(2011.1.29) | ||||||||||||||
【参考資料】イラン核疑惑 | ||||||||||||||
ロシア大統領:イランが核兵器建造の証拠はない |
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反戦ドット・コムのジェイソン・ディッツが「ロシア大統領:イランが核兵器を建造している証拠はない」と題する記事を掲載した。(日付は2011年1月26日。<http://news.antiwar.com/2011/01/26/russian-president-no-evidence-iran-building-nuclear-weapons/>) ロシアはこれまで再三同じことを言ってきているので、内容的には新味はない。(例えば、<http://en.rian.ru/world/20100923/160702976.html>を参照の事。)もし今回の発言に新味があるとすれば、大統領のメドベージェフが西側支配者層のずらっと居並ぶスイスのダボス会議なした公式発言だという点だろう。ジェイソン・ディッツは次のように書き出している。
この記事でいう、「武器販売の禁止」というのは当時ロシアがイランに対して売却することになっていたミサイル販売を、アメリカ・オバマ政権の要請を受けて中止したことを指すのだろう。また「アメリカ主導の経済制裁を支持」というのは、2010年6月9日、国連安全保障理事会がイラン経済制裁決議「1929」を支持したことを指すのだろう。この時、国連安全保障理事会は「その核計画に関する国際的な義務を遵守すること継続的に拒否してきた」ことを理由にあげるだけで、イランが核兵器開発を行っていることの証拠を明確に示すことが出来なかった。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/iran/05.htm>を参照の事。) 当時ロシアは、すでに「イランには核兵器開発の明白な証拠はない」との立場をとっていたものの、イランにウラン濃縮をやめさせることに関してはアメリカと利害が一致しており、この制裁に積極的に賛成した。(「世界を駆けめぐる不気味な戦争待望論」の「イランに必要な放射線癌治療濃縮ウラン」と「厖大な濃縮ウランの在庫をもつ米ロ」の項参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/027/027.htm>)
私も最近になって知ったのだが、アメリカ・イギリスを中心とするいわゆる「国際社会」が、「イランは核兵器開発を行っている」と非難する歴史は実は長い。 たとえば核問題の専門家、バーンド・デビュスマン(Bernd Debusmann)は、2011年1月21日、ロイター通信の電子版に「偉大なるイランの核あってこゲーム」(The great Iranian nuclear guessing game)という皮肉たっぷりなタイトルの記事を寄稿し(<http://blogs.reuters.com/bernddebusmann/2011/01/21/the-great-iranian-nuclear-guessing-game/>)、次のように書いている。
私の手元にあるホルダーにも、この2年で集めたイランの核兵器保有に関する記事が夥しくある。AP通信、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどのアメリカの大手ジャーナリズム、イギリス各紙、そのほかの西側の通信社、日本のものでは朝日新聞と共同通信が一番もっともらしい。共同通信から配信を受けている日本の地方紙はあまりに金太郎飴なので、ファイルをやめてしまった。 デビュスマンが言うとおり、一度も予測があたった試しがない。(朝日新聞の誰かさんは、テレビで、朝日新聞の記事は常に厳重に裏をとってから掲載する、といっていた。確か、ホホホホシ、とかいう人だったと思う。よく憶えていない。番組は確かタハラなんとかの、なんとかという番組だったと思う。これもよく憶えていない。) しかし、「2−3年以内に、イランは核兵器を保有する」という言い方が、ここ30年近い歴史をもっているとは知らなかった。 ここで話が思い切り横に逸れる。 「2−3年以内に、イランは核兵器を保有する」という反イラン・キャンペーンは確実に日本人の核兵器を巡る国際情勢に対する認識を汚染している。そして核兵器を巡るアメリカ支配層の(ということは歴代政権の、という意味でもあるが)二重基準、三重基準をあたかも正しいと思わせる方向に日本人を誘導している。それは確実に「核兵器廃絶」に向けた日本の世論作りを遅らせる。(私は、人畜無害なスローガンとしての「核兵器廃絶」ではなく、鋭い政治問題としての「核兵器廃絶」のことを言っている。) 今やアメリカ外交問題評議会の対日プロバガンダ機関と化した朝日新聞や外務省の御用通信社たる共同通信などは、明白な「確信犯」だが、善意の第三者にもその汚染は広がっている。たとえば、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)のWebサイトの「イラン核開発データ」(<http://www.gensuikin.org/nw/iran1.htm>)という記事を見てみるがよろしかろう。あたかもイランは核兵器開発を行っている、というデータばかり並べている。(原水禁が善意の第三者かどうかは疑問のあるところだが、少なくとも原水禁を支持している人たちは、圧倒的に善意の第三者だろう。) また長崎市長田上富久は2009年8月9日の長崎平和宣言で次のように述べた。
広島の平和宣言と違って長崎の平和宣言は、多くの市民の議論の上にできあがっている。だから「イランは核兵器開発を行っている」という主張、あるいは疑惑は単に田上一人のものではなく、多くの長崎市民の共通認識と見なければならない。 アメリカ支配層の「イランは核兵器開発を行っている」という四半世紀にも及ぶキャンペーンは、ここまで日本の市民社会を汚染している。 話を元に戻そう。 問題は何故今の時点でロシアのメドベージェフが、イランに対する姿勢を大きく変化させたのか、ということであろう。イランが核兵器開発を行っていないことは、ロシアもよく知っていた。しかしそれでもアメリカと共同歩調を取ってきたのは、「原子力の平和利用」ビジネスでアメリカと共通した利害があったからだ。ここにきて必ずしもアメリカと共同歩調を取る必要がなくなった、ということなのだろうが、その事情がわからない。 だからジェイソン・ディッツの元の記事にさかのぼって、検討する必要があるのだが、ディッツは元の記事を明示していない。まさか貧乏ジャーナリストのディッツが、スイスまで取材に出かけたとは思えない。(それともなけなしの貯金をはたいてスイスに行ったのだろうか?いやそれは万が一にも考えられない。第一ディッツに貯金があること自体、疑わしい。私同様ルンペン・ジャーナリストの筈だから。) 今ディッツを貧乏ジャーナリストと書いたがこれは決して彼を謗っているのではない。むしろ褒めているのだ。貧乏ジャーナリストということは、金も名誉も地位もないと云うことだろう。つまり守るべきものは自分の記事の信頼性と命以外にはないと云うことだ。守るべきものがないということは、なにものからも自由でいられるということだ。だから、まっすぐに事態を見つめられ、遠慮やはばかりなく記事が書けると言うことだ。貧乏ジャーナリストであると言うことは、彼が自由なジャーナリストである証拠だ。そして今自由なジャーナリストであるということは、駱駝が針の穴を通り抜けるよりむつかしいことなのだ。(ええい、また横道に逸れている。) ディッツが元にした記事は、恐らく2011年1月26日付けのAP電「メドベージェフ:イランが核兵器を製造している徴候はない」(“Medvedev: No sign Iran making nuclear weapons”)と題する記事(<http://www.timesunion.com/news/article/Medvedev-No-sign-Iran-making-nuclear-weapons-978903.php>)ではあるまいか?
APの記事もこれだけである。推測は4つも5つも出来るが、ロシアがここへきて何故方針転換をするのか、ここでも説明されていない・・・。 (追記:このメドベージェフの発言を日本語メディアで報じたところがあるかどうかインターネットで調べてみたら、一つだけあった。それは「イラン日本語ラジオ」(“Iran Japanese Radio”)のサイト(<http://japanese.irib.ir/>)だけだった。このサイトはイラン政府が運営しているものと思われる。−いつからこのサイトが始まったのか−私は全く知らなかった。その記事<http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view= article&id=16133:2011-01-27-11-21-47&catid=17:2010-09-21-04-36-53&Itemid=116>を全文引用すると、
イランに関する日本語情報は、これまで私は東京外語大学の「日本語で読む中東メディア」から取っていたのだが、2009年のイラン大統領選挙あたりから、2010年のはじめにかけて、反イラン政府系の新聞「ジャーメ・ジャム紙」の翻訳記事中心となった。肝心な情報は何一つ取れなくなった。「15人の女性が婦女暴行魔の占い師の犠牲に」とか「ネズミ講の陰謀、打ち砕かれる」とかそんな愚にもつかない記事ばかりになった。私は日本の外務省の「是正指導」があったのだと考えている。証拠はない。) |
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