(原文:http://www.doug-long.com/stimson8.htm) (スティムソン日記の註) 1945年7月23日 原爆使用のタイミング 10時に、バーンズ長官が電話して来て、S−1計画のタイミングについて私に尋ねた。 私は2通の電信について話し、できるだけもっと詳細なニューズを入手すると答えた。 私はハリソンからの電文を読み上げ、時期(日本に対する原爆投下)がいつなのか、彼に出来だけ早く知らせてくれ、と頼んだ。 (原爆の問題は、政治的には完全に、バーンズに主導権が奪われている。 軍事的には依然として陸軍長官たるスティムソンが主導権を持っているように見えるが、軍事的な観点からは米軍部が実質的な主導権を持っているし、スティムソンの価値は、原爆の政治的処理手腕であるはずだ。 ポツダム会談の時期、はっきりしてきたのは、スティムソンが棚上げされていることだ。) 10時15分、ハリマン大使(駐ソ米大使)がやってきた。 それで、ハリマン、マクロイ、バンディ、私の4人で状況について話し合った。 ハリマンは昨日の午後の会談の様子を私に知らせてくれた。 ハリマンは、みるみる元気になった雰囲気は明らかに、われわれの持たしたニューズのおかげだ、とコメントした。そしてロシアからの要求がふくれあがってきていることも確認した。(ヨーロッパ)大陸における力だけを主張し、それ以上の要求には興味を持たないとする以前のすべての規制を脇に放り投げて、今やすべての方面に足がかりを得ようとしていることは明白だ。 11時に私はリトル・ホワイトハウスへ出かけた。 そして大統領かバーンズに会おうとした。午後と晩方の会談で何があるのか分からないために私自身がいびつになっていることに気がついている。 これは特にS−1問題についてわれわれがどうしようとしているのか分からないと言う点でよく当てはまる。到着したときにバーンズがいた。 すぐに大統領に会いたいと頼んだ。 私はバーンズに軍事面から計画を作成するのに、毎日朝早く立ち寄るので、その前の日の出来事をバーンズか大統領から知らせてもらいたいと云った。 大統領はすぐに来て云った。喜んで毎日会いこれらの件について話そうと云った。 それから私は今朝ハリマンがやってきて話したことを云った。そしてハリソンからの作戦(日本に対する原爆投下がいつ準備できるか)の時期に関してもっと確かな情報を送りましょう、といった。 彼は、机の上にあるわれわれが準備した日本に対する警告文について話をした。(ポツダム宣言の日本に対する降伏要求のことである)そして最近行った変更のほとんどを受け容れた。 そして作戦(日本に対する原爆投下)に関する日にちを聞いたらすぐに、それを実行するように提言するつもりだと云った。それからスターリンの拡大する要求について短い話をした。 聞いていたことを確認した。しかし彼は、アメリカはしっかり立っている、といった。 明らかにS−1計画に関する情報に大きく依存している。彼は、ロシアからの新たな要求は大部分ははったり(bluff)だと考えている。そして本当の要求は何かしっかり分かっているといった。 昼食して短い休憩をした後、マーシャル将軍とアーノルド将軍(空軍司令官)の訪問を受けた。マクロイとバンディが加わった。 今朝大統領にあった時、本当にロシアの対日参戦が必要なのかどうか、ロシアなしでもやっていけるのかどうか、マーシャルがどう感じているのか知りたい、といっていた。 これがわれわれの話題の一つだった。(その時まで、トルーマンはロシアを対日参戦させるためにポツダムに来た、といっている。これは7月18日、20日、22日の、トルーマンから妻ベス宛の手紙から明らかである。) もちろんマーシャルにはこの質問に直接あるいは明確に答えることは出来ない。 われわれがもともとロシアの参戦を望んだのは、満州の日本軍を、満州に釘着けにしておくためだった。現在時点ではロシアはすでに国境線にその軍隊を集結している。 マーシャルは、迷いながらも云った。日本軍は陸軍の一を北方にあげつつある。 しかし、もし仮にロシアなしに戦争に突入し(本土上陸作戦に突入し)、そして日本を降伏に追い込んだとしても、そしてソ連軍の満州進軍を防いだとしても、どちらにせよ、ロシアは彼らなりに欲しいものを手に入れるだろう。 マーシャルの云うところでは、会談はこれまでの所、イギリス問題に手こずっている、しかし、これもやっと解決し、協調関係ができたので、明日には終了するだろう。 マーシャルの進言では、ロシアを何か決断に導かせるものがあるのがいいだろう、もし大統領が明日スターリンに、「イギリスはもう終わったので連中は帰国する。私もアメリカの参謀総長たちを帰国させようと思う」といえば、それはロシアに彼らの位置がどのようなものかを知らせることになるだろうし、彼らがなすべき事を教えることにもなる。 もちろんマーシャルがこういうについては、私が感じているのと同じこと、つまり今は新しい武器を手に入れているので、日本を征服するのにロシアの助けは要らない、と考えているのだ。 会議ではさらに太平洋戦線についても話をした。明らかに、彼らはマッカーサーと一緒にやっていくのは難しいと分かっている。そしてマーシャルは彼の時間を海軍とうまくやっていく事に割いている。 それからマーシャルとS−1の準備状況について話した。 マーシャルは今の時期の日本の雨期のため、芳しくない絵を描いて見せた。 もしわれわれの軍事行動を妨げるものがあるとするなら、重く低くたれ込めた雲だ、もちろん合間には、晴れた日があるかも知れないが、といった。(原爆投下には、視界を遮るような天候は最悪である。) 夜になって、私はハリマンから電報を受け取った。 S−1が最短でいつ投下可能になるかについての連絡だ。私は、その情報に投下可能な日についての追加情報をくれ、と回答した。 (日本に対する原爆投下について、その電信でハリマンはスティムソンに報告し、8月1日―3日の間で可能、8月4日―5日で大いに可能、よほどの障害がない限り、8月10日までなら決定的に可能、という内容だった。) |