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No.29-2 |
2010.6.13 |
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1回目は、「岩国基地機能強化」(それは、単に基地機能強化に止まらず、より本質的には岩国基地が、核攻撃能力をもったアメリカ海軍の前線基地に変質することだったのだが)に伴う広島市民の安全を脅かす事に対する広島市長と廿日市市長の国への「要望書」を見た。その要望書の中には「聖地ヒロシマ」固有の理由はまるでなかったことを見た。そしてこれは単に「秋葉忠利の広島」だけに現れた現象ではなく、「ヒロシマ全体」を覆う現象であることを、「5・23岩国大集会」に連帯しようという「広島キャンペーン」のチラシを例にとって見てみた。
そして日米ロードマップにしたがって、厚木から岩国にやって来るものが単なる「空母艦載機」ではなく、アメリカ海軍が国外基地に常駐させる唯一の「核兵器搭載戦闘爆撃機航空団」である、第5空母航空団であることを見た。そしてその主役が、B61核爆弾ファミリーを搭載可能なスーパーホーネット37機であることも見た。
問題は、日米ロードマップに従って2014年に厚木基地から岩国基地に移駐してくる第5空母航空団のスーパーホーネット37機に実際にB61核爆弾が実装されているかどうかだが、これは誰にもわからない。
しかし、実装されうると覚悟しておかねばならない。というのは、アメリカは4月に発表した「核態勢見直し」で、北朝鮮とイランを「核攻撃しうる対象国」と名指した。
つまりオバマ政権はイランと北朝鮮を名指して、核兵器による威嚇を行った。このことにも「聖地ヒロシマ」は鈍感だった。
(この件については「「核の威嚇」政策に沈黙を守るヒロシマ・ナガサキ」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/008/008.htm>を参照の事。)
そのこととは別に、イランと北朝鮮に対する露骨な核威嚇政策を取る以上、オバマ政権と国防省はそれに対応した作戦計画を当然策定していると考えなければならない。もしこの政策を採り続けるなら、第5空母航空団の移駐する岩国基地の役割は、少なくとも中東を戦域とした、アメリカの最前線基地という位置づけとなる。
その作戦計画は、横須賀の航空母艦ジョージ・ワシントンが、例えばペルシャ湾あたりに遊弋して、これを前線展開基地とし、核装備をした第5空母航空団のスーパーホーネットがイラン戦域を睨んで威嚇する、といった形になろう。そうした作戦計画は存在しないと考えることの方が不自然だ。
さらに現在硫黄島が第5空母航空団の、仮の「離発着訓練場」になっているわけだが、日米ロードマップに従えば、遅くとも2014年までには、岩国を中心として半径100海里以内に、恒常的な「離発着訓練場」が設置されることになる。
岩国に常駐するスーパーホーネットに取って、広島市内は「庭内」だ。
そのスーパーホーネットは核爆弾を搭載している可能性がある。(蓋然性が高い、といってもいい。)
広島・廿日市市長連名の「要望書」の中にあった、「核兵器廃絶と世界恒久平和を目指す聖地ヒロシマにおいて、そのシンボルである平和記念公園の上空を軍用機が飛行し、米軍関係の事件や事故が発生するようなことは断じて許されるものではありません。」どころの話ではない。
「聖地ヒロシマ」の上空を、核兵器搭載スーパーホーネットが自由に飛び回る蓋然性が高い。 |
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この退屈極まる文章をここまで読む人が仮にあったとして、私の調査と推論には無理があるとお考えの人があるだろうか?少なくとも全くあり得ない荒唐無稽な話と否定しさることはできないだろう。
この問題はもう一つ別な観点から見てみることもできる。
それはすなわち、「核兵器とは何か?」という観点である。
広島市長・秋葉忠利が、「核兵器廃絶」を訴える時、長崎市長・田上富久が「核兵器廃絶」を云うとき、広島県被団協の坪井直が「私が生きているうちに核兵器廃絶を」という時、「8・6ヒロシマ平和へのつどい2010」の田中利幸が「核兵器廃絶は広島・長崎の被爆者が原点でなければならない。」という時、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の森滝春子が、「核抑止力を否定しないと(日本は)廃絶の先頭に立てない。」という時、彼らはどんな核兵器をイメージしているのだろうか?
ミサイルの弾頭に格納された核爆弾だろうか?それとも自由投下型の、ちょうど広島や長崎に落とされたような落下傘のついた核爆弾だろうか?
かれらはどんな「核兵器」をイメージして発言しているのだろうか?
「核兵器とは何か?」とはすなわち「核兵器の定義」である。「核兵器廃絶」を考える時、まず第一に、取り組まなければならないのが、「核兵器の定義」である。
自らの「核兵器の定義」を明確にしない限り、自分自身の「核兵器廃絶」を語ることができない。何が廃絶の対象なのかも明確にならない。「核兵器の定義」を明確にしなければならないのは当然のことだろう。
従って「核兵器の定義」は、その人の「核兵器廃絶」に対する真剣度のバロメータである。
核兵器廃絶問題を研究し、深く掘り下げていくば行くほど、「核兵器の定義」は明確になり、また廃絶問題に対しては、より実際的なツールになる。
たとえば、もっとも不真面目な定義は、1958年(昭和33年)、参議院の内閣委員会で日本政府が出した、次のような定義であろう。
『 |
通常兵器とは、おおむね非核兵器を総称したものである。
従って、・・・オネストジョンのように核・非核両弾を装着できるものは、核弾頭を装着した場合は核兵器であるが、核弾頭を装着しない場合は非核兵器である。』 |
この伝でいけば、核爆弾B61を搭載した時は、スーパーホーネットは「核兵器」であるが、通常ミサイルしか搭載していない時は「非核兵器」である、という事になろう。
今日のように、通常兵器システムと核兵器システムが一体化している状況では、上記のような定義を使って考えると、全く同じシステムが、核爆弾を装着しているかどうかで「核兵器」と「非核兵器」の間を早変わりすることになる。「核兵器廃絶」を考えてみた時に、廃絶の対象になるのかならないのかは、その時核爆弾を装着しているかどうかによって決定することになり、「廃絶の範囲」も定まらない。
やはり核兵器をその中に取り込む事の出来るシステムは、「核兵器体系」として「廃絶の対象」にするというのが、「核兵器廃絶」を真剣に考え、研究する立場であろう。 |
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こうした意味で、核兵器体系をもっとも真剣に考え、もっとも根源的に定義したのは、フィリピンで成立した、「非核兵器法」の定義であろう。
フィリピン非核兵器法は、第4条第1項で次のように定義している。
『 |
「核兵器」とは、核分裂或は核融合又はその両者の複合過程を利用して爆発を生ぜしめる全ての装置、又は兵器、又はその核部品或は構成部品をいい、その輸送装置に限らず、核兵器の運送手段、核発射装置の砲座、及び核兵器の指揮・管制・通信システムの不可欠な構成部分である核支援施設を含む。』 |
核兵器とは、爆弾、その部品、材料、その運搬手段のみならず、その支援システムすべて総称する、とこの条項はのべている。
そればかりではなく、第10条の罰則規定では、
『 |
本法律の第五条に於て、違法或は禁止と宣言されている行為を犯した者は以下のように処罰される。
(1) |
違反が核兵器を含む場合には、裁判所の判断により、20年ないし30年の禁固、または、 |
(2) |
違反が部品又は構成部分、或は核兵器関連設備に関わる場合には、裁判所の判断により、6年ないし12年の禁固。』 |
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とし、それを扱う人間も、核兵器体系の重要な構成要素として、厳重に監視の目を光らせている。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/philippines_2.htm>)
前に引用した「ペリー報告」の中でも、このフィリピン非核兵器法第10条で指摘している核兵器体系の重要な構成要素としての「人間」に対応した記述が出てくる。
すなわち、アメリカの「核態勢強化」の一つの要素が「核インフラストラクチャー」の整備だが、これは施設や設備の「ハード・インフラ」よりも「技術者・科学者」などの「ソフト・インフラ」の整備と再構築がはるかに重要だと、指摘している部分である。
フィリピン非核兵器法は、「核兵器廃絶」に立場から、実に現代の核兵器体系をよく研究し、深いところから「核兵器の定義」を行っているといえよう。
ところで、こうしたフィリピン「非核兵器法」の立場からすれば、B61核爆弾を搭載可能なスーパーホーネットは、それ自体立派な核兵器なのだ。
またこれまで見てきたように、第5空母航空団が厚木から岩国に移駐してくるということは、単に「岩国基地機能強化」といった表現を越えて、岩国が核兵器攻撃能力を備えたアメリカ海軍の前線基地に変質する、ということだ。
ところが、冒頭に引用した、広島市長・廿日市市長連名の「要請書」にも、岩国に連帯を表明したヒロシマの「連帯呼びかけ」にも、こうした観点は全くない。スーパーホーネットが岩国に移駐して、実戦配備されるということが、実は「核兵器」が自由に広島の空を飛び回ることと同義だ、という認識はなく、従ってそのことそのものに対する危機感はまったく感じられない。 |
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また、もうひとつ別な観点から、この問題を眺めることも出来る。
それは「核兵器廃絶への道筋とはなにか?」という観点である。
2010年5月3日から28日まで開かれたNPT再検討会議の最終文書案(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/pdf/Draft_Final_Document_2010_5_27.pdf>)の第T部82項前半に次のような記述がある。
『 |
再検討会議は、「非核兵器地帯」達成に関する市民社会と各国政府からの新たな提案とそれぞれのイニシアティブについて特筆する。』 |
この記述は、直接には、今回の再検討会議で、「中東非核兵器地帯」の提案が行われたこと、そればかりでなく、これを政策課題として正式に取り上げたことが念頭にあるのは明らかだが、各国政府や地域グループ代表の一般討議演説(「お知らせとお願い」(http://www.inaco.co.jp/isaac/info/2010_05_08.htm)を通して読んでみた時、中東非核兵器地帯のことだけに関する言及とは思われない。
現在地球全体には、「南極条約」、「ラテンアメリカ及びカリブ海における核兵器禁止に関する条約」、「南太平洋非核地帯条約」、「東南アジア非核兵器地帯条約」、「中央アジア非核兵器地帯条約」、「アフリカ非核兵器地帯条約」と7つの非核兵器地帯とモンゴル1国だけの「モンゴル非核兵器地位」が成立し、いろいろな抜け穴が構築されているとはいうものの、その地域内では、核兵器の製造や貯蔵はもちろん、核兵器の存在そのものを拒絶している地帯が存在する。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Nuclear_Weapon_Free_Zone/nagare.htm>)
非核兵器地帯については、例えば日本の外務省やそれを支持する学者・研究者は、「NPTの核不拡散体制」の補完物という見方を崩していない。
その側面は確かに存在するのだが、「東南アジア非核兵器地帯」成立あたりから必ずしもそうとはいえなくなった。各地域の市民社会がこれを積極的に「核兵器廃絶の手段」の一つとして利用し始めたからだ。
例えば、東南アジア非核兵器地帯では、その非核兵器地帯に200海里の「経済水域」や大陸棚まで含めている。これは事実上、核兵器保有国はこの地域に核兵器搭載艦船や潜水艦、戦闘爆撃機を配備出来ないことになる。こうなるともう、NPT核不拡散体制の「補完物」とはいえなくなり、核兵器保有国に対する攻撃的性格を帯びることになる。
従って、アメリカを始めとする核兵器保有国は、今に至るも東南アジア非核兵器地帯を承認していない。(具体的には、消極的安全保証を約束する追加議定書に署名・批准していない。)
しかし、こうした非核兵器地帯成立は、一朝一夕で達成されたものではない。
それぞれ長い歴史と、連帯・連携への努力、またしたたかな市民戦略があった。 |
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「東南アジア非核兵器地帯」成立に大きな影響力を及ぼしたフィリピンのフィリピン大学物理学教授(=当時)、ロジャー・ポサダスは、「東南アジア非核兵器地帯」側の意図を次のように説明している。
『何人かの軍事アナリストは、この地域における超大国の通常兵器による前線攻撃力兵力をそのままに保ちながら核兵器のみを撤収化されると主張している。
しかし、この主張は非現実的である。なぜならば、
(a) |
両超大国がこの地域に展開している前線兵力の戦略においては、核兵器は通常兵器とまったく一体化されており |
(b) |
両大国のこの地域への通常兵器による干渉は容易に核戦争にエスカレートされうるからである。 |
したがって、私は他のアナリストによって採られている次のような立場に同意する。
アジア・太平洋地域における核戦争の危機を減少させる最も有望なアプローチは、ヨーロッパにおけるような核軍縮交渉を通じてのものではなく、この地域の超大国兵力を物理的に引き離し、彼らの作戦、干渉を許す領域を局限するような地帯を創設するためのアジア・太平洋の非核国家の協力を通じる道である。
とくに南太平洋、東南アジア、北太平洋の諸国はすべての超大国の前線兵力を締め出す、一つの連続した、非核、非干渉の緩衝地帯を確立するために共同して行動すべきである。
この意味で、1985年の南太平洋非核地帯の創設はもっとも歓迎すべきイニシアティブであった。』
(「太平洋の非核化構想」−岩波新書−に収録されている同氏の論文から) |
ポサダスがここで述べていることは明確であろう。
1. |
「非核兵器地帯」は決して、NPTの核不拡散体制の補完的性格をもった国際条約ではなく、核兵器大国の前線核配備体制にギャップを作り、それらを引き離す機能を持っている。 |
2. |
こうした「非核兵器地帯」を地球上に連続して作れば核戦争の危険を減少させることができる。 |
つまり、「非核兵器地帯」は運用によっては、核兵器保有国の戦線配備能力を大幅に減少させることができる、「攻撃的性格」を持つことが出来る、ということだ。このことを突き詰めていけば、言い換えれば、核兵器保有国を「非核兵器地地帯」でぐるりと包囲していけば、核兵器保有国は結局自国領土と領海内だけにしか、核兵器の実戦配備が出来なくなり、その「核兵器戦略」と「威嚇体制」は大幅に減じられる。
「非核兵器地帯」は、当初は確かに「NPT補完機能」だけしか持たなかった。 |
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しかしその代表格であった「ラテンアメリカ・カリブ海非核兵器地帯条約」も、その後進化を続け、ブラジル・アルゼンチンが共同で「非核宣言」を行って同条約に加盟したことをきっかけに、キューバも2002年に加盟して、同地域に残った植民地をのぞけば、すべての主権国家が参加することとなった。
ばかりでなく、その後IAEAとチャレンジ査察協定を結んで、予告なしにIAEAが加盟各国を査察できることになった。
これは日本の「非核3原則」などというわけのわからないものとは違って、自国領土内に、いついかなる時でも核兵器が存在していないことを、IAEAが証明する「核兵器の不存在証明」に等しい。
2009年に成立した「中央アジア非核兵器地帯条約」においても、参加5カ国が個別にIAEAとチャレンジ査察に近い協定を結ぶことが義務づけられ、個別条約の締結発効をまって、2009年3月に正式に発効した。
こうした諸国に共通した思想は、
1. |
核兵器による安全保障(すなわち核抑止力による安全保障)は決して真の安全保障にはならない。真の安全保障とは地域内諸国と対等で互恵の信頼関係を構築することだ。 |
この考え方は1980年代半ばに成立したニュージーランド、デビッド・ロンギ政権が当時のレーガン政権の国務長官ジョージ・シュルツに放った言葉、「核兵器のような危険なもので守ってもらわなくて結構。今後核搭載艦船のニュージーランド寄港を一切拒否する。」という力強い言葉に代表されるだろう。
2. |
核兵器などといった危険なものは、決して自国領土内や領海・近辺海域に存在させてはならない。 |
これは、従来12海里の自国領土内で非核兵器地帯を成立させてきた慣例を破って、200海里経済水域、大陸棚まで一挙に拡大して東南アジア非核兵器地帯を成立させた、ASEAN10カ国の思想に端的に表現されている。ついでに云えば、ミャンマーを含むASEAN10カ国は、こうして構築した信頼関係をベースに「東南アジア共同体」創設に突き進んでいる。
こうした諸国の市民たちが偉いのは、日本の非核三原則などといった日本の国内でしか通用しない政治ドクトリンではなくて、現在の国際政治体制の枠組みの中でキチンと法的に彼らの政治的思想と意志を認めさせている、と言う点だろう。
言い換えれば、自分たちの思想と意志をキチンと「政治政策化」しているということだ。そうして彼らは自らの「核兵器廃絶運動」を地道に粘り強く闘ってきた。
これが、日本の「核兵器廃絶運動」と決定的に違っている点だ。 |
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(以下第3回へ)
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