【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
 (2011.5.25)
<参考資料>福島原発事故:小出裕章
参議院行政監視委員会 証言 2011年5月23日
資料ダウンロード
 ▽資料に飛ぶ▽

 よく知られている通り、京都大学・原子炉実験所の小出裕章が、2011年5月23日(月)、参議院行政監視委員会で、後藤政志(芝浦工業大学非常勤講師)、石橋克彦(神戸大学名誉教授)、孫正義(ソフトバンク株式会社代表取締役社長)とともに参考人意見陳述をおこなった。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sangiin-may23/

 4人の最初に立った小出裕章の意見陳述(証言)は、余分な枝葉をバッサリ切り落として、日本の長期にわたるエネルギー政策としての原子力政策を根底から批判した。そして、その政策が根底から日本の国土と日本人の健康を冒していること、その政策のいかがわしさを、「権威」と「権力」と「金力」で支えてきた日本の政界、官僚、東電をはじめとする電力会社、そして学界を根底から批判した。

 そして最後にガンジーの言葉を引用しつつ、政治家、官僚、専門家、学者・科学者、経済人、宗教家、一言で云えば社会の指導者があるべき姿を説いた。痛烈であった。

 私はその情景を見ながら何故か、勝海舟のエピソードを思い出していた。

 徳川幕府瓦解も間近い1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号で太平洋を横断してアメリカにわたった。この時別船の咸臨丸の船長(軍艦操練所教授方頭取)として勝海舟はアメリカにわたり、当時のアメリカの雰囲気を頭と体いっぱいに詰め込んで帰国する。フランスの政治思想家、アレクシス・トクヴィルが「アメリカの民主主義」を出版するのは、第1巻が1835年、第2巻が1840年である。

 帰国後幕閣に呼び出されて、アメリカの印象を聞かれた勝海舟は、しゃあしゃあと、

 『彼の地もさして変わりませぬが、アメリカでは優れた人物ほど高い要職をしめております。わが国とは全く逆でござりました。』

 といってのけて、並み居る幕閣の要人たちを怒らせる。(引用文献が手元にないので、この通りの言葉だったかどうか定かではない。)

 小出の堂々たる見識を聞いていると、今の日本も瓦解直前の徳川幕府と同じなのではないか、とふとそう思った。何しろ小出裕章は、京都大学の原子炉実験所の一助教に過ぎないのだから。

 この参考人陳述の時に小出が使用したパワーポイントが以下からダウンロードできる。変換したPDFファイルもダウンロードできるが、パワーポンイントのスライドショーで見た方がはるかにわかりやすい。



小出裕章:「原子力行政に一言」」
▽参議院行政監視委員会、参考人意見陳述の中継動画はこちらで閲覧できます。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sangiin-may23/