(2011.9.14) | ||||||||||||||||
<参考資料>「ABCC(原爆傷害調査委員会) 全体報告 1947年」 |
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▽「ABCC 全体報告 1947年」へ |
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アメリカのナショナルアカデミーズ(National Academies)のサイトに、ナショナルアカデミーズ・アーカイブズ(http://www7.nationalacademies.org/archives/index.html)という一種の電子公文書館がある。 その中に「ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)1946年−1982年」という項目ページがある。(<http://www7.nationalacademies.org/archives/ABCC_1945-1982.html>) ABCC、すなわち原爆傷害調査委員会に関する第一次資料がふんだんに収められている。ABCCの成り立ちや背景を知る上でもっとも貴重な資料は、恐らく「ABCC 全体報告 1947年」(Atomic Bomb Casualty Commission General Report 1947)であろう。 (<http://www7.nationalacademies.org/archives/ABCC_GeneralReport1947.html>) 原文書を写真複写した画像をPDF化したファイルは上記サイトから簡単に入手できるが、私もダウンロードしてこのサイトの参考資料の一つとした。 ABCC(原爆傷害調査委員会)は、特に広島や長崎ではお馴染み深い。戦後直ぐに日本に乗り込んできて広島と長崎での原爆生存者の調査を行った、特に非人道的だった、治療はしてくれなかった、などいう話がいまでも語られている。 代表的には、広島市が運営する広島平和記念資料館のバーチャル・ミュージアムの次のような記述だろう。(「ABCCの設置」<http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/panel/A4/4103_2.htm>)
これを読むと、1947年にABCCは広島と長崎に設置されたかのように読める。といって誰が設置したのか、その目的はなんだったのかについては明らかではない。というより何か一定方向の思いこみによってこの記事が書かれているという印象が強い。 今日本全体は、「フクシマ危機」に遭難している。「フクシマ危機」の本質は、東京電力福島第一発電所の原子炉や核燃料プールから飛び出してきた電離放射線による「低線量内部被曝が日本市民の健康を長期的に蝕み、その老化を促進し、“生活の質”を破壊的なまでに下げ、特に放射線に感受性の高いグループ、胎児、乳児、子ども、少年・少女、若い女性に対しては、死に至るような深刻な障害をあたえるだろう」というところにある。 この「フクシマ危機」に対して、日本政府やその官僚組織、その下請けである地方行政組織、同心円状に巨大な核産業界、それらに奉仕することを自己目的とした、政治家や学者グループや学術界、それを支持する言説を振りまくことで生活の糧と世俗的な名声や権威を得ているジャーナリズムや言論人・・・十把一からげで「核推進勢力」と呼んでおくが、核推進勢力は「フクシマ危機」などは存在しないかのように扱っている。 彼らの主張は、一言でまとめると「福島原発事故で発生している放射能は多くの日本市民にとっては低線量であり、さして危険なものではなく、むしろそのことを気に病むこと(放射線恐怖症)の方が健康に害がある」というものだ。 「放射線は外部から大量に浴びない限り、健康にさして害がない」、これを私は「放射能安全神話」と呼ぶが、核推進勢力が今日本中に周知徹底させようとしているドグマが、この「放射能安全神話」だ。「原発安全神話」が破綻した今となっては、核推進勢力が唯一頼りとする最後の砦が、この「放射能安全神話」である。 (先日、9月11日・12日福島で、日本財団主催で開催された「専門家国際会議」なるものもこうした「放射能安全神話」周知徹底の一環である。しかしギャンブルで設けた金で運営されている日本財団=笹川ファミリーと、放射能安全神話に奉仕する学者グループとは、いうにいわれぬ、お似合いの組み合わせではある。) 「放射能安全神話」の科学的外装は、国際放射線防護委員会(ICRP)の学説によってなされている。そのICRPの学説を強力に支えているのが、ABCCが広島と長崎で行った「原爆生存者生涯(寿命)調査」(LSS)のデータなのだ。 だから今、ABCCとはいったいなにもので、何をなしとげ、それが現在の「フクシマ危機」とどう関わっているのかを調べ、研究することは大いに必要なことなのだ。その作業を通じて、「フクシマ危機」脱出のひとつの手がかりが見えてくる。 「ABCC 全体報告 1947年」の構成は次の通りである。 |
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ABCC 全体報告 1947年 | ||||||||||||||||
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