No.23-7(抜き書き) 平成21年1月10日


田母神論文に見る岸信介の亡霊
その7(抜き書き) 「中国侵略」をめぐる3つの動因軸
共産党中央は陳独秀・瞿秋白から李立三へ

 土地改革問題は共産党にとって根幹にかかわる問題だったが、それぞれに事情があり、簡単には行かなかったことが窺える。

 話は若干さかのぼって28年2月のことになる。コミンテルンはそれまでの指示をあらため、ソビエト化された「農民地域」では土地改革と紅軍の建設に全力をあげるべきであるとした。この指示に基づいて28年6−7月モスクワで開かれた中国共産党第6回全国大会も内容を新たな方針として採択した。

 見方をかえていえば、これはコミンテルンの指示に忠実でなかった「毛沢東路線」を、コミンテルン、共産党中央が追認したものと言えよう。なおこの時、「長沙退却」の責任をとらされていた毛沢東は中央委員に復帰している。またこの時、中国共産党の実権は、瞿秋白から李立三に移った。李立三といえば、1925年(大正14年)、中国革命運動の一大転機を作った「5・30運動」の指導者である。陳独秀、瞿秋白とコミンテルン路線(*スターリン路線)に忠実な指導者は、大きな犠牲を払った上に、その失敗の責任をとらされる格好で失脚をするのであるが、「5・30運動」の英雄、李立三までその運命が待ち構えているとはこの時予想した人は少なかったのではないだろうか?


「中国侵略」をめぐる3つの動因軸

 1928年(昭和3年)末までの「日本帝国主義の中国侵略」をめぐる直接の動因軸を、中国共産党、蒋介石国民党政府、日本の帝国主義、という3つだと仮定してみると、中国共産党は主としてコミンテルンの相次ぐ誤った指令を忠実に実行しようとしたためにほぼ、自滅壊滅状態に陥ったといえるだろう。

 日本の帝国主義は、河本らの張作霖爆殺事件に代表されるように、真の敵を見誤ったために、これも自滅的に足踏み、迂回することになる。

 こうしてみるとこの3つの軸のうち蒋介石国民党が「日本帝国主義の中国侵略」をめぐる抗争の中で着実に前進、その足場を固めていったかのように見える。

 しかし、蒋介石国民党もその内部に、致命的弱点を抱えていた。それは、その政権の性格が、先にも見たように半封建的な性格を色濃く残した軍閥の連合体だったことだ。これでは近代的資本主義内統一国家樹立はおぼつかない。もし蒋介石政権が、資本主義内民主主義に立脚する近代国家創出に成功していれば、アメリカやソビエトなどの支援をうけ、日本のファシズム的に凶暴化した帝国主義を完全に追い出し、中国に国民党政権を確固として築き上げ、中華人民共和国の成立はなかったものと思われる。

 しかし歴史の現実はそうではなかった。蒋介石政権は、孫文の国民革命の正統性を表面受け継ぎながらも、その後、自らもファシズム反動政治の道を歩み、中国人民の期待を裏切っていくのである。

 田母神論文を良く読んでみると、田母神には、まずこの3つの動因軸、すなわち「民族独立と人民革命」をめざす中国共産党、本来近代統一国家のもとに健全な資本主義体制を構築すべきであったが、ついにそれが成し遂げられなかった蒋介石国民党、次第に凶暴化していく日本の帝国主義という3つの動因軸が全く見えていない。

 ということは田母神を支持する自民党勢力、それを支持する学者・文化人、マスコミ、市民にも見えていない。戦後60年以上経ってもまだ見えていない。

 この人達は、あの戦争を岸信介が観じたように、アメリカと日本の帝国主義戦争としか見ていない。彼らの歴史観はそのまま、現在の日本を取り巻く国際情勢認識にまで持ち込まれているかのようだ。それは彼らの安全保障をめぐる世界認識に端的に表れているようだ・・・。

(以下次回)