<参考資料> ポツダム宣言 全訳 |
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追記 2015年5月22日 |
【お詫びと訂正】 |
このところ凄い勢いで、【ポツダム宣言】への頁閲覧アクセスが増えている。1日2万、3万などいう頁閲覧数となっている。 私の【ポツダム宣言】訳は今から10年前のもので、今読み直してみると訳し落としや誤訳などもある。当時はインターネット上に外務省仮訳版しか見当たらず、トルーマン政権が広島に原爆投下した経緯と深く関わっていたので、私の理解のための翻訳という軽い気持ちと、本来すべての日本人が手軽に読めるようにすべきなのに・・・という、外務省仮訳に対する腹立ちが混じっていたのがいけなかった。幾人かの方からも、メールでご指摘を受けた。弁解にもならないが、お詫びして訂正する。 1点だけ。第5項で、“terms”を「条件」と訳してあったのを「条項」と訳し直した。しかし「条件」という訳も( )に入れて残した。全体の趣旨からすれば、ここは「条件」という日本語の方が適切にトルーマン政権のニュアンスが伝わるからだ。ポツダム宣言を受け入れることは、日本にとって「無条件降伏」を意味する。 「無条件降伏とは、日本が“わが方の言う条件”(のちのポツダム宣言)を受諾することによって、完全な敗北をみずから認め、かつその“条件”が明記するはずの軍事占領を体験することによって、その敗北を実感することを意味していた。その目的とするところは、日本人を天皇信仰の呪縛から解き放つことにあった。 かくて“対日処理を繞る論議の焦点は、天皇という存在に絞られる”ことになる」(大江志乃夫著『靖国神社』25頁 岩波新書 1984年3月21日第1版) しかし天皇制存続問題(日本側のいわゆる“国体護持”問題)は、ポツダム宣言では全く扱われなかった。すでにトルーマン政権は、様々な理由により天皇制存続を決めていたが、中国、ソ連、英連邦諸国の中で根強かった「天皇退位論」や「天皇戦犯論」に配慮したためである。「国体護持」が明文化されていなかったため、この問題を中心に「ポツダム宣言受諾」を巡って「最高戦争指導会議」「御前会議」は堂々巡りの議論を繰り返し、8月6日の広島原爆、8月9日の長崎原爆を招き寄せてしまうのである。そしてやっと8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。(<http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/010/010tx.html>の「三国宣言受諾ニ関スル件」の項参照のこと) ポツダム宣言を受け入れることは、一見日本の無条件降伏のように見えるが、このように「天皇制存続」という条件をつけた「降伏」であった。 訂正は、訳し落としや誤訳は赤字で訂正した。また誤りの箇所は取り消し線でその場所を示した。また誤りの箇所や訳し落としの箇所は英語原文を、青字の<>に入れて表示した。このようなミスは二度と起こさないように自らを戒めるが、またやらかした時には、率直にご指摘いただきたい。私の誤りを指摘していただいた方々には心より御礼申し上げる。 |
追記 2014年9月2日 |
アクセス解析を見てみると、1945年7月のポツダム宣言に関心が高まっているように見える。このサイトの『ポツダム宣言』全訳にもアクセスが増えている。この全訳はもともとシリーズ『トルーマンは何故原爆を投下したか?』と題する一連の記事のためになされたものである。ポツダム宣言の理解なしにはこのシリーズがかけなかったからだ。このシリーズの中の『W.ポツダム宣言と投下前夜』(2006年1月27日 http://www.inaco.co.jp/isaac/back/008/008.htm)で、なぜ私が『ポツダム宣言』の全訳に(無謀にも)取り組んだか記述してある。『ポツダム宣言』本文を読む人が増えると同時に、私がなぜ全訳に取り組んだか、その動機も読んで欲しくなった。そこでここに関係個所だけを抜き出して再掲することにした。以下「 」内が抜き書き本文である。今読んでみると不十分な記述だが、そのまま再掲することにした。 「・・・このポツダム宣言も今考えると、おかしな宣言である。というのはこの宣言の署名者は、トルーマン米大統領、チャーチル首相、蒋介石主席の3人だが、この時ポツダムにいたのは、トルーマン一人だったからだ。スターリンもいたけれど、ソ連は当時まだ日本の戦争相手国ではないので署名者からは外れた。チャーチルは総選挙のためイギリスに帰っていてポツダムにはいなかった。蒋介石はポツダムくんだりまで出てこれるような状況ではなかった。 『英国代表クレメント・アトリーは総選挙後の後始末のために不在であり、中華民国代表蒋介石もポツダムにいなかったため、トルーマンが自身を含めた3人分の署名を行った(蒋介石とは無線で了承を得て署名した)。 ソビエト連邦が宣言の具体的内容を知ったのは公表後であったためヨシフ・スターリンは激怒したという。8月8日にソ連対日宣戦布告してから宣言に加わった。』 (日本語ウィキペディア『ポツダム宣言』より) つまり、トルーマンはチャーチル・蒋介石と自分自身と3人分の署名をしたわけだ。前代未聞である。 13箇条からなるポツダム宣言には、原爆が使用可能であることには触れていなかった。どころか新兵器開発成功にすら触れていなかった。 (ポツダム宣言の原文は、http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html http://afe.easia.columbia.edu/ps/japan/potsdam.pdf) ポツダム宣言の英文原文はインターネットでどこかでも手にはいるが、日本語の訳文がなかなか手に入らない。唯一公式の訳文が、以下である。(外務省仮訳)ちょっと見て欲しい。 (http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html) この文章を理解できる日本人が何人いるか?少なくとも私は分からない。英語の原文を読んで何を言っているかはじめて知ることができる。ポツダム宣言は、日本が戦後再出発することになる基本文書だ。日本人全員が戦後の歴史の大前提条件の一つとして共通認識を持っておくべき文書だ。この宣言を受け入れることによって、連合国との戦争は終結したのだから。 ところが、今なおかつこの公式訳文の状態で止めておくと云うことは、日本政府は宣言の内容を、日本国民に知らせたくないのではないかと邪推したくもなる。民間の訳もないではない。しかし、すべてこの日本政府の訳(と思うけれど・・・)を下敷きにしているため、ところどころ意味の通じないところが出てきている。参考に私が訳した文章を掲げて置く。較べてみて欲しい。(ポツダム宣言訳) 私は英語の専門家でもなければ、国際政治の専門家でもない。その私が簡単に発見できる、「意味の通じないところ」がそのままになっているのはどういうわけか。この文書を、日本再出発の基本文書と見なしていない、という他理由が思い当たらない。 私が誤っているかも知れないので、いくつか例示しておく。 まず第1項。(外務省仮訳では)「グレート・ブリテン国総理大臣」としてある。原文は「the Prime Minister of Great Britain」である。the Prime Ministerを総理大臣というのはまだしも、Great Britainを「グレート・ブリテン」としたのでは、この署名者の資格が分からなくなる。ここは明らかに「英国本土政府」という意味だ。すなわち、英連邦に所属する政府全体ではなく、英国本土に限定した政府の首相という意味だ。 第3項で、「the British Empire」という言葉が使ってあり、これは大英帝国に属する国々の軍隊という意味で、Great Britainとは明確に使い分けてある。 第9項「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、」とあるが、ここは原文では「The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes」である。「return to their homes」は「各自の家庭に復帰し」なのか?そうではないだろう。特に日本国外に展開する日本将兵を念頭に置けば、「帰還を許されるものとする」ではないのか。でなければポツダム宣言の精神が分からなくなる。 第11項「但し、日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業は、此の限に在らず。」この文章が英語原文のどこに該当するのかというと唯一該当しそうなところは、「permit the exaction of just reparations in war.」である。「exaction」は取り立てることを意味する名詞である。「reparations」は「賠償」という意味である。従って「もって戦時賠償取り立てを可能とする(経済の維持)」という意味以外にはあり得ない。再軍備云々は前段、6項で「日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、全ての時期における影響勢力及び権威・権力は排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。」といい、第7項でも「そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。」(いずれも拙訳)と明確に述べており、第11項で再軍備に触れる必要もないところだ。 第11項で云いたいことは、平和産業・経済は一営んでいいし、支配の目的でなければ原材料輸入もしてもいい、ただし賠償を忘れるなよ、と言うことだ。 私は私の訳が正しいと言っているのではない。ポツダム宣言は戦後日本再出発の基本文書であり、全ての日本人が賛成・反対は別としてその内容を、そしてそれを受け入れることによって戦後がスタートしているということを理解しておく必要がある、そのためには正しい、わかりやすい日本語文章を作らなければならない、と云っているだけだ。日本政府がこんな訳文をまだ公式文書として掲げているのは、ポツダム宣言の精神を日本人に理解させたくないと気持ちがあるのではないか、と考えたくもなる。専門家を集めて作業すれば、すぐできることではないか。」 |
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(原文:http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.htmlまたは <PDF>http://afe.easia.columbia.edu/ps/japan/potsdam.pdf) |
ポツダム宣言条文 全訳 | |||||||||||||||||||||||||||
日本降伏のため確定条項宣言 ポツダムにて 1945年7月26日発出 <Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender Issued, at Potsdam, July 26, 1945>
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