アメリカ合衆国大統領 バラク・フセイン・オバマの
プラハにおける演説(オバマ プラハ演説)

(全訳)
(*Remarks of Barack Hussein Obama, President of the United States of America)

2009年4月5日、チェコ共和国、プラハ、フラッチャニ広場にて
 (Hradcany Square、Prague, Czech Republic、April 5, 2009)

この演説は、英語原文テキストは各サイトで見ることができる。
たとえばホワイトハウス
 <http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-
Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered/>

駐チェコ・アメリカ大使館などである。
<http://prague.usembassy.gov/obama.html>
英語テキストは「バラク・オバマ大統領演説」としたものが圧倒的に多い。地名がプラハのため、「プラハ演説」とか演説をした場所をとって「フラッチャニ演説」とかの表記をしたサイトもある。従って私も単に場所をとって「プラハにおける演説」とした。
なお、アメリカ大統領Webサイト、駐チェコ・アメリカ大使館などの演説テキストは細かい部分で少しずつ違うようである。また更新で更に違ったりする。
私は駐チェコ大使館2009年4月5日12:50更新のテキストを使った。
2009年4月10日現在、インターネット日本語サイトでこの演説の全文訳が読めない。だから訳出することにした。
追加※ 私の探し方が悪くて、オバマのプラハ演説の日本語全訳が、インターネット上にあった。
駐日アメリカ大使館のWebサイトである。
<http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html
翻訳も正確で(あたりまえであるが)、こなれた日本語になっている。あるいはこなれすぎているといってもいいかもしれない。優れた翻訳なのでご案内しておく。(09年4月27日)

以下訳出である。




『 この素晴らしい歓迎をどうもありがとうございます。プラハのみなさんありがとうございます。そしてチェコ共和国のみなさんもありがとうございます。今日、ヨーロッパの真ん中にあるこの偉大なる街の中心に、みなさんと共にここに立っていることを私は誇りに思います。そして、私の前を歩んできた人たちになりかわって、ミッシェル・オバマ(*バラク・オバマの夫人のこと)をこの地につれ来たった一人の人間であることを誇りに思います。

 私のふるさとであるシカゴの街で、私はチェコの人たちが善隣の精神に優れまた、よき人間性をもった人たちであるかについて、何年もの間、驚嘆もし、また学んでも来ました。私のすぐ後ろにはチェコの人たちの英雄、トマス・マサリクの銅像があります。1918年、アメリカがチェコの独立の支持を固く約束した後、マサリクはシカゴで10万人以上と推測される群衆に語りかけました。私はマサリクの記録に比肩できているとは思えません。しかしマサリクのシカゴからプラハへの足跡をたどれたことを名誉に思います。 

 1000年以上にもわたって、プラハは他のどの場所の他のどの都市とも違っておりました。プラハは戦争と平和を知悉してきたのであります。プラハは諸帝国の興亡を目撃してきたのであります。プラハは芸術と科学の分野で、また政治と詩の分野で革命を主導してきました。こうしたことの全てを通じて、プラハの人々は、彼ら自身の道を追求することに固執してきました。そして自らの運命を決定づけてきたのです。そしてこの街、「黄金の街」(*The Golden City 大文字なっており固有名詞扱いになっている。)は、歴史の厚みをもちかつ若々しいこの街は、あなた方の不屈の精神の記念碑として屹立しているのです。

 私が生まれた時、世界は分断されていました。われわれ諸国は全く違った状況に直面していました。
(※ バラク・オバマは1961年、ハワイ州ホノルルのカピオラニ母子医療センターで生まれた。http://en.wikipedia.org/wiki/Barack_Obama 翌1962年10月キューバ危機が発生している。)

 誰か私のような人間がいつかアメリカの大統領になるだろうと予測する人は殆どいませんでした。アメリカの大統領がいつか、このようにプラハで聴衆を前にして語りかけることが許されると予測した人は殆どいませんでした。チェコ共和国が自由な国家になり、NATOのメンバーになり、統合ヨーロッパのリーダーになる、と予想した人は殆どいませんでした。このような考え方はすべて夢として片付けられていたことでしょう。

 「世界は変わらない」と人々に語る声を無視する十分な人たちがいたからこそ、今日われわれはここに集えたのです。

 「壁」のどちら側にいようが、また彼らがどんな風に見えようが、立ち上がって、危険を冒し、「自由こそすべての人たちにとって正しいことだ」という勇気があったからこそ、今日われわれはここに集えたのです。

 「プラハの春」があったからこそ、単純かつ基本的な自由と機会の追求が、戦車と人間の意志を抑圧するような戦車と武器に依存する人たちの顔を赤らめさせたればこそ、今日われわれはここに集えたのです。

 20年前、この街の人々が新しい時代の約束を求めて街頭を埋め尽くし、余りにも長い間否定され続けた基本的人権を要求したからこそ今日われわれはここに集えたのです。「Sametova revoluce」「ベルベット革命」(*1989年、共産党政権を倒した無血革命。日本ではビロード革命と呼ばれている。)は多くのことを私たちに教えてくれました。それは平和的な抗議が帝国の根幹を揺るがすことを、イデオロギー(*ここはan ideology と単数形になっているので、イデオロギー一般のことを指すと思う。)の空虚さを暴露し、示してくれたのです。小さな国でも世界的事件において決定的な役割を演じられることを示してくれたのです。そして若い人たちが、古くさい軋轢を克服する道を主導できることを示してくれたのです。そしていかなる兵器よりも近代人道主義的な道徳規範によるリーダーシップの方がより力強いことを証明して見せたのでした。
(※ 「近代人道主義的な道徳規範」は原文では単にmoral。「道徳によるリーダーシップ」では文意が尽くせない。)

 だからこそ、平和で一つに結ばれたそして自由なヨーロッパの真ん中で私がこうしてみなさんに語りかけているのです。普通の人々が、分断に橋が架けられることを、壁はこぼたれることを、平和は勝利することを信じたからです。

 アメリカとチェコが、猛烈な困難にもかかわらず(against all odds)、今ではいかなる事も可能だと信じるから今日ここに集えたのです。

 私たちは、この底通する歴史を共有しています。しかし今この世代―われわれの世代はじっととどまっているわけにはいきません。私たちにもまた、採るべき選択があります。世界の分断はかつてより小さくなっております。それで世界はかつてより相互に密接に結びつくようになりました。また物事の動きがわれわれの制御能力よりも早く動くようになっていることも分かって来ました。危機にあるグローバル経済、気候変動、依然として存在する古い葛藤からの危険性、新しい脅威や破滅的兵器の拡散・・・。

 これらに対する挑戦はいずれも素早くあるいは簡単に達成できるというものではありません。しかしこれらの問題はいずれも、お互いによく耳をかたむけあい、協働することを要求しております。たまたま生じている違いにではなく、われわれの共通した利益に焦点を当てることを要求しております。われわれを引き裂くいかなる力よりも強い共通の価値観を再確認することを要求しております。これが、われわれが続けなければならない仕事なのです。これが、私がヨーロッパに来てはじめなければならない仕事なのです。

 われわれの繁栄を新たにするため、われわれには国境を越えた連携が必要とされています。それは新たな雇用を生み出すための投資であります。それは、成長の道に立ちはだかる保護主義の壁に抵抗していくことであります。それは、濫用と将来の危機を予防する新たなルールを伴って、われわれの金融システムを変えていくことであります。そしてわれわれには、われわれに共通した繁栄と人道主義に対して、危機に瀕した市場や、最も苦しんでいる窮乏化した人々に手をさしのべる義務を負っております。ですから、今週の初め国際通貨基金に1兆ドルを越える資金を投入したのです。

 われわれの惑星を防衛するため、今やエネルギーの使い方を変えていく時です。手を携えて、世界が化石燃料に依存することを終わらせ、気候変動に立ち向かわなくてはなりません。そして、風力、太陽のような新しいエネルギー資源の口を開けなければなりません。そして全ての国々がそれぞれ自分のできることをすすめていなかくてはなりません。そして、この地球的努力において、合衆国は世界をリードする準備が整ったことを固くみなさんにお約束します。

 共通した安全保障を提供するため、われわれは同盟を強化しなくてはなりません。NATOは64年前、共産主義がチェコスロバキアを乗っ取った後、創設されました。その時自由世界は、分断を何とかできるには遅すぎたことを学んだのです。だからわれわれは世界がかつて知らなかったような最強の同盟を一緒に作り上げたのです。そしてわれわれは肩を並べ、毎年毎年、十年また十年と、鉄のカーテンが引き上げられるまで、奔流のように自由が拡散するまで共に立ってきたのです。

 チェコ共和国がNATOに加盟して10周年を迎えています。私は20世紀において何度も、諸決定があなた方抜きに交渉のテーブルでなされたことを知っております。大国はあなた方を無視しました。あるいはあなた方の声に耳をかたむけないままあなた方の運命を決めました。私は、合衆国はこの国の人々を2度とそのような状態に押し戻さないということを言うために、ここに来ているのです。私たちは共有の価値観、共通した歴史、そして辛抱強くわれわれの同盟を維持することで結びつけられています。NATOの第5条は明確に次のように述べております。一国への攻撃はすべての国への攻撃である、と。これは、われわれの時代の約束であると同時に全ての時代の約束です。

 チェコ共和国の人々は、アメリカが攻撃され、数千人がわれわれの土地の上で殺された後、その約束を守ってくれました。そしてNATOも応えてくれました。

 アフガニスタンにおけるNATOの使命は、大西洋の両岸に住む人々の安全にとって諸基幹(fundamentals)となります。われわれはニューヨークからロンドンまでを攻撃した、同じアル・カイダ・テロリストを標的とし、またアフガニスタンの人々がその未来に責任を取るのを助けることを目的としています。

 われわれは、われわれの共通した安全保障を象徴するように自由国家群が共同戦線を張ることができることを誇示しているのです。そして私は、あなた方に、この真剣な試み(endeavor)で、チェコの人々が犠牲を払っていることにアメリカ人が名誉に思っていること、またあなた方が払った損失に哀悼の意を表明していることを知っていて欲しいのです。

 いかなる同盟といえどもじっと動かないでいることははできません。どこからやってこようが、新たな脅威に対応する緊急事態対応諸策(contingency plans)をもつため、NATOのメンバーとしてわれわれは協働しなくではなりません。われわれは、国境のない危険に立ち向かうため、お互いに連携し合わなくてはなりません。世界中の他の諸国家や諸機関とも連携しなくてはなりません。

 そしてわれわれは、共通の諸課題についてロシアと建設的な関係を追求しなくてはなりません。

 そうした諸課題のうちの一つで私が今日焦点を合わせたい課題は、われわれの国家(*アメリカ。our nation)や世界の平和と安全にとっての基本問題、すなわち21世紀における核兵器の将来です。

 数千発の核兵器の存在は冷戦のもっとも危険な遺産です。

 核戦争はアメリカとソ連の間では行われませんでした。しかし幾世代にもわたって、たった一つの閃光が世界を消し去るという知見とともに生きてきました。幾世紀にもわたって存在して来たプラハのような諸都市は、もう存在できないかも知れないのです。

 今日、冷戦は消え去りました。しかし数千もの核兵器はそうではありません。歴史の奇妙な展開で、地球的な核戦争の脅威はなくなりつつありますが、しかし核攻撃のリスクは高まっているのです。

 さらにこれらの兵器を獲得した国も増えました。核実験は続いています。ブラック・マーケットは核の秘密(nuclear secrets)や核物質を取り引きしています。核爆弾を製造する技術は拡散しています。テロリストはそれを買い、製造し、盗もうと心に決めています。こうした危険を孕みつつ、われわれの努力は地球的な核不拡散体制へと収斂しているのです。しかしより多くの人たちや国家がこのルールを破るため、この体制を維持できない地点に到達しています。

 このこと(*前後の文脈からして“核不拡散体制”が揺らいでいること。)は、あらゆる場所のすべての人々にとって大問題です。
(※ 原文は This matters to all people, everywhere.)


 1発の核兵器が1つの都市で爆発するーそれがニューヨークであれ、モスクワ、イスラマバードであれ、ムンバイ、東京、テル・アビブ、パリ、プラハであれー数十万人の人々が殺されうるのです。そしてそれがどこで起ころうとも、地球的な安全、安定、社会、経済そして究極的なわれわれの生存にとって終わりのない結果をもたらすことになるでしょう。

 ある人たちはこれら兵器(*核兵器)の拡散はチェックし得ないといいます、そして、さらに多くの国々が、さらに多くの人々が、この最終破壊兵器を所有する世界で生きていくことを運命づけられている、といいます。

 この運命論は不倶戴天の敵です。( a deadly adversary)というのはもし、核兵器の拡散が不可避的だ、とわれわれが信じ込んでしまえば、次には、われわれが自身で核兵器の使用は不可避的だと信じることになるからです。

 20世紀において、われわれは自由のために戦いました。(stood for)それと同様に、21世紀では、いかなる場所においても「核の恐怖」から解き放たれて生きる権利を共に闘い取らねばなりません。核兵器を使用した唯一の核大国(the only nuclear power)として、アメリカ合衆国には行動する道義的責任があります。この真剣な試み(endeavor)にわれわれだけで成功することはできません。しかしわれわれはこれを主導することはできます。

 ですから(*アメリカには行動する責任があるから)、私は、核兵器のない世界に関する安全保障と平和の追求に関し、アメリカのコミットメントを、確信を持って明確に述べようと思います。この目標への到達は容易ではありません。おそらく私が生きている間ではないでしょう。それは忍耐と継続が伴います。しかし、いまやわれわれもまた、世界は変えられないとわれわれに告げる声を無視しなければなりません。

 第一に、アメリカは核兵器のない世界へむけて確固とした第一歩を踏み出します。

 冷戦思考(*Cold War thinking)に終止符を打つため、われわれの国家安全戦略における核兵器の役割を削減します。ミスを犯さないようにしましょう。これら兵器が存続する限り、われわれは、安全と保障を維持しますし、どんな敵であろうと彼らを抑止する(to deter)効果的な兵器庫を維持します。そしてすべての同盟国を、チェコ共和国も含んで、防衛することを保証します。しかし、われわれは兵器庫を削減する仕事を始めるのです。

 われわれの核弾頭と貯蔵(stockpiles)を削減するため、私は今年中にロシアと新たな戦略兵器削減条約(strategic arms reduction treaty)に関する交渉にはいるつもりです。メドベージェフ大統領と私はロンドンでこのプロセスを開始しました。そして二人とも今年の末までには、法的にも万全で十分大胆なあらたな合意を追求します。これは、さらなる削減の段階を用意するものとなりましょう。そして私たちは(*メドベージェフとオバマは)この真剣な試みに他の全ての核兵器保有国を含むものとして追求を行います。

 核実験の地球的禁止を達成するため、私の政権は即座にかつ前向きに(aggressively),包括的核実験禁止条約のアメリカにおける批准を模索します。50年以上の話し合いの後、ついに核兵器実験禁止の時がやってきたのです。

 さらにまた、爆弾(*核兵器爆弾)に必要な製造部分をカット・オフするため、合衆国は、核兵器の状態での使用を意図した核分裂物質(*回りくどい言い方だが、要するに兵器級核分裂物質)の生産に、検証可能な形で終止符を打つべく新たな条約の締結を追求します。もしこれらの兵器の拡散に止めることに真剣ならば、われわれは、核兵器製造を可能ならしめる、兵器級核分裂物質の生産に終止符を打つべきです。

 第二に、われわれは、共に、協力の基盤として「核不拡散条約」を強化します。この(*条約の)基本的取り決めは健全です。すなわちー、

 核兵器保有国は核軍縮をする。非核兵器保有国は核兵器を保有しない。そして全ての国は平和的核エネルギーを利用できる。

 この条約を強化するために、幾つかの基本原理を包摂しなければなりません。国際的な査察制度を強化するための権威当局(authority)とその資源がもっと必要です。ルールを破ったり、理由もなくこの条約を離れようとする国々に対する実効的ですみやかな結果をだすことが必要です。

 そして、「国際的燃料バンク」の構想を含む、民生用核協力に関するあらたなフレームワークも必要です。そして拡散の危険を増大させることなしに、諸国が平和的原子力を利用できるようになります。核兵器の廃絶を宣言した諸国、特に平和的(*核エネルギー開発)計画に着手したばかりの発展途上国にとって、それ(*核エネルギーの平和利用)は権利でなくてはなりません。ルールに従っている諸国の権利を否定するなら、いかなるアプローチも成功しないでしょう。気候変動との戦い、また全ての人々の機会を前に進めるわれわれの努力を代表するかのようにして、われわれは原子力エネルギーの平和利用を馬車馬の如く推進しなければなりません。(harness)

 いかなる幻想もなしにわれわれは前進しなければなりません。あるものはルールを破るでしょう。しかしだからこそ、いかなる国であってもルール破りをした時、その結果の直面することを確実にする機構が必要なのです。今朝、こうした脅威に対処するより新しくより厳格なアプローチが必要であることを再び思い起こさせてくれました。

 北朝鮮がもう一度ルールを破ったのです。長距離ミサイルに転用できる可能性をもったロケットの発射実験をすることによって。

 この挑発行為で、単に今日の午後の国連安全保障理事会の場だけではなく、核兵器拡散を防止することにおけるわれわれの決意においても、行動する必要性を強調せざるを得ません。ルールは厳守されなければなりません。違反は罰せられなければなりません。言葉は何か意味あるものでなくてはならないのです。世界は核兵器の拡散を防止するため共に立ち上がらなければならないのです。今や強い国際的対応をするべき時です。北朝鮮は、違法な兵器と威しを通じては、安全保障と尊敬の道は得られないと知るべきであります。そして全ての国家は共に、より鞏固で地球的な体制に来たり集うべきです。

 イランはまだ核兵器を製造していません。そして私の政権は、相互の利益と相互尊重の原則に基づいて、イランと何らかの交渉を持つことを模索します。そして明確な選択肢を提示していくつもりです。われわれはイランに対し、政治的にも、経済的にも、国際社会において(in the community of nations)、ふさわしい地位を占めて欲しいと考えています。われわれは、厳格な査察の基に、その平和的核エネルギー利用の、イランの権利を支持します。これがイラン・イスラム共和国の採る事のできる道です。さもなければ、イラン政府は国際的孤立と圧力を増すことになるでしょう。そしてこの地域における潜在的な核兵器軍拡競争は、全体としてこの地域の不安定さを増すことになるでしょう。

 はっきりいいましょう。イランの核と弾道ミサイルに関する活動は実際上、アメリカにとってだけでなく、イランの近隣諸国やわれわれの同盟国にとって脅威です。チェコ共和国とポーランドはこれらミサイルに対して防衛拠点となるという勇気を示してくれました。イランからの脅威が存在する限り、われわれは、コストにおいて優れ、実証済みのミサイル防衛システムを前進させるつもりです。もしイランからの脅威が消え去るのなら、われわれは、より安全保障にとってより鞏固な基盤を持つことになるので、ヨーロッパにおけるミサイル防衛システム建設を、現在時点では撤回するでしょう。

 最後に、われわれはテロリストが核兵器を獲得しないことを確かなものにしなければなりません。

 これは、地球的な安全保障にとって、もっとも喫緊の、もっとも大きな脅威です。1発の核兵器をもった1人のテロリストは大量破壊をもたらし得ます。(unleash)

 アル・カイダも爆弾の入手を明言しています。そしてわれわれも地球中に不安定な核物質が存在していることも知っています。人々を保護するために、一刻の猶予もなく目的意識をもって行動しなくてはなりません。

 今日私は、4年以内に世界すべての脆弱な核物質(*vulnerable nuclear material)を安全化する新たな国際的努力について明らかにしたいと思います。

 われわれは、ロシアとの協力関係で拡張する新たな基準を設け、これら敏感性物質(sensitive materials)に錠をおろしてしまうような新たな連携関係を追求します。

 われわれはまた、搬送中の(*核)物質を探知し、その流れを阻止し、ブラック・マーケットを粉砕する努力を構築しなければなりません。またこの危険な取り引きを壊滅させるべく、金融的手法も用いなくてはなりません。こうした脅威は長く続きますから、われわれは共に、われわれの努力を、「拡散に対する安全保障構想」<Proliferation Security Initiative-PSI>とか「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアティブ」<Global Initiative to Combat Nuclear terrorism-GI>といった永続的な国際機構に向けて傾注すべきであります。また来年中に合衆国が主催する「核の安全保障に関するグローバル・サミット」<Global Summit on Nuclear Security>を開催すべく始動すべきであります。

 このような幅広い協議事項に関して実施に移せるかどうか、疑問をもっている人たちもいることを、私は知っています。国家間の間に、避けがたい違いがあるにもかかわらず本当に国際協力が可能か、と疑う向きもあります。そして核兵器のない世界に関する話題を聞いて、達成不可能と見える目標を設定することに価値があるのかと疑う人もいます。

 しかし、間違わないようにしましょう。われわれは道がどこに続いているか知っています。国家や人々が、お互いの違いで規定されるというのであれば、お互いの溝は広がるばかりです。もしわれわれが平和の希求に失敗するなら、平和は永遠にわれわれの手から逃げていくでしょう。協力への呼びかけに消極的だったり、攻撃することは簡単ですし、またそれは臆病なことでもあります。戦争というものはそうして始まります。そして人類の進歩はそこで止まります。

 われわれが直面すべき世界には、暴力と不正義が存在します。私たちは、お互いにバラバラにではなく、自由国家として、自由な人々として、共にしっかり立って、世界に立ち向かわなければなりません。武器をとって立ち上がれという呼びかけは、静かに冷静でいようという呼びかけよりも、男たちや女たちの心をかき乱すことができることを私は知っています。しかしだからこそ、平和と進歩のためにする声を共に上げていかなければならないのです。

 そうした声は今でもプラハの隅々に谺しております。それらは1968年の亡霊です。それらはベルベット革命の喜びに満ちた響きであります。それらは、1発の銃弾も放たずに、核兵器帝国を屈服させるのに預かって力があったチェコ人です。

 人類の運命は、私たちが作りあげるものです。ここ、プラハで、よりよき未来に到達することによって、われわれの過去を名誉あるものとしましょう。われわれの分断に橋を架けましょう、われわれの希望を築きましょう、そしていま我々が見るよりもより繁栄し、より平和な世界と旅立つ責任を受け入れましょう。ありがとうございました。