(2010.1.4)

投機業者さんへの返信

「FRB」に関する追加・訂正・・・・・・・・2010年2月15日

 この記事の中で、私は「FRB」を和製英語らしい、と書いた。その後ある英語の資料を読んでいて「FRB」という表現にお目にかかった。ただし、「the FRBs」と使ってある。関係箇所を引用すると、“…by other Federal agencies held by Government accounts , the FRBs and private investors.”である。こういう形なら確かにあるな、と思った。この場合のFRBは連邦準備制度や連邦準備制度理事会のことではなくて、その下部組織の全国で12ある地区連銀をさしている。”Federal Reserve Bank of New York” のように。これだと確かにFRBだ。連邦準備制度や理事会をFRBという事はないけど、FRBが和製英語でないことも確かだ。日本語Wikipedia「連邦準備制度」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E
9%82%A6%E6%BA%96%E5%82%99%E5%88%B6%E5%BA%A6
>を見ると、

連邦準備制度(れんぽうじゅんびせいど、Federal Reserve System, FRS)はアメリカ合衆国の中央銀行制度を司る企業体で、ワシントンD.C.にある連邦準備制度理事会 (Board of Governors of the Federal Reserve System または Federal Reserve Board, FRB) が全国の主要都市に散在する連邦準備銀行 (Federal Reserve Banks, FRB) を統括する組織形態を特徴とする。英語では主に the Fed と略称する。
日本での略称は FRS だが、実際には連邦準備制度と同理事会はあまり区別されずに両者とも FRB と呼ばれることが多い。」

と書いてある。しかし実際、理事会をFRBと略した記述は英語資料ではあまりお目にかからない。あるのかも知れない。でも地区連銀をFRBと表現するは、確かにそうだ。だから、「FRBが和製英語らしい。」というのは聞きかじりの誤りで、訂正したい。


【T】

 メールを頂き誠にありがとうございました。大きな励みになります。

 私の問題意識は、「広島への原爆投下はなぜ行われたのか?」が出発点でした。そしてそれは「広島への原爆投下は現在の核兵器を巡る状況といかなる関係にあるのか?」という問題意識へと発展しました。この問題を調べ研究して行くと実に様々な問題意識が私の中に生まれました。

 そうした問題意識の中の一つが「アメリカ経済」でした。「アメリカ経済」と「核兵器廃絶問題」がいかなる関係にあるのか、いぶかしがる向きもあるかも知れませんが、それは後に述べる私の仮説と関連があります。ともかく、こうしたことでまずアメリカ経済とはいかなるものであるかを調べることにしました。現在「アメリカ経済」を調べることは、アメリカ経済を支配するものを調べることとほとんど同義です。こうして「外交問題評議会」に行き着きました。

【U】

  ところで私の手法は、既存の学者、研究者とは少しく違っているのかなと思います。それは私がいかなる問題についてもアマチュアであることと関連があります。私はあらゆる分野においてアマチュアです。私が曲がりなりにも、自分でプロだと自称できる分野は「哲学」だけではないかと思います。ご承知のようにかつて「学問の女王」だった哲学は、近世以降様々な自然科学、社会科学の学術分野に分化独立し、20世紀に入って「心理学」が直近の独立を果たした後は、いまや哲学分野として残っているのは「哲学史」だけではないかと思います。しかしだからといって「哲学」が死んだわけではありません。「哲学」は「物事の本質」を見極める学問として、現在に至るも極めて有効であります。「哲学」といっても、分類するとすれば「マルクス主義哲学者」ですから、まず理念や概念が先行するのではなく、「現実」「事実関係」が先行します。そうした「現実」「事実関係」の分析から「事象の本質」を把握しようとするわけです。ここがアマチュアの強みであり、また当然のことながら弱みであります。「強み」というのは、経済の分野でも政治の分野でもプロが存在し、先行研究やその実績がありますが、アマチュアは頭からそれらを無視する事が出来ると言う点です。特に政治や経済の分野では、特徴的な事象があります。それは第二次世界大戦以降、政治・経済の分野が学術界、マスコミ界まで含めて巨大なプロバガンダ組織に肥大していったということです。「先行研究」や「実績」の中にはこうしたプロバガンダが相当入り混じっています。(今にして思えば、フリードマンやハンティントンなどはこうしたプロバガンダの典型例だといえましょう。)

 厖大な政治学や経済学の先行研究や実績の中から、プロバガンダとそうではない研究を見極めていくのは相当骨です。不可能といってもいいかもしれません。それよりも「哲学的手法」を使って自分の問題意識を進化させ、「事象」を把握し、その本質を摘出していく方が得策だと私は考え、その方法を採ったわけです。

【V】

 こうした方法論から作成した記事が、貴殿のような投機業者の参考になるというのが、おかしくもあり、不思議な感じもしましたが、よく考えてみると私たちは実は同じ方法論を採らざるをえないのだと云う事に気がつきました。「投機」は一種のギャンブルです。ではギャンブルに勝つ確率はどのくらいなのでしょうか?丁半ばくちを考えてみると、50%の確率で勝ち負けが決まります。つまり勝ち負けの確率が半々の時にギャンブルが成立するわけです。「投機」を「ギャンブル」のレベルに、すなわち5分5分の蓋然性のレベルにまで引き上げることが「投機家」の腕の見せ所でしょう。5分5分の確率にまで引き上げれば、あと投機家にとって必要な事は「決断力」と「適切な手元資金」だけということになります。従って投機家は、自分のギャンブルが5分5分の蓋然性があるかないか、情報収集と分析に没頭します。

 現代の投機家は、従って、世の中を一定方向に誘導しようとするプロバガンダに耳をかしているわけにはいきません。また従ってプロパガンダにまみれた学者、研究者や政治家の意見やそのおこぼれでメシを喰っているマスコミ(ここではジャーナリズム一般を指しているのではありません。自ら体制と一体化した、利益共同体としての支配的マスコミを指しています。)の言論や報道を参考とするわけにはいきません。これに頼っている限り、自分の投機は「ギャンブル」のレベルにすら引き上げる事ができないのです。この場合投機家はどんな方法論を取る事ができるでしょうか?いうまでもありません。自らが意識するとしないとに関わらず、彼もまた事実のみを唯一の根拠としてこれを分析し、自ら結論を下す「哲学者」たらざるを得ないのです。目的は異なるにせよ、方法論としては私と全く同じになります。もし私の記事が投機家の参考になるのだとすれば、それは私にとって名誉なことでもあります。

【W】

 さて効能書きが随分長くなりました。先ほど触れた私の仮説について述べます。

 仮説の出発点は、この世界を自らの利益に合致するよう体制を作り、世界の世論をその方向に誘導しようとする勢力があるのではないか、という疑いです。(しかし今やこの疑いはもしかすると地球上の多くの人々にとって仮説以上のものがあるかも知れません。)私がこのことに最初に気がついたのは、「広島への原爆投下がなぜなされたのか?」というテーマを調べている時でした。

 多くの学者・研究者がこのテーマについて研究しています。代表的には、「日本との戦争を早期終結させるためだった。」という回答です。しかしこの回答は辻褄の合わない点をいくつか含んでいます。第一にこの主張が大きくクローズアップされるのは、原爆投下から1年近くたった1946年からです。それまでもこうした論調がアメリカ政府部内になかったわけではありませんし、実際にそう考えた人もいました。原爆投下前夜、原爆投下クルーに対してそのような教育が行われた形跡もあります。しかしトルーマン政権中枢は、残っている第一次資料を素直に読む限り、日本に対する原爆の使用が戦争終結の決め手とは考えていませんでした。彼らは「戦争終結の決め手はソ連の参戦」と「日本の天皇制存続の承認」(当時の日本の言い方では国体護持)の2点、と極めて正確な分析をしていたのです。しかもこのうち「日本の天皇制存続」は戦後占領政策のコストと成果を考えても、アメリカの支配階級にとって有利な政策でした。また実際に日本の降伏は、主として上記2点を中心軸に実現しました。決して広島・長崎への原爆投下(日本への原爆使用)が主たる要因ではありませんでした。にも関わらず、その後「トルーマン政権が原爆を投下したのは戦争の早期終結のためだった。」という議論はアメリカの主流の論調になって行きます。その後この議論は、「戦争を終結させた原爆は結果として多くのアメリカ人将兵の生命を救った。」「そればかりではない。日本の軍人や民間人の命を救った。」という議論に発展していきます。こうした議論は政治家、歴史学者、政治学者、それから新聞・雑誌・ラジオなどの主要なマスコミ、後にはテレビも参加して形成されていきました。そしてそれは「原爆は平和のための兵器」という議論に発展していき、「核抑止論」と相俟って「核兵器製造保有」を正当化する論拠になっていきます。これはアメリカの学者・主要マスコミを総動員したキャンペーンでした。この過程を調べているうちに、先ほど申し上げた、「この世界を自らの利益に合致するよう体制を作り、世界の世論をその方向に誘導しようとする勢力」があるのではないか、と思うようになったのです。

 話はちょっと横道に逸れるようですが、「原爆は戦争の終結を早めた。」という議論の立て方そのものは、なにも原爆投下の時がはじめてというわけではありません。この議論が原爆以前に現れた例としては戦略爆撃(無差別爆撃)を正当化する議論があげられます。第二次世界大戦の初期、イギリスに較べると、アメリカは戦略爆撃には極めて慎重な姿勢で臨みました。戦略爆撃は戦闘員や軍事施設だけでなく、女性・こども、老人を含む多くの一般市民を殺傷する、無差別爆撃だからです。第一次世界大戦後の国際的な規則(空軍規則)では、一般市民に対する空爆は非人道的として戦争犯罪に分類していました。この約束事を無視したのは、最初は枢軸国でした。代表的には、第二次世界大戦の初期に発生したスペイン内戦で、ナチス・ドイツ軍とフランコ・ファシスト政権が行ったゲルニカ空爆、イタリア・ムッソリーニ政権が行ったエチオピア空爆、また天皇制日本が行った重慶空爆があげられましょう。当初アメリカ大統領ルーズベルトは、これらを「非人道的な犯罪行為」として非難していました。イギリスやアメリカがこうした戦略爆撃に大きく方向転換をするのは、ドイツや日本が劣勢となり、連合国がそれぞれの地域から、直接空爆が出来るようになってからです。代表的には、ベルリン空爆、ドレスデン空爆、それから45年3月の「東京大空襲」などが代表的です。

 ところで私は「空爆」と「空襲」を区別して使っています。これはなにも私の独創なのではありません。一部の真面目な歴史学者や研究者の人たちが、「空爆」と「空襲」を厳密に分けて使っており、私も妥当だと思ってそれに従っているに過ぎません。いうまでもなく「空爆」は「空から爆弾を落とす側」から見た言い方、「空襲」は「空から爆弾を落とされる側」からみた言い方、ということです。ですから「空襲警報発令」とは云いますが「空爆警報発令」とは決して云いませんし、「東京大空襲」と日本人は云いますが、「東京大空爆」とは決して云いません。またベトナム戦争の時に「ハノイ空爆」と言葉が新聞の見出しに踊りましたが、これは爆弾を落とす側から、すなわちアメリカから見た言い方だとすぐに分かります。

 話が横道にズンズン逸れていって申し訳ありません。アメリカ・イギリスなど連合国側が戦略爆撃(無差別空爆)を正当化する理屈として使ったのが、先に見た「戦争を早期終結させる」という理屈でした。「戦略爆撃(無差別爆撃)は、戦争を支える一般市民の戦意を失わせる。そして自国政府に戦争をやめるよう迫る事になり、結果戦争終結を早める。またその結果として多くの自国の将兵の命を救う事になる。」という理屈です。「原爆正当化理論」とまったくうり二つです。

 戦後、ナチス・ドイツを厳しく裁いたニュルンベルグ裁判でも、連合国側は「ゲルニカ爆撃」を戦争犯罪の訴因としてあげることが出来ませんでした。また極東裁判でも「重慶爆撃」を厳しく追及する事が出来ませんでした。これを戦争犯罪として取り上げれば、それはそのまま連合国側に降りかかり、「広島・長崎への原爆投下」を最大の戦争犯罪の一つとして取りあげざるを得なかったからです。つまりもっとも悪辣な戦争犯罪の一つである「無差別爆撃」「空からの一般市民を狙った機銃掃射」はひとことでいえば免罪されたのです。

 このことは後々、「空爆」は戦争犯罪ではないという風潮を生む事になりました。朝鮮戦争の時、ベトナム戦争の時、大量の爆弾が雨あられと降り注がれながら、これを戦争犯罪として指弾する力は弱かったといわざるを得ません。ちょうど1年まえに行われたイスラエルによる「ガザ空爆」は、近年まれに見る悪辣な戦争犯罪でした。イスラエルは人々を「ガザ地区」という檻に囲い込んでおいてから、空爆を行ったのです。それは一言で云えば、「ガザ地区パレスティナ人皆殺し政策」でした。その発想においてナチス・ドイツがユダヤ人・ロマ人・精神障碍者・同性愛者・身体障碍者などを対象に行った「ホロコースト」とまっすぐに連なるものでした。

 そろそろ話を元に戻さないとこれ以上先を読んでもらえない恐れがあります。

【X】

  「原爆投下正当化論」が「核兵器製造保有正当化論」に発展成長する中で、私は、政界・経済界・学界・国際組織・マスコミなどありとあらゆる勢力を総動員して、自分たちの利益のためだけに世界を一つの方向に誘導しようとする支配者層が存在するのではないか、と思うようになりました。(なにやら「陰の世界政府陰謀論」めいて、気が引けるといえば引けるのですが・・・)

 そうした仮説を立ててもう一度世の中を眺めてみると、いろいろなことがうまく説明がつくように思われるのです。

 まず私の今までの立場から、もっとも訝しく思えたのが、最近のアメリカ支配層の唱える「核兵器廃絶論」です。もっともアメリカの大統領で核兵器の廃絶を唱えたのはオバマがはじめてではありません。しかし最も劇的な形で世界に訴えたのはやはりオバマでしょう。しかし、よく見るとそれには伏線がありました。2006年1月、アフガン戦争、イラク戦争、そして巨大な財政赤字に苦しむジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権は、ホワイト・ハウスに歴代の国務長官・国防長官経験者を集めて会議を行いました。そしてそれからちょうど1年後の07年1月、彼らのうち4人が「核兵器のない世界」と題する論文を発表し世界を驚かせます。同じ4人が08年1月に今度は「核のない世界」と題して、ほぼ同様な主張を行います。

 その趣旨は、「冷戦時代は終わった。アメリカにとっての敵は共産陣営ではなく、テロリストである。テロリストの手に核兵器がわたらないようにしなければならない。このためには核兵器の不拡散だけではなく、核分裂物質や核技術が最重要な課題となる。」というものでした。良く読むと、「核兵器の廃絶」を謳いながら、それは「すべての核分裂物質や核技術の不拡散」を訴えるものであり、核技術の平和利用を含めて核技術と製造の不拡散を狙ったものでした。その年の外交問題評議会の機関誌「フォーリン・アフェアーズ」は、11月・12月合併号で「ゼロの論理」という表題の論文を発表し、4人の元高官の論文を理論的に補強しました。その直前09年秋、「リーマン・ショック」を表面のきっかけとしてアメリカの支配層は「アメリカ金融経済」を破綻させます。いつの間にかアメリカ経済は実体経済の裏付けに乏しい詐欺的金融経済でその表面を糊塗していましたが、もう限度と見たということができます。かつて世界一の最先端工業国アメリカは、金融資本が完全に支配する国になっていました。そして強面ブッシュに替わって、ソフトなオバマが大統領に就任し、09年4月プラハで演説を行います。いや、実にめまぐるしい動きです。

 オバマの演説もよくよく中身を検討してみると、「核兵器廃絶」を具体的な目標として語ったのではなく、テロリスト対策としての「包括的核不拡散」がその主張の中身でした。さらに良く読むと肝心のテロリストは段々影が薄くなり、平和利用の核分裂物質の製造からはじめて核を扱う技術まで含めて「核先進国」―その頂点にアメリカが君臨しますーが今後独占しますよ、という点に力点がおかれていました。

【Y】

 こうしてオバマ政権の「核政策」の本質は、「将来の核兵器廃絶実現」にあるのではなく、「核不拡散」にあることがあきらかになってきました。しかも歴代政権の政策が「核兵器不拡散」に力点がおかれていたのに対して、オバマ政権では「平和利用の核分裂物質、すべての核製造・管理技術の不拡散」に拡大したのが大きな特徴でした。先ほども紹介した「ゼロの論理」の中では早くもこの体制を「包括的核不拡散体制」(Comprehensive Nuclear Nonproliferation Regime)と呼んでいました。オバマが大統領に当選する直前でした。また、この論文の中では「包括的核不拡散体制はアメリカが主導しなければならない。そのためにはロシアとの思い切った核兵器削減交渉を行わなければならない。これは包括的核不拡散体制を主導するアメリカの権威を高めるためである。」とも主張していました。この主張は決して、将来の核兵器廃絶を睨んだ削減交渉ではなく、「核兵器廃絶」を看板に掲げて、「包括的核不拡散体制」を推進するためです。もう少し云えばアメリカの主張する「包括的核不拡散体制」に説得力と権威を与えるためでした。

 わかりやすく云えば、世界中に戦争をまき散らしたブッシュが何を言っても説得力はないが、オバマなら説得力があるという事でもあります。こうしてオバマは、地に墜ちたアメリカの威信、民主主義・人道主義のチャンピオンの座を再び奪回するための大統領として華々しく登場したわけです。アメリカの支配層は、全世界のマスコミを総動員して「若き黒人大統領オバマ」の提灯持ちをさせました。こうしてオバマは、一時世界の救世主のようにもてはやされました。ノルウェイのノーベル賞委員会は、オバマにノーベル平和賞を贈って提灯持ちに錦上華を添えたのであります。(今日は2010年1月1日ですが、このオバマの厚化粧も徐々に剥がれつつあるように見えます・・・。)

【Z】

 とここまでは仮説以上のものがあります。オバマはさておき、アメリカの支配層は、「核兵器廃絶」を高々と看板に掲げ、何故こんな手の込んだドラマを演じなければならなかったのか?

 私は、その回答はアメリカ経済そのものの中にあるような気がしています。アメリカの支配層の本質は国際金融資本です。金融資本は産業資本に健全な投融資を行う限りにおいては資本主義社会において一定の価値創造を行いますが、自己増殖の過程の中でその本来の機能を失い、そのかわりに「利潤の極大化」と「自己増殖」を目的化していきます。「目的」「手段」「結果」という3つの言葉を使って表現すれば、本来は「結果」であったものが「目的」に転化し、この過程で「手段」の倒錯化現象が起きるわけです。この時点で金融資本は産業社会の寄生虫に転化していきます。そしてその寄生虫が産業社会を乗っ取る形で支配をはじめます。その産業社会の中で、実体経済への投融資の余地があれば、金融資本はまだ健全な発展を遂げますが、その余地がなくなったところでは、厖大に蓄積された金融資本は、産業資本にではなく、極大利潤を求めて「金融」そのものに向かって行かざるを得ません。金融のための金融ということになりましょうか。極くわかりやすく例えて云えば、さして利潤の見込めない製造企業に貸し込むよりも、デリバティブ商品に投融資した方が得策、ということです。こうなると金融資本はもっともたちの悪い、権力を掌握した社会の寄生虫となって行きます。しかしこれはいつか破綻します。こうした「金融のための金融」は、産業社会に新たな価値創造を行わないからです。落語の「花見酒」にちょっと似ています。08年に発生した世界金融危機、世界同時不況は、こうしたアメリカの支配層=国際金融資本の行き詰まりが露呈したものではないでしょうか?住宅・不動産投機市場の破綻、デリバティブ金融商品投機市場の崩壊は4−5年前からインターネットの世界では説得力を持って語られていましたので驚きはしましたが、ああやっぱりかという思いもありました。それより吃驚仰天したのは今まで実体経済の一部と思っていた分野、典型的には自動車産業ですが、金融で底上げされた架空の需要を取り去って見ると実際、2/3の規模だったと知った時です。極大利潤を求める金融資本はそこまで実体経済を蝕んでいたのです。私が調べていない分野、たとえば航空機産業、エネルギー資源開発産業なども想像ではもっとひどい底上げが行われているのではないでしょうか?

 このことはアメリカの労働人口の内訳を見ると端的にわかります。労働人口の80%までがサービス部門に従事しており、鉱工業部門には20%足らず、農業・林業部門では1%以下という比率です。雇用から見るとアメリカの産業社会はやせ細っていたのです。

 アメリカの国際金融資本からみるとこれは困った事態です。いざ実体経済に投融資しようとしてもアメリカ国内には、対象がないのです。もともと国際金融資本とは多国籍企業であり、多国籍企業とは要するに無国籍企業です。忠誠を尽くさせる国家はあっても、自分たちが忠誠を尽くすべき国家などは存在しません。だからアメリカ国内に投融資すべき実体経済がなくても困らない、ということは理論的にはその通りです。しかしアメリカ以外に彼らの旺盛な食欲をみたす市場が、世界のどこにあるでしょうか?アメリカの支配層(ここではアメリカ帝国主義勢力という言葉を使っておきます。)の裏庭といわれたラテン・アメリカ諸国もそれぞれが自立し、いまや云う事を聞いてくれる政権はコロンビアくらいではないですか。一昔前のアメリカ帝国主義であれば、かつてのチリのアジェンデ政権を倒したように、ボリビアのモラレス政権などは簡単に倒して、厖大なリチウム資源を手に入れたはずです。しかしモラレスはこのリチウム資源をボリビア国民のために使うと宣言して、大統領に再選されました。アメリカ帝国主義は現地の支持者を使ってボリビアを内戦状態の国にしようとしているようです。つい先日南米を旅行中の私の若い友人からメールが入り「ボリビアは殺気立っている。」と云っていました。しかし、「殺気だった」ボリビアの状況も長くは続かないでしょう。今やラテン・アメリカは反米の牙城です。

 ヨーロッパは国家連合の形から、今や史上初めてといっていい地域主権国家の創設に向かっています。ナポレオンが近代国民国家を創設して以来の試みという事になるでしょう。アジアは中国を中心にした軸とASEAN連合を中心にした軸と2つの軸が存在し、2つの銀河が急速に引き合いながら一つの銀河を形成するように、一つの軸に収斂しつつあるように見えます。ロシアは、上海協力機構に代表されるように、中国との連携を念頭に置きながら旧ソ連のいくつかの国と連携を強めて行くように見えます。中東はかつてのアングロ・サクソン・ブロック支配の時代は完全に終わり、トルコとイランが中心軸となりつつあるように見えます。かつてのアメリカ帝国主義の面影はいまやまったくありません。

 かといって今更、デリバティブ商品に代表されるような投機的「花見酒資本主義」に戻るわけにも行きません。アメリカの国際金融資本は、内実はともかく、表面的にはかつて資本主義が健全だった時代の、実体経済に投融資する銀行業に回帰するしかありません。

 アメリカの国際金融資本にとって、無国籍企業と雖も、アメリカ市場の中に投融資できる実体経済の再構築が、こうして緊急の課題となってきたのです。

【[】

 こうした状況の中で、アメリカの支配層が選択できる道は三つあるように思われます。一つは帝国主義の体制のまま、あらたに有望な実体経済(新規有望産業)を創造する事。ただし、この場合この産業は彼らにとって有利な体制、言い換えれば極大利潤を保証する体制でなくてはなりません。二つ目は世界を「常時戦争経済」にしてしまうこと。戦争は絶対的に供給不足状態を創り出します。産業資本やそれを支配する金融資本にとってはとても都合のいい体制です。また国家は収入を度外視した支出を強いられますから、国家を借金漬けにして、そこから黙って金利を吸い上げられます。コストがかかりませんからおいしいビジネスです。現在にあてはめていえば、世界の「アフガン化」「イラク化」ということになりましょう。三つ目は、健全・対等な投融資を世界に対しておこなうこと。しかしこれには、彼らがもっとも避けたい条件がつきまといます。つまり「極大利潤」の保証がまったくありません。必然的に帝国主義的政策は必要なくなります。私には、アメリカの支配層は二つ目の選択を睨みつつ、一つ目の選択を取ろうとしているように思えます。二つ目の選択はまったくなくなったわけではありません。すなわち「イラン・イスラエル戦争」です。これは必然的に「中東大戦争」の様相を帯びます。ここ近年のイスラエルをみていると常軌を逸しています。一連の中東戦争に連戦連勝だったためのぼせ上がっているのでしょうか。パレスティナ人をゲットーに閉じこめ皆殺しを計画しているのでしょうか?イスラエルが怖いのは、常軌を逸している上に核兵器を保有している事です。良識のある多くのユダヤ人は本当に心配している事でしょう。

【\】


 仮にアメリカの支配層が第一の選択をしつつ、有望で彼らに大きな利益と支配力を保証する新たな産業分野構築を構想しているとみましょう。そして「核兵器廃絶問題」をこの視点から眺めてみる事にしましょう。2010年元旦のダボラ話として聞いてもらっても結構です。

 彼らの前には「原子力発電市場」が有望な投資に値し、しかも彼らの大きな利益を保証する新規大規模市場として映る事でしょう。つい先日アラブ首長国連邦と韓国受注グループの間に原子力発電プラントの契約がまとまりました。原子力発電4基の製造で約200億ドル、受注グループは建設後20年間の間に更に200億ドルの需要が発生すると見ていますので、合計すると約400億ドルの大型商談という事になります。韓国の新聞はいずれもこの“快挙”を一面トップで報じました。韓国受注グループの背景には日本の東芝がいます。東芝の背後にはGEがいます。そしてGEの背後にはニューヨークに本拠をおく国際金融資本がどっかり座っていることでしょう。

 さてここでの問題は、「今後20年間で見込まれる新たな200億ドルの需要」とはなにかと言う点です。この中には、原子力発電所運営費用、保守管理費用、発電用燃料、発生する放射性廃棄物の処理費、その他もろもろ原子力発電運営に必要な費用が一切含まれている事でしょう。アラブ首長国連邦は、金を出し、原子力発電所から生み出される電力を消費するだけです。まさにこれがアメリカの支配階級の描いている「原子力発電市場の姿」です。

 しかしこれだけでは十分ではありません。アラブ首長国連邦と韓国グループが契約したような形態が今後世界中で発生する保証が必要です。それにはどうするか?一部の核供給国―約40カ国あったと思いますが、原子炉まで自前で製造できる国となると20カ国足らずになりますーをこれ以上増やさない事です。韓国はアメリカから技術導入して原子炉を国産化しました。日本も主としてアメリカの技術で原子炉を国産化しました。ウラン燃料を濃縮できる国となるとぐっと減ります。発電用ウラン濃縮を行っているのは、アメリカ、イギリス、ロシア、中国の他は、フランスを中心とした連合体、イギリス・オランダ・ドイツを中心とした連合体、それに日本だけです。日本は例の青森県六カ所村にその工場がありますが、生産量から見るとまあ、申し訳みたいなものです。とても国内需要をまかなう規模には達していません。ウラン濃縮の方が原子力発電所製造よりもハードルが高いことがおわかりでしょう。

 国際エネルギー機関(IEA)という組織があります。国連の下部機関のように思われがちですがそうではありません。加盟国は30カ国ほどです。欧米中心の世界エネルギー問題シンクタンクといっても言い過ぎにならないでしょう。キッシンジャーの提唱で作られたと云えばこの機関の性質がおおよそ推測できるでしょう。IEAは、世界の人口増に対応するため今後2050年までに約1500基の原子炉が新たに必要だという報告を出した事があります。逆に言えばこれは、2050年までに1500基の原子炉を作るぞ、ということになります。まあ、一般企業でいえば、「長期営業目標」みたいなものです。

 韓国グループが受注した金額とその運営にかかる費用(20年間)を合算した金額は400億ドルでした。これが4基分でしたから1基分大ざっぱに言って20年間で100億ドルかかるということになります。決して直ちにこういう計算は成り立たないと思いますが、1500基X100億ドルはいくらになるでしょうか?原子力発電市場は、国際金融資本とそれを支持する勢力にとって「バラ色の未来」なのです。繰り返しになりますが「このバラ色の未来」とそこから発生する厖大な利益を確かなものにするには、「核関連製造能力」と「技術」をこれ以上広がらないにすることが重要です。アメリカのオバマ政権の「核政策」の本質がここにありますし、「イラン核疑惑問題」の本質もここにあります。NPTの精神がどうあれ、イランは自ら核燃料の濃縮をしてはならない国なのです。アラブ首長国連邦同様、核先進国が供給する原子力発電能力をただ購入して、電力を消費するだけの国でなければならないのです。

【]】

 貴殿が関心をもって居られるアメリカ経済との関係でいえば、原子力発電市場はアメリカ経済にとって新規有望市場ということができるでしょう。アメリカの支配層(国際金融資本)はこのほかにもいろいろ新規有望市場を創造しようとしています。ご参考までに外交問題評議会のニューズレターを購読されることをお薦めします。無料です。http://www.cfr.org/about/newsletters/editorial_detail.html?id=1787から申し込むことができます。外交問題評議会自体が巨大なプロバガンダ機関ですから、彼らの主張から世の中をどの方向に引っ張って行こうとしているのか読み取るには一定の翻訳作業が必要であることは間違いありませんし、彼らの主張は多くの場合、非常に息の長い遠い将来を見通した計画から生じていますので、明日の投機情報が析出できるというわけではありませんが、非常に有益です。中には底の浅い、短期的なものもあります。「豚インフルエンザ」(日本では新型インフルエンザと言い替えていますが、英語の世界では依然としてSwine Fluです。)がそうでしょう。ひどく力をいれるなと思っていたら、アッという間に国際機関や各国政府、大手マスコミを動員して大キャンペーンが張られました。世界中の人々が半分近く豚インフルエンザにかかってばたばた死人がでるような騒ぎです。恐らく製薬会社がワクチンを作って各国政府がそれを購入したら騒ぎは収まると思います。外交問題評議会には「企業会員」があって、250社が会員になる事が出来ますが、グラクソ・スミスクライン、メルク、ファイザーの少なくとも3社が会員です。本当に怖いのは粗製濫造されたワクチンによる副作用だと思います。

 アメリカ経済ということでは、「花見酒経済」に失敗したアメリカの国際金融資本が、本格的に投融資が出来る実体経済の再構築に取りかかった、その一つが原子力発電市場である、ということになりましょう。そしてその原子力発電市場」からあがる利益を極大化するために一部の核先進国の独占状態を保証する努力が始まったと見るべきでしょう。この一部の核先進国の独占状態を保証する体制を政治用語で表現すると「包括的核不拡散体制」という事になります。「すべての政治的問題は最終的に経済的問題に翻訳できる」というテーゼを信ずるなら上記のようになりましょう。

 こうして見るとアメリカを始めとするヨーロッパ核先進国が、なぜあれほど「イラン核疑惑問題」に固執するのかがよくわかります。イランが自前で原子力発電技術とノウハウの国産化を認めてしまえば、その意志と能力を持つ他の諸国に持つなといえなくなります。逆にイランを潰せば、「独占状態」に向けて大きな歯止めです。そのチャンピオンがアメリカであり、その旗振り役がオバマということでしょうか?ただどうでしょうか。ラテン・アメリカ諸国や東南アジア諸国、中国、ロシアの台頭状態を見ていると、かつてのアングロ・サクソン・ブロック支配と威しがどこまで成功するか。これまでこれら諸国(世間の言い方に習って「新興国」と以後呼ぶ事にしますが。)がこれまでアングロ・サクソン・ブロックのいうことを聴いてきたのは、政治的・軍事的威嚇というよりも経済的威嚇でした。欧米諸国の経済的威嚇もその経済的凋落に伴って、威嚇にもかげりが出てきています。早い話、イランに経済制裁といった見たところでそれを忠実に守っている国は日本くらいなものでしょう。ロシアは早くからイランに進出し、今や中国を押しのけてイランの原子力発電市場を独占しているといっても過言ではないでしょう。資本不足と技術不足からイランはその地下資源の有効利用が出来ないでいますが、外資導入のプロジェクトを発表するとドイツ企業が、それからフランス企業がすり寄って来る有様です。ガソリンは今中国がイランに一手供給していますが、アメリカ自体が議会の承認を得て、イランに対するガソリン禁輸を解く、という有様では。

 中国の人権問題批判にことさら熱心なフランスですが、「じゃフランスからものを買わない」とぴしゃりとやられると、サルコジはすぐ下手に出ざるを得ないというありさまです。新興諸国はとにかく経済力をつけてきています。この経済力を背景に発言力を高めているというのが実情でしょう。これまで通用してきた「威嚇」はもうあまり力を持たないと思います。

 アメリカの支配階層が、投融資できる産業構造を創り出そうという努力は、もちろん原子力発電市場だけはありません。全米新幹線計画とか、国民皆保険制度とかいろいろ見えてきます。息の長いプロジェクトとしては「地球温暖化問題」があります。この問題はエネルギーソースの転換という意味では原子力発電問題と大いに関係があります。(地球温暖化問題を是非経済的に語らねばなりませんね。)

【]T】

 今の問題は、こうした産業構造の変革を、アメリカ連邦政府の財政支出で遂行していかねばならないという点です。そうするとアメリカ経済が健全になるまで、一体本当にアメリカ経済はもつのだろうかという疑問が生まれてきます。いま何の気なしに「アメリカ経済はもつのだろうか?」といいました。「アメリカ経済がもつ」とは一体どういう意味内容を持っているのでしょうか?「ギリシャ経済がもつ」「韓国経済がもつ」「日本経済がもつ」という時と「アメリカ経済がもつ」という時とその意味内容が根本的に違う事は誰しも了解されるでしょう。「アメリカ経済がもつ」とは「連邦政府の財政がもつ」ということと同義だと、私は思います。「連邦政府の財政がもつ」とは「いつまで国債の発行が続けられるだろうか?」ということと同義になります。「いつまで国債の発行が続けられるだろうか?」という疑問は「連邦準備制度はいつまでアメリカ国債を買い続けられるだろうか?」という疑問に置き換わり、この疑問は最終的に「『ドル本位制度』はいつまで続くだろうか?」という疑問に終着します。

 ざっとおさらいをしておきましょう。世界は長い間金本位制度でした。しかし金本位制度のもとでは、第二次世界体制後の厖大な復興資金はまかなえません。飛躍的な信用創造が必要でしたから、ドルを世界の基軸通貨にしようということで合意しました。乱暴にいってしまえばこれがブレトン・ウッズ体制です。しかし「ドル基軸通貨制度」はそれでも「金本位制度」を尻尾のようにつけていました。つまりドルは「金兌換通貨」でした。35ドルで金1トロイオンスと交換できました。誰も35ドルもってアメリカの連邦準備制度の窓口で金1オンスと交換はしませんでしたが、アメリカの「ドル通貨発行」には「金兌換」という枠がはめられていました。1971年ニクソン政権は金とドルの兌換停止を発表しました。普通この出来事は、アメリカが為替の固定相場制度から変動相場制へ移行した出来事として説明されています。そのこと自体は間違いではありませんが、より本質的には、「金本位制度」の尻尾が取れて、「ドル通貨発行」に歯止めがなくなったことです。つまり変動相場制への移行は目的ではなくて、その結果にすぎません。こうして世界は「ドル本位制度」へと移行します。(どうでもいいことですが、1971年のニクソン・ショックをもってブレトン・ウッズ体制が終焉した、という記述をよく見かけます。私はこの主張に合点がいきません。ブレトン・ウッズ体制の本質が、為替固定制度にあるのではなく、金本位制度からドル基軸制度=ドル本位制度への移行にあるのだとしたら、現在もブレトン・ウッズ体制は続いている事になります。どうなんでしょうか?)

 「金本位制度」は金に対する人々の信用が支えました。(またまたどうでもいいことですが、金に対する人々の信用は、考古学的出土品の状況からみて、すくなくとも、この4000年間一貫しています。揺らいでいません。不思議な現象だなと思います。)それでは「ドル本位制度」は何に対する信用が支えているのでしょうか?いうまでもなくアメリカ経済に対する信用です。より直接的には、ドル通貨の唯一発行機関であるアメリカ連邦準備制度の設置を決めたアメリカ議会に対する信用です。

 ところがこのアメリカ連邦準備制度は、ロン・ポール下院議員のいうように誠に「へんてこりんなあひる」(a queer duck)なのです。アメリカ連邦政府の一機関でありながら、連邦準備制度は全く独立した株主構成をもつ別法人なのです。具体的な株主は発表されていませんので推測に頼る以外にはないのですが、間違いなく国際金融資本です。アメリカ連邦準備制度のオーナーはアメリカ連邦政府やアメリカ議会ではなく、国際金融資本なのです。その機関が連邦政府の一部局として機能し、ドル通貨を発行し、あまつさえその「ドル」が世界の基軸通貨だと云うのです。なんとも私たちは不思議な世界に暮らしています。

 ( 普通日本語で書かれた記事を読むと連邦準備制度の事を“FRB”と略しています。しかしどうもこれは和製英語らしいのです。しかもこの和製英語は、Federal Reserve Boardの頭文字を取って作ったらしいのです。Federal Reserve Boardは連邦準備制度のことではありません。その制度=組織の重要な決定を行う連邦準備制度理事会のことなのです。英語の記事と合わせ読む時、このFRB=連邦準備制度という思いこみがあったために最初私の頭が大混乱した記憶があります。“FRB”というへんてこりんな和製英語は早くやめた方がいいと思います。英語の記事では“Feds”と略されていますので、フェズと書く事もありますが、日本語ではあまりにも奇異です。それでしかたなく、連邦準備制度とか連邦準備制度理事会と書く事にしています。煩雑ですね。)

 つまり現在は、「アメリカ経済に対する信用力」の背景にドルがその価値を保っているわけですが、どんなに素人の私が考えても、その「ドル通貨発行」に一定の枠があるとは思えません。通常中央銀行の貨幣発行には歯止めがあります。たとえば日本銀行の場合ですと日銀法があり、日銀券の発行には一定のそれに見合う担保がなくてはなりません。しかし連邦準備制度のドル通貨発行にはその歯止めがないのです。例のリーマン・ブラザーズの倒産に端を発した08年世界金融危機の際、連邦準備制度理事会が、巨額の資金を出して金融業界を救済しようと提案したときに、ナンシー・ペロシ下院議長は、「あら、私たちってそんなに沢山お金をもっていたのね。」と空とぼけて云いました。誰が考えても、事実上連邦準備制度がドルを印刷する以外にはお金の出所はありません。連邦準備制度はいったいいくらのドルの信用創造をおこなっているのでしょうか。ご承知のように連邦準備制度はその発表をやめてしまいました。

 アメリカ経済は現在連邦政府の政府財政支出のおかげでその命脈を保っているようなものです。連邦政府の負債はこのところ鰻登りに増加し、オバマ政権の1年目の会計年度末(すなわち09年9月末)では1年間に2兆ドルもの財政赤字が積み上がっています。大ざっぱに言って180兆円です。日本の年間国家予算の約2倍の赤字が単年度で積み上がっています。当然これはアメリカ国債の発行でまかないます。現在アメリカ国債の最大の引き受け手はこれもまた連邦準備制度です。いったい連邦準備制度はどのくらいの資産と負債をもっているのでしょうか?連邦準備制度自体が債務超過ではないでしょうか?

 金融政策の独立をたてに連邦準備制度はその情報を公開しませんが、金融政策の独立と情報公開はまったく別個のことです。情報公開をすることこそ、政治からの横やりを排して金融政策の独立を保てるというものです。

 もし、連邦準備制度が債務超過状態だったら(私も貴殿と共に間違いなくそうだと思っている一人ですが・・・)、アメリカ国債の信用の裏付けはどこにありましょうか?しかしみんな知ってて知らん振りをしています。このことをつつけば、アメリカ経済の崩壊、世界の経済システムは大混乱に陥ります。しかしこのままでいけば、いつかは破局が来ます。

 アメリカの支配層は、アメリカの実体経済の立て直しと破局の回避を時間との競争で遂行しようとしていますが、果たして間にあうでしょうか?間に合う以前の問題として、「原子力発電市場創造」のところで見たように、冷戦時代の帝国主義的な方法論が果たして通用するのでしょうか?

 私は、いまこの手紙でその論拠を詳述している間がないので残念ですが、どちらもうまくいかないと考えています。

 そうすると、残る道は昨年のロンドン・エコノミスト誌が指摘するように、唯一つ、借金の踏み倒しです。ただこれをおおぴっらに急激にやってしまうと、世界経済は大混乱に陥りますから、ゆっくり時間をかけてやらなければなりません。エコノミスト誌の表現を借りれば、“Default by Stealth”(密やかなる債務不履行)ということになりましょう。

 貴殿のメールには『個人的には米ドルが下落して利益を得られるポジションで投機に励んでおります。いわゆるドル悲観論者です。』とありましたので、私とほぼ同じ見方をしておられるものだと思います。といってこうした超マクロ的見方が、為替投機の役に立つとは思えませんが・・・。

 テレビで榊原英資が、ちょうど1年前、「1ドルは80円まで行くでしょう。」といっていたのを思い出します。榊原の事ですから彼なりの根拠があったのだと思います。短期的には彼の見込みは外れましたが、これはものごとを短期でみるか中期でみるか、長期でみるか、あるいは超長期でみるかの違いでしょう。「ドル下落論者」の榊原の見方は基本的に正しいと私は思います。

 しかし1ドル=80円程度では、エコノミスト誌のいう「密やかな債務不履行」というレベルには全然たっしませんね。

 さてご返事を書こうとして、長くなりました。書いているうちに、このところ自分が考えていることを一種のストーリーボードにまとめておこうという気持ちになって、長い手紙になりました。済みません。今年前半は、このストーリーボードに沿った裏付けのある記事を書いていこうと思っています。メールをどうもありがとうございました。

 ( なお、この手紙は『投機業者さんへの返信』として私のサイトに掲載します。ご了承ください。)