろう。外部被曝のことである。誰も飯舘村で出た線量で深刻な外部被曝による健康損傷が発生するとは思ってはいない。 |
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公衆被曝と職業被曝の区別をつけない山下 | ||||||||||||||||
「一般の人の被曝上限は1歳の子どもを基準に作られている。」とはいったいどこの国の話か?少なくともICRPモデルの基準ではない。ICRPモデルは、20歳以上の成人の平均値を基準に作られている。山下の話はICRPモデルの話としても大うそだ。 質問は、一般公衆の被曝限度は年間1ミリシーベルトだ、ところが放射線従事者の限度は50ミリシーベルトだ、同じ人間なのにこれだけ差があるのは何故か、というのが趣旨だ。ところが山下はこの質問に全く答えていない。一般公衆と職業従事者との被曝量限度の違いの話を、20歳以上は年間50ミリシーベルトでも(ガンのリスクが上がるのは100ミリシーベルトだから)発ガンのリスクはゼロだ、と20歳以上の成人の発ガンリスクの話にすり替えている。 実際は、核産業従事者は常に被曝に曝される、またその危険を承知で作業に従事しており、十分な教育や被曝検査体制、医療体制、管理体制などがバックアップしている、だから年間50ミリシーベルトを上限値とするが、一般公衆はこうした体制や被曝に対する知識がない、だから年間1ミリシーベルトとする、というのが正解だ。電離放射線の被曝には安全値はない、だから危険の上限値だけが決定されているのだ。しかし山下はこうした説明をすると、飯舘村の人たちに被曝に対する不安をかき立てることになると判断したのだろう、まともな説明をせずに、ICRPの考え方も説明せずに、いわば山下理論を展開したものと見える。実際に職業被曝と公衆被曝に対するICRPの上限値設定は歴史的に変遷している。そのいきさつは『中川保雄の「放射線被曝の歴史」−竜が口から炎を吹き出すようなICRP批判 ICRP的発想は私たちに刷り込まれている』という記事中の、「安全・健康問題を経済問題にすり替え」という項目の中に表として示したので参照して欲しい。 (<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/028/028.html>) |
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1回切りの被曝と慢性被曝 | ||||||||||||||||
質問は、飯舘村飯樋地区では最大140マイクロシーベルト/時間だった、いまでも38マイクロシーベルト/時間である。1ミリシーベルトには20日間で達する、大丈夫なのか、というものだ。質問者に誤解があり、山下とすれば質問者の誤解を解いてから説明すべきなのだが、山下の答えは質問者の誤解に輪をかけてひどい。 「マイクロシーベルト/時間」は線量率の単位である。ところが1ミリシーベルトは年間吸収線量当量の許容限度の値である。つまり異なる概念の数字を「シーベルト」という言葉に引きずられて質問者は20日間で到達する、という計算をしている。質問者は「140マイクロシーベルト/時間」という線量率の環境に暮らしている。それを年間被曝限度1ミリシーベルトという限度値と比べて、自分の暮らしている環境の汚染度(危険度)を評価しなければならない。それでは、線量率140マイクロシーベルトとはどのような環境なのかというと、1年間は8760時間だから、単純に線量率に8760時間をかければいい。つまり1年間換算すると1226.4ミリシーベルト(1.2264シーベルト!)という環境に暮らしていて、年間被曝線量を1ミリシーベルト以下にできるのかどうかを山下に問わなければならなかった。質問当時は38マイクロシーベルトが線量率だったので、332.88ミリシーベルだからこの質問でも良かった。このレベルに汚染された環境に暮らしていて、年間1ミリシーベルトの被曝線量限度内に納めることはどんなに考えても無理である。 山下は、人間は新陳代謝があるからマイクロシーベルトレベルだと問題ないと答えている。今問われているのは、被曝線量そのものではない。被曝環境の話だ。それを被曝線量の話にすり替えて、(被曝線量がマイクロシーベルトのレベルであれば)問題ない、と答えている。繰り返すが質問者は、被曝線量そのものを問うているのではない。「線量率」という被曝環境を問うているのだ。そしてあまりに高い線量率なので、そうした環境に暮らしていて大丈夫なのか、そこを知りたいのだ。山下の答えは、人間としての誠実さを疑う答え、人格的に信頼できない人物の答え、という他はない。 しかも山下の答えは、被曝線量に関する答えとしても不誠実極まりない。新陳代謝があるから全く問題がない、のは被曝が1回切りの場合にのみ通用するいいかただろう。1回被曝しても、新陳代謝があって体内の放射性物質が体の中から排出され、傷ついた細胞も修復機能が働いて、元通り修復されるから問題ない、のは被曝が1回切りの場合のみ通用する言い方である。 しかし、飯舘村の人たちはそうではない。すべての時間の経過の中で被曝している。いわば慢性被曝の状態とならざるを得ない環境で暮らしている。被曝は1回切りではない。無数回の被曝をしているのだ。山下は、何が何でも飯舘村の人たちをその場に止まらせようとしている。危険な環境の中に止まらせようとしている。そのことを私は「切り捨て」と呼んでいる。 |
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真の敵は推進勢力 | ||||||||||||||||
山下は同じウソを繰り返している。妊産婦の危険とは要するに胎児の危険だ。一番危険な存在だ。次に危険なのは12ヶ月未満の乳児、それから幼児、それから学齢前の子ども、という風危険分類ができるだろう。結局山下は質問に全く答えていない。この質問に対する答えは、一つしかない。すなわち「避難」である。山下は結局それも本人次第だ、と答えている。
専門家の間で意見が分かれているというのは、いったいどこの国のどの専門家の話か?山下の話はICRPモデルを越えて、「山下モデル」とでもいうほかはない。 以下質疑応答はまだまだ続くのだが、山下のものの言い方には共通した特徴がある。
さてわずか4ヶ月間の勉強の成果だが、山下俊一のデタラメさは十分指摘できたのだと私は思う。しかしそのデタラメさを完全に崩して行かなければ、私たち自身を電離放射線の危険から守れないこともまた事実である。 その意味では「フクシマ危機」に遭遇した私たちの真の敵は、電離放射線そのものではなくて、被曝を私たちに押しつけてなおも、原発を擁護し推進しようとする勢力だ、ということが言えるだろう。 |
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