『Q. |
シラード博士、日本に対する原爆投下問題に関する1945年時の博士の姿勢はどんなものだったですか? |
A. |
全力を尽くして反対しました。しかし私が望んだほど効果はありませんでした。 |
Q. |
あなたとおなじように感じた科学者は他にいましたか? |
A. |
とても多くの科学者が同じように感じていました。これはオークリッジ(テネシー州のオークリッジ工場。ウラン燃料を生産していた)やシカゴ大学の冶金工学研究所においては特にそうでした。ロス・アラモス(ニューメキシコ州ロス・アラモス研究所。Y計画を担当)の科学者たちがどうだったかは分かりません。 |
Q. |
オークリッジや原爆計画のシカゴ支部では、意見の分裂はありましたか? |
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こういう風に云っておきましょう。創造的な物理学者はほとんど例外なしに原爆の使用に関して不安と疑念を持っていました。化学者たちも同じとは云いませんけどね。生物学者たちは物理学者とかなり同じ感じ方をしていました。 |
Q. |
いつあなたの中に不安がもたげましたか? |
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そうですね、1945年の春頃、原爆の使用に関しては心配をし始めました。しかし自分たちのやり方に疑念を憶えたのは、シカゴにいて、日本の各都市にかなり大規模に焼夷弾(incendiary
bomb)が使われていると知った時でした。
もちろん、これは私たちの責任ではありません。実際私たちは何もできなかったのです。でもマンハッタン計画での私の同僚の一人がこのこと(日本の各都市に対する無差別焼夷弾攻撃)に悩んでいたのを、はっきり憶えています。』 |
『Q. |
ロシアを含む他の国々が、原爆の使用という同じ機会に直面したら、アメリカがしたのと同じことをしたと思いますか? |
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ねぇ、いいですか、この質問に対して答えることは完全にあてずっぽうですよ。しかしながら、こういうことはいえます。全体的に云ってみて(by
and large)、アメリカ政府は正しい人道主義からものを考えて筋道を追っていった、というよりも、損得勘定(expediency)から考えて、追っていったということです。
そしてこれが全て政府というものの普遍的原則だということです。(ここに、ナチスから逃れたハンガリー系ユダヤ人、シラードの深い絶望が見て取れる)
戦争の前、私はアメリカの政府だけは違う、という幻想を抱いていました。この幻想はヒロシマの後(after
Hiroshima)、完全に吹っ飛びました。ご記憶のこととは思いますが、1939年ルーズベルト大統領は、人が大勢住む都市に対して爆撃を加えることは、あまりに好戦的な行為だとして、警告を発しました。これがぴったりくるし当たり前だと思うんですよね。それから戦争の間、全く何の説明もなしに、日本の各都市に焼夷弾攻撃を募らせていきました。これが私を悩ませたし、多くの友人たちを悩ませたのです。 |
Q. |
それで幻想が終わった? |
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はい。これが幻想の終焉でした。でもね、分かってもらえますでしょうか、焼夷弾を使うことと、破壊を目的として自然の新しい力を使うことの間には、それでも大きな違いがあるんです。それでもこれを使うのは、はるかに大きい一歩なのです。原子力は全く新しいエネルギーなんです。破壊を目的として原子力を使うことはとても悪い先例を作ったと思っています。そうしてしまったことによって、戦後の歴史に大きな影響を与えることになったと考えています。』 |
『Q. |
もし日本に原爆を落とさなかったら、この世界はどのように変わっていたでしょうか? |
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もし日本に原爆を投下せず、代わりに示威行為で止めていたとしたら、また、その上、戦後われわれが本当に核兵器の世界から逃れたいと思ったとしたら、恐らくは、逃れることができたでしょうね。
( |
シラードは知ってか知らずか、核兵器廃絶問題について論じている。今戦後60年を経た世界が、核兵器を廃絶できない根本原因はヒロシマに対する原爆投下にある、と言っているわけだ。シラードは思想的にも政治的にもヒロシマを解決しなければ、核兵器廃絶運動の出発点ができない、と言っているのに等しい) |
今、世界が善い方向に向かっているのか、どうなのか、私には分かりません。
( |
シラードがこのインタビューを受けているのは1960年であることを想起せよ。) |
でも、もし(原爆投下がなかったとしたら)、この世界は今と全く違ったものとなったろうことは請け合います。 |
Q. |
核兵器競争は避けることができた? |
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私は、核兵器競争は避けることができたと思います。イエスです。しかし、その他の政治課題では、ロシアとの軋轢は続いているでしょうね。 |
Q. |
もし、私たちが原爆投下をしなければ、ロシアは原爆や水爆をこんなに早く開発できたでしょうか?またヒロシマの後、ロシアが諜報活動や開発研究を通じてこんなに急いだでしょうか?
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A. |
ロシアには、他の選択肢はありませんでした。彼らが開発を急いだのは、アメリカに核の独占を許したくなかったからです。』 |
『Q. |
アメリカ人は、原爆(投下)に対して「罪の意識」を感じているでしょうか? |
A. |
私は、それを「罪の意識」そのものとはよびません。ジョン・ハーシーの書いた「ヒロシマ」という本を憶えているでしょう。アメリカでは大変な反響を呼びましたが、イギリスではさっぱりでした。なぜ?
それは原爆を投下したのがアメリカであって、イギリスではないからです。意識の下のどこかで、われわれは原爆のくさびを打ち込まれているのです。イギリス人にはこれが全くありません。でも私はそれをまだ「罪の意識」とは呼びませんね。 |
Q. |
この感情は、それが一体何であれ、実際上何かわれわれに影響をあたえているでしょうか? |
A. |
普段に働いている自己抑制に対する義務感にかかる力は大きいものがあります。われわれはこの義務感に照らして恥じない行動を取らなかったのです。曰く言い難いところで(in
a subtle sense)、科学者の多くがこの感情に影響を受けています。このことが引き続き原爆の仕事を続けようという意欲を減退させているのです。 |
Q. |
ヒロシマは水素爆弾の開発に影響を与えましたか? |
A. |
5年は遅れた、と云っておきましょう。もし普段に働いている自己抑制に対する義務感が立派に全うされたとしたら、多くの科学者は引き続き原子力開発の仕事を続けたでしょう。実際には、多くがそうしなかった・・・。』
(「レオ・シラード・インタビュー<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/reo.htm>) |