【参考資料】外交問題評議会  2010.11.2

<参考資料> 50年のアメリカと日本:基調演説 「今までの日米同盟を続けるわけにはいかない」(前編)
外交問題評議会(Council on Foreign Relations −CFR) 理事長・リチャード・ハース
写真はwikipediaリチャード・ハースよりコピー<http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_N._Haass>
 
日米安全保障条約50年

   2010年10月8日、ワシントンDCで「50年のアメリカと日本:その弾性と更新(The United States and Japan at 50: Resilience and Renewal)と題されたシンポジウムが開かれた。ここで「50年」といっているのは、言うまでもなく「日米安全保障条約締結50年」という意味である。このイベントは外交問題評議会と朝日新聞の共催である。朝日新聞は、2000年代に入ってアメリカ外交問題評議会との連携を強めており、アメリカ国務省及びその有力なシンクタンクである外交問題評議会のアメリカ外交政策の基本線に沿った報道をしてきている。私は一種のアメリカ支配層の日本世論誘導だと考えている。(こうした視点に立って、「鳩山辞任劇」「小沢一郎追い落とし劇」「普天間基地問題」「尖閣列島問題」を眺めてみるのも一つの参考になろう。)

 私はこの記事で、このシンポジウムにおける、元アメリカ国務省の高官、現外交問題評議会・理事長のリチャード・ハースの基調講演から、生粋の帝国主義者の本音を考えようとした。成功しているかどうかわからない。しかし私にはこれを読んで「やっぱり」という実感がある。前編はハースの基調講演を扱う。後編はこのシンポジウムの共催者朝日新聞の主筆、今や外交問題評議会のイデオローグ、船橋洋一とのやりとりを扱う。

 なお外交問題評議会に関してはhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/00.htmなど、またリチャード・ハースについてはhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/02.htmhttp://www.inaco.co.jp/isaac/back/028/028.htmなどを参照して欲しい。また外交問題評議会と朝日新聞の関係についてはhttp://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/iran/06.htmなどを参照して欲しい。なお朝日新聞は外交問題評議会におけるリチャード・ハースの肩書きを常に「会長」と表記しているが、「外交問題評議会・理事会」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/2.htm>)の項を参照してもらえばおわかりの通り、彼の肩書きは「President」であり、ヒエラルキーの上では、ハースの上に、元アメリカ通商代表カーラ・ヒルスと元ゴールドマン・サックス会長のロバート・ルービンの二人の共同会長(Co-Chairman)がおり、さらにその上には外交問題評議会の実質的オーナーであるデビッド・ロックフェラーが名誉会長、元ニューヨーク連銀総裁で倒産したリーマン・ブラザーズ出身のピーター・ピータンソンが栄誉会長として今なお君臨している。従って私は、リチャード・ハースは「理事長」と訳すことにしている。またなお文中『 』はハースの講演からの引用である。この記事の引用元は外交問題評議会のサイトhttp://www.cfr.org/publication/23149/united_states_and_japan_at_50.htmlである。またこのサイトの説明によれば、こうしたシンポジウムが開催できたのは、米国キヤノン(Canon USA)、三井物産(Mitsui & Company)、アメリカ三菱重工業(Mitsubishi Heavy Industries America)、米国三菱商事(Mitsubishi International Corporation)、ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(ソナム−Sony Corporation of America)、北米トヨタ自動車(Toyota Motor North America)の支援があったから、としている。上記企業のうち、少なくともソナムと北米トヨタ自動車は外交問題評議会の企業メンバーであることが確認できている。(「外交問題評議会・企業メンバー」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/03.htm>を参照の事。)
 
 また、前日本経団連会長の御手洗冨士夫は、社長・副社長時代を含めほぼ30年近く米国キヤノンに勤務した。 


船橋洋一とシーラ・スミス

 
 オハヨウゴザイマス。グッドモーニング。ヘブライ語を話す人には「ボケル・トーヴ」(Boker tov)。シンポジウムへようこそ。』

 「Boker tov」は現代ヘブライ語で「おはようございます。」という意味だそうだ。参加聴衆は日本人が多かったのはもちろんだが、ユダヤ人・ユダヤ系アメリカ人も多かったと想像する。NNDBの「ユダヤ系統」(Jewish Ancestry)というサイトを見ると、リチャード・ハース自身も「ユダヤ系統」に分類されている。(<http://www.nndb.com/people/908/000119551/>)

 ハースの話は、このシンポジウムに多くの著名な日本人パネリストを参加させた朝日新聞の努力を賞賛した上で、

 長い、数えられないくらい何十年来の友人であり、朝日新聞主筆で、評議会のアジア研究担当上席フェローであるシーラ・スミスと共に作業してきた船橋洋一が、今日をもたらしたことに私が感謝しないとすれば、怠慢のそしりを免れないでしょう。洋一、アリガト、本当にあなたは、何年も私を教えてくれた。』

 と、取りようによっては実に「意味深」な発言をしている。

  シーラ・スミス(Sheila Smith)は、ジョセフ・ナイに代わる外交問題評議会の対日イデオローグであり、しばしば朝日新聞に登場している。もともとはコロンビア大学出身の研究者で日本問題の専門家といっていい。東京大学や琉球大学にも研究員として在籍したことがある。彼女が頭角を現したのは、恐らくは、アメリカ議会が1960年に設立したシンクタンク「イースト・ウエスト・センター」(the East-West Center)にいた時だろう。この時彼女はアメリカのアジア太平洋地域に対する政策研究の専門家だった。この時慶応大学にも席を置いたことがある。2007年に外交問題評議会入りし、現在は日本研究プログラムの上席フェローである。沖縄問題にも詳しい。

(以上スミスに関する記述は<http://www.politico.com/arena/bio/sheila_a_smith.html>や<http://www.eastwestcenter.org/about-ewc/>、<http://www.cfr.org/bios/12373/sheila_a_smith.html>などによる。)

 リチャード・ハースの説明によれば、外交問題評議会の「研究プロジェクト」に属する研究者(フェロー)のうち約30人がアジア問題に焦点をあてた研究をしており、その研究成果は「枷を解かれたアジア」(“Asia Unbound”)という表題で、外交問題評議会の公式Webサイトに発表しはじめた、とのことだ。(同コラムは次。<http://blogs.cfr.org/asia/>)オバマ政権の第三次政策見直し(the Obama administration's third policy review)に先立って、アフガニスタン問題やパキスタン問題など重要なアジアに関する政策立案を提言しようと意気込んでいるとのことだ。


経済問題が最大の関心事

 
 経済問題から始めさせて下さい。この部屋の中には、セバスチャン・マラビー(Sebastian Mallaby)やその他の人たちのように私よりはるかに良く理解している人たちがいますので、僭越だとは思いますが、この問題が、この街(ワシントンDC)だけでなく、この国のどの都市においても最大の関心事(the preoccupation)なものですから。

 経済問題がこの国において最大の関心事であることは説明に難くありません。私たち(の経済)は、極めてのろくさい成長です。1%−2%の幅を下回っています。いつものごとく、経済専門家の間に議論はあるというものの、私は、表面に現れた見方も、コンセンサスがあるというわけではない、といって置きましょう。しかし、私がやりとりしているほとんどの経済専門家や金融専門家が示している支配的な見解は、今のレベルの成長は、今後もしばらくは頑固に持続するだろうということ、現在ののろくさい成長は、アメリカにおいて、しばらくの間、例外というよりも原則になりそうだと言うことです。』 

 2009年当初オバマ政権は、アメリカの経済成長を09年+0.13%、2010年+3.43%と予測した。2010年2月、09年の実際値(−0.02%)が出た時点で、10年経済成長を2.72%と修正した。しかし2010年もここで、ハースが指摘しているとおり2%をはるかに下回る成長率となることは確実である。

 アメリカがあれだけの財政出動を行って、なぜこれほどの低経済成長(しかもその経済成長は上げ底である)なのかはこれ自体興味あるテーマなのだが、先を続けよう。


アメリカの失業率は実質15%

 
 頑固に持続すると言う点では失業もそうです。失業率は公式の統計では10%近辺に張り付いています。非公式の統計では、少なくともそれより50%は高いでしょう。(すなわち15%近辺)そして再び、私が話をする経済専門家や金融界の人々は、失業は極めて高いレベルにあり、これは控えめな言い方ですが、極めて高いレベルにあり、しばらくは頑固に続きます。』

 アメリカ経済の真の、そして最大の問題は、低い経済成長ではなく、「失業」問題であろう。08年リーマンショック前、アメリカの公式の統計では失業者はすでに1000万人レベルに達していた。2008年1月755万人だった失業者、6月には866万人、リーマンショック発生の前月(08年8月)にはすでに955万人に達していた。リーマンショックが発生した9月の翌月には、1022万人とあっさり1000万人の大台を突破し、その1年後の2009年10月には、1560万人と空恐ろしい数に上る。2008年初頭に比べると倍増である。その後オバマ政権の財政出動(たとえばセンサス調査員の大量一時雇用)にもかかわらず、今まで1500万人レベルに張り付いており、結局オバマ政権の対策は失業者の急激な伸びを止めた、という言い方は出来ても、失業者対策に成功したとはとても言えない。失業者が大量に発生したことが、アメリカ国内の消費を抑え、住宅の不良債権問題に拍車をかけ、連邦政府の歳入減・歳出増を大きくし、連邦政府の負債を増やしている直接の要因の一つとなっていることは疑いない。(アメリカの失業者数については次を参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/02.htm>)

 しかもハースの見込みでは、こうした公式統計より実態はその50%増しだというのだ。私は驚かない。というのはアメリカの失業率統計は、日本のそれと同様一種の詐欺的要素を含んでいるからだ。ILOの「失業者」の定義は、「就業の能力と意志があって、就業しておらず、かつかつて求職活動をしたことがあるもの。」であり、ヨーロッパ諸国はおおむねこの定義に従って失業率を算出している。アメリカの定義は、上記の求職に条件をつけ、「就業調査時点以前4週間以内に求職活動をしたことがあるもの。」となっている。求職活動を4週間以上行っていない者は失業者から省かれる。だから、実際の失業率は実際より低く見せかけられる。日本の場合はもっと悪質で、上記求職期間が「1週間以内」となっている。日本の失業率が、ヨーロッパ諸国やアメリカに比べて異常に低いのは、日本の厚生労働省の「失業者」の定義のせいだ。


巨大な連邦政府負債の問題

 
 そしてこの2つのチャレンジ・セット(低経済成長と失業者問題のセットのこと)、あるいは問題にアメリカの負債問題があります。すなわちアメリカ連邦政府の財政赤字が毎年1.3兆ドルも積み上がっているという問題が、特にここ十年の間の問題ですが、存在します。』

 ここでハースが提出した数字はやや不正確な印象を与えるかもしれない。アメリカ連邦政府がここ十年毎年厖大な単年度赤字を積み上げてきたのは事実としても、その単年度赤字の積み増し額が1兆ドルを越えるようになったのはオバマ政権になってからである。

 「財務省証券(アメリカ国債)の保有者」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/05.htm>)というデータを見てみると、クリントン政権末期黒字だったアメリカ連邦政府の年間会計はブッシュ政権に入ると赤字になり、オバマ政権初年度にかけてついに1兆ドルを突破する。オバマ政権の通しでの最初の暦年である2009年には1.5兆ドル、2010年には2兆ドルに達することはほぼ確実だ。繰り返すがこれは1年間の連邦負債の積み増し額である。(ここでの数字は暦年の数字。ハースがあげた1.3兆ドルは2010会計年度の数字で若干誤差がある。アメリカ連邦政府はコスト発生主義でなく現金主義の会計方法をとっているため、その年のアメリカ財務省証券の発行額を連邦政府の純負債とみなすことが出来る。)

 だから、年間1.3兆ドルという数字もこれから発生するだろうとホワイトハウスが予測している数字からするとまだ過少という事が出来る。(「アメリカ連邦政府総負債の推移とGDP比率 2010年2月」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/07.htm>を参照の事) 


「ニュー・ノーマル」という言い方

 
 ですからこれらの問題、のろのろした経済成長、頑固に持続する失業、負債の積み上がり、これら見えている未来の問題を形容するフレーズとして、ワシントンDCやニューヨークでは「ニュー・ノーマル」(the new normal。新たな通常)という言い方が増えています。

 アメリカの一市民であり、また同時にアメリカの観察者である私に言わせれば、身も蓋もないことになりますが、真の疑問はこれら問題にアメリカの政治は挑戦的に対応できているかということです。そして私は、これがわが国が直面している最大の問題という他はない、と思います。そして、再びこの問題は、わが国の選挙を通じて選ばれた代議員たちが、これら問題に喜んで取り組んでいるかまたその能力があるのかという点に関する問題であります。』

 私から言えば、「よくいうよ」という感じがしないではない。アメリカの全般的政策を立案してきたのは外交問題評議会に代表されるアメリカの支配者層とその代理人だった、という見方をした時に、リチャード・ハースはその代表格だろう。だから私には、政策は良かったのだがそれを遂行する政治家どもが能なしだった、という責任転嫁にしか聞こえない。 


大中東問題には引き続き大きな関心

 
 ・・・この国では経済問題に焦点が集まる時には、外交政策により注意が集まらなくなります。部分的に例外があるとすればそれは大中東問題(the greater Middle East)でしょう。私がこういうと、ある人はアフガニスタンを、またある人はパキスタンをあるいはイラクを、またイランを見よ、というかも知れません。イスラエル−パレスティナ交渉は外交政策にとっては、一つの世界であり、依然として大きな関心を集めています。それは驚くに当たりません。それは、もっとも鋭い問題が存在する世界の一部分だからです。そのことに新味はありません。もう何十年にもわたってそうでありつづけました。またこれから何十年にもわたってそうであるかも知れません。それは、グローバリゼーションの挑戦がもっとも多く存在する世界の一部なのです。核物質拡散、このケースでは特にイランですね。それからテロリズムの脅威等々です。しかし大中東地域は外交政策の関心を多く引きつける世界の一部です。』

 ここでハースが使っている言葉、「大中東地域」あるいは「大中東問題」のもとの言葉は、“the greater Middle East”である。私には聞き慣れない言葉だったので調べてみると、英語Wikipedia“Greater Middle East”(<http://en.wikipedia.org/wiki/Greater_Middle_East>)は次のように説明する。

ブッシュ政権が創り出した政治用語。イスラム諸国、特にイラン、トルコ、アフガニスタン、パキスタンを含めて地域をまとめる時に使われる。時には中央アジアのイスラム諸国を含めることもある。2004年G8の準備作業部会で初めて使われた。」

 もっとも広くは、北アフリカ地中海沿岸のイスラム諸国やエチオピア、ソマリアまで含んで使われることがあるそうだ。地勢的概念というより、アメリカのイスラム諸国敵視政策を象徴し、あるいはイスラム諸国というかわりにこの言葉を使ってオブラートにくるむことを目的としていると、私には思える。案外ネタ元は外交問題評議会かも知れない。


中国の通貨政策

 
 アジアにおいては、アメリカの観点からは、一つのセットの問題がもっとも大きな注意を引いています。特にエリートに対抗する形での大衆的な観点からですが、それは中国です。特に経済世界においてそうです。そして再び、経済関連の事実からそれは驚くに当たりません。また経済苦境に関するアメリカの憂慮を強める事実からみても。(それは驚くに当たりません)

 最近のもっとも大きな進展は通貨の世界で起こってきています。アメリカの議会は中国が自国通貨を操作していると主張し関心を増しています。人々はどんな弊害除去手段があるか、あるいはアメリカはどんなペナルティを導入しうるかに注目しはじめています。私が座っているところから、「何が価値あるカテゴリーか」という立場から眺めてみると、私は中国がその通貨のレベルを人為的に維持していることは本当だと思います。』

 ここいらへんのアメリカの言い回しというか、ハースのレトリックにはついて行けない。中国が改革開放路線採用前から、ドルペッグ制(自国の貨幣相場を米ドルと連動させるペッグ制−固定相場制)をとってきたことは周知の事実だし、ドルペッグ制には多かれ少なかれ金利政策や為替操作を伴わざるを得ない。またドルペッグ制をとっている国はなにも中国だけではない。ドルが世界の基軸通貨である以上、自国通貨のレベル(為替相場)をドルにペッグし自国通貨をドルに対して安定させようとすることも理解できる。

 (ペッグ=pegはもともと釘を意味する。商品価格や株価などを釘付けにする、固定化するという意味合いで使われている。だからドルペッグとは事実上のドルに対する固定相場制を意図していることになる。)

 ドルペッグ制は自国通貨を安定させようという狙いで導入しているわけだが、必ずしも安定化に成功するわけではない。典型的な例は1997年タイから始まったアジア通貨危機だろう。この時東南アジア諸国の多くはドルペッグ制を採用していた。急激な経済成長を輸出で達成していたアジア諸国の通貨は必ずしも額面通りの価値を持っていたわけではなかった。ペッグさせるドル自体が高金利政策(強いドル政策)で実際の価値以上に評価されていたからだ。つまりこれら通貨はドルペッグ制を取ることによって、実際以上の評価を受けていた。(通貨における価値と価格の乖離、と呼んでもいいだろう。)

 この価値と価格の乖離に目をつけたのが、ニューヨーク金融資本を中心とする国際金融資本である。東南アジア諸国の通貨の「カラ売り」をしかけたのである。こうした「カラ売り」に対抗してドルペッグ制を維持するには、自国通貨の「買い」を維持しなければならない。こうなると資金力の勝負である。東南アジア諸国政府には国際金融資本と対抗するだけの資金力はなかった。アジア通貨は暴落した。暴落したアジア通貨を底値で買い戻した国際金融資本は大もうけした。以後東南アジア諸国はこれにこりてドルペッグ制をやめてしまった。

 今国際金融資本が中国の「元」に対して、同じことをしかけて成功すれば、中国はドルペッグ制をやめざるを得ない。ところが成功の条件は全然ない。第一にドルは世界通貨に対して「独歩安」である。アメリカは超低金利政策をとっている。元通貨において価値と価格の乖離は存在するものの、その乖離は「アジア通貨危機」の時と真逆で、元は「価格」に対して「価値」が上回っている。「カラ売り」をしかける条件は全くない。また資金力から見ても「カラ売り」をしかければ、大やけどを負うのは国際金融資本の側だ。

 だからアメリカがドルに対する「元高」を誘導する手段は「政治的圧力」しかない、ということになる。逆に言えば今のアメリカにはその程度の力しか残っていないということでもある。

(アメリカがなぜドル安を実現したいのかという問題は別な話題である。一般的には「一転して輸出立国を目指すアメリカはドル安を実現して輸出しやすい環境を作りたいからだ」、という説明が行われているし、オバマ政権もそう説明している。が、私は全く信用していない。「ドル安」の狙いは別にあると考えている。長い話になるので省略するが、私はイギリスのエコノミスト誌の一連の分析と見解に大きな説得力を感じている。)

 だから、なにもここでハースが「私は中国がその通貨のレベルを人為的に維持していることは本当だと思います。」がしかめ面しく、おごそかに宣言しなくても、これは周知の事実だ。横道に逸れかけているのでハースを続けよう。


中国問題は「経済問題」を超えている

 この話題について私は2つの疑問を提起できると思います。この国(アメリカ)の多くの批評家がそれを行うようにと望んでいることを中国が仮に実施したとして(中国が事実上のドルペッグ制をやめてドルに対する元高を誘導したとして)、アメリカの経済や貿易が彼ら(批評家)が言うほど強大になるかというと疑問です。私は彼ら(批評家)は中国通貨のレベルを調整する結果を、劇的なほど誇張していると思います。アメリカにとっての結果を誇張しています。(これが第一の疑問)

 第二に、私はまた今行われている戦術について疑問を抱いています。単に経済関係のみならず、アメリカと中国の全面的次元、国境を越えたアメリカと中国の全面的次元における関係です。

 私は何が実際的な緊急課題かと云う問題の一部だと思います。たとえば今日の新聞をのぞいて見れば、通貨関係に関する世界の憂慮に関するありとあらゆる種類の記事を見ることでしょう。

 私たちは過去2年間、あの金融危機と低経済成長等々といった問題の後、多くの人間が予測したよりも保護主義者は跳梁跋扈できなかったという意味で、実際のところ良くやってきたと思います。

 そして疑問は、私たちは運を使い果たしはじめたのか、そして通貨の世界において、私たちのグローバル管理に対する挑戦は一体うまくいくのかどうか、ということです。

 それは、私たちの知的な真の「憂慮問題」であります。繰り返しになりますが、ここには、私たちがスタートしたばかりの貿易問題タスクフォースの人たちもいますし、テッド・アルトやセバスチャン・マラビーその他この問題を手掛けている人たちもいます。

 しかし、もしこの問題を、単に通貨問題と考えるのではなく、問題が広がらないように私たちがいかになんとかする問題ならば、経済問題や戦略問題は国際的なトップ議題だと思います。』

 このスクリプトのいいところは、ハースが当日しゃべった内容をほぼそのままテキストに起こした、という点であろう。だから後での編集や整理が入らず、意外とハースの本音が出ている。逆に未整理のままで要旨がよくわからないという欠点もある。ちょうどこの箇所がその欠点が現れている箇所だ。

 ここでのハースの発言の要旨は不分明だ。「中国元」の切り上げ問題、すなわち「ドル」の減価問題は単なる通貨問題ではない、とハースはいっている。それは世界的な経済問題であり、アメリカの世界戦略問題だといっている。なぜそうなのかをはっきり明示していない。「わかる奴にはわかる」とでもいっているようだ。私には、「元通貨対ドル切り上げ問題は、ドル借金踏み倒し問題の要だ。」といっているように聞こえる。


「政府に出たり入ったりする日本のエリートたち」

 それはアイロニックです。今朝のことですが、多くの中国批判のことを考えてみました。それは幾分誇張されていると思うのですが、それは数十年前のアメリカと日本との間にあったものだな、と回想していました。その意味では、今日の中国に対するアメリカの政治や議会の反応のいくらかは、数十年前に戻った時のアメリカと日本の間にあったことを彷彿とさせます。そのことに何の意味があるのか私にもはっきりしません。ただそう思っただけです。』

 アメリカと日本の関係については・・・。それと日本は、私にいわせれば、日本は政府に出たり入ったりするエリートたちに幾分かの焦点があいつつあります。それは、しかし基本的にはそれ以上ではありません。それはよいことでも悪いことでもありません。それは単に、そうしたこと、なのです。それは単に、その意味では、今や多くのアメリカ外交政策の典型なのです。それは多くの注意を引くものではありません。』

 ここもまた、思わせぶり謎めかした言葉だ。原文をそのまま引用しておこう。

As for the United States-Japan relationship -- and Japan, I would say, is getting some focus on the part of elites in and out of government, and it -- but basically -- but not much more. It's not a -- not -- neither a good thing nor a bad thing; it's simply a thing. It's simply a -- in that sense, it's typical of a lot of American foreign policy now, which is not getting a lot of attention.”

 政府に出たり入ったりする“エリートたち”というのは明らかに、これまでの伝統的な日本のエリート、第1種国家公務員試験合格者、すなわち「キャリア」を指しているのではない。ハースのアメリカ帝国主義者としての世界観からは、日本のキャリアなどはアジア的後進性の遺物ぐらいにしか思っていないに違いない。(実は私はそう思っている。)特にアメリカ国務省の官僚を長く務めた彼の経験からは、叱りつければすぐに蟻子のように右往左往して途方に暮れる日本の外務省のキャリアなど、とてもエリートとは映じない。
 
 それではハースにおいて「日本のエリート」とは何だろうか?それは、アメリカの大学に留学したり、修士や博士号をとった日本人であるに違いない。アメリカの「エリート教育」の末席を汚した経験を持つものを指して、ハースは「エリートたち」と呼んでいる。そういう目で見ると、民主党の国会議員に中にこうした経歴を持つもののいかに多いことか。恐らくハースは、こうした人間を指して「エリートたち」と呼んでいる。そうした「エリートたち」が政府の要職についたり離れたりしている現状を形容しているのだと思う。ハースにおいては、それは(アメリカにとって)良いことでも悪いことでもない、当たり前のことだからだ。どこの国においても、フィリピンにおいても、韓国においても、シンガポールにおいても成功してきた当たり前の現象だからだ。(中国においてさえこの傾向が最近顕著だ。)


日米関係は局地偏狭な問題に精力を費やしてきた

 とはいえ、その関係(日米関係のこと)について私にいわせてもらうならば、(その関係は)幾分か周章狼狽している、そう、この18ヶ月くらい、私にいわせれば局地的偏狭(parochial)な問題に精力を費やしてきた、特にあらゆる種類の問題が沖縄におけるアメリカ軍の存在の問題に絡んできました。』

 この講演が行われたのは2010年10月。その時点で18ヶ月前といえば、2009年の4月頃である。日本では総選挙が事実上スタートを切った頃、という事になろうか。在日アメリカ軍再編に伴う「普天間基地問題」が国政レベルの問題になりつつあった。さらにハースは、「沖縄米軍基地問題」(「普天間基地問題」)を「局地的偏狭」(parochial)な問題と切って捨てている。つまり取るに足りない問題だ、といいたいのであろうが、実はアメリカにとって取るに足りない問題ではなかった。それが証拠にアメリカは一寸たりともこの問題で譲ってはいない。日本の市民にとっても、特に沖縄の市民にとって、「在日米軍」問題は、日本の政治問題の根幹をなす大問題だった。
 
 私たち両国の前に存在する地域的及びグローバルな全幅にわたった問題を考慮するなら、ホスト国の支援問題に対するアメリカ軍の配置だの沖縄の街角にどれくらい多くのアメリカ軍が存在するかだのといった問題にそれだけ多くの時間と精力を費やしているのは驚くほど偏狭で、また基本的に両国の利益になりません。

今日の午前中、私の目的はこのことをもって責めることでも、責任を問うことでもありません。今日、後でこの問題を皆さんが話し合われるものと思います。しかし私は単に、この問題(アメリカ軍の沖縄での存在)に政策立案者たちの関心が今ほど吸い寄せられているのは、決して両国の利益にならないといっているだけなのです。アメリカと日本の将来にとって、政策立案者たちがこの問題(アメリカ軍の沖縄での存在)にかなりの時間を費やすには、影響を与える重要な問題がありすぎるのです。どちらにせよ処理されるべきです。解決するか脇に置いておくべきです。この問題が現在有するほど両国関係を覆い尽くすことは許されません。』

 ハースは要するに、「普天間基地問題」は両国関係にとって重要な問題ではない、これに時間と精力を費やすのは愚かなことだ、といっている。重要な問題でないから、普天間基地機能をなくして撤去しようといっているのではない。これは決めた通りやりましょう、これを政治問題にしたり、時間や精力を費やしたりするのは愚かなことだ、と教え諭しているのである。あからさまな属国扱いであろう。しかし、ハースにこう言われると暗示にかけられたように日本の大手新聞の論調がそうだ、そうだ、となってしまうのは一体どうしたわけか?


繰り返される中国、北朝鮮の「脅威」

 いくつかの地域的問題があります。明白に、北朝鮮は、不安定な権力継承の真っ最中です。中国の興隆、ますます強まる自己主張(assertiveness)の問題があります。そしていかにアメリカと日本は中国に必要な対応を行うかの問題もあります。また地域構造(regional architecture)の問題もあります。アジアには私が数えられる以上の機関や調節機構があります。しかしこれらのほとんどは経済世界に存在しています。そしてその全ては・・・そしてまた顔ぶれの入れ替わりもあります。アジアは依然として、・・・私の見地からして、安定しておらず、あるいは、励起していない、・・・その内包する地域構造および政治軍事的挑戦について行っていません。』

 私はこの部分を読んで正直ウンザリする。ハースのこのアジア観は本音なのか、それとも日本向けのプロバガンダなのか?それともその両方なのか?

 この基調講演を通じて私はリチャード・ハースの「余裕」を感じる。

 2010年2月12日、リチャード・ハースは「ただ一つの力がイランを止められる」(Only one force can stop Iran now: its people)と題する論文を「ザ・タイムス」に発表した。(<http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/
guest_contributors/article7024065.ece
>)

 
 その表題から受ける印象と違って内容は、イランに対する戦争を呼びかける過激なものだった。イラン大統領選挙が行われた直後の論文で、ハースは、予測と違ってアフマディネジャドが圧勝を納めたことにあからさまに苛立ち、焦っていた。従ってこの論文の骨子も、イランが進める核開発をストップさせられるのは、イランの民衆革命だ、しかしその民衆革命も今回選挙で勝利を収めなかった、イランに対する経済制裁もほとんど効果がない、(どころか欧米の伝統的なイランの権益もどんどん中国とロシアに奪われていっている)、とすれば残る手段はイランに対する軍事侵攻しかない、とする内容だった。(「外交問題評議会理事長、リチャード・ハース、対イラン戦争を呼びかける」<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/028/028.htm>を参照の事)

 この論文でみせたハースは、余裕のかけらもない、ヒトラーのように髪を振り乱し、口から泡を吹きながらの大絶叫で、世界に対イラン戦争を呼びかけた。

 ハースの目には、近づきつつあるアメリカの経済覇権の崩壊(より具体的には「ドル基軸通貨制度の崩壊」)、勃興しつつある非同盟運動諸国の経済力と政治力、戦後アメリカの覇権を支えてきた核兵器戦略に対する非同盟運動諸国の包囲網・・・等々といった「21世紀現象」(適切な言葉がないので取りあえずこう名付けておく)の本質が全く見えていない。

 一転して、この基調講演でのハースは余裕たっぷりである。まるで「神」の立場から人民を教え諭すようである。しかし、その「アジア観」は、「対イラン観」同様、黴の生えた古くさい「冷戦史観」である。アジアにおける地域機構を単に経済問題を中心とした機構としか見ていない。アメリカ・ヨーロッパ中心の政治思想に基づいた国際的な経済機構が「取り引き」(deal)を基盤にするのに対して、今アジア(イスラム経済圏もそうだが)に展開されている経済機構は「相互信頼」「相互発展」を思想的基盤としている。そしてこの思想的基盤こそが「21世紀現象」を貫く一大特徴なのだ。

 ハースの目にはこの「21世紀現象」が全く見えていないか、あるいは見えていても過少評価している。(もうそろそろ、外交問題評議会「雇われ社長」の座もあぶないなぁ。)

 私がハースにウンザリするのは、彼の「冷戦史観」のせいである。曰く、「北朝鮮の脅威」、「中国の伸張とその自己主張拡大」、「アジアの軍事政治的機構」・・・。平均的日本人になら十分威しの効く飾り付けだが、ASEAN諸国のリーダーや非同盟運動諸国の政治的・社会的リーダーに対しては全く有効な国際政治認識ではないだろう。鼻先でせせら笑うだろう。(私も同様だ。)


在日米軍など枝葉末節の問題

 ですから、アメリカと日本には焦点を合わせるべき・・・繰り返しになりますが、沖縄のどこにアメリカ軍を配置するとか、アメリカ軍の数とかいった問題よりはるかに・・・いくつかの問題が存在するのです。』

 ところがどっこいこちらはそうではない。今の日本にとって、中国の勢力拡大よりも、北朝鮮の脅威よりも、「沖縄」どころか日本全土からアメリカ軍を叩き出すことの方が最重要課題なのだ。これが達成出来なければ、「信頼」と「相互発展」を基盤におく「21世紀現象」を日本に巻き起こすことが出来ない、今の日本を覆う「閉塞感」の象徴が日米安保条約であり、そのもっとも鋭い「存在」が日本におけるアメリカ軍なのだ。

 第2番目に、アメリカと日本はグローバルな調整に焦点を合わせるべきであります。歴史の中で今年は、国際的なシステムと国際的秩序に対する支配的な挑戦が、単一の国家からは行われませんでした。それは20世紀と21世紀を区別する特徴の一つであります。』

 なぜこれが20世紀と21世紀を区別する特徴のひとつなのかはよくわからない。いうまもなくここでハースの指摘する「国際的システム」と「国際的秩序」とは、「アメリカによるアメリカのための」という形容詞を補っておかねばならない。20世紀が「国際的システム」と「国際的秩序」の形成・完成を一つの大きな特徴とすれば、21世紀はこれらの「衰退」「崩壊」を大きな特徴とするだろうことはほぼ疑いない。とりあえずハースのいうことを聞いてみよう。

 国際的秩序に対する主要な挑戦はグローバルな挑戦からやってきております。核物質の拡散(核兵器の拡散、といわないところがミソだなぁ)、テロリズム、開かれた世界金融システムと経済システムの崩壊、病気(もう一度豚インフルエンザ・キャンペーンをやりますか)、気候変動(おや、温暖化現象といわないのか。外交問題評議会の言い方も慎重に「温暖化」という言葉から「気候変動」に変化している)、麻薬、エネルギー不足、などなどです。』

 これらはこの時代を決定づけています。そしてこれらが、地域的問題と共に、アメリカと日本の政策立案者のかなりの部分の注意を吸収し、われわれ2国間の主要テーマとして埋められるべき議題です。』

 そして、繰り返しになりますが、私が関心をもつことは、(日米間では)そうではないのです。しかしこれを別な方向で考えてみれば、私は最近日本で過ごした時にお話ししたと思うのですが、真の挑戦はアメリカと日本の同盟を近代化し、アメリカと日本のパートナーシップを変身させていくことだと思います。』

 ハースのいう日米同盟の近代化・変身とは一体何であろうか?


日本はアメリカとのパートナーシップを欲しているのか?

 同盟とはしばしばそれに逆らうものによって規定されます。(Alliances are often defined by what they are against。)そして同盟には個別の定義があります。また重要であり続ける一方で、繰り返しになりますが、アメリカと日本のパートナーシップへの挑戦はアメリカと日本のお互いの協力を増大させるところへ向けて変身していくべきであります。

 私は、同時に、ここに日本自身にとっての疑問があると思います。すなわち、日本はグルーバルにアメリカとのパートナーと、喜んでなろうとしているのか、またその能力があるのか、という疑問であります。私は、わが国の経済的挑戦を見る時、極めて批判的であります。しかし私がいうこと(私の批判は)のことごとくは、また日本に関しても良く当てはまります。寛大な言い方をすれば、日本は今や数十年にも及ぶのろのろ経済を経ております。そして本当の問題は、日本が、経済回復を可能とするような「政治」を本当に設定しようとしているのかまたそれが出来るのかという問題であります。もし、そうではないなら、日本は長期的に見てグローバルかつ地域的大国たる能力に関する結果をもたらすだろうことは明白であります。』

 ここでハースがいっていることは、(1)日本はすでに数十年にも及ぶ経済停滞を経験している。(2)そのままではグローバルにアメリカのパートナーとはなれない。(3)根本的には日本の政治の問題だ、ということだろう。

 「経済停滞」の問題の根幹をたどって行くと日本の政治の問題に行き着くのかどうかは、大いに議論のあるところだが、ハースがこの話をどこに誘導したがっているのか、しばらく聞いてみよう。


地域的およびグローバルな役割

 第二に、繰り返すようですが、細部においてアメリカとは異なりますが、基本構造においては変わりません、日本はその政治的機能不全(dysfunctionality)を一体克服できるのでしょうか。日本は明らかにトップレベルでの不安定が存在する状況にあります。政党人とともに政党内部の発展に関わる真の問題であります。だから、再び、日本の政治はそうであり続けてきた問題、私はそれを機能不全のパターンだと思いますが、それを克服できるでしょうか?

 そして私たち全員にも関係した話題ですが、日本は、社会で頑張っているリーダーたちは、日本が主要な地域的およびグローバルな役割を演ずるのだという国家的コンセンサスを創造することができるでしょうか?

 日本は、依然として、多くの歴史の残滓に、あるいはその結果に苦しめられています。問題はリーダー層が、知的階層が、それはこの部屋にいる人々を含んでいるのですが、日本をその潜在力に応じた(commensurate)持続可能な国際的かつグローバルな役割を喜んで果たそう、あるいは果たすことが出来るようなコンセンサスを発展させられるかどうかです。』

 日本の「リーダー層」を前にしての発言にしては、ハースの言い方は随分まどろっこしい。要するに「国際的に応分の責任」を持つような、そのような日本国内世論を形成しろ、ということだ。問題は「国際的な応分の責任」とは何かということだが、ハースはここまで、堂々巡りを演じている。いわなくてもわかるだろう、という事なのか。

 それとハースは、ここで面白い事を云っている。それは「日本が未だに歴史の残滓に苦しめられている。」という部分だ。最近の外交問題評議会の論調からすると、それは野口悠紀雄ばりの「1940年体制」のことを指していると見て間違いない。

 戦時中天皇制帝国主義軍部が作り上げた国家総動員体制が、戦中戦後一貫して日本の基軸体制になっており、日本の政治・社会・経済を包含する一大病巣になっている、というのが、野口の主張の骨子だが、その議論が正しいとして、その温存を図り日本支配の「器官」として利用してきたのは、アメリカの帝国主義ではなかったか。アメリカにとっても「1940年体制」は邪魔になってきたということか。


戦略的偏狭主義

 私は、ただ単に日本はこれまで喜んでそうしてこなかったし、またそうできなかったといっているに過ぎません。その意味では日本は、地域的にもグローバルにも、どこか期待はずれの役者(an underperformer)であり続けました。そして多くの意味で、まあ、私が先ほど言ったこと以上に、両方の側が過失を犯した、と私は信じているのですが、この戦略的偏狭主義(this strategic parochialism)に加えて、アメリカと日本関係を苦しめていることは、より大きな役割を演じることへの日本の準備に関する問題なのです。』

 ここで整理しておこう。ハースは要するに、これまで日本は期待はずれだった、その要因は日本の側に「より大きな責任」を担っていこうという意志もなかったし、その能力もなかった、これに加えて、日本には戦略的偏狭主義があった、これは日本の過失でもあるが、それを見逃してきたアメリカの過失でもあった、ということになろうか?
 
 それでは日本の「戦略的偏狭主義」とはいったい何か?私はそれは端的にいって「憲法第九条」のことを指しているのだと思う。あるいは「憲法第九条」を盾にとって、アメリカの全面的軍事パートナーとなることを拒絶してきたことを指しているのだと思う。
 
 もしそうだとすれば、ハースが回りくどく、ドスをきかせながら言わんとしている「日本のより大きな役割」の意味もおぼろげながら、見えてくると云うものだ。

 そしてこのことは、アメリカがどのように日本を見るかについて極めて大きな影響を与えるでしょう。アメリカが日本を、世界の全ての課題に対応して我々と共に、喜んで汗を流すそしてそれができる真のグローバル・パートナーなのか、それともそうでないのかを。』

 ですから、戦略的協議、そうです、これが肝心です。交渉(negotiation)は協議(consultations)ほど肝心ではありません。』

 ハースは“余裕”のベールを被りながらも、内心相当苛ついている。対イランでみせた苛つきとは異なる性質だが、苛ついている。心不全・動脈硬化におちいった自民党に替えて民主党政権を誕生させたのだが、その民主党政権に苛ついている。

 “日本がアメリカと共に担うグローバルな責任と役割について協議したいのに、普天間問題などという枝葉末節の問題を国政レベルの課題にしてしまうとは、なんともののわかっていない連中か。日本が担う役割の前には、スケジュール通りの再編は当たり前のことだし、アメリカ軍の駐留経費の増額などは当然ではないか。そうした問題を日本国内政治の大問題にしてしまって、肝心の問題になかなか踏み込めない。そうした世論形成も出来ないのか?この能なしども。”というわけだろう。


日米同盟体制は変身が必要だ

 しかし私は同時に日本人自身が、基本的にですね、このパートナーシップを何が、本当に、もたらすべく準備するのか、ということが真の問題だと思います。ですから、外交専門家などのはるか以前に、もしそのつもりがあるのなら、一緒に何が出来るのかを討議するためにこの部屋に入るべきです。私は、恐らくは、ある意味では日本人自身の間での会話の方がもっと興味深いのだと思います。日本の経済、日本の政治、日本の国家安全保障などの課題について何を喜んですべきなのか、といった話題についてですね。
 
 私は、半世紀の後、前進的なアメリカと日本の関係は新たな生命力を与え、新たな適切性を与えることができるのは、これ(日本人同士の討議)をいかに産み出すかにかかっていると思いますし、両国の相互利益を目指して一緒にパートナーを組むあらゆる新しいことを見つけていけるのだと思います。

 さもなければ、もしそれが出来なければ、両国関係には危機など存在しません。しかし両国関係が衰え萎びるという本当の危険が存在します。基本的にアメリカは、我々が出来る範囲でですが、前進するでしょうし、地域的にもグローバルにも適切な手を打っていくでしょう、しかし他の組み合わせのパートナーと共に、ですが。』

 ハースの持って回った基調講演もそろそろ終わりである。このセリフなどは外務省の役人や民主党の議員が聞いたら震え上がるほどドスがきいている。根っからの帝国主義者であるリチャード・ハースは、いうことを聞かなければおどしあげることしかできない。威しが効かなければ、軍事攻撃が彼の伝統的手法である。


要するに「中国の盾になれ」

 そして私は、そうなると両方の国がより貧しくなると思います。もしアメリカが次の50年間日本と密接な関係を持たないとすれば、我々はただより非効率的に、より成功から遠ざかることになるでしょう。しかし、それは(日米関係は)、次の50年間、異なる種類の関係でなければならないでしょう。それはこれまでの伝統的な同盟を単に継続することは出来ません。私たちが、考えなければならないのは、アメリカと日本の関係を真のパートナーシップとするために、いかに変身させていくかという事です。』

 これが、ハースの締めの言葉である。要するに日米同盟を続けたいなら、どう変えるかを考えろ、それは日本が考え議論すれば自ずと答えが出てくるはずだ、どちらにしても今までの関係をそのまま継続することは出来ない、というに尽きよう。ハースが日本に何を要求しているかは余りにも明らかである。

 アメリカの管理監督のもとでの軍事大国化であり、中国との対決である。このハースの基調講演から明らかになったことは、少なくともリチャード・ハースは、日本と中国が対立関係に入ることを望んでいる。しかもそれは軍事的緊張を伴う対立関係である。その緊張関係を操って、中国から最大限の譲歩と利益を引き出そうというのが、アメリカの東アジア戦略であろう。

 ハースは日本に、軍事的・政治的・経済的にアメリカにとっての「中国の盾」になれ、といっているのであろう。そしてそれが、日本の地域的・グローバルな役割だ、といっている。(それを不様に演じているのが前原誠司だ、という見方もまた可能だ。)

 明治期、日清戦争に反対して勝海舟はこういった。

 日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないヂやないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分からぬに限る。支那の実力が分かったら最後、欧米からドシドシ押し掛けてくる。ツマリ欧米が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。一体支那5億の民衆は日本に取っては最大の顧客サ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋のことは東洋だけでやるに限るよ。』
(「氷川清話」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/china/katu_hikawa.htm>)
 

 (以下後編)