(2010.7.11)
【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ
トルーマン政権、日本への原爆使用に関する一考察

1.原爆投下不必要論

今問われるべき「原爆正当化論」

1945年、アメリカ・トルーマン政権は日本に対して原爆の使用を決定し、8月広島と長崎に、それぞれウラン型とプルトニウム型の原爆を投下した。

 何故トルーマン政権は、日本に対して原爆の使用を決定し、投下を実行したのか?

 いや、そもそもこの出来事から65年もたって、なおかつこのことが何故問題になるのか?

 アメリカ歴代政権のこの事に対する公式見解は、トルーマン政権は対日戦争終結のために日本に対して原爆を使用した、というものだった。原爆を使用することによって、日本の天皇制軍国主義は早期降伏に追い込まれ、このため100万人の人命が救われた、とする。100万人という数字はその時々の主張の仕方で異なっているが、要するにその主張は、日本本土決戦で失われる日本人将兵の生命や日本人市民の生命を含め、失われたかも知れない夥しい生命が救われた、という点にある。

 この主張は、アメリカによる原爆(核兵器)の使用は正当だったという主張に直結する。さらに、この使用によって第二次世界大戦を終結に導き、凶暴な日本の天皇制軍国主義の軛から日本人民を解放し、あまつさえ天皇制軍国主義の侵略と暴力から、中国、朝鮮半島、台湾やその他のアジア諸国を解放し、多くの人民を救った、アメリカが保有する限り核兵器は正義の兵器であり、世界平和を維持する兵器として使いうるとした。

 これを今「原爆投下正当論」と名付けておく。

 この主張は後に「核兵器抑止論」へと発展し、アメリカの核兵器に対抗しようとするソ連や中国の核兵器保有、あるいはアメリカと並ぶ覇権を確保しようとするイギリス・フランスの核兵器保有と相まって、今日の核兵器時代を現出した。

 今日の核兵器時代の原点は、この意味で、「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下」にある、というよりも、「ヒロシマ・ナガサキへの原爆正当論」にあるといって過言ではない。

 「原爆正当化論」は、今日アメリカの核兵器保有とその使用あるいはその核兵器による威嚇に対する、その本来あるべき非難を弱めている。

 特に広島と長崎からの、アメリカの核兵器保有とその使用あるいはその核兵器による威嚇に対する批判を無力化している。

 だから、2010年NPT再検討会議で非同盟運動諸国(NAM)を中心とする非核兵器諸国が、アメリカを中核とする核兵器諸国を追い詰め、致命傷を与えることは出来なかったものの、2015年再検討会議に大いに望みがつながる成果をあげた時点で、アメリカによる「広島・長崎への原爆投下」の犯罪性をあきらかにしておくことは大いに意味のあることなのだ。

 「広島・長崎への原爆投下」の犯罪性を問うということは、「原爆投下の意図」を問うことと同義である。

 「何故トルーマン政権は、日本に対して原爆の使用を決定し、投下を実行したのか?」という命題は、こうして2010年の今日においてこそあきらかにされなければならない問題として、我々地球市民の前に、特に広島・長崎の市民の前に突きつけられている。


戦争遂行能力を失っていた日本

 「原爆投下正当論」に対置される反論として「原爆投下不必要論」がある。

 最初に「原爆投下不必要論」から見ておこう。この論者は、

 日本は当時すでに戦争遂行能力を完全に失っていた。従って戦争を終結させるに当たって、残虐な原爆の使用は全く必要なかった。』

 と主張する。この「原爆投下不要論」が、当時日本が戦争遂行能力を完全に失っていた、と主張するのは全く真実であって、これを裏付ける資料は山ほどある。

 さしあたり私は、1945年6月18日、ホワイトハウスで開かれた「対日戦争の現状と見通し」とでも題すべき会議の議事録から引用しておこう。

 この会議は約1ヶ月後の開催予定のポツダム会談を前にして、トルーマン政権戦争遂行最高首脳が一堂に集まって、「対日戦争の現状と見通し」について議論したものだ。

 沖縄戦後の九州上陸作戦やその後に展開される予定の関東平野侵攻作戦もこの会議で正式に決定された。

 出席者は、大統領ハリー・トルーマン、大統領軍事顧問ウイリアム・D・レーヒー(海軍元帥)、陸軍参謀総長G・C・マーシャル(陸軍元帥)、海軍作戦部長E・J・キング(海軍元帥)、陸軍航空隊I・C・イーカー陸軍中将(H・H・アーノルド陸軍元帥の代理)、陸軍長官ヘンリー・スティムソン、海軍長官ジェームズ・フォレスタレル、スティムソンの側近J・Jマクロイ(陸軍長官補佐官)。

 会議の目的は、冒頭トルーマンが、

 6月14日付けレーヒー元帥が統合参謀本部に提出したメモランダムに述べられている対日戦争の詳細について、大統領自身がよく知っておきたいという目的のためにこの会議を招集した。』

と述べているように、ポツダム会談を前にしてスターリンと有利な取り引きをするため、トルーマンが正しい情勢認識をすることだった。

 トルーマンの発言要請に応える形で、マーシャルは自分の用意したメモを読み上げた。

 われわれの空軍・海軍力は、すでに南朝鮮における日本(Jap)の海軍輸送力を大きく減殺しており、今後2−3ヶ月以内には、完全に息の根を止め得ないまでも、ほとんど流れるか流れないかに等しい状態にまで減殺しうる。』

 と述べ、

 マッカーサー陸軍大将とニミッツ海軍大将は統合参謀本部との間に9月1日を目標日として九州侵攻を行うことで合意ができている。
時期選定の理由は:
a.  急げばそれまでに準備が整う。
b.  われわれの空軍活動はそれまでに事実上すべての産業地帯をなぎ払い、日本の諸都市の極めて大きな地域の破壊ができると、推定できる。
c.  日本の海軍力は、もし存在していたとしても、完全に無力になっているであろう。
d.  われわれの海軍活動および空軍活動は、日本本土おける軍事再編力を無視できる程度に減殺するであろう。』

 というものだった。さらにマーシャルは「九州上陸作戦」は「日本絞殺作戦」の要諦であり、少なくとも沖縄上陸作戦と同程度の損害を覚悟しておかなければならないだろう、と述べ、九州には日本軍が8個師団約35万人の兵力があり、これに対応する兵力を整えて九州上陸作戦を遂行しなければならないだろう、と述べた。

 さらに、もし九州に日本が兵力を増強したらどうなるのか、という質問に、

九州の連絡網はすべて破壊されると予想している』

 と自信たっぷりに答えている。つまり、制空権・制海権を完全に奪っている以上、本土から兵員増強をしようにも、艦船・鉄道・陸上交通とも全く輸送手段がない、と答えている。(以上<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm>を参照の事。)

 当時の日本に軍事的には戦争遂行能力がなかったことは明白であった。この点「原爆投下不要論者」の指摘は全く正しいのである。


対日戦争終結の意図は認める

 原爆投下不必要論者の指摘は、すべて「対日戦争終結」のためには「原爆投下」は不必要だったことを指し示している。にも関わらず原爆は投下された。トルーマン政権にとって、原爆投下(日本への原爆使用)は必要だったのである。とすれば原爆投下は対日戦争終結のために必要だったのではなく、原爆投下と対日戦争終結には直接因果関係がないことを示している。つまり「原爆投下」は対日戦争終結のためではなく、別な理由で必要だったのである。

 原爆投下不必要論者の致命的弱点は、「対日戦争終結のために原爆を投下した。」というトルーマン政権の意図を認めてしまっているところにある。その意図を認めた上で、「不必要だった。」と主張する。仮にトルーマン政権の意図が「対日戦争終結」にはなく、別な意図で行われたものとするなら、「原爆投下不必要論」はその場で雲散霧消してしまう。

 だから、「対日戦争終結のために原爆は投下された。」というトルーマン政権の「意図」は認めているという意味で、「原爆投下正当論」に対する正面からの反論と見えた「原爆投下不必要論」も、実は「原爆投下正当論」の亜流に過ぎない、という事がわかる。

 従って、「戦争終結のために原爆は投下した。」というトルーマン政権の意図を認めるから、「原爆投下正当論」と「原爆投下不必要論」の論争は、結局水掛け論に過ぎなくなる。

 「意図」とは主観である。主観を問題にする限り「水掛け論」に陥らざるを得ないのだ。だから「原爆投下不必要論」は、客観的な説得力をもたない。


被爆者と米国務省のやりとり

 私は、ある被爆者がアメリカ国務省を訪ねた時のやりとりをその被爆者から直接聞いたことがある。対応に出たのは若い国務省の役人だったそうだが、彼女はその役人に、

原爆の投下は私の顔や体をこんなにしたばかりでなく、多くの人命を奪って多くの人の将来を奪った。だから今日は一言でいいから謝って欲しい、と思ってやってきた。』
といった。
若い国務省の役人は、
 個人的には私は貴女に大変お気の毒だったと思うし、同情もしている。しかし、原爆の投下が対日戦争の終結を早め、結果としてアメリカは日本本土に上陸しなくても良くなった。不幸な日本本土での殺戮が避けられた。このため100万人の命が救われた。これは歴史の事実である。だから、国務省として原爆投下を誰に対しても謝罪することはできない。それは正しいことだったのだから。』
と回答した。彼女は、
 原爆を使わなくても、対日戦争は終結していた。だから原爆の投下は必要なかった。その一言を言って欲しい。』
と食い下がった。役人は、
 貴女がそうお考えのことは、尊重するし、上部にも報告する。しかし当時のアメリカ政権はあらゆる側面を慎重に検討して、必要だった、と判断したし、私もそう考えている。』

 彼女はこのやりとりを私に紹介して、「被爆者の訴えを聞いてくれないあの若い役人の顔を、いまでも思いだすが、悔しくて、悔しくて・・・。」と私にいった。

 彼女には気の毒だが、「対日戦争終結」のために原爆を投下した、というトルーマン政権の「意図」を認めてしまっては、結局のところ水掛け論にならざるを得ない。


コンプトンが対置した「不必要論」

 「原爆投下不必要論」は一体誰が持ち出した議論だろうか?

 私が知る限り「原爆投下不必要論」は、1946年という比較的早い時期にすでに出されている。しかもそれは「原爆投下正当論者」から、自身への反論、という形で持ち出されていることに注意を向ける必要があろう。

 当時マサチューセッツ工科大学の学長だったカール・テーラー・コンプトンは、原爆投下後の日本を訪れ、マッカーサー司令部の支援を受けながら、精力的に日本各地を回り情報収集を行う。

 そして46年12月号のアトランティック・マンスリー・マガジンに「もしも原爆を使用しなかったら」(IF THE ATOMIC BOMB HAD NOT BEEN USED)という論文を寄稿している。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/Karl_T_
Compton_If_the_Atomic_Bomb_Had_Not_Been_Used_Japanese.htm
>)


 この論文の中で、コンプトンは、日本人が読むと信じがたいエピソードや時にウソも交えながら、トルーマン政権は「対日戦争終結のために原爆を使用したのであって、そのために多くの人命を救った、トルーマン政権の決定は全く正しかったと主張している。

 中でコンプトンは次のように述べている。

 日本は、原爆以前に敗北を喫していたか?
 戦争の運命がすでに日本を見離していたという意味においては、間違いなく答えは“イエス”だ。
 日本が依然絶望的な戦いをしており、戦争を継続しようとしていたと信ずべきすべの理由がある、という意味においては、“ノー”だ。
 そしてこの答えが、唯一実際的な意義をもつ。』

 ここでコンプトンがいっていることは、原爆以前に、日本は軍事的には敗北していたが、勝ち負けを度外視して、絶望的な戦いを挑む勢力があった以上、原爆以前に敗北していたとはいえない、ということだ。さらに次のように続ける。

 もし原爆を使用していなかったら、実際的確実さの観点から私がこれまで述べてきた諸点が証拠として示すように、莫大な規模での破壊と死がさらに何ヶ月も続いていたであろう。また早いタイミングでの原爆の使用は、思いがけなかった理由により幸運だったと言わねばならない。もし予定通り1945年10月に進められていたとしたら、沖縄は航空機で埋め尽くされ、その諸港は攻撃を待ちかまえる上陸用艦艇で埋め尽くされていたろう。』

 そして、次のようにいう。

 ここに、この問題をよく知る人たち、またそれらに基づいて原爆投下の基本的決断を下した人たちを導くいくつかの事実がある。非人道的であるとして、あるいは「日本はすでに敗れていたのだから、その使用は不必要だった」と遺憾を表明する根拠が、いかに「後の祭り戦略家」(after-the-event strategists)の中にある誤った信念や希望的観測であるかを感じさせる事実でもある。』

 ここでコンプトンは、「原爆投下不必要論」を持ち出して、自分の「原爆投下正当論」に対置して反論している。

 確かに当時すでに原爆投下に対する批判は、主として良心的科学者や宗教者を中心に存在した。たとえば、全米キリスト教会連邦会議の事務総長、サムエル・カバートは原爆投下を激しく非難し「不必要な行為だ。」としている。しかしそれは、原爆投下不必要論ではなく、『人類の未来に対して、恒久的に極めて危険をもたらす』からであり『、ヒューマニティへの信頼に関わる問題』だからだ。次元が違う。
(以上<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/sammuel_1945_8_9.htm>参照の事)

 こうした批判を「原爆投下不必要論」に仕立て上げたのは、むしろコンプトンの方だ。

 この一見もっともらしいコンプトンの論文については後で、「原爆投下が何故行われたのか」を論ずる時にくわしく見ることにして、ここでは早くも「原爆投下不必要論」が、46年という早い時期に、しかも「原爆投下正当論者」から提出されていることを指摘するに止めたい。

 コンプトンがこの不毛な水掛け論を提起した狙いは明らかだろう。原爆投下の真の狙い(意図)を多くのアメリカ国民の目から覆い隠すためだ、という他はない。

 こうしてその後「原爆投下不必要論」はその後、一部歴史学者やジャーナリストなどに引き継がれ、今に至るも延々と不毛な「水掛け論」を続けている。

 それではトルーマン政権が「日本への原爆使用」を決定した真の意図は何だったのか?

 それを考察する前に、順序として「日本降伏」の決定的要素は一体何だったか、それを調べてみることにしたい。

(以下次回)