(2010.1.8)

<参考資料> イスラエルバス火災で援助に向かうパレスティナ人

* 2010年1月6日付けイスラエル・ツデイ(電子版)に掲載された記事。内容はイエルサレムで発生したバス火災で、近所にいたパレスティナ人も救助駆けつけたという記事。一読してつい嬉しくなってご紹介する事にした。

 この記事の価値は、イスラエルのメディアに掲載された記事であるということ、いつもは血なまぐさい、とげとげしい、猜疑心に満ちたイスラエル・ツデイの記者が、素直にパレスティナ人の行動に驚き、ヒューマニズムの素晴らしさを讃えている点だろう。“束の間”のことかも知れないが希望がもてる記事だ。どこの国でもそうだが、金も力もない庶民であればあるほど、お互いに助け合う事をよく知っている。誰かが危険に遭遇すると理屈抜きに助けに体が動いてしまう。

 今から40年前になる。大学生に成り立ての私は、早速休学届けを出して、シベリア経由のヨーロッパ旅行に出かけた。日本への帰途は無謀にも南回りのコースで無銭旅行をした。シベリア鉄道の中で食べ物を分けてくれたロシアの人、アテネで病気になって病院へ連れて行って呉れたギリシャの人、親切だったカブールの人、冬のヒッチハイクに途方に暮れていた時、寒さの中の夜中の国道で拾ってくれたユーゴスラビアの人、どこの国でも金も力もない庶民は親切だった。困った人間はほっておかなかった。それが人間というものだ。

 今考えると無計画でつまらない旅行だった。でも学んだ事もある。それは「人間は信頼できる」という当たり前の事実だった。この短い記事<http://www.israeltoday.co.il/default.aspx?tabid=178&nid=20324>は40年前のことをちょっと思い出せてくれた。

 本来助け合う人間同士の仲を分裂させ、対立を利用して政治的立場を強化しようという政治・外交の「プロ」たちがいる。彼らの方が人間として異常なのだ。この記事に出てくるイスラエル人やパレスティナ人の方が当たりまえなのだ。

以下本文。




 イエルサレムの南の町や村に住むパレスティナ系アラブ人はイスラエルの車が通りかかると見ると、通常は石を投げたり火炎瓶を投げつけたりする。

(* イスラエルの人口約600万人のうち約17%はアラブ系イスラエル人。全員ユダヤ系イスラエル人―ユダヤ人の定義もかなりの幅があるが−というわけではない。)


 だからこの水曜日(*1月6日)、イスラエルのバスが炎上し、乗客がパレスティナ人からなる救助隊から援助を受けたのは大きな驚きだった。

 バスは、エフラットのジュディーン町の近くを走行中だった。エトシオン・ブロックのユダヤ人定住地域にさしかかった時、機械的なトラブルからこのバスは炎上した。乗客全員は無事に避難でき、また最初に素早く救助に駆けつけたのは、近くのユダヤ人定住地域からの人々だった。次にやってきたのは、パレスティナ人の救助隊だった。彼らは乗客が炎から脱出するのを手伝ったり、軽傷を負った人々の手当もした。パレスティナ民間防衛隊のある責任者がベツレヘムのニュース通信社「マン」に語ったところによると、最初地元のパレスティナ人からバス炎上の知らせがあり、救助に向かった、被害者がユダヤ人とわかった後でも「人道主義者」の義務として救助を続行したのだという。