(2010.2.7)
アメリカの戦略態勢<America's Strategic Posture>


全体総括(Executive Summary)



 委員会委員長「緒言」に続く「全体総括」である。この報告書の内容は「緒言」と「全体総括」を読めばおおよそ把握できる。記事中見出しはすべて原文見出しである。長くなる注釈は(註1)(註2)・・・の形で、記事中または文末にまとめて表示した。
以下本文。

 アメリカの核戦略は、核兵器がわれわれの行き方に対する最大の潜在的脅威であると同時にアメリカの国家安全保障にとって最も重要な保証者であるという中心的なディレンマで開始される。(註38)国際的な核秩序の崩壊は、他国よりもとりわけアメリカにとって破局(catastrophe)となり得るだろう。まさにその秩序の保持は、われわれが、有効な核抑止力、軍備管理、そして不拡散による危険の削減に正面から取り組むことを要求している。

 これは一面アメリカの核戦略を見直し、更新する良い機会である。しかし他面緊急の時でもある。良い機会というのは、一つにはワシントンに新しい政権が興ってきたことにもよるし、国家安全保障戦略、核保障政策へのアプローチ、アメリカの核兵器及びそれを支える諸能力の目的などに関するトップ−ダウンの再評価を今始めなければならない、という事情にもよる。「緊急性」は以下の如くである。国際的には核拡散へ向けての転換点(“tipping point”)にわれわれが近くなっているかも知れないという要因がある。国内的には、核兵器計画に関する決断が遅くなっており、それが積み重なっている、という要因がある。

 これから数十年先に向かっての核安全保障の問題についていうならば、アメリカは包括的戦略を追求しなければならない。核の危険性が依然として残っている限り、われわれと同盟国の安全保障の必要性に対応した、力強い核抑止力を持たなければならない。これが、過去20年間の間に生じた基本的に変化したわれわれの挑戦である。過去20年間は大きく云って良い方向に変化したのだが。アメリカの核抑止力は、アメリカの軍事政策においてまた国家安全保障において、過去数十年にわたって演じてきたような中心的役割を、今演じる必要はない。しかしそれはいくつかの重要な問題では依然として死活的である。

 核の危険の削減という意味では、抑止力は基本的な役割を演ずる。が、それ(抑止力)だけがそうする(核の危険を削減する)手段なのではない。従ってアメリカは政治的種類の追加的協力手段を追求しなければならない。この手段とは、たとえば軍備管理や核不拡散などを含んでいる。(註39)今が、これらアプローチを新しく出来るときであり、再びエネルギーを注げる時である。

 戦略全体でのこうした部分要素(すなわち、核抑止力、軍備管理、核不拡散のこと)は包括的アプローチに向かって統合化されなければならない。これらは相互に補完的でありかつ単独に独自強化することができる。しかし時としてそれら(すなわち、核抑止力、軍備管理、核不拡散のこと)は、相対立しそして相殺勘定となることがある。またこれらは明白に自己主張し、困難な選択をしなければならないことがある。(註40)

 この報告書の本体は、合計ほぼ100点の結論と勧告を含んでいる。国家の前に横たわる良い機会と挑戦へ向けた戦略要素が今採択できるよう、建設的段階に詳述してある。これら結論と勧告の主なテーマは以下の如くである。

註38  核兵器はアメリカに取って最大の潜在的脅威であり、かつアメリカの国家安全保障にとってもっとも重要な保証者である、これがディレンマだと、この章は書き出している。しかし、これはディレンマか?もし核兵器でアメリカが守られるなら確かにディレンマだろう。果たして核兵器はアメリカを守るのか?1945年9月、国務長官をつとめ、陸軍長官(今の国防長官に相当する)を2度もつとめ、事実上核兵器の産みの親だった、ヘンリー・ルイス・スティムソンは次のように云っている。

・・・原爆は人類が自然の力を制御するほんの第一段階に過ぎず、古くさい概念をもってしては、原爆は革命的に過ぎ、また危険すぎます。・・・そのようなアプローチは、もっと具体的にいえば、軍事兵器としての核爆弾のこれ以上の改善、製造を中止することを意味し、同様な措置をロシア、イギリスにも求めて同意させる事を意味します。また現在われわれが保有する原爆を進んで封印し、ロシアとイギリスがわれわれと共に、3国間の同意がなければ、戦争の手段として原爆を使用しないという合意をすることになります。・・・世界の歴史の中で、極めて重要な一歩を達成する最も現実的な手段がこの方法だと、私は主張するものです。』
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stim-memo/
stim19450911.htm>

註39  それまでの歯切れのいい口調とは打って変わって、やたらと代名詞が登場し、「doing so」のような曖昧な表現が目立つ。まるでわかる奴にはわかる、といった書き方だ。
註40 要旨のはっきりしない文章が続く。mambo jumboみたいだ。ここはどう理解しておいたらいいのだろうか?「キーワード」は3つある。「抑止力」、「軍備管理」、「不拡散」だ。キーコンセプトはひとつ。すなわち「過去の核兵器の役割とこれからの役割は決定的に違う。」と言う点だ。理解の背景は、この報告書そのものが「宣言的政策文書」である、と言う点だ。つまりはっきりと言えない部分があり、それがアメリカの本当の狙いであり、それを今のところはっきり悟られたくないということだ。ところで「抑止力」、「軍備管理」、「不拡散」の3つのキーワードのうち、どれがもっとも重要なキーワードなんだろうか?それは明らかに「不拡散」だ。


安全保障の環境について

 過去20年間、アメリカを取り巻く安全保障環境は大きく変化し、全体として云えば改善された。核の「アルマゲドン」(Armageddon)の脅威は大きく遠のいた。(註41)冷戦がそのもっとも高まりを見せていた頃、アメリカの核の兵器敞には3万2000発以上の核兵器があり、ソ連のそれは4万5000発だった。アメリカの作戦上実戦配備戦略核弾頭は削減の結果、およそ2000発になっている。ロシアははるかに遅れている。(註42) また両国は、前線配備の戦術核兵器を合わせて約1万4000発引き上げた。(註41)

 しかし、新たな挑戦が立ち現れてきた。特に核テロリズムと拡散の増大の脅威がそれである。アメリカの同盟国及びそのパートナーと共にロシアや中国も更に、この新たな挑戦に対応しようと深く関わる機会は増えてきている。オバマ大統領は核兵器を地球規模で廃絶すると固く誓った。しかし、そのことが達成されるまで、安全で安定した信頼の出来る核抑止軍事力を維持するとも述べている。今日核兵器を地球規模で廃絶できる条件はない。そしてその条件を創り出すには、世界の世界秩序を根本的に変革することが必要である。(註43)しかしこの報告書では、かなりの程度核の脅威を削減する、そしてまたそれを現在取り得る諸政策について詳述している。

アメリカの核態勢について

 アメリカの核態勢の基本原理上の機能は、核兵器が2度と使用されない状況を創りだして行くことである。(註44)そして、アメリカの同盟国の安全保障を確かなものにすることである。さらに、戦略的な協力関係を力づけ、歓迎されざる競争を打ち砕いていくことである。こうしたゴールを達成しようとする冷戦時代の計算は、当時としては有効だったが、その戦略態勢は、新しい、もっと複雑化かつ流動化した脅威を取り巻く環境にうまく適合するよう変化することが求められている。変化の相当部分はすでに発生している。アメリカの核軍事力は冷戦終了時の時のそれと較べれば小さな部分でしかないし、アメリカの軍事戦略や国家安全保障戦略の中での依存性ははるかに減じつつある。このプロセスは引き続き継続できる。ロシアもこのプロセスには喜んで関与するものと推測される。アメリカの核軍事力の規模は、ロシアのそれとの基本的対称性(註45)や戦略的安定性からの要求からは圧倒的に勝り続けている。(註46)

 地域における敵からの攻撃、あるいは中国でさえその攻撃に対する抑止力に関していると、比較的控えめなものである。ロシアに対して焦点を当てているのは、なにもアメリカとロシアが敵対関係にあるからではない。誰もアメリカに対してロシアが攻撃してくることをありそうなことだと真剣に考えてはいないだろう。しかしながら、ロシアに近接するアメリカの同盟国のうちある国々が、ロシアとその戦術核兵器に恐怖を抱いている。

 非戦略核兵器に関するロシアとのアンバランス、これはロシアが有利なのだが、この問題は、戦略核兵器の削減が進むにつれて関心が高まるだろうし、戦略的安定に向けての新たなチャレンジを描いてみようと云うことになるだろう。

 アメリカの同盟国に対して再保証する必要性や、あるいはロシア(あるいは中国)が悪い方向へ舵を切る可能性に対してあらかじめ防護しておく必要性は、結局次の事実を指し示している。すなわち、アメリカの核態勢は極めて幅広い一連の目的をセットとして重視し設計しておかねばならないということだ。こうした目的には、単に危機や戦争の時の敵に対する抑止力というばかりでなく、同盟国に対する保証や潜在敵に対してそうしないよう思いとどまらせることも含んでいる。実際のところ、軍事力における保証機能はかつてないほど重要性を帯びている。戦略核兵器搬送システムの3つの柱(註47)は、近い将来においても維持されるべきである。またこの問題は、むつかしい投資の選択が必要となるだろう。非戦略核兵器の搬送システムにおいてもまったく同様なことがあてはまる。

註41  戦略核兵器の数を削減し、また米ロで戦術核兵器の数を合計1万4000発引き上げたから、危機は遠のき、「アルマゲドン」は大きく後退したという理屈である。今日実際配備されている核兵器の最大級のものの破壊力は1発最大20メガトンあると見られる。これは熱核融合爆弾だろう。広島(1.5万トン)や長崎(2万トン)に較べると、1発で100倍以上の破壊力を持っている。この人たちの理屈は、「これまでは地球を20回破滅させる核兵器だった。今は5回しか破滅させられない。だから地球はそれだけ安全になった。」と云っているに等しい。広島・長崎の経験からすると、核兵器は1発でも無限数発でも同じ意味しか持たない。「アルマゲドン」は全然遠ざかっていない。
註42  この報告書に附属した文書で、「推定 世界の核弾頭保有量」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/
USA_SP/strategic_posture_6-02.htm>
)という資料を見ると、直近のアメリカの戦略作戦用核兵器は9700発である。このうち2000発が実戦配備(deployed )されていることになる。
註43  「現在核兵器を廃絶する条件はない。その条件を創り出すには、世界秩序を根本的に変革するしかない。」と云っている。「ペリーの緒言」と合わせ読むとき、またオバマのプラハ演説と合わせ読むとき、「核兵器廃絶の絶対条件」とは、アメリカだけが核兵器をもち、しかもその他の国が保有していないことが完全に検証された世界の現出、という事になる。
註44  ここは「アメリカの核兵器は核兵器を2度と使用しないためにある。」ということになる。これほど論理矛盾に満ちた定言もなかろう。書き手がよほど頭が悪いか、あるいは詭弁を使おうとしているかのどちらかだろう。(あるいはその両方かも知れない。)核兵器を2度と使わないためには、核兵器を廃棄するしかない。
註45・46  対称性はequivalenceである。アメリカとロシアが保有している戦略核兵器の破壊力の総体が釣り合いのとれていることを指す。つまり両者が同じ破壊力をもっているときに対称性がある、という。ところがここの部分は「対称性が要求する破壊力」からしてみると、圧倒的にアメリカが勝っていると云っている。

 ところが、さきほどの付属文書「推定 世界の核弾頭保有量」をみると、戦略核兵器の保有量はアメリカが9700に対して、ロシアが1万3000だ。おかしいんじゃないかと思われる人もいよう。しかし破壊力の総体は、核弾頭数では決定できない。1発の核ミサイルに格納されている弾頭数、発射準備の出来ている弾頭数の割合(準備度―readiness)、弾頭1発の破壊力(メガトン数―megatonnage)、ミサイルが発射された後完全に作動する確率(信頼度―reliability)、命中精度(accuracy)、またメガトン数と命中精度を組み合わせた致命度(lethality)などもろもろの指数の総体で決まる。この報告書ではアメリカが実戦配備している戦略核兵器の数を2000としており、ロシアの数字は明らかにされていないが、「はるかに遅れている。」らしいのでアメリカより「はるかに」多いのだろうと思う。それでもこうしたもろもろの指数の総体では、アメリカがはるかに勝っているということだ。しかし私からみるとすべてたわごとだ。2000発の核ミサイルが爆発すれば、命中しようがしまいが地球は終わりである。「その日がくるまで、アメリカは核抑止軍事力を維持します。」というオバマを含めて、この人たちは正気ではない。
註47  ここは戦略核兵器の3本柱(Triad)のことだと思う。陸からの弾道ミサイル(ICBMなど)、空からの戦略爆撃機、海からの潜水艦(SLBMなど)の3つを指す。現在戦略核兵器の3本柱を確立しているのはアメリカとロシア以外にはない。中国を含める人もいるが基本的には中国は数が圧倒的に少ない。たとえば次
<http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_triad>



ミサイル防衛について

 ミサイル防衛は、幅広く規定されているように基本的核抑止目的を支援するにあたって有用な役割を演じている。地域に限定された敵に対して有効な防衛は、アメリカの戦略態勢にとって、価値ある要素部分である。アメリカは、それが適切な地域では、地域限定の敵に対してミサイル防衛を展開すべきだし、実戦配備すべきである。これは限定的な長距離脅威に対する場合も含む。(註48)これらは、もし核抑止に失敗しても、損害が限定的になるという利点がありうるだろう。アメリカは、その行動が、ロシアや中国に、アメリカ及びその同盟国並びに友好国に対して脅威を増大させないように主導していくことを確かなものとすべきである。


宣言的政策について

 宣言的政策は、友好国や予想される敵両方に対するアメリカの意図を示すシグナルである。このように宣言的政策は戦略態勢全体にとって重要な側面をもつ。これを有効にするためには、アメリカの指導性の意図をよく反映した形で理解されねばならない。計算された不明瞭という要素(註49)が基本的には残るとはいうものの、潜在的な敵対者に抑止力を与えるよう十分に明瞭なものでなくてはならない。アメリカは、極限的な状況においてアメリカとその同盟国を守るためだけに核兵器を使用すると考えておりまた準備するのだということを強調すべきである。


核兵器貯蔵について

 核抑止力に依存する限り、アメリカは安全で安定した信頼できる核兵器貯蔵を必要とする。また確実にありそうな軍事紛争において威嚇的に使用する場合においてもそうである。「貯蔵管理計画」(the Stockpile Stewardship Program)(註50)及び「寿命延長計画」(the Life Extension Program)(註51)は、よくこの基準に合致し、貯蔵核兵器の近代化と再生化に極めて成功した。しかしながら、何事もはっきりしない将来のことは計算できない。委員会は提案のされている「信頼の出来る核弾頭入れ替え計画」(Reliable Replacement Warhead)に関する議論については次のように観察している。すなわちその計画の意図、何を必要としているのか、「新しさ」が構成されているのか、に関してかなりの混乱が見られることが明らかになった。アメリカは前進しなければならないのであるから、何を今開始するのか(あるいは開始しないのか)、何をもって核兵器の「新しさ」とするのか、あるいはしないのかなどについてもっと明確にしなければならない。「貯蔵管理」あるいは「(核兵器の)寿命延長」に関する代替案は、(貯蔵核兵器の)様々な段階において、再使用及び(あるいはまたは)部部品の再設計、今までとは異なったエンジニアリング上の解決策などが絡んでいる。ベストなアプローチに基づく決定は、それぞれ製造後の経過年数に配慮して、(核兵器の)種別ごとになされるべきである。近代化は現在存在しているアメリカの政策の枠組みの中で進めていく以上、政治的困難を最小化しなければならない。(註52)

註48  ここはブッシュ政権時に開始されたロシアを念頭に置いて東欧に展開しようとするミサイル計画や現在オバマ政権が湾岸諸国に展開しようとしているイランを念頭においたミサイル配備計画、あるいは台湾海峡を挟んで、軍事的に中国を念頭においた台湾に対する武器売却(これがミサイル配備計画に発展するのかどうかは全く不明)を思い浮かべてみれば、よく理解できよう。
註49  この文脈で提示する例としては適切ではないかも知れないが、「計算された不明瞭性」という意味では「核兵器を搭載しているかどうかについて、イエスともノーとも答えない。」政策が挙げられる。神戸市はこの政策を逆手にとって、神戸港に来港するすべての外国の軍事艦船から「非核証明」の提出を求めている。「非核証明」を出さない艦船については入港を拒否している。いわゆる「神戸方式」だ。アメリカは神戸市に「非核証明」を提出できない。提出すれば質問に「ノー」と答えたことになり、「計算された不明瞭性」に反するからだ。先日神戸市会事務局に確認したところ、未だにアメリカの軍事艦船は一隻もよりつかないそうだ。もよりの姫路港に入っているという。この手もあるか・・・。
註50・51  ペリーによる「委員長緒言」の項、註29・30参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/
USA_SP/strategic_posture_2.htm>


  「貯蔵管理計画」も「寿命延長計画」もペリーがクリントン政権の国防長官の時に開始した計画である。一方、「信頼の出来る核弾頭入れ替え計画」は、ブッシュ政権の時ラムズフェルドが始めた計画である。ペリーは軍産複合体制の申し子のような人物であり、私にとっては「敵中の敵」みたいな人物ではあるが、政治家、行政家、科学者、エンジニアとしてみれば、それぞれ職務に忠実、誠実で有能な人物である。具体的に計画のどこがどう違うのか私には皆目見当もつかないが、そのペリーからみるとラムズフェルドの計画は、胡散臭くてがまんできなかったのではないか。どうしてもそう読める。面白くし過ぎなのかも知れないが・・・。なおここで指摘されている「代替計画」は、10年1月オバマ政権が、11年度予算要求をしたので恐らく11年度から開始されるものだと思う。(「オバマ、大幅な核兵器財源増額を追求」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_20.htm>)及び「<参考資料>アメリカ国家核安全保障局について」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>を参照の事。)
註52  製造年に配慮して云々は、こういうことである。アメリカはここ20年近く核兵器の新規の製造を行っていない。当然現役配備の核兵器や準備保存の核兵器に経年劣化が生じている。それも、核兵器の種類によってばらばらの度合いだ。だから本当に今必要とされる核兵器を厳選して、きめ細かく整備していきなさい、ということだ。謎めいた言葉は「政治リスクを最小限にして」という記述だろう。これは私の推測だが、上記のような整備を厳格に押し進めていけば必ず政治サイドから横やりが入る。それは核兵器の製造そのものに責任を負っているのはエネルギー省だが、実際に工場や研究所で実際にそれを遂行しているのは、アメリカの大手軍需産業を中心とする有限責任法人だ。つまり、実際に製造や整備にあたっているのは各メーカーなのだ。当然優先順位が低くてもある政治力をもったメーカーに注文を出すというケースもありうる。もっと想像をたくましくすれば、ブッシュ政権時代には、それが横行していたのではないか?真面目人間ペリーにはそれが我慢できなかったのではないか?


核兵器複合施設(核兵器複合体)について(註56)

 物理的インフラは「変革」の立場からは極めて必要だ。国家核安全保障局(NNSA)(註53)は納得のいく計画をもっている。しかし必要な財源に欠けている。知的インフラもまた困難に直面している。国家安全保障のための研究所としての核兵器研究所の再設計・再構築及び国防省、国務省、国土安全保障省そしてアメリカ情報統合機関(註54)などとの協力関係の強化はこれら2つの問題(すなわち物理的インフラと知的インフラが抱える問題)を支援することが出来る。国家核安全保障局は法律でそれが創立された時のもともとの意図を達成していない。このことは、国家核安全保障局法(註55)を修正し、切り離した部局(エネルギー省から独立させろ、という事か?)とし、エネルギー省長官を通じて大統領に直接報告できるようにすることを要求している。また、(法律の)条文も同局が独立自律性を持てるように狙って修正すべきことも要求している。


軍備管理について

 ロシアとの軍備管理を更新する機が熟していることは明白である。そしてこれは核兵器の継続的削減の前兆であることをよく示している。アメリカとロシアはスッテプごとのアプローチを追求すべきである。そして2009年末期限切れを迎えるSTARTTの後継条約たることを保証する穏やかな最初のステップを選択すべきである。作戦上配備されている戦略核兵器の穏やかな削減増分を更に越えて、軍備管理のプロセスは新しい要素を引き入れる形で更に複雑一体的になっていく。もっとも重要な要素の一つは、非戦略核兵器のアンバランスだろう。(註57)軍備管理から生ずる利益及び戦略的安定をより一般化することから生ずる利益を支援する面で、アメリカは、ロシアばかりでなく中国及びヨーロッパやアジアのアメリカの同盟国とも、もっと幅広い、もっと野心的な戦略的対話を追求すべきだろう。


不拡散について

 同時に核不拡散(元の英語は単にnonproliferationであるがここは明らかに核不拡散の意味で使っているのでそうした。)に対して再び力を注ぐにはまたとない機会でもある。アメリカにとっての核不拡散利益を前進させて成功を収めるにはアメリカの指導性が必要とされる。核不拡散では偶発的な失敗(註58)があったとはいえ、歴史的な系譜履歴をみると良好である。(註59)これから数年先もこの成功が継続すると期待できる十分な理由がある。拡散へ向けての「転換点」(“tipping point”)の危険及び核テロリズムの危険は今すぐアクションを起こすべきこととして強調されなければならない。アメリカは、有効に機能することを支援する国際的な条約体系や機関を強化するような幅広い議題を追求しなければならない。2010年NPT再検討会議において指導的役割を演じるために準備することはとりわけ重要である。

註53・註55・註56  国家核安全保障局や核兵器複合施設については別項<参考記事>「国家核安全保障局について」を参照して欲しい。比較的長い記事だが、見出し、中見出し、小見出しを拾い読みしてもらえば概要がつかめる。一言で云えばアメリカの「核兵器敞」ということになる。 
註54  アメリカ情報統合機関の元の英語は「intelligence community」である。それぞれ小文字始まりになっているが、前後関係から見て、明らかに「U.S. Intelligence Community」を指している。ネット上で調べてみると、適切な訳語がない。それで「アメリカ情報統合機関」の訳語をあてた。アメリカ情報統合機関は1981年、ドナルド・レーガンが大統領の時に、大統領執行命令で設立された。連邦政府部内各執行官庁が別個に情報、諜報活動を行っている体制はそのままに、そうした情報・諜報機関を統合した組織として想定された。大統領に直接報告をあげる仕組みになっている。日本で使われている言葉を使えば「横串をさす。」という事になろうか。参加している組織は、次の通りである。なお、参加組織は「メンバー」、「エレメント」などと呼ばれている。

中央情報局(Central Intelligence Agency−CIA)―独立官庁、空軍諜報・監視・軍事偵察局(Air Force Intelligence, Surveillance and Reconnaissance Agency−AFISRA)、陸軍軍事諜報機関(Army Military Intelligence -MI)、国防諜報局(Defense Intelligence Agency−DIA)、海兵隊諜報活動機関(Marine Corps Intelligence Activity−MCIA)、国家地球空間諜報局(National Geospatial-Intelligence Agency−NGA)、国家軍事偵察室(National Reconnaissance Office−NRO)、国家安全保障局(National Security Agency−NSA)、海軍諜報室(Office of Naval Intelligence−ONI)―以上国防省傘下、エネルギー省諜報・対テロリズム室(Department of Energy, Office of Intelligence and Counterintelligence−OICI)、諜報分析室(Office of Intelligence and Analysis−I&A)、沿岸警備隊諜報機関(Coast Guard Intelligence−CGI)―以上国土安全保障省傘下、連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation-FBI)、麻薬取締局(Drug Enforcement Administration−DEA)―以上司法省傘下、国務省諜報研究局(Department of State, Bureau of Intelligence and Research-INR)、財務省テロリズム金融諜報室(Department of the Treasury、Office of Terrorism and Financial Intelligence−(TFI)の計15部局。この機関の長は国家情報長官(Director of National Intelligence)で、2004年に情報改革・テロリズム防止法(The Intelligence Reform and Terrorism Prevention Act of 2004)の成立で国家情報長官が新設された。それまではCIA長官が自動的にこのアメリカ情報統合機関の長を兼任しており、特別に長官ポストはなかった。現在は元海軍大将のデニス・ブレア(Dennis C. Blair)がオバマ政権発足とほぼ同時に第三代国家情報長官に就任している。
(以上、<http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Intelligence
_Community>
<http://en.wikipedia.org/wiki/Director_of_National_Intelligence><http://en.wikipedia.org/wiki/Dennis_C._Blair>などによる。)
註57  START発効以後、戦略核兵器ではアメリカが優位に立っているが、戦術核兵器では劣っているとされている。(実際どんなものだろか?冷戦時代ミサイル・ギャップといわれたが、実際はアメリカが圧倒的に勝っていた。)
註58 「核不拡散では偶発的な失敗」とはなにを指しているのであろうか?北朝鮮の核兵器保有を指しているとしか読めないが。
註59  「歴史的な系譜履歴をみると良好である。」はまさにその通りだろう。70年代以降多くの国が核兵器の研究や開発、保有を放棄してきた。80年代、スイスやスエーデンが核兵器開発を放棄すると宣言したし、ブラジル、アルゼンチンも核兵器放棄を自国法律と国際条約で明確にした。リビアも正式に放棄したし、フィリッピンは憲法に中で明確に宣言し、核兵器を取り扱うこと自体を刑事上の犯罪とする「非核兵器法」を成立させた。なかでも白眉は、アパルトヘイト白人政権を倒した南アフリカ共和国だろう。アパルトヘイト政権時代に開発・実戦配備までした核兵器を、完全に放棄しNPTに参加した。

 今や、核兵器を持たないだけでなく、自国領土に一切置かないとする諸国、すなわち「非核兵器地帯」諸国は、南半球全体を覆い、北半球ではモンゴル共和国のみが、「非核兵器国」だったのに加え、「中央アジア非核兵器地帯」が成立し、はじめて北半球にのみで成立する非核兵器地帯となった。「ラテン・アメリカ及びカリブ海非核兵器地帯」、「南太平洋非核地帯」、「東南アジア非核兵器地帯」そして09年」末に発効した「アフリカ非核兵器地帯」など、いまや地球上には自国法律と国際条約で「核兵器をもたない、自国領土内に立ち入らせない」(核兵器の完全放棄と完全拒絶)とする国が圧倒的に増えてきた。

 フィリピンのように「核兵器は単に人道犯罪ではなく、刑事犯罪である。」という思想を確立した国も出てきた。この報告でいう「良好である。」どころではない。信じられないくらいの大きな前進である。

 こうした大きな前進に、目的は「核兵器の独占」にあったとはいえ、アメリカも大きな貢献をしてきたことも認めないわけにはいかない。しかし、基本的には、アメリカの「不拡散努力」の結果とはいえない。「核兵器のような危険なものに守ってもらわなくても結構、一切もちこまないと約束して欲しい。」(南太平洋非核地帯に参加したニュージーランドのロンギ政権)や「自国領土ばかりではなく、200カイリや大陸棚にももちこんでほしくない。」(東南アジア非核兵器地帯)とする、各国市民のそれぞれ10年、20年の努力が結実したものだ。 「核兵器完全放棄と完全拒絶」の思想が確立した結果だ。これが21世紀の「核兵器廃絶運動」を支える根本思想だ。 こうした努力は結局、「核兵器保有国」の思想的後進性を浮き彫りにすることになり、彼らの威信と指導力を大いに傷つけることになるだろう。

 そればかりではない。東南アジア非核兵器地帯の発想はやがて、すべての公海、自国領空以外は核兵器を持ち込んではならないとする国際条約の発想に連なっていくであろう。

 核兵器保有国は、核兵器を威嚇の道具に使おうとしても、地球上に実戦配備する空間が段々減少し、最終的には自国領土と領海の中だけに押し込められていく。非核兵器地帯で核兵器保有国を包囲し、最終的にかれらに核兵器を放棄させる戦略が描ける手前まで来ている。

  翻って、日本はどうか?「核兵器廃絶」や「核兵器と共存できない。」と口にしながら、日本の市民は「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を自国の法律に結実しようともしていない。「非核三原則」があるではないかというが、これは単に内閣の方針だ。内閣が替わり、方針が替われば、いつでも法的にはこの政策を変更できる。なんら法的拘束力はない。しかもこの「三原則」を定式化した佐藤内閣は、「非核三原則」を定式化すると同時に、アメリカに核兵器を日本の領土内に持ち込ませる密約を結んだ。最初から「非核二原則」だった。もっとも、自国内に外国の軍事基地をおいて、その治外法権を認め、その外国の軍隊が戦略上実戦配備している兵器を、それがなんであれ、出入りさせていない、などというたわごとを信じる国はどこにもないだろう。外国の軍隊が駐留していれば、その外国軍隊が実戦配備している兵器はすべて、その軍事基地に出入りしているだろう、と考えるのが当然だろう。

 だからこそ、フィリッピン市民がアメリカのスービック基地とクラーク基地を追い出したことが、東南アジア非核兵器地帯成立の決定的要因になったのではなか。またカザフスタンに駐留するロシア軍の基地が撤退したことが、中央アジア非核兵器地帯成立の出発点になったのではないか。

 自国がこういう状態であり、しかもそれを放置したまま、世界に向かって「核兵器廃絶」を訴え、「被爆者の悲惨」を訴えるのは、これ以上は、偽善ではないか?

 また「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想の結実に向かって努力を続けている、地球の多くの地域に住む市民に対する、これ以上は、「裏切り」ではないか?

 われわれは、「核兵器廃絶」を訴え、「被爆者の悲惨」を訴えると同時に、「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を日本の法律とし、その実効性を、地球上の市民に向かって、担保しなければならない。でなければ、「核兵器廃絶」は偽善となり、「被爆者の悲惨」は裏切りとなる。

 2009年8月6日広島において、当時国連総会議長で、長い間サンディニスタ政権の外相をつとめたニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンは多くの聴衆を前に次のように云った。

・・・日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」の意義深い実例をしめした、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(1発の核兵器も許さないということ。)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。』

   世界を正気に取り戻すプロセスの第一歩は、「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を、日本の法律とし、日本市民の意志として、他の地球市民に断固として示すことであろう。


包括的核実験禁止条約(CTBT)について

 委員会は、包括的核実験禁止条約の批准を進めるべきかどうかという立場に関して合意に達しなかった。しかしは、大統領はアメリカ上院に対してCTBTの最考慮を要求することを確認しつつ、委員会は、過去10年間の発生した議論を最新のものとした、利点、コスト、危険性などに関する包括的正味の再評価を準備することを含んで、上院で議論できる一つ一つの段階を勧告する。


防止と防護について

 不拡散はいつもうまくいくとは限らないし、核抑止力は時として信頼できない。したがって、全体的な戦略は、核拡散やテロリズムを防止し、その結果からわれわれを保護する追加的な段階で補足しておかねばならない。委員会は、「拡散安全保障イニシアティブ」(註60)や「核テロリズムと戦うグローバル・イニシアティブ」(註61)などの手段を支持する。どうじにまた、アメリカ合衆国に対する核の密輸の危険性を削減する、より強力な「政府全体」のアプローチを鼓舞する。われわれは同時に、電磁パルス兵器(註62)による攻撃に対して脆弱であるが、この脆弱性を削減する努力はこれまでほとんどしてこなかったことを特筆したい。また最近の全国電力網の近代化に対する投資には、こうしたリスクも勘定に入れておくべきだということも勧告する。


将来の構想について

 議会は、アメリカの戦略態勢に関する一連の諸勧告を定式化する作業の中で、長期的な展望を描くことも委員会の責任とした。われわれは諸結論や諸勧告を議論する中で、長期的にみて、実現可能な将来構想について大きな違いがあることが明白となった。基本構造としては、これは核兵器を廃絶することの出来る条件が果たして創ることができるのかどうかと云うことに関するわれわれの違いを反映している。(註63)しかしわれわれの議論は、われわれの長期的な違いにもかかわらず、ごく近い将来構想についてはかなり有意味な程度にまで共通の構想をもっている、というところにまで戻って来ることになった。そしてそれは希望のもてる構想である。その程度の違いがあるにせよ、国際核秩序(註64)が崩壊することは不可避である、とする見解をわれわれは拒否する。その逆に、核の危険性を削減し、それに対応してきたアメリカとそのパートナー諸国の成功は、われわれの将来をより希望の持てるものにしている。われわれは、次の10年間か20年間の間に、核の危険性は更に大きく削減しているだろうと固く信じている。(註65)

 われわれの可能性や優先性に関する意見の違いにもかかわらず、われわれはこの構想をより現実のものとしていく実際的な一歩を提供する戦略の周辺に、共に集まった。アメリカは抑止力と、基本的には軍備管理、不拡散などを含むその他の手段との間のバランスを保ちつつ、核の危険を削減していくという戦略的伝統の大地の上にしっかりと立っている。

 この戦略は、また、核不使用の伝統を根本的には保持していくことである。核不使用の伝統は、いまや過去60年間の経験に深く根ざしており、アメリカの国益に力強く役立っている。(註66)

註60  「拡散安全保障イニシアティブ」は“the Proliferation Security Initiative”。が元の名称。日本の外務省は、「拡散に関する安全保障構想」と訳している。いわゆるPSI。アメリカ国務省のサイト<http://www.state.gov/t/isn/c10390.htm>では、次のように説明している。

拡散安全保障イニシアティブ-PSIは、大量破壊兵器、それの運搬手段及び関連物質を、拡散に関与する国家あるいは非国家間の密輸を停止させる目的をもった国際的な取り組み。2003年3月ブッシュ大統領によって打ち上げられた。このアメリカが深く関与するイニシアティブは、2002年12月に発表された「大量破壊兵器と闘うアメリカ国家戦略」(U.S. National Strategy to Combat Weapons of Mass Destruction)に由来する。この戦略では世界規模での大量破壊兵器の拡散を停止するためのもっと強力な方策が必要であることを認識し、そして特により大きな焦点を特定の地域にあてて、その遮断を特定することの必要性も認識している。現在世界中で90カ国以上が「PSI」を支持している。』

と書いているとおり、アメリカのブッシュ政権がイラク戦争を正当化し、その緒戦の勢いに乗って、一気に「大量破壊兵器」の取り締まりを実施しようというアメリカの国家戦略だ。

 しかし、大量破壊兵器はイラクにはなかったように、その本当の狙いは、平和利用の核分裂物質や機器、部品、その専門的知見や経験が、世界中に拡散するのを防ごうというものだ。つづめて云えば、「核エネルギーの独占体制」を構築しようというアメリカの国家戦略の一環である。

 嗤ってしまうのは、「密輸」という言葉を用いていることだ。現在、核に関して云えば、IAEAが承認しない取り引きはすべて密輸である。それが世界の合意事項である。従ってアメリカやフランスが、イスラエルの核兵器開発協力したのは密輸行為である。またパレービー・シャー時代にアメリカやフランスが核協力したのも密輸である。さらに、大きく云えば、NPTの外にあるインドに対して核協力を行っているのも密輸である。(核供給国がすべて承認した、というのは屁理屈である。核供給国グループなるものも完全にNPTとIAEAの外にある組織だ。)

 ここで云っていることは、アメリカが認めた取り引き以外は密輸である、ということだ。アメリカの2重基準、3重基準にもとづく構想だ。世界90カ国以上が支持しているとは吹いたものだが、オバマもこの計画を、核兵廃絶につながる一つのステップとして、09年4月の「プラハ演説」で重要視していた。

 参考にアメリカの忠実な子分、日本の外務省がこのPSIについてどう記述しているかを参照されたい。<http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/fukaku_j/psi/psi.html> やるなら、NPTの枠組みの中でやれ、ということだ。
註61  「核テロリズムと闘うグローバル・イニシアティブ」は“the Global Initiative to Combat Nuclear Terrorism”が元の英語。外務省は「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」と訳している。これもアメリカ国務省のサイト<http://www.state.gov/t/isn/c18406.htm>を見ると、2006年やはりブッシュ政権の時に打ち上げられた構想だ。大量破壊兵器を「核テロリズム」と言い替えただけで、基本的には同じ狙いを持つものである。日本の外務省がどれほど提灯持ちをやっているか、とっくりそのサイト<http://www.mofa.go.jp/mofaJ/gaiko/atom/gi.html>をご覧いただきたい。

 ただ、ここで興味深いことは、PSIにしても「核テロリズムと闘う・・・」にしても、ブッシュ政権の突発的な思いつきの政策ではない、ということがわかったことだ。ペリーやシュレジンジャー、キッシンジャー、またその背後にいる支配層が長期的に構想している「核不拡散構想」の実施計画ということだ。詳細で批判的な分析が必要かもしれない。それにしても外務省は問題だな。今の状態は外務省ではなくて「米務省」だ。早く日本の市民のための「外務省」にしなければならない。「米務省」は日本の病巣に潜む悪性ガンの一つである。
註62  電磁パルス兵器は"electromagnetic pulse weapon"。高々度で爆発が起こると、電磁パルスが発生する。これらが、電気網や電子機器に悪影響を与え、今日の電気・電子機器中心の社会を大混乱に陥れる。雷によっても電磁パルスは発生するが、社会に大混乱を与えるだけの電磁パルスは発生しない。しかし核兵器の爆発力になると、話は違う。この原理を応用した兵器が「電磁パルス兵器」だ。私などはSFの世界の話と思っていたが、この報告書の中で正式に登場してくると云うことは、アメリカは電磁パルス兵器の開発をやっているな、と思わざるを得ない。普通の核兵器よりも更にハードルの高い電磁パルス兵器を、テロ・グループなどが製造できるわけはない。
註63  「基本構造としては、これは核兵器を廃絶することの出来る条件を果たして創ることができるのかどうかと云うことに関するわれわれの違いを反映している。」随分面白い議論をしているものだ。ペリーや他の委員にとって核兵器廃絶の条件とは一体なんだろうか。

 ここに核兵器保有国が5カ国ある。その時は、テロ・グループを含めて、他の国家や非国家が完全に核兵器とは遮断された、5カ国の完全独占状態が完成しているものとする。

 A国とB国は、E国にとって友好国とはいえない、潜在的敵対国だ。C国とD国はE国にとって友好国であり、特にD国は同盟国である。三カ国は共同で説得して、A国とB国に核兵器を放棄させ、核兵器保有国はC、D、E国の三カ国だけになった。これでE国にとって、核兵器廃絶の条件が出来ただろうか?

 委員の中には出来たというものはいないだろう。友好国と同盟国とはいえE国が先に放棄することは危険である。この報告書で何度か指摘されているとおり、「将来のことで確かなことは何一つとしてない。」のだ。結局、C国とD国が核兵器を放棄し、結局E国一カ国になったとする。これで核兵器廃絶の条件はできただろうか?客観的にはできたと云わざるを得ない。もしこのE国がアメリカとすると、アメリカは核兵器を放棄するだろうか?

 歴史の現実はそうではなかった。1945年から1949年の約4年間、アメリカは最後に残ったE国だったのである。世界にアメリカしか核兵器保有国はなかった。つまり、この報告書でいう核兵器廃絶の条件などは永遠にやってこない。現実問題として、核兵器を廃棄する条件などを議論している委員たちは、ありえない、架空の議論をしていることになる。意見や見解が分かれたというが、実はみんな同じ見解なのだ。
註64  「国際核秩序」の元の英語は“International Nuclear Order”である。しばしばこの報告書で使われるキーフレーズである。何を意味しているのだろうか?今のところアメリカを頂点とする、核の力の国際的ヒエラルキーとしか解釈できないが、どうだろうか?
註65  「次の10年間か20年間の間に、核の危険性は更に大きく削減しているだろうと固く信じている。」この人たちは、核兵器の数量の削減が、核兵器の危険性の削減だと、固く信じている。あるいは信じているふりをしている。4万発を1万発にすれば、地球は4倍に安全になった、という論法である。地球を核兵器の危険に曝すために1発の核兵器があれば十分だ。核兵器の危険という意味では、2発以上は意味を持たない数字だ。つまり最後の1発が葬り去られるまでは、地球は核兵器の危険に曝され続ける。
註66 「核不使用の伝統は、いまや過去60年間の経験に深く根ざしており、アメリカの国益に力強く役立っている。」 「過去60年間」の経験ではなくて、「過去65年間」、すなわち原爆が誕生してからの経験にしてみてはどうだ。「核不使用の伝統」などはいっぺんに吹っ飛んでしまう。実戦で核兵器を使用したという意味では、アメリカしか核兵器をしようした国はない。アメリカ以外の国がすべて「核兵器不使用の伝統」を持っているのであって、世界で1国アメリカだけが持っていないのである。夜郎自大とはこのことだ。