(2010.2.5)


核兵器の完全放棄と完全拒絶

 私は現在、「アメリカの戦略態勢(ペリー報告)America's Strategic Posture」という報告書の翻訳と批判的検討を進めている。これは09年5月、ウイリアム・ペリーを委員長とするアメリカの議会委員会が、アメリカ議会に対して提出した最終報告書だ。

 翻訳すると云えば、聞こえがいいが、要するに日本語に置き換えて見ないと内容が頭に入らないからに過ぎない。これは私が英語でものを考えているのではなく、日本語でものを考えているからだ。やむを得ない。

 なかなか面白い内容で、私の問題意識にぴったり合致している。批判的検討部分は、本文に書き込まないで、本文外に(註)の形で出すことにした。これは後で自分自身が検索するのに便利だからである。ところが、ある(註)が長大になってしまい、これはどう考えても誰にも読んでもらえそうにない。それで、その(註)を別途にここに書き出すことにした。

 問題の箇所は、この報告書の「全体総括」(Executive Summary)の中の「不拡散」(nonproliferation)という見出しのついたセクションのある記述である。引用すると。

・・・アメリカにとっての核不拡散利益を前進させて成功を収めるにはアメリカの指導性が必要とされる。核不拡散では偶発的な失敗(註58)があったとはいえ、歴史的な系譜履歴をみると良好である。(註59)これから数年先もこの成功が継続すると期待できる十分な理由がある。』

 ここの(註59)が余りにも長大になったのだ、というよりも正直に言って、逸脱したのである。以下(註59)の本文。


註59  「歴史的な系譜履歴をみると良好である。」はまさにその通りだろう。70年代以降多くの国が核兵器の研究や開発、保有を放棄してきた。80年代、スイスやスエーデンが核兵器開発を放棄すると宣言したし、ブラジル、アルゼンチンも核兵器放棄を自国法律と国際条約で明確にした。リビアも正式に放棄したし、フィリピンは憲法に中で明確に宣言し、核兵器を取り扱うこと自体を刑事上の犯罪とする「非核兵器法」を成立させた。

 なかでも白眉は、アパルトヘイト白人政権を倒した南アフリカ共和国だろう。アパルトヘイト政権時代に開発・実戦配備までした核兵器を、完全に放棄しNPTに参加した。

 今や、核兵器を持たないだけでなく、自国領土に一切置かないとする諸国、すなわち「非核兵器地帯」諸国は、南半球全体を覆い、北半球ではモンゴル共和国のみが、「非核兵器国」だったのに加え、「中央アジア非核兵器地帯」が成立し、はじめて北半球にのみで成立する非核兵器地帯となった。「ラテン・アメリカ及びカリブ海非核兵器地帯」、「南太平洋非核地帯」、「東南アジア非核兵器地帯」、そして09年」末に発効した「アフリカ非核兵器地帯」など、いまや地球上には自国法律と国際条約で「核兵器をもたない、自国領土内に立ち入らせない」(核兵器の完全放棄と完全拒絶)とする国が圧倒的に増えてきた。
(世界の非核兵器地帯成立の流れ<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
Nuclear_Weapon_Free_Zone/nagare.htm>


 フィリピンのように「核兵器は単に人道犯罪ではなく、刑事犯罪である。」という思想を確立した国も出てきた。この報告でいう「良好である。」どころではない。信じられないくらいの大きな前進である。

 こうした大きな前進に、目的は「核兵器の独占」にあったとはいえ、アメリカも大きな貢献をしてきたことも認めないわけにはいかない。しかし、基本的には、アメリカの「不拡散努力」の結果とはいえない。

 「核兵器のような危険なものに守ってもらわなくても結構、一切もちこまないと約束して欲しい。」(南太平洋非核地帯に参加したニュージーランドのロンギ政権)や「自国領土ばかりではなく、200カイリや大陸棚にももちこんでほしくない。」(東南アジア非核兵器地帯)とする、各国市民のそれぞれ10年、20年の努力が結実したものだ。

 「核兵器完全放棄と完全拒絶」の思想が確立した結果だ。

 これが21世紀の「核兵器廃絶運動」を支える根本思想だ。こうした努力は結局、「核兵器保有国」の思想的後進性を浮き彫りにすることになり、彼らの威信と指導力を大いに傷つけることになるだろう。そればかりではない。東南アジア非核兵器地帯の発想はやがて、すべての公海、自国領空以外は核兵器を持ち込んではならないとする国際条約の発想に連なっていくであろう。

 核兵器保有国は、核兵器を威嚇の道具に使おうとしても、地球上に実戦配備する空間が段々減少し、最終的には自国領土と領海の中だけに押し込められていく。非核兵器地帯で核兵器保有国を包囲し、最終的にかれらに核兵器を放棄させる戦略が描ける手前まで来ている。

 翻って、日本はどうか?「核兵器廃絶」や「核兵器と共存できない。」と口にしながら、日本の市民は「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を自国の法律に結実しようともしていない。「非核三原則」があるではないかというが、これは単に内閣の方針だ。内閣が替わり、方針が替われば、いつでも法的にはこの政策を変更できる。なんら法的拘束力はない。しかもこの「三原則」を定式化した佐藤内閣は、「非核三原則」を定式化すると同時に、アメリカと核兵器を日本の領土内に持ち込ませる密約を結んだ。最初から「非核二原則」だった。

 もっとも、自国内に外国の軍事基地をおいて、その治外法権を認め、その外国の軍隊が戦略上実戦配備している兵器を、それがなんであれ、出入りさせていない、などというたわごとを信じる国はどこにもないだろう。外国の軍隊が駐留していれば、その外国軍隊が実戦配備している兵器はすべて、その軍事基地に出入りしているだろう、と考えるのが当然だろう。

 だからこそ、フィリピン市民がアメリカのスービック基地とクラーク基地を追い出したことが、東南アジア非核兵器地帯成立の決定的要因になったのではないか。またカザフスタンに駐留するロシア軍の基地が撤退したことが、中央アジア非核兵器地帯成立の出発点になったのではないか。

 日本を考えてみよう。

 自国がこういう状態であり、しかもそれを放置したまま、世界に向かって「核兵器廃絶」を訴え、「被爆者の悲惨」を訴えるのは、これ以上は、偽善ではないか?

 また「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想の結実に向かって努力を続けている、地球の多くの地域に住む市民に対する、これ以上は、「裏切り」ではないか?

 われわれは、「核兵器廃絶」を訴え、「被爆者の悲惨」を訴えると同時に、「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を日本の法律とし、その実効性を、地球上の市民に向かって、担保しなければならない。でなければ、「核兵器廃絶」は偽善となり、「被爆者の悲惨」は裏切りとなる。

 2009年8月6日広島において、当時国連総会議長で、長い間サンディニスタ政権の外相をつとめたニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンは多くの聴衆を前に次のように云った。

・・・日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」の意義深い実例をしめした、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(1発の核兵器も許さないということ。)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。』

 世界を正気に取り戻すプロセスの第一歩は、「核兵器完全放棄・完全拒絶」の思想を、日本の法律とし、日本市民の意志として、他の地球市民に断固として示すことであろう。