(2010.4.29) | |||||||||||||||||||
No.008 | |||||||||||||||||||
「核の威嚇」政策に沈黙を守るヒロシマ・ナガサキ |
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2010年4月6日、オバマ政権は、第3回「核態勢見直し」(Nuclear Posture Review-NPR)を発表した。 その中で、私の目が釘付けになった文言は、「核兵器保有国及び核兵器不拡散条約を遵守しない国家に対応:アメリカは、アメリカ、その同盟国及びパートナーの決定的な利益を防衛する究極の情況においてのみ核兵器を使用しうる。」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/ pdf/NPR2010_0406_jp.pdf>)だった。 21世紀において、アメリカに限らず、核兵器国が他国を核兵器で攻撃する可能性について公言することがありうるのか? 同日行われた、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官、オバマ大統領の個別の記者会見やブリーフィングで明らかになったことは、核攻撃をする可能性のある国として、イランと北朝鮮の名前が挙げられた。 4月6日、明らかになったことは、オバマ政権は「イランと北朝鮮」に対しては「核攻撃」をするかもしれない、と正式に表明したと云う事実だ。つまり核攻撃をする可能性をちらつかせて脅した。 「核の先制攻撃」をしない、と云う宣言どころか、露骨に「核兵器使用の威嚇」を政権の正式政策として打ち出した。 またこの宣言は、NPR自身の中でも自己矛盾を起こしている。 アメリカの国防省の説明によると、今回のNPRは5つの骨格をもっているという。 すなわちー、
である。(たとえば<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/NPR2010_0406_jp.pdf>の4枚目のスライド参照。) しかし、「他国を核攻撃する」と威嚇することは、骨子の「2.アメリカの核兵器の役割の削減」と根本的に矛盾している。役割の削減ではなく、相も変わらず露骨に核兵器を他国支配の道具として使っている。 今、ブッシュ政権やレーガン政権の打ち出した核兵器政策を調べているところだが、少なくとも、今のところ核兵器不拡散条約成立・発効後、アメリカが非核兵器保有国に対して、名指しで「核兵器使用の威嚇」を正式核政策とした事例が見当たらない。
オバマ政権は、NPTの定める「義務」を遵守しない国に対しては、核兵器を使用する可能性があると云ったのであって、別に「イランが核兵器を開発している」といった訳ではない、という反論があるかも知れない。しかしそれでも事態は一向変わらない。いやなお悪い。 第一、NPT加盟国がNPTの定める義務を遵守しているかどうかを決定する権限はアメリカにはない。IAEAにある。 第二、イランのウラン濃縮事業は「NPTの定める参加国の権利」である。これを「核兵器開発の野心があるからウラン濃縮を行うのだ。」というのは、アメリカの言いがかりだ。ウラン濃縮事業を行っている日本、オランダ、スエーデン、イタリア、ドイツなどといった国はすべて「核兵器開発の野心がある」ことになる。こうした諸国もまた、NPTの定める権利に基づいてウラン濃縮事業を行ったり、参加したりしている。 アメリカが他の国に対して言いがかりをつけて、アメリカの利益にそった政策を押し通そうとするのは、これが初めてではない。しかし、そのために「核兵器使用の威嚇」を正式政策として世界に向けて公言したのは、少なくとも、核兵器不拡散条約成立・発効後初めてではないか? この点、オバマ政権はブッシュ政権より悪質であろう。 オバマ政権は焦っている。もし冷静に考えるなら、核兵器不拡散条約(NPT)の5年ごとの見直し会議が開かれる直前の今、「他国を核兵器で威嚇する」政策を打ち出すことの不利を悟ったはずだ。 しかし、イランが思うとおりにならない。イランにウラン濃縮を辞めさせて、NPT再検討会議を迎えたかったが、そうはならなかった。なにがなんでもイランに「ウラン濃縮」事業を辞めさせたい、という焦りが、「他国を核兵器で威嚇する」政策の正式採用となったものと見える。 しかし、これでアメリカ・オバマ政権の「道義的威信」は地に墜ちるだろう。NPTに加盟している非核兵器保有国はたまったものではない。「NPTの義務に違反しているかしていないかの判断はアメリカが行う。アメリカが違反していると判断すれば、核兵器攻撃を覚悟しておけ。」というわけだから。 1995年のNPT再検討会議で、参加国はNPTの永久存続を決定した。この時もともと「核兵器保有国」と「非核兵器保有国」が混在する、本来不平等条約のNPTの「不平等性」を補完するため、5つの核兵器保有国は、それぞれ個別に「核兵器保有国は、NPT加盟の非核兵器保有国に対して核攻撃をしない。」と声明した。すなわち、消極的安全保証を与えた。もう一つ、NPTが究極的に目指すのは、完全核軍縮(=核兵器廃絶)であることを決議した。 ところが、オバマ政権の公然たる「核兵器による威し」政策は、この1995年以前に戻ったかのようである。オバマ政権は悪質である。 実は問題は、「オバマ政権」の悪質さにすらない。 「核兵器使用の威嚇」を正式政策として採用したオバマ政権に対して、西側世界では、ごく一部の例外を除けば、非難の声が全く上がらない、という点が今の問題だ。 「反戦ドットコム」のジェイソン・ディッツは次のように書いている。 (2010年4月26日付<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/NPR2010_0406_jp.pdf>)
現在のところ、西側社会では、オーストリアの前イラン大使、ヘルムート・ベルナー・エーリッヒ(Helmuth Werner Ehrlich)が、
日本の大手メディアは、被爆地の地元紙、中国新聞も長崎新聞もすべて、このオバマ政権の公然たる「核の威し」を非難していない。まるでなにか呪文で金縛りにあって、考える力を失ったようだ。 核兵器を開発してないイランに対して「核兵器使用の威嚇」政策を採用するのは不当だが、核兵器を保有している北朝鮮に対して「核兵器使用の威嚇」政策を採用するのは正当だと云いうるのか?それもいえない。「核兵器の使用」をたとえ可能性であろうとも、政策として採用すること自体が「犯罪行為」なのだ。 私にとって、実は真の問題は、公然と「核兵器使用の威嚇」政策を採用するオバマ政権に対して、ヒロシマ・ナガサキから一向非難の声が上がらないことだ。 「ノーモア・ヒロシマ」を訴え、「被爆者の悲惨」「原爆の非人道性とその犯罪性」を訴え、「繰り返しません、あやまちは」と世界に向かって訴えるヒロシマやナガサキの「核兵器廃絶運動」とは、一体なんなのだろう? それが誰が誰に向けられた「核の威し」であろうが、こうした犯罪的行為に、非難の声を上げ、正面からプロテストするのが、「ノーモア・ヒロシマ」の思想ではないのか? それともオバマ政権が北朝鮮を核で脅すのは良くて、北朝鮮がアメリカを核で脅すのはいけない、と云うつもりだろうか? これは「ノーモア・ヒロシマ」の二重基準である。 核兵器を保有している北朝鮮が、オバマ政権から「核兵器使用の威嚇」政策に直面するのは当然だと考えているのか?仮にアメリカ・オバマ政権や西側のプロパガンダを信じ込んで「イランは核兵器開発」をしていると信じこんでいたとして、そのイランがオバマの「核兵器使用の威嚇」政策に当面するのは、当たり前だ、と考えているのか? それとも、「核兵器を実際に使用する」ことと「使用すると威嚇すること」は違うと考えているのか? そのいずれの場合も、私の「核兵器観」とは全然違う。似ているようで根本から異なっている。 「核兵器廃絶」は目標であると同時に、過程(プロセス)でもある。この目標はプロセスと一体化している。別な表現をすれば、一つ一つのプロセスの積み重ねが、「核兵器廃絶」という目標を達成するのだと思う。 こうしたプロセスは、たとえば、東南アジアASEAN10カ国の市民達が成立させた「東南アジア非核兵器地帯」や、09年発効した「中央アジア非核兵器地帯」「アフリカ非核兵器地帯」のように、自分たちの住んでいる地域から一切の核兵器を追放する政治革命、あるいはかつてのニュージーランド・デイビッド・ロンギ政権のように、「核兵器などといった危険なもので護ってもらわなくて結構」とアメリカにきっぱり、いかなる形でも核兵器と関わり合いたくない、と政治的意思表示をすること、あるいは1990年代の初頭、核兵器を実戦配備していながら、勇気をもって全面廃棄した南アフリカ共和国の市民、あるいは、永年の対立に終止符を打って、同時に非核兵器宣言を出して協定を結んだ上、揃って「ラテン・アメリカ・カリブ海非核兵器地帯」に加盟したブラジルとアルゼンチンの市民、あるいはアメリカの空軍基地と海軍基地を撤去させ、自らの憲法に「核兵器との絶縁」を書き込んだ上、「非核兵器法」を成立させ、「核兵器を弄ぶことは、刑事犯罪」として「刑事罰」まで定めたフィリピンの市民、イギリスを5核兵器国の中で最初の核廃絶国とし、核兵器原子力潜水艦基地の全面撤去を求め現在闘っているスコットランドの市民、アメリカの基地をこれ以上増やしてはならないと闘っている沖縄の市民、厚木からの核兵器搭載可能戦闘爆撃機の移駐に反対して闘っている岩国の市民、そしてかつて、外国艦船に「非核証明」の提出を求めて勝利した神戸の市民・・・例を挙げればきりがない。 こうした一つ一つの政治的闘争や思想的闘争が、ひとつ、ひとつ、「プロセス」としての「核兵器廃絶運動」なのだ。そうしてそうしたプロセスの積み上げの結果として地球市民による「核兵器廃絶」が実現するのだと思う。 こうして見たときに、「核兵器使用の威嚇」政策を公式の政策として掲げるオバマ政権に対する非難をおこなうこと、その「威嚇」が誰に向けて行われるかに関わらず、この21世紀にこうした「前近代的政策」を臆面もなく堂々と掲げるオバマ政権の犯罪性を糾弾することは、「核兵器廃絶」へ向けた一つのプロセスなのだと思う。 もし、オバマ政権の「核兵器を使った露骨な威し政策」に目をつぶったり、鈍感にこれを問題だと感じないようであれば、「核兵器廃絶」の看板も下ろし方がいい。今が核兵器廃絶へ向けての「プロセス」なのだ。われわれは試されている。本物か偽物かを。 もうすぐ、2010年NPT再検討会議が、ニューヨークで始まる。イランはこのオバマ政権の「核の威し」政策を正式に国連に不服申し立て(a formal complaint)を行って、国連はこれを登録した。 オバマ政権の「核の威し」政策をめぐって、西側諸国と非同盟非核兵器諸国の対立は、国連の場でも、NPT再検討会議の場でも、必ず発生する。 21世紀になっても「核の威し」政策が、国際的に堂々とまかり通るようであれば、非同盟非核兵器諸国の怒りは頂点に達するだろう。 多くの被爆者団体や平和団体が今回もニューヨークへ大挙して向かう。こうした被爆者団体や平和団体が、目の前で展開しつつある「核兵器を使った犯罪行為」にどんな対応を取るかで、本物か、アメリカと日本の外務省の手のひらで踊るだけの「偽物」かがはっきりするだろう。 |
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