(原文:http://www.doug-long.com/stimson2.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年5月1日
ハリソンが示した暫定委員会の骨格



ハリソンはジョージ・ハリソンでニューヨーク生命保険会社の社長。この時はスティムソンの顧問で陸軍省における片腕。バンディはハーベイ・バンディでスティムソンの補佐官。後に活躍するバンディ三兄弟の父。「S-1」はマンハッタン計画、または原爆のこと。

  「10時にハーベイ・バンディとジョージ・ハリソンが文書を持ってやってきた。その文書はハリソンが書いたもので、S-1に関すること及び委員会の指名に関することについて記述したものだった。委員会は、一般広報を必要とする何かが起こりそうな時が今や近づいておりその行動計画について枠組みを作るものである。ハリソンはとても良い文書を作成してきた。私はその文書を承認し、またそれを扱うために大統領に私が提案すべきと彼が予測している委員についても承認した。」

  「私はハリソンの文書をマーシャルのところへ持っていった。というのは、私は彼にそれを承認して欲しかったからである。彼はS-1のことを知っている極めて数少ない人間の一人だったからである。そして彼はそれを承認した。」

以下はダグ・ロングが、この部分に入れている解説である。『 』で示した。

 ハリソンの45年5月1日の文書は、“秘密が完全に必要なくなる時、政府部内の行政執行部局及び法制部局に対して行動を勧告できる特別な資格をもった委員会の設置”を助言していた。そしてこの文書は“(原爆の)使用の後、出来るだけ早く、アメリカ国内及び国外で、戦後の使用及びその開発に関し基本的管理を提供するような何らかのステップを取ることが保証されなければならない、ことがもっとも重要である。”と強調していた。原爆に関してはハリソンは、“もし誤って使用されれば、それは文明の完全な破壊につながる。”と付け加えていた。彼は自分の概括を次のようにまとめている。“私が助言するところでは、委員会は6人か7人で即座に設立され、現在の戦時における管理及び一般広報に関して研究・報告し、戦後研究・開発・管理に関する研究と勧告作成及びそれらに効力を持たせる必要な法律整備に関する研究と勧告を行う。”<マンハッタン工区記録、ハリソン・バンディ・ファイル、フォルダー番号69、登録番号77、国立公文書館−Manhattan Engineering District Records, Harrison-Bundy files, folder # 69, RG 77, National Archives>。』
 
 私はハリソンが作成したこの文書を読めていない。実際には暫定委員会は8人の委員でスタートした。)