【世界各国の基礎データ】および【アメリカ経済】
(2010.11.12)
<参考資料>中国格付け会社「大公国際信用評価」、アメリカを2ランク下げる アメリカ経済に対する「臨終宣告」にも等しい報告書 第2回
 

金融経済化と産業の空洞化

 中国の格付け会社「大公国際信用評価」(以下大公)が、2010年11月アメリカの国家信用(アメリカ国債)のランクを、「AA(弱含み)」から「A(弱含み)」と一挙に2ランク下げた。私が興味をもったのはその事実そのものよりも、格下げの理由と分析、その結論である。

 アメリカ経済に対する根本的批判とのなっているこの「格下げ報告書」(<http://www.dagongcredit.com/dagongweb/english/index.php>)は、「悪化する負債返済能力とアメリカ政府の負債を返済していこうとする意図のドラスティックな低下」を指摘し、要するにアメリカ政府に負債を返済する意志がない、と断じ、アメリカ経済の根本的な病巣を解析しはじめる。

 分析は4つの視点から行われるのだが、その第一の視点は、「アメリカはこれまでの経済発展モデルと経済運営モデルに対する根本的な反省をしていない。これまでの経済モデルを採用し続けている。これはアメリカを長期の景気後退に導かざるを得ない。」と云う視点であり、その経済発展モデルとは、金融業主導の経済発展モデルだった。

 この報告書は上記見解を裏付ける証拠を5点挙げているが、その第1点目が、仮想経済に中で、信用拡大(credit expansion)のために信用需要(credit demand)を創り出し続け、アメリカ経済全体を借金経済にしてしまった、この信用拡大政策を放棄しないかぎり、アメリカ経済は健全に再活性化しない、というものだった。

 今のアメリカに「信用拡大政策」(より具体的には量的緩和政策、もっとわかりやすくいえば、ドルを刷り続けること)以外の選択肢があるのか、というとそれは疑問だが、取りあえずここまでが、前回見てきたことだった。さて次を見ていこう。

第二に―。

アメリカにおける経済の金融化(または金融経済化)と産業の空洞化(industrial hollowing-out)は、実体経済(real economy)と金融システムの間の正常な関係を破壊してしまった。そして「仮想冨」(virtual wealth)の追求に導いている。』

 日本でも小泉政権以降この傾向が強まっている。竹中平蔵の提唱する経済発展モデルはまさにここで批判されている「金融経済化発展モデル」そのものだ。

社会資本は大きく金融システムに吸い込まれ、根源資産(the underlying assets)と基本経済から遊離して運営されている莫大な量の金融資産の価値は、驚くべきやり方で増幅されており、人々は仮想冨(virtual wealth)の増大により関心を持つようになり、実際冨(real wealth)の増大には興味をもたなくなる。』

仮想冨と実際冨

 薄々疑いを持っていたのだが、この報告書の分析者(二人いて、いずれも中国人研究者:LU Sinan、DU Mingyan)はマルクス主義経済学の手法も用いてこの報告書を書いているのではないか?
 
 一般に大きな誤解があるのではないかと思うのだが、マルクス主義経済学は、決して社会主義経済や共産主義経済を研究する学問なのではない。マルクス主義経済学の学問対象は「資本主義経済」や「資本主義経済社会」である。マルクス主義経済学の目的は運動体としての「資本主義経済社会」の構造解明にある。従ってそのアプローチは哲学的である。

 これに対して近代経済学(この言葉が今でも生きているのかどうかしらないが、というのは西側社会では経済学といえば近代経済学のことを指しており、マルクス経済学はトイレの片隅に追いやられ、出世をあきらめた偏屈ものの研究者が寒々と便器の側で論文を書いている、といった体だからだ。)は、経済社会の−(この経済社会はもちろん資本主義経済社会のことだ。近代経済学者にとって経済社会といえば資本主義経済のことだ。彼らにとって、資本主義経済しか「経済社会」は存在しない。)−運営方法を研究する学問だ、といって過言ではない。従ってそのアプローチは政策立案的である。

 誤解を恐れず云えば、「資本主義経済」を学問対象とするのは、マルクス主義経済学も近代経済学も同じだが、マルクス主義経済においては「それは何だ?」「それは何故だ?」と問いかけるのに対して、近代経済学は徹底的に「ハウ・ツー」である。

 話が横道に逸れかけているので、もとに戻せば、この報告者の使う言葉、「社会資本」、「根源資産」、「仮想冨」、「実際冨」などといった言葉の理解が問題になる。

 ここに社会資本があるとしよう。その冨が保育園を作ったり、必要な橋や道路、港を作ったり等々に使われれば、その社会資本は新たな付加価値創造の過程に投入されたことになる。だが、その社会資本が、例えば中央政府を通じて金融機関に配分され、その冨が、例えば回り回って投資銀行に入って為替や株式などの投機資金に使われたとしよう。それはこの報告者の立場からいえば、「社会資本が金融システムに吸い込まれた」ということになる。

 またたとえばある人が、ニューヨーク証券市場である会社の株式を買ったとしよう。その会社の業績が好調で、その人が応分の配当を受け取ったとしよう。その配当金は「実際冨である」と、この報告者はいうだろう。彼の投資は実体経済が創造する付加価値形成に役だったのだから。そうではなくて、この投資家が値上がり益を見込んで、ある会社の株を買い、20%上がったところでその売却益を手にすれば、それは、この報告者は「仮想冨」と呼ぶだろう。実体経済に対して何らの付加価値形成を行った結果としての冨ではないからだ。

 それに対してこの投資家は、次のように反論するに違いない。「私の得た富は仮想のものではない。それが証拠に、これで儲けた金で家も買えれば、車も買える。おまけに借金の返せたではないか。これは私にとっては実際冨だ」と。
 
 この投資家の主張はこれはこれで正しいのである。しかし、こうした得られた冨が、決して社会全体に新たな付加価値形成を行った結果としての冨ではない、という意味で、これを「仮想冨」とよぶこの報告者の主張もまた正しいのである。
 
 たとえば、競輪に金をかけて儲けたとしよう。それは個人的には、実際冨である。しかし社会的に見れば新たな付加価値創造を行った結果ではない。ただ単に他人の冨が自分の懐に移行しただけだ。(それは価値移転ですらない。)
 
 それはマルクス経済学の立場から云えば、丁半ばくちで儲けた金同様、ただ単に価値移行が行われただけで、何らの価値創造も、増殖も行ってはおらず、実体経済とは無縁の「経済活動」だ。それが証拠に丁半ばくちで儲けた金は決してGDPに算入されない。投機や賭け事で儲けた金は決して実際冨ではない。しかし投機で儲けた金はアメリカでも、日本でもGDPに算入されているのである。新たな付加価値創造とみなされているのである。ここにこの報告者が「仮想冨」(Virtual Wealth)という言葉を使って「実際冨」(Real Wealth)と区別しつつ、アメリカ経済を分析しなければならない理由がある。

 しかし私がここで長々書いていることは、今の日本の経済学の立場(それは非マルクス主義経済学の立場だが)から云えば、「経済学の観点から云えば、すべてたわごとである。」と一言のもとに斬って捨てられるであろう。私は気にしない。「それでも地球は回っている。」

 先を続けよう。

銀行券印刷機に解決策を見いだす

 『極めて大きな数の(経済的)実体が海外から移転している。それは深刻な産業空洞化を結果している。かくて、この国の「実際冨」を創造する能力は、極めて弱体化している。

かてて加えて、アメリカ政府はその行政的機能を発揮するにあたり借り入れに大きく依存しているので、予算政策の効果的精査を通じての経済運営をおこなう自律性を徐々に失っている。そしてついには銀行券印刷機にその解決策を見いださざるを得なくなっている。それはあたかも金の卵を産む鵞鳥を殺すことに似ている。』

 アメリカの中央銀行は、連邦準備制度(Fed)である。そしてFedのみが、ドル通貨発行権をもっている。一般論でいえば、中央銀行は無限の通貨発行権を持っているわけではない。円通貨の発行権を持っているのは日本銀行だが、日銀は無限に円通貨を発行できるわけではない。それに見合う一定の担保が必要だ。つまり発行権に一定のワクを嵌めている。それはそうだろう。担保なしに1国の通貨を無限に発行されてはたまったものではない。超インフレが起こりお札は紙くずになってしまう。

 しかしFedのドル発行権には歯止めがない。青天井である。かつてFedのドル発行権にも歯止めがあった。1944年に成立した「ブレトン・ウッズ体制」では、35ドルで1トロイ・オンス(正確に31.103 4768グラムの純金)と交換できることになっていた。この時、金と交換できる(金兌換通貨)であることが、一定の歯止めになっていた。

 1971年「ニクソン・ショック」が起こる。時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンがドルの金兌換停止を発表するのである。ロックフェラー財閥の大番頭、政治的代理人であるヘンリー・キッシンジャーの入れ知恵である。ドルの金兌換停止でFedのドル通貨発行権には歯止めがなくなった。青天井でドル通貨が発行できるようになったのである。これが「ニクソン・ショック」の本質だ。

 普通「ニクソン・ショック」は、「ドルの金兌換停止」と固定相場制から変動相場制への移行の2つの本質を持っていると説明されるが(日本語Wikipedia「ニクソン・ショック」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%
82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A
7%E3%83%83%E3%82%AF>
を参照の事)
、変動相場制への移行は金兌換停止の結果であって、本質は「ドルの金兌換停止」である。

 こうしてFedは、「金の桎梏」を離れて、「打ちでの小槌」を手に入れた。「大公」の報告者の表現を借りれば、「金の卵を産む鵞鳥」である。

 早い話、今連邦準備制度は8133.5トンの金準備がある。(「世界の中央銀行金保有ランキング」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/world_data/world_gold_council.html>参照の事。)

 1トンの金は3万2151トロイ・オンスの金に相当する。今仮に金の最高値1オンス=1400ドルの換算レートを使って見ると、1トンの金は4500万ドルの価値がある。アメリカ連邦準備制度の保有する金は、8133.5トンだから、ドルに換算すると3660億ドルである。

 Fedが保有する準備金は、1オンス=1169ドル(2010年7月末時点の金価格)として4236億ドルにしかならない。(Fedの準備金に占める金準備の比率は72.1%=2010年7月末時点)仮にFedのドル発行権は、準備金の100倍までと決めれば、Fedは42.36兆ドルを上限としてドル通貨を発行できることになる。しかしこれでは恐らく焼け石に水であろう。というのは、アメリカ連邦政府の負債(財務省証券発行残高)だけで、13.2兆ドル(2010年6月末現在。「財務省証券(アメリカ国債)の保有者」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/05.htm>を参照の事)もあるのだから。

 ドル発行に歯止めがないことでアメリカがいかにその恩恵を受けているかがわかるだろう。まさにこの報告者が云うとおり、「金の卵を産む鵞鳥」である。

 もちろん、今世界がドルに価値を認めているのは、Fedが保有する準備金を担保にして認めているわけではない。連邦準備制度の設置を決めたアメリカ議会に対する信用が担保になってドルの価値が裏打ちされている。アメリカ議会に対する信用とは取りも直さず「アメリカ経済」に対する信用が担保となってドルの価値を認めているのである。

 しかし、この報告者の指摘することが正しければ、アメリカ経済に対する信用は今大きく揺らいでいる。あまつさえ、アメリカはドル通貨を大量に発行することによってドルの価値を意図的に下げている。いつまでアメリカ経済に対する信用=ドルに対する信用が持続するのだろうか?

 ドルを発行すればするほど、ドルの信用が落ちる、ドル本位制を崩している―そのことをこの報告者は「それはあたかも金の卵を産む鵞鳥を殺すことに似ている。」と表現している。

 『実際冨の創出能力を改善するということは、金融体制を合目的に位置づけることと実体経済に依存することだ。そしてその調整プロセスがアメリカ経済の回復と将来的発展像を決定するであろう。』

その冨産出能力はグローバル覇権戦略を支えられない

第三に―。

アメリカのグローバルな覇権戦略は、厖大な国家的金融資源を消費している。しかしそれ自身の冨産出能力はというと、その巨大な戦略目標を支えるには不十分である。その戦略を継続するにあたって、国家負債あるいはアメリカ・ドルの発行に依存することは、持続性に欠けるばかりでななく、予算赤字を出す根源ともなる。』

 ここでいうアメリカのグローバル覇権戦略を支える費用とは単に軍事予算ばかりではないだろう。国務省の予算、エネルギー省の予算なども含まれているに違いない。在日米軍の「思いやり予算」(それはアメリカのグローバル覇権戦略を支える予算を日本が一部肩代わりしていることなのだが)もこうした観点から把握しなければならない。

 (しかし云いたい放題に云うなぁ、この報告者も。マ、本当だからしょうがない。)

 国家歳入と歳出のバランスが取れていることは、アメリカ経済の持続的発展にとって有利なことである。しかしながら、アメリカ政府にとってそのグローバル戦略を放棄することはほとんど不可能である。それゆえ、それ(国家予算のバランスが取れていないこと。すなわち財政赤字。あるいはグローバルな国家戦略、と解することも出来るかも知れない。)は、アメリカ経済を妨害する長期的因子となるであろう。』

「負債の輸出」

第四に―。

負債を輸出するために、ドル切り下げに長期的に依存することは、「貸し手」の利益を害するばかりでなく、アメリカの「負債のディレンマ」の解決を不可能とする。国家発展戦略における問題は、アメリカ政府が巨大な負債の重荷を産み出していることに淵源している。しかし、アメリカ政府は、負債を削減するという戦略を調整することに乗り気ではない。むしろ、ドルの切り下げを通じて負債を輸出することが、アメリカの利益に適う、と信じている。ドルの切り下げは「貸し手」に対して、「貸し手の利益」をアメリカに移転することを余儀なくさせるが、アメリカ・ドルに対する市場の信頼を削減することになる。そのことは、ドル売り傾向の引き金となるかも知れない。ゆえにそれは、国際通貨体制の様式を変えていくことになるだろう。そしてドルの覇権的地位は不可避的に揺さぶられることになる。それは究極的にはドルの環流を引き起こし、アメリカ政府の直接的な国際金融チャネルを害することになる。そしてそれはアメリカの「負債収入」も減らすことになる。』

 大公のこの報告書は、当然中国政府の承認のもとに発表されたものだろう。そのことを念頭に置いて読んでみるとかなりドスのきいた脅しになっている、と読めないこともない。

 丁寧にいってみよう。まずドル切り下げによる「負債の輸出」とはどういうことか?

 たとえば、日本は、アメリカ財務省証券(事実上のアメリカ国債)を、2010年8月末現在で8366億ドル保有している。(「アメリカ財務省証券<国債>国外保有者の推移2009年−2010年」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/06.htm>を参照の事。)

 このうち日本銀行や郵政株式会社など日本政府や政府関係機関がどれくらいの割合で持っているか私は調べていない。仮にこの全てが、日本国民の税金や預貯金、あるいは保険の掛け金に淵源するありとあらゆる形の政府関連機関が保有しているものとしよう。(実は私はそう推測している。)

 8366億ドルを今1ドル=100円で計算してみると、83.66兆円という金額になる。ほぼ1年間の日本の通常国家予算に匹敵する。もし、仮にこれがドル切り下げ政策によって1ドル=80円になったとしよう。この場合「円高」という言葉はふさわしくない。ドルの一方的切り下げだ。この82.66兆円はたちまち67兆円に凋んでしまう。(実際そうなっているのだが。)

 日本は約15.66兆円の為替差損を被ることになる。逆にこの15.66兆円の為替差損はアメリカ財務省の為替差益(もちろん含み益だが)となってアメリカ連邦政府の負債を軽減することになる。

 これがこの報告者のいう「負債の輸出」の一例である。(民主党自慢の仕分け会議で得られた数千億円や在日米軍への思いやり予算などはカワイイものである。)

 中国は日本を上回るアメリカ財務省証券をもっている。2010年8月末で8684億ドルである。中国元は、日本円ほどドルに対して切り上がってはいないが、それでも10%近く上がっている。中国もその意味では「負債の輸出」の被害者なのだ。

 この報告者のいうように、「負債の輸出」は、アメリカの利益にはなる。しかし、それは、

アメリカ・ドルに対する市場の信頼を削減することになる。そのことは、ドル売り傾向の引き金となるかも知れない。ゆえにそれは、国際通貨体制の様式を変えていくことになるだろう。そしてドルの覇権的地位は不可避的に揺さぶられることになる。それは究極的にはドルの環流を引き起こし、アメリカ政府の直接的な国際金融チャネルを害することになる。」

 と述べているとおり、長期的にはアメリカの利益にはならない。ならないどころか「中国はもう買いませんよ」という威しとも読めないことはない。

オバマと胡錦涛の会話(ただし想像の)

 今G20とかで各国の首脳が韓国のソウルに集結し、その席でアメリカの大統領オバマと中国の国家主席胡錦涛が1時間半も個別に会談した。新聞報道によれば、ほとんどの時間を元切り上げ問題に費やしたという。私がそこでのやりとりを想像してみると―。(こういう時は何故か関西弁になる。)

『オバマ: なぁ、フーさん、元切り上げてエな。
フー: だからいうとるやろ、いちどきに切り上げたら、ウチらナンボ損するおもとんねん。8684億ドルからもっとんのよ。
オバマ: なにいうてんねん。いつやったかいな、9400億ドルももっとんの減らして。アレ、去年の今頃ちごうたんかいな。めだたんようにやったつもりやろが、わかってまっせ。ええやないか、あと10%くらいあげても。わての顔たててエな。
フー: そはいかんて。これ、みんなの金でっせ。奥の方は、やっと食えるようになっただけやんか。もちっと大事に使わんと。堪忍してエな。ゆっくりやりまひょ。そやな、2―3年くらいかけてやね。
オバマ: そならナ二か、ウチら潰れてもエエいうんか。ドル本位制、壊れてもエエいうんか。
フー: ま、そない怒りイな。そりぁ、ウチらも困る。協力しとんやないか、いままで。よーわかってま。でもな、オバマはん、ものには限度ちゅうものがあるやろ。そら、元上げてもエエで。30%でも40%でも上げたる。あんたはんとこの国債ぜーんぶ、売り払うてやな・・・。そしたらなんぼでも上げたる・・・。
オバマ: ま、そないいわんと。ほなら、ゆっくりでエエ。そやけど2年、3年は長過ぎるで、そやな、1年でどうや、1年で手打と?
フー: ま、その話、また今度にしよ、な?しばらく日本からむしったらええやないか。なんでも云うこと聞くやろ?あそこ。
オバマ: それがやな、もう限度かもしれんのよ。菅のとこも金借りまくりで・・・。
フー: まだ郵貯の金があるやないか。
オバマ: うーん、実はそれも計算にはいっとんのよ。
フー: わかった、ニッチもサッチもいかんのやね・・・。また、こんどにしまひょ、その話。ナ、わてまだ昼飯、食うとらへんねん・・・。』

 とこんな感じではなかったと想像する。

負債支払いリスクを強める

 負債収入はアメリカの繁栄にも関係する。負債危機(debt crisis)の勃発を避けるため、不足する負債収入問題を解決するため、追加的に通貨を発行しなければならない。よって、アメリカ・ドルは次々と新たな段階の切り下げに入り、流通していく。このことは不可避的に負債支払いリスクを強めていく。』

 つまりこの通りだとすると、ドルはその破滅の日まで悪循環過程をたどることになる。

第五に―。

金融システムと信用格付けシステムの再編成は、信用経済が基本的な要求を反映することに失敗した。そして、国家経済は信用経済の掟の発達を準備するのだが、またそうした信用経済の掟がアメリカ経済を再生の径へ後押しするのだが、そのような国家経済の基本的提供システムを確立することは困難である。』

 これは、アメリカの信用格付け制度とそれに基礎を置く金融システムが、もはや機能せず、そのことがアメリカ経済の再生を阻んでいるという意味だと思う。実際にスタンダード・プーアやムーディズの格付けを誰も信用しなくなっている。現実に、たとえば、08年9月に破綻したリーマン・ブラザースは、その直前まで高い格付けを得ていたし、たとえばギリシャの国家信用は、ギリシャに信用危機が起こる直前まで高い評価を受けていた。

金融規制改革法(Financial Regulatory Reform Act)は、これ以上の危機が発生しないようにするためのアメリカ政府にとっての主要な手段だったが、その内容を見ると、アメリカはその記入システムの問題の根っこを真に見いだしていない。信用危機の原因となった根っこは、規制改革に単に依存するのでは、根絶やしに出来ない。』

 金融規制改革法(Financial Regulatory Reform Act)は、2010年7月に成立した法律で、「内容は金融危機の再発防止を目的とした大規模金融機関に対する監督強化や高リスク取引の制限、住宅ローンや学生ローン等の消費者取引の規制強化である。」(国立国会図書館調査及び立法考査局の海外立法情報調査課、井樋三枝子の調査報告<http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02440102.pdf>)

 私にはよくわからないが、金融安定化監督委員会(FSOC)の設立やウォール街の透明化及び説明責任、信用格付機関規制の強化、消費者金融保護局(CFPB)の新設、住宅ローン改革及び捕食者的な貸付を防ぐ法までを含んだ相当広範囲な規制改革と見える。井樋自身は際だった評価を行っていないが、控えめに「両院協議会では規制反対派の意見も汲まれ、銀行によるデリバティブ取引を一部容認する等の様々な修正が施された。大統領提唱の金融危機責任税に関する規定は含まれていない。」と書いている。

 また2010年7月21付けのワシントン発ロイター電は、

オバマ米大統領は21日、金融規制改革法案に署名し、同法は成立した。有力業界団体はこの新たな法律を相次いで批判し、オバマ大統領と米実業界との緊張した関係を浮き彫りにした。」

 とし、「大統領は、ウォール街の一部の銀行家や財界首脳らが参列した署名式で“この法律により、米国民は金融機関の過ちのために負担を強いられることは二度とない。納税者負担による銀行救済は二度と起きない”と強調。」した、と伝えている。

 一方「米商品先物取引委員会(CFTC)のバート・チルトン委員は、金融規制改革法による影響のほとんどは同法がどのように実行されるかに左右されると指摘。同法は透明性を高め、規制当局に市場の規制に向けたより良いツールを与えるとの見解を示した。ただ、多くの問題が解決されないままだとも述べた。“これは多くの面を持つ広範囲にわたる法案で、規制当局がさらに肉付けしなければならない部分がまだ多くある。いつ、どのようにそれを行うのかという問題が、実際にこの法律が支持者の期待に沿うものかどうかを明らかにするだろう”と語った。」(以上<http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-16388120100722>による。)

莫大な資本収入とその深刻な結果

 アメリカの金融システムは無数の金融商品を作ってきた。それら金融商品にはグローバルにドル資本を継続的に引きつけ、それらが殺到した。外国資本がアメリカの経済的生態系のもっとも重要な一部分を形成し、それは、信用拡大を通じての資本収入を獲得するまさにそのシステムとして重要な駆動力となっている。しかし、そのため生じた結果は深刻である。
 
(1) 社会資本は金融投機で働くようにし向けられている。(本来社会資本は、有効な付加価値創造のため実体経済に投じられるべきなのだ。) 物質的冨(実際冨)よりもむしろ仮想冨の追求がアメリカの価値創造能力を強化する方向へと主導していない。
(2) 信用活動(credit activities)が実体経済の発展を支援するという適切な役割から逸脱してきた。社会的信用需要は主として(信用)市場に決定され(本来は逆でなければならないのに)、市場によって創造された余剰信用は、国の経済発展を危険に曝すホットマネー(投機資金)となっている。その上さらに、社会的信用を規制する政府の能力は金融革新商品によって大きく損なわれている。
(3) 金融システムが複雑な信用関係で構成されている。そのことが信用リスク情報の非対称性やシステムリスクの蓋然性に関する議論を一層悪化させている。(リスク判断をしにくくしており、お互いがお互いを信用できない状態になっており、それに拍車がかかっている。)

 金融サービスの方向付けにおいて、信用の社会化(credit socialization)の発達がいかなる変化にも口出しすべきでない。(その逆であるべきだ。)金融の精髄は「貸し手」と「借り手」の関係の間に横たわっている。この関係はあらゆる社会的信用システムの本質を成し、社会的冨を創造する実体経済のための資金を配分するシステムを提供することとなる。(中国の若造に言われなくても、わかっとるわい、といいそうだな。しかししょうがない。原理原則を逸脱しているのはアメリカの専門家なんだから。)

 「信用イノベーション」という手段による付加価値(それは仮想付加価値だが)の追求の結果、アメリカにおける社会的信用の規模は、野蛮なまでに拡大し、そのため、システム的信用リスクの脅威は、常態的事象となっている。

 継続するドルの切り下げと共に、いったん世界を席巻したドルの支配的ポジションは、厳しくその正当性に疑義が出されている。(severely challenged)強いドルに大きく依存している金融システムは、現在のモデル(経済発展モデルあるいは経済モデル)においては、それを運営するにあたってもはや国家経済を支えることはないだろう。

 こうした文脈において、アメリカ政府は国家経済システムを再構築しなければならないし、それにかかる費用は莫大にのぼるだろう。アメリカ政府は金融システムを戦略的レベルから改革するためのマスター・プランを作ることに失敗した。そして改革にいたる原理と共にそのアプローチもまた曖昧である。

 実際的利益を目的とした現在進行形の改革は、原因にではなくその症状に力点をおいたものである。そのような改革は、アメリカ経済の回復とアメリカ経済システムの改善の必要性という歴史的な要求に適合することはできない。』

機能していない信用格付けシステム

信用格付けシステムの欠陥に端を発した危機はアメリカの金融システムをほとんど破壊した。しかしながら、最近の改革手段は基本的諸問題に力点をおいたものではない。そしてアメリカの格付けシステムは、それは金融危機で試されたのだが、回復へ向けた歴史的チャンスを失っていくだろう。

 アメリカの格付けシステムの主要な問題点は、格付けシステムが、各格付け機関を市場における一般プレーヤーとして扱っていることだ。そして彼らの間での競争を鼓舞していない。そのようなメカニズムでは、各格付け機関がその社会的責任を全うするのを保証しえない。信用リスクを明らかにしていく保証を仕組みとして欠いているアメリカの格付けシステムは、公共に対して信頼できる信用リスク情報を提供し得ない。従って、ある一定限度で、その信用システムは経済回復と発展を支える効果的な資金を供給し得ない。』
 大公は、アメリカに発生した信用危機に対する根深い理由は、現在の経済発展モデルおよび経済運営モデルが、信用経済発展の掟を逸脱していることだ、と信ずる。
 根源的には、国を統治する考え方および国家戦略に問題がある。伝統的手法ではアメリカ経済を救い得なかったという事実は、アメリカ政府が信用経済の法を踏襲することによって、国を統治する能力に欠けていることをさらに証明するものだ。
   アメリカにおける経済回復はその政府の発想法の転換に拠っている。しかしながらそのような転換は、共和党が政権につこうが、民主党が政権につこうが、実現するのは非常に困難である。従って、アメリカ政府は、その消え去らない信念をひきずって行くであろう。結果として、経済回復には長い時間がかかるであろう。政府の負債返済能力はさらに悪化すらするであろう。』

 随分言いたい放題に言ったものだが、この報告者の言っていることを突き詰めれば、アメリカ経済回復の径は、要するにアメリカが帝国主義的政策をやめることだ、といっているに等しい。

 (以下次回)