(2010.3.6)
オバマ政権と核兵器廃絶 ペリー報告 参考資料


アメリカが失った利益


 私が現在「アメリカの戦略態勢」(ペリー報告)の翻訳と批判的検討を進めていることはいつぞや申し上げた通りである。また批判的検討を兼ねて、(註)を作り、私に足りない知識を補いながら進めていることもその時申し上げたとおりである。(註)の目的を逸脱しないようと心がけつつ、やはりまた逸脱した。しかしそれは、もはや、私の責任ではない。三百代言を並べるこの報告書の、この箇所のせいである。しかし、この長たらしい註は、このままでは誰にも読んでもらえそうにない。だから別途に提示することにした。

 問題の箇所は、この報告書の「第2章 核態勢」の次の一節である。


 アメリカの核軍事力の運用と発展を導いてきた多くのコンセプトと基準は核時代を通じて振り返ることができる。これら(のコンセプトと基準)を以下に短くリストにしてみよう。
核兵器は特別な兵器である。単に爆発兵器より強力だというに止まらない。
核兵器は抑止力のためのものだ。そして最後の手段としてのみ使いうる。(註113)
アメリカの核軍事力は、他のどの核兵器大国のそれより劣っていてはならない。
核軍事力は、鍵となる同盟国の安全保障に対する関与を支援する。(註114)
戦略核軍事力の3本柱(triad)はアメリカの活性力(resilience)、生存力、柔軟性にとって貴重である。(註115)
核兵器の安全性、安全保障性、そして承認された管理(法的正当性のある管理ということ)は基本中の基本である。
(核の)不使用の伝統は、アメリカの利益に役立つ。そしてアメリカの政策とその政策能を強化するはずである。(註116)


私の註は以下のようになった。

註113 ところが、広島と長崎ではそうではなかった。この2つの核兵器使用は最後の手段ではなかった。全く別な目的で使用された。これが「最後の手段」だった、という宣伝は1946年、アトランティック・マンスリー・マガジン12月号に掲載されたカール・テーラー・コンプトンの「もしも原爆が使用されなかったら?」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kono/Karl_T_Compton_
If_the_Atomic_Bomb_Had_Not_Been_Used_Japanese_2.htm>
をもって嚆矢とする。コンプトンから掲載誌を送られたトルーマンはコンプトンに次のように返事を書いた。

アトランティック・マンスリーからの記事『もしも原爆が使用されなかったら?』を送っていただき、誠にありがとうございました。私は、また元陸軍長官、ヘンリー・L・スティムソンに事実関係を整理し直し、何らかの記録の形にするように頼んでいるところです。彼はそれをしてくれていると思います。あなたのアトランティック・マンスリーでの記述は、あの時の状況を見事に分析しています。ただ一点、最後の決断を下したのは大統領でありました。そしてその決断は、すべての状況に関する完全なる調査のち下されたのであります。到達した結論は、基本的にあなたが記事で述べている通りであります。」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Truman_to_Karl_compton_
19461216.htm>


 こうして、このスティムソン署名入りの論文は翌47年ハーパーズ・マガジン2月号「「原爆使用の決断」(*The Decision to Use the Atomic Bomb)として結実する。この論文はありもしない事実と時間軸をずらせた詐術で塗り固めた論文だった。

こうして日本への原爆の使用は「最後の手段だった」とするプロバガンダ・キャンペーンの火ぶたが切って落とされ、それは今に続いき、この「ペリー論文」でもこのプロバガンダが踏襲されている。

註114  たとえば、日本という同盟国をとって見よう。日本は「核兵器で護って欲しい」とする勢力と「核兵器のような危険なもので護って欲しくない。それは我々の市民生活を危険にさらしている。」とする勢力とに分断されている。多くの日本人はこのはっきりした「分断」「断絶」に無自覚である。しかし、それに無自覚であろうがなかろうが、日本の中にこの「分断」は存在している。多くの日本人にとって、そして東アジア市民にとって不幸なことは、「核兵器で護って欲しい」とする勢力が政治権力を握っていることだ。そしてこの分断があたかも存在しないように振る舞っている。
(自民党政権のことではない。民主党政権のことだ。) 

そしてペリー報告のこの箇所でも指摘されているとおり、アメリカの支配層は、「核兵器で護って欲しい」とする勢力に耳を傾け、あるいはそれを口実に日本を「核の傘」の下に置いている。一方「核兵器のような危険なもので護ってもらわなくて結構」とする勢力に対しては無視を決め込んでいる。そして、この分断に無自覚な多くの日本人は、「唯一の被爆国」「被爆者の悲惨」を表看板にして、口先だけの「核兵器廃絶」を訴えている。これ以上は、欺瞞であり、ペテンであり、偽善であり、裏切り行為である。

註115  屁理屈のたわごとである。これを「たわごと」と言い切ってしまわない限り、彼らの言説がなにか有り難い、社会科学的ご託宣のように聞こえるであろう。これはご託宣ではなくてゴタクである。ガラクタである。

註116  ここはアメリカの道義的、人道主義的指導性の根幹に関わる部分である。註113でも触れたとおり、アメリカは世界で唯一の「核兵器実戦使用国」であり、彼らの道義性、人道性、近代民主主義的指導性は最初から薄汚れている。イランをはじめとする多くのイスラム諸国、アメリカ帝国主義に苦しめられたラテン・アメリカ諸国の指導者の中には、この点を厳しく衝いているものも多い。

またこの点は当初からアメリカの指導層にも自覚されていた。たとえば、原爆の投下のわずか2ヶ月前、最初の原爆実験の1ヶ月前の1945年6月11付けでトルーマン政権に送付された、「マンハッタン計画」シカゴ冶金工学研究所の科学者委員会が提出した報告書「政治ならびに社会問題に関する報告」(いわゆるフランク・レポート)の中で、この科学者たちは、日本に対して原爆を使用するのではなく、「全面的核戦争防止協定」を締結すべきだと訴え、もし日本に対して原爆を使用したならば、と、この科学者たちは次のように指摘している。
 
 もし全面的核戦争防止協定が、なににも替えがたい最高の目的だと、われわれが見なすならば、またそれは達成可能だと信じているならば、原爆をこのような形で(無警告で日本に対して使用することを指す)、世界に登場させると、いとも容易に条約の締結成功の機会を打ち壊すことになる。ロシア、また同じ同盟国や中立国ですら、われわれの方法論と意図に対して不信感を募らせ、深い衝撃を与えることになるだろう。何千倍も破壊的でロケット爆弾のように無差別的な爆弾を秘密裏に準備する能力を持ち、かつ突然その兵器を発射するような国が、自分だけしか持たないその当の兵器を国際条約で廃止しようとの主張が信頼されるかというと、その主張を世界に納得させることは難しいであろう。』
(「フランク・レポート」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm>
 つまり、これを使用した途端、この問題に関してアメリカの道義的リーダーシップは失われるだろうと云うことだ。


 また、原爆の使用がアメリカの良質な知識人層に与えた失望感も大きかった。レオ・シラードは先の委員会の7人の委員の一人だったが、1960年USニューズ・ワールド・レポートのインタビューに応じて次のように述べている。<( )内は私の註である。>


『Q. シラード博士、日本に対する原爆投下問題に関する1945年時の博士の姿勢はどんなものだったですか?
A. 全力を尽くして反対しました。しかし私が望んだほど効果はありませんでした。
Q. あなたとおなじように感じた科学者は他にいましたか?
A. とても多くの科学者が同じように感じていました。これはオークリッジ(テネシー州のオークリッジ工場。ウラン燃料を生産していた)やシカゴ大学の冶金工学研究所においては特にそうでした。ロス・アラモス(ニューメキシコ州ロス・アラモス研究所。Y計画を担当)の科学者たちがどうだったかは分かりません。
Q. オークリッジや原爆計画のシカゴ支部では、意見の分裂はありましたか?
こういう風に云っておきましょう。創造的な物理学者はほとんど例外なしに原爆の使用に関して不安と疑念を持っていました。化学者たちも同じとは云いませんけどね。生物学者たちは物理学者とかなり同じ感じ方をしていました。
Q. いつあなたの中に不安がもたげましたか?
そうですね、1945年の春頃、原爆の使用に関しては心配をし始めました。しかし自分たちのやり方に疑念を憶えたのは、シカゴにいて、日本の各都市にかなり大規模に焼夷弾(incendiary bomb)が使われていると知った時でした。

もちろん、これは私たちの責任ではありません。実際私たちは何もできなかったのです。でもマンハッタン計画での私の同僚の一人がこのこと(日本の各都市に対する無差別焼夷弾攻撃)に悩んでいたのを、はっきり憶えています。』
『Q.  ロシアを含む他の国々が、原爆の使用という同じ機会に直面したら、アメリカがしたのと同じことをしたと思いますか?
ねぇ、いいですか、この質問に対して答えることは完全にあてずっぽうですよ。しかしながら、こういうことはいえます。全体的に云ってみて(by and large)、アメリカ政府は正しい人道主義からものを考えて筋道を追っていった、というよりも、損得勘定(expediency)から考えて、追っていったということです。

そしてこれが全て政府というものの普遍的原則だということです。(ここに、ナチスから逃れたハンガリー系ユダヤ人、シラードの深い絶望が見て取れる)

 戦争の前、私はアメリカの政府だけは違う、という幻想を抱いていました。この幻想はヒロシマの後(after Hiroshima)、完全に吹っ飛びました。ご記憶のこととは思いますが、1939年ルーズベルト大統領は、人が大勢住む都市に対して爆撃を加えることは、あまりに好戦的な行為だとして、警告を発しました。これがぴったりくるし当たり前だと思うんですよね。それから戦争の間、全く何の説明もなしに、日本の各都市に焼夷弾攻撃を募らせていきました。これが私を悩ませたし、多くの友人たちを悩ませたのです。
Q. それで幻想が終わった?
はい。これが幻想の終焉でした。でもね、分かってもらえますでしょうか、焼夷弾を使うことと、破壊を目的として自然の新しい力を使うことの間には、それでも大きな違いがあるんです。それでもこれを使うのは、はるかに大きい一歩なのです。原子力は全く新しいエネルギーなんです。破壊を目的として原子力を使うことはとても悪い先例を作ったと思っています。そうしてしまったことによって、戦後の歴史に大きな影響を与えることになったと考えています。』
『Q. もし日本に原爆を落とさなかったら、この世界はどのように変わっていたでしょうか?
もし日本に原爆を投下せず、代わりに示威行為で止めていたとしたら、また、その上、戦後われわれが本当に核兵器の世界から逃れたいと思ったとしたら、恐らくは、逃れることができたでしょうね。

シラードは知ってか知らずか、核兵器廃絶問題について論じている。今戦後60年を経た世界が、核兵器を廃絶できない根本原因はヒロシマに対する原爆投下にある、と言っているわけだ。シラードは思想的にも政治的にもヒロシマを解決しなければ、核兵器廃絶運動の出発点ができない、と言っているのに等しい)

 今、世界が善い方向に向かっているのか、どうなのか、私には分かりません。

シラードがこのインタビューを受けているのは1960年であることを想起せよ。)

 でも、もし(原爆投下がなかったとしたら)、この世界は今と全く違ったものとなったろうことは請け合います。
Q. 核兵器競争は避けることができた?
私は、核兵器競争は避けることができたと思います。イエスです。しかし、その他の政治課題では、ロシアとの軋轢は続いているでしょうね。
Q. もし、私たちが原爆投下をしなければ、ロシアは原爆や水爆をこんなに早く開発できたでしょうか?またヒロシマの後、ロシアが諜報活動や開発研究を通じてこんなに急いだでしょうか?
A. ロシアには、他の選択肢はありませんでした。彼らが開発を急いだのは、アメリカに核の独占を許したくなかったからです。』
『Q. アメリカ人は、原爆(投下)に対して「罪の意識」を感じているでしょうか?
A. 私は、それを「罪の意識」そのものとはよびません。ジョン・ハーシーの書いた「ヒロシマ」という本を憶えているでしょう。アメリカでは大変な反響を呼びましたが、イギリスではさっぱりでした。なぜ?

ジョン・リチャード・ハーシーはアメリカの作家・ジャーナリスト。北京生まれ。ピュリツアー賞を受けている。ヒロシマは原爆投下後ちょうど1年経った1946年のニューヨーカー・マガジンの8月号に掲載された記事。後に本として発行された。原爆の被害にあった6人の個人に焦点をあてて、その悲惨さをレポートしている。ハーシーについては次のURLへ:http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hersey。「ヒロシマ」については次へ:http://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshima_%28Hersey%29
     
それは原爆を投下したのがアメリカであって、イギリスではないからです。意識の下のどこかで、われわれは原爆のくさびを打ち込まれているのです。イギリス人にはこれが全くありません。でも私はそれをまだ「罪の意識」とは呼びませんね。
Q. この感情は、それが一体何であれ、実際上何かわれわれに影響をあたえているでしょうか?
A. 普段に働いている自己抑制に対する義務感にかかる力は大きいものがあります。われわれはこの義務感に照らして恥じない行動を取らなかったのです。曰く言い難いところで(in a subtle sense)、科学者の多くがこの感情に影響を受けています。このことが引き続き原爆の仕事を続けようという意欲を減退させているのです。
Q. ヒロシマは水素爆弾の開発に影響を与えましたか?
A. 5年は遅れた、と云っておきましょう。もし普段に働いている自己抑制に対する義務感が立派に全うされたとしたら、多くの科学者は引き続き原子力開発の仕事を続けたでしょう。実際には、多くがそうしなかった・・・。』
(「レオ・シラード・インタビュー<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/reo.htm>)

「ペリー報告」では「不使用の伝統は、アメリカの利益に役立つ。」と云っている。もし「不使用の伝統がウソでなく真実なら、それはアメリカにとってなにものにも代え難い「利益」となったであろう。しかし「不使用の伝統」はウソである。だからアメリカの「利益」も所詮「拵えごとのの利益」でしかない。

 オバマ政権が、「核兵器廃絶」を主導することは、「ヒロシマ・ナガサキ」を清算しない限り、あるいは「拵えごと」をしない限り、到底不可能である。