No.30
2010.9.1
2010年8月6日平和宣言を読み上げる秋葉忠利
(photo by sarah amino)
『
「ああ やれんのう、こがあな辛い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」
−中略−
「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰にも あっちゃあいけん」』
「オバマジョリティのアキバ」こと、我が広島市長、秋葉忠利の、
2010年8月6日「平和宣言」
の、冒頭の、このぎこちない広島弁を聞いて虫酸が走ったのは私ひとりではあるまい。
私は1948年
(昭和23年)
広島市内牛田で生まれ、市内中央の東胡
(ひがしえびす)
町で育った。当時は商業者の通りであったが、今は見るも無惨な歓楽街になっている。小学校は幟町小学校で中学校は幟町中学校である。いずれも佐々木禎子の通った学校である。
小中学生を通じて、「いびせえ」
(怖い、恐ろしい)
という広島方言を使った同級生は一人もいなかった。それもそのはずである。広島市内では「おとろしい」または「おっとろしい」と言った。
広島市の北部から県北の人たちが、「いびせえ」といっていることを知ったのは中学に入ってからである。県北から広島市内に働きに来て、夜間高校に通っているお兄さんから聞いた。
「広島方言」とされている「いびせえ」が古語の「いぶせし」に由来し、「威武せし」と漢字にあてて書くことを知ったのはずっと後のことである。
民俗学者の柳田国男の『蝸牛考』を読んで、彼が「方言周圏論」を展開し、文化や言葉は、中央から周辺へ同心円的に波及していき、要するに京都から離れれば離れるほど、古い大和言葉の形を残している、という説を知り、時には離れ小島のように「ぽつり」とある地方や地域に、古い形の言葉が生き残っていることがあることも知り、恐らくは「いびせえ」もその類だろうと当たりをつけたのは、それよりさらに後のことである。
沖縄を旅行した時、「東風平」という地名を見て、「こちんだ」と読むことを教えてもらい、すぐに菅原道真の「東風ふかば・・・」の歌を思い出して、柳田説はやはり正しいのかしらん、と思ったのはさらにずっと後のことである。
なぜ、秋葉は、ぎこちない、しかも広島市内の人間がほとんど使わないような方言まで使って2010年広島平和宣言を始めたのだろうか?
また、彼の広島方言がぎこちないことは別として、なぜ私は、「秋葉の広島弁」に虫酸が走ったのだろうか?
それは広島弁を使って、秋葉が「広島の人間」であることをことさらに装うとしたからであろう。また、広島への原爆投下で死んでいった人間が、広島弁を使う人間
(それにしてもあのように、ぎこちない、つぎはぎだらけの広島弁を使った人間はそう多くはなかったと思うが)
であったことを強調したかった、その意図があまりにも露骨だったからに違いない。
完全に西欧化した生活様式と教養を身につけたアフガニスタンのハーミド・カルザイがアメリカの後押しを受けて傀儡大統領になった途端、アフガニスタン
(彼はパシュトゥーン人)
の民俗衣装を身にまとって人前に登場し始めた時に、多くのアフガニスタン人の中に走った「虫酸」に、それはよく似ているかも知れない。
一種の「へつらい」と言おうか・・・。
しかし、秋葉は何も「北部安芸弁」を使って2010年「平和宣言」を始めなくても良かったのだ。
広島で死んだ人間は、「北部安芸弁」を使う人間ばかりではなかったのだから。
広島市内の人間は別な広島弁を使ったし、旧日本帝国陸軍第5師団に狩り集められた兵士の出身地は、多く広島県全域
(福山を中心とする備後弁は全く別種の方言だ)
、山口県、島根県全域にわたっていた。そもそも軍都「広島」には様々な出身地からやってきた日本人がいた。そればかりか、広島で原爆の被害を受けた人間の約10%は、徴用や、強制労働で狩り集められた、あるいは日本の植民地政策で食い詰めて広島へ流れてきた朝鮮人だった。中国人留学生も少なくなかったし、外国人宣教師もいた。アメリカ人捕虜すらいたのである。
みんな原爆の被害者である。原爆は、何語をしゃべるか、人を選んで投下することは出来なかった。だから、秋葉は、普通の、日本語を使って、平和宣言を始めれば良かったのだ・・・。
論理的な首尾不一致、空疎な言葉の羅列と「へつらい」はこの平和宣言を貫く一大特徴である。このことは、後でも詳しく見る。
秋葉は勘違いしている。
人の胸に刻まれる言葉は、その言葉の形式によってではなく、内容によって決まる。また、言葉の内容はその人の思索の深さによって決まる。
『
ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。』
と、秋葉は、あのぎこちない広島弁に続けて、平和宣言の中で述べている。広島が、被爆者と広島市民の力で美しい都市に復興した、といわれると抵抗を感ずる被爆者やその家族もあるいは存在するかも知れない。
というのは、もともと広島市の復興は、被爆者
(戦争被災者)
を切り捨てたままの復興だったからだ。
広島の復興のきっかけとなったのは、「広島平和記念都市建設法」
(1949年−昭和24年)
だろう。この法律で「ヒロシマ」は国から金を引き出し、土地を無償で手に入れ、不釣り合いな「戦災復興」に着手した。確かに、広島「内外」の土建業者は潤った。広島の経済界も潤ったに違いない。
それで、良かったのか、悪かったのかは今も判定できない。
「広島」の復興は原爆投下直後から始まった。1945年11月広島市議会は早くも復興委員会を組織している。
(なお、この市議会は戦前の市議会議員で構成されていた。)
被爆者救済どころか、死体がそのまま「ヒロシマ」に埋まったままの「復興」だった。
『
以上のような状況の中、1946年
(昭和22年)
に一市民の柿原政一が「復興事業に着手するまでに、一度戦災者の供養をしなければいけない。いまだに市中には幾多の死体がガレキの下に埋まっているはずだ。その死体の整理と、犠牲者の供養をしないで、復興事業を始めるということは絶対に間違いだ。』
(桐谷多恵子「戦後広島市の“復興”と被爆者の視点」。なお桐谷はこの部分を濱井信三『広島市政秘話』から引用して書いている。)
このため中島の慈仙寺の鼻に「戦災死没者霊供養塔」が建てられはした。しかし多くの被爆者
(当時広島市内に暮らしていたものはほとんど全員が被爆者であり、その家族である。)
は、特にもっとも打撃が大きく、医療援助、生活援助の必要な被爆者は、うち捨てられたままの「復興」だった。
当時、被爆者の医療援助に携わったのは主として広島市内の医師だった。こうした医師の努力が、1957年
(昭和32年)
の原爆医療法として結実するが、それも当初は、熱線と爆風による被害は「予算の制約」で医療援助の対象外とされ、放射線被害だけが対象だった。
被爆者の医療援助に比べれば、“復興”は素早かった。
52年8月6日には原爆慰霊碑が完成し、55年5月には平和記念館、同年8月には広島平和記念資料館が完成する。極めて不十分な「原爆医療法」が成立する2年も前である。
秋葉のいう「国の内外からの支援により美しい都市」に復興した「平和都市」広島は、その経緯を見てみれば、「弱者としての戦災者」「弱者としての被爆者」を切り捨てたままの「土建屋平和都市」だった、ということがいえよう。
それでも日本国籍のある被爆者はまだ度重なる「原爆医療法」の改正や1994年12月成立の「被爆者援護法」で救済された。
日本に国籍のない被爆者や日本に居住しない被爆者、特に朝鮮人被爆者はどうなったのか?
度重なる訴訟で、朝鮮人被爆者らが原爆手帳の交付を受けられるようになったのは、1978年3月のことである。しかも交付は日本在住に限定されていた。
日本国外に居住していても、「被爆者援護法は国家補償的性格と人道的目的から、被爆者はどこにいても被爆者という事実を直視せざるを得ない」と大阪高裁が判決し、国が控訴を断念してこの判決が確定して、援助が受けられるようになったのは、今からわずか10年足らず前の2002年12月である。
秋葉が、2010年8月6日、『ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し』と述べた時、こうした「広島弁をしゃべらない」被爆者のことは恐らく念頭になかったに違いない。
もし広島の原爆被害者の約10%を占める朝鮮人被爆者や日本語をしゃべらない被爆者のことが念頭にあれば、とても「被爆者や広島市民」の力で広島が復興した、とはいえないだろう。
この平和宣言を通じていえることだが、ここで示されている「事実認識」や「意見」、「感想」、「提言」などは、広島市民の意見や思いを反映したものだろうか?恐らくはそうではあるまい。
『ヒロシマは、・・・そしてオリンピックの招致を目指しています。』と秋葉は言い切っている。この「広島オリンピック招致」の問題などは典型的であろう。広島は少なくとも、地元を挙げてオリンピック招致に取り組むという体制ではない。
たとえば、地元の中国新聞が2010年6月に行った世論調査では、広島県内で、42%が「オリンピック招致」に反対し
(賛成は26.4%)
、肝心の広島市内では50.8%が反対している。
(賛成は22.8%)
広島市議会も消極的で、調査費そのものも出し渋っている状況だ。
にも関わらず、秋葉は「ヒロシマはオリンピック招致を目指している」と言い切っている。彼は誰を代表してそう言い切るのだろうか・・・。「広島市」は秋葉の私物なのか。
もともと新聞で読む限り、秋葉の「オリンピック招致」は、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」でいうところの「2020年」核兵器廃絶を前提とした話だった。「2020年核兵器廃絶」がなければ、「2020年広島オリンピック」はなくなるのか?そうではあるまい。核兵器廃絶が2020年に実現しようがしまいが、もし「2020年広島オリンピック」開催が決定すれば、開催しなければなるまい。こうしたことからもわかるように、「核兵器廃絶」と「広島オリンピック」は本来関連のない話だ。本来関連のない話を短絡的に結びつける発想をまともに扱う方が間違いなのだ。
私個人は、「核兵器廃絶祈念2020広島オリンピック」を秋葉が言い出した狙いは別にあると考えている。
「核兵器廃絶」という極めて政治的な問題を、「オリンピック招致」というイベントにすり替えることによって、広島における「核兵器廃絶問題」を政治問題化することから逸らせていく、というのが秋葉の狙いだろう。
ヒロシマやナガサキは、これまで「核兵器廃絶」を「人道的スローガン」として唱えてはきたが、「政治問題」としては認識してこなかった。今も基本的にそうである。だから「ヒロシマ・ナガサキの訴えが国連に届きました。」みたいないいかたが、堂々とまかり通って、誰も怪しまない。
ところが「核兵器廃絶」を政治問題として捉えると、「ヒロシマやナガサキの訴えが国際社会に浸透してきました。」などと言ってはいられなくなる。
イランやエジプト、ニュージーランドやオーストリア
(オーストラリアではない)
、ベトナムやフィリッピン、カザフスタンやモンゴルなど圧倒的に多くの世界の国々が、なぜ「核兵器廃絶」に取り組むかというと、それぞれ「核兵器」に苦しめられた、あるいは現に苦しめられている歴史をもつからだ。従って彼らにとって「核兵器廃絶」は、単に「人道主義的スローガン」ではなく、100%現実的な政治課題だ。
「唯一の被爆国」といういいかたがあるが、これらの国々もまた「核実験のよる被曝国」であったり、一触即発の「潜在的被爆国」であった歴史をもっていたり、あるいは現にその脅威にさらされている国々だ。日本もその他の国も脅威や被害を受けたと言う点ではかわりない。
それどころか、日本が「唯一の被爆国」であったのは65年前の遠い昔の話で、「核兵器の脅威」の切実性という点ではその他の国より弱くなっているかも知れない。
現実は、日本は、アメリカの核拡大抑止力
(核の傘)
にドップリつかることによって、「核戦争の危険」のまっただ中にいる。私たちは、また日本国内にアメリカの核兵器が存在しない、と言う保証のない世界に生きている。これが今の日本を取り巻く政治状況である。これほど危険なことはない、という危機感は少なくとも日本全体にはない。また「ヒロシマ・ナガサキ」にもない。
「核兵器廃絶問題」を100%現実政治問題だと捉えれば、すぐさま日米安全保障体制の中でアメリカの拡大抑止力(核の傘)の下で暮らし、従って長年非核三原則が形骸化してきた問題、すなわち現実に日本が直面している「核兵器廃絶問題」に、ヒロシマ・ナガサキはすぐ気づくはずだが、なかなかそういう展開にはならない。
これは私たち日本の市民、特に広島・長崎の市民が、「核兵器廃絶問題」を「スローガン化」し、一種「イベント化」して来た結果に他ならない。言い換えれば「核兵器廃絶問題」から、慎重に「政治性」を抜き取ってきた結果に他ならない。
秋葉にしたところで、本当に広島でオリンピックを開催できると信じてはいないだろう。彼がそれを言い出した狙いは、広島・長崎における「核兵器廃絶問題」をさらにスローガン化し、一層の「イベント」化に拍車をかけることにある、と断じて間違いがないだろう。
言い換えれば、秋葉の狙いは、核兵器廃絶問題」から広島・長崎市民の視線をそらせるところにある。「核兵器廃絶問題」から「政治性」を抜き取り続けようという意図がはっきり見て取れる。
だから秋葉の「核兵器廃絶」は、常に政治性を含まない、
『
地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。』
のような、中身のない、前後の脈絡のない、空疎な言葉として、炎天下の広島の空に雲散霧消することとなる。
続いて秋葉はこういう。
『
今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。』
ここの文章構成は、少し丁寧に見ておく必要がある。
まず前段からのつながりをみると、「平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしている」証拠が「今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果」だ、ということになる。
「被爆者のメッセージが世界の行く手を照らしている」証拠が2010年5月に開催された「NPT再検討会議の成果」だ、という秋葉の牽強付会な論理構成力は、「日本は侵略国家であったのか」と題する雑文を書いた防衛省航空幕僚長・空将
(=当時)
・田母神俊雄並のお粗末さだが、その問題は今置くとして、「被爆者のメッセージ」が2010年NPT再検討会議「最終文書」の成果を生んだのか、という事実認識の問題に注目したい。
事実関係として、「広島・長崎の被爆者のメッセージ」がNPT最終文書生成に及ぼした影響は全くない。最終文書には、どこにもそれは書かれていないし、5月28日、NPT再検討会議終了直後、国連本部「ニュース・メディア局・広報部」
(Department of Public Information ・ News and Media Division)
が発表した、広報資料「参加主要各国の声明集」を見てみても、日本政府以外に「ヒバクシャ」に触れた政府代表もグループ代表もいなかった。
その日本政府代表も、『非核兵器保有国からの多くの緊急な要求にもかかわらず、核分裂物質製造の停止宣言の重要性には触れられなかった。そのような行動は、核軍縮にとって不可欠であり、地球規模で認識されるべきである。数千の「ヒバクシャ」、核兵器の犠牲者のことであるが、またその多くは70歳から80歳であるが、ニューヨークに旅してきており、外交交渉がどうなるかを見守った。』とだけ述べ、「ヒバクシャのメッセージ」が最終文書生成に大きな影響を与えた、という認識を全く示していない。
(「2010年NPT再検討会議:核兵器を嫌悪する非同盟運動諸国 各国・各グループ代表の最終文書に対するコメント集」(
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_06.htm
)の「アメリカのリーダーシップを賞賛する日本代表」の項参照の事)
つまり「被爆者のメッセージが世界の行く手を照らしている」「証拠」がNPT再検討会議の「成果」だ、という秋葉の言い分は、まったく秋葉が頭の中で、でっち上げた創作ストーリーなのである。
(
秋葉クンは、広島市の「平和宣言」が広島市の公式文書である、という点を全くお忘れのようである。全く秋葉個人の私物だと思っている。この「平和宣言」は広島市が公表した公式文書として地球の続く限り残る。2010年の平和宣言の中に、時の市長がでっち上げたストーリーが残ることは、広島市民の一人として恥ずかしい、と思う。かつての広島市長の中には、「広島への原爆投下は、平和をもたらしたと云う意味において“不幸中の幸いだった”」と述べ、後で「あれは間違いだった」と取り消した市長もいたが、秋葉クンも後で取り消さなければならないようなことは、言わないことだ。もっともわずか1年前“オバマジョリティ”をあれほど呼号し、市民の税金を使ってポスターまで作り、また市民の一部をおだてて“オバマジョリティ音頭”を作らせた上、風向きの変わった今年は素知らぬ顔している我が秋葉クンに、自分の発言を取り消すだけの勇気と誠実さがあるとは思えないが・・・。「あれは間違いだった」ということも、その人の誠実さの表れである。)
さて、NPTの最終文書はどんなことを言ったのか?
まず秋葉の言い分を聞いておこう。2010年「8・6平和宣言」における、秋葉の要約によれば、
(1)
核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重すること。
(2)
市民社会の声に耳を傾けること。
(3)
核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれたこと。
ということになるだろう。
まず(1)核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重すること、は大うそである。
最終文書は、「完全核軍縮」
(すなわち核兵器廃絶)
の合意を再確認したのだ。秋葉は最終文書を読んでいない。
「核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重する」という趣旨はもともと1970年核兵器不拡散条約スタート時の精神だった。その後、核兵器保有国
(というより事実上アメリカとロシア、フランスだが。)
は核軍縮に取り組まなかった。ためにその後核兵器不拡散条約(NPT)の存続をめぐって1995年の見直し会議では大もめにもめるのである。
この時、「非核兵器保有国」は、「核兵器保有国」が「誠実に核軍縮努力」をしないならば、本来不平等条約である核兵器不拡散条約を存続させる意味はない、と主張した。
核兵器の独占を続けたい核兵器保有国は譲歩し、「誠実に核軍縮努力を行う」と約束した。このために、5核兵器保有国は個別に、NPT加盟の「非核兵器保有国を核攻撃しない」という、いわゆる消極的安全保証宣言を行ってすらいる。しかしなおも彼らは誠実な核軍縮努力を行わなかった。
世界の核兵器の95%以上を保有するアメリカとロシアは、「核軍縮努力」と称して、2国間交渉を行ってきた。これは現在も変わらない。いわばお手盛りの「核軍縮努力」である。NPTでの約束を誠実に守るならば、核軍縮交渉は非核兵器保有国も交えた「多国間交渉」でなければならない。これが誠実な「核軍縮努力」というものだ。
(
私は、この非核兵器保有国の主張を、一部政府代表の演説、一部グループ代表の演説、一部NGOの演説を読んで初めて知った。それまで、アメリカ・ロシアの2国間核軍縮交渉を、まがりなりにも、核軍縮努力の一環と思っていたが、言われればその通りである。言ってしまえば、寡占業界でトップ企業とナンバー・ツー企業が、寡占制限交渉をするようなもので、お手盛り・談合の茶番劇に過ぎないことは明らかだ。このことを、指摘されなければ気がつかない私は大バカものである。)
「完全核軍縮」(核兵器廃絶)を合意したばかりではない。
非同盟運動諸国
(NAM)
は、5核兵器保有国に対して、「核兵器廃絶合意」の期限を迫った。NAM諸国の示した期限は2025年である。仮に2025年を「核兵器廃絶合意」の期限としても、それから核廃絶の実行段階に入ることになる。核兵器保有状況の事実確認、それらの安全化、廃棄、処理、検証の手続きには恐らく10年、20年の歳月はかかるであろう。
核兵器廃絶に本気で取り組もうとするならば、何も無理はないスケジュール設定だろう。2010年から2025年の間に、核兵器保有国内部で、核兵器廃絶の国内意思統一を行い、「核兵器のない」安全保障体制を構築する時間は十分にある。
主としてアメリカとフランスは猛然とこの「2025年を核兵器廃絶合意の期限とする」という提案に巻き返しを図った。そして、この期限設定をとにかくも排除した。
その無念の気持ちは次のような各国声明から十分窺える。
非同盟運動諸国
(NAM)
を代表して、エジプト政府は、
『
時間的制約のため、今回会議で達成しようと狙った課題を、すべては達成出来なかった。しかし非同盟運動諸国は、各国から発言しつつあった“善意”をうまく活用しようと決断した。そして今回最終文書は、これから先の数年間、“取り引き”の基礎となるものだと、非同盟諸国は見なしている。』
と述べ、核廃絶期限設定に失敗したが、しかしそれでも合意した方が得策だ、今回合意文書は、これから先の「取り引き」の基礎に十分なりうる、と判断したことを述べている。
キューバ代表は、「再検討会議は高い期待へと導いた」ものの、「結果は功罪相半ばする。結論は前進的ステップを含んでいた。そして同時に、最終条文は本来必要であるべき内容からすると依然としてほど遠いものであった。最終的結論は、依然としていくつかの核兵器保有国との間には距離があることが明白なままとなった。その一方で、喜んで取るべき具体的なステップも明確となった。」と述べ、「核兵器廃絶期限設定」に失敗したことに対してあからさまな不満を示している。そして「非同盟運動諸国から提案された多くの行動計画は“薄められた希望と願望”としてしか反映されなかった。キューバは、2025年までを期限として核廃絶を達成することも含め、出来る限りのことをした。しかし、それは叶わなかった。」
リビア代表は、婉曲な表現ではあるが、アメリカとフランスは、核保有国としてイスラエルの名前を挙げてNPTに加盟させよう、という動きには反対するくせして、自分たちはNPT加盟国であるイランを核疑惑国として非難し続けている、と述べた上で、「そのアプローチは、迅速なNPTからの脱退を招く」と述べ、核兵器保有国が自分たちの専横を続けるならば、イランはNPTから脱退する恐れがある、と警告している。イランがNPT諸国の中核的存在の1国であることを考えれば、「NPT脱退」「NPT空中分解」は、NAM諸国全体の覚悟だったのではないかと、私は想像している。
イラン代表になるともっと手厳しい。
『核兵器の存在は人類に対する最も喫緊の危険だ。またその破滅的な結果は、そのようなことが起こらないように防止するあらゆる手段をとることが、人類すべての義務として課せられている。核兵器の無差別的な性格は、国際人道法の下に禁止さるべきものとして分類される。』と述べた上で、にも関わらず、現在それに逆行したことが行われている、すなわち、
『核兵器敞を近代化することは非難されるべきだ。』『そしてそのことに寛容であってはならない』と述べ、アメリカのオバマ政権が、核兵器体系の近代化に多額の予算を投じていることを非難した上で、今回の合意は見るべきものがない、と断じている。
そして、しかしそれでも、イランが最終文書に合意したのは、多くの参加各国の合意に向けた努力と熱意を尊重しなければならない、と判断した結果だと、述べた。
(
以上前出「2010年NPT再検討会議:核兵器を嫌悪する非同盟運動諸国 各国・各グループ代表の最終文書に対するコメント集」の各国政府代表声明を要約)
何度も引用する上記、国連広報資料のタイトルが「NPT再検討会議、最後の瞬間に最終文書採択」となっているように、恐らくは「核兵器廃絶の期限」に関する具体的文言を入れるかどうかで最終合意は「最後の瞬間」までもめたのだと思う。
フランス代表は、最終合意文書を、野心的なロードマップと評価した上で、『その成功に対して議長と主委員会及び小委員会の委員長に感謝の意を表明した。代表の同僚に言及して、フランス代表は、最後の数時間で最終文書をふたたびいじらない努力をしたことにも感謝の意を表明した。』
と「核兵器廃絶の期限」を盛り込むかどうかで最後のつばぜり合いを演じたことを十分窺わせる内容になっている。
またロシア代表も、
『
ロシア連邦の代表は、議長、主委員会委員長、小委員会委員長そして交渉の過程の最後の数時間での込み入ったチャレンジにおけるノルウェイ大使の技倆及びプロ意識に対して感謝の意を表明した。』
とし、ノルウエィ代表が、NAM諸国の要求を抑えて、アメリカ、ロシア、フランスなどの核兵器保有国の意向を汲んで、「期限削除」に動いたことを窺わせている。
だから、核兵器廃絶への具体的な提案は、非同盟運動諸国を中核とする非核兵器保有国からなされ、アメリカを中心とする核兵器保有国が、一部の西側諸国を使って、提案から「具体性」を抜き取っていった、というのが実際経過だろう。
しかし、「中東非核兵器地帯創設」へ向けた具体的ステップで合意したことは、なんと言っても大きな成果だった。
この点は、秋葉が「8・6平和宣言」で全く触れなかった成果でもある。
「中東非核兵器地帯」創設そのものは、1995年、NPTが無期限延長を決めた時にすでに決議されていた。
その眼目は中東唯一の核兵器保有国イスラエルに核兵器を捨てさせ、核兵器不拡散条約に加盟させることにある。それはそうだろう。今もし第三次世界大戦勃発の要素があるすれば、それは、中東におけるイスラエルの存在だ。イスラエルは核兵器保有国である。従ってイスラエルの絡んだ戦争は「核戦争」となる危険を孕んでいる。そのイスラエルに核兵器を捨てさせ、NPTに加盟させるというのは、中東諸国だけでなく、多くの非同盟運動諸国にとって当然の要求だろう。
しかし、「中東非核兵器地帯」創設はその後一歩も進まなかった。アメリカが全く動かなかったからである。しかし、今回はそのことが具体的に盛り込まれ、合意された。
前出の「国連本部・ニュース・メディア局・広報部」が2010年5月28日、最終文書合意直後に発表した「NPT再検討会議、最後の瞬間に最終文書採択:不完全で複雑な文脈だが、あらゆる側面で前進と演説者たちは語る。」と題する広報資料は次のように伝える。
『
中東地域に「中東非核兵器地帯」を創設するという1995年決議の実施に焦点を合わせた。このことは、1995年に無投票、無期限に核兵器不拡散条約を延長する、という決定の基盤となっている事柄でもあった。
また再検討会議は2000年再検討会議で決議した、イスラエルが条約を受け入れること、またその核施設を包括的にIAEAの安全保障措置の下に置くことの重要性を再確認することを要請した。また会議は、中東地域のすべての国が、1995年決議の目的
(中東非核兵器地帯の創設)
を実現する確かな建設手段と適切なステップを取るべきことを主張した。
そのゴールへ向けて、再検討会議は、すべての中東諸国参加のもとに2012年、非核兵器地帯及びその他の非大量破壊兵器地帯設立に関する会議の招集を、その地域の国家が自由に参加することを基盤として、保証した
(endorsed)
。会議は1995年の中東に関する決議
(中東非核兵器地帯創設)
のその条項を当然のことと見なしている。そして会議はその決議を実施に移すことを支援するための支援機構
(a facilitator)
を、
(国連)
事務総長及び1995年決議の共同提案国によって指名することを保証した。』
つまり、これまでのようなお題目としての「中東非核兵器地帯創設」ではなく、2012年には、創設に向けた国際会議を開催すること、さらにそのために支援機構
(a facilitator)
を設置することを決めたのだ。確認するがこの合意にはアメリカも加わっている。この事に対する評価は、NPT参加国の間では極めて高い。
たとえば非同盟運動諸国を代表する形でエジプト代表は、会議終了後に出した声明で次のように述べている。
『
1995年中東決議は15年経た後でも全く実施に移されていないが、再検討会議はその実施を前進させるための行動計画を採択することによって、中東地域に“核兵器及びその他の大量破壊兵器の存在しない地帯”を創設するという目的に向かって一定の進歩を見せた。』
さらにエジプト代表は、非同盟運動諸国が1995年決議
(いわゆるイスラエル決議)
の完全実施に向けて他の諸国と共に全力をあげると明言した上で、『条約をイスラエルが受け入れることの重要性を、再検討会議が再確認したこと、そしてイスラエルの核施設すべてをIAEAの包括的保障措置の下に置くことを再確認したことは、条約参加国全部が1995年及び2000年のコミットメントを追求していくことを確認したことになる。』と述べている。
アラブ・グループを代表する形で声明を発表したレバノン代表は、今回の結果に完全に満足していると述べ、中東地域の安定と平和を追求するために、イスラエルが地域の他の国とともに、非核兵器保有国としてNPTに加盟することの必要性を強調した上、『第2委員会の委員長としてアイルランドのアリソン・ケリー
(Alison Kelly)
大使がこの問題に大きな努力をなした』として、アイルランドを高く評価している。
ヨーロッパ連合
(EU)
を代表する形で声明を出したスペイン代表ですら、「中東に関する1995年決議を前進させるものとなるだろう」と特筆せざるを得なかった。
もともと今回の会議に大きな期待を抱いていなかったと明言するロシア代表は、『この15年間はじめて、再検討会議は、中東地域における「大量破壊兵器及び実戦配備システム不存在地帯」創設に向けた共同作業に対して、具体的なステップを設定することが出来た。この決定の基盤はロシア代表団によって設定された考えがベースになっている。』と述べた。
いちいち挙げていけば切りはないが、「中東非核兵器地帯創設」へ向けて具体的なステップをとること、が参加国すべての合意事項
(繰り返すがアメリカを含んでいる)
として、最終文書に盛り込まれたことは、ほとんどすべての国が評価した点だろう。
「中東非核兵器地帯創設へ向けて具体的なステップ」をとることの重要性について、日本国内で評価が低いこともまた事実である。ヒロシマの平和宣言でもナガサキの平和宣言でも当然のことながら触れていなかった。
これは、アメリカや日本の外務省がこの問題に対する評価を低く見せたい、という世論誘導があったことが一つ。それより何より、私たち日本の市民が、「第三次世界大戦の危機」にピンと来ておらず、その火薬庫は中東であり、その元凶はイスラエルだ、イスラエルこそもっとも危険な核兵器保有国である、という国連社会での認識を共有できていないところに基本的要因があるのだと、私は考えている。
(「最も危険な核兵器保有国、イスラエル」を参照の事。
<
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/025-1/025_1.htm
>)
いつまでも“オバマ惚け”をしていると、私たち日本の市民は、今もっとも危険な「核戦争」の脅威から目をつむり続けることになる。
もしイスラエルがこのNPT最終合意に無視を決め込むなら、それはNPT参加国全体を敵に回すことを意味する。これまで陰に陽にイスラエルをかばい続けてきたアメリカ・オバマ政権もこれ以上イスラエルをかばい続けることが出来なくなった。もしそれを続ければ、オバマ政権が狙う「核不拡散体制」確立へ向けてのリーダーシップをとることは先ず不可能だからだ。だからオバマ政権も「イスラエル」を名指しした最終文書に合意せざるを得なかった。
(あと最終文書で国名を名指しで非難されたのは北朝鮮である。先の国連広報部の資料の表現を借りれば、「朝鮮人民民主主義共和国が6者協議の下での深い関与を満たすことを主張した。中にはすべての核兵器を完全かつ検証出来る形での放棄、2005年9月共同声明に沿ってその現存する核計画を放棄することも含まれている。朝鮮民主主義人民共和国は、出来るだけ早い時期に条約に復帰し、IAEAの安全保障措置を遵守することも主張された。」ということになる。)
さらに、この「イスラエル」問題には皆が口をあけてポカンとするような「サプライズ」のおまけがつく。
5月28日最終文書が、参加各国全員一致で採択された直後、アメリカ政府代表は「イスラエルの名前を書き入れたことを後悔している。」という声明を出したのだ。それでは合意を取り消すのかというとそうではない。先の国連資料から、アメリカ政府代表の声明を引用すると、
『
中東における核兵器及び大量破壊兵器とその実戦配備システムに関して適切に問題を話し合う2012年の地域会議に関する合意も含んでいる。この問題に関しては、アメリカは長い間支持してきたが、しかしその達成のためには基本的な先決事項が存在することを確認する。アメリカ代表は、アメリカはその義務を深刻に受け止めており、成功への条件を創造するために努力するであろう、と述べた。しかしながら、アメリカのそうする力は、文書にイスラエルの名前が入ったために大きく損なわれた。アメリカ政府は「深く後悔している。」』
なんともわかりにくい表現だが、要するに「イスラエル」の名前が書き込まれたために、アメリカのイスラエルに対する影響力行使が損なわれる結果になった、そのことを深く後悔している、ということだ。ならば、合意そのものをけっ飛ばせばよさそうなものだが、前述の如く、そうすれば、アメリカに対する威信は地に墜ちる。リーダーシップを発揮するどころではない。しかし、イスラエルに対する配慮は見せなければならない。こうしたディレンマが、「後悔声明」に見られるサプライズになったものと見える。「みっともにない」という感懐以上に、力の落ちたアメリカ、地盤低下のオバマ政権の現状を私は感じている。もうアメリカはブッシュ政権の時のように、「気に入らない」とけっ飛ばす力もなくなっている、ということだ。
こうして見てくると秋葉が、2010年NPT再検討会議最終文書の成果とした次の内容、
(2)
市民社会の声に耳を傾けること。
(3)
核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれたこと。
自体の事実認識も怪しくなってくる。
(2)の市民社会の声に耳を傾けること、は正確ではない。これは秋葉の解釈だ。
正確にいえば、最終文書は、「核兵器廃絶」に向かって「地球市民社会が果たす役割はますます増大している。」と言及したのだ。これは直接には、地球のあちこちに「非核兵器地帯」が成立し、これら非核兵器地帯成立において各国の「市民社会」が小さからぬ役割を果たしてきたことを念頭に置いている。
特に2009年には「中央アジア非核兵器地帯」と「アフリカ非核兵器地帯」が発効している。非核兵器地帯は、かつては、アメリカを中心とする核兵器保有国の「核兵器独占体制」を補完する仕組みとして捉えられた。
(現在でも日本の外務省はその見解を維持している。)
しかし、1997年3月に発効した「東南アジア非核兵器地帯」あたりから、そうとはいえなくなった。核兵器保有国の「核兵器実戦配備体制」に亀裂を生じさせ、「核兵器を使った恫喝戦略」に直接、対抗していく攻撃的な「核兵器廃絶運動」の一つとして捉えられはじめたのだ。
これだけではないが、最近でいえば、スコットランドにおける「核兵器搭載原子力潜水艦母港化」反対闘争がついにイギリス政府を「核兵器廃絶」の方向へ動かし始めていること、また古くはフィリッピンで「非核兵器法」が成立したこと、ニュージーランドで「反核法」が成立したこと、などいずれも市民社会が政府を動かし、国家政策に大きな影響を与え始めていることを指している。
特に今回NPT終了後の各国声明では、チリとノルウエィ政府が市民社会の貢献について触れている。
チリ政府代表。
『
・・・
(中東)
非核兵器地帯に関して開かれる会議が、再検討会議構成の中で組織されたことを歓迎している。中でもその中心的な成果は、中東におけるそのような地帯を実現すべく政治的キャンペーンを発足させようという決断が行われたことだ。NPT再検討のプロセスは進化している、そして以前になした行動によって支援されている。再検討会議の「最も美しい装飾」かも知れない熱意を身にまといつつ、市民社会
(civil society)
はその存在感を示した。それらの名称は、参加者リストで29ページに埋め尽くされている。そしてチリ代表は彼ら
(市民社会からの代表たち)
に対して感謝の意を表明する。』
ノルウエィ政府代表。
『
最終文書は1995年と2000年の契約
(compacts)
を回復した、そして重要なことは中東決議を書き入れたことだ。最後に、NGO社会による参加は、それらの関与が必要であることと、その価値を示した。』
と述べた。
だから、「核兵器廃絶」へ向けての市民社会の役割は、秋葉のいうような「市民社会の声に耳を傾けること」などといった消極的なものなのではなく、それぞれ各国の市民社会が、能動的に「核兵器廃絶」へ向けて政治活動を行い、それぞれ大きな成果をあげていること、そして国連社会で積極的に発言し、影響力を行使し始めていることが最終文書で特記された、と考えるべきであろう。
次に、秋葉の指摘する「核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれたこと。」というのも、秋葉独特の解釈だ。
最終文書では、確かに「核兵器禁止条約」が検討されるべきとは言っているが、「核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれて」はいない。しかも最終文書中の表現は、「核兵器禁止条約」
(a nuclear weapons convention)
と常に特定の「核兵器禁止条約」
(the nuclear weapons convention)
案ではないことをさりげなく示している。
秋葉がいう「・・・を含む新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれた」というのは、秋葉が自分の脳裏だけに見ている幻影に過ぎない。なぜ秋葉がこの「幻影」を見たかったか、その理由は明白であろう。あとでも出てくる
「ヒロシマ・ナガサキ議定書」
もそうした「新たな法的枠組み」の一つであることを匂わせたかったからに違いない。
果たして、この「新たな法的枠組み」なる言葉の後に、『これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓くために必要であることが確認されました。』と云うセリフが続いている。
秋葉は、本当は「ヒロシマ・ナガサキ議定書」
(それはA4版1枚の雑文である。批判しようにも検討しようにもどうしようもない雑文である。)
が「未来を拓くために必要であることが確認されました。」と胸を張りたいところだろうが、さすが「厚顔無恥」の秋葉もそこまではいえなかった。
なぜならば、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」なる雑文は、日本政府を含めてどの国も取り上げなかった。それは当然であろう。「2020年までに核兵器を廃絶しましょう。」というスローガンのみが書かれた雑文を、どこの国であれ、真剣に検討しようにも出来なかったからである。
国連は自ら主権を持つ連邦組織ではない。あくまで主権国家の連合体だ。従って国連を構成する主権国家しか、なんであれ提案する権利を持たない。だから「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は、それを取り上げる主権国家が存在しない以上、NPT再検討会議の入り口にも入れない。わかりやすくいうと「ヒロシマ・ナガサキ議定書」はNPT再検討会議から歯牙にもかけられなかったのである。
だから秋葉も「ヒロシマ・ナガサキ議定書が未来を拓くために必要であることが確認されました。」とはどうしてもいえなかった。
だから、この文章をよく読んでみると、「確認された」のは、「ヒロシマ・ナガサキ議定書に賛同する自治体の主張が必要であること」という構成になっている。
しかしだからといって、事態は一向に変わらない。この自治体の主張とは、とりもなおさず「平和市長会議」の主張ということだろう。
最終文書にも、各国政府・各グループ代表の声明のどこにも、日本政府の声明も含めて、「平和市長会議」の主張に触れた文言は一言半句もなかった。
そうすると「未来を拓くために必要であることが確認されました。」という秋葉のセリフは一体何に根拠を置いているのか。幾分誇大妄想気味の秋葉の頭の中の「幻想」にのみ、その根拠があると言うべきであろう。
さてこうしてみてくると、2010年広島「8・6平和宣言」の秋葉の、前段に続く次の言葉、
『
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。』
はいかにも白々しい、うつろな言葉として響いてくるだろう。
国連事務総長としても潘基文の、国連社会における悪評についてはここで詳細に語っている余裕はないので割愛する。すくなくとも彼は、今回最終文書形成に「核兵器廃絶期限設定削除」に動いた以外、何の影響力も、指導力も発揮しなかった。「核兵器禁止条約」を言い出したのも、「核兵器廃絶期限設定」の動きを見て、「いや、その問題は別な枠組みでやろうや」と言うのが狙いだった、としか、少なくとも私には見えない。
『
オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。』
に至っては、“What are you talking about ?”以外の言葉が見当たらない。
すべて秋葉の幻想であり、もう少しいえば、オバマに対する「おべんちゃら」であり、アメリカの強い影響下にある国連事務総長潘基文への「おべんちゃら」としか私には読み取れない。
秋葉の次の言葉、
『
また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
こうした絶好の機会を捉え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑っている人もまだ多いからです。』
は無意味で脈絡のない“たわごと”の羅列として聞き流しておこう。ただ駐日アメリカ大使ルースが出席したのは、決して「被爆者や広島市民の気持ちを汲んだ」ためではない。
「第二次世界大戦におけるすべての犠牲者に対して敬意を表明」するために出席したことは、アメリカ国務長官補佐官フィリップ・J・クローリーが7月28日に明言している。
(<
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
2010_7_28_US_press_conference.html
>)
2010年8月6日広島平和祈念式典に出席したジョン・V・ルース米大使(中央)
(photo by sarah amino)
しかし次の言葉は聞き逃せない。
『
今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理細かく優しい援護策を実現すべきです。』
ここで秋葉がいっていることは、
(1)
核兵器廃絶の先頭に立つため日本政府の出番である。
(2)
非核三原則の法制化
(3)
「核の傘」からの離脱
(4)
黒い雨降雨地域の拡大
(5)
世界中の被爆者にきめ細かい援護策を実現
ということだ。
これが見逃せない理由は、秋葉がいかにものを深く考えずに、思いついた言葉を単に並べているかを集約的に示しているからだ。
確かに秋葉の言うとおり、日本政府は核兵器廃絶のためにこれまで何もしてこなかった。2010年再検討会議においても、最終日政府声明で「極めて重要な貢献はアメリカの様々な主導のもとになされた。その手始めがオバマ大統領のプラハ演説である。また新STARTも大きな貢献をなした。」と全く見当違いなことを言っている。
もっとも「オバマのプラハ演説」で世界の核兵器廃絶機運が高まった、という見解は、日本全体を覆う「日本外務省プロパガンダ」である。あとこれに類したことを言っているのは、アメリカ自身だけある。イギリスですらこれを言わなかった。
その日本政府
(確認しておくが、NPT再検討会議の時の日本政府はすでに自民党政権ではなく民主党政権だった。)
の「核兵器廃絶の先頭に立つ出番」だというのである。
そして、その具体的な施策は、「非核三原則の法制化」と「アメリカの核の傘からの離脱」だというのである。
秋葉は自分の言っていることの中にある根本的矛盾に全く気がついていない。田母神俊雄同様、論理構成力「ゼロ」である。
(本当に頭の悪い人だと思う。)
「非核三原則」の法制化をなぜ為さねばならないか?それは、アメリカの圧力に押されて、単に内閣方針である「非核三原則」が、「密約」まで設定されて、守られていないからである。内閣方針では「非核三原則」は有名無実になってしまっているから、これを日本の法律にしましょう、というのが「非核三原則法制化」の要求だ。
これを日本政府が行うことは「核兵器廃絶の先頭に立つことだ」と秋葉は言う。
ところがちょっと待て。日本に圧力をかけて「非核三原則を有名無実化」させているのはアメリカ政府である。そのアメリカ政府の大統領は、バラク・オバマである。そのオバマを秋葉はこの宣言の中で、
『
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは・・・オバマ大統領率いる米国連邦政府
(中略)
も、大きな影響を与えました。』
と述べたばかりではないか。
(主語と述語が一貫して完結しないのは秋葉忠利の作る文章の特徴であって、私の引用の仕方が悪いせいではない。)
そうするとアメリカ大統領のオバマは、「核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫び」を国連に届かせるのに大いに影響を与えたが、日本に対しては「非核三原則を有名無実化」させることによって、日本が「核兵器廃絶の先頭に立つのを妨げている。」ということになる。
もし秋葉が「非核三原則の法制化」をいいたいのであれば、前段でオバマを持ちあげるべきではなかった。オバマを持ち上げた上で、「非核三原則の法制化」をいうのは論理矛盾である。
「核の傘の離脱」も全く同じことがいえる。いや、さらに悪い。民主党政府は、昨年からの「密約報告書」問題で、非核三原則をいわゆる「2.5原則化」しようとして、取りあえず世論操作に失敗した。いわば「確信犯」である。
なぜ民主党政府が「非核三原則」を「非核2.5原則化」
(それは事実上の非核二原則化である。)
しようとしたのであろうか?いうまでもないだろう。「核の傘」に大手を振って安住しようとしたからだ。
厳格に「非核三原則」を守れば、アメリカはいかなる状況においても、日本に核兵器を持ち込むことができず、「核の傘」
(核の拡大抑止力)
を維持できなくなるからだ。
だから、もし秋葉が「平和宣言」で、本気で「核の傘からの離脱」を求めるならば、「日本政府の出番です。」などと「おべんちゃら」を言うべきではなかった。民主党政府に対する非難と「非核三原則法制化要求」「核の傘からの離脱要求」はセットなのだから。
この点2010年長崎平和宣言は、論理的にも現実政策の上でも首尾一貫している。
『
非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。
日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。』
(2010年長崎「平和宣言」<
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
hiroshima_nagasaki/2010_0809_taue.html
>)
私個人は、長崎平和宣言のいう「北東アジア非核兵器地帯構想」は、日本の外務省主導の、核兵器保有国核独占体制の補完物としての「非核兵器地帯構想」ではないか、と疑っているが、従って21世紀の今日、実現しそうにない、と見ているが、それはともかく、秋葉の論理構成に比較して、長崎の主張は論理首尾一貫している。
同じ「非核三原則法制化」を主張しても、秋葉は「日本政府の出番」としての「非核三原則の法制化」だが、長崎平和宣言は「日本政府に対する国民の信頼を回復する」ための「非核三原則の法制化」だ。同じ主張をしても、内容は天と地の開きがある。ということは説得力も天と地の開きがある、ということだ。それほど秋葉の主張には説得力がない。
私個人は、秋葉の「非核三原則」と「核の傘からの離脱」は、8月6日が近づくにつれて、秋葉が後で挿入したものではないかと疑っている。それほど論理的にはつぎはぎだらけだからだ。
もし、私の想像が正しいものとして、秋葉は、なぜ竹に木を次ぐようにこの2項目を挿入したのだろうか?
それは今年の春以降、広島と長崎の有識者の考え方が、急速に「非核三原則」「核の傘からの離脱」に傾いていったからだ。
(例えば、次の「ヒロシマ・ナガサキ声明」を参照の事。
<
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2010_0301.html
>、
<
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/2010_0329.html
>)
長崎の平和宣言も今年これに言及した。「非核三原則法制化」「核の傘からの離脱」は今や広島・長崎の世論となってきているのである。
秋葉は、これらに考慮したのである。もう少しはっきり言えば「右顧左眄」したのである。だから、非論理的な触れ方となってしまったのである。
(
広島と長崎の世論を、それぞれ地元の新聞、中国新聞や長崎新聞から読み取ることは出来ない。特に中国新聞の場合は、「オバマ賛美」の色彩が今でも色濃く、秋葉市長寄りの論調であり、広島の世論を代表しているとは言い難くなっている。「核兵器廃絶問題」「原爆被害問題」をイベント化、話題化することによって、今や反動バネとして機能している。)
しかし、仮に日本が「非核三原則の法制化」を実現し、アメリカの「核の傘」から離脱したところで、秋葉が言う世界の「核兵器廃絶」の先頭に立つことはできない。
多くの諸国がすでに「非核兵器地帯」に参加し、
(南半球の主権国家の領土内はほぼ全域非核兵器地帯である)
、中にはすでに独自の「非核兵器法」をもって核兵器に関わることを犯罪としている国が出てきていることを考えれば、「非核三原則法制化」や「核の傘」からの離脱をしても、まだ他の諸国から見ると遅れている。
このことは21世紀の「核兵器廃絶運動」とは何か、という問題とも密接に絡んでいる。日本における「核兵器廃絶運動」とはこれまで一貫して「非政治運動」だった。だから、その主な行動は、国際社会や各国に被爆者を送り、その「被爆の悲惨」を訴えて回ることだった。あるいは核兵器保有国首脳に対して抗議の電報を打ったり、手紙を書いたりすることだった。
しかし世界の多くの諸国の市民にとって、「核兵器廃絶運動」はまずは優れて政治問題だった。だから、自分たちの主権の及ぶ範囲での政治活動を行ってきた。そうした行動の成果が、たとえば「非核兵器地帯の成立」であったり、ニュージーランドやフィリピンのように独自の「非核兵器法」であったり、「反核法」を成立させていることが挙げられる。
「スローガン」としての「核兵器廃絶」ではなく、鋭い政治問題としての「核兵器廃絶」という課題から見ると、日本の「核兵器廃絶」は、陸上のトラック競技に例えるなら、世界の平均値からは1周も2周も遅れているのだ。
もう一点、私は非常に気になることがある。秋葉は、「平和宣言」の中で、日本政府に対する要求として「世界中の被爆者にきめ細かい援護策を実現」を言っている点だ。
このこと自体に何らの誤りはなかろう。
この一文の冒頭で述べた通り、広島での被爆者は何も「北部安芸弁」をしゃべる被爆者ばかりではなかった。中でももっとも悲惨な、「二重」「三重」の被害者は、広島での朝鮮人被爆者だった。
被爆後、日本を退去して故国にかえった朝鮮人被爆者はさらに悲惨な道をたどった。朝鮮人被爆者が原爆手帳の交付を受けられるようになったのは、1978年。長い裁判闘争の挙げ句である。しかし問題は解決しない。日本に居住していなければ医療援護を受けられないからだ。日本国外に居住していても、医療援護、生活援護が受けられるようになったのはやっと2002年である。
しかしそれでも問題は解決しない。被爆者であることの証明には2人の生き証人が必要だ。やっと生き証人を見つけて、援護を申請しても、次の壁が待っている。それは広島市役所が「審査に2年から3年かかります。」と云うからだ。「世界の被爆者援護」は広島市で独自にできることと出来ないことがある。しかし「被爆者申請」に対する審査期間の短縮は広島市でもできることだろう。今私は2010年の現実について書いている。
日本国外被爆者の被爆者認定審査に時間がかかる現状を放置しておいて、「世界中の被爆者にきめ細かい援護策を実現すべき」だと言うのは、私は秋葉の「偽善」の匂いすら感じる。
もし、秋葉が「世界中の被爆者にきめ細かい援護策を実現すべき」というなら、同時並行的に、広島市としてやれることに全力を挙げるべきだろう。でなければ、私はこれを「秋葉の偽善」と呼ばざるを得ない。
秋葉忠利は、広島の平和宣言で、この後、3段落ほど脈絡のないことを述べた上で、
『
核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。』
と矛盾と取り繕いに満ち満ちた「2010年平和宣言」を締めくくっている。
もし秋葉が「核兵器廃絶」に向けて死力を尽くす、というのであれば、今年の平和宣言で最低限ふれて置かねばならないことが二つあった筈だ。
一つは、「岩国米軍基地機能強化」の問題だ。「日米ロードマップ」に従えば、核爆弾B61を搭載できるスーパーホーネット戦闘爆撃機が、少なくとも3飛行大隊37機、2014年までに厚木から岩国に移駐してくる。アメリカ海軍がアメリカ国外に常駐させる唯一の前線空母航空団、「第5空母航空団」の一部である。
基地機能強化に反対する岩国市民の闘争は、今年に入ってさらに燃え上がっている。基地機能強化に反対する岩国市民を含め、この反対闘争が、実は生活に密着した「核兵器廃絶運動」なのだ、それは核兵器搭載型原子力潜水艦の母港化に反対するスコットランド市民の「核兵器廃絶運動」と全く同じ「核兵器廃絶運動」なのだ、という意識はほとんどない。
それは構わない。多くの岩国市民にとって、それが「核兵器廃絶運動」かどうかのレッテル張りはどちらでも構わない。自分たちの生活空間の安全と安心が脅かされることに対して闘うことがより基本的で、重要なことだからだ。
むしろこれを生活に密着した「核兵器廃絶運動」だと捉える事の出来るのは、「被爆地ヒロシマ」しかない。私たち広島市民しかこれは出来ない。
しかし秋葉忠利は、ついに岩国米軍基地機能強化反対闘争を、「岩国の核基地化問題」、現代の「核兵器廃絶運動」と把握することに失敗している。
それはなぜか?彼が「核兵器廃絶」を、抽象的なお題目、精々言って自分の名前を挙げるための「スローガン」としか捉えていないからだ。「核兵器廃絶」をもっとも尖鋭的な政治問題として捉えることに失敗し、精々オリンピックを呼び込むための「イベント」としてしか捉えていないからだ。
ヒロシマがその独自の観点から、核兵器搭載型戦闘爆撃機の岩国移駐に反対して闘争を展開すれば、それは同時にスコットランド市民の励ましにもなる。
当然、今年の平和宣言で、秋葉はこの問題に、触れるべきだったが、触れようともしなかった。
もう一つは、オバマ政権の悪質な核兵器政策を糾弾しなかったことだ。
今年4月オバマ政権は「核態勢見直し」を発表し、その中で、北朝鮮とイランを名指しで、「核攻撃の可能性のある対象国」とした。
さすがに2010年再検討会議最終文書は、『非核兵器保有国が、あいまいでないまた法的にも裏付けされた形で安全保証
(security assurances)
を受けるまっとうな利益を再確認しつつ、再検討会議は、同時に、「軍縮会議」が、そのような保証のための効果的かつ国際的な討議を即座に開始することを決議し』、オバマ政権の悪質な核兵器政策をたしなめた。
しかし「被爆地ヒロシマ」、核攻撃の悲惨さを経験したヒロシマにはもっと別な対応があってもいいのではないか?
「核攻撃を受けること」と「核攻撃をすると恫喝されること」は、実は「核兵器の使用」という意味においては全く同じである。
「核攻撃をする可能性」があると脅されるイランや北朝鮮の市民の立場になって考えれば、その恐怖はいかばかりであろうか?特に過去に核兵器を実戦使用し、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、核兵器使用の一歩手前までいったアメリカの恫喝であって見れば、なおさらではないだろうか?
核兵器の恐怖を、2度といかなる市民に対してでも味あわせてはならない、というのが“ノーモア・ヒロシマ”の思想ではなかったのか?
それとも“ノーモア・ヒロシマ”は、イラン市民や北朝鮮市民に対しては適用されないとでもいうのだろうか?
それは“ノーモア・ヒロシマ”の二重基準である。ならばそれは「偽善の秋葉」を通り越して「偽善のヒロシマ」である。
(
2010年9月1日付け中国新聞は、【マニラ共同】電として、秋葉忠利がフィリピンのマグサイサイ賞を受賞した、と伝えた。私はマグサイサイ賞のためにこの決定を惜しむ。賞の権威は結局誰に受賞するかによって決まる。ノーベル平和賞委員会は、かつてはジョージ・マーシャルやヘンリー・キッシンジャー、日本の佐藤栄作などに平和賞を乱発しその権威を落とした。マグサイサイ賞もその権威を落とさないことを希望する。)