【参考資料】外交問題評議会  2010.11.7
<参考資料> 50年のアメリカと日本:基調演説中国は「脅威」ではなく、“挑戦”(後編)
外交問題評議会(Council on Foreign Relations −CFR) 理事長・リチャード・ハース
写真はwikipediaリチャード・ハースよりコピー<http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_N._Haass>
 
戦略的偏狭主義

   前編ではリチャード・ハースの基調演説を扱った。その中でハースは大要次のことを述べた。

 1. 過去50年間継続した日米同盟を、次の50年間も同じように継続するわけにはいかない。日米同盟は新しく変身しなければならない。
 2. 日本の政治は機能不全に陥っている。日本におけるアメリカ軍の「存在」問題に議論が集中していて、アメリカのパートナーとして、地域的およびグローバルな応分の役割に関する議論がない。また日本のリーダー層もこうした合意形成に成功していない。
 3. 日本がアメリカのパートナーとして、応分の役割を果たす意志と能力があるのか甚だ疑問だ。
 5. アメリカのパートナーとして何が出来るのか、どうすべきなのかは日本人自身の間で議論した方がいいだろう。もし日本にそれができなければ、アメリカは地域的・グローバルなパートナーを別に見つけなければならない。

 ところでハース自身は、アメリカのパートナーとして、地域的およびグローバルに日本が担うべき、「応分の役割」について明示的に示していない。「そんなことは考えればわかるだろう。」と言わんばかりだ。彼が使ったキーワード、「戦略的偏狭主義」“ strategic parochialism”から類推すると、憲法第九条を変更して本格的な軍事大国の道を開いて、中国に対するアメリカにとっての政治的・軍事的・経済的「盾」となれ、それが日本の「地域的・グローバルな」役割だ、次の50年の日米同盟はそう変身していかなければならない、と言っていると、私はそう解釈した。もし私の解釈が正しければ、アメリカが期待する日本の役割は、中国と対決する軍事国家ということになろう。しかし、この後編でのハースの発言を見てわかるとおり、アメリカは中国と徹底的な対決姿勢を鮮明にしようというわけではない。中国を既成秩序への脅威ではなく「挑戦者」として捉え、既成秩序の中に取り込もう、それが中国の利益に反する部分があるなら、既成秩序を中国が納得する形に作り替えてでも、中国を秩序体制に取り込んでしまおうと考えている。そうすると、日本に軍事国家化を要求するアメリカの立場はどうなるのか?

 後編はこのハースの基調演説を受けて、朝日新聞・主筆、船橋洋一とのやりとりを扱う。『 』内はハースあるいは船橋の発言である。


「元」通貨問題の本質

『ハース: それでと、あらためて、本日みなさんようこそ。こうした話題に皆さんが関心を持っていただいていることにお礼を申します。そして、私の良き友人、洋一を私と一緒にするため、壇上に招かせてください。』
『船橋洋一(以下船橋): おはようございます。このセミナーにおいでいただいてありがとうございます。最初に外交問題評議会に対して、特に理事長(its president)のリチャード・ハースに深甚なる感謝の意を表します。彼はアメリカにおける権威ある外交政策界の長老(dean)であります。またこれまで、世界中で多くの一般知的階層、外交政策の専門家を啓発してきました。私とリチャードは、3年前に米日関係に関する「外交問題評議会−朝日新聞公開セミナー」をはじめました。今回は3回目です。昨年、彼は言いました・・・彼と彼のチームは昨年10月日本に来ました。彼が、新たな民主党政府に対して警告したのを、私ははっきり思い出すのですが・・。この「F」の字を持ち出すな、この「F」の字について語るな。普天間(Futenma)。』 
『ハース: はっきりしたほうがいいよ。(笑い)』
『船橋: 不幸なことに、過去1年間かそこら振り返ってみると、彼は完全に正しかったのです。民主党政府は、大衆に接触しようとするようなやり方で普天間問題を支持すべきではなかったのです。彼(ハース)が描いたような新たな(日米)パートナーシップを形成する、鍛え上げるさらに大きな潜在性を奪ってしまった・・・。』

 「普天間基地移設問題(正確には普天間基地撤去問題。もともとアメリカ側は撤去を約束していた。それがいつの間にか「移転問題」にすり替えられた、といういきさつがある。)」は、鳩山民主党政権が積極的に政治問題にしていったから、こじれたのか?ハースがいうように普天間問題に民主党政権が触れなければ大きな問題にならなかったのか?そうではあるまい。背景には沖縄人の強い抗議がある。そのまた背景には、島津藩「琉球処分以来」の大和人とアメリカに踏みつけられて来た沖縄人の長い長い歴史がある。
 
 ハースも船橋も大きな勘違いをしている。民主党政権が「F」に触れようが触れまいが、「普天間問題」は沖縄問題の象徴として、鋭く政治問題化したのだ。

 この後、船橋はシーラ・スミスの貢献を大げさに褒めて見せ、さらに2人の日本人の貢献について触れる。

『船橋   ・・・特に私は2人の日本人パネリスト、2人とも東京ずっと一緒にやってきたのですが、に深甚なる謝意を表します。一人は慶応大学の添谷教授、もう一人は楽天の三木谷会長です。まもなく参加するでしょう。』

 慶応の添谷教授は、間違いなく慶応大学法学部教授の添谷芳秀だろう。独立行政法人産業経済研究所のサイト(<http://www.rieti.go.jp/users/soeya-yoshihide/index.html>)を見ると、添谷は上智大学英語学科を卒業後、ミシガン大学で助手を務める。イースト・ウエスト・センターで訪問研究員にもなっているから、シーラ・スミスとのつきあいも長いのかも知れない。楽天の三木谷浩史はあまりにも有名である。ハーバード・ビジネス・スクールで修士号を取得している。それより私は三木谷の本当の権力のありかを嗅ぎ分ける能力に驚嘆している。

『船橋  リチャード・ハースの最初の演説を聴いておりまして、2−3の質問があります、リチャード。私は根っからの記者でありまして(笑い)、質問からはじめようと思います。

言われたように、多分この通貨問題は、特に人民幣(renminbi。中国元のこと)問題ですが、単に通貨問題ではない、それは今や、私は思うのですが、もっと戦略的な、新しい問題として浮上してきました。そして私たちは幾度となくG-2(アメリカと中国のこと)を聞いています。しかし、いまや私たちは、ティモシー・ガイトナー(アメリカ財務長官)が決心した、あるいは決心したように見える、つまり、極めて目立たぬ形で中国の金融当局に対して人民幣を切り上げるよう説き伏せることをですね、そういう風に言われております。それはうまく機能しない。そうではなくて、ガイトナーは北京に対して多国間に基礎を置いたもっと普遍的な圧力をかける道を追求しようとしている、そういうもっと明確なメッセージを我々に送っている。

これは急浮上しているG-2、あるいはG-2概念の終わりの始まりではないか、と解釈できると、あなたはそう思いますか?』

 大朝日新聞の主筆、船橋には大変申し訳ないのだが、彼はこの問題の本質を全く理解していないのではないか?この質問通りだと、問題は「通貨問題」から一歩も出ていない。精々言って、今後の国際社会はアメリカと中国で取り仕切るという「G-2」俗説(そんなことは出来はしない)に絡んだ話だ。こんなものは戦略問題でもなんでもありはしない。

 アメリカが中国に要求していることは、正確にいうと「ドルペッグ制」をやめて、自由相場制にしろ、ということだ。それは直ちに「元の切り上げ」を意味することになるのだが、それは結果に過ぎない。

 もし中国の「ドルペッグ制」の廃止が、単に通貨問題でなく、ハースがいうようにアメリカの国家戦略問題だとすれば、その意味するところはアメリカの国家戦略が今、何を企図しているかという問題になる。もう一度かつてのように輸出大国になろうとすれば、「ドル安」を誘導することが有利になる、とは皮相な見方だ。アメリカはもうすでに、中国、ドイツに次いで世界第三位の輸出大国なのだ。(「世界:国別 輸出・輸入高ランキング
」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/world_data/ex_inport_CIA.htm>)
なのだ。

 アメリカが国家戦略で企図していることは、「借金」の軽減である。普通借金の軽減とは、収入を増やし、出費を節約して、手元に余剰金を残して返済することだが、もう一つ手がある。踏み倒しである。2009年5月14日号のロンドン・エコノミスト誌の表現を借りれば「秘かな踏み倒し」(default by stealth)である。

  「財政赤字とともに貿易赤字を抱えている諸国(イギリスとかアメリカのように)のケースでは、このような高い税金は、外国の債権者の要求に応ずるために必要欠くべからざるものとなるだろう。このような「耐乏」(austerity)を政治的な意味で解釈すれば、誘惑は、秘かに(by stealth)デフォルトしてしまおう、通貨を切り下げてしまおう、という方向に向かうだろう。投資家は徐々にこの危険に気付きはじめている。アメリカ財務省の10年ものの国債の利回りは、年初(*2009年)から見ると優に1%は上がっている。」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/09.htm>)

 現在のところ、ドル通貨切り下げは徐々に成功に向かっている。しかし、現在の最大の隘路は「中国のドルペッグ制」だ。中国がドルペッグを完全にやめてしまえば、アメリカの通貨切り下げ政策は一応の成功ということになるが、その後も「秘かな踏み倒し」のために色々な手を打たねばならない。(アメリカの「借金踏み倒し政策」はなにもドル通貨切り下げだけで実現できるわけではない。)今年の半ば頃から中国は厳密な「ドルペッグ制」をゆるめつつあるように見える。ということは中国もアメリカの政策意図を理解して、これに協力しているかのようである。また中国にとっても「ドルペッグ制」は桎梏になりつつある。価値の低いドルに連動しているため、中国国内に無用なインフレを起こしているからだ。

 これが「人民元切り上げ問題」の本質である。

 さて、船橋の質問にハースがどう答えるか、これも興味深いところだ。

着々ドル切り下げは実現している

 
『ハース: ええと、2つのセットの答えを出させてください。一つは中国と対応するに際しての戦術に関すること。もう一つはG-2概念に関することです。第一に、通貨に関するアプローチがうまく機能していないと言うと、これは間違いだと私は思います。通貨は過去数年間で、およそ20%程度の評価替えが行われているのではありませんか?(この時ハースの頭の中では、「ドル−元」の評価替え、すなわちドルの下落、だけが問題になっているのではなく、ドル一般の下落が意識されていることに注意。)私はユーロ危機がなかったらもっと(大きな)評価替えはあったろうと思います。そしてある学者が指摘するように、それ(通貨あるいは端的にドル)は、アメリカやその他の国が中国に対してその通貨をあげろとわめくのをやめた後数ヶ月で評価替えとなるでしょう。私は、長期的に見て、通貨の評価替えは中国の利益にかなうと思います。国内需要の点から見ても。それら(前後の文脈からみて“それら”が何を意味するのか不明だが、ここでは中国の国内需要と解釈しておく)自身が中国の経済的将来においてより大きな役割を演ずるのだと思います。

 ですから、もし(元通貨切り上げに対する)静かなアプローチが機能していない、とあなたがいうのは、私にはよくわかりません。(I am not sure)

第2に、私は思うのですが、そこには、また、私たちが(笑う)・・・、私たちが時に学ぶことは、多分、多分、この圧力の舞台背景(the backdrop)は助けになり得るのですが、しかし、中国の助けだけを一つだけ選び出す(singling out China helps)のかというと私には何とも言えません。』

 最後のパラグラフの意味は、私にはよくわからない。印象としては、ハースは自分によくわかっていないことを話そうとしているのではなく、自分にはよくわかっているのだが、はっきりと説明しにくい事情を話そうとしている、という印象を受ける。「第2に」と切り出しながら、いかにも歯切れが悪い。


「G-2概念」は誇張されている

 
もし我々がグローバルなアプローチをしているならば、繁栄にいたるはるかによりよいチャンスだと、私は思うことでしょう。それは中国にもっと政治的余裕を与えることになり、またそれは必要でもあります。問題は単なる通貨問題ではないという事です。』

 「単なる通貨問題ではない」ことはよくわかったが、その説明はハースにおいてはいかにも歯切れが悪い。どう答え、説明すべきか、迷っているのかな?

それ(中国の通貨問題)は問題の部分であって、他の通貨もあるんですからね。ですから、私は思うのですが、もしそうする気があるなら、もっと普遍化しなくてはならないでしょう。それは一つの・・・、それは国際的システムにおける隙間の一つなのです。』

 まるきり「禅問答」である。ハースはどうも説明しにくいことを説明しようとしているようだ。

なにも新しいことではありません。近代的な経済秩序が第二次世界大戦後の混乱の中で確立されて以来、恒常的黒字国の構造的挑戦はずっとありましたし、国際的機構の欠落は通貨の切り上げ(revalue)や切り下げ(devaluations)をもたらして来ました。しかもそれは秩序ある方法でです。このことはオクスフォード大学の大学院生の論文で書いていたのを思い出すのですが、天の下そんなに新しいことではありません。』


 「1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて調印されたIMF協定によって次のことが決められた。

 各国は金または“1ドル=35分の1トロイ・オンスの金”と等しい価値を有するドルで表示された平価に基づく固定為替相場制を採用し,為替相場の変動を平価の上下各1%以内に抑えること。

 平価は基礎的不均衡がある場合にしか変更が認められないこと。
この体制は、IMFが加盟国に短期的国際収支赤字のファイナンス資金を貸し出すこと,米国がドルを公定価格でいつでも金と交換することを約束することによって支えられていた。」http://note.masm.jp/%A5%D6%A5%EC%A5%C8%A5%
F3%A5%A6%A5%C3%A5%BA%C2%CE%C0%A9/


 これがブレトン・ウッズ体制である。ブレトン・ウッズ体制は、基本的にドルを世界の基軸通貨とするが、アメリカ(ドル)にフリーハンドを与えたわけではなく、1トロイ・オンスの金を35ドルで交換できるという縛りをつけた。これがハースの言うところの近代的経済秩序である。アメリカがこの縛りを勝手に外したのは、1971年の金兌換停止政策、ニクソン・ショックの時である。曲がりなりにも、金本位制の尻尾を残していた「近代的経済秩序」は、名実ともに「ドル本位制」となり、無制限のドル貨幣による信用創造が可能となった。それでもドルが価値を持ち得たのは、「アメリカ経済」に対する信用があったからだ。今その「アメリカ経済」そのものに大きな疑問符がついている。他国通貨に対するドルの通貨切り下げは、ハースの言うように「何も新しいことではない」どころではない。私が疑っているように、「借金の踏み倒し」につながるからだ。だからハースは通貨切り上げ・切り下げの一般論をもって、今ドルを取り巻く特殊な環境の説明をしようとしていることになる。

 ハースを続けよう。
 より広くいえば、G-2のアイディア全体は誇張されていると思います。グローバルな世界に、おいて、おいてですね、もし私が正しければ、その世界では、グローバル挑戦者は明確な挑戦者なのです、私はG-2は十分適切なメカニズムだとは思いません。ええ、アメリカ−中国の2国間関係は飛び抜けて重要です。しかしそのアイディア(G-2のアイディア)、近代世界では、かつてド・ゴールが使った意味での、独裁者(あるいは独裁政府。directoire)という意味合いで多かれ少なかれ捉えることが出来ますが、私は戦略的見地からは単に狭すぎると思います。私は実際のところなにかもっと幅広いものが必要だと、思います。

  じゃ、逆に考えてみましょう。こうしたこと全てで私が間違っているものとしましょう。そしてG-2が必要なものとしましょう。そうすると我々には問題が発生します。というのはアメリカと中国の間には、多くの問題でとてつもないギャップが存在するからです。私は中国の外交政策は、大きな国際的役割を果たす地点に達しているとは信じていません、そうした役割を果たす準備が出来ている地点に近づいているとも思いませんが。そういう地点とは、経済的成長や政治的安定を維持するといった事柄に優先順位をおくのではなく、国際的秩序のための事柄を行うことに優先順位をおくといった地点なのですが。中国は依然として、勃興あるいは進化の地点に達していません。そうした地点では国際秩序の一つの柱になる準備が出来ている地点なのですが。ですから私はG-2コンセプト全体は恐らく欠陥があるばかりでなく、未成熟なものだと思います。』

 「G-2コンセプト」は誰が言い出したのか私は知らないが、21世紀は、一部大国間の談合で世界を支配するという時代ではないような気がする。それをするには余りにも、中東諸国、アジア諸国、ラテン・アメリカ諸国が力をつけてきているし、後10年もすれば、アフリカ諸国が力をつける。逆にヨーロッパ、アメリカは相対的に弱体化する。だからアメリカにしろ、フランスにしろ、イギリスにしろ、ロシアにしろ、中国にしろ、これまで大国といわれてきた諸国の力は相対的弱体化する。

 この意味では、ハースのいう国際的秩序(それは長い間アメリカによるアメリカのための国際的秩序だった)も変質して行かざるを得ない。だからその意味で、ハースの中国に対する評価は間違っている。ハースは20世紀的価値体系で中国を眺めている。

 しかし、ハースは船橋の的外れな質問に、半分答えて、半分は曖昧にお茶を濁してしまった。が、これは船橋の質問が余りにも悪すぎたせいでもある。船橋は「人民元切り上げ問題、言い換えれば中国の通貨完全変動相場制移行は、結局アメリカの借金踏み倒し政策の一部分なのか?」と尋ねるべきだった。ハースは「それはものの見方によります。しかし、これだけは言えます。中国が完全変動相場制に移行することは、世界をより繁栄の道に導くことになりますし、それは中国にとっても利益になります。」とでも答えたろう。 

中国のナショナリズム?

 
『船橋 ありがとうございました。2番目の質問。私たちは中国の自己主張がはるかに強くなってきていることを知っています。ある人はそれをさらなる攻撃的中国、と呼ぶかも知れません。多くの分野で、特に海洋問題に関する中国のスタンスについてはそうです。南シナ海だけでなく、黄海でも、またそれぞれのシナ海で。(船橋はすでに南シナ海については触れているので、これは東シナ海を指すのだと思う。)
 ハース  その通り。(sure)
船橋   そして人によっては、恐らく中国外交の最初の徴候を見て取るでしょう。中国はここ30年間非常にうまくやってきました。今やさらに混乱が見て取れます。もし中国が・・・早すぎますね。中国はかなり、精々言って、調和が取れていません。これをどのように説明されますか?それは(中国外交が混乱し、調和が取れていないこと。船橋がどの事実をもってこう言っているのか私にはわからない。)、より内政問題に関係している何かだと、あるいは、・・・長期的な方針変更と言うよりも・・・思いますか?私はあなたの見解に非常に興味があります。』

 私にはよくわからないが、船橋の認識では、中国外交はここ30年間非常にうまくやってきた、ところがここに来て混乱を来している、これは中国外交の長期的な方針変更というよりも、内政問題を意識して発生した外交政策の混乱だと思うがハースの見解、如何?、ということらしい。問題は、船橋が話をどこに誘導していきたいのかという点だ。「尖閣諸島問題」などに代表される中国の外交姿勢のことをいっているのか?このところ朝日新聞が強めている「中国脅威論」、「反中国キャンペーン」の話なのか?

『ハース それは大きな問題です。私自身その地域を訪ねる旅の最中同じ疑問を自問します。私はちょうどインドから戻ったばかりです。1週間の予定で東南アジアに行くつもりです。私はここ2週間多くのアジアからの政府高官やリーダーたちと会合を持ちました。彼らがニューヨーク、国連に来た時ですね。そしてこれは中心の疑問です。ですから私は答えより疑問の方が大事だと思います。(the question's out there more than the answer.)

こんな風な言い方ではどうでしょうか?もし国内的要素がないとしたらそれは驚きだ、と。すべての国の外交政策は、ある程度、国内問題、経済や政治状況の結果あるいは帰結です。ですから、私は、イエス、これは不可避的に政治と結びついている、と思わざるを得ません。それ以上のことを自信をもって言うことは難しいです。

これは、何かと関係あることなのか、・・・2012年の中国指導層の次の主要な交代劇の準備期間なのか?その可能性はあります。』

 ハースは船橋の質問にまるで答えていない。「全ての外交政策は、国内問題と関連がある。」、当たり前だ。2012年の中国指導層の交代劇と関連があるかも知れない、そうだろう、恐らく。船橋がハースに期待する答えは明白だ。「中国は最近日本に対して、強硬姿勢を取っているのは、中国共産党支配に対する国内世論の不満をかわすためだ。」という内容だろう。ハースはその手に乗らない。この解釈が完全に間違っているからだ。ハースを続けよう。

別な分析家は・・・私の思っていることに近いのですが・・・またそれは心配なことなのですが・・・これはナショナリズムが徐々に大きな役割を演ずるであろうという意味においてその徴候あるいは予兆ではないか?とするものです。中国の態度に関する動機、あるいは説明としてですね。』

 ここでハースはナショナリズム(nationalism)という言葉を使っている。この言葉を使うかぎりハースはまたも無意味なことを言っていることになる。というのは、近代主権国家成立以来「ナショナリズム」を外交の基本政策においていない国はわずかな例外をのぞけば、一つもないし、一回もなかった。(ロシア革命成立後の2−3年間、レーニン政権はナショナリズムを外交政策の基本におかなかった時期がある。)外交交渉はとはナショナリズムとナショナリズムのぶつかり合いだ。これを領土膨張主義とか帝国主義とか植民地主義とかすれば、一つの分析として意味が生ずる。しかし「ナショナリズム」という言葉を使うかぎり、1国の外交政策の分析としては全く意味をなさない。

 しかしハースは、自分の使う「ナショナリズム」という言葉に何か意味があると信じている。だからこれは一つの分析として成り立つと思っている。だから、それは逆にいうとハースの「中国観」を露呈しているということでもある。ともかくハースを続けよう。


アングロ・アメリカン帝国主義者の視点

 
中国の指導力は、その達成した経済力から、大きくその政治的支援を引き出しています。そして疑問は、ええ、そして私は、私は2ケタ数字の成長が未来永劫続くとは想像もつかない(inconceivable)と言っているに過ぎません。多くの理由からそれ(中国の経済成長)は先細りするでしょう。

で、その時にですね、どの程度まで、中国の指導者層が大衆の支持を維持する方法としてナショナリスト型の要求と満足をあてにするか?そのことは、私にとって、非常に心配の種なんです。私とすれば、そんなことはないと希望し、主張したいですね。

しかし、そこにナショナリズムの徴候を見て取ることは可能です。それはまた同時に中国の成功のゆえに不可避的です。中国はここ数十年めざましい成功を収めてきました。それは本当に、貧困の削減(reduction。私は追放と言いたいところだが、まだその門口にやっと立ったところだ。)、近代化、その他、という意味では現代(modern times)の偉大な物語の一つであります。そして不可避的に、そのような種類の成功は、あなたが言われるような態度に導きます。最低限、自己主張、そしてしばしば、高圧的な行動。』

 フーン。意外と長尺の物差しで見ているんだな。「帝国主義者ボケ」はしていない。

ですから、私はそれは(中国の最近の外交政策)もっと大きな議論の一部だと思います、中国にとってですね。また私は、それは、私の最近の訪問をもとにして言えば、それは(その議論?ハースのしゃべりは代名詞が多く、代名詞を特定するのが面倒くさい。代名詞の多いしゃべり方はなにもハースのだけの特徴ではない。すべての“帝王”あるいは“帝王気取り”に共通する特徴だ。)は、中国と地域および世界との関係は何だろうか?ということに関する議論でした。中国の国家安全保障政策とはなにか?これから10年ないし20年中国は、自身何を成功と定義づけるだろうか?それには何が必要か?地域的にもグローバルにもどんな役割を演じたいのだろうか?現在既存の国際秩序をどのように形成したいのだろうか?国際秩序に対する挑戦をどの程度したいのだろうか?私にはそれら(一連の疑問のこと)は中国に対する最初の質問の塊だと思います。そして、そしてこれらは急速に台頭しつつある、いかなる大国からも発せられる疑問だと思います。それで、我々は、これらに対する答えがわかっているとは私には思えません。そればかりか中国人も答えがわかっていると思いません。で、私は極めて豊な論議が行われるだろうと期待しています。さらに問題を複雑にしているのは、中国人の意志決定の性格です。』

 これら疑問から窺うに、ハースはアングロ・アメリカン帝国主義者の視点をもって、またそこから一歩も出ないで中国を推し量ろうとしている。それでは、勝海舟ではないが、中国は「永遠にスフィンクス」だろう。中国はどのような社会主義を創造していくべきなのか?いや、そもそも中国にとって社会主義とは何なのか?(レーニンもスターリンも毛沢東もケ小平も有効な答えをだしていない。)中国における民主主義とはどのような形であるべきなのか?(中国は明らかにアングロ・アメリカン型の民主主義を学びつつ否定している。あるいは否定的に継承しようとしている。近寄りつつ、遠ざけている。)そうした問題意識に立って、中国の外交政策はどうあるべきなのか?


脅威(threat)でなく挑戦(challenge)

 
しかし、私は、我々がそのような議論をするにはまだ時期尚早なのではないかと思います。というのは、中国人の思索と政治とエネルギーは、過去数十年の間、国内近代化と経済成長の問題に集中でして来ました。そして今中国は、そのプロセスを終わっていません。しかし、今ある一定レベルの成功達成しています。私は、時期尚早の中に多分いるのだと信じます、成長の時間的段階から見てですね。中国がさらに大きな経済力をもって何をするかと言う点に関して我々は中国に関する議論を強めるでありましょう。』
『船橋 ありがとうございました。』
 『ハース も一ついいですか?それはアメリカや日本、その他の国に対する挑戦です。私は、脅威(threat)ではなくて挑戦(challenge)という言葉を使いました。私はアメリカと中国が、そして日本が考えなければならない、ええと、いかに彼らが分有し・・・、中国と協働し、地域的およびグローバルにこのプロセスをなんとかする、これがアメリカと中国の事柄の一つだと信じます。』

 船橋は、中国の外交政策に関する質問の時に、「ある人」を引用して「攻撃的中国」という言葉を使っている。

それは、中国を含め全員の利益です。私は、中国は国際的秩序の中に統合されると主張します。その秩序が既存のものかあるいは集団的に改造されたものかに関わらず。私は中国に向かって、単に我々の言葉で定義する“秩序”に統合されなければならない、と単純に言ってしまうのは、合目的でないと思います。我々は、中国の正当な利益を斟酌しまた共存の準備となる地域的およびグローバルな秩序とは何かを定義するため、彼らと協働しなければなりません。』 

 これは驚いた。帝国主義者ハースがこんなことを言うのか。ハースのいう既存の秩序とは「アメリカによるアメリカのための秩序」のことだろう。ここで「アメリカ」と言うのは、幾重にもまとった外被をすべて剥ぎ取ってしまえば、英米国際金融資本のことだ。だからハースは、既存秩序を改変しても中国を取り込んだ新たな国際秩序が必要だ、といっていることになる。ところが中国は、ハースのいう国際秩序そのものが、いかなる意味でも必要ない、と考えているように私には思える。

さてと、これが「挑戦」です。とりわけアメリカと日本にとって。我々は、中国11国でこれらのことをする(すなわちハースのいう意味での地域的および国際秩序を構築すること)ことを挫きたい。しかし我々は中国が国際的な、・・・地域的およびグローバルな秩序を・・・脅威としての、あるいは中国の利益と合致しないものとしての秩序を理解することを望んでいない。これは古典的な外交です。これが外交というものです。ですから私は、これが(外交が)失敗する不可避的な要素は何もないと思います。そうではなくてあるのは中国の政治的統括および外交に対する挑戦だと、思います。そのことはアメリカにおいても、日本においても、また他の国においても同じことです。』


危機感が足りないハース

『船橋 ありがとう。私の最後の質問。「全ての政治はローカルだ」(All politics are local.)
『ハース  それはある有名な日本の政治家のセリフですね、もし私の記憶が正しければ。』(笑い)

 英語Wikipedia<http://en.wikipedia.org/wiki/All_politics_is_local>によると“All politics is local”は、アメリカの元下院議長Tip O'Neillのセリフだそうだ。日本だと誰のせりふかなぁ。

『船橋 私はそのケースはどこにでもあると思います。しかしすべての国際政治もまたローカルたる度合いを強めています。あなたがアメリカの状況をどのように見ているかな、と思っています。ティー・パーティ・チャレンジはどうなのか、第3の政党再編の話・・・。そのことが世界の中のアメリカにとって意味するところ、アメリカの外交政策そのものに対して意味するところ、などです。』
『ハース 我々の多くが同じ疑問を出しています。またその問題に悪戦苦闘しています。先ほども触れた話題に戻りたいと思います。それは、・・・経済問題の中心性でありまた厖大な不幸せであり、無理からぬところではありますが、それは経済的苦境や失われた成長、生活水準の悪化などとともにこの国を貫いて存在します。一体何なんだ?住宅保有者の3人に1人が、その住宅価値が住宅コストを下回っている状況は?ですから経済的挑戦(の問題)は巨大なのです。みなさんが予測されるように、この規模での経済的挑戦が拡大している時期には、いつも大きな欲求不満、恐れ、不幸が存在するものなのです。』

 ハースは基本的に国際金融資本の代弁者だ、ということを念頭に置いてみるとハースは、現在の世界経済を過去に何度もあった経済不況として考えたいのかも知れない。19世紀以来資本主義は幾度となく危機を乗り越え克服してきた。今回もそれを乗り越えられると彼は考えている。しかし一介の市民に過ぎない私にとっては、「資本主義の危機」が克服できるかなどという問題はどちらでもよい。要するに、多くの一般の市民が、生まれながらに平等で、教育の機会が平等に与えられ、自分の能力を十分に伸ばし、個性が発揮でき、生活と自己実現の手段たる職業を持ち、お金があってもなくても医療の保障があり、死ぬその時まで人間らしく生きられる、それが全員に保障できる体制を望むだけだ。一部の巨大企業や国際金融資本のために、今の資本主義が延命を続けているなら、そんな資本主義はやめた方がいい、別な仕組みを創出した方がいい、と考えている。この視点からすると、ハースはもっと事態を深刻に考えた方がよかろう。

 この後、会場の参加者からの質問があり、恐らくは日本人からの質問だが、「中国脅威論」が展開されるが、ハースはやんわりと「中国挑戦論」で“教え、諭す”。またアメリカで凝っている「ティー・パーティ運動」に関する質問もでるが、ハースの回答はあまりに陳腐だった。ハースの危機感とも関係するが、割愛する。もっとも興味深かったのは、ハースの日本社会、日本の支配構造を見る視点だろう。野口悠紀雄ばりの「1940年体制」論を窺わせる視点がかいま見えた。しかしこれは別に扱う機会もあろう。

 (了)