(2010.7.30) |
【関連資料】 暫定委員会 |
<参考資料> |
海軍次官ラルフ・A・バードの
スティムソン陸軍長官あてのメモランダム |
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出典は次。<http://www.atomicarchive.com/Docs/ManhattanProject/Bardmemo.shtml> トルーマン政権で設置された暫定委員会は、45年5月31日及び6月1日の委員会で、日本に対する「事前の警告なしの原爆の使用」を決定した。シカゴの金融家で当時海軍次官だったラルフ・バードも暫定委員会8人のメンバーの1人であったが、自らも賛成した上記決定を後になって考え直し、「人道主義国家アメリカが原爆を事前警告なしに日本に対して使用するのはふさわしくない。」とする留保意見書をメモランダムの形で暫定委員会の委員長、陸軍長官スティムソンにあてて送った。以下がその全文である。なおバードはこのために暫定委員会委員を辞任しなかった。「S-1」とあるのは「マンハッタン計画」の暗号名で、しばしば原爆そのものの暗号名としても使われた。以下本文。
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1945年6月27日
S-1爆弾に関するメモランダム
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この計画にタッチするようになって以来、私は爆弾が実際に日本に対して使用される前に、使用に先立つ2日か3日前に幾ばくかの予備的な警告(some preliminary warning)受け取るべきだと感じてきた。偉大な人道主義国家としての合衆国の位置づけ及び我が国民のフェアプレイの姿勢は、総じてこの感情に主流として感応する。
ここ幾週の間、私は、日本政府は降伏の手段として日本政府が使うかも知れない機会を模索するかも知れないと感じを断固として持ってきた。三大国会談の後、この国(アメリカ)の秘密の使者(emissaries)が、中国沿岸のどこかで日本の代表と接触をもち、そしてロシアに立場について説明を行い、そして同時に原子の力の提案されている使用に関して情報を提供し、それと一緒にして大統領が、無条件降伏続く日本の天皇と日本国家の扱いに関して配慮するかもしれない保証をいかなる形にしろ、与え得る。私には、これが日本が求めている機会を提供する可能性が大きいとみえる。
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三大国会談とはもともと7月初めから行われる予定だったポツダム会談のことを指している。トルーマン政権は原爆実験の後にポツダム会談を開始したかったので、7月16日に予定されていた原爆実験の翌日、7月17日に会談が開始されるよう延期した。「ロシアの立場」というのは、当時日本の鈴木内閣はソ連にアメリカとの仲介を依頼し、日本に有利になるような和平工作を進めていたが、実際にはソ連は対日参戦することをヤルタ会談で連合国側に約束していた。だからバードがここで云っていることは、日本の代表に「ソ連和平ルート」は全く望みのないこと、それどころかソ連は対日参戦する、と告げることを意味している。また当時日本の降伏の条件は「天皇制の存続」=国体護持であり、トルーマン政権もこのことは正確に見通していた。だからバードはソ連参戦を告げ、何らかの形で天皇制存続を保証し、その上で原爆を投下する、といえば日本は降伏する、可能性は大きい、といっていることになる。) |
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このようなプログラムを通じてわれわれが失うものは特にない、と私にはみえる。この種のプランは極めて現実的な考慮だというのが私の意見だが、分け前(stakes)は極めて大きい。偉大な取り引きの価値があるこのような計画の成功のチャンスを評価する人間がこの国に存在しようとは、現在既存の状況下では私には思われない。わかっている限りのこの唯一つの方法は、試して見るべきだ。(The only way to find out is to try it out.) |
<署名>
ラルフ・バード |
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